2-X13【幕間1:~黄金姫の鬼~】



 聖王2064年、旧ホーロン領イナニスとピスキアの2箇所で行われた降伏文書調印式を持って、聖王2049年から15年の長きに渡って続いた、北部3大国を中心とする戦争が終結した。


 そのあまりに悲惨な状況から従軍した後の文豪が、もう誰もこんな戦いを求めはしないだろうと思って「戦争を終らせる戦争」と評したほどの戦争が終わったのだ。

 人々が単に「大戦争」と口にするだけで伝わるために、名前もつけられなかった戦争が。


 厄災が終わって最初に人々がしたのが、超大国を跨いだ”戦争の反省”であったことも、当時の人々が如何に大戦争で疲弊したかを物語っているだろう。

 最初の会議が行われたのは、まだ前線司令部が解体されていない聖王2064年の冬のこと、真っ白な壁のような雪に閉じ込められたビルボックス村である。


 最初の議題となったのは、大戦争初期に発生したあまりにもお粗末な外交連絡の改善と、超大国がいつの間にか抱えてしまっていた”巨大戦力”の管理。

 特に戦力の管理とその伝達は早急に行われた。

 当時の管理限界を超えた戦力の保持は、そのままでは終戦と同時に、大戦争初期と同じ手順で超大国同士が新たな戦時体制に移行しかねないレベルに達していたからだ。


 大戦の最中、膠着状態となった最前線で発生した奇妙な現象が”特級戦力”である。

 元々、ホーロン側の兵士が言い出した概念だが、すぐにそれは広まっていった。

 大戦争の戦場は、それまでの”線”や”面”のぶつかり合いだったものと異なり、互いに一定の距離を保った”穴蔵ピット”と呼ばれる”円”による陣の取り合いだった。

 一定以上の力を持った実力者が手の届く範囲だけが生存し、その他は圧倒的火力で死滅するため、戦線が自然とその形に削られたのである。

 戦場は、自陣のピットをいかに維持して相手のピットの間隙を突くかの勝負が続いた。

 司令部に広げられた戦略図は、さながら石が自力で動き回るリバーシの様な状態だったという。


 最初、各国はこの”円”の解体と把握に苦労した。

 何せ長期の戦線膠着で、司令部の把握していない要因で切り分けられ混ざりあったピットの中は、所属する国がバラバラなのは茶飯事。

 酷い所は一蓮托生となってしまった敵味方がゴチャ混ぜの有り様である。

 疑心暗鬼も酷く終戦を信じずにやって来た高官を疑い、中心の特級戦力を隠した事例や、ハッタリで既に死んだ者を祀り上げていたピットまであった。

 当然、終戦を信じずに玉砕したホーロン軍のピットは1つや2つではない。


 だが、それでも最終的に各国が持っている”石”の数は割れてきた。

 では、次はどうすべきか?

 

 ”数を管理するべきだ”


 そう発したのが誰かは記録に残っていない。

 だがビルボックス村に集まった全員が同意していた。

 ただ、どうやってそれを決定する?


 特級戦力は兵器ではない、”兵士”なのだ。

 安易に数を増やしたり、逆に廃棄したりすることも難しい。


 賢明だったのは、その場で細かな部分は決定せずに、大枠だけを作ったことだろう。

 おかげで柔軟な条約を締結できたのだから。

 もっとも、それが新たな騒乱の種になりうるのは、誰の目にも明らかだった。

 ”ビルボックス条約”として交わされた最初の内容は、特級戦力の制限のために必要な協議を2年後、旧ホーロン領のラクスにて行い、完成された条約を結ぶ為、その準備と調査を各国が行う事。

 そして以降、2年置きに同様の会議を行い、条約で制限する戦力の内容を更新していく事が決定された。


 この大陸規模な国際会議を、人々は最初に会議が開かれたラクスの街から名前をとって”ラクイア”と呼称したのである。




 聖王2102年の夏、ラクイアの会場として選ばれた南部諸国連合トルバ中南部の小規模構成国”クライク”の更に片田舎である”ルクラ”は、本来その街の規模に似つかわしくないほどに沸き立っていた。


 資材を積み込んだ大小様々な荷馬車が行きかい、トルバから発注を受けた様々な種族が入り乱れて会場の建物を、会期が始まる前日の今も作り続けている。

 その規模たるや、街を新たに一つ作り出しているかのようだ。


 天を衝く切り立った山脈の隙間を埋める継ぎ目のように北東から南西に流れる”アニン=シェペ川”が、わずかに蛇行して出来上がった小さな平地を貪る形で、ルクラの小さな市街地が広がっている。

 赤道付近の夏だというのに周囲の山々には雪化粧が残り、谷の間を涼し気な空気が流れているところを見れば、この場所がかなり標高の高い場所だというのはすぐに分かるだろう。


 会場にルクラが選ばれたのはこの山脈が理由だ。

 天然の要害故に単純に守りやすく、少ない検問で要所を切り離しやすい。

 そのような場所だというのに、谷を走る道は存外に太く、そして南北に通じている。

 これならばトルバの北からマグヌスとアルバレスの大規模な使節団を入れることができる。

 そして峠を挟むことで、それほど利便性を損なうことなく、各国が十分に独立した空間を確保することができた。

 まさに、”ラクイア”のような巨大な催しを行うにはうってつけの場所と言えるだろう。




 そのルクラの街を流れるアニン=シェペ川の上流にある、古い宿場町に設けられたマグヌスの貴族関係者用の拠点、その最奥に新設された特別豪華な宿の最上級の一室で、


『ルキアーノ様、朝でございます』


 頭の中に響いたその声で、ルキアーノ・シルヴェストリは目を開けた。

 その瞬間、強烈な頭痛で目を顰める。

 薄っすらとだるい体を持ち上げると、全身の節々に激痛が走った。

 即座に彼は治癒魔法で痛みの箇所を治療する。

 そこら中の骨が折れていて内出血が酷いが、ルキアーノの医療魔法の成績は優秀なので問題ない。

 ただ、何故か全裸なので全身の皮膚が鬱血しているのがよく見える。

 だがそれも、”部屋の惨状”に比べたらまだマシだろう。


 何をしたんだ自分は・・・

 最初の違和感を頭の中で呟くと、次にその整然とした考えに違和感を抱く。

 情欲のタガが壊れて”鬼”となったルキアーノの思考は普段もっと性的なのだが、今は満足したように治まっていた。


 だが周りを見れば最上級の部屋の壁や調度が、見るも無惨な形で破壊され、そこら中に真っ赤な血が飛び散っているではないか。

 見づらいが他の体液も飛び散っているだろう。

 スッキリして頭が冷静になってる分、自分達が昨晩していた”行為”のあまりにもの爪痕に目眩がする。

 そして目を落とすと、自分の下で自分と同じように全裸の金髪の女が全身から血を流して寝ているのが見えた。


 見た感じ息はしていない、その巨大な胸に軽く触れてみたところ、脈もないし体温も冷え切っていた。

 人体というのは意外と早く冷える。


 ガタリという音がして横を振り向けば、ガブリエラ付きのメイド達が慣れた様子で散らかった衣類や小物を拾っては、魔力で洗浄しながら片付けている所だった。

 その一人とルキアーノが目が合うと、彼女は目だけで ”早く主君の上から退け、この暴れ種馬” と罵りながら、洗ったばかりのルキアーノの下着を放ってよこした。

 一応、ルキアーノはもうすぐ彼女の”主人”になる訳だが、そこに敬意など欠片も感じられない。

 誰も味方がいない事を知っているルキアーノは、そそくさと起き上がると、下着を履きながら部屋の扉の方へ近づいた。


 するとその脇を、いつの間にか現れていた金属光沢を放つ巨大な”魚”が通り過ぎる。

 水など一滴もないというのに、水中の様にゆったりと空中を泳ぐその魚は、まるでルキアーノが退くのを待っていたかのようにガブリエラの上に陣取ると、うつろな目で非難するように自分を見てきた。


「なんだよ、君の身体に興味はないぞ」


 ルキアーノのその答えに、魚は口をパクパクと開閉した。

 おそらく嫌味でも言っているのだろう。

 

「どれくらいで寝たんです?」


 メイドの1人が確認する様に聞いてくきた。


「さあ・・・明け方じゃないかな? その辺が最後の記憶だよ」


 ルキアーノの身体には、まだガブリエラの熱い体温の感覚が残っているが、窓の外は真っ暗だったはずだ。

 

 服を着て一応外に出られる様になった所で扉を開けると、すぐ外に控えていた護衛騎士のリヴィアが中を覗き込んで目を顰めた。


「毎回思うけど、なんで同衾で血塗れになるんだか・・・うわっ裂けてるし・・・」


 ガブリエラの身体の状態を離れて検分していたリヴィアが、そう言いながら思わず仰け反る。

 その瞬間、ベッドから真っ赤な血が滝のように流れ出したのだ。

 慌ててメイドがシーツで抑えるのが見える。

 そしてそれを見たリヴィアが、己の中の理性を擦り潰して絞り出した、出がらしみたいな声で息を吐く。


「はあ・・・それで、ガブリエラ様はどれくらいで起きるんですか?」

「すぐだよ」


 ルキアーノがそう言いながらベッドに目をやると、壁際の魚が口をパクパクさせて宝石の様な鱗を光らせながら、虚ろな目から血の涙を流していた。

 それはさながら邪教の儀式のような不気味な光景だが、せっかく血を拭き取ったばかりの所に、新たな血痕をバラ撒かれて不満そうなメイドがすぐ脇にいては意味不明さが勝る。

 金属光沢の魚は体を痙攣させながら、バタバタと空中を跳ね始めた所で、ルキアーノは視線を部屋の外に戻して歩み出ると、そのまま扉を締めた。

 あれは何度見ても気持ちが悪いが、おかげですぐにガブリエラが目を覚ますことが分かる。


「まあ・・・改めて寝ちゃうかもしれないけど」


 自分のあっけらかんとした態度に、リヴィアは深い溜め息をつく。


「君もガブリエラ様も、普通の人じゃないってのは知っていたけど、流石にこれは・・・なかなか慣れない」

「そうかい? 随分慣れたような気がするけど」


 リヴィアが赴任して最初の夜の時は、ガブリエラが死んだと勘違いして襲いかかられたものだ。


「麻痺しただけですよ」


 はあ、っと改めて深い溜め息をリヴィアが吐いた。



 部屋の扉が開けられ、平然とした顔のガブリエラが現れたのは、それから僅かな時間しか経っていない頃だ。

 扉を開けて親しい者にしか見せぬ微笑みを浮かべながら自分とリヴィアの顔を見るガブリエラは、薄い寝間着姿ではあるがどこにも傷や汚れはなく、彼女の後ろでこびり付いた血痕と奮闘している侍女達の姿を無視すれば、本当に普通の寝起きに見える。

 ただし言動は普通ではない。


「ふぅ、流石に昨夜は死んだかと思ったぞ」


 そう言って、たいそう満足気な笑みを浮かべながら、ルキアーノの肩を突くガブリエラ。


「懲りましたか?」


 リヴィアが呆れた様にそう聞くと、ガブリエラは笑みを崩さないまま首を横に振った。


「いいや。 最近自分は被虐趣味なのではないかと思い始めてるよ」


 ガブリエラがそんな寝言を口走る。

 どうやら、まだ寝ぼけているらしい。

 過去に心臓に焼印を刻まれて消し炭にされかけたリヴィアが、死んだような目でそれを見ていた。

 それにガブリエラの気分が乗ってくると、笑いながらかなり痛めつけてくるので、毎度ルキアーノの骨も当たり前のようにそこら中が折れている。

 どこが被虐趣味だ、という話である。


 特にこの半年、厳密には昨年の秋にモニカ・ヴァロアと接触してからというもの、ガブリエラは正直引くほどに頑丈になった。

 不安定で、”虚弱体質”と同じ扱いだった過去など何処に行ったのか、今ではルキアーノの強烈な欲望をぶつけても涼しい顔でビクともしないばかりか、コトの最中にこちらを痛めつけ返す余裕すらある。

 母譲りの”白傾向”がそれなりに強い所に、彼女のスキルが恐ろしく安定して崩れなくなったのだ。

 元々、超越者以外には理解不能な程強く、単純な”力”がそれほど変化していないので気にしない者が多いが、ガブリエラと近い目線で成長してきた自分はよく分かる。


 今のガブリエラは1年前とは根本的に違う次元の生物だと。


 まあ、そうでもしなければ、ガブリエラが”結婚”などと世迷い言を言い出すことはなかったのだが。

 とりあえずガブリエラの配下になることだけ決まっていた身ではあったが、卒業直前に告げられたあの有無を言わせぬ結婚宣言には困惑したものだ。

 正直、ルキアーノ自身も含めて未だ誰の納得も得られている気がしないが、いつになく強硬なガブリエラを止める手立てなどこの世にあろうか。

 これも彼女の”執着”の対象にされた者の定めと思うしかない。


「・・・少しは懲りてください。 まったく、王女の夜の事情が”こんなの”だと知れたら・・・」

『安心してくださいリヴィア様、外聞は汚さないように注意しますので』


 リヴィアの苦言にウルが当たり前のようにそう答える。

 今のガブリエラの管理スキルにそう言われては、どうしようもない。

 これは暗に自分たちに対して”言うなよ?”と釘を刺しているのだから。

 だからリヴィアは、いつもの様にこの場で悪態をつくだけに留める事にしたらしい。


「もう既に私の目が汚れそうです」


 そう言いながら水の入ったコップをルキアーノに差し出すリヴィア。

 それを受け取ったルキアーノは、小さく開けた”次元収納”の魔法陣から錠剤を取り出してコップの水で流し込んだ。

 対外的に重要な会議に参加するのだ、万が一にもルキアーノが己の衝動に飲み込まれる訳にはいかない。

 今は徹底的に抜いてスッキリしているが、衝動は普通の者より圧倒的に早く溜まっていくので、こうして薬で抑えるしかない。

 負担の大きな劇薬故にガブリエラは嫌そうな顔をしているが、これも仕事である。


 リヴィアはルキアーノが薬を飲んだことを確認すると、ガブリエラに断りを入れてからルキアーノを横の部屋の中に引きずり込んだ。

 そして、ルキアーノはそこに居たガブリエラの侍従に予め用意されていたのだろう礼装の軍服を充てがわれて強制的に着せられ始める。

 侍従は異性だが、ルキアーノを怖がる様子はない。

 慣れているのもあるが、ガブリエラに仕えているので感覚がおかしいのだ。


 だが、充てがわれた軍服のゴテゴテとした装飾を見てルキアーノは訝しがる。

 こんなのを着たのは、叙任式と”エリートバッジ”の授与式以来。


「今日はまだ”待機”の日だろう?」

「着ておくようにとの指示です、私もこれから着替えるので。 さあ、早く準備してください、待ってる人がいるんですから」


 リヴィアがそう言ってルキアーノの背中を叩き、部屋を出ていこうとする。

 ルキアーノはなんとなく、彼女の胸を掴んでみた。

 高位の魔法士らしい鉄のように硬い感触が手に広がる。


「・・・もう我を失いそうなんですか? まったく夜まで待てばこんな貧相な物より良いものが揉めるでしょうに」

「そうかな。 君のも中々品があって良いものだよ」


 薬はちゃんと効いているらしい、リヴィアの胸を触っても特に衝動に飲み込まれる事はなさそうだ。

 薄っすらと頭の奥の方で声が聞こえるだけである。





 着替えを済ませて宿のロビーに降りてくると、そこに据えられた応接スペースに、とてもうるさい味の魔力を持った奴が待っていた。


「いやあ、聞きしに勝るお盛んっぷりですね、正直羨ましいですよ、私はどうしても早くて・・・ね。 妻が最近愛想を尽かして、あまり話してくれないのですよ」


 小柄で金髪が特徴の真っ白な軍服を着たそいつは、あっけらかんとした態度でそう言ってきた。


「”直轄官”というのは、思っていたより随分口が下品なんですね」


 思わずそんな悪態が口を突く。

 自分が真人間だとは思わないが、ルキアーノはこの”サルモーレ”という男を良くは思ってはいなかった。

 するとその反応に、サルモーレが面白そうに食いく。


「おや、何か気に触りましたかなシルヴェストリ卿、会話を手短に済ませておきたいので、あなたのレベルに合わせてみたのですが上手くいきませんでしたか、いやはや下賤な話題というのは難しいものですね、どうしても私の綺麗な一面が邪魔して濁ってしまう」


 そう言って謎のアピールをするサルモーレをルキアーノは無視した。

 ちょうど、支度を終えたリヴィアが戻ってくるのが見えたことだし、話を進めるとしよう。


「あなたが待ってる・・・・というのは意外ですね。 どこにでも入ってくるのが、あなたのやり方でしょ?」

「もちろん私もそうするつもりだったのですがね、先日レディのトイレに間違って突入することがありまして、1回目は流してもらえたんですが、2回目で盛大にキレられまして謎の黒い物体にグサグサと刺されたんですよ。 そりゃあ”準王位スキル”の攻撃ですからまあ怖い、結構真剣に死を覚悟しましてね。

 そんな事があったもんですから入る前にチラッと覗くようにしたんですが、あなた達ときたら、もうすごい・・・」

「用件はなんですか? サルモーレ将軍」


 リヴィアが遮るように問う。


「連絡・・・というよりも”護衛総責任者としての指示”ですかね、各国の護衛主力向けの内見が行われるのでリヴィアさんとルキアーノ君で参加してきてください。

 現場で任務に当たるあなた達が、その目で会場を見ているのと見てないのでは大違いですからね。 まさか事前に見ていないと聞いてビックリしましたよ意識が低いですね」


 ルキアーノは、「あ! ビックリつながりで思い出しましたが、これ見てくださいスコット・グレンのサインですよ」と自分の上着の袖を引っ張り上げ、シャツの袖に書かれた文字を嬉しそうに見せつけるサルモーレを睨んだ。


「僕とリヴィアが2人共離れたら、誰がガブリエラを守るんだい?」


 その言葉にサルモーレが笑みを深めた。


「安心してください、代わりに私が護衛に付きましょう」


 その言葉にルキアーノは困惑する。

 この男がガブリエラの護衛だと?


「なに、ガブリエラ様は今日はこの宿から出ないのでしょう? というか今日しかゆっくりできる日無いじゃないですか、もしかしてぶっつけ本番で会場入りする気なんですか? 護衛がこんな意識だとガブリエラ様もさぞ大変でしょうに」


「無駄話もそこまでにしたらどうだ、サルモーレ将軍」


 その時、サルモーレの言葉を消し飛ばす様に凛とした声が響いた。

 その場の全員が振り返ると、階段へと続く廊下から特徴的な黄金の髪の女が侍従を引き連れて現れた。


 ” 俺の女だ ”


 ルキアーノの頭に響いた声を思考の脇に押し流す。

 もう薬が切れたかと思ったが、すぐに声が薄くなったことでそうではない事が分かった。


「私の護衛を引き受けたいのなら、護衛仲間に嫌われるような真似はやめるべきだ」

「護衛仲間に嫌われて何か問題でも?」


 ガブリエラの言葉にサルモーレが挑む様にそう返す。

 だがガブリエラは難なく往なした。


「私に嫌われるぞ? この2人の信用を勝ち取れぬ者を私が信用できると思うか? そしてそれはそなたの責務にとって良いことではないはずだ」

「ふーむ、たしかに」


 サルモーレは一本取られたとばかりに表情を崩す。

 だがその目は依然として馬鹿にしたように上から。

 引いたのはガブリエラの意見に納得したからではなく、単に王族を相手に馬鹿にする訳にはいかないからだろう。

 ガブリエラがこちらに向き直る。


「2人共、行ってきてくれ。 信頼しているお前達の目で安全を確認してもらった方が、私も安心できる」

「コイツは信用できるのかい?」


 ルキアーノが問い返す。

 するとその答えは横から発せられた。


「サルモーレ将軍はマグヌスの総責任者ですから」


 そのリヴィアの言葉の頭には”こんなのでも”という枕詞が聞こえるようだ。

 だが聞きたいことはそれではない。


「そうじゃなくて、何かあった時、ガブリエラを守りきれるのか?」

「失敬な、模擬戦ではルシエラ嬢とガブリエラ様をまとめて倒したこともあるんですよ?」


 ルキアーノはサルモーレの魔力を舐める。

 すると不本意なことに、この男が嘘など言っていないことが理解できた。

 ガブリエラと同じ、強烈な人口調味料の味の魔力を持っていたのだ。


 マグヌスの”最高戦術兵士”、”軍位スキル:クロニア”の保有者。


 流石にガブリエラに勝ったというのは数年前の話だろうが、それでも実力的には申し分ない。


「少なくとも、あなた達2人がかりよりは強いと思いますが。 その辺の認識ができてますかね?」


 サルモーレが高飛車に威圧する様な声で問うてくる。

 その声は”実力差をわきまえろ”と雄弁に語っていた。

 だがその憎たらしい笑みに、すぐに釘が打ち込まれる。


「サルモーレ将軍、私の機嫌を損ねるな」

「すいません調子に乗りましたごめんなさい」


 流石に竜の尾を踏み過ぎた事を自覚したのか、サルモーレはすごすごと引き下がった。

 案外、昨日モニカにやられたという”報復”がまだ効いているのかもしれない。


「報告を待っているぞ」


 ガブリエラが信頼の籠もった目でルキアーノとリヴィアを見た。

 それはルキアーノの欲している視線とは少し異なるが、悪いものではない。

 それにどの道、行かねばならぬのだろう。


 諦めたルキアーノはガブリエラに目線を送ってから、リヴィア共々宿の玄関に向かって歩き始めた。


「ああそうだ」


 その足がサルモーレの声で止められる。

 まだ何かあるのかと振り返ると、マグヌス最高戦力の直轄官が余所余所しい様子で一礼する所が見えた。


「僕も君と同じで生まれながらの貴族じゃないから分からないけれど、こういうのも、”昇進おめでとう”というのかな? シルヴェストリ爵」





 

 ルキアーノ達が泊まっているのはルクラの街の中ではない。

 その川上に10㌔ブルほど上ったところにある古い宿場町だ。

 ルキアーノとリヴィアはその宿場町を歩きながら、街の風景をつぶさに観察していた。

 とはいえ到着した昨日と特に変わりはない。

 相変わらず、慣れないバタバタと忙しい空気に街が混乱している。


「気持ちのいいところですね」


 リヴィアが伸びをする様に腕を上に伸ばしながら言った。

 確かに、空気の味は澄んでいる。

 だが、それも上を見れば台無しだ。


「空が狭い」


 ルキアーノが思わずそう漏らしたほどの惨状となっている空中では、各国の空中部隊が所狭しと動き回り、居場所を主張する様に牽制しあっていた。

 ただでさえ、周囲を物凄く高い山に囲まれているのだ。

 話によれば、ここからは見えないがこの山脈の中に大陸最高峰があるという。

 この威容を見る限り、それも嘘ではないのだろうと思わせる光景だった。


 当然ながら、そんな山を越えていける飛行法を持っている者などほとんど居ない。

 訓練された飛竜でさえ山脈の峰は遥か遠く、高度に不安の残るマグヌスの飛行ゴーレム機械など高地の空気に負けて地面を這うように移動するので、頭上は殆どゴーレム機械の無粋で不味い魔力に蓋をされている気分だっった。


 だがその上を、見慣れぬ細長い飛行ゴーレム機械が通り過ぎるのが見えた。

 あれは特に高度を取ることに苦労している様子はないが、親型だろうか?

 しかもよく見ればその飛行ゴーレム機械は、他のと異なり無理にでもこの古い宿場町の上空を避けようという動きが見られた。


ウチマグヌスの艦隊じゃないですね・・・南方連合旗ですがトルバでも開発できたのでしょうか」


 リヴィアが少し悔しそうに語る。

 これまでマグヌスの独壇場だった大型飛行魔道具の分野に、他国が進出してきたのが気に食わないのだろう。

 だがルキアーノは興味を惹かれなかった。


「空を飛ぶゴーレムなんて、誰でも思いつくよ」


 ルキアーノの言葉は淡白だ。

 元々、ゴーレム機械の技術で他の2大国に勝っていたわけではない。

 偶々、カシウス将軍とその遺産が有効だった時間があるだけのこと。

 天才が居なくなれば、開発力に勝るトルバに抜かれるのは時間の問題だろう。

 そんなものに興味はない。


 それでも、あの女の子・・・モニカとかなら興味を持ったことだろうが、彼女もすぐに同じ空を見上げることになる。

 予定では、ルクラ到着は今日だったはずだ。


 そんな事を考えていたら、リヴィアがルキアーノを冷めた目で見つめているのに気がついた。


「張り合いがないことで」


 リヴィアはそう言うと、移動時間の短縮のための補助魔法を展開した。

 すぐにフワリという浮遊感と共に、ルキアーノの足が僅かに持ち上がったような感覚を覚える。

 その性能に、ルキアーノは軽く舌を巻いた。

 ガブリエラに気に入られるだけの事はある。

 これならば、飛行制限区域であっても飛ぶ様に移動ができるだろう。


 足の具合を確認したルキアーノは、勢いよく地面を蹴り飛ばした。

 するとその瞬間、ルキアーノとリヴィアの身体が風のように駆け始め、周囲の者達が驚きの瞳を向けたが、その視線が2人の影を捉えることはなかった。



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