002 はじめての朝
「カオル」
次に目が覚めた時。イヴはまだ、私の腕の中にいた。
「そろそろ時間だぞ」
「ん……」
正直言って、寝起きはあまりよろしくない。そんな私の頭の中は、安堵と億劫が半々くらい。
抱きつき、抱きつかれてもいるイヴの――頭一つ分と少し、上下にずれて横になっているから、すぐ目の前にあった――慎ましやかな胸に顔を埋めて、いやいやと現実に抗うこと数分。目覚まし時計代わりに使っているスマホの、五分おきにセットしてあるスヌーズを合図に、気合を入れて体を起こす。
「イヴも顔洗うの?」
「私だって顔くらい洗うさ。――洗顔借りるぞ」
「どうぞ」
そう言えば。昨日も普通にシャンプーを使っていたなと、わりとどうでもいいことを考えながら。背中にくっついてきて、人の体で暖を取っていたイヴを一人残して部屋へと戻る。
「歯ブラシ、使うなら予備が下に入ってるからー」
「んー」
昨日のうちに用意しておいた着替えは、何故か全く別の服に取り替えられていた。
「私、こんな服持ってたっけ……?」
出したはずの服があるはずの場所になく、代わりに全く別の服がそこにあるのだから、作為的なものを感じずにはいられない。
とはいえ他の服を見繕う時間も手間も惜しかったので仕方なく、そのままイヴが用意したと思しき服に袖を通した。
「……ちょっと派手すぎない?」
「お前の普段着が地味すぎるんだ」
途中から隣で着替えていたイヴは、自分の仕度もそこそこに私を座らせて。何をするつもりかと思えば、買ったきり仕舞い込んでいた化粧道具の数々を取り出してきて私の正面へと陣取る。
手際良く施されていった化粧は、使われた道具の数からして本格的だ。普段はファンデーションを塗るくらいで、アイラインを引くのも珍しいくらいなのに。今日はシャドウもマスカラもバッチリだから、まつげどころか顔中重い。
「仕上げは食べてからな」
ひとしきり人の顔に化粧品を塗りたくり、一人で満足そうにニヤついていたイヴは、最後に恐ろしいことを口走りながら部屋を出ていった。
かと思えば。あっという間に戻ってきて、私が今日の朝食にするつもりで買い置きしておいたフルーツサンドをと差し出してくる。
「イヴも食べる?」
「いや、私はいい」
「そう?」
私がフルーツサンドをもしゃもしゃと咀嚼しているうちに。化粧道具を粗方片付けたイヴは、ぼさぼさのまま一括りにしていた髪のセットに取り掛かった。
ちなみに、イヴ自身の髪は起き上がったその瞬間からさらっさらである。櫛を通す必要さえ認められないレベル。
「こんなにおめかしされて……私、もしかして今日売り飛ばされるの……?」
「面倒だからしないだけで、着飾るのは嫌いじゃなかったろう」
「まぁ……私も女の子ですから?」
「お前の世話をする分には私も楽しいから、気にするな」
そうこう話しているうちに、髪のセットも完了して。歯を磨いてこいと、離れ難い暖かさの部屋から追い出される。
手早く用事をすませて二度目の脱衣所を出ると、廊下で待ち構えていたイヴに捕まって、宣言通りに化粧の仕上げを施された。
「――よし」
楽しそうでなによりですと、私は最早諦めの境地。着せ替え人形になった気分で、御丁寧に差し出された上着を着込む。
ご機嫌のイヴに背中を押され、連れて行かれた玄関には真新しいブーティが用意されていた。
「中身はそのままだからな」
最後の最後に渡される鞄にしても、今日の服装にはぴったり合っているものの、私にはさっぱり見覚えのないもので。諸々の出処が気になるような、ならないような。ほんの少しだけもやもやとしたものを抱えたまま、私は差し出された鞄の持ち手を引き受ける。
「それじゃあ……いってきます」
「いってらっしゃい」
見送りの挨拶は額に触れるだけのキス。
まったく、どこの王子様だと。昨日まで確かに一人住まいだったはずの部屋から送り出された私の口からは、どうしようもなくぬるい吐息が零れて落ちた。
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