004 夜遊び
いつもならさっさと部屋着に着替えてしまうところを、イヴが「風呂に入るまでは」とごねるから。まぁいいか……と、そのままの格好でソファに落ち着く。
夕飯は、さてどうしよう。
頭の片隅で冷蔵庫の中身を思い出しながら。今日の授業で配られた
「――ありがと」
グラスには私がよく飲むはちみつレモン、小皿には買い置きのドライフルーツが盛られていた。
「夕飯は何がいい?」
「イヴが作ってくれるの?」
「せっかく私がいるんだ。使えるものは使わなくてどうする」
どうやら本格的に、私を駄目人間へと仕立て上げる心算らしい。
思わせぶりに利き手の親指と中指を合わせたイヴが「材料の心配はしなくていいぞ」なんて、頼もしいことを言ってくれるから。私はつい、軽い気持ちで思いついた料理をリクエストしてしまう。
「オムライス」
「それならありもので作れそうだな」
よしわかったと、あっさり部屋を出ていくイヴを見送って。私は――がさり、ごそり――日々着々と増えていく、紙媒体の整理を再開した。
◆ ◇ ◆
今日受けた授業の復習も兼ねた作業が終わって、ローテーブルの上が片付くと。まるで計ったようなタイミングで、大きなトレーを手にしたイヴがやってくる。
きちんと皿に盛られたオムライスと簡単な付け合わせに、スプーンと麦茶の注がれたグラスをそれぞれ二人分。
手早く拭き上げたローテーブルに重ねたランチマットの上へ、手際よく『完璧な食卓』を作り上げたイヴは、一仕事終えたとばかりにこやかな表情で、床置きのソファに座った私の隣へ収まる。
「こういう時って、普通向かい合わせに座らない?」
「それだと、お前から遠すぎる」
「……そう?」
「あぁ、そうさ」
猫背気味の私が前のめりになりながらスプーンに手を伸ばす傍らで、逆にソファへゆったりともたれたイヴは、相変わらず裸足の足をするりと伸ばし、すっかり寛いだ様子で大真面目に頷きながら、自作のオムライスに手を付けた。
「…………」
どんなに洗い上げてもくすんで見える、安いステンレス製のスプーンに、パンのシールを集めてもらった深皿で食べるオムライス。
これでもかと生活感の滲む空間で、どれほど人間らしく振る舞っていようと。イヴの存在は、まずその美しさからして、酷く現実離れしていた。
月光を紡いだような銀の髪に、鮮やかな血色の瞳。日焼け知らずの肌理細やかな肌。すらりと伸びた手足。均整の取れたスタイル。
私がローテーブルから取り上げた皿を片手に、ソファへ体半分押しつけるよう座り直すと。真横からまじまじ観察されていることに気付かないはずもないイヴは、何食わぬ顔で食事を続けながらも笑うように目を細め、口に含んだスプーンを、見せつけるよう殊更ゆっくりと引き抜いて見せた。
フルーツジュースのオマケでもらったグラスから、作り置きの麦茶を飲む仕草さえ、テレビの向こう側の出来事じみて様になっているのだから、まったく笑い事ではない。
婀娜っぽく反らされた喉がごくりと麦茶を飲んで。しっとり濡れた唇が、今度こそはっきりと私に向かって弧を描く。
「手が止まってるぞ」
丁寧に作り込まれた芸術品のよう、非の打ち所もなく整った手を私がスプーンを持つ手に重ねられ、ゆっくりと私の口元まで運ばれたオムライスは、完璧でいて完全なイヴにはどこか似つかわしくない、家庭的な味がした。
◆ ◇ ◆
「――さて」
夕食を作り上げるまではきちんと手順を踏んでいた、はずなのに。その後始末はパチンッと指を一つ弾き鳴らすだけで済ませてしまう。
いつもと比べて、私にとってはゆったりとした食事を終えて。いきなり身軽になったイヴは「でかけるぞ」と、問答無用で手を引き立ち上がらせた私を、今日はもう用がないものとばかり思っていた玄関へと連れ出した。
朝と同じブーティを履くよう促され、肩にかけられた上着をごそごそ着込んでいるうちに。パチンッと指を弾き鳴らしたイヴが、ようやく冬らしい装いに身を包んで廊下を下りる。
「どこ行くの?」
「腹ごなしがてら少し歩いて、そのあと温泉なんてどうだ?」
私にお伺いを立てるような口振りは、形ばかりのもので。私の返事を待ちもせず、イヴはパチンッと指をもうひと鳴らし。
その直後。下りのエレベーターへ乗ったときに似た、内臓が浮き上がるような浮遊感に襲われて。次の瞬間、私は片手を繋いだイヴとともに、どこかの遊歩道に立っていた。
「おいで」
点々と街路灯が灯る道を外れて、イヴは私を暗闇の中へと誘う。
どこまでも人間離れしたイヴの髪が、歩き、揺れて、こすれ合う度に星屑を散らすようほのかな輝きを撒き散らすから。私にとっては幸いなことに、街路灯の傍を離れても、辺りの様子はかろうじて見て取ることができた。
枯れた芝の上を歩いて、風除けの松林を抜けると。遠くに聞こえる街中の喧噪を掻き消すよう、打ち寄せる波の音が耳朶を打つ。
「海……?」
「たまにはいいだろう」
そう言って、イヴは私の体を引き寄せながら、防風林と砂浜との間にある高低差を飛び降りた。
「あうっ」
私に言わせてみれば、いっそ街歩きにすら向かないブーティなんてもので、ただでさえ足場の悪い砂浜がまともに歩けるはずもなく。防風林の脇から飛び降りてすぐ、がっしりと腰を支えていたイヴの腕が緩んだ途端。案の定、無様にすっ転びそうになった私を、イヴはにやにやと人の悪い笑みを浮かべながら、改めてしっかりと抱き寄せる。
「ちゃんと掴まってないと、転ぶぞ」
その声音には、イヴのくだらない思惑がはっきりと透けて見えていた。
「サンダル的なものがほしい……」
「その格好でサンダルは、さすがにないな」
「じゃあ脱ぐ……」
「怪我するぞ」
残念だったな、諦めろと嘯いて。イヴは私を道連れに、夜の砂浜を歩き出す。
二人っきりの散歩は、日頃の運動不足が祟って、私の足がすっかりくたくたになってしまうまで続けられた。
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