2-21【静かな雨音 14:~4匹の小人~】


− 魔国の小人


 

 その日、トルバ南部のある一帯に緊張が走った。


 山深くの捨てられた廃村に、ラクイアへ向かうアムゼン魔国の一行が休憩場所として滞在しているというのだ。

 公式には伏せられた筈のその情報は、またたく間に国一つほどの面積を駆け巡り、様々な者をその一帯に集結させ始め、周囲の村落に異様な光景を広げていった。


 魔人に親族を殺されたもの、魔人を快く思わないもの、魔国が国際的な場に出ることを阻止したい小国のもの、魔王の持っているとされる財宝が目当てのもの、単に腕に覚えがあり魔人相手に試したくて仕方がないものまで。

 特に魔国時代の迫害が激しく血の気の多い種族柄が影響してか、獣人の姿が目立つ。

 そしてよくある話として、血の気の多い獣人というのは大抵、山賊なり盗賊なり、とにかく”賊”と呼ばれるような連中ばかりになる。


 彼等が魔国の一行と相対したとき、それが和気あいあいとした親善の宴になると思う者はいないだろう。

 実際、彼等の頭にあったのは、如何に魔王を虐殺するかということだけだ。


 彼等は数日も経つと、とある峡谷の間に通る狭い街道の上にキャンプを張っていた。

 その数を把握している者はいないが数千は下らないだろう。

 この一帯に集まった者達が最初にやったのは、魔国一行の通るルートを絞り込むこと。

 だがそれは殊の外簡単だった。

 ごく少数の人数が数日の間野宿をするなら話は別だが、非戦闘員を大量に抱えた”やんごとない一行”が通れる道はいくつもない。

 そしてその全てがこの峠を通るルートだというではないか。

 

 峠を越えた所で門番のように、特に大柄な獣人が数人横並びで立っていた。

 いや、身長15ブルを超える象獣人の体躯を”大柄”で片付けるのは無理があるか。

 そんな者が狭い道に広がって並ぶのだから、ここを通る通行人はさぞ圧迫感を感じることだろう。

 実際、極稀に通り掛かる旅人達は彼等の姿を見て皆ギョッとし、中には引き返す者もいた。


 そんな状態が何日か続き、集団の中に居た盗賊などによって近隣の村が略奪しつくされた頃だ。


 目の良い鳥人が上空から地上に合図を送ってよこした。


 ”魔人がくる。 数は5!” 


 峠に並ぶ者達がその報せに気色ばむ。

 と同時に獣人たちを中心に嗜虐的な笑みが広がった。

 いよいよ魔人達に出会うことができる。

 皆、最初は嫌がらせができれば御の字と思って集まったが、これだけの戦力にまで膨れ上がれば魔王の首を撥ねることも容易だろう。

 魔王の護衛は手強いだろうが、一癖も二癖もある屈強な者が数千人で掛かれば物の数ではない。


 残念ながら彼等の中に、かつてたった1人の魔人に数万を超す兵が散った事もあるという、”歴史的事実”に真剣に目を向けるものは居なかった。

 数十年に渡る平穏期によって薄れたのか、それともその程度の学すらない者しかやってこなかったのか。

 とにかく彼等の運命は、峠の稜線に5人の影が見えた時点で、もう引き返すことのできない状態に陥ったのだが、それに気づく者はいない。


 5人の魔人は、唄に聞く紫色の肌に白地の丈の長い衣装を身に纏っていた。

 顔は民族衣装の長いフードに覆われて見にくいが、全員が線の細い少年や少女に近い顔立ちで、年重の者も皺が増えるだけで他の種族に比べれば顔の造りは幼く見える。

 額から頭にかけて金色の装飾を付けているが、あれは”金”ではなく魔人達に古来より伝わる独自の合金だ。

 そして真ん中の1人を除き、全員がその合金で作られた繊細な装飾で着飾っていた。

 その容貌と纏う雰囲気からして、彼等は明らかに非戦闘員のだろう。


 だが真ん中の1人だけは、その合金製ではあるが装飾ではなく無骨な鎧を身に着けていた。

 迎え撃つ集団の中で腕の立つ数人が訝しむ。


 戦闘員がたったの1人だと?


 この峠に集まる集団は別に隠れていたわけではない。

 むしろ賊達が派手に暴れて、周囲の村を略奪していたので大変目立ったことだろう。

 つまり魔人達はここで大戦力に待ち伏せされていることを知っていたはずだ。

 なのに戦力がたった1人とは。


「どうやら魔人達は、自分達の力を随分と過大に評価しているようだ」


 一番身体の大きな象獣人の戦士が不敵にそう言うと、周囲からドッと笑いが起きた。

 そりゃそうだ、どれだけ警戒しても所詮はたったの1人なのだ。

 気にするところではない。

 数の力で押しつぶしてしまえばいいのだ。


 だが、そんな様子の集団に対し、5人の魔人達は毛ほども脅威を感じていないかのように穏やかで、ただ峠道いっぱいに詰め込まれた数千の集団を、運悪く通った道にぶち撒けられたゴミでも見るかのように不快げに見下ろすだけ。

 端の1人が集団に向かって語りかける。


「これより、アムゼン魔国の魔王様がお通りになられる。 速やかに道を開けられたし」


 その声は小さなものだったが、不思議なほど集団の全員の耳にハッキリと聞こえた。

 よく見れば、その魔人の額の装飾が一部開き、魔力で薄く光っているではないか。

 ではあれが魔人の一部が目覚めるという”三眼さんがん”なのだろう。


 だが問題はなしとばかりに、象獣人が大斧を抱えたまま一歩前に踏み出した。


「我々はトルバの正式な許可を得た外交員です。 その道を阻害する意味をあなた方は理解していますか?」


 端の魔人が再度問いかける。


「知っているさ、だが魔王の首はいただく」

 

 象獣人の男が自身の身の丈に匹敵する大斧を振り上げ、そこに魔力を流し込む。

 15ブルの巨体の生体魔力網が作り出す膨大な量の魔力は、大斧の刃を黄色く光らせ周囲を地上の太陽の様に染め上げた。

 それに続くように、周囲の者達も同様に戦闘の構えを取る。

 その殆どが、自らの武器を輝かせるほどの魔力を持っていることから見ても、彼等が唯の在野の戦士達ではない事は明白だった。

 仕官すれば”エリート試験”すら簡単に突破できるものが何人もいる。


 その喧騒に、少し遅れて峡谷に詰めていた者達が合流してきた。

 すぐ近くとはいえ、これほど僅かな時間でキャンプから武装して行動できるとは、彼等の練度もまた、峡谷の戦士達に引けを取らないのは間違いない。

 それはもはや、”軍勢”といって良い程の光景だ。


 だが魔人達は、中央の一人を残して不敵に見下した表情のまま。


「警告はしましたよ」


 端の魔人がそう告げる。


 その瞬間の事だった。

 中央で唯一人表情を崩さぬままの武装の魔人が、その表情と姿勢を変えぬまま、存在感だけを膨らませたのだ。


 そして、それが峠に集まった者達の最後の認識となった。



 数瞬後。



 そこには、つい一瞬前までとは全く異なる景色が広がっていた。


 数千人のキャンプが、草一つないただの平地になっていたのだ。

 そして先程までの喧騒が嘘のように静寂が支配している。

 ただ、そこにいた者達が瞬間的に感じたであろう”恐怖”だけが残っていた。

 両側の山腹で難を逃れた木々までもが、その”恐怖”に体を強張らせているかのように葉音一つ立てない。


 彼等はいったいどこに行ったのか?

 峠道はこんなに広くなかったはずだが。

 その答えはすぐに理解できた。


 突如として、静寂を押し潰すような轟音をあげて真っ黒な・・・所々に赤い点の混じった”灰”が大雪の様に、新たに生まれた平地の上に振り始めたのだ。

 勘の良い者であれば、それがそこにあった”もの”を砕いた破片だと気づくのにそれほどの時間はいらないだろう。


 そしてその灰の雪の中を、いつの間にか平地の中心部に移動していた武装の魔人が悠然と闊歩し、動かなかった4人の魔人達の所に歩み寄った。


「御苦労様です閣下」

「流石ですな」

「痛みを与えぬとは慈悲深い」

「閣下は魔人の誇りだ」


 4人の魔人が口々に武装の魔人を労う。

 その目には称賛だけではない誇らしい感情が見て取れる。 

 だが、武装の魔人は表情を変えぬまま。


「ミューロックに良いように使われてしまった」


 と、トルバ首都国エドワーズの現大統領に対する言葉に、僅かばかりの不快気な感情を乗せるだけだ。

 そしてそれを見た魔人達が、ホホホと小さく笑い声を上げる。


「彼等も、まさか不穏分子が溜まるまで、我々があのゴブリンに出発を止められているとは思わなかったでしょう、いやはや怖い子鬼だ。

 参列ついでにゴミ掃除をさせるとは、これも”新参への洗礼”とやらでしょうか」


 そう言って、内側の魔人が降り続ける灰を眺める。

 すると反対側に立つ魔人が首を軽く振った。


「いや、彼等も”大魔将軍シセル・アルネス”の手によって最期を迎えたのですから、これ以上の栄誉はないでしょう。

 いや立ち向かったのですから、黄泉の国では英雄と呼ばれるに違いない」

「蒙昧な蛮勇と、謗られるかもしれんでしょうがな」


 魔人達はそう言いながら、武装の魔人を熱い視線で見つめる。

 すると”シセル・アルネス”は明らかに叱責する声色でそれを咎めた。


「今はただの”魔将軍”だ、何度言えばわかる。 それに”大魔将軍”は戦時中の特別役職、煽てるにしてももう少し場面を選べ」


 その言葉に”大魔将軍”と口にした魔人が恭しく頭を下げる。

 だが、その目には一切の反省の色はなく、他の3人もそれに同意するように微笑んでいる。

 本人がなんと言おうとも、”大魔将軍シセル・アルネス”は、永遠の大魔将軍なのだ。

 そして、その”真意”は魔人の全てが共有していた。


「通行路の安全は確保した」


 シセル・アルネスがそう言いながら4人の魔人の横を通り過ぎ、来た道を戻り始める。

 だが並ぶ魔人の1人が注釈を付け加えた。


「ですが出発は明日になりそうですね」


 その言葉にシセルが振り返る。

 そこには、依然として大雪の様に振り続ける灰の光景が。

 高位の魔人ならば問題ではないが、魔王一行の全員がそうではない。

 これだけ濃い灰の雪では呼吸が続かないだろう。

 それに生存可能ではあっても、灰に塗れればこれ以上ない程不格好になるので、灰が落ち着き空気が澄むまでは通らないのが賢明だ。

 だが、シセルは譲らない。


「いや、出発は今日だ。 ここで数日を無駄にした、予定通りにつくには止まってはいられぬ」


 振り向きもせずにそう呟くとその瞬間、まるで世界がシセルの意を汲んだかのように突然平地が晴れたではないか。

 そればかりか深々と降り積もった灰までもが嵐に巻き込まれたかのように風に吹き上げられ、そのまま両脇の山の稜線を越えて飛んでいく。

 だが魔人達の側にそんな暴風はない。

 制御された現象だ。

 間違いなくこの魔人の力だろう。

 だが魔力に敏感な魔人でさえ、これほど近くにいて何をしているのか分からない。


「さて、魔王様は起きられますかな」


 その壮大な光景に端の魔人がそう言ったときにはもう既に、平地には灰の一欠片もなく、そこにほんのつい数瞬前まで数千人の大舞台が居た痕跡はまったくなかった。







 場所は山1つほど移って魔王の陣内。 



 その廃村に設けられた魔人達の中継地の、かつての村長の家を突貫で改装して作った魔王の宿泊所、その最奥の間にある魔王の寝所で、そこに据えられた特注のベッドの布団を侍従姿の魔人が掴んで揺すっていた。


「アイヴァー、もうお昼ですよ。 起きてください!」


 侍従姿の魔人がそう言いながら何度も掛け布団を引っ張る。

 だがその布団は、まるでベッドの中心部に縫い付けられたかのように抵抗していた。

 ただ、それも侍従姿の魔人の表情が少し曇るまでの事。

 魔人が、見る者がいればそれと気づく強靭な腕に少し力を込めただけで、布団の上の部分から角の生えた紫色の丸い物体がニュッと現れる。


「ぅぬぬ・・・トリオン、ひっぱるなぁ」


 紫色の丸い物体が嫌そうな表情でそう言う。

 だが”トリオン”と呼ばれた侍従姿の魔人は、そんなことはお構いなしにと、にこやかな笑顔で駄々をこねるアイヴァーの布団を力づくで奪い取った。


 布団を奪われた現魔王、アイヴァー・オルセン・ルイーセ4世はまるでこの世の不条理にでも出くわしたかのような表情で、トリオンを見つめた。


「うう、もう少し寝かせろ。 わらわは長旅で疲れておるのだ」

「昨日もそれを聞きました。

 もう足止めを食らってから何日経ったと思ってるんですか!

 疲れなどとっくに癒えたでしょう!」


 トリオンの叱責が魔王に飛ぶ。

 大陸中の者が恐れ慄く”魔王”も、だらしのない寝間着に装飾のないつるつる頭を晒しては、威厳などかけらもない。

 本人もそれをわかっているのだろう。


「うるさい!うるさい!」


 すぐに作戦を”だだっこ”に切り替えた。

 勿論、トリオンはそんな行為が通用する相手ではない。


「もう既に広間に皆集まっております、待てません。

 諦めて起きてください、魔王様」 

「じゃあ、もう少し待たせよ。 妾は魔王だぞ、魔王の言うことがきけんのか!」


 アイヴァーがそう言って膨れる。

 だが、それを見たトリオンは呆れ顔を隠そうともしなかった。

 幼い見た目で一見するなら子供のようにも思えるが、このアイヴァーはもう既に40を超えた立派な”大人”なのだ。

 身体的成人まで100年以上かかる魔人といえども、頭の成長が他種と比べて遅いわけではない。


 だというのにこの魔王は・・・


「シセル閣下が出発をお決めになられてます。 もう皆動いてるのですよ」


 トリオンはそこまで言って、”あ、しまった”と内心で呟いた。

 予想通り、アイヴァーの顔がどんどん不機嫌なものになり、頬を膨らませ始める。


「そんなに”シセルが、シセルが”と言うなら、あいつが魔王をやれば良いではないか!」


 アイヴァーにとって、異腹の兄姉である大魔将軍”シセル・アルネス”はあまりに大きな目の上のたんこぶだ。

 普段から皆に比べられ、やれ”シセルはそんな事しない”、やれ”シセルならもっと上手くできるぞ”、やれ”シセルのようになりなさい”と言われ続けているので、いつしかその言葉にストレスを感じるようになったらしく、”シセル”という単語が聞こえるだけでその日は機嫌を悪くする。

 だがトリオンも、今日は引くわけには行かない。


「何度も申し上げているように、先代の遺言を無下にはできません。 あなたは魔王なのです! 子供みたいに拗ねるのはやめてください」

「先代は気が触れておったのだ、皆そう言ってるではないか」

「気が触れてようが、いまいが、先代の遺言は遺言です。 ほら、立ってください」


 そんな風に、いつもと同じ口調で口論を終結させてアイヴァーを急かす。


 魔王といっても着替えに時間がかかるわけではない。

 軽く体を拭いて下着を着させ、その上に中に着込む形の装飾を着けると、そのままフードのようなヴェール付きの外套を着させれば魔人の衣装はほぼ完成だ。

 アイヴァーは魔王なので装飾の類が非常に多いが、それ以外は他の魔人と同じく至ってシンプルな造りである。


 トリオンは、アイヴァーの角に装飾をつける合間に化粧用の絵の具のついた筆を差し出し、それを受け取ったアイヴァーが、忌々しげに自らの額にある塞がった瞼に輪郭を描く。

 彼のその三眼が開くことはなく装飾に隠れるとはいえ、魔王である以上は”目”として扱わなければならない。

 魔力を司る専用器官である”三眼”は、魔人が”魔人”たる所以である。

 そして魔人にとって究極のアイデンティティである三眼に他人が触れるのは、幼い内に親にされる以外はあり得ぬ事だ。

 

 そうして一通りの装飾を終えた所で、トリオンは一つ息を吐いた。

 これでようやく、家臣たちの前に出せる。


 簡易とはいえ魔王の衣装に身を包んだアイヴァーの姿は、それなりに見えるものだ。

 ・・・その、不機嫌な顔をなんとかすればだが。


 それでもアイヴァーは、抵抗しても無駄ということを飲み込んでくれたようで、少し目を閉じて息を整えると、パッと目を見開いて扉の方を睨んだ。


「行くぞトリオン。 妾に付いて参れ」






 宿泊所を出ると、道に広がるように大勢の魔人達が出迎えた。

 皆、当たり前のように旅装を終えている。

 アイヴァーはキリリとした表情でそれを確認すると、魔力を使ったり叫んだりせずとも不思議と心に響く声で発した。


「トルバ連合政府からの通達があった。 我らは、これより出発する」


 その威厳に満ちた声音は、ほんの一瞬前のアイヴァーの姿からは想像もできないものだった。

 家臣達もその言葉に身を引き締め、続く魔王の檄に士気を高めていく。


「此処から先はトルバ中各部を通ることになる、宿泊可能な場所も減り、人の目もより厳しいものになる。

 諸君らには苦労をかけるし悔しい思いもするだろう、だが飲み込んでほしい。

 我等の行動にはこれから先、全ての魔人達の運命がかかっている」


 アイヴァーの言葉に家臣たちは頷き、拳を握り込んで自らに伸し掛かる責務を噛み締めている。


 まったく・・・この子は。


 トリオンは目を伏せる。

 見ての通り魔王としてアイヴァーに不足がある訳ではない。

 三眼の開かぬ魔王は初めてではないし、アイヴァー以上に幼い魔王だっていた。

 何よりこの我儘で甘えたがりの魔王が見せる、この自覚だけはちゃんと持っている姿勢は、大変好ましいとトリオンも思っている。


 だからこそ、と、トリオンは思う。


 これ程までに、憐れな魔王もそうはいない。

 今の魔人達の心にある「もっと相応しい者がいる」という感情に、なぜ曝されねばならぬのか。

 なぜ天に座す魔神はこのような運命をアイヴァーに与えたのか、と。


 その時、家臣の列が割れた。

 通りの空気が一気に変わり、それまで支配していたアイヴァーの存在感が一瞬で塗りつぶされる。


「大魔将軍閣下の入場!」


 誰かが叫んだ。

 未だ戦時気取りの老将官だろう。

 その言葉に続いて、斥候として出ていた5人の姿が現れる。


 トリオンは無意識に開けていた額の三眼を閉じた。

 かつて魔将軍として最前線を戦い抜いたトリオンの三眼の感度は高く、魔力を流して戦闘態勢に入らなければ、やってくる者の強烈な魔力に目が眩んでしまう。

 周りを見れば、血気盛んで跳ねっ返りの若将兵以外の三眼が開いている者達も、トリオンと同じ様にまるで目を伏せる様に三眼を閉じていた。

 それは魔人にとって究極の服従の姿勢。

 魔王にすら向けぬ程の。


「進路上の障害を取り除いて参りました。 我等の進行を遮るものはございません、陛下」


 最強の魔将軍シセル・アルネスが、まるで石でも拾ってきたかのような口調でそう報告した。

 そしてその言葉に、家臣たちが誇らしげに破顔する。

 魔王の御前というのに気にする素振りもなく、ただ当たり前のように最大の称賛と忠誠の瞳をシセルに向ける彼等の表情が雄弁に語っていた。


 ”ああ、シセル・アルネスが魔王であれば良かったのに” と。


 それを感じたトリオンは、自分の顔を手で揉んで表情を消した。




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− 皇国の小人



「皇帝陛下!! ご出立の儀に御座います!」


 旧オルドビスの古い民族衣装を着た役人が叫ぶ。

 その声の先には皇邸の巨大な広場に所狭しと並ぶ軍勢の姿が。

 彼等はアルバレスの中核をなす”オルドビス帝国”の守備兵と、皇帝の近衛としてそれに見送られるラクイア参加の将兵たちだ。

 そしてこの場は、これから”ラクイア軍事会議”に参加する彼等の出発式である。


 歴史の流れに飲まれて形骸化した肩書とはいえ、その威容は”皇帝の軍勢”といっても遜色ない迫力を持っていた。

 特に、最前列に跪くする”戦斧の勇者:エミリアン・ラロシュ”、”鏡の勇者:メルビン・デュマ”、”剣舞の勇者:レオノア・メレフ”の3人の勇者の存在感は、他の全てを圧倒している。

 この3人が軍事会議中の皇帝とアルバレス関係者の護衛を取り仕切る中核戦力だ。


 特級戦力である勇者の半分近くを捻出するというのはやりすぎに思えるが、その議題の関係上仕方ない話とはいえ、他の2大国の用意した超巨大戦力に比べてしまえば、これでも突出はしない。

 しかも話の流れ次第では、形式上アルバレス最高戦力である”モニカ・ヴァロア”を、こちらも形式上のトルバ最高戦力の”シセル・アルネス”が攻撃するという自体になりかねない。

 そうなれば、会議の席はいきなりかつての”大戦争級”の事態さらされることになる。

 そのため、まだ幼い皇帝の参加は危険との声もあったのだが、この危険な状況だからこそ、もはや公事以外に使い道のない皇帝を遊ばせておく理由はないと、アルバレスの主要三議会は結論を下した。


 役人の声に連れられて、皇邸の建物の幕が開けられ中から明らかに普通ではない装いの一行が出てくる。

 一際背の高い浮世離れした宦官に先導され、数人の派手な衣装を着た女官と、そこに引っ付く様に小さな少年が表に出る。

 その明らかに場違いに思える少年は、それが故に彼がこの超大国の”形式的な頂点”に君臨する皇帝だと分かった。


 皇帝に名前はない。

 誰も呼ぶ必要がないし、呼ぶのは不敬だからだ。

 だが、齢8歳の彼に、”皇帝”という名前に相応しい威厳などどこにもない。

 皇帝の身に付けている職人が丹精を込めて作った儀礼用の軍服でさえ、どこか玩具の様な陳腐さを強調する効果しかない。

 そしてそれが分かっているのか、皇帝は己の着ている儀礼服を摘んでは鬱陶しそうに顔をしかめていた。


 広場は皇帝が現れたことで儀式が次の段階に移り、進行役の役人が大音声で兵士達にその任務の内容を仰々しく伝えていく。

 いわく、どんな議題が話し合われるだの、どの国が友好国で、どの国がそうではないか、他国のめぼしい戦力は誰だの。


 その全てを、皇帝は不快そうな顔を隠すことなく聞き流した。

 全部、皇帝のいない所で話し合われているし、伝えられている彼等もこの役人など比ではないほど頭に叩き込まれているので、今更伝える意味はない。

 何より皇帝はその話を聞いた所で理解できないし、どうせ勝手に事は終わるのだ。

 むしろ下手に理解して皇帝が動けば、周囲の者共は皇帝を烈火の如く叱るだろう。


 だから皇帝はその間、数少ない自分が理解できる事柄で、なおかつこの外遊で皇帝が楽しみにしている事柄について考えを巡らせることにした。


「・・・イゾルタ、前より大きくなってるかな?」


 皇帝は横に立つ女官に問う。

 すると彼女は微笑みながらすぐに答えた。


「はい、イゾルタ様も成長期ですから、以前ご覧になられたときよりも大きく、お美しくなられておりますよ」


 その言葉に皇帝の心が少し暖かくなる。

 マグヌスの第4王女”イゾルタ”は、皇帝の婚約者だ。


 通常、権力によって定められた婚約というのは、政略結婚の中でも、殊更相手個人への好意は伴わないものだが、皇帝はイゾルタを悪くは思っていなかった。

 記憶のない頃から将来を決められていた仲というのは、それはそれで愛着が湧くし、彼女のほんわかとした空気もそれはそれで心が落ち着く。

 なにより可愛らしいし、同腹の兄の顔も整っているので綺麗になるだろう。

 でもイゾルタの”異腹の姉”には似ないでほしい。

 3人共とても美しいが、うっかり近づくと食い殺しそうな目で見てくるので皇帝には怖さの方が勝るのだ。


「イゾルタ・・・僕のイゾルタ」


 皇帝はつまらない式典の雑音が聞こえないように、なんども愛しい婚約者の名前を呟いた。

 どうせ何も知らないし、理解できないのだから、会議の間は彼女の姿を追うことに集中しよう。




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− 王国の小人



 ルブルムのマグヌス王宮でも、マグヌス使節団の大規模な出発式が行われていた。


 その総指揮を拝任されたのは、まだ若干9歳の第4王女。

 女ばかりを産んだウルスラ王妃と対象的に、男ばかりを産んだユリア王妃の初の女子である。


「それでは、行ってまいります。 お母様、お姉様」


 王族用の豪華な馬車の前で、第4王女イゾルタが丁寧に腰を折って、居並ぶユリア王妃とクラウディア王女に挨拶する。

 その姿は幼いながらも気品に満ちており、(主にウルスラ3姉妹を筆頭に)比較的開放的な現王族の中では異例なほど礼節を重んじている様子だ。

 その姿にユリア王妃は苦笑気味に微笑む。


「陛下が着くまでの間、苦労をかけると思いますが。 あなたなら問題はないと信じていますわ」


 折からの不祥事により、年齢による体調不良という事で国王はギリギリまでルブルムに残る事になったが、彼女はその代わりだ。

 主に前半のレセプション周りを担当する事になる。

 高レベル決定権を必要とする後半では役者不足だが、簡単な会議の認証や、もう既に合意しており形だけの締結を待つだけの条約等であればイゾルタでも問題はない。


「安心してくださいませ、非力な身でありますが私も王家の者、しっかりと務めを果たしてきます」


 イゾルタはこれまた丁寧な口調で所信を述べる。

 するとユリア王妃の横にいたクラウディアが、いつもの様に気さくな口調で声をかけた。


「行ってらっしゃい、何かあったら遠慮せずにガブリエラちゃんを頼ってね」 


 クラウディアがそう言ってからイゾルタを軽く抱きしめる。

 イゾルタとは対象的に王族らしくはない行為だが、そんな事を気にする彼女ではないので誰も止めない。


「心得ております」


 イゾルタはゆったりとしながらも優美な動きで礼を取る。

 だが、その内心ではまったく別の感情が流れていた。


 誰があんな”バケモノ”に頼るか。


 イゾルタにとって、ガブリエラは恐怖の存在でしかなく、姉妹どころか同じ人間とも思っていない。

 イゾルタの脳内には、今も王宮の壁に家臣達が頭から突き刺さっている、あの非現実的で恐ろしい光景がこびりついていた。

 大人しくなったと評判だが、そんな言葉を信用できるか。


 仮になにかの天変地異が起きて慈愛を獲得していても、あんなのを頼れば最後、”うっかり”で踏み潰されるのは目に見えている。

 だがイゾルタは成長した。

 アオハの叔母様から”バケモノ”は怖がるのではなく、別のバケモノにぶつければ良いのだと習ったからだ。

 家内に突発的な怪物を何人も抱えながら、特に力を持たない身でありながらそれらを振り回すあの手腕を見れば、イゾルタが目指すべきがあの姿だと理解することに苦労はない。


 それに聞けば、ラクイアにはガブリエラに比肩しうるバケモノが大量に来るというではないか。

 ならば自分は、踏み潰されないようにだけ気をつけて影に潜んでいれば、バケモノ同士が勝手に喰い合うだろう。


 姉妹と違ってイゾルタは無力だ、何の力もない。

 お母様の子供達の中でさえ、地味な部類だ。

 それでもイゾルタは、クラウディアの側近達に笑顔を振りまくと、彼等はだらしのない笑みを浮かべた。


 濃い兄弟姉妹の中でイゾルタは地味だが、同時に評判は悪くない。

 なぜならイゾルタは宮廷作法をしっかり守るし、貴族達の顔もしっかり立てる。

 王族として公務につくときに、イゾルタほど”安心する”と言われる王子おうこも居ない。


 周囲を振り回し勝手に想い人の所に飛んでいった長女や、天真爛漫と傍若無人を履き違えたような行動で全てを掻き乱す次女や、圧倒的力で慣習を捻じり潰す三女。

 彼女達の振る舞いは、一見するだけならば王族とはとても思えない。

 だが世論はそうは思っていない。

 それは彼女達が3人共強いからだ。


 イゾルタは、己がアクリラの入学審査を全く掠りもしない成績で落ちた時にそれを悟った。 

 それまで許されていた我儘が全く通用しなくなったのだ。

 

 まるで、”家柄”しか取り柄のない札か何かのような貴族達の目に、イゾルタは自分に残された可能性を直視させられた。

 側近たちは魔法学校の中等部編入試験に向けて準備するようにと語るが、イゾルタにそのような気はサラサラない。

 魔法立国の王家の子供だから、全員優秀な魔法士でなければならない?

 そんな決め事は典範のどこにも書いていないというのに。


 そのような無駄なことに割く時間など、イゾルタには残されてはいないのだ。

 どう考えても継承レースで勝てる見込みのない立場と実力、戦力的にも遺伝的にも魅力の薄いイゾルタを受け入れてくれる貴族など、碌なものではない。

 豪奢な生活は望まぬ方が良いだろう。


 だが女の武器は腕力だけではない。


 力がなければどうすれば良いか? 簡単だ自分より権力のある”馬鹿”に取り入れば良い。

 最初に一目見た時から、イゾルタの目標は定まっていた。

 イゾルタのラクイアでの目的は唯一つ。

 婚約者であるアルバレス皇帝の心を完全に掌握すること。

 モニカとかいう田舎貴族の話とか、魔国の承認とか、隣国の反乱勇者とか、トルバのビルボックス条約正式批准とか、世界を揺るがす大問題が山積しているらしいが、そんな事はどうでも良い、どうせイゾルタは”お飾り”なのだ。


 そんな事よりアルバレス皇帝の、あのイゾルタに向ける目を見れば彼に”脳味噌”と呼べる器官がないことは明白。

 だがアルバレス皇帝の妻となれば、超大国がまるまる手に入るのと変わらない。

 実権がない? 結構ではないか、面倒な責任もない。


 そのために、これまでしっかりと土台作りをしてきた。

 アルバレスの皇帝が出てくるような重要な国際会議で、”お飾り”として駆り出されるように、無法者の姉とは異なり大人しさをアピールしてきたし、ガッツリと根回しもしている。

 あの童子に甘い顔をする、のほほんとした脳味噌のない女を演じて既に皇帝のお気に入りにもなった。


 一通りの儀礼を終えて馬車に乗り込みながら、イゾルタは馬車の進路を見つめてニンマリと笑う。


 今回は、皇帝に対してあえて突き放した様な態度を混ぜてみる事にしていた。

 そうすればあの愚鈍な子供の事だ、内心はイゾルタの事で飽和し、たちまち虜になるだろう。

 そして、その塩梅の調整はイゾルタの数少ない姉に対する優位点だと自負している。


 せっかく喰いついたのだから離す訳にはいかない。

 そして行く行くはお母様のように、皇帝を尻に敷いて潰すのだ。



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− 北の小人



「ようやく着いたみたいね」


 馬車の窓からすっかり赤く染まった外を眺めていたルシエラが、少し疲れた声でそう呟いた。

 その言葉通り、俺達一行を乗せた馬車はゆっくりと速度を落として、それまで進んでいた街道から一歩入った場所に曲がる様子が、ルシエラの向こうに流れる風景から読み取れる。

 ガシャンと音を立てて止まった馬車から降りて体を伸ばすと、一つ前を進んでいたトルバ軍の護衛部隊用の馬車から降りた兵士達が、今夜の宿となる大きな宿屋の扉を開けるところが見えた。

 こんな大所帯、普通なら交渉は難航するだろうが、事前に話がついているらしく、宿の主人も分かった顔で持っているリストと馬車を確認している。

 着いたのは特に街とかではないが、それなりに人通りが多いのか宿が何件か整備されているので、この人数でも受け入れられるだろう。


 そんな様子を眺めていると、後ろから入ってきた別の馬車の馬に「そこをのけ」とばかりに鼻を鳴らされ、モニカが慌てて横に退ける。


「ボーッとしてたら、あぶないわよ。 もう少し中に入ってなさい」


 その様子に窓に肘をつくルシエラが笑った。

 確かに、この馬車の後ろにも別の馬車が控えているので、ぼんやりしていたら轢かれかねない。

 なので早く宿に入りたいが、それにはまだ少し時間がかかりそうだ。

 俺達は大人しく馬車の中に一旦引き上げると、馬車の到着が落ち着くまで後部座席に乗せているロメオの固定を外すことにした。


 俺達が今回の旅で乗っているのは、四頭立ての地方向けの馬車。

 トルアルム地域を日夜爆走している高速馬車ではなく、不整地とまでは行かないが街道の整備がそこまでではない地域用の中型馬車。

 当然、速度は時速50kmも出れば調子がよく、場所によっては歩いたほうが速い・・・まさに、いわゆる”馬車”である。

 これはアクリラ関係者をラクイアの会場まで移送するために出された合同便なので、他にも何台かの馬車が同じ車列となって動いていたが、徐々に増えているところを見るに、どうやら他の街を出発した車列とも合流しているらしい。

 少しでも身体を解そうと前屈運動中のアルトの体を俺達が押している間にも、次々と3大国の紋章が絡み合ったようなラクイアの旗を掲げた馬車が入ってきては、窓の向こうに俺達と同じ様な身体を伸ばしながら席を立ち上がる者達の光景を映し続けていている。 


 馬車の旅なんてヴァロア領に帰ったときに乗って以来、半年ぶりだ。

 字面だけなら別に対して空いているとは言えない期間だが、その間ひたすら”ワイバーン”で飛び回っていたので、久方ぶり感がなんとも強い。

 これが特に何でもない会議に招かれているだけだとするならば、飛んでいったほうが楽で確実だが、今回はマグヌスとアルバレスの警備体制の中で活動しなければならない以上、そのシステムに従うしかない。

 彼らの顔を潰して、いざという時に壁にもなってくれなくなれば、生存率に大きく影響するだろう。


 まあ、ルシエラを始め見知った顔が多いのでそこまで苦ではない。

 ルシエラも今回は俺達の護衛を第一目的に据えるらしく、クリステラから来た馬車と合流してからも俺達の乗る馬車での移動を強行し、向こうの外交官とアクリラの引率員達の顔面を蒼白にさせている。

 どうやら、このまま会場入りした場合、国際情勢がなかなか面白いことになるらしい。

 ルシエラは自分の国に対して、強硬に自分を会議に出席させるように求める文書を送ったらしいが、

 いつも出たがらない彼女を強制動員でもするかのような口調で招集する文書と行き違いになったらしく、出発間際になってなんとも微妙な空気になったのは別の話である。


 アクリラから軍事会議に出席する者はそれなりに多い。

 その特性上、アクリラ自体が世界の軍事バランスに直結してるような場所ではあるのだが、今年と来年卒業する各国の優秀生のお披露目を兼ねているのもあるだろう。

 これも戦略的外交ってやつか。

 ルシエラみたく、小国が大国に対して少しでも見栄を張るための戦力として駆り出されている者も少なくはない。

 まだ学生の身であるルシエラを前面に押さなければならないとは、小国というのは悲しくも大変なのだろうが、殆どの小国では”アクリラ生”というのは居るだけで、他の同レベルの国から頭一つ抜け出す戦力である。

 超大国は最高学年でもメンバーをかなり絞っているというのと比べれば、国家間の格差というのは非常に大きいらしい。


 ようやく落ち着いた馬車乗り場に改めて降り立つと、アルトがすぐに鞄状の魔道具から”次元収納”を開けて、必要な物品を取り出し始めた。

 貴族というのは宿に入るのにも色々と作法があるらしい。

 最初はゴネていたモニカも、もうこのクソ暑いトルバ中部の気候で上着を着なければならない事を愚痴りはしない。

 アルトには、俺達が練習がてらに作った魔道具を使って、俺達の”次元収納空間”へアクセスする権利を渡していた。

 何でも出てくる魔法の鞄を抱えたメイドというのはかなり有能そうだが、アルトはまだキャリア1年未満の新人なので、何をするにも動作が結構オロオロしているのが微笑ましい限りだ。


 だが、そんな微笑ましい様子をいつまでも見ているわけにはいかない。

 モニカが文句も言わずに上着を羽織ったのは、すぐにでも宿に入りたい理由があるからだ。


「もう入っていい?」


 宿の前でリストを確認している兵士に向かってモニカが催促するような声色で問う。

 もう既に”チェックイン”は終わらせているはずだ。

 するとその兵士は俺達の顔を見てから、自分の立っている宿とリストを見比べて頷いた。 


「はい、大丈夫ですよ」


 その兵士の返事を半分くらいしか聞かずに、モニカは扉のノブに手をかける。

 その急ぎっぷりは、後ろでオロオロしている間に俺達の姿を見失ったアルトが慌ててキョロキョロと首を回すほどだ。


 だが扉を開けた所で俺達に名指しで”待った”がかかる。


「待てモニカ! どこへ行く!」


 振り向くと、俺達の隣に停まった馬車から降りたばかりのスコット先生の姿が見えた。

 どうやら、急いで宿に入ろうとする俺達が心配になったらしい。

 その心はありがたいのだが、俺達は現在少し急ぎたい”理由”がある。


「あの・・・トイレです、急いでいいですか?」


 そのモニカの返答は、いつもよりも随分と声に棘を感じるものだろう。

 なにしろ、窓から中身を投げ捨てるタイプの”おまる”が使いたくないという俺の我儘を聞いて、もう1時間近く我慢しているのだ。


「あ・・・悪い」


 スコット先生はそう答えると、宿屋の中に悪漢がいないかを気配で探るように俺達の入ろうとした宿屋を睨んでから、視線を今しがた自分が確認中だった馬車の方に戻した。

 俺達もそれを見送ることなく、いそいそと宿の扉を開ける。

 主人が何か言いかけたが、モニカがそれを「といれ~」という拙い南方語の一言で抑え込んだ。

 場所的に合ってるか微妙な言語選択だが、簡単な単語は共通なので通じるだろう。

 もう既にこの宿屋の構造は把握済みなので、トイレがどこかを聞く必要もない俺達は、勝手知ったる我が家のように宿屋の廊下を突き進むと、ようやく見えてきた安息の地の扉を開けた。



「ふうぅ」


 一通りの生理現象を処理して満足気なモニカが、一時の孤独を楽しむように息を吐く。

 護衛対象なので仕方がないが、今回の旅ではエリクにしろルシエラにしろ、常に殺気だった者に付きまとわれて落ち着かない。

 贅沢な文句だと思うかもしれないが、息苦しさというのは例えそれが有り難いものであっても一日として耐えるのは苦しいのだ。

 というわけで俺達は、久方ぶりに安息を求めてトイレに逃げ込む生活をしていた。

 何とも懐かしい。


『しっかし、スコット先生、本当にトルバに付いてきたな』


 俺が、今も乙女のプライバシーなど気にすることなく、外でこちらの気配を窺う俺達の”バッジの先生”に感心すら籠もった声を上げた。


 俺達が出発してすぐに感じた違和感は、スコット先生がかなり過保護なことだ。

 影で見守りつつも基本的に放任主義の彼らしくない。

 護衛に名乗りを上げたときも驚いたが、どうやら道中の襲撃を本気で警戒してるらしく、途中宿泊地ではよく俺達の部屋の近く、それも気配を感じられる距離にずっといた。

 同じ部屋にルシエラとロメオが寝ているので彼の出番は考えづらい、というかこの戦力でどうにかならない場合、高確率でスコット先生でもどうにもならない可能性が高いのに、そんな事は関係ないといわんばかりにベッタリだ。

 寝てるときは当然ながら、トイレや風呂だってこの様に気配は探られる。

 いくら頼もしい存在だとはいえ流石に堅苦しさは覚えるだろう。


 これが”要護衛対象になる”ということか。

 文句があるなら大魔将軍様に自力で勝てるようになるしかないらしい。


 俺がそんな事を考えながら手持ちのスキルの調整をしていると、ふとモニカが天井を見つめた。

 トイレの天井には、トルバ北部でよく見かける、魔獣の体内から見つかるクズ魔石を組み合わせて作られるという、民芸品みたいな照明がミラーボールライトのように複雑な明かりを小さな個室に振りまいている。

 

「できるだけの事はしたよね?」


 モニカが呟く。

 その心は、かつてない程にどんよりとしていた。

 魔獣の口の中ですら強気になれるモニカも、危機が目の前ではなく、近くだが見えない位置に迫っている状態では堪えるものがあるようだ。


『”手札”はもう増えないからな。 後は現場でどれだけ粘れるか』


 妙なことに今回は俺の方が覚悟が決まっていた。

 仮に会議の流れが俺達に不利な方向に動き、つまり”めんどくさいから、こいつ処分しとこう”となる可能性があるなら、もう最初からそれに備えて動いておけばいいのだ。

 既にそのための準備は済ませていた。

 俺達とエリクの強化ユニットも最新型である”2.5b”への換装が終わっているし、新型”外部ユニット”の用意もある。

 後は強化情報システムの構築のため、モニカに視察と称して俺達が滞在する街の情報を読み込んでいけばいいだろう。


 前衛には、エリクとロメオ、それにスコット先生がいる。

 エリクに関しては経験不足で対特級戦力は無理でも、俺達とヴィオの全力支援があれば勇者レオノア程度なら勝てはしなくても時間稼ぎにはなるはずだ。

 というかスコット先生とルシエラが抑えている所に、俺達が全力攻撃をかけて倒せない相手なんて、もうどうしようもないので悩むだけ無駄である。


『いつもなら、そういった割り切りはモニカの方が得意だろうに』

『うーん・・・そうだね』


 モニカはそう言って苦笑しながら答える。


『でも今死んじゃったら、おじいちゃんたち大変でしょ』


 モニカはそう言って不安の種を吐露した。

 どうやら”家族”と”責任”を負ったことで、おいそれと命を投げ出すのが怖くなったらしい。

 残す家族の事が心配か。


『それが普通だ』


 俺は何でもないようにそう答える。

 死に対して恐怖を感じるのは悪いことではない。

 自暴自棄的な行動が抑制されるだけでも、安全性は大きく改善するものだ。


『そろそろ時間だな。 スコット先生の落ち着きがなくなってる。 今なら”大”で通じる・・・・』


 その時、俺の言葉が不意に止まった。

 ”妙なもの”を見たからだ。


 俺達のほんの少し前、トイレの扉と俺達の間の空間が妙に歪んでいるような気がするのだ。

 同様に異変に気がついたモニカが視線を集中させるが、よくはわからない。

 というかよく見たら、歪んでもいない・・・


 その瞬間、本当に”パッ”という擬音が適切な感じで俺達の目の前に真っ白な布地が現れた。

 

「おや、これはまた失礼を。 当方、移動中は少し目が悪くなるので、まさか、モニカ様が無防備にケツを放り出して汚物をひり出している最中とは思いませんでしたよ」


 俺達がそれを”人”と認識するのと、その言葉が降りかかるのはほぼ同時だった。

 モニカが全身の筋肉を収縮させ、俺の意識が一気に加速される。

 大量の警護とスコット先生をすり抜けて、いきなりトイレの中に現れたのだ。


 刺客じゃなくても、マトモなやつじゃない。


 モニカが横に置いていた攻撃用の棒を掴み、上半身のスナップだけで急加速させる。

 その短い加速で音速を遥かに超えた先端が衝撃波を撒き散らしながら、”そいつ”の顔面に吸い込まれ・・・


 だが俺達は、そこで不思議なものを見た。

 攻撃に全く反応する素振りを見せなかったそいつの姿勢が、涼しい顔だけ残して”パッ”っと切り替わったのだ。

 俺達の棒を片手で掴んで止める姿で。


 完全に一瞬で静止する形になった棒の衝撃が手を伝って俺達の身体に伝わり、内部の骨を揺さぶる。

 その痛みは、込めた力からは想像もできないほどに大きなものだった。


「これまた噂に違わぬガサツっぷりですね、まさかレディの方から棒を突き出されるとは夢にも思いませんでしたよ。

 まったく、トイレに異性が入ってきたのですから、”キャー”と叫ぶのが道理ってものでしょう、少なくとも私はあなたが私の汚物をひり出している最中に突然現れれば叫びますよ、”キャー!!モニカ様の変態!!”と」


 そいつが捲し立てるように早口で言葉を述べ、顔を憤慨させる。

 だがその怒りは単に俺達の攻撃という行為に怒っているだけで、俺達の攻撃を脅威だとは微塵も感じていないかのように脳天気だ。


 だが今のはなんだ?

 俺達の意識は極限まで加速されていた。

 それなのに、記録には一瞬にして姿勢の変わる男の姿しか映っていない。

 俺達の認識より速く動ける連中だって、その予備動作くらいは見えたというのに。


 それはたぶん男だった。

 男の姿をしているし、男と名乗ったのだから間違いないだろう。

 身長は160cmと小柄で顔も中性的だが、短い金髪は頓着がないのかボサボサ。

 その代わり、真っ白な軍服のような衣服にはシワひとつない。


「あなただれ?」


 その姿に見覚えがなく、俺のアーカイブに確認しても”ヒットなし”と報告を受けたモニカが男に問う。

 咄嗟に攻撃を仕掛けたが二の矢は飛んでいない、この男から”殺気”相当するものが出ていないからだ。


「ん? それが知らない人に名前を尋ねる態度ですかモニカ様、さっきから私が”モニカ様、モニカ様”と言っているのは、私があなたの顔と名前を事前に知らされているからで、初対面なのですよ?

 初対面で相手に名前を聞くときは自分から名乗るべきと教わりませんでしたか? ああ、あなたはガサツなホーロン貴族崩れでしたっけそれなら仕方がない、期待してすいませんでした、でもこれで覚えましたね次からはちゃんと自分から名乗ってください、授業料はいりません結構です、私は紳士ですから。

 え? 私は名乗ってないじゃないか? って顔をしていますが大丈夫です、私はちゃんとモニカ様のことを知っていましたので聞く必要はないのです。 できる男なので、ありがとうございます称賛は間に合ってるので結構です。

 あ! 因みに私がさっきから”モニカ様、モニカ様”と言っていますが、”様”付けなのは最低限の礼を尽くしているからで、そこの所は間違いないでいただきたい、私達はあくまで対等の関係ですよ」

「は・・・はあ・・・」


 男のあまりの言葉の連続に、モニカが面食らったように固まる。

 というかこの男、これだけ喋ってるのに俺達の問に全く答えていない。

 そしてそのことを俺達の表情から読み取ったのか、男は大げさに腰を曲げて礼をした。

 だが狭いトイレの個室内でそんなことをしたものだから、男の顔が俺達の目の前にアップになって、モニカの心臓がドキリと跳ねる。


「おや、名乗らないのがご不満? しょうがないですね、自分で調べてくださいと言いたいところですが、私はとても親切なので一応名乗っておきましょう。

 マグヌス国防局直轄、主席戦士”ナザーリオ・サルモーレ”と申します、直轄官なので上下関係でしか人間関係を認識できない野蛮人のような階級は持っていませんが、理解力の低い人は”将軍”と呼んでますね。 まあ妥当なところでしょう。

 いいですか? 全部覚えるのが大変なら”サルモーレ将軍”といえば、大抵私のところに繋がります、偶に”サルモネラ将軍”などと間違える方がいますが、モニカ様は間違えないように。

 この度は、マグヌス関係者の警護の総責任者を拝命しておりますので、半分ですがモニカ様の身の安全を預かることになります、モニカ様もそのおつもりで」


 サルモーレと名乗るその男が、その長ったらしい名乗りを終える前に俺は自分の中のデータと照合していた。

 あの能力、マグヌスの”首席戦士”という肩書にその名前、当然のように候補は1人しかいない。


 『”軍位スキル保有者”・・・マグヌス最高戦力の1人だ』


 俺の言葉にモニカが肯定の感情をよこす。

 先程のやり取りだけで、その実力が肩書に違わぬものであるとわかっている。


『”超速度”? それとも”瞬間移動”?』


 モニカが鋭い声で問う。


『わからん、人の入っているトイレの中に来ちゃうくらい、周りは見えていないようだが・・・』


 困ったことに、俺の”観測スキル”でも今見せた能力の一端も掴めない。

 となれば、俺達が全く持ち合わせていない”呪い”を大量に使っているのは間違いなかった。

 無理もないか、”勇者”や”魔導戦士”と並んで条約で規制される戦力なのだ。

 だが、サルモーレはそんな俺達の逡巡などお構いなしとばかりに、今度はキョロキョロと周囲を見回し始めた。


「それよりも、あなたの警備責任者はどこです? アクリラの生徒保護プログラムとは別に警護が何人か付いてるとの話ですが」


 サルモーレはそう言うと、俺達の視線を見て、更にその先へと顔を向けた。

 当然そこには壁しかないのだが、彼の目は輝く。


「ああ、この今頃私の気配に気づいて急いで駆けつけようとしている人ですか。 めちゃくちゃ強そうですが、如何せん遅すぎる、私が刺客なら10回は殺せてましたよ。 やる気があるんですかね? まあ、私より速い人なんていませんけど」


 サルモーレはスコット先生の気配に対してそう評論すると、改めてこちらに向き直った。


「では、私は彼に挨拶と意識改革の話をしにいきますね。 モニカ様もさっさと汚物を出し切って尻を拭いて来てください。 いつまで下半身丸出しでいるんですか、まさかその不格好のままルクラまで来るんじゃないでしょうね?」


 サルモーレはそう言い残すと、現れた時と同じく”パッ”っという擬音が聞こえそうな感じで消え去った。

 あとにはわずかに空間が歪んだような感覚だけが残る。

 やはり”瞬間移動”か?

 一つだけハッキリとしているのは、アイツが嫌な奴ということだけだろう。

 モニカも同じ感想らしく、不満をクドクド述べている。


 そして、一通り予定を済ませた俺達が、そそくさと立ち上がりながら下ろしていたズボンに手をかけた時だった。


「モニカ様! ビックリしましたスコット・グレンがいましたよ! あなた何者ですか!? ほら見てここにサインもらっちゃった!! どうしましょう、これじゃ洗えない!!」


 そう言いながら、嬉しそうに左腕の袖を捲って今しがた書かれたばかりであろう、スコット先生のサインを見せつける格好でサルモーレが現れたのだ。

 モニカがズボンに手をかけた格好のまま、口を開けて固まる。


 コイツには”エチケット”というものが欠片もないのか!

 俺達は心の中で、こんなのに命を預けねばならぬ己の無力さを呪った。



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