013 天津飯は似非中華
「この子に何かしようとする素振りを見せたら腕を。逃げようとしたら足を。そうと知った上で私とこの子に虚言を吐いたら顎を砕いてやろう。
痛い思いをしたくなければ、せいぜいいい子にしていることだ」
遠回しでもなんでもない、直接的かつまぁまぁ過激な脅迫。
よくある注意事項の
「あんまり酷いことしちゃかわいそうよ」
「もちろん、砕いた後できっちり元に戻してやるさ。躾の基本だろう?」
「……もしかして、ちょっと怒ってる?」
手摺の一つもついていない、コンクリート打ちっぱなしの狭くて急な階段を上り終えると。川沿いを走る道の向こうに、わかりやすい中華飯店の看板が掲げられているのが、何を言われずとも目に留まる。
「未遂だろうと、お前に手を出そうとしたんだ。今も命があるだけありがたいと思って欲しいくらいだよ」
逃走を疑われない程度の距離を保つため、すぐ傍にいた吉祥院さんに、ひそめられてもいなかったイヴの言葉が聞こえていないはずもない。
交差点の信号が青に変わるまでの間。逃げるに逃げられないでいる吉祥院さんは、見ていてかわいそうになるくらい体を震わせていた。
◆ ◇ ◆
「私、天津飯」
「早いな。決めてたのか?」
ランチタイム真っ只中とあって、そこそこ人の入った店内で席に通されるなり。
備え付けのメニューも開かず注文を決めた私の前を、あとから席に着いたイヴの腕が横切っていく。
「中華はあんまり詳しくないの、知ってるでしょ」
「消去法で天津飯なら、私の分で冒険していいぞ」
混み合う時間帯だろうと関係なく、当たり前に掃除の行き届いたテーブルの上。
目の前に広げて見せられたメニューは、料理名より写真の方が目立つファミレスライクなデザインで。これなら詳しくなくても問題ないだろうと笑ってみせるイヴは、私の無精な性分をよく分かってくれていた。
「天津飯って、結構ボリュームあるから他が入らないと思うんだけど。……食べきれなかったら、手伝ってくれる?」
「もちろん」
「じゃあ…………小籠包と、デザートに杏仁豆腐」
私が残りの注文を決めると、イヴはボックスシートの向かいに一人で座っている吉祥院さんへ、ついでのようぞんざいな一瞥をくれる。
「お前は?」
「……日替わりの飲茶セットを」
同じ席に着いておいて食べないとは言わせないぞ、とでも言いたげな、あくまで無言の圧に負けて。蚊の鳴くような声で応える吉祥院さんの様子は、どう控えめに見てもちょっとどころでなくおかしかったと思うけど。周囲の食事客はおろか、イヴに呼ばれて注文をとりにきた店のホールスタッフでさえ、そのことに触れるどころか、気付くような素振りも見せない。
「イヴ、何かしてる?」
「込み入った話をするのに、聞き耳を立てられても面倒だからな」
吉祥院さんの様子に気付いている私は私で、イヴの答えに『そういうことなら安心だ』と胸を撫で下ろしてしまえるほどには、吉祥院さんに対して思い入れというか、気遣いをしてあげられるほどの
今のところ一番の加害者たり得るイヴに吉祥院さんの
「そもそも私、どういう用件で呼び出されたの?」
とはいえ。吉祥院さんへストレスをかけ続けること、それ自体に意味を見出しつつあるイヴに任せておいてもなぁと、なけなしの親切心を発揮した私が水を向けると。イヴから無理矢理、引き剥がすよう外した視線をゆっくり私へスライドさせた吉祥院さんは、慎重に慎重を重ねるよう、恐る恐ると言わんばかりに口を開いた。
「あなたから、シ者……生きてはいない、ここにいてはいけないものの臭いがしたから……」
からからの掠れ声で、そう言い終わってもなお、吉祥院さんの顎が無事でいるということは。少なくとも、吉祥院さんにとってその言葉は
つまり――
「イヴがうまいこと生き返らせてくれたと思ってたけど、実はゾンビだった……?」
「……否定、しないのね」
「まぁ、正体不明のバケモノに肋骨バリバリ開いて心臓むしゃむしゃされた人間がまともに生きてるとか、さすがにないでしょうよ。常識的に考えて」
ねぇ? と、軽い調子で求めた同意が、想定していたとおりに返されることはなかった。
「あの時お前は死ななかったし、私がいる限り死なせもしない」
私が思っていたより随分と深刻そうな顔をしたイヴの腕が、五体満足であるようにしか見えない――それでいて、どこかしら腐りかけているのかもしれない――私の体を抱き寄せる。
「でも、吉祥院さん曰く――」
開いた口をばくりと塞がれて。私が放とうとした余計な言葉は、最後まで紡がせてももらえない。
「――死なせるものか」
そのためならイヴがなんだってしてくれることを、私はとっくに知っていた。
◆ ◇ ◆
「――ごちそうさまでした」
はじめて食べる本格的な小籠包を二つと、案の定、私一人では完食も危ないくらいボリューミーだった天津飯を半分。デザートの杏仁豆腐もイヴと半分こ。
腹八分で済まなかった私が、それでもあぁおいしかったと一息つく頃には。幾つかの――私やイヴに関することを他言しないように、とか、そういう類の――聞いていて拍子抜けするくらい大したことのない禁則事項とともに、吉祥院さんはイヴから暫定的な保護観察処分を言い渡されていた。
「それじゃあ、また」
一目でそうとわかる、いかにもな中華料理屋。
どこもかしこもどぎつく赤い店を出て、すぐ。ここで別れることになった吉祥院さんへ礼儀的に声をかける私の隣で、イヴがその指を鳴らすと。私とイヴを店の前に残して、吉祥院さんの姿だけがその場から跡形もなくふつりと消えてなくなる。
「私とイヴも、いつもこんなふうに消えてるの?」
その唐突さは、実際には出会したこともない『神隠し』を私に想起させた。
「いい感じのエフェクトでもつけるか?」
いつもと変わらない軽口を叩きながら私の腰を抱き、さり気なくエスコートしてくるイヴは、ほんの少し目を離している間に、私の理想の限りを詰め込んだ美少女ではなくなっている。
「いや、いらないけど。……なんで男?」
性別が変わったところで、イヴが持つ美しさ、それ自体にはなんの翳りもない。
私好みの顔であるなしに関わらず、贔屓目抜きに見ても絶世の美青年がにこりと笑顔で示した先は、街を南北に分ける大きな川の向こう岸。
街中と郊外に一つずつ、計二つの私立大学を擁する街のこちら側にどことなく漂う物静かな雰囲気とは一転して、昼夜を問わず賑やかな喧噪に包まれている繁華街。
「デートなら、こっちの方がらしいだろ?」
映画もカップル割で見られるしな……と、おまけのよう付け加えられた一言に、私が飛び上がって喜んだのも無理はない。
「映画!」
「もちろんお前が観たがってたタイトルで、一番いい席だ」
イヴが一緒ならマナーの悪い客がいても大丈夫だと。現金な喜び方をする私に、嫌な顔をするどころかむしろ得意満面にすり寄ってくる。
イヴはよくよく、私の扱い方を知っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます