第2話 モニカ レベル0

 ――勇者の力とは経験じゃ。今はか弱気少女かもしないが、いつか重ねた旅の経験や出会いが闇を打ち払う力になろう。自分を信じて、旅を続けるのじゃ。勇者モニカの旅を影ながら見守っておるぞ。


 モニカは、樹木神からの別れの言葉を胸に旅に出た。

 樹木神から周囲の地図と、この世界で活動するための新たな服と勇者の剣を貰ったモニカ。

 ゲームやアニメの世界で見たことのある肩から太腿の辺りまで覆う白い鎧、両手の甲にも金属製のプレートや足のすね当てもある。モニカの体型を考慮したのか、重たく大きな鎧という感じではなく、薄くて見た目以上に軽い、かなりの軽装甲だった。しかし、防御力に関してはその辺の騎士が持っている鎧なんかよりも随分と頑丈にできているのだと樹木神は言っていた。

 鎧の下は白いシャツに淡い青色のミニスカート。フリル付きのニーソックスが太陽の下で引き立つ。本来ならば短パンだろが無骨な皮のズボンでも構わなかったのだが、樹木神の趣味でファンタジー世界のファンタジー的な格好になった。ちなみに、一緒に渡された勇者の剣で敵を倒すと経験値が1.2倍に余分に貰えるらしい。この辺の説明は正直、樹木神自身もよく分からないので、旅をしながら覚えていくのが一番のようだった。

 例のごとくモニカサイズで重たくなく軽過ぎるほどの勇者の剣に関しては、まだ抜いてもいないので特筆するところはない。今、鞘に入っている状態で一つ目立つところといえば、柄の先に緑色の小さな水晶玉のような宝石が付いている。気になるような大きさではないので、やはりこれも特徴ではないのかもしれないな、とどこにでもありそうな勇者の剣をカチャカチャ鳴らしながら進む。


 ――樹木神に別れの挨拶を済ませて、歩き出して数時間後。


 樹木神のいる森の近くにリオラという村まで一直線の道があり、とりあえずそこまでを最初の目的地にすることを樹木神は勧めてくれたので、右も左も分からないモニカは言うとおりにしてみることにした。

 歩いていけば分かるのだが、進んでいくごとに過去に多くの人が利用したことに気づく。森の外へ歩けば歩くほどに道は広くなり、躓くような石も木の根っこも見当たらなくなる。それでも、永遠と木々の間で続く道や時折驚かせるように出てくる動物達を見ていると、自分がどれだけ深い森の中にいたのかをひしひしと感じられた。

 森の中を抜ける頃には、近くに感じていた樹木神という存在もとても曖昧なものになっていた。それでも、右手の甲の宿る勇者の印というものは感じられる。自分は勇者なんだと自信を奮い立たせ、森の中から外へのの最初の一歩を踏み出した。

 そこには、平野が広がる。ところどころに点在するのは、家畜の牛と馬だろうか。モンスターを見つける前に、初めて目の前にいるテレビの中だけの動物に興奮を隠しきれないモニカ。そう、ここから私の冒険が始まるのだと前向きなことを考えた瞬間――。


 ――ぐぅー。


 緊張感のない高音が周囲に響いた。


 「お腹空いたよぉ」


 樹木神が用意してくれたリュックを降ろして中身を焦っても、出る時に貰った薬草が三個と価値の分からない金貨の入った袋しか出て来ない。理由は明白、ここに来る途中で、一緒に渡された果物を何度も食べてしまったせいだ。というか、ピックニック気分で途中まで食べながらきていた。

 日本でいえば、春先頃の気候だろうか。温かくも非情に過ごしやすい。これでは、お腹が減る一方だ。と、気候に責任を押し付けつつモニカは腹をさする。


 「どうせなら、木の実とか拾いながら来れば良かったかな……」


 人の倍以上の時間をかけて、樹木神の森から抜け出したモニカの立場的に、今はまだ冒険前の自宅の玄関というところだった。既に、その段階でモニカは途方に暮れつつあった。

 ふとそんなモニカの視界に建物が目に止まった。――村だ。いくつかの小さな家が集まって一つの村を作っている。ここからはそう遠くはない、歩けばギリギリ夕方には着くかもしれない。

 運動部に所属した経験もないモニカは、細い足に鞭を打ち立ち上がる。一応、勇者の力で肉体は頑丈にしてくれたらしいが、歩くための体力だけは変わっていないようだ。泣き言を言ってしまえば余計に辛くなるので、その言葉を飲み込めば樹木神から貰った筒状の木製の水筒から、水を一口分含んで歩き出した。



               ※



 夕方どころかたっぷり日が暮れて到着したモニカ。

 村の中央には広場があり、その広場を囲むように食料品や日用品を扱う店がある。そして、その小さな店の後ろからくっつくように柱や壁が木ででてきた家が立ち並ぶ。

 この旅を続ければ、多少は足も早くなるのだろうか。なんて自分の今後の成長を祈りつつ、やっと小さな村に辿り着くと――モニカは同時に倒れこんだ。


 「うきゅぅ」


 既に空腹はモニカを行動不能にするには、十分過ぎるほど限界を超えていた。

 目が回り、足元はおぼつかない、自分が今どっちの方向を歩いているのかも判断できない。そして、伸ばした手は何を掴もうとしているかも分からない。


 ――ふにゃん。


 「――きゃ」


 伸ばした手が何か柔らかなものを掴んだ。フニャンの葉とは違い、温かな熱を持つ。


 (まんじゅう? パン? それとも、大福? それにしては、弾力があるな……)


 無論、異世界だからといってそんなものが空中に浮いているわけなんてない。例えそれが、幼い外見をしたモニカからしてみれば、食べ物よりも貴重な物だとしてもだ。

 しつこく不必要な力で、それを押し上げて下げてみては、さらに押してみる。その内、その柔らかな物体は震えだした。 


 「おい、いくら同性とは言ってもコレは許されるものじゃないだろ?」


 怒った女の声。そこで、僅かに我に返ったモニカは「へ?」とマヌケな声を漏らしながら声のした方向に顔を向ける。

 年齢はモニカの一つか二つ上だろう。だが、そこに立つのはモニカが息を呑んでしまうほどの少女。身長は、モニカよりも頭一つ分は高い。

 長い銀髪の髪が夜空の月を反射させ、まるで星のカーテンのように揺れる。青い瞳は、勇ましく真っ直ぐにこちらを見ている。人間らしい温もりを持った肌は、それだけで色情を激しく刺激させるだろう。そして、その出るところは出て引っ込んでいるところは引っ込んだスタイルに目を向ければ、その女性のふっくらと突出した胸元を鷲づかみしているのは――モニカの手。


 「あ……ぁ……」


 おそるおそる顔を上げるモニカ。その美しい少女の顔に怒りで赤みを帯びていく。


 「覚悟しろ、変態同性愛女」


 女性は拳をぐっと握ってみせれば、それをこれみよがしに頭上に上げる。振り落とす準備はできたとばかりに、持ち上げた手をもう一度ぐっと握り直す。

 半泣きになりながらモニカは許してもらおうと両手を合わせて祈るように頭を何度も下げる。


 「ひいぃん、ごごご、ごめんなさ……あ」


 「え?」


 あまりの恐怖と空腹で限界を超えたモニカは、糸が切れたように顔から少女の胸元へ飛び込んでいく。ぼふん、と温かな感触の中でモニカは意識を失った。

 少女は困ったように息を吐いた。持ち上げていた拳を、後頭部に回して頭を掻きながら自分の胸元に顔を埋める少女を見た。


 「ちょっと、脅かしてやるつもりだっただけなんだがな……」


 しょうがない、そんなことを心の中で言い聞かせる。少女は軽くモニカの体を起こせば、自分の背中に乗せて、おんぶをしたまま自分の家に帰ることにした。


 「ただの稽古の帰りだったが、とんでもない物を拾ってしまったな」


 腰の辺りから、ぐーぐーと音の出る虫でも飼っているのかと思うほどの大きな腹の音をBGMに女性は自宅への帰路を急いだ。



                ※



 「んうぅ……?」


 甘いスープの香りが、モニカの鼻をそっと撫でるように刺激した。

 その香りでまず最初に連想されたものが、ドリンクバーのコーンスープ。しかし、あれよりももっと濃厚な強い匂い。どちらにしても、今のモニカからしてみれば、それが心地良いものだということに変わりはないのだが。

 懐かしい気持ちになる食事を用意するための音を聞きながら、もう一度寝なおしたい衝動にも駆られるが、今は食欲の方が圧倒的に有利である。

 目を開ければ、木の板を張り合わせて作られたような天井。少なくとも、樹木神の側でもなければ、元の世界で住んでいた家でもない。考えられるのは一つ、この異世界での住居。


 「ここは、どこなの?」


 体を起こしつつ顔を匂いのした方向に向ける。そこでは、見覚えのある一人の少女が皿にスープを注いでいるところだった。

 同時に飛び込んできた部屋の光景はといえば、中央に置かれたテーブルにいくつもの食器が規則的に並ぶ。自分は、この家の居間の役割をする場所で、寝かされていたようだ。一人用の椅子をいくつか並べ、そこに自分を寝かせて上からシーツをかけてくれたようだ。

 食卓から上がる湯気の中、満足そうに二度三度少女が頷いた。そこで、ぼんやりと自分を見るモニカに気がついたのだろう。


 「あ、目が覚めたのか? キミの分も用意しているから、食べていきなさい」


 目が飛び出るような発言に、モニカはパチクリと瞬きをする。


 「……わ、私、貴女に悪いことしたのに……いいの……?」


 「当たり前だ。腹が減っている人が目の前に居て、放っておくことはできないだろう。キミが男ならまだしも、疲れきった同性に体を触られても何も思わないよ。……さて今から、私の家族を呼んでくるから一緒に食事をすることにしよう。あ、なんなら、先に食べていてもいいけど」


 「う、ううん! 待っている! ご家族様がやってくるのを、三つ指ついて待っているから!」


 「なんか、間違っている気もするが……。まあ、適当に座って待っててくれ」


 カラフルな刺繍の入った丈が足首まであるジャンパースカートを翻して、少女は家族を呼びために部屋を出た。



                 ※


 モニカが周囲をきょろきょろと見回している内に、家族がぞろぞろと揃い集まる。

 救ってくれた少女の家族構成は、祖母と祖父、それに父親。後は、小学校中学年ぐらいの年齢の弟と五歳になるかならいのかの妹がいるようだ。今日は六人家族に突然の来訪者が一人加わった形となる。

 急に食卓についたモニカに驚く様子や変わった反応することはない。もしかして、この家ではよくあることなのだろうか。

 また一人、また一人とやってくる度にモニカが慌てて立ち上がり頭を下げるが、上の大人三人は笑顔を返してくれる。下二人の子供達からは、まるでモニカなんてそこにいないように自分の席に一直線に向かうのだが、その後、二人は少女から怒られる形で、食事をする前に改めてモニカに挨拶をすることになる。


 ――そして、各々食事が始まる。

 食事をする前に祈りや儀式などは行わず、全員が席に着いたことが合図になっているようで、そこから食事が始まる。例え、そこに礼儀や食事の順序があったとしても、空腹のモニカは気づくこともなく食を進めるだろう。

 目の前に並べられたのは、家中隅々まで満ち渡る優しくも甘い香りを放つスープ。中央に浮いているのは、クルトンだろうか。食卓の中央の皿には、山のようにパンが盛られ、その横のさらに大きな皿には溢れんばかりのサラダが並ぶ。丸二日、果物ばかり食べていたことに加えて、空腹で意識を失っていたモニカからすれば、胃袋を香りで刺激されたことで唾液があふれ出しそうな思いだった。

 もう我慢できない、という感じでモニカは両手を合わせた。


 「いっただきまーす!」


 「イタダキマス? それは、貴女の国の挨拶なのかい?」


 「お姉ちゃんおかしいー!」


 「ぅぐぅ、それは……」


 祖母と妹からの素直な反応に、動揺しまくるモニカ。

 そんなモニカの様子に気づいたのか、パンを手にしていた少女が一度自分の取り皿の上にそれを置く。


 「二人とも、話を始めたら長いんだから。食事をしてからにしなさい」


 祖母は「ふふふっ」と楽しげに笑い、妹はこれまた素直に「はーい!」と可愛らしい声で手を上げた。

 モニカは、口をパクパクとさせて「ありがとう」と告げる。最初は、モニカの口パクが下手過ぎて、水のおかわりや熱いお茶を持ってきた少女だったが、内緒話をするように耳を近づけることで感謝の意味が伝わった。


 (慣れないことは、するもんじゃない……)



                ※



 そうこうしている内に、食事が終わる。

 食卓から誰も離れないな、なんて思いながら食器を洗う手伝いをしていたモニカだった。テーブルを見れば、七人分のコップが置かれている。どうやら、突然現れたモニカにも食後のお茶がふるまわれるようだった。

 内心、申し訳ない気持ちになりながら、これから自分がこの家族の話題の中心になるんだろうという予感と共に席に着いた。 

 最後に助けてくれた少女が席に着き、流されるままに家族一同の視線を集めるモニカ。


 「今日は、助けていただきありがとうごうざいました」


 何はどうあれ、お礼を言うことが大事だと判断したモニカは目の前のテーブルに顔をぶつけそうなほど頭を下げた。

 その家族の母親のような存在である少女が、気さくな笑顔を見せる。


 「いいよ、気にしないで。悪い子には見えないし、困った時はお互い様だろ?」


 「あ、あ、ありがとうございますぅ……。あ、えとぉその……」


 両方の手の平を合わせ、擦りながら頭を何度も下げるモニカ。しかし、ふと何か言いにくそうにしているのを少女は見逃さなかった。


 「どうした……ああ、名前? 私は、ノア。せっかくだし、一緒に家族のことも紹介するよ。えと、横から……お父さん、おばあちゃん、おじいちゃん。妹のルル、弟のイム。――それで、キミの名前は?」


 名前を呼ばれるごとに、モニカも名指しされていくその顔を追う。予想していた家族構成を見て、見ず知らずの自分を受け入れてくれるのは温かな家庭だからこそ出来ることなのだろうと納得した。

 一人一人の優しげな表情を目に焼き付けて、モニカは改まって自分の両膝の上に自分の両手を乗せてやんわりと握るその手に力を入れる。


 「あ……私は、モニカと申します!」


 少し上擦った声で自己紹介をする。モニカにとって、自己紹介をすることなんて、始業式か入学式ぐらいしかない。たった一家族だとしても、それでも人前で目立つことの苦手なモニカには恥ずかしいものがある。

 一生懸命に自分の名前を言うモニカを、ノアが妹でも見るように微笑ましい様子で見る。


 「モニカは、どうしてこんなところに? こんな田舎にいても、何もすることないだろ。良いところといえば、大人しいモンスターばかり生息しているのと静かなことぐらいかな?」


 異世界に来たばかりのモニカとしては、モンスターにだって一度も遭遇してなければ、ここが田舎だということをノアに言われて初めて知ったのだ。彼女の人が来ない理由を挙げられても、それに該当することはありえない。理由はただ一つ、空腹で倒れたとしても、それだけは忘れることはない。


 「し、信じてもらえるか分かりませんが……私、勇者なんです」


 それを聞いた家族達は、虫の飛ぶ音が聞こえるような沈黙の後。

 ――ドッと一斉に笑い出した。


 「え? え? え!?」


 狼狽するモニカを見ながら、目に涙を溜めてまで笑うノア父が疑問に答える。


 「おもしろいことを言うね。伝説の勇者様は、屈強な成人男性だと聞くよ。体よりも大きな剣を片手で持ち、ドラゴンすら操ることのできる英雄。キミみたいな、可愛らしいお嬢さんとは似ても似つかないよ」


 自分は勇者なのに、まるで、絶対にありえないと言われているようでモニカは内心ムッとする。ノア父としては悪気がないのは理解できるが、それでも何となく腹が立つ。

 自分が嫌だとか考える以前に、自分に勇者を任せてくれた樹木神を馬鹿にされているような気持ちになってしまうのだ。

 あ、と思い出したようにモニカは声を漏らす。そして、右手の甲を家族に見えるように顔の辺りに上げた。


 「こ、これが、勇者の証拠なんです!」


 モニカの声に反応するように、いくつもの蛍が集まったように淡く光り輝く勇者の印。ただ白い肌を映すだけだけだった手の甲に現れた突然の印を前に、その輝きを目にした家族一同は、笑いを堪えようとしていた口の動きがピタリと止まる。

 突然起きた静寂の中、モニカは樹木神から言われていたことを思い出していた。


 ――信頼できる人達に勇者であることを知ってもらえれば、きっとモニカにとって悪い方向に行くことはないじゃろう。だから、証明する方法を教えておこう。勇者の印を見せる方法を。


 その方法とは、ただ念じるだけ。――勇者の印よ示せ、と。


 ――世界中には、勇者の話が多く存在する。それは、過去に幾度なく様々な世界から勇者が現れているからじゃ。そして、必ずといっていいほど、勇者はモニカの持つ印を持っている。子供の頃から、勇者の物語で育っている者達が大半のこの世界では、それを知らぬものはほぼいないじゃろう。良いか、モニカ。それが、お主にとっての身分の証明になるのじゃ。


 モニカ自身が、勇者の印を見せて、そこでやっと実感が沸いてきた。

 自分は勇者になったのだ、と。

 モニカ以外の全員が鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。どうやら、突然の出来事に頭がついていってない様子だった。


 「あ、あの……どうでしょうか……」


 あまりに見つめられるので、恥ずかしそうにモニカは言う。

 さすが一家の大黒柱なのか、最初に我に返ったノア父が震える声を漏らす。


 「ほ、本物の勇者様なのかい……? す、凄いな、まさか生きている内に本物の会えるとは思わなかったよ……」


 まるで幽霊でも見るようなノア父の反応に、モニカは照れ笑いを浮かべる。

 「本当に勇者なの!?」と目を輝かせる弟と妹、「ありがたやりがたや」と手を合わせて拝む祖父と祖母、ノア父は相変わらず「あ、あ、あ……」と声を震わせる。一人違うのは、口元をきつく閉じて視線を下に向けるノア。

 なんだか、妙なことになりそうな気がしたモニカ。少しでも、勇者としてのハードルを下げるために、おずおずとモニカは発言を行おうとする。


 「正直、勇者になりたててで右も左も分からなくて――」


 「――認めないっ!」


 テーブルが激しい衝撃と共に揺れた。かちゃかちゃとコップが音を立て、すっと空気が重くなるのを感じた。ノアの父の驚きの震えが、ここまで酷いものかと思ったが、むしろ震えは止まっていた。

 次に驚く番になったのはモニカで、その音の発生源を辿れば、そこにいるのは鋭い視線のノア。どうやら、激情した彼女が、テーブルを手の平でおもいきり叩いたようだった。

 事態の飲み込めないモニカは、疑問だらけのままでノアに視線を送る。


 「どうして、キミが勇者なんだ……」


 同年代の女子に、ここまで重たい声をかけられるのが初めての経験であるモニカの頭の中は真っ白になっていく。何か言わなくては、何とか言わないと、これはきっと危険なことになる。


 「えと、あの……そのぉ……。じゅ、樹木神さんに勇者になるように頼まれて……それで、えとぉ……」


 「頼まれた!? 頼まれたから、勇者をやるっていうのか!?」


 「……あ、は、はい! せっかく頼んでくれたんだから、私がんばりたいです!」


 「誰かに頼まれたから……?」


 弱火だった炎が強火に、ますます怒るノアを前にして、モニカなりの素直な気持ちでそう答えた。しかし、それが失言だと気づいたのはすぐのことだった。

 ギリギリのラインを超えてしまったようで、その下唇を強く噛んだノアが目の前で拳を強く握っている。そして、ノアの口から出る言葉はモニカを混乱させるものだった。


 「認めない! 私は絶対に認めない! ――私と勇者の印を賭けて勝負をするんだ!」


 「え?」。モニカの口から出た言葉は、ついていかない思考を誤魔化すこともできない、気の抜けた声。


 「キミと違って、私はずっと前から勇者を目指していた! それなのに、どうしてキミが……!? ……明日の早朝、村の広場で待つ! 私とキミで決闘をするんだ! 分かったか!?」


 ビシィと人差し指をモニカに向けて突き出すノア。しかし、そこで空気を読むことのできなかった弟は、心配そうな声を漏らす。


 「おねえちゃーん、僕の朝ごはんはどうなるのー?」


 「うぅ……ぐぅ……。い、一度、決めた勝負を引き下げることはできない! イム、我慢しなさい!」


 「えぇ!?」。今度のモニカは、明確な意思を持って驚いた。

 突然、朝飯を抜くことになるという悲劇に突き落とされた弟。「あぁぁぁぁ」と低く奈落に落とされる絶望感溢れる声を漏らしたかと思えば、


 「うわああああああああああん! おねえちゃああああああああああん!!! どうしてえぇぇぇぇぇ!!!」


 予想できていた事態に、頭を抱えるノア父。

 モニカから見ても、ノアという少女は弟や妹が泣いているのを放ってはおけない性格だというのは一目瞭然だ。さらには、隣の妹ルルまでもらい泣きをしそうになっている。

 申し訳なさそうに、モニカはすっと手を上げた。状況が悪い、ここは自分も空気を読もう。


 「……時間、ずらしましょう」


 ノアは顔を赤くし、家族全員の視線を全て掻き集める。そして、ようやく彼女は折れることになるのだ。


 「……うん、明日の正午に勝負」


 どうしてこうなったのだろう? なんて考える余裕もなく、ノアと決闘を明日に控えることとなった。

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