第2話

 いつきが車を止めたのはアパートの前であり、てっきり詩衣那しいなの家に行くとばかり思っていた遥太ようたは困惑した表情で樹を見る。


「ああ、あんたは知らんか。詩衣那のお母さんは今ここにいる」


「え?」


 遥太の知っている詩衣那の家は、彼女がこちらに引っ越してきた当時、新しく建てられたものだったが、そのデザインといい大きさといい、周囲の家とは比べ物にならないもので、良くも悪くも注目を浴びていた事を思い出すが、今目にしているアパートはどこにでもあるようなものである。


「行くよ」


 樹が車を降りると、釈然としない遥太も後に続き、そして2階の角部屋のドアの前に立つと樹は呼び鈴のボタンを押す。


 間も無く女性がドアを開けるが、遥太はそれが見覚えがある詩衣那の母親である森野万里江まりえだという事はかろうじて理解出来たが、自分の母親と同じ世代とは思えないほど老けているようにも見えた。


「あら、樹ちゃん今日も来てくれたの?」


「ちょっと懐かしいのに会ったんで、連れて来ました」


 樹はそう言って遥太を紹介すると、遥太は深々と頭を下げた。


「あら、もしかして時見ときみ君かしら」


「そうですが、よ、よく分かりましたね」


「何となく、変わらないなって」


 その言葉に、遥太はこの町の住人の記憶力の高さに驚くばかりであった。


「詩衣那に会いに来たのよね。さあ、上がって頂戴」


 促されるがまま、樹と遥太は部屋に上がりこむ。


 部屋はワンルームでお世辞にも広いとは言えないが、家具なども必要最低限なものしかなく、質素な暮らしぶりが見て取れた。


「こら、人の家を探るように見るんじゃない」


 樹に注意され遥太は慌てて姿勢を正すが、万里江は笑顔を保っている。


「あの家は、火事で無くなっちゃったのよ」


「火事?」


「あの火事は、本当に災難でしたね」


 樹の話では5年前の冬に森野家を含む7棟を焼失する大火事があったが、その出火原因は不明で、いまだに謎の多い火事とされている。


「それに独りになったら、これ位の広さが調度良くてね」


「え、独り?」


 言われてみれば、ここに来てから詩衣那の父親である正彦まさひこについての話がないことに気づいた遥太は、部屋の隅に置かれてある仏壇に目をやる。


 そこには思い出の少女ままの姿をした森野詩衣那と、正彦の遺影が並んで立てかけられていた。


「ああ、時見君は流石にあの人が死んだ事までは知らないわよね」


「ええ、知りませんでした」


「もう、8年も経つけど」


 万里江は不思議と笑顔を見せるが、もう終わった事だから仕方がないと言っている様にも感じ取れた。


「あの人もね、詩衣那が死んだ後、抜け殻のようになってしまって、その時には身体を癌に蝕まれていたのだけれど、もう抵抗する力も残ってなくてね」


 その話を聞いて、遥太は正彦が詩衣那の事を溺愛していた事を思い出す。


 詩衣那の父親である正彦は、その界隈では名の知れたデザイナーだったらしいが、子供の頃の認識では彼の仕事を理解する事は出来ずにいた事だけは覚えている。


 ただ、遥太が詩衣那と2人きりになろうものなら、父親は不機嫌そうな表情で突然現れ、時には強引に詩衣那を連れ去ってしまうことすらあった。


 今考えれば、詩衣那の行動をチェックしていたのではという疑念に駆られ、冷たい汗が噴出してくるが、同時に詩衣那が内向的な性格になったのは、あの父親のせいだったのではと遥太は今更ながら理解し思わず眉をひそめる。


「まあ、過保護すぎていたのは認めるわ」


 遥太の表情から心情を読み取ったのか、詩衣那の母親はそう言うものの、その表情は笑顔のままで、むしろそういう考えをしてしまった遥太が母親に申し訳ないと思う。


「それよりも、早く手を合わせてあげよ」


「ああ、そうだった」


 樹の言葉に、遥太は今一度万里江に頭を下げ、仏壇の前に樹と並んで座ると、樹がりんを鳴らし、2人は静かに目を閉じてそっと手を合わせた。


 目を閉じていると、自然と詩衣那の事が思い浮かび、涙があふれそうになるのを必死に堪える。


「ほら」


 その声に目を開けると、樹がこちらに向かってハンカチを差し出していた。


「ああ、すまん」


 遥太は素直にそれを受け取ると、目元を拭った。


 その後、3人は詩衣那との思い出話に花を咲かし、時計の針が20時を回った頃に遥太と樹はアパートを後にした。


「おばさん、思ったより元気でよかった」


 遥太の宿泊するホテルに車で向かう途中、既に暗くなった景色を見ながら遥太が口を開く。


「まあ、吹っ切れたのは、本当にここ最近だけど」


「そうなのか」


「前の家に住んでいた頃は、日に日にやつれていって皆も心配したけど、引っ越してから大分落ち着きを取り戻したんよ」


「やっぱり、家にいたら思い出すことも多かったんだろうな」


「そうだね。ただ、その家も、もう」


 樹は黙るが、遥太はふと万里江の事を考えており、家が焼けた事で思い出までも失った訳ではないだろうが、焼失した事で嫌でも前に進まなければならなくなったのだろうかと考える。


 ただ、その事ばかりは万里江にしか分からない事だと気付くと、思わずため息を吐く。


 その後しばらく会話はなく、車は夜道を走っていたが、その間遥太は疑問に思っている事を口にすべきか迷っていた。


「何考えてるん?」


 樹の言葉に驚いて彼女を見ると、彼女は運転中という事もあり、顔は前を向いているものの、その表情はどこか遥太に探りを入れているようにも見えた。


「本当によく分かるな」


「あんた、本当に昔から変わってないからさ、すぐ顔に出る」


 樹の言葉に遥太は不満気な表情を見せるが、それを見られては元も子もないと思い慌てて平静を装う。


「じゃ、じゃあ聞くが、詩衣那は何で死んだんだ?」


「事故だよ」


「それは聞いたけど、俺はそれ以上の事は知らんからさ」


「そうか」


 樹はそれ以上何も言わず黙ったままで、遥太もそれ以上の事は聞けないと諦めかけたその時、樹は静かに口を開いた。


「あれは、酷い事故だったから」


 20年前の夏、遥太ようたがこの町から引っ越していった後、その1か月後の8月31日に事故は起きる。


 詩衣那しいなは新学期の準備を兼ねて、家族でこの町よりも施設が揃っている隣町に父親の正彦が運転する車で移動し、夏休み最後の日を楽しんでいた。


 その帰り道、休憩がてら立ち寄ったコンビニの駐車場に車を止めるが、疲れて寝てしまった詩衣那を車内に残したまま両親は店内に入る。


 その間、ほんの数分ではあったが、突然の轟音に驚き店内から出てきた2人が見たのは、巨大な岩に押し潰され原型を留めていない自分達の車であった。


 当然、中にいた詩衣那は即死だったという。

 

 その3日前から、台風の影響で記録的な大雨が続き、地盤が緩んだ事から起きた悲劇と結論付けられるも、その偶然にしては不運で凄惨な事故から、当時はテレビでも頻繁に取り上げられていたとの事であった。


「なんで、俺は知らんかったんだ」


 いつきの話を聞き終えた遥太は、思わず頭を抱え込む。


「恐らく、あんたの親があんたに見せんようにしておったんじゃろ。私ん所も、その頃ニュースやワイドショーになると、親がチャンネル変えとったからな」


「そうか」


 それ以降、遥太は何も言わず、樹も無言のまま目的地のホテルに到着する。


「おい」


 黙ってドアレバーに手をかける遥太に、樹は声をかける。


「いつまでおるんか?」


「あ、ああ、明後日まで」


「じゃあ、明日の夜空けとけよ。こっちでいろんな奴に声かけとくからパーっとやろう」


 その言葉に、ようやく遥太は笑顔を見せる。


「いいな、それ」


「じゃあ、スマホの番号教えろ」


「ああ」


 2人は連絡先を交換すると、遥太は車を降り、樹がその場を去るのを見送ってホテルに入っていった。

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