2-X13【幕間2:~いやなもの~】




 飛行ゴーレム機械の傘の影に染まる山脈の街道を、2つの小さな影が一瞬で過ぎ去っていく。

 文字通り天を衝く巨大山脈に彫り込まれた溝のような谷の縁を高速で駆けながら、ルキアーノとリヴィアは頭の中に地形や構造などを書き込んでいた。


 なるほど、確かにこの地は護りやすい。

 この巨大な裂け目の様な谷は天然の要害だし、防衛戦の引き方次第では敵を足止めする檻にも早変わりする。

 それに、世界広しといえど、この巨大な山を通して攻撃が可能な存在は多くない。

 ということは、視界が狭まる代わりに集中して事に当たれるといえた。


 それにこの”川”だ。

 アニン=シェペ川は見た目に反してそれなりに深く流れが速い。

 周囲の山から流れ込んでいる雪解け水が膨大なせいか、それともこの川が見た目からは想像できないほど長い距離を流れているからか。

 少なくとも、一般的な魔法士や戦士でさえ何もない場所を渡河しようとすれば、それなりの困難が待ち受けているのは間違いない。

 そういった有象無象を寄せ付けぬならば、警備の手間は大きく省ける。

 何かを守る上で大きな脅威は、格上の実力者よりもむしろ処理能力を飽和させる雑魚の群れの方が怖い場合が多いのだ。


 曲がりくねった見通しの悪い谷を進んで、開けた場所に出るとルクラの街の姿がようやく視界に入ってくる。

 だがそれは、”厳しい自然で隔絶された辺境の田舎”という肩書から想像できるものとは、少し毛色が異なるものだった。

 

 それは本来ならば”要塞”と呼ぶべきものだろう。

 それも古風な城というよりも、もっと機能的で冷たい血の通った、現代戦術に沿って建てられた真新しいもの。

 あくまで”式典のため”というお題目をクリアするために、白塗りの上に派手な色の装飾がゴテゴテと乗っているが、それを一枚剥げば悍ましいまでの”牙”が見えてくるに違いない。


 いや、その牙はもう既に剥かれているか・・・

 街に何重にも渡って仮設された巨大な城壁の門では、沢山の人や車両が足止めを食らっていた。

 その列の最後部で誘導するトルバ兵の手前に、ルキアーノとリヴィアは降り立つ。

 流石にこの先を魔法で飛んでいくのは色々と不味いという判断だ。

 もう既に何度も”異常事態”を見ているのだろう、近くに居たトルバ軍の兵士は突然現れたルキアーノ達に驚きはしたものの、それ以上の反応は見せない。


 さてどうしたものかと周囲を見回していると、門の方から役人服の犬獣人が走り寄ってきた。


「ガブリエラ様の護衛の方ですよね!?」

「はい」


 獣人の問にリヴィアが答える。

 すると獣人は、その身に余るほど大きな魔力認証札を掲げてみせた。


「本日、御2人を会場まで案内するように仰せつかった”アンリ”と言います。 アンリ・レベネツキです」


 獣人のその名乗りにリヴィアが応えて、2、3やり取りを交わす。

 リヴィアが持っていた通行証を渡すと、ルキアーノの肩を叩いた。


 おっと危ない・・・

 うっかりアンリの獣人特有の優美な腰付きに見惚れていた。

 

 ルキアーノは意識を引き締め直すと、自分に発行されていた通行証をアンリに手渡した。

 

「もう、厳しくなってきた?」


 犬獣人が手続きのためにパタパタと城門の方へと戻っていくのを眺めなら、リヴィアが苦笑気味にそんな事を聞いてくる。


「いや、ボーッとしていただけだよ」


 ルキアーノはそう言って誤魔化すが、正直な所は少し厳しくなっていた。

 城門の前で待ちぼうけを食らっている大勢の憤りの感情に当てられたのだろう。

 思考の半分くらいが、頭の中に響く声で埋められていた。

 ルキアーノはガブリエラの胸のことを考えながら、少量の薬をこっそり飲み込んだ。


 リヴィアが巨大な城門を見上げる。

 遠くから見たときも巨大に感じたが、こうして間近に見ると迫力の度合いが一層違う。


「こんなに大きいとは・・・Aランク魔獣でも止められるんじゃないか?」


 リヴィアが感嘆の声を漏らす。

 だがルキアーノは、彼女の口から何かを褒める言葉が出てくるのがなぜか気に食わなかった。


「その程度なら、中にいる戦力で戦った方が早いと思うけど」


 思わずそんな言葉が出てしまう。


「”張子の飛竜”ってことですか?」

「これだけ図体が大きいと、身動きがしにくいだろうなって」


 ルキアーノは適当にそう答えながら、道の端の塀から下を覗き込んだ。

 街道に並行するアニン=シェペ川の水面は緩やかではないが、水量が多いわけではない。

 川の先を見ると、旧市街側の川岸はかなり物々しい警備だが対岸はそうでもないらしく、街の者が洗濯などの生活のために集まっている。

 彼方に見える、橋の上を覆うように造られた城塞等と比べると、そこだけが長閑な姿を残していて、ルクラの本来の姿を垣間見ることができた。


「そのために彼等がいるのでしょう」


 リヴィアが門の方を見ながらそう呟く。

 そこには慌ただしく検問を展開するトルバの兵士の姿が見えた。

 6列同時に処理できる体制だが、この膨大な人の流れを検めるには明らかに足りてない。


「おかげで時間がかかり過ぎるけどね」

「参加証の認証が上手くいっていないみたいですね」


 自分達の案内人が関係者証を提示して優先的に進めるように掛け合っているが、通じていない。

 アンリが兵士と激しい口論を展開していた。

 漏れ出た声から察するに関係者証の書式が、優先的に通していいと言われている物とは違うらしい。

 案内人が魔力認証を求めると、兵士が腰から大きな魔道具を取り出して関係者証に翳す。

 だが、本来なら即座に返ってくる筈の真偽判定が、いつまで経っても”待ち”のままだ。


「これだけ沢山の場所で検査したら、問い合わせ先の管理局は飽和するだろうさ」


 先程聞いた話では、この会議では従来の独立型真偽判定機ではなく、トルバ各地に分散された認証局と通信を使って認証するらしい。

 だが、より強固な偽造耐性を持つ代わりに、対応できる数に限界が出てきてしまう。

 周囲を見れば、山脈の峰に設置された光通信の明滅が、花火のように巨大な山体を色とりどりに着飾っていた。


「困りましたね、認証リストに名前がないようです」


 しばらくして戻ってきたアンリが困ったようにそう切り出す。

 その顔色は青い。


「そんな事ってあるんですか?」


 リヴィアが詰問口調で問う。

 最重要賓客の関係者がリストに無いなど、あり得ることかと思っているらしい。

 だが門から漂ってくる魔力に嘘の味はない。


「すいません。 事前に予定されていた認証魔法の情報が新しい物に移し切れてないんじゃないかと」

「トルバの手配ですよね?」

「今回は事前に予定されていた規模から、急に大掛かりな物になったのでこれもその影響でしょう。

 この門もこれほど大きくはなかったんですが、急に拡張が決まりまして、一昨日なんとかできたばかりなんですよ」


 アンリが切羽詰まった様子で謝りながら大凡の事情を説明する。

 なるほど、この混乱はそのせいか。

 これが単なる普通の参加者なら怒ったかもしれないが、警備が急に大掛かりになった理由に心当たりがあるルキアーノ達はそういうわけにも行かない。

 何せその最大の理由が、自分達の主人とその関係者が巻き起こしたゴタゴタなのだからなのだから。


「どうしたら良いですか?」


 リヴィアが剣呑とした表情でアンリに問う。

 別の場所から入るなり、新しい登録をしてもらうなり、とにかく何らかの代替手段を迫るつもりらしい。

 だがルキアーノは静かに門の様子を眺めていた。

 そこで新たに発生した動きを。


「問題はないよ」

「?」


 リヴィアとアンリが怪訝そうな表情をルキアーノへと向ける。

 だがルキアーノの視線は動かず、右手で門の方を指差した。

 するとそこに、焦った様子で2枚の証書のようなものを抱えて走る警備兵の姿が見えた。



 それからルキアーノ達は、新たに発行してもらったばかりの通行証を片手に、会場となるルクラ旧市街までに設けられた幾つもの検問所を抜けていった。

 ただし、おそらく付け焼刃的に作られた証書だからだろうか、それともこれが標準的な事なのか、幾つかの検問所でかなりの長時間を弄したのはいうまでもない。


 その度に根っからのお嬢様であるリヴィアが、自分達を誰だと思っているんだと憤慨しているが、お門違いだろう。

 さっきから、すれ違う者から漂う腐敗臭の様な魔力の臭いがかなり強い。

 この臭いは立場が高い者に多く、しかもその強さはリヴィアの実家ですら埋もれるレベルに達していた。

 中心部に新たに建設された会場の大きな建物が見えてきた頃には、周りはすっかり「自分は一国を背負っている」という自負を抱えた者ばかりになり、更に奥に行くと、そういった偉丈夫達が大国の関係者に媚びへつらっている。


 ルキアーノとリヴィアは、アンリにできるだけ曲がりくねった道順で行く様に頼み、会場となるルクラ旧市街の変わり果てた街並みをできるだけ多くチェックしていた。

 目的地にまっすぐ向かう者達から奇異の目で見られるかと少し心配したが、意外にも同じようにクネクネと動く者は多い。

 軽武装している事からして、間違いなくどこかの国の兵士・・・おそらく、ルキアーノ達が参加する内見の参加者だろう。

 皆考えることは同じらしく、自由に動ける内に得られる情報は得ておこうと考えているのだろう。


「おおよそ、この辺りの地形は把握できましたね」


 リヴィアは自作のマップを眺めながらそう呟き、顔をルキアーノに向ける。


「そっちは?」

「見るべきものは見たかな、まあ、把握できたとは言い難いけど」


 そう答えながら、すれ違った女騎士をぼんやりと眺めた。


” こいつは首筋を舐めれば一発だ ”


 その、はっきりし始めた”声”を無視するために、ルキアーノは自分の制作したマップを睨む。

 だがルキアーノの作ったそれを”地図”と認識できる者は少ないだろう。

 彼の地図には地形や道の名前は描かれておらず、代わりに魔力の澱みが記録されている。

 それこそが魔力に精通した彼の見る世界であり重要な情報なのだ。

 だがその地図を見る限り、この場所は魔力的に歪み過ぎていてアテにできない。

 普段なら、そういった歪みはその場所本来の様子からかけ離れているので要警戒対象だが、急造されたばかりのここでは本来の姿のものなどどこにもない。

 つまりは”やくたたず”というわけである。



 その時だった。



「そこの人、ちょっと待って下さい」


 旧市街中心部に設けられたメイン会場へと続く大階段を上り始めた時、巡回していた兵士の一団に呼び止められたのだ。

 リヴィアが何事かと振り返るが、兵士の一人、何やら複雑な魔方陣を展開して周囲を探っている兵士の視線が真っすぐにルキアーノを見ていた。

 そして、その視線が段々と鋭くなる。


「我々は・・・」


 案内人のアンリがルキアーノ達の説明をしようと声を上げるが、兵士の隊長格と思わしき女の一睨みで言葉を失った。

 見た感じ普通の軍服だが、こんな所に配備されている部隊の隊長格なのだから間違いなく”エリート”かそれに準ずる実力者だろう。

 そんな者に睨まれては、どれだけ高位でも戦闘力的にはただの一般人である役人のアンリでは、息をする事すら難しい。

 突然の扱いにリヴィアは困惑しているだけだったが、ルキアーノはこちらを睨む兵士の中で湧き上がる”嫌悪感の味”に覚えがあった。


「この反応・・・あなた”鬼”!?」


 ほら、やっぱり。


 探知役の兵士の言葉に、ルキアーノは心の中で呟く。

 兵士達の中で渦巻いていた嫌悪感の種が、”確証”を得たことでハッキリとした色をもって魔力に結びつくのを感じた。

 ところで彼らは理解しているのだろうか?

 ギリギリ、”エリート資格”がある程度の実力で、ルキアーノの相手が務まる訳はないというのに。


「待ってくださいこの人は・・・」

「下がって!!」


 ルキアーノの弁明をしようとしたリヴィアの前に、横で見ていた別の兵士の一団が割って入る。

 まるでルキアーノから守ろうとしているようなその動きが、なんだか可愛らしく思えた。

 というか、その熱く純粋な厚意と正義感に満ちた感情は、ルキアーノの好みといえるかもしれない。


” 特に一番前の弱そうなのがいい ”


 ああ、それな。

 勝てるとは微塵も思ってなさそうなのに、冷や汗を浮かべながら壁の最前列に入る勇気はとても好みだ。


” ベッドで食べたくなる ”


 こういう”ちゃんとした子”は、いただく時にもキチンとした作法を守りたくなるものだ。


「何処で紛れ込んだんだ!? この魔獣野郎め!! 関係者を退避させろ!!」


 最初の一団の隊長格の女が叫びながら周囲に指示を飛ばす。

 その時の動きで服がぴっちりと体に張り付き、現れた彼女の肉体の形状にルキアーノの目が奪われた。


” 良い筋肉だ・・・尻の締まりも期待できるぞ・・・ ”


「待ってくださいって言ってるでしょ!! この人はマグヌス軍の正式な軍人で、私の同僚です。 疑うならこれを!!」


 ルキアーノの思考を吹き飛ばすような大きな声でリヴィアが叫び、彼女を抑えていた兵士達を圧倒的な力で押し退けながら、今しがた貰ったばかりの証書を掲げる。

 兵士達は、リヴィアの予想外の力に驚きながら、その証書を見つめた。


「ルキアーノ、バッジを見せて!」


 リヴィアが畳みかけるようにルキアーノに向かってそう叫ぶ。

 なるほど、これがあったか。

 ルキアーノは胸元につけている金色のバッジを外して魔力を流しながら掲げる。

 すると金バッジの周囲に紫色の魔方陣型展開され、その図柄でもってルキアーノの登録情報を映し出した。


「本物か!? 馬鹿な! 鬼がエリート試験を受けれるわけがない!!」

「それは君の国でだろう・・・」


 尚も信じようとしない兵士達にルキアーノが呆れ声を漏らす。

 他種族連合体であるトルバ人は、自分達が差別的でないと勘違いしているが、ルキアーノに言わせれば差別しているポイントが違うだけだ。 


「嘘だと思うなら、そのバッジを鑑定に出してください!」


 リヴィアがそう叫びながら、ルキアーノを見抜いた兵士を指さす。

 彼の持っている装備なら、”エリートバッジ”の認証確認も可能だろうと。

 この魔方陣を偽造するのはかなり難しい。


 するとそこで、大階段の上から雷のような怒声が飛んできた。


「そこの!! なにをしている!!」


 見上げるとトルバの将校服に身を包んだ若いドワーフが駆け下りてくるのが見えた。

 体格が良く薄く髭が生えているので分かりづらいが、魔力の味は女性のものだ。

 それに、”その味”にルキアーノは覚えがあった。


「中佐殿! 鬼が紛れ込みました! 早く警報を!」

「やめい!」


 尚もルキアーノを疑う兵士にドワーフの将校が一喝する。

 そして隊長格の女兵士を指さした。


「そこの君、彼の身分は私が保証しよう。 彼はガブリエラ王女殿下の関係者だ」


 その言葉に女兵士が動揺と困惑の色が見え隠れする、どうやら彼女の中で常識と情報が錯綜して混乱しているのだろう。


「返事は!」


 だが彼女も軍人、上官から指示されれば従わざるを得ない。


「も、申し訳ありませんでした!」


 兵士達が揃ってルキアーノに頭を下げる。

 それを見たドワーフの将校が頷いてルキアーノに向き直った。


「すまなかったな、ルキアーノ」


 ドワーフの将校がルキアーノの肩を叩く。

 その仕草で、ルキアーノは彼女の正体に思い至った。


「・・・いや、怒らないであげて」

「久々に会えてうれしいぞ、もし時間があれば会期中にどこかで飲もう。 ガブリエラ様の顔も見たいしな、お前は自然型だから酒もいけるだろう?」


 ドワーフの将校はそう言い残すと、兵士達に向き直って怒声を吐きながらルキアーノ達から遠ざけるように移動させ始めた。


 

「今のは君の知り合いか?」


 兵士達を引きつれたドワーフの将校の背中が小さくなったところで、徐にリヴィアがそう言って手を差し出してきた。

 いつの間にか、ルキアーノはその場にへたり込んでしまっていたらしい。

 ルキアーノはそれを誤魔化す様にリヴィアの腕をつかむと、起き上がりながら彼女の問いに答えた。


「ガブリエラの友人の姉さ」


 もうすっかり大人のドワーフの風格が出てきて、かつての愛らしい姿は見る影もなかったが、あの魔力を間違えようがあろうか。


「ああ、なるほど。 ということは彼女が噂の”タイグリス6姉妹”の長女というわけか。 噂より普通な感じなんだな」

「いや、残忍な人だよ」


 ルキアーノは思わずそうこぼす。

 同級生の”事実上の頭目”だったアドリア・タイグリス、あれはその姉の・・・なんだったっけ・・・まあ、いいか。

 あの偉丈夫にお世話になった事は何度もあるが、問題児だったルキアーノとガブリエラにとっては親しくも恐ろしい先輩だった事は間違いない。

 それは数少ない、ルキアーノに性的に見られない・・・・・・・・事からも窺える。


 だが、そんな懐かしい者と再会したというのにルキアーノの心は晴れない。


「いやなものを見た」


 思わず零れ出たルキアーノのその言葉に、リヴィアは大層面白いものを見たかのような顔になった。


「君でも差別扱いは堪えるんだな」


 その返答に、ルキアーノは一瞬困惑する。

 何を言っているのか理解できなかったからだ。

 だが少し考えたところで、彼等がルキアーノを”鬼”として素性も聞かずに対処しようとしたことに傷ついていると思ったらしいと、ルキアーノは気がついた。


「そうじゃないよ」


 なんとバカバカしい・・・

 思わずルキアーノは笑ってしまった。

 それが、”情欲に飲まれている時”の笑い声に近くて、ルキアーノは少し肝を冷やす。


「・・・?」


 だがリヴィアはルキアーノの言葉が理解できないことに夢中のようで、ルキアーノの中で巻き起こった焦燥には気が付かなかったようだ。

 それを見て安心したルキアーノは、懐からこっそりと鎮静薬を取り出して口の中に放り込んで飲み込むと、リヴィアに”答え”を明かした。 


「次に彼が鬼を見たとしても、それだけで止めはしないだろうって思ってね」

「それが嫌なのかい?」


 答えを明かしたというのに、何故だかリヴィアの表情から困惑は抜けなかった。

 まさか本当に思い至らないのか?


「どんなものでも警備に穴が空くのは、護衛として気分が良いものじゃない。 特にその警備に愛してる人の命を預けることになる時は」


 仕方ないのでルキアーノは、自分の考えに近い言葉をできるだけ丁寧に話すことにした。


 ”鬼”として差別されるのが嫌だった?


 馬鹿なことを言うな、鬼なんてのは大抵それだけで危険なのだ、問答無用でしょっ引くくらいで丁度いい。

 ルキアーノにとって重要なのは”自らの尊厳”などという矮小なものではない、それ以上に危険な立場にあるガブリエラの安全性だ。

 だが、この”小さな穴”は間違いなく”穴”とは認識されないだろう。

 それくらいの柔軟性がなければ、このような巨大な催しを遂行することはできない。

 それはルキアーノも分かっている。


 だがそんな”穴”がいったい、この会場だけでいくつあるというのか?


 ルキアーノはここまでの道中に見てきた穴と合わせて想像し、憂鬱な気分になっていた。


” 穴といえば・・・ ”


 追加で飲んだ薬が効き始めたのか、頭の中で響いた言葉の最後は聞き取れなかった。

 ”穴といえば”ってなんだろうか?

 ルキアーノは何気なしに、未だ理解しきれてない様子のリヴィアを見て、思わず目をそらす。


「そんな事より、”君でも”って酷いだろう、僕ってそんなに鈍感かな」


 ルキアーノが内心を誤魔化すようにそう言うと、聞いたリヴィアが呆れと脱力の混じった表情で肩を落とした。


「ガブリエラ様との婚姻で、あなたが晒されている悪評を大して自覚していないのですから、鈍感でしょう」


 そして彼女は何か嫌なことを思い出したように目線を階段の上に向けた。


「おかげで私にばかり苦言が来る」


 そう言った先には、他国の将校を始めとした”準主力級”の面々が集っているところが見えた。





「ようこそ、会場の警備を担当しているダナケ・バデミセです。 本日は皆様の案内を賜ってます」


 ここまで案内してくれたアンリに代わり、そう言ったのは蟲人だった。

 それも”人のような虫”ではなく、意外と珍しい”虫のような人”である。

 身長もルキアーノの膝上ほどしかないが、それを補うためだろうか、ダナケは背中の羽根を高速で羽ばたかせてルキアーノ達と同じ目線になるように浮いていた。


「はじめまして、私はリヴィア・アオハ。 こっちはルキアーノ・シルヴェストリです」


 リヴィアがそう答えて、自分達を集まった他の軍人たちに紹介し、短い間同じ戦線で戦う戦友となる相手と軽く談笑混じりに挨拶を交わしていく。

 さすが”ガブリエラの顔役”、この社交性は”人嫌い”なガブリエラには貴重だ。

 そして”人好き”ではあっても、向こうから嫌われる体質のルキアーノにとっても。


 本格的に効いてきた薬のおかげで、ルキアーノは特にヘマをすることなく自己紹介を終えることができた。

 途中、何度かルキアーノの視線を不審がられたが、それは相手が悪い。

 あんな形の良い胸を見せつけられては見るなという方がおかしな話だ。


「さて、それでは出発しましょうか」


 ダナケがそう言って、ブーンという羽音を立てながら会場の入口へと移動を始めた。

 他のメンバーも、大多数はそれに続く。


 だがルキアーノを始め、勘の良い数人の足はその場で釘付けになったように動かなかった。


「・・・? どうした?」


 どうやら察知できなかったらしいリヴィアが、ルキアーノに問う。

 だがルキアーノはそれよりも、つい今しがた街の入口で巻き起こったと思われる喧騒と、漂ってくる魔力の”焦げ臭い臭い”に集中していた。


「・・・あれはなんだい?」


 ルキアーノがそう問い返すと、流石に察しの悪い連中も異変に気がついたらしく、全員の注意が街の入口に注がれた。

 後ろでダナケが耳に手を当てて魔法を展開し、どこかに詳細を問う声が聞こえる。

 答えはすぐに帰ってきた。


「”アムゼン魔国”の到着だそうです」

「だとさ」


 ダナケの言葉にリヴィアが続く。

 すると他のメンバーの中から、歓声とも驚声ともつかない声が漏れる。

 ルキアーノはどちらかといえば後者だが、もっと”警戒”の色を多分に含んだものだ。

 周りを見れば、何人かは気づいた ・・・・らしい。


「やっぱり気になるのか?」


 リヴィアが小さく鋭い声で聞いてくる。

 優秀な彼女のことだから、気づいたのだろう。


 この”異常な魔力”に。


「ここまで魔力が匂う・・・想像以上だな」


 ルキアーノはそう言って目をしかめる。

 おそらく魔人の一団とやらは、門に近づいた辺りなのだろう。

 だが漂う魔力は、その周囲10㌔ブルの魔力反応を塗りつぶしてしまうほど強大で、圧倒的だった。

 しかもそれは、殆ど1人の魔力の匂いではないか。


 そんな存在など、聞いている限りでは”1人”しかいない。


「”大魔将軍”か?」


 リヴィアが小さく問うと、ルキアーノはうなずく。

 この魔力の正体は間違いなく、アムゼン魔国の大魔将軍、”シセル・アルネス”だろう。


「どうだ? ガブリエラ様やモニカ様と比べて」

「全然違う・・・というか、思ってたのと・・・・・・違う」

「?」


 ルキアーノの所見にリヴィアが不思議そうな顔をつくる。

 だが彼女は何も言わず先を促していた。

 リヴィアもルキアーノの魔力感知能力には一目を置いている。


「あの2人の魔力は”肥え太った脂肪”みたいだし妙に甘いけど、これはその逆・・・全部”筋肉”みたいな味がする。 パサパサって感じであんまりおいしくない」


 ルキアーノは思ったままの所見を述べた。

 それを盗み聞いていた他国の将校が意味不明といった顔になるが、慣れているリヴィアは納得してくれたらしい。

 だがこれはヤバい。


「でもその代わり遥かに機敏に動くだろうね、これはヤバイよ・・・一対一サシで戦ったら誰も勝ち目はないかな」

「ガブリエラ様でもか?」

「無理だと思う」


 ルキアーノはハッキリとそう言いきる。

 その言葉にリヴィアの目が見開かれた。

 彼女にとって”ガブリエラが負ける”という事態は、想像の範囲外なのだろう。

 だがルキアーノにとってはそうでもない。


「ガブリエラは、力は上でも”一対一サシ”は苦手だからね。

 君や僕くらいなら力任せでどうにかなるけど、ここまで力で拮抗されたら、あとはもうどれだけ訓練してるかだから」


 そして、”どれだけ訓練しているか”という一点において、この大陸にあの大魔将軍に比肩できる者は存在しない。


 ルキアーノがそう言うと、リヴィアの額を冷や汗が流れ落ちた。

 きっと彼女はこの時初めて実感したのだろう。

 ガブリエラが”モニカを守りきれない”と言った本当の意味を。


 モニカ云々以前にまず、そもそもガブリエラが危ない ・・・・・・・・・のだ。



 リヴィアの顔から明るい色が消え、周囲の自軍の中では名だたる猛者達が、現れた巨大な魔力に言葉を失う。


 だがルキアーノは、その”焦げ臭い魔力の臭い”の中に、なぜか嗅ぎ覚えのある”甘い臭い”が混じっているのが気になっていた。

 そしてそれを言うべきかどうかを。

 捕食者から隠れるように必死に魔力を抑えて縮こまっているが、大魔将軍に勝るとも劣らない膨大な魔力を殆ど隠しきっている事が、逆に露骨な存在アピールになってしまっている、この人工甘味料のような魔力を間違えようもない。


「・・・モニカちゃん・・・なんであんな所にいるのかな」


 その呟きは、音にはならなかったために聞き取れた者はいないだろう。

 だが、まさか件の最も近づけてはいけない存在2つを、なぜあんなに接近させているのか。

 

 ただ、ルキアーノは暫しの間様子を探っていたが、やがて大魔将軍側に特に動きがないこと、モニカの側にそれなり以上の護衛が付いている事を確認すると、それを見なかったことにすることにした。

 こういうのも他人がすれば”警備の穴”と言えるかもしれないが、自分がやる分には仕方ない。

 ここから何かできる訳でもなく、下手に刺激するわけにも行かない。


 ルキアーノはただ、”あの子はそういう子だ”と自分を納得させるしかなかった。



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