松の3

 夏休みに入った。祐介は迷った挙句、1年の時から時々やっている衣料品の仕分けバイトを続けることにした。今の仕事場は、おじさんおばさんの比率が高く、若い女の子との出会いはあまりないが、時給がわりとよく、仕事もそれほどきつくない。来年の夏はあまり遊べないかもしれないから、ほどほどに遊ぶ時間を残しておきたかった。

 ある日の夕方、家に帰ってきた祐介は、東家の前にタクシーが停まっているのに気づいた。お客さんか?

 自転車でその横を通り過ぎ、家の前で降りると、タクシーからも人が降り立った。

「祐介、くん?」

 名前を呼ばれ、顔を向けると自分と同年配の少女がこちらを見ていた。

 誰だ? 誰なんだ、このちょっとむちっとした、超絶可愛い子は。何で俺の名前知ってんだ?

 脳内の自分が大騒ぎしていると、

「あ、ユースケ」

 聞き覚えのある声が聞こえ、直後にタクシーのドアが閉まる音がした。のん太郎も乗ってたのか。

「覚えてる?」

 少女が微笑みながら、自分の顔を指さした。

 前に会ったことある子? 早く思い出せ、俺!

「ユースケ、覚えてないね」

 のぞみが少し呆れたように言って、少女と並んだ。少女が笑う。

「仕方ないよ。あれから10年くらい経つもん」

「10年?」

「小町ちゃんだよ。私のいとこ」

 小さい頃、夏休みに東家に泊まりに来た時は、祐介とも遊んだとのぞみが教えてくれた。

 言われてみれば、そんなことがあったような気もする。でも、当時は特別可愛いなんて思わなかったけどな。

「ごめん。何か感じが変わってたから、分かんなかった」

 すっげー可愛くなってたから、と言った方がいいのか? でも、それはちと恥ずかしい。

「祐介君も変わったよね。昔の面影は残ってるけど」

 小町が近づいてきた。少し恥ずかしそうに言う。

「ちょっと、びっくりしちゃった」

 お、その顔はもしかして “こんなにかっこよくなるなんて”って思ってる? 

少なくとも“久々に会ったらがっかり”の顔ではない。それにしても眼、でかいな。

「そ、そうすか」

 つい、頬がもやもやんと緩みそうになり、急いで口元を引き締めた。

「ユースケ、夏休みヒマなんでしょ」

 じゃますんな、のん太郎。

「は? ヒマじゃ」

 ねえよ、と言おうとしたら、小町がさらに一歩踏み出した。

「のんちゃんちには、一週間くらいお世話になるんだ。だから」

 でかいのは眼だけじゃない。胸のボタン、はじけ飛びそうですよ?

「もし祐介君の予定が合いそうなら、一緒に遊ぼうよ」

「そ、そうだね」

 これはあれだ、コラムで読んだ“引き寄せ”ってやつだ。

 してみるもんだぜ、捨てます宣言!


* * *


 のぞみと小町に別れを告げ、玄関のドアを閉めるまでは、何とか耐えた。

 よし、もういいだろう。

「おっしゃあ!」

 リビングに駆け込みながら、叫ぶ。

「きた―――! 春が来た! 卒業だ!」

「兄ちゃん、うるさい」

 テレビを見ていたらしい弟の景介が、振り返った。

「そうよ。何なのよ、春が来たって」

 夏真っ盛りなのに、と母がリモコンをエアコンに向けた。

「あんたが帰ってきたら、急に温度が上がった気がするわ」

 そうかもしれない。自分自身が今すごく熱い。

「母ちゃんさ、のん太郎のいとこ、知ってるか? 女の子」

「確か、同い年の子よね。あんたとのんちゃんと三人で、夏休みとかお正月なんかに、遊んでた」

「そうそう、その子が今来てんだよ」

 10年ぶりにと言うと、母がへえと声を上げた。

「懐かしい。なんか名前からして可愛い子だったわよね」

「みずほ、いや、こまちだ!」

 景介が手を上げて言った。

「何でお前が、知ってんだよ」

「当たった。東さんちは新幹線一家だから、いとこもそうかなって」

 その通りだ。のぞみの姉はひかりという。おばさんが珠子(たまこ→こだま?)なのは偶然だろうが、親父さんが東日本(あずま・やまと)だから、娘の名前は狙って付けたに違いない。親戚まで新幹線とは思わなかった。

「なになに、その小町さんが久々に会ったら、エロ可愛くなってた?」

「何で見てたみたいに言うんだよ」

 つうか、エロ可愛いとか小3が言うな。

「兄ちゃんが騒いでるからさ。たぶん、こんな感じ」

 ばいーん、と景介が、両手で胸の上に大きな半球を描いた。母が笑っている。まったく。

「俺、小学生の時、こんなマセガキじゃなかったよな」

「そうかも、ねえ」

「いやあ、もっとひどかったと思うよ」

「お前が言うな!」

 祐介がにらむと、弟はてへ、と笑ってテレビに意識を戻した。

「10年かあ」

 母が頬に手を当て、しみじみ言った。

「そりゃ素敵なお嬢さんになるわよね。前は怖がりの甘えんぼさんだったのに」

「へえ、そうなんだ」

「あれ何歳だったかな。祐介に、くっついて離れなかったことあったでしょ。たぶんその子だったと思うけど。覚えてない?」

 残念ながら全く記憶にない。

「虫が苦手なのに、誰かが意地悪して頭だか手だかに乗っけちゃったみたい。で、怖がって泣いてるところをあんたが助けたって」

 祐介といれば安心、その子はそう思ったらしいと母は言った。

 じゃあ、小町ちゃんの中で昔の俺はヒーロー的な存在だったってことか? だから、会った時にあんなに嬉しそうにしてくれたんだ。

 俺、子どもバージョンの俺、えらい!

 これはいい流れだ。

 早く卒業証書、もらっちまおう。梅さんが経験値上げる前に。

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