2-22【あの山を登るために必要な船頭の数1:~大山脈~】



「モニカ様、ずっと見てますね」


 後ろからアルトの声が聞こえてきた。

 後方視界に注意を向けてみると、彼女がエリクにコソコソと耳打ちしている所が見える。

 どうやらずっと馬車の窓に張り付いて外を眺める俺達の姿が面白いらしい。

 まあ確かに、好奇心の強い子とはいえ、これだけモニカの目線がどこかに吸い寄せられる事は珍しいからな。


 ただそれも無理はない。 

 俺たちの目の前には、あまりにも壮大な光景が広がっていたのだ。


『あれは?』

『7710』

『おお、おっきい!』


 俺の返答にモニカが嬉しそうに答える。

 その視線の先には、それはもう天を突き破るんじゃなかろうかと思うほど高い峰を持つ、超巨大な山がそびえていた。

 それはもう、”山”という言葉を使うのを歯がゆく思う大きさ。

 北壁山脈で見た一番大きな山でようやく比較対象になろうかといった具合だ。

 手前側の小兵の様に並ぶ山ですら、俺たちの住んでいる西山や、俺達が吹き飛ばしたピラト山なんて比べるのもおこがましい程にでかい。


 さしずめ山の中の魔獣ってところか。


『あれは!?』

『6957』

『おしい!』


 次に見えてきた山がギリギリ7000の大台に乗らなかった事に、モニカが本気で残念そうに悔しがる。

 だが、これでもとんでもない大きさなのは間違いない。

 ちなみに今使ってる単位は、国際規格として推奨されている”冒険者協会代四号ブル”という、冒険者協会が「これ使いましょうね」って言ってるやつで表している。

 厳密にはズレるが、およそ1.05mってところだろうか。

 なので先の7700ブル級は7300m級、ギリギリ7000ブルに達しなかった方は6600m級ということだ。


 ただし、測定の原資である地上の標高は誤差がかなりあるので、どれも±600〜800は見ておかなくてはいけない。 

 まあ、”m”なんて俺の空想の単位の精度はゴミ以下なので、m換算の意味などないのだが。

 

『あのヘンテコなの!』

『5446だな、だが隣に小さく見える方は実際は6026で、こっちの方がかなり大きいぞ』

『不思議だね』

『角度の問題だな』


 この巨大山脈の谷を進んでいると当然見上げるばかりになるので、一見しただけの大きさ比較があまり機能しないのが面白い。



 さて、なんで俺達がずっと山を見ているのかというと、別にこの巨大山脈にロマンを刺激されたからとかではない。

 もちろん”測量”のためだ。


 俺達の命運が決まるラクイア軍事会議の会場となるルクラの街は、このようにヒマラヤの如きトンデモ山脈の中に存在する。

 つまりこれらの山々に囲まれる形で存在する訳だ。


 それを聞いて、「絶景の会場だね!」と喜ぶわけにはいかない。


 なぜなら、いざとなれば俺達は逃げなければならないからだ。

 件の大魔将軍を納得させられるか不明だし、可能性は薄くとも最悪の場合は世界全体が敵になる恐れもある。

 もちろん、そうなれば逃げても無駄っぽいし、そうならなくて良いように戦うために行くのだが、とはいえ、話の展開次第で突発的に逃げなければいけない場面は十分考えられる。


 そこで問題になるのがこの山だ。


 現行で用意できる最強のエンジンを全開に吹かした場合、計算上では高度7000ブルだと音速で1時間巡航、1分程度であれば高度5000ブルで音速の2倍弱まで耐えられる事になっている。

 だが高高度巡航機能を獲得できた現在でさえ、山脈を越える9000ブルに上がるにはかなりのリスクを取らなくてはならないし時間もかかってしまう。

 つまり現実的には、この巨大な山の森を音速を超える速度で縫うように進まねばならないのだ、それも何百㌔ブルも。

 当然、高速度故に旋回半径が大きくなっているので、飛べるコースは限られてくるし山腹ギリギリを攻めねばならない。


 これでも十分大変な話だが、さて、ここで逃げ出したのが夜だったとしたらどうなるか?

 大山で厳重に仕切られたこの山脈に街明かりはなく、周囲全てが真っ黒な山体で塗り潰されるとしたら?


 高速飛行時にそんな環境になれば、俺達の観測スキルでさえ容易に敵に回ってしまうだろう。

 地面を検知するための対物検知スキルは周囲の山を地面と誤認し、気圧測定スキルは山肌を高速で撫でる気流が作り出す低圧を高高度と判別しかねない。

 モニカの天才的並行感感覚は容易に加速Gに屈するし、磁気測定スキルも周囲の山体に含まれる鉱物で信用ならない。

 地面に立っているときには気にもしない、”どちらが上で、どちらが下か”という問題も、安易に結論を出すこと自体が危険行為になってしまう。

 何せ普段それらを補正する”視覚”もないのだ。


 真夜中の山脈を飛ぶというのは、己の全てが信用ならないということなのである。


 その中で、頼れるのは天上に僅かに見える星と、俺の中の時刻・・・そして地形データのみ。

 この3つが俺達の命綱なのだ。


 特に地形データは、例え他の全てに矛盾していても信じなければいけない場面が出てくる。

 しかも他の二つと比べて、明らかに制作難易度が高いときている。

 時間は俺が日々補正と精度向上を続けたおかげで、精度が鉱石周波数時計レベルに達した【時間計測】スキルがあるし、いざとなれば”魔法陣式時計”でも作ればいい。

 星については時々外を見ていれば勝手にマークされるように設定できた。

 星の名前が気になるなら後でスコット先生に聞けばいいだろう。

 だが地形データだけは、どうしても複雑な観測が必要になるし、連続したデータでなければ意味がない。

 つまり移動中は必ず、こうして窓に張り付いて外を眺めている必要があるのだ。


 それにこのデータに命がかかっているので生半可な観測で終わらせたくはない。

 だからこそ俺は普段使いの”メートル法”を捨ててまで、その精度を高める決断を下していた。

 今日から俺は”ブル/バルム”信者だ、邪教たる”メートル/グラム”は捨てなければならない!


 と、自分を奮い立たせてデータを取っているわけだが。


 ただ・・・


『ロン! あれ! あれすごいよ!』


 と、身を乗り出して進行方向に見えてきた山にのめり込むモニカからは、あまり危機感を感じないのだが・・・

 まあ、そもそも観測データを取るだけならば、馬車の屋根に”感覚器”でも載せておけば良いわけで・・・実際そうしているのでモニカが見る意味は、彼女がこの辺の地形を感覚的に覚える以上のものはないっちゃ・・・無い。

 なのでこの能天気も仕方ないと思うしか無いだろう。

 さてと・・・


『ええっと、あの山ね』

 

 確かに、モニカが凄いと言う通り、ここから見えるだけでもかなりの大きさだが、はたして・・・


 そこで俺は、表示された数字を見て吹き出しそうになった。


『9147・・・え!?』

『え!?』


 おいおい、ちょっと待て9100オーバーだと!?

 憎き”メートル法”でも8700mオーバーじゃねえか!

 唐突に現れた”エベレスト級”の大山に、俺達は揃って呆けたような顔を向けるしかない。


 だがその数字が嘘ではないことは、どこまで近づいても巨大になるばかりで、一向に遠くに見えっ放しなことが示している。

 いつしか俺達は威圧されるように背筋を伸ばしていた。


「・・・ん? どうしたの?」


 固くて揺れる馬車の座席で盛大に寝ていたルシエラが、俺達の変化に気づいたらしく、のそのそと起き出して近寄ってきた。


「ねえねえ! あれが、この大陸で一番高い山!?」


 それにモニカが興奮した口調で問いかける。

 事前に大陸最高峰を擁する山脈と聞いていただけに、モニカの声には多分な期待が含まれていた。

 だが、ルシエラは窓の外に見える異様な大山に、あんぐりと口を開けはしたものの、同時に困惑の色も浮かび上がっている。


「うーん? 確かに凄くおっきいわね・・・でも一番高い山ってこの辺りじゃないわよね?」


 不思議に思ったらしいルシエラが、馬車の前方の窓を開けて御者に尋ねると、この辺が地元らしい御者の鳥人の男が苦笑した。


「ははは、残念ながら”シャリア・ゲレマイラ”は、我々が通る方向だとルクラを挟んで、更に200㌔ブルも先になりますよ、ここからじゃ羽があっても見えねえ。

 ありゃ、”ウトマルゥ”。 この近辺じゃ、いっとうでっかくて、みんな”大きな母”って呼んでるんでさぁ」


 へえ、

 っと馬車の中の面々が口々に驚嘆の声を漏らし、窓の方に集まりだした。

 皆、どこまでも代り映えのしない山の景色には興味を失っていても、近辺で最大の山には興味が湧いたらしい。

 窓の数が少ないので、皆顔を寄せ合って”ウトマルゥ山”の威容を見上げていた。

 エリクなどヴィオに見せるためだろうか、わざわざ剣の柄を窓に押し付けている。


 俺はそんな彼等を横目に、手持ちの資料に”ウトマルゥ”で検索をかけた。


 なになに・・・正式名”シャリア・ゲレナンテ”、別名”ウトマルゥ”。

 どうやらかなりの信仰を集める山らしく、資料には目ぼしい物しか載っていないが、別名だけで数百以上あるらしい。

 現在発見されている中では、大陸で3番目に高い山だそうだ。

 ただ、資料によると9021ブルだって、どうやら俺の観測データはかなり上振れしていたらしい。

 補正、補正っと。


 俺の測定数値が更新され、同時にこれまでのマップの数値が変更される。

 だが誤差の原因となった気圧の低さは特記事項だな、むしろ前の数値を併記しておくべきか、重要なのは大気高度の方なのだから。

 少なくとも、アレの上を越すのはあまりにリスキーなので、逃げるときは近づかない方が良いだろう。

 見るからに気流とかヤバそうだし。


 それにしても”大きな母”か・・・

 不出来な息子ですが、その偉大なる心でお守りください。


 俺は心の中で仮想の手を合わせた。

 祈りに特に意味があるとは思えないが今は正直何にでも縋りたいのだ、あの巨体なら少なくとも藁よりは頑丈だろうし。

 なあに、相手は大陸で3番目にでっかい山だ、1人2人息子がこっそり増えていても気にはしない。



 幸いにも、馬車の車列はその逃走ルート障害になりそうな巨山にはこれ以上近寄らないようで、その大きな姿は徐々に横から後方へと移り、そのまま小さくなっていった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 問題が起こったのは、その翌日のことだ。



 いよいよ今日ルクラの街に入るとのことで、最後の途中宿泊地となった小さな山村の近くにある小高い丘の上に立ち、気合を入れて勝負パンツ(ピスキアで買った毛糸のパンツ)にタンクトップの格好で、朝日に山頂が赤く染まる山脈の絶景を眺めながら、エリクと並んで歯を磨いていた時の事だった。


 この世にこんな爽快感があるのかと高地の空気を楽しんでいると、それを引き裂くような鋭い声が聞こえてきたのだ。


 何事かと後ろを振り返えれば、宿屋の前の広場でルシエラが引率のトルバ軍の兵士に食って掛かっているのが見えた。

 何やらかなりの剣幕である。

 それは、ルシエラが彼女の巨大青竜”ユリウス”を召喚してまで、相手を威嚇している事からも窺えた。


 ただ、”敵対”というわけではないらしい。

 兵士もビビっているが説得しようとしているし、ユリウスは”うちの主人がすいません”的な表情で困惑中、ルシエラもまだ直接手は出していない。

 聴覚を強化すれば内容はすぐに分かるが、まずはちょうどその方向からやってきたアルトに聞くとしよう。


「もう! モニカ様! またそのような格好で!」


 だが、こんな感じでこっちはこっちで別の剣幕に晒され、モニカが思わずたじろいでしまった。

 確かに今の俺達の格好は、”貴族”という立場には相応しくはないだろう。

 「もうここは敵地なのですから!」はここ最近のアルトの口癖だ。


「エリクさんも一緒になってないで、注意してください!」

「ん・・・」


 まさか流れ弾が来るとは思ってなかったらしいエリクが、気圧されている。

 そんな事を言われてもどうしようもないだろうに。


「それにエリクさんまで、そんな格好で!」


 アルトのその言葉に、エリクが自分の格好を見おろす。

 彼も彼で、擦り切れた下着上下に剣一本という、モニカに負けず劣らずの薄着だ。

 目覚めと同時にモニカがベッドから引き摺って来たので仕方ないが、成長期の彼にとって丈の短いシャツの下からは、歳の割によく鍛えた腹筋が見えている始末。


「まったく、それで護衛戦士の自覚があるんですか!」


 アルトがそう言いながら、”4次元バッグ”の中からエリクの服をポイポイと取り出して投げつける。

 アルトのバッグも繋がっている先は、ヴィオが開けられるのと同じ”俺達の次元収納”のパスを参照しているのでエリクの荷物も出せるのだ。

 だが出てきたのはエリクが普段着ている軽装一式ではなく、アルトが”フェルズヴァロア家”から持ってきたという旧ホーロン騎士のものだった。

 

「これ?」

「昨夜のうちにサイズを直しておきました。 此処から先は毎日それを着てください」


 エリクの呟きにアルトが苛立ち紛れに答える。

 その様子は、かつて見た年相応のあどけなさとは無縁の棘が多分に含まれていた。


「モニカ様、エリクさんも、もうここは”敵地”だという事を忘れないでください」


 そう言って俺達を指差すアルトに俺達は姿勢を正す他無い。


「は、はい・・・」

「あ、あぁ・・・」


 モニカとエリクがお互いをチラチラ見ながらアルトの言葉に頷いた。


『かなりピリピリしてますね』


 エリクの腰に挿さっているヴィオが、少し不思議そうな声で感想を述べる。

 その言葉通り、アルトの様子はかなり神経質だ。

 今も「格好は鎧、礼節は盾」と、たぶんホーロン貴族の標語か何かのような言葉を口にしながら腕を組んでいる彼女の背中からは、湯気のような興奮が立ち上っている。


『まあ、俺達がのんびりし過ぎなんだと思うぞ』


 俺は一応、素直にそう言うことにした。

 確かに彼女の言葉は正しく、ここから先の展開次第では俺達の命が危うくなる。

 そしてそれは、俺達に付いてきたアルトやエリクの危険を意味していた。

 普通に考えるなら、不安に押しつぶされてもおかしくはない。


『でもそれだけでは不可解ですね』

『そうだよなー』


 昨夜、寝る直前までアルトの様子はここまで神経質ではなかった。

 いや、俺達がラフな格好でいると咎めたりと、フェルズで見た時以上に気を張っている様子はあったのだが、ここまでではない。

 だから”敵地に入った”事がきっかけで神経質になっているんだとしたら、このピリ付き具合は少々おかしかった。


 俺がその事をモニカに伝えると、モニカは少し考え込むように頭を動かしてアルトをマジマジと見てから、何かに気がついたように唐突にアルトの肩を掴んだ。


「?」


 アルトが驚いたようにモニカを見つめる。

 だが俺達の手の感覚は異常を検知していた、普段抱きついたときに感じるアルトの柔らかな感触が今では固く、筋肉の激しい動きが全て把握できるように筋張っていたのだ。


「なにかあった?」


 その緊張にモニカが鋭い声でアルトに問う。

 だがその視線はアルトではなく、遠くで言い争うルシエラとトルバ兵士に向けられていた。

 アルトの緊張はまだ新しい。

 筋肉は力を含んで硬いが、まだ一本一本がバラけて動いているので長時間ではない。

 モニカの勘が俺にそういう感じの情報を投げてよこす。

 そして、彼女が今朝のうちにここまで緊張する事態は、目下宿場の前で展開されているあの口論だけだろう。


「モニカ様・・・」


 アルトが暗い顔で言葉に詰まる。

 やはり、あの口論が原因か。

 ルシエラのキレっぷりからして、俺達の事なのだろうな。


「トルバ軍が・・・モニカ様だけ他の方とは”別ルート”でルクラに入れって・・・」

「わたしだけ?」


 モニカが怪訝そうな声で問い返す。

 するとアルトはコクリと頷いた。

 その反応に、エリクは渡された騎士服を羽織るように即座に着込んで、彼の強化ユニットのスイッチを入れる。


「モニカ様は、トルバが正式に”招聘”した要慎だから。 街の正門から入って欲しいそうなんです」


 なるほど。


『どういうこと?』

『ルシエラや他のアクリラ関係者は、所属国が勝手に連れてきた人員だから、ルクラに直接行けないんだよ。 まずその前に周辺に設定された各国の拠点に行かなきゃいけない。

 だけど俺達はその逆で・・・まずルクラに行かなきゃいけないってこった』

『なんのために?』

『”政治パフォーマンス”だろ。 ”俺達が来た”ってことを大々的に知らせる必要があるんだよ』

『・・・めんどくさそう』


 モニカから警戒心と嫌そうな感情が滲み出る。

 実際、面倒くさい。

 だが、アルトやルシエラの反応はそれだけが理由ではなかった。


「でも今日は・・・魔王も同じ正門から入るらしいんです」


 だろうね。

 アルトの緊張と、ルシエラのあの怒りっぷりも納得だ。


 今日は各国の”ルクラ入り”が始まる日。

 俺達がわざわざここで一泊したのも、おそらくそれが理由である。

 トルバにとって、今日の正門は一大イベントなのだ。

 だが、だからといって問題の人物同士をむやみに接近させるのはどうなのだろうかとも思うが、どうせ接近するのだから、時間をずらせば良いだろうというのも理解できる。

 それに見方を変えれば、俺達にとってもこれは大きなチャンスだ。


 モニカがアルトの肩をポンと叩く


「準備、おねがいできる?」


 モニカがそう言うと、アルトは苦し気に頷いた。





 宿屋の前に行くと、頭の上でユリウスが「助かった」といった感じでこちらに首を向けてくる。

 普段の超然的な彼の雄姿は何処にもない。

 だが無理もないだろう、主人がこの有様では。


 俺達は何事かと周囲を取り巻いていた集団を掻き分けながら、騒ぎの中心部へと足を進める。 

 流石に宿場町のど真ん中で怪獣を出して威嚇すれば、人は集まる。

 だが皆、巻き込まれるのが怖いのか近づこうとはしていないらしく、意外と人混みの層は厚くはなかった。

 無理もない。

 騒ぎの中心部では。ルシエラが全身の魔法陣を光らせた”威嚇モード”で、護衛役のトルバへ食って掛かっていたのだ。


 しかも先程と違って、手を出し始めている。


「だからそれは認められないって言ってるでしょう!!」


 そう言いながら、人差し指を兵士の兜に押し付けるルシエラ。

 兵士は可哀想に、今にも頭が吹き飛ぶ恐怖の中でなんとか説得しようと試みていた。


「トルバが責任を持って万全の警備体制を敷いていますので!」


 兵士がルシエラに向かって縋るようにそう説明する。

 だが、当然ながらルシエラの反応は辛い。


「モニカが死んだ後に責任なんて取られても困るのよ!」


 そう言って突きつけていた指に力を込めてグリグリと押し付ける、すると不思議なことに複合素材製の硬い兜が、ゴムのように凹みだしたではないか。


「本気で”責任を取る”というなら、今すぐこの状況になった責任をとって私の言うことを飲みなさい!

 モニカが死んだときに取らされる”責任”に比べたら、何でも無い事の筈よ、その程度の責任も取れない奴が、偉そうに”責任”なんて言葉を口にするんじゃないわ」


 ルシエラのその強烈な言葉にトルバ兵が慄く。

 だが彼も、”NO”という返事は持って帰れないらしく、”絶対者ルシエラ”の強烈な怒気に晒されて尚、彼の足は地面に縫い留められたように動かない。

 間違いなく、この場で一番追い詰められているのは彼だ。


「あ! モニカ様!」


 俺達に気づいた兵士が、地獄で仏を見つけたかのような表情で見てきた。

 が、その瞬間、とんでもない表情のルシエラがこちらを振り向いて、モニカの体が本能的に固まってしまう。

 ルシエラの表情は、「なんで今出てきたんだ!」といった怒気に満ちていた。

 ここまで怒っているルシエラは初めて見たかもしれない。

 その底知れぬ恐怖は、殺気とかにそれほど敏感ではない者でも縮み上がるレベルである。


「モニカ、下がってなさい。 安心して、あなたは私達と一緒に行くから」


 ルシエラのその声には、梃子でも動かぬという硬い意志が滲んでいた。


「ルシエラ・サンティス! そこまで・・・」

「グルルゥアアア!!!」


 横から止めに入った者をルシエラが竜の唸りのような声で押しのける。

 見れば、あれはクリステラの役人ではないか。

 自国の重要人物の醜態を見かねたのだろうが、竜の尾を踏んでしまったらしい。

 魔力酔いも含めてルシエラの興奮が目に見えて上昇し、トルバ兵を掴む手の力が上昇して、兜がメキメキ言い始めた。


「ルシエラ!」


 これはマズイと思った俺達が止めに入る。

 ルシエラと兵士との間に体を割り込ませて、彼女に抱きつくように引き剥がした。

 するとルシエラも流石にやりすぎと感じたのか、顔はまだ興奮気味だがトルバ兵を掴み直そうと伸ばした手は力ないものだ。

 だが抜けていた力は、その動きのまま俺達の肩を掴むときには完全に戻っていたが。


 転がるようにルシエラから逃れたトルバ兵が、なんとか距離をとって俺達を見る。

 その目にはなんともいえない葛藤が見て取れた。


「・・・モニカ様、お連れ様とルクラ行きの馬車へ乗ってください。 お願いします」


 そう言いながら変形した兜を脱ぐトルバ兵。

 兎人というのか、現れた長い耳が下を向いてプルプル震えている。

 どうやら”ブチ切れ竜ルシエラ”の説得は諦めて、俺達に直接願うことにしたらしい。


『どう思う?』

『どうって言われてもな・・・』


 俺がそう答えると、モニカはルシエラの視線をじっと見つめ、それからトルバ兵、エリク、アルト、スコット先生と続けて見て、頭を上に向けて困惑気味のユリウスを見つめた。

 俺達の視線に、青い巨竜が「頼むから」といった懇願の表情を返す。

 だが彼も内心では彼もルシエラと同意見だろう、これはさっさと「行かない」と突っぱねろって顔だ。


 さて、俺達の”希望”は決まっているがどうしたものか。


『まあ、トルバが俺達の正門入りに固執する理由だよな』

『だよね』


 正直、意味がわからない。


『平和のための会議の初日に、いきなり件の敵対者がぶつかって賓客が死亡しました、めでたしめでたし・・・』

『わー』


 モニカが俺に乾いた拍手の映像を流してくる。


『ありがとう。 まあ、そんなわけにはいかないってこった』


 そう、いかに問題児といえど、これから各国の国賓達が通る正門上で刃傷沙汰など発生してしまったら、ほぼ間違いなく会議は流れるか、大混乱になるだろう。

 そんな神経の太いやつは中々いない。

 そして”ラクイア”は気軽に延期できるような代物ではなかった。

 各国の戦力の配分の決定や特級戦力の認証は、ここ数年間の軍事力の確保に影響してくるからだ。


 この会議で申し出なければ、それはビルボックス条約承認外の違法戦力となる。

 各国とも、そういうのは普通に持ってるだろうが、新兵皆が違法戦力というのは流石に面倒くさい。

 つまり会議が出だしで流れればトルバの面子は地に落ちる、いや承認を求めている構成国の行動を止められないのだから、それどころではないか。


「先生たちはどう思います?」


 モニカが横から成り行きを見守っていた付添のアクリラ教師陣へ、質問を投げかける。

 具体的には特にこの場で判断を仰ぎたい最前列の2人、俺達の”バッジの先生”ことスコット先生と、俺達の”諸問題”を担当してくれているサンドラ先生に。

 するとスコット先生が、苦々しげに兵士達を見た。


「名目上とはいえ、君はトルバが正式に要請した”賓客”だからな。

 有象無象と同じではトルバの立つ瀬がないのは分かるし、問題はないとは思う。

 話を聞く限りでは私は同行できるし、トルバも何らかの安全対策を施しているのだろう。

 だがそれを明らかにしていないのは不満だな」


 なるほど、「行っても良いが、気に入らない」って感じか。


「サンドラ先生は?」


 モニカがもう一人の方へ話を向ける。

 するとサンドラ先生は、少しだけ怖そうにルシエラを見ながら意見を述べた。


「行ったほうがいいでしょう」


 その瞬間、俺達の腕の中でルシエラの怒気が膨らみ、強烈な力でサンドラ先生の方にわずかに引っ張られる。 

 だが先生は、「まあ、聞け」とばかりに手を上げて、ルシエラを制していた。


「トルバに安全を保証させる意味合いがありますし、モニカさんがルクラに来たという宣言にもなります。

 今のモニカさんは2大国の認証を受けたアルバレス貴族の嫡子なのです、政治的に非常に強固な立場ですから、むしろ隠れる方が心象は良くないでしょう。

 堂々としている方が安全なのです。

 魔国側は公的にモニカさんの処断を宣言しているわけではありませんから、正式な手続きを踏まない行動は、魔国の正式認証にもかなり致命的な影響を与えます。

 仮に大魔将軍本人と鉢合わせたとしても、何もできません」


 サンドラ先生はそう言うと、トルバ兵達の空気が希望の色を帯び始める。

 ただし、「まあ、正式な手続きを踏んでからでもどうとなるという、現状があればこそですが」と、付け加えて釘を差すのも忘れない。

 

 なるほど、意外にも彼女は”積極的賛成”というわけか。


「その大魔将軍が、短気を起こして攻撃してきたらどうするんですか? 誰も止められないですよね?」


 ルシエラが食って掛かるような口調でサンドラ先生に詰め寄る。

 だが味方からの思わぬ攻撃に、彼女の勢いはかなり削がれていた。

 そこを畳み掛けるようにサンドラ先生が続ける。


の大魔将軍は、トルバ独立戦争の最終戦で、あと一歩でトルバに大打撃を与えられる場面でも、当時エドワーズの外交官だったミューロックと締結した口約束を守りました。

 その後も、現魔王即位に反対する勢力に支持を表明されても頑としてそれを聞かず、むしろ現魔王の兵として反対勢力を鎮圧したそうです。

 その事からして、道理は通す人物かと。

 その辺は、スコット先生の方が詳しいのでは?」


 サンドラ先生のその言葉に、スコット先生が苦々しげに頷いた。


「大魔将軍については、問題はないだろう。

 もし接近を許した程度で襲ってくるくらいのつもりでいるなら・・・・・・もう既にモニカの命はない。

 もし、いつでも好きにできる状態を”制圧”と呼ぶならば、ここはもうシセル・アルネスの”制圧圏”の中といえるからな。

 むしろ、証人の少ないこの山の中で立ち止まっている方が危険と言えるかもしれない」


 スコット先生のその言葉にその場の全員の顔が引きつった。

 もう、ルクラまですぐとはいえ、まだ魔王一行との間には天を衝く山が幾つも挟まっているのだ。

 それを無いかのように”制圧圏”とは。


 だがスコット先生の言葉を否定できる者はいない。

 彼は間違いなく、大魔将軍の実力を最もよく知っている人物だからだ。


「なら、スコット先生は、わたしがルクラに行くべきだと思います?」


 モニカがそう聞くと、スコット先生は渋い表情で頷いた。


「サンドラ先生の言うとおり、堂々としている方が安全だ。

 少なくとも君の身が政治的に安定しているうちはな」


 なるほど。

 モニカがコクリと頷く。

 そして、その表情にルシエラが愕然となった。


 モニカの表情が、見るからに”行く気満々”だったからだ。

 それはもう、”嫌々消極的な賛成”などではなく、何だったらウキウキ気分で大魔将軍に握手を求めに行きそうな表情である。

 流石に、少しは取り繕えと俺が指摘しても、あまり上手く隠れはしなかった。


 ただ、それも無理もない。

 何せ”ルクラ直行”は、俺達が事前にこっそりにでも強行しようとしていたことなのだ。

 それが意外と簡単に叶いそうな場面を逃す手はない。


 もちろん俺達の安全を軽視しての事ではなく、その逆だがな。


 俺達にとって今重要なのは、ルクラに直接乗り込めるという事実だ。

 なぜなら、いざとなればルクラから逃げねばならぬのだから。

 つまり、事が決まるまでの間に、これまで以上の徹底的な測量と”下準備”を施しておきたいのである。


 だが、自分達の進退が話し合われる場の近くを、俺達がチョロチョロ動くのは如何にもリスキーだろう。

 当然、会場入り後はアルバレスが用意しているという陣地に引き籠もることになるに違いない。

 となれば最悪の場合、俺達がルクラの街に入るときは、3超大国が仲良く俺達の”解体パーティ”をする状態になっていた、なんてことが考えられるわけだ。

 逃げようにも、来たばかりの見知らぬ街では不安が強い。


 それが今や、トルバの安全保障の中、堂々とルクラに行けるというではないか。

 渡りに船である。

 何だったら、観光案内でもしてくれれば最高だろう。


 流石にトルバ兵の前でそんな逃げ算段の話はできないが、モニカはルシエラに少しでも、これは重要な事であると説得を試みていた。


「スコット先生と、エリクがいるし」


 モニカのその言葉に、ルシエラがスコット先生と、遠巻きに見ていたエリクを値踏みする。

 だが、当然ながら彼女のお眼鏡に叶うわけもなく。


「・・・戦うつもりなの?」

「ここには戦いに来た。 全部こわす準備と覚悟はできてる」


 モニカが強い口調で訴える。

 その言葉の裏にある、俺達の計略に気づいてくれと。

 だが、ルシエラは何かを察したように眉を緩めはしたものの、反対の姿勢は崩さなかった。


「モニカはいつもそうやって煙に巻く、あなたの命の事なのよ」

「わかってる」

「・・・はぁ」


 ルシエラは溜め息をついたあと、徐にエリクとアルトを手招きした。

 2人の表情が怪訝そうになる。

 これまでの馬車の中である程度知り合った中とはいえ、こんな風に気軽に呼ばれるほど友好的になったわけではない。

 だがルシエラはそんな些細なことなど気にするつもりはないらしく、おっかなびっくり近づいてきた2人の肩をガッシリと捕まえると、そのまま捻り込むように抱き寄せた。

 急に形の良い胸が顔に当たったエリクが顔を赤らめながらバタバタするが、少年が力で怪物に勝てるわけもなく、そのままルシエラが取り出した謎の魔道具を腰のベルトに付けられていた。


「いい? 何かあったら、ここに魔力を流しなさい。 必ずよ」


 それは松ぼっくりのような見た目の通信用魔道具だ。

 かつての俺達なら、その謎の物体を訝しんだものだが、今や魔道具が専門なのでそれがなにかひと目で分かってしまう。

 まあ、以前それを”パクった”のだから、分かるもなにもないのだが。


 魔力を入れて起動すると、爆ぜるように強烈な信号を反響させながら発するその仕組は、ある程度離れた位置からでも緊急信号の発信と、位置情報を伝える事を可能にする代物だ。

 手榴弾程度の大きさだが、これでも小国程度の範囲なら問題なく届くし、即座にルシエラはエリク達の居場所を検知できるだろう。

 なにせ、これをちょっと大型化して巨大な昇圧回路と蓄魔式ジェネレータで上下に挟んだだけの柱みたいなのが、ドラン伯爵の城の城門に突き立っているのだ。

 あれは大陸より広範囲をカバーできるからな。


 だがそんなものを、俺達ではなく彼等に渡すということはだ・・・

 俺達はその事に気づいて、苦々しく心の中で自嘲した。 


 どうやら俺達の信用は地に落ちたらしい。

 

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