梅の1

 健太に彼女ができたらしい、と直樹が気づいたのは今年に入ってすぐだった。さらに、その後の検証により、自分の予感が当たっていたことと、彼女とどの程度の関係なのかが分かった(カマをかけておいて言うのもなんだが、自分の動揺ぶりに自分で驚いた)。

 ただ、相手が誰かは知らなかった。別れていたことも、そのいきさつもだ。2年になってから少し健太に元気がなくなったように感じていたが、これが原因だったと今分かった。

 竹やんには気の毒だと思う。でも、新しい恋をするなら、その妖精さんのことを引きずってた方がマシだ。

「やめたほうがいいって、なんでだよ?」

 健太本人ではなく、祐介が尋ねてきた。

「ごめん、今は言いたくない」

「何だよ、それ」

 直樹はそれには答えず、健太に尋ねた。

「竹やんは、やっぱり年上の人がいいんでしょ」

「たぶんね」

 今まで好きになった人、みんなそうだから、と穏やかな微笑みが返ってきた。

「じゃあ、新しい彼女を積極的に探すのは、少し待った方がいい」

 この言い方で、竹やんには通じるかな。

「5、いや4月くらいまで」

 念のため付け足す。心配しながら健太を見ると、

「分かった」

 健太はそれだけ言って、うなずいた。

「え、俺、全然分かんねえんだけど」

「松ちゃんは歳もタイミングも気にしなくていいよ。チャンスがあったらゴー」

「は? 竹やんはダメで、俺ならいいわけ?」

 だよね。納得できないよね。

「だって、4月って相当先だぞ」

 その通りだ。あと10か月ある。

「それまで待てって、酷じゃね?」

 それは直樹にも分かっている。分かっていて心を鬼にしているのだ。

「ったく、何の呪いだよ」

 松ちゃん、自分のことでもないのに、食いついて離れないな。困った。そろそろ話題を変えたい。

「だいたいさ、人にあれこれ言う前に、梅さんも何かちょっとはがんばれっての」

 また自分の方に戻ってきた。あまり歓迎したくない状況だが、健太の話が続くよりはいい。そう思った直樹は笑顔を作った。

「じゃあ、僕もがんばってみる」

「同人誌仲間にさ、女子いねえの?」

「いるよ。可愛い子も、きれいな人もいろいろ」

 と言っても、ほぼ全員、名前(ペンネーム)を知っている程度だが。

「でも、どうなんだろうね。僕と同じで現実世界の男はノーサンキューかも」

「普段、つるっつるでキラッキラの男ばかり描いてると、やっぱそうなんのかな」

 健太が言った。そういえば健太がよく出入りしている従兄のマンションには、BL漫画家が住んでいると聞いたことがある。

「つるっつるにしとかねえと、男同士の絡みなんか描けたもんじゃねえだろ」

 祐介は、げんなりしつつ笑っている。

「そういや、腐女子でも彼氏いたり、結婚してるのいるって聞いたことあるぞ」

「両方のタイプがいるのかもね」

 現実とファンタジーを自分の中で分けられる人と、

「ファンタジーの中でだけ生きていたい、僕みたいな人と」

「ファンタジーか」

 祐介がぽつりと言い、直樹と健太を見た。

「“白馬に乗った王子様が来るのを待ってる”みたいな言い方、あるだろ」

「うん」

 夢見がちな女の子が理想の相手を求める時の超古典的表現だ。

「そんなもん現実にはねえ! って感じで使うことが多いと思うんだけどさ。男も同じなんだよな」

 祐介が少しだけ真面目な顔をした。

「マンガとかでよくあるハーレム設定も、ラッキースケベも、“白馬の王子様”の男版、ファンタジーなわけよ」

 なぜか遠くに視線を移し、熱く語り始めた。

「究極のボケと言ってもいい。女が足滑らしてこけたら、次の瞬間男の顔の上に跨ってました、て。んなわけあるかーい! どんなこけ方じゃ!」

 気の毒にも、祐介の力強い腕の返しは、健太の方へ向かった。

「ま、そんな風に突っ込みつつ、俺を含めて男どもは楽しんで読み、梅さんたちも描いてるわけだが」

 と、ここで祐介は直樹に目を向けた。

「あっちの世界に行ったまんまってのは、ちと問題アリだと思うんだよ。さっきも言ったが、それじゃこの国の人間は増えねえ」

「少子化については、僕はまったく問題ないと思うけど?」

「そっちはちょっと置いといていいや、俺はさ、もうちょい、現実を見ろって言ってんの」

 知ってたよ。松ちゃんがこの件で、ずっと前から僕に意見したかったのは。

「梅さん見てると、時々言いたくなるんだよ。目え覚ませ、って」

 目を覚ませ、は少し遠慮気味に言った。松ちゃんも、根は優しいんだよね。

「銀の髪して色白で、耳のとんがった女は実在しねえし、性格きつい女が都合のいいタイミングでデレる、なんてこともねえ。“たふたふ”はタダではできねえし、自分が“選ばれし”何とかでどっかの国救って、救世主様大好きステキ~って囲まれる、も絶対ねえ!」

「松ちゃんも、結構いろいろ読んでんなあ」

 健太がつぶやいたが、熱くなっている祐介には聞こえなかったらしい。

「妄想は妄想として、相手はこっちの世界で探すしかねえんだからさ。どうしてもって言うなら、頭ん中で彼女にエルフ耳つけろ。妄想力はそういうところに使うんだよ」

 思わず笑ってしまった。

「ここぞとばかりに、言ってくれたね。“おせっかいおばちゃん”は」

「おうよ」

「分かった。チャレンジしてみる」

「お、よく言った!」

「こっちの世界で僕のエルフを探すよ」

「エルフ、じゃねえ!」

 さすがに今回はこっちに腕が飛んできた。

「俺の話、聞いてた?」

「うん。松ちゃんの話聞いてたら、あり得ないファンタジーを、現実にしたくなった」

 祐介は狐につままれたような顔をしている。

「エルフもだけど、ハーレム設定にラッキースケベの数々、僕自身が体験して、松ちゃんに自慢してあげる」

「わ、俺なんか変なスイッチ押しちまった?」

 祐介が慌て、健太は苦笑している。

「オレは、梅さんが居心地いいなら、そっちの世界にいていいと思うけど」

 竹やん、心配してくれてありがとう。でも、当面は松ちゃんの気をこっちに引いておきたい。

「大丈夫。僕なりに楽しんでやるから」

 さっきの祐介の話で、一つ腑に落ちたことがある。確かにチャレンジによる“リスク”はほとんどない(あつかましいほど強い心が必要なのは確かだが)。やってみたけど、ダメでした! で済む。さらに言うなら、いささか卑怯な態度ではあるが“確信犯的有言不実行”でもバレない。

「まずは“たふたふ”かなあ」

 直樹が頬を手で何度か挟むようにすると、祐介もはう~と言いながら、同じ仕草をした。

「いや、これさすがにタダってのは」

「ないって言うんでしょ? 僕はやってもらうよ。だから」 

 松ちゃんもがんばってね、と直樹が挑戦的な目を向けると、祐介は一瞬顔をこわばらせた後、うなずいた。

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