第9話 モニカレベル10 ノアレベル29

 最終作戦。召還魔法ドラゴリッター。


 死に物狂いで落とし穴から這い出したアルマが、ルクセントに戻る頃には空は青白く染まり、およそ一時間もすれば太陽が顔を出すところだろう。その光景がさらに体を重くさせ疲れ果てたアルマは、近くのベンチで横になることで仮眠をとることにした。

 どれくらい眠れたのだろう、短い睡眠の後で目の痛くなるような朝日を眩しく思う。そして、筋肉痛を感じながら体を起こせば、陽は高い。懐から銀時計を取り出してみれば、時間はもう昼前だ。


 「本当なら、今頃は魔法ギルドで仕事の一つでも受けていたはずなのに……」


 いや、まともに魔法ができない自分がいたとしても、どうせ役立たず扱いをされていただろう。地元では、周りの風当たりが強くなり、それを気にしていた姉がギルドを紹介してくれたが、どうせそこに行っても結果は同じだ。

 それでも、と。抱きしめたままで眠っていた杖を、さらに強く握り締めた。


 「それでも、私は……諦めたことはない。どれだけ困難ことも、投げ出さない。もう手加減なんてしないから、モニカ。――だって、私は魔法使いアルマだから」


 誰が見ても疲れている様子が分かるものの、決意を固くしたアルマは最終作戦に相応しい場所を目指して歩き出した。

 だが彼女はあるミスを犯していた。疲れきっていたアルマは、気づいていない。――ある影がアルマの後ろからついてきていることに。



           ※



 アルマが辿り着いたのは、街外れにある廃墟の中。

 賑わうルクセント町並みを生活の水準に考えると、それなりの金持ちが住んでいた建物ようだ。二階建ての家は、一階には部屋が五つほど、二階にもそれに近い数はある。この辺にしては、かなり大きなもので、領主の別荘か前に住んでいた家の可能性もある。

 数年前まで誰かが住んでいたようだが、割れた窓や埃の積もった床を見る限り、壊したとしても文句を言われることはないだろう。それどころか、処分に困っている雰囲気すらもありそうだった。

 アルマが今からやろうとしていることを考えれば、実に好都合だといえた。

 一番広いと思われる居間にやってくれば、足元に散らばる破片やめくれた床から飛び出した木材を蹴りどかして、アルマの周囲に広い空間を作る。

 今から行うのは、高位の召還魔法。

 魔法使いというのは、この世界に漂う魔力だけを使って魔法を使っているわけではない。己の精神力や生命力、それだけでは補えない場合は、見えない世界を隔てる壁の外に存在するといわれている異界からも魔力を集めてくる。今から行う召還魔法こそ、その異界に住むモンスターを自分の従者として呼び、こちらの世界に連れて来る魔法だ。

 魔法使いを目指す学生なら、下位魔法で小動物のようなモンスターを召還することもよくある。しかし、アルマは特異な性質から出てくるモンスターが未知数だったため、ずっと召還魔法を封印してきたのだ。

 手順は分かる。他の魔法と一緒。どうせ出て来るとしても、正規の手順ならば自分の命令を聞くモンスターがやってくるだけだ。例え強いとしても、言うことを聞くことが前提のモンスターが来るのだ。

 自分を励ますように、言い聞かせるようにそう考えていることをアルマは気づいていない。

 今から召還するのは、ドラゴリッターと呼ばれる竜族でありながら鎧を装着して盾と剣を持つモンスターだ。人の言語を理解して、魔法使いとの信頼関係もとりやすいと本で読んだことがある。

 アルマは本の知識を頼りに、頭の中でドラゴリッターの姿を想像する。

 杖を水平に構えて、両手で握る。空気中に漂う埃を体に集めるように、宙を舞う魔力を自身に寄せる。アルマを中心に漂い始まるのは、澄んだ魔力の風。それはいつしか、アルマの足の下に魔法陣を形成して、部屋全てを埋め尽くすほどの魔法陣を完成させる。そのまま、魔法陣がアルマの体を貫通して天井にくっつけば、無色の糸を繋ぎ合わせたような魔法陣は流れる血液のように赤色を手に入れる。

 魔法陣の線に赤が満ちれば、詠唱の準備が整ったことを示していた。

 そっと瞼を落とすアルマ。そして、歌でも歌うように、張り詰めた声がアルマの口から発せられた。


 「お手を取りましょう、竜ノ神の化身様。楽器はお持ちでしょうか、火炎の偶像様。譜面はそこに、奏でる音は何処かに。探しません、探しません、ここにございます。ありえましょう、そこにありえましょう。炎は剣となりて、魔の雨を浴びましょう。そこは、寒いでしょう、そこは、辛いでしょう。ここは、侵食する雨の待つ炎。我がここには、魔をそそぐ剣があるだけです。……握手は相応に」


 杖を一度、一回転させる。静かな空間に杖を振る音が聞こえ、床に残っていた埃が舞い上がれば陽の光を浴びてキラキラと光る。

 目を開けば、アルマはただ誰かを超えたいと思う気持ちだけで、異界から召還獣を呼ぶ。


 「――出てきなさい、ドラゴリッター!」


 魔法陣が弾け、目を焼くような発光が廃墟に行き渡る。魔力が生み出した光の粒子の中で、そこには存在しないはずの生物が輪郭を作り、生命を宿らせる。――そして、奴はこの世界に現れた。


 「な、なにこれ……」


 アルマから漏れた言葉は、自賛する声ではない。恐怖の混じりの弱々しいものだ。自分が生み出したはずのそれを、アルマは知らない。

 本来のドラゴリッターというのは、人間の何倍も大きい。二本の腕で剣と盾を持ち、体を鎧で覆う。さらには、竜の鱗は厚く、振り回す剣は石をも砕く。しかし、知的で召還した者を信頼する。そんな、存在を呼び出すつもりだった。

 確かに、目の前にいるソイツは竜族で二つの手と二つの足を持つ。二本の手に武器を持つ様子はなく、爬虫類生物のように地面に手を置き、腐りかけていた床は召還した生物の大きさのせいで今にも崩れそうだ。

 長い首が蛇のように動き、いくつものナイフをくっつけたような牙が口元からは見える。背中から伸びるのは、コウモリのように膜の張った翼。全身は緑色で、ドラゴリッターというよりも、様々な種類のモンスターのいろんな部分を強引にくっつけたようにも見える。トカゲのものによく似た巨大な二つの目がアルマの姿を捉えた。

 ごくり、と生唾を飲み込むアルマ。これは、ドラゴリッターではない、神話の竜に最も近いとされるワイバーンと呼ばれる竜になりそこなった怪物だ。ドラゴリッターを生み出す召還魔法では決して生まれるわけがない、高位のモンスターだ。――つまり、この召還魔法は失敗だ。


 「あなた……ワイバーン……」


 名前を呼ばれたことで、嬉しく思ったのか小さく唸るワイバーン。しかし、その目に知性の欠片は見当たらない。その代わり、今の自分の立ち位置を探っているようだった。

 呆然とその光景を見つめるアルマ。中位の召還魔法は、それに見合ったものしか従わせることができない。もしも、ワイバーンがアルマを敵と判断した場合のことを考えるとゾッとする。

 ――ギシ、と後方の床が軋む音が聞こえた。振り返れば、そこに絶対にいてはいけないような存在がいた。


 「お、おねえちゃん、すごいね……」


 「あ、あなた!? なんで、ここに!?」


 廊下からこちらを見ているのは、大道芸人と勘違いされた時に声をかけたきた少女。


 「おねえちゃんの姿が見えたから、いろいろおはなししたくて……」


 「それで、街からついてきたの……!?」


 アルマに大きな声をかけられて、今にも泣きそうな顔で少女は表情を暗いものにさせる。危険な魔法を行おうとしていたのに、部外者を巻き込んだ自分の間抜けさに頭を掻き毟りたくなる。

 はっと我に返ったアルマは、ワイバーンを目を向ける。ワイバーンの黄色の瞳は、大きくなったり縮んだりしながら、突然現れた少女を見つめた。その顔には、一切の知性を感じさせなかった。


 「や、やめなさい、ワイバーン!」


 少女を庇うように、アルマはワイバーンの前に立つ。

 コイツは何を言っているんだ、そんな目でワイバーンはアルマを見る。それだけで、アルマは察した。ワイバーンは、最初から言うことなんて聞くつもりもない、そして背後にいる少女のことは――捕食対象としか見ていないことを。

 気づくが早いか、動くのが早いのかどっちが先か分からないままで、アルマとワイバーンは同時に動いた。

 アルマは少女を抱きしめて床に転がれば、その頭の上をワイバーンの首が通り過ぎていく。ワイバーンの垂らした唾液に顔を歪めながら、アルマは胸の中で怯えて目に涙を溜める少女の頬を撫でた。


 「大丈夫よ、お姉ちゃんがすぐにおうちに帰すから、ちょっと我慢しててねっ」


 屋根は突風でも吹いたようにギシギシと軋み、柱はバキバキと音を立てて建造物の終わりを知らせる。首を捻るワイバーンに目もくれず、アルマは少女を抱えたままで廊下に飛び出せば、三割以上ヒビの入った窓に飛び込む。


 「お姉ちゃんに掴まってて!」


 少女がアルマの服を強く握ることを前提に、割れたガラスで頬に一筋の傷痕を残しながらも、廃墟から外に出ることには成功した。背中からは、廃墟が轟音を立てながら崩れていく音が聞こえた。ワイバーンが出現した時には、建物が壊れることはなかった。つまり、出現した時以上の動きをワイバーンが行っているということだ。

 少女を家に帰すことが最優先だと考えたアルマは体を起こす。しかし、その足が前に進むことはない。


 「怪物のくせに……」


 空から飛来したワイバーンは、アルマの行動を予想していたように、二人の前方に着地した。

 杖をぐっと握り、魔法を詠唱することも考えるが、少女を巻き込む危険性を考えたら、それ下手なことはできない。しかも、こんな状態では、まともに動き回ることも難しい。自分が戦うために、少女を逃がしたとしても、先に狙われるのは自分ではなく少女の可能性が大だ。後ろに逃がしたとしても、奴が飛んでいって少女を追いかければ、もうどうしようもない。

 舌なめずりしながら、近づいてくるワイバーン。こんな怪物を呼び出してしまった自分の愚かさに首を吊ってしまいたくなる。

 アルマは安心させるように、無理して作った笑顔と共に少女を抱きしめた。


 「もしも、お姉ちゃんが食べられたら、その間にあなたは逃げなさい。……心配しなくていい、どんなことがあってもお母さんやお父さんいるおうちの方には行かせないようにするから」


 攻撃魔法はできなくても、魔法で自分自身を爆発させることぐらいできるはずだ。愚かな策しか出ないようだが、自分のせいで大勢の人間が死ぬことに比べれば全然マシなものだと思えた。

 不安そうに「おねえちゃん」と呼ぶ少女の頭を撫でれば、食べられる用意と少女を逃がす準備をする。


 (そういえば、私が失敗した時は……モニカが助けてくれていたわね)


 今さらながら、あの子はモンスターではないのだろうと思える。あれだけ優しく笑う子を、ずっと倒そうとしていたなんて、自分は最初から最後まで愚かだった。さらには、心の中であの子が助けに来てくれるのではないかと期待している自分がいる。

 涙が溢れてくる。拭いたくても、両手は塞がっているし、どれだけこすってもきっと追いつくことはない。情けない終わり方、酷い死に方。


 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。でも、私は魔法使いだから、何があっても守るから。こんな私に、こんなことを言う権利はないのかもしれない。でも、これだけは忘れないで――魔法は人を守るためにあるんだから」


 それは少女が、魔法を嫌いにならないようにと呟いたものなのか。それとも、足の震える自分への言葉なのか、そのどちらかは分からない。ただ、どうしようもない無力を感じることしかできない。

 大きな口をぽっかりと開けたワイバーンの顔が、そこまで迫っていた。


 「――なら、最後までそれを貫けっ!」


 『グゴォ!』とワイバーンは悲鳴を上げた。その口の端からは血を流し、痛みに苦しみ首を何度も振り回している。


 「え……?」


 目を赤くしながらアルマは、声のした方向を見る。そこには、ワイバーンの血液に刃の先を濡らすノアの姿があった。



          ※




 困惑するアルマの耳に、ぱたぱたと軽い音で駆け寄ってくる足音がもう一つ。


 「だ、大丈夫!? アルマちゃん!」


 「モ、モニカ……?」


 その顔を見て、アルマの頬にいくつもの涙の筋が出来上がっていく。ぽろぽろと溢れ出す涙は、死を覚悟した時以上に多量だ。

 気の強いイメージがあったモニカは、子供のように泣きじゃくるアルマの姿を慌てふためいた。


 「ど、どこか、怪我しているの!? 痛いところはない!? あ、ほっぺた怪我しているよ! そ、それとも、ノアちゃんが怖かった!? たまにノアちゃん、怖いもんね!」


 「……そ、それ、本当なのか」


 アルマからしてみれば小馬鹿にするように見ていたモニカとノアのやりとりも、今見れば安心を与えてくれる。

 だからなのか、アルマの口からは自然と本音がこぼれ落ちる。


 「ご、ごめんなさい……二人を見たら、安心しちゃって……」


 その言葉を聞いて、モニカは嬉しそうに笑った。ノアはやれやれという感じに肩をすくめれば、アルマの抱いた少女に視線を送る。


 「危険だ。その子はここから離れさせろ」


 「で、でも、ワイバーンがこの子を狙ったら――」


 意外にもアルマの言葉を止めたのは、モニカだった。


 「――させないよ。私とノアちゃんが、その子もアルマちゃんも傷つけさせない」


 ふわふわとした砂糖菓子のような女の子が出すとは思えないような、びっくりするほどの真っ直ぐな声。それを聞いたアルマに、そこから先を言わせることはなかった。しかし、すぐに、真剣な表情から気の抜けた笑顔を見せるモニカ。


 「へへ、ちょっとカッコつけすぎちゃったかな」


 「いや、たまには……こういうのもいいだろう」


 ノアとモニカは、いつものように笑い合うと完全に敵と見なしたモニカとノアを睨みつけるワイバーンを見据えた。

 顔の右側にノアの剣のよって付けられた傷口から血を流しながら、ワイバーンは咆哮を上げて俊敏は動作で近づいてくる。


 「モニカ、頼むぞ!」


 迫り来るワイバーンから逃げることはなく、ノアは体制を低くして真っ向からワイバーンの巨体に飛び込んでいく。

 「うん!」と強く頷いたモニカは、両手の拳をぐっと握り締めて叫んだ。


 「おうえんスキル発動するよ! ――ぶった斬ってええええええ! ノアちゃああああああああん!!!」


 ノアの体は光を纏い、宙に揺れる銀髪の輝きをより示すように、肉体をモニカから受け取った魔力により淡く発光させる。モニカの願ったおうえんは、剣でワイバーンを叩き斬るという単純なもの。

 モニカの願いと想像はノアの刃に宿り、銀の剣が黄金の剣に変化する。刃全てを魔力で覆った。それは、今までアルマが見てきたどんな魔法の剣よりも鋭利なものに思えた。

 ワイバーンは向かってきた足を止めることはなく首を動かして、ノアを飲み込もうと顔を伸ばす。しかし、ノアの体は既にワイバーンの首すら届かない位置に飛んでいた。


 「その翼を使うなら、勝負は分からなかったが……。手間は省けそうだな」


 今から飛ぼうと思えば、翼を切断する。そう考えていたノアだったが、思考の追いつかないワイバーンは宙に噛み付き、頭上で反転するノアを目で追うだけだった。体勢を整え、剣を腰の辺りまで引き寄せて、必殺の一撃を放つためにノアは己の持つ魔力を込める。


 「慢心したな、蛇の怪物。――落雷裂ライトニングラスラッシュ!」


 ノアの肉体は電流を放出し、頭の中すらも焼き尽くしてしまいそうなほどの激しい発光。そのまま、ノアは技名のごとく、突然落ちた雷の如くワイバーンの肉体に剣を伸ばしたままで降下した。その速度では、本来のノアの持つスピードの数倍、さらに電流を帯びた刃の一撃は触れた者の肉体すら内側から焼き尽くす。

 ワイバーンの絶叫。そして、激しい爆発とワイバーンの内から発生したと思うような、雷撃が地上から空へと上っていく。

 息をこらして、その一瞬の戦いを見つめていたモニカとアルマが、激しい光から目が慣れ出した頃。肉の焦げた臭いがしたかと感じたかと思えば、表面を焦がしたように全身の色を黒くさせたワイバーンが倒れこんだ。倒れたワイバーンがいた場所には、地面に刃を突いたままで腰を落とすノアの姿があった。


 『テッテテー! モニカとノアのレベルが上がったのぉ。モニカは”ご”。ノアは”さん”上がったぞぉ。おうえんスキルのレベルも上がったようじゃ』


 モニカ達の勝利を証明するように、静寂の中で樹木神の声が響き渡った。

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