梅の3
“渡りは付けておく。追って沙汰を待て”
兄の得意気な顔を思い出しながら、直樹は冊子を並べた。兄弟(
今日の販売会は、ゲーム《Fin Del Mundo(世界の果て)》がメインテーマだ。直樹のように二次創作のマンガあり、小説ありで、今回はコスプレ大会もあると聞いた。
同じテーマで創作する者同士が集まるから当然なのだが、他のイベントでも“ゲームカテゴリ”“ファンタジーカテゴリ”の括りで、同好の士の中でもFDMファンと顔を会わせる機会が多い。
そんなわけで、今日も百夜曲の隣は、おなじみさんだ。左にクララ軍曹が、右には2to9(トゥートゥーナイン)のメンバーが席を占めている。
クララ軍曹はFDMの二次創作小説を書く人だ。気楽に読みたい人は敬遠するかもしれないが、少し硬めの文体は直樹の好みだ。前に、別の書き手のFDM小説を読んだ時には、登場人物に“マジで”とか“イケメン”とか言わせていてがっかりした。
創作は自由だ。何でもアリだ。でも、世界観って大事じゃない? エルフはイケメンなんて言わないし、セリフが感嘆符だらけなのも安っぽい印象を受ける。
その辺り、クララ軍曹は弁えている(って、偉そうなこと言える立場じゃないけど)。春のイベントで隣あった時に、そのことを伝えたら、ごつめの顔を少しほころばせた。
2to9はふっち(2ch)から始まり、みっち、よっちと続いて、ここっち(9ch)まで女性八人のグループだ。直樹同様FDMの漫画を描いている。お揃いのTシャツを着ている上に、似たような雰囲気の人が集まっているから、よく顔を合わせるわりに、名前と顔が確実に一致するのは、三人くらいしかいない。
今売り子として座っているのは、確か5と7(いつっちとななっち)だ。彼女たちを残して、お先にと目当ての品をゲットしに出て行ったのは、確か8と9の二人だったと思う。
そう、若い女性は周りにいっぱいいるんだよね。少なくとも2to9の八人と、直樹の向かい側でBL漫画を出している姉妹を合わせれば、十人は同人関連に女性の顔見知りがいることになる。
この状況を松ちゃんが見たら、いっぱいいるんだから何とかなる(何とかしろ)! とか言いそうだな。
でもなあ。彼女たちとゲームや作品について語り合うのはとても楽しいのだが、恋愛感情が育つ土壌ではない気がする。そもそも育てたいという気持ちが自分にない。
いつものように、一冊、二冊とのんびり売りつつ、そんなことを考えていると、
「あ、あの」
テーブル越しに誰かが声をかけてきた。自分と同世代の女子が立っている。ずいぶん暑そうだなあ。確かにここ、空調ききにくいよね。
「新作、ありますか」
「はい」
こちらです、と指し示すと、暑そうな女子は妙にカクカクした動きで財布を取り出し、直樹に代金を支払った。
「ありがとうございます」
心血を注いで描いて、こうして人前に並べているからには、やっぱり売れると嬉しいものだ。
カクカク女子は、しばし表紙に見入っていたが、ふいに顔を上げた。
「あの」
「はい」
「わ、私、ファンです! 曲さんの」
「え?」
「そ、そうです。絵が大好きなんです」
直接ファン宣言されたのは初めてだ。嬉しい。思わず椅子から滑り落ちそうになった。落ち着くんだ、モモヤ・マガリ。
「そ、それはどうも」
「曲さん、すごく素敵で、あの、あんな風に描きたくて、よく模写させてもらってます」
「わ、それはどうも」
って僕、これしか言ってないじゃん。
「ありがとうございます」
何とか頭を下げた。今度は自分の動きがカクカクになっているのが分かる。
「これからも精進しますので」
よろしくお願いします、と必死で告げると、目の前の女子は恥ずかしそうに微笑み、一礼して去って行った。
「今の子」
左側からぼそりと言うのが聞こえた。
「春にも来た」
「そうなんですか?」
クララ軍曹が腕組みをして前を向いたまま、うなずいた。
「その前の、冬にも」
全然気づかなかった。今まではさっと買っていくだけだったのかな。何だか申し訳ない。今度からはなるべく買ってくれた人の顔を覚えるようにしよう。
「勇気がある」
気を付けていないと、クララ軍曹は前を向いたまま話すので、独り言と間違えることもある。
「今の人、ですか」
軍曹は無言だったが、大きく頭を前に振ったので分かった。
「私も好きだよ。マガリ君の作品」
反対側から声がした。振り返るとななっちが、にかっと笑いかけてきた。素敵なお姉さんだ。“ボン・キュッ・ボン”という言葉は、この人にぴったり当てはまる。
それはどうも、と言いかけて、いい加減にしろ、と脳内で自分をどやしつけた。
「ほんと、なんか、すいません」
「なんで謝る?」
ななっちはおかしそうだ。
「僕、こういうの慣れてなくて」
直樹は頭をかいた。
「でも嬉しいです」
「控えめだよねえ。作品とのギャップあり過ぎ」
そこがまたいいんだ、とななっちは言ってくれたが、
「ギャップですか?」
「うん。作品では、時々ぐいぐい行かせることあるじゃない?」
「そうですかね」
「もうね、読んでて乙女心がきゅんきゅんしちゃう」
「きゅんきゅんじゃなくて、悶々だろ」
茶々を入れてきたのは、いつっちだ。つり目とボーイッシュな雰囲気を持つ、この人も覚えやすい。苦笑するななっちの頭越しに、いつっちは直樹に向かって指を突き付けてきた。
「マガリ君のはエロいぞ。すごく」
「えっ」
今度は椅子ごとひっくり返りそうになった。後ろが壁で良かった。
ななっちが嬉しそうに言った。
「だね。あれはもう18禁かも」
「そんなわけないですよ。僕、すごく気を付けて描いてるのに」
「あ、キスくらいならいいと思ってるね?」
「キスだけでもマガリ君のはエロい。ものすごく」
同じことを今度は強調して言われた。
「勘弁してくださいよ」
さっき、ファンと言ってくれた子じゃないけど、暑さが増してきた。すごく顔が熱い。
と、その時、ふっと涼やかな風が直樹の首元を吹き過ぎていった。
なんだろ、今の?
会場がざわついている。
と思ったら、バタバタと誰かが2to9のブースに走り寄ってきた。あ、他の二人が帰ってきたんだ。
「ちょっと、あれ見てよ」
仲間の声にななっちが立ち上がり、入り口の方へ身を乗り出すようにした。直樹も首を伸ばしてみる。
え? 思わず目をこすった。
エルフが一人、通路の真ん中に立っている。遠目にもそれが分かったのは、FDMに登場するエルフのエル、そのままの恰好だからだ。
銀色の長髪に銀のドレス、真っ白な肌、その中で、細い手に持った会場案内だけが妙に現実的だ。
エルフは、しばし手元の案内図に見入っていたが、そのうち顔を上げると、ブース番号の表示を確認しながら、こちらへ向かってゆっくり進んできた。彼女の歩みとともに、うわあ、とかすげえ、とかいった感嘆の声が上がる。シャッター音も聞こえ始めた。さすがに後について歩く者はいないが、すごい数の視線が向けられているのが分かる。
「こっち、来るよ」
いつっちが言った。緊張が高まってきた。この通路は、直樹の左隣、クララ軍曹が一番端だ。
エルフが近づくにつれ、優美な顔かたちまでが、はっきり分かるようになった。外国の人、西洋人の顔だ。こめかみ辺りで分かれた銀の髪から、尖った耳がのぞいている。なんてきれいなんだろう。ほんとにゲームの世界から抜け出してきたみたいだ。
直樹たちが見惚れる中、エルフは2to9のブースまで足を進めた。そして再びブース番号を確認すると、直樹の前に立った。
白い瞳が直樹を捕らえる。
「ナオキ、君?」
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