008 帰宅 

 階段を上り下りするのは億劫だけど、リビングは絶対に吹き抜け。小上がりになった畳敷きのスペースはもちろん、床の間のある『ちゃんとした和室』だって、広さを気にする必要がないのならあっても困ることはない。

 イヴが料理をしてくれるなら、カウンターのついた対面式キッチンも外せないし……私が一番長くいることになる、パソコン机の前から料理をしているイヴの姿が見えればなおよし。

 必然的に隣り合う書斎とダイニングの間は、全面開放できる硝子の引き戸を間仕切りパーテーシヨンに。私の部屋は書斎の奥で、嵩張る本とパソコンを置く場所が他にあるのなら、眠るためだけの寝室はさほど広くなくても構わない。


 ――これだけは譲れない、という要素が決まったら、あとはこの上なく楽しくて、恐ろしく面倒なパズルの時間。

 普段は専用のビルダーソフトを駆使して仕上げていく間取りを、今日はどうしても家へ帰るまでに完成させたい理由があるから。どういうわけか『空間』というものを把握することが全般的に苦手な頭を酷使して、建物としておかしくない最低限のバランスを考えながら『これといってこだわりは無いけど、なくては困る部屋』の配置を決めていく。


 浴室関係は、ランドリースペースまで含めて一塊に。玄関から伸びる廊下を挟んで、キッチンの反対側へ。

 吹き抜けのためだけに作ったせいか、しっくりとくる用途の思いつかない二階はいっそイヴの部屋テリトリーということにして。私が使うことなんて滅多にないだろう、二階への階段は廊下の一番奥――。


 そうこう思案しているうち。

 イヴからの『宿題』がなんとかそれらしい形になる頃には、週一長い火曜の日が暮れていた。


 


「ただいまー」

 ピンポーンと、自分の部屋のチャイムを鳴らして。使い慣れないインターホンのマイクに帰宅を告げると。返事の代わりにガチャンッとドアロックの外れる音がして、重たい鉄扉が内側から押し開かれる。

「――おかえり、なさい」

 てっきり、イヴが出迎えてくれるものとばかり思っていたのに。ドアを開けてみれば、玄関先に顔を出したのは見ず知らずの幼女で。

「えっ」

 まさか部屋を間違えたのかと。嫌な感じに心臓をばくつかせながら振り仰いだ表札には、間違いなく私の部屋の番号が掲げられていた。

 それはそれで、この状況の意味がさっぱり分からないままなわけだけど。

「イヴは……?」

 人見知りの哀しい性で、ぐるぐると頭を混乱させながら。咄嗟に私の口を衝いて出たのは、唯一の心当たりと言っても過言ではない魔女の名前。

 隙あらば閉まろうとするドアを、片手でがっちり押さえたまま。にこりともせず私のことを見上げていた幼女は深めにこっくり首を傾げて、私からは見えない部屋の奥を指差した。

「なか、いますよ?」

 その肩口を流れ落ちる髪は雪のように白く、それでいて、ところどころに黒いメッシュが入っているという、このあたりではなかなかお目にかかることのできない派手さ加減で。

 今、自分の目の前にいる『見知らぬ子供あいて』が、『イヴに負けず劣らず整った容姿の幼女』だという歴然とした事実にまで意識を回す余裕ができてはじめて、私は一つの可能性に思い至った。

「あなた、イヴの新しい眷属?」

「はい」

「なんだ……」

 相手が『見ず知らずの他人だれか』ではないと、分かった途端。私は自分でもどうしようもないと思うほど現金な人見知りをひっこめて、すっかり暗くて寒いアパートの通路から、温かく明かりのともされた玄関の内側へと滑り込む。

「でも……ユエはごしゅじんのユエ、ですよ?」

 うっかり指でも挟もうものならただではすまないだろう、暴力的な勢いでバタンッと閉まった扉を、何も考えず、ほとんど無意識のうちに――ガチャン、ガッチャンと――施錠しながら。肩への食い込みが痛むほど重い鞄をひとまず廊下へ放り出し、立ったまま靴を脱ぎかけたところで。ようやく、見知らぬ幼女が口にした『ユエ』という名前にピンとくるものがあった。

「ユエって……もしかして、ユキヒョウのぬいぐるみ? 抱き枕の?」

「はい」

 元が『ユキヒョウのぬいぐるみ』だから白髪に黒メッシュなのかと。私の胸元までしかない背丈のわりにすらっとしたモデル体型のユエが、膝裏近くまで伸ばした髪を手の平にすくう。

「なるほど……?」

 それなりにきちんと作られていた抱き枕ぬいぐるみの、ユキヒョウらしい尻尾の長さが髪の長さ、足の短さが背の低さに反映されているのだと考えれば。ユエの幼女姿は、結果として事後承諾を強いられている『御主人』も納得の擬人化精度だった。




「ただいまー」

 重ねて二度目の帰宅を告げながら。私ががちゃりと開いた扉の向こうには、ユエの出迎えに続いて、またもや私の想定からはかけ離れた光景が広がっていた。

「……あれっ?」

 廊下の終わりの扉の向こうに、また廊下。

 それでも私が、ユエと顔を合わせた瞬間ほど心臓に悪い思いをせずにすんだのは、同じ扉が全く別の場所に繋がるのを、ほんの半日前に目撃したばかりだったから。

「…………」

 むしろ、今度は良い意味の興奮に胸を高鳴らせながら。埃一つ落ちていないぴかぴかの廊下を進み、はじめて足を踏み入れる場所なのに、そこにあるとわかっていたリビングへと飛び込んで、吹き抜けの天井を仰ぐ。

「うわぁ……!」

 そこには間違いなく、私が思い描いた以上の『我が家ホーム』が完成していた。


「――おかえり」

 二度目の正直で、ようやくかけられた少女の声が聞こえた方を振り向けば。リビング側のカウンターと壁の開口部越し、ゆったりと広いキッチンに立つイヴの姿が視界に入る。

「用意ができたら呼んでやるから、他の部屋も見てきたらどうだ?」

「――そうする!」

 すっかり機嫌を良くした私は、そのまま新居の見聞に乗り出した。


 まず確かめたのは、リビングからも近い書斎と寝室周り。

 リビング側から、曇り硝子の引き戸を天井と床のレールに沿って開き、壁の隙間に押し込むと、『書斎』ということにした部屋の全貌が顕わになって。その中で、まず私の目を惹いたのは、奥の壁一面の本棚と、そこをびっしり埋め尽くした沢山の本。

 まるで書店や図書館のよう空間を贅沢に使った収納は、それだけで本好きには堪らない光景だった。

 本棚の手前。リビングから入ってすぐの場所に置かれた机の周りも、夢のデュアルディスプレイ環境が配線まですっきりと整えられていて。昨日まで使っていたネットブックとは似ても似つかないデスクトップの厳つい筐体に触れてしまったが最後、隙あらば電源へ伸びようとする手を思い留まらせるには、並々ならぬ自制心を必要とした。

「このパソコングラボついてる!」

 夕飯まで私の後をついて歩くことにしたらしい。ユエが傍にいなかったら、ここでセルフお宅探訪が以上終了していた自信さえある。

 それくらい、イヴが私のために用意したパソコンは魅力的な構成だった。

「ごしゅじん?」

「うぅっ……」

 これでもかと後ろ髪を引かれながら。やっぱり深めに首を傾げたユエの手を引いて、最早『書架』と呼んだ方がしっくりとくる本棚の前を通り過ぎ、更に奥の部屋へと向かう。


 扉を一つ潜るタイミングで気分を切り替え、覗き込んだ寝室は、私が思っていたより幾分広めに仕上がっていた。

「でか……」

 その理由は、部屋の中心でこれでもかと存在を主張する巨大な家具を見れば明らかで。

 それにしたって、程度というものがあるだろうとは思いつつ。藪をつついて蛇を出すのもなぁと、私はそっと、他に見るべきものもないだろう寝室の扉を閉め直した。

「カオルー」

 そこで、タイムアップ。


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