2-21【静かな雨音 13:~声は挙げられていた~】



 夏になれば、それまでに降った雪が全て溶けるかどうかの瀬戸際にある街といえば、気候の想像はつくだろうか。

 寒冷地の冷たい空気も夏になれば少しは過ごしやすい物に変わるが、それでも温暖な地域の者からすれば極寒に感じられるものだ。

 その”ライン”を流れるコークス水系はアルバレス北部の貴重な物流の要であり、その一つ”エルブス川”のほとりには、他のコークス水系と同じく大小様々な集落が点在している。


 その南の端にある都市”フォリアン”の港に、喫水の浅い河川用の船が到着した。

 人口はそれなりでも、寒くて出かけたがらない地域特性から普段は荷物の運搬が主だが、極稀に旅人を乗せていることもある。

 どうやら今日はその稀な日であるらしい。

 接舷作業が完了した船から沢山の木箱や樽が船員の手によって運び出される横を、明らかに船乗りの風貌でない旅人が3人すり抜けた。


 先頭を行くのは北国特有の2ブル(m)を超える、魔法士服を着た巨漢の女。

 鋭い目つきで周囲を威嚇するように睨みつけ、隙のない洗練された動作から、かなりの手練であることが窺える。

 

 続く2人は先頭の女に比べれば”素人”だ。

 片方は、今年ようやく20歳を超えたくらいと思われる若い男で、やつれたような落ち窪んだ目をしているが、内から溢れ出る活力は隠しようがなく、見慣れない街の様子をつぶさに観察していた。

 そしてその男にエスコートされるように手に掴まりながら、ゆっくりと船を降りたのは薄暗い青い髪の少女。

 歳は12か13といったところか、まだ成長を見越して少し大きめに作られた”メイド服”がしっかりと馴染んでいる感じはない。

 その少女が、桟橋の上で眠気を払うように浅く伸びをした。


「ようやく・・・フォリアンに着きましたね」


 長い船旅に疲労したのか、欠伸を噛み殺しながら少女が呟く。


「気楽なものだね、果たして僕たちが気に入られるかどうか、こっちは心配で仕方がないのに」


 若い男が、少女が重い荷物を持つのを手伝いながら言った。

 だが男も思わぬ重みにそこでたたらを踏んでしまう。

 どうやら船の中でかなり体が鈍ってしまったらしい。

 その様子に背の高い女が呆れ顔で右手を差し出し、その荷物を担ぎ上げる。

 左手には既に大きな鞄が握られていたが、彼女にとってはさして重量物というわけではなさそうだ。


「あんたはまだいい、魔道具を介してとはいえ既にやり取りしているからな。

 ・・・こっちはあのお嬢の尻尾を踏んでから、まだ一度もやり取りしてないんだ」


 大女が心配そうな声で答える。

 彼女の顔には、拭いきれぬ強烈なトラウマが現れていた。

 無理もない、彼女が見たのは、おそらくモニカがこれまでで最も恐ろしい姿をした時なのだから。


「2人とも安心してください。 モニカ様は分かってくれますよ。

 それくらい、しっかりとした方です」


 メイド服の少女は、大女を宥める様にそう言った。

 彼女にはここまでの旅の護衛だけでなく、モニカがやってきて変わり始めたヴァロア領を運営するため、浅からぬ関係があるのだ。

 主人との仲を良好なものにしておくのは、従者としての必要な能力であり、今後のための少女の課題だった。


「それにしても、本当にこんな北の外れの街まで迎えに来てくれたのか?」


 少女と大女のやり取りを見ていた若い男が、不安そうに空を見上げる。

 いつの間にか夏の空気を孕んだフォリアンの空は、それでも雪国のものであり、南国のアクリラとは似ても似つかない。

 間違いなく、これまでの行程よりもこれからの行程の方が遥かに長いだろう。

 ”今日会う”と昨日連絡を送ってきたからには、モニカは数日前から入っていなければならないが、とてもじゃないが間に合うとは思えなかった。

 落ち合う場所や旅程の決定は、安全を期してほんの数日前になされたのだ。


 若い男がそう疑問をぶつけると、大女が笑いながら大きなトランクを借りてきたばかりの台車に乗せた。


「そりゃ、あんた、”アクリラ”って所を舐め過ぎだ」


 その言葉に、若い男が憤慨する。


「そうは言うが、”アクリラ卒業生”のニナだって、そんな能力はないじゃないか。

 確かに強くて頼りになったけど、アクリラまで数日で移動できる程じゃない」


 若い男は、軽く睨んだ。

 だが、ニナと呼ばれた大女は馬鹿にした様な視線を返す。


「それこそ馬鹿な話だ。 俺みたいな”劣等生”なんざ、あの街じゃ石っころみたいなもんだ。

 だが、3日もありゃアクリラからここまでやって来れるバケモノは、あの街にはゴロゴロしてる。

 そしてモニカ様はそこの頂点にいる方だぞ」


 ニナの言葉にも若い男は、まだ納得行かない様に首を捻っていた。

 その反応にメイド服の少女が苦笑する。

 この若い男は、モニカについてはドラン伯爵の晩餐会でチラリと見かけただけで、後で乗り込まれた時は諸用でいなかった。

 ドラン伯爵の窓役である以上、モニカとの業務連絡は多いが、結局の所”見なければわからない”のだ。


「それで着いたことを知らせないと。 それよりもまずは宿か・・・?」


 その時、南の空に雷のようなゴロゴロという音が響いてきた。


 街の者が突然の雷雨かと空を見上げる。

 だが、北部特有のどんよりとした空には、雷を降らせるような大きな雲の姿はない。

 それに音の方も不自然なことに、いつまで経っても止まる気配がないどころか、逆に段々と大きくなっていくではないか。


 アルトが空を見上げながら笑みを作り、横の2人が不安そうな顔で続く。

 3人の視線の先では、黒い点が光を放ちながらゆっくりと・・・距離を考えれば恐るべき速度で動いていた。


「まさか、あれか?」


 若い男が恐る恐る連れの2人にそう聞くと、聞かれたニナは冷や汗を浮かべながら、メイド服の少女は嬉しそうに頷いた。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 上空で、眼下に見えてきたフォリアンの街の姿にモニカが声を上げていた。


「あれがそう?」


 そう言って指さした先にあったのは、巨大な大河の畔に築かれた街の姿。

 ただ、”都市”と呼ぶには少し小さいかもしれない。

 集合場所は、街の中心部にある冒険者協会だったはずだ。


『えーっと、ちょっと待ってな』


 俺が手持ちのマップを睨み、長距離航行用に作った【天測航法スキル】に確認を取る。

 あー、今の時刻がこれで、あの星とあの星がこの角度に見えて、マップデータ上にピンを打ってみると・・・


『そっちじゃなくて、この端の方のやつがそうらしいぞ』


 そう言いながら、俺はインターフェースユニットの一部を塗りつぶす。

 上空からだと少し分かりづらいが、モニカの指した平野部から10㌔ほど河を東に進んだところにある、山間部の付け根にある街がフォリアンの中心部らしい。


『え!? そっちが中心なの!? あ! でも港があるね』


 モニカが驚きの声を上げた。

 どうやら度重なる拡張と周辺都市の発展の関係で、土地の狭い山と河に挟まれた場所から、西に流れ出すように市街が拡張されているらしい。

 なので住居なんかは新しい部分にあるが、港や協会等の重要設備は、一見すると街外れに見える場所にあるようだ。


「エリク、もうすぐつくよ」


 モニカが”後部座席”に声をかける。

 すると後ろから、疲れた様なグッタリとした生返事が帰ってきた。

 後方視界を見ると、エリクの顔が若干青い。


『酔ったか?』

『少し、医療スキルを使用するほどではないですが』


 ヴィオに確認すると、すぐに答えが帰ってくる。

 まあ、これだけ長時間飛んだ事は無いから仕方ない。

 これは、帰りは何度か途中休憩を挟んだほうがいいだろう。

 幸いにもかなり早く着きそうなので、”ラクイア軍事会議”への出発にはそれくらいの時間的余裕はある。





 俺達が”ラクイア軍事会議”に出発する1週前に、ヴァロア領から人を送ると連絡が入った。

 どうやら軍事会議で俺達が恥をかかないように付き人を送ってくれるらしい。

 伯爵の子供がメイドの1人も付けずに公式な場に出るとかあり得ないんだと。


 ちなみに人選は、フェルズで世話をしてくれたメイド少女の”アルト”だそうだ。

 あんな可愛い女の子に長旅をさせるのか! と俺達は憤ったが、なんともう既に準備を終えて出発したというではないか。

 そんな無茶な。

 ヴァロア領から最速の移動手段を用いても、一般人に1週間とちょっとでアクリラまで来れる方法はない。

 そう俺達が指摘を入れると、じいちゃんヴァロア伯爵は何でもないように「途中の街に迎えに来い」と返事を寄越してきた。

 どこから聞きつけたのか(俺が日常報告で送っただけなのだが)、俺達の”行動可能範囲”ギリギリの街まで馬車と船を乗り継いで南下し、そこで俺達が拾ってアクリラに連れ帰れば間に合うだろうという話だった。

 いくらなんでもウチのじいちゃんは孫に期待し過ぎである。

 直線で5000kmを2日で往復出来る計算で物事を進めるなと言いたい。


 まあ、出来るだんだけど。


 ただ明らかに、ついこないだ完成したばかりの”ワイバーン”の新装備、【高速巡航魔力ファンエンジン】と【高高度環境維持システム】の使用を前提とした注文だった。

 確かに、この2つを使えば最高高度5000mを時速500km程度で巡航できる。

 離着陸や加減速にかかる時間を考慮しても、半日程で着く計算だ。

 いったいどこで聞きつけたのか、そんな情報、俺達が喜々として書いて送ってる日常報告の中くらいにしかないというのに。


 あと、アルト・・・に掛けてるのか、アルトヴラ商会の譲渡に関するヴァロア領側の担当者をセットで送るんだと。

 そっちは会った事はないだろうな。


 俺は側方視界に映る新型魔力エンジンから吹き出す薄い青の噴射炎を眺めた。


 その安定した動作はもう完全に”ジェットエンジン”を超えて、もはや何かSFチックな事になっている。

 徹底的に効率を考えて複雑怪奇になった排気機構のせいで、よりそれに拍車がかかっていたが、おかげで数千km以上の連続使用でも耐えられるし、魔力の使用量より回復量が上回る”航続状態”でもかなりの速度を維持できるので、高速域での加速に目を瞑れば初の戦闘行動可能な”魔力ファンエンジン”とも言えるだろう。

 ワイバーンの翼との連携も完璧である。

 フォリアンの街の上空まで来たところで、羽の中に排気を取り込んで、スムーズにホバリングモードに切り替わり、更にエンジン自体も垂直方向へゆっくりと変形していく。

 こんな複雑機構、機械仕掛けでやれば整備で死ぬが、柔軟に変形可能なゴーレム素材をふんだんに使っているので問題ない。


 さて、どこに着陸するかだが、


『あのへんとか良くない?』


 モニカがそう言いながら、港の外れに作られた広い空き地を指差す。

 小柄な俺達と違い、大柄なワイバーンユニットが着陸するには結構な広さが必要だが、あの場所なら問題はない。

 おそらく荷下ろしのためのスペースなのだろうが、今のところ最寄りの船着き場は空で、河にも船影はなかった。

 短時間なら降りても問題ないだろう。


 着陸ポイントを決めると、一気に降下を開始する。

 以前なら気圧差の影響が怖くてできなかったが、新装備にとって、この程度なら問題にはならない。

 そのための”コックピット方式”だ。


 ワイバーンの四脚が接地し装甲を解除すると、動ける様になったロメオがブルブルと体を揺すって解した。

 こいつも10時間以上の連続飛行はキツかったらしい。

 この辺は、まだまだ飛行機の様にはいかないな。

 モニカがポンポンとロメオの肩を叩くのを見守りながら、俺が労いの言葉をかけると、ロメオは珍しく嫌そうな目をこちらに向けた。

 ”帰り”がある事を理解しているのだろう。

 後ろではエリクも体を伸ばして、肩甲骨の辺りをポキポキと鳴らしていた。

 


 さてと。



 これからどうやって相手と合流するかと、ここまでの飛行中考えていたが、どうやらその必要はなくなったらしい。

 魔力エンジンの音を聞いていたのだろうか、俺の【索敵スキル】に小走りで近づく人影が映り込んだのだ。

 俺がそれを伝えると、モニカがハッとした様子で港に通じる小道を見やる。

 するとすぐに、見覚えのあるメイド服を着た少女の姿が目に飛び込んできた。


「アルト!」


 モニカが嬉しそうにそう言いながら少女に向かって駆け出すと、向こうも俺たちの姿を見て緩めていた歩調をまた小走りに戻す。

 空き地のちょうど端の辺りでぶつかった2人は、そのまま抱き合う様に再会を喜び合った。


「ひさしぶり、あえてうれしいよ」

「お久しぶりです、モニカ様」


 そう言い合ってお互いを見つめる主従。

 まだ半年も経ってないだろうと思う反面、前の別れの時は随分とシリアスな空気でバタバタとしていたので、それがお互いの印象に悪影響を与える事はなかったようで、俺は心の中でホッと息をつく。


 アルトは旅装をしてはいるが、相変わらず青みがかった短い髪にメイド服のエプロンをしていた。

 厳密にはメイド服ではないのに、”メイド”という雰囲気を崩していないのは、名家に仕える者の矜持だろうか。

 それとも、エプロンに刺繍された”ヴァロア家”の紋章を前面に押し出して、旅の御守りとしてるのか。

 威光は過去のものとはいえ、山賊や盗人も迂闊に”怪獣ヴァロア家”の怒りは買いたくないものだろう。


「ちょっと背が伸びた?」


 ふと、モニカがアルトの頭に手を当てながら、そう問うとアルトは少し気恥ずかしげに頷いた。


「はい、この3ヶ月くらいででかなり」

「へえ・・・」


 モニカが若干焦りを滲ませた声を漏らす。

 年始に帰ったときのアルトの身長は俺達とそれほど違いはなかったが、今ではハッキリとアルトの方が高い。

 シルフィより少し小さいくらいか、だが成長速度を考えれば確実に抜くだろう。


 何ということだ、まさかこんな所にまで高身長がいるなんて!

 と、部屋の中でさえベスに置いていかれそうな空気を日々感じているモニカは思っているようだが、それを顔に出さないくらいにはアルトの事を大事に思っているらしい。

 だからすぐに話題を変えて、本題の話をし始めた。


「えっと、それで、”ラクイア”に来てくれるんだよね?」


 モニカがアルトの旅の目的を確認する。

 少なくともじいちゃんが送って寄越した通信には、その様に書かれていた筈だ。

 

「はい、軍事会議の期間中モニカ様のお世話をし、その後はアクリラで貴族院の”モニカ様のお部屋”を整えるように仰せつかっております」


 そう言ってペコリと頭を下げるアルト。

 だが、それに対してモニカが眉に皺を寄せて首をひねった。

 アルトの言葉の前半は理解できたのだが、”後半”が全く理解できない。


「ええっとねアルト、わたし貴族院には住んでないよ?」


 モニカが子供に教えるようにゆっくりとそう告げる。

 確かに俺達は今年からアルバレスの貴族になったおかげで、貴族院に部屋を持つ権利自体は持っている。

 だが、そこに住んではいない。

 俺達が今住んでいるのは、貴族院のある”西山”からアクリラ市街を挟んだちょうど向かい側にある”東山”の”木苺の館”だ。

 居心地のよく見知ったその場所を捨てて、見知らぬ堅苦しい貴族院になど行きたくはない。


 だが、アルトは”そうではない”と首を横に振った。


「今後、ヴァロア領の新しい産業が本格的に始まるに当たって、一番重要なのは”アクリラでの拠点”です。

 ですが失礼ながらモニカ様が今お住いになられている学生寮は、部会者の立ち入りが制限されているというではありませんか。

 ですのでヴァロア家の・・・もっと言うなら”モニカ様の貴族としての拠点”として、貴族院の一室を借りようという話になりました。

 私はその最初の管理として、まずお部屋を貴族様方を招けるくらいまで整えるようにと仰せつかったのです。

 住居は今のままで構いませんし、移っていただいても構いませんが、今後”モニカ・ヴァロア”として人を招く際は、必ずその部屋をお使いになるようにと御館様に厳命されております」


 なるほど。

 思い返してみれば、この前のアオハとの会合だって一般のサロンを借りて行った。

 他の商人や貴族もそうしているので何とも思わなかったが、確かに今後領の命運のかかる大事業の話をするときに、いつまでも公共の場所を使うわけにはいかなくなるだろう。

 その点で拠点を貴族院の中に置くというのは、なかなか理にかなっている。

 あそこは”寮”であると同時に、それ自体が一つの”街”としての性格も持っているので、”知恵の坂”と違って貴族院生であれば交渉ごとに使うことも可能だ。

 それに、原則として”貴族院に入れる者しかいない”という”制限”も、セキュリティコストを下げる意味では魅力的だし、何より”貴族院”というステータスを得ることができる。

 どれだけ公平な心を持った商人でも、豪奢な部屋の中で豪華な服に身を包んだ者を相手にしては屈してしまう場面も多いだろうし、か弱いアルトを置いておく場所としても申し分はない。


 そんな風に、俺達が【思考加速】を掛けながら相談しあっていると、不意にじいちゃんの声で、”それにお前たちなら飛べばすぐに着けるだろう?”という幻聴が聞こえてきた気がした。

 まあ、貴族院に部屋が持てれば貴族院屋上の発着場が使えるからな、交通も問題なしという事か。



「わかった」


 最後に、モニカが短く頷いて結論を述べる。

 アルトがどのような活動をするのかはまだ分からないが、特に問題はないだろう。

 そんな意味を込めての結論だ。

 それに、今はそれよりも気になることがある。 

 モニカは視線をアルトの後ろへと移した。


 そこには”見慣れない顔の男”が1人と、”嫌なところで見知った顔の女”が1人が、どちらも沙汰を待つような表情でこちらの様子を見ていた。

 奇妙なことに、心当たりがあるのは”見慣れない顔の男”の方だ。


「あなたが”サブ”?」


 モニカが男に問いかけると、男がアルバレス式で恭しく頷いた。


「お初にお目にかかります、モニカ・ヴァロア様。 私がドラン伯爵の次男、”サブレンテス”でございます」

「”魔力通信”を、いつもドラン伯爵のかわりにおくってくれてた人だよね?」

「はい、不束者ではありますが、ドラン伯爵領における”ヴァロア領案件”の担当を任されております」


 サブレンテスと名乗る男はそう答えると、また大仰に礼の姿勢を取る。

 この、”あのドラン伯爵”の子供とは信じられないほどキチッとした礼をしている男は、名乗りの通りドラン伯爵の4番目の子供にして次男だ。


 ドラン伯爵いわく、彼女の子供達の中で一番頭の出来が良いので、領の外交担当者として日夜北部を飛び回っていたらしいが、俺達がドラン伯爵を脅してからは、もっぱら俺達の尾を踏まずに動ける人材として重用されているんだと。

 その割にはアルバレス語で、”代えの子供”という意味の”サブレンテス”という名前はちょっと酷いが、皆”サブ”と呼んで親しんでいる。

 俺達が置いてきた魔力波通信機の相手を務めるのは、大体が彼だったので顔も声も知らないがどんな者かは俺達もなんとなく知っていた。


「この度は、アルトヴラ商会の譲渡に関して、ドラン伯爵領の立会人として馳せ参じた次第です」


 サブがそう言って己の任務を告げる。

 その話も事前に俺達に飛んできているので知っていたので問題はない。


 問題はもう1人だ・・・・・


「それで・・・あなたは、なんでここにいるの?」


 モニカが酷く棘のある声で、隣に立っていた背の高い女へ語りかけた。

 その声色に滲む不快感は、モニカをよく知る者が見たら驚くだろう。

 そして背の高い女はモニカのその反応に、顔を青くして後ずさる。


「お、お久しぶりです、モニカ様」


 背の高い女が慈悲を乞うような様子でそう言う。

 彼女は己の半分ほどの大きさの少女の威嚇に、完全に慄いていた。


 さて、なぜモニカがこれほどまでに彼女に対して不快感を顕にするのかについては、少し順序立って話す必要があるが簡単である。


 まず、彼女の背が高いからではない。

 ・・・厳密には少しはあるが、不快感の半分以上を占めることはないだろう。


 モニカは去年のちょうど今頃、ピスキアの街で色々あってぶっ倒れている間に奴隷商人に捕まって・・・でもって奴隷商人共々酷い目にあった。

 それ以来、モニカは”奴隷”というシステムに対して忌避感を持つようになり、”実家”の家業がまさかの奴隷生産工場だったことで、それがより顕著になっている。

 過敏になっていると言って良いかもしれない。

 そして、この背の高い女・・・資料によれば名前は”ニナ”というようだが・・・は、まさにその”ヴァロア家の奴隷産業”において、奴隷商人として活動していた山賊の用心棒だったのだ。


 そんな事なので、モニカのニナに対する好感度は初対面でマイナスに振り切れていた。

 だがモニカとて、高感度だけで襲いかかったりはしない。

 ”襲っていい?”的な視線を一緒にいるアルトに向けるくらいの理性はある。


 そしてそんな物騒な視線を向けられたアルトは、慌てた様子で大きな鞄を開け、中に手を突っ込んでまさぐった。


「モニカ様、ニナさんは私達の護衛をお願いしているのです。

 それとアクリラで別のお仕事を」

「別のお仕事?」


 モニカが眉を顰めて聞き返すと、ちょうどアルトが何やら封書の様な物を1つ取り出すところが見える。


「これ読んでください!」


 アルトにそう言って押し付けるように封書を差し出されては、モニカは剣呑とした視線をニナに向け続ける事はできない。

 モニカが諦めて視線を封書に移すと、”ヴァロア家”の紋章が貼り付けられた表紙が目に入った。


『形式的には”指示書”とか、”命令書”の類だな』


 俺はアルバレス貴族の書式一覧と比較しながらそう言う。

 アルトの弄っていた鞄の中に、大量の封書が詰まっていたので調べていたのだ。

 おそらく拠点設営の為に必要そうな書類を纏めて準備したのだろう。


 モニカが怪訝な様子で封を開けて入っていた手紙を一瞥すると、更に表情を険しくさせた。



 ”ヴァロア家当主として命ずる、この者”ニナ”を含めた元奴隷商人たちを、アルトヴラ商会譲渡の担当者とせよ。

 彼等の生活を奪った以上、これはお前の責務である。  ー グリゴール・ヴァロア伯爵”



 以下に、短い本文とは対照的に長い儀礼的な注釈分が続く。

 それは、まるでその嫌がらせのような内容を俺達に強制するように、ガッチガチに法的に固められた正式文書だった。


 モニカが眉をひそめて、ニナの顔を見る。

 その剣呑な視線に、彼女はわずかに体を仰け反らせた。

 さっきからのこの反応、どうやら初対面の時のトラウマがまだ残っているらしい。


『なるほどね』


 このじいちゃんの強硬的な書類に、俺はピンと来る。


『どういうこと?』

『まあ、要約すると”人がいないって事をわかっとけ”、って事かな』


 俺が端的に説明する。

 長い間、奴隷算出を生業としてきたヴァロア家において商取引に詳しい人材は皆、奴隷取引の担当者しかいない。


『もっと言うなら、山賊だってヴァロアの奴隷産業の関係者だ。

 それを放置して、自分達だけが新たな食い扶持にありつく事を良しとしてはいけないってことだろうな

 ”サブ”が来たのも、そう考えれば納得がつく』

『”おじいちゃんの忠告”か』


 取り漏らしのフォローとも言えるし、俺達がやろうとしている事の重大性を認識させるためのものなのだろう。


「この2人も貴族院に住むの?」

「いえ、ドラン伯爵の懇意の商会に泊まる事になっております。

 モニカ様のお手を煩わせる予定はございません」


 モニカが2人に視線を向けながら聞くと、サブがそう答えた。

 だが、その内容に俺達は素早く相談して、モニカが首を横に振る。


「サブはそれでいいけど、ニナはダメ。 貴族院でアルトを守ってあげて。 きにくわないけど、ニナは”ヴァロア家の人”だから。

 わたしも、なれておきたいし」

「私を信用するんですか!?」


 モニカの言葉にニナが驚きに目を見開く。

 それに対し、モニカは目を細めた。


「信用するかはこれから決める。 でも、”奴隷商売”はおじいちゃんも悪いし、それも背負うって決めてるから、これも飲み込まなきゃいけない」


 モニカのその言葉に、ニナが俺達を見てからアルトの方に顔を向ける。

 すると何故か、アルトが”ほら言ったでしょ?”的な笑みを浮かべていた。


「アクリラを卒業してたんだよね? これから大変だと思うけど、よろしく」


 メガネに映されたニナの情報にさっと目を通しながら、モニカがそう言って握手を求めると、ニナは恐る恐るその手を取って握る。

 含む所があろうとも、彼女は俺達にとって非常に貴重な”戦力”だ。


 さて、顔合わせが済んだところで、

 

「それで、”頼んでたの”持ってきてくれた?」

 

 モニカが大事な所を確認する。


「あ! そうでした」


 するとアルトは思い出したような声をあげて、ニナに荷物の1つを取るように言った。

 ニナはすぐに、積み上げていた荷物の山から金庫を1つ持ち上げる。

 2m級のニナがヒョイと持ち上げたので小さく感じたが、その金庫を俺達が持てばかなり不格好になる大きさだろう。

 ニナはその金庫を俺達の前にそっと置くと、アルトが取り出した鍵を鍵穴に差し込んだ。

 一見するだけでは分かりにくいが、唯の鍵ではなくアルトの生体魔力認証で開けるタイプを使う念の入れようから、中に入っているものの重要性を窺うことができる。

 それもそのはず。


「こちらをお渡ししますね」


 中に入っていたのは一通の証書。

 だが取引のためにアルトが持ってきた他のそれとは、一線を画すその扱いに見合うだけの代物だ。

 モニカも、若干恐れるように表情を緊張させてその証書を受取り内容を検める。


 これはヴァロア伯爵である”じいちゃん”が発行できる、”ヴァロア伯爵子”の証書だ。

 俺達は”伯爵家の子供”という扱いを受けているが、実は公式的には、まだ”名乗る”以上の事はできないでいた。

 なぜなら俺達が貴族であることを示す証明が、アルバレスとヴァロア家が持つ記録の中にしかないからだ。

 アルトヴラ商会の譲渡話を締結できたのは、ただ単に相手が俺達を”勝手に認めてた”だけの事である。

 もちろんそれで問題がなかったのだから、それで良いのだろうが、公式の場で不利にならない様にとりあえず持っておくのが貴族の嗜みらしい。


 だが、証書を見て俺達は固まった。


” アルバレス叙任伯爵、グリゴール・ヴァロアの権限により、この者モニカ・ヴァロアを”男爵”として叙任する ”


 ん?


「あれ?」


 思ってたのと違うと、俺とモニカが不思議がる。

 俺達が注文したのは”伯爵子位”であって”男爵”ではない筈なのに。

 別にモニカが”男”だったというわけでもないぞ。

 この記録を書くに当たって、この世界の貴族の順位を俺が勝手に日本語に当てはめて訳している弊害だ。


「これ、まちがってない?」

「間違ってません、モニカ様は正式にヴァロア家の嫡子とするとの事で、慣例通り当主様より2階級下の爵位を与えるとの事です」


 アルトの言葉に、モニカが口を開けて固まる。


 これまで名乗ってきた”伯爵子位”と”男爵位”とでは意味合いが全く違う。

 前者が貴族の家の力を借りているだけなのと違い、後者には下級とはいえ貴族に認められている独立権利が全て揃っており、自身の裁量で領の運営が行える。

 伯爵だろうが公爵だろうが、”子位”である以上は唯の末席に過ぎないが、個人爵位を持てば立派な権力者となるのだ。


 そしてこれは、俺達が”ヴァロアを継ぐ者”であると当主が宣言するのと変わらなかった。


「”ただの貴族の証書よりは効果があるだろう” との事でした」


 アルトがじいちゃんの言伝をそう言って、ニコリと笑った。

 だがモニカはすっかりタジタジだ。

 なにせ、ヴァロア領でじいちゃんと上手く行ってる感は無かっただけに、まさかこうしてハッキリと”次期当主”を名言されるとは思わなかったのだから。


『・・・どうしよう』

『もらっとくしかないだろう、他に選択肢はないし』


 元々の”伯爵子位”にしたって、この”男爵位”にしたって当主であるじいちゃんの裁量なので俺達が口を挟む事はできない。

 貰って損する様なものでもないし。


『そっかぁ』


 モニカは俺にそう言うと、何度か「モニカ・ヴァロア男爵」と声に出さずに呟いてから、やがて納得した様に頷いた。





「アルト、荷物はそれだけ?」


 長めの挨拶を済ませた俺達は、そこから程近い船着き場の方へとやってきていた。

 どうやらアルト達が乗ってきた船が着いた場所だったようで、桟橋には未だ喫水の浅い河川用の船が浮いている。

 そして桟橋の上の荷捌き場には、”ヴァロア家”の紋章を付けた木箱の山が取り残されていた。

 貴族院に作るという拠点に必要な物資を持ち込むつもりなのだろう。

 まったく、じいちゃんはこれをここからどうやって運ぶつもりだったのだろうか。

 ほぼ確実に俺達の”次元収納”を当てにしているな。

 そんなもの、俺が書いてる日常報告のな・・・(以下略)


「ニナは”次元収納”って使える?」


 モニカが何気なしにニナに問う。

 話によれば彼女はアクリラを卒業しているというから、在野で活躍する魔法士の中では破格の実力者だ。

 だが、俺達の予想通り彼女は首を横に振った。


「使い方は知っていますが、めったに使わない自分の貴重品を僅かに入れておくので精一杯です。

 とてもこれだけの量は・・・」


 なるほど、さもありなん。

 俺達はともかく、俺達の比較対象になるような生徒も一組の上位者が殆どだからな。

 魔力をバカ食いする”次元魔法”に、十分なスペースを維持させるだけの魔力を注げる者はアクリラといえど多くはない。

 仮に維持できたとしても開けるたびに大量の魔力を消費するので、ルシエラですら使うのを億劫に感じているほどなのだ。


「そう」


 モニカも期待してなかったとばかりにそう言うと、自分の収納魔法陣を開いた。

 その長身のニナを飲み込めそうな大きさに、彼女が目を瞠る。


「モニカ様、そんなに大きな”次元魔法”をあけて・・・その、大丈夫なのでしょうか?」

「え? 大丈夫だけど?」


 モニカはそう答えてから何かに感づいたようで、少し恥ずかしそうに俺に聞いてきた。


『別にへんじゃないよね? ガブリエラはもっと大きくてすごい穴があけられるし・・・』

『比較対象がガブリエラの時点で、十二分に逸脱しているけどな』

『あ』


 俺のツッコミにモニカが”しまった”という顔を作る。

 だが、もう遅い。

 アルトがニナに”アレってヤバいの?”的な視線を送り、それに対してニナがすぐに”怪獣だ”的な返答を視線で返していた。

 そして、それを見たアルトの視線に若干の恐怖のような感情が見えると、モニカの感情が激しく否定的な方向に振れていく。


『気にするな。 別に隠すようなことじゃない』 


 とりあえずフォローを入れておく。

 モニカにこんな事で落ち込まれても大変だ。

 これからしばらくアクリラに住む以上、俺達の異常性をアルトは嫌でも身にしみるだろう。

 いや、その前に”ラクイア軍事会議”があるか・・・


 俺はそこでぶつけられる”戦略核兵器扱い”と、それにドン引きするアルトに嫌われないように頭を悩ませるであろうモニカの事を考えて、少し憂鬱な気分になった。


「ほら、エリク! 早くいれて!」


 モニカが誤魔化すように後ろで見ていたエリクに指示を飛ばす。

 エリクもいつもと様子の違うモニカに不審そうだが、黙った従ったほうが良いとでも思ったのか、それとも単に気を使ったのか。

 軽くため息だけつくと荷物の山に歩み寄り、それを俺達の魔法陣の中に放り込み始めた。

 大事な荷物のパッと見雑な扱いにアルトがなにか言いかけたが、それをモニカが止める。


「あんしんして、魔法陣の中にはいったら、”収納魔法”が受け止めるから」


 ”次元収納”の魔法陣の向こうに床はない。

 重力のない空間にフワフワと漂うだけなので、そっと丁寧に入れる意味はないのだ。

 いや、むしろこれくらい勢いを付けてもらった方が、魔法陣の中で移動しやすいと説明すると、アルトは納得半分と心配半分の表情で頷く。

 当主直々に預かった荷物だけに心配なのだろう。


 俺達はアルトのそんな様子を微笑ましく見ていた。

 だがそれも長続きはしない。


 エリクが物の数分で荷物を入れ終わり、俺が中に入っている荷物を、サブから渡された荷物リストとの照合させて管理番号を付与させた時のことだ。

 モニカの纏う空気が少し変わった。


「・・・」

「?」


 若干の不審感をもってモニカが後ろを振り返ると、俺達の今いる桟橋の付け根、港の埠頭の一角に、随分と”似つかわしくない”集団の姿を見つける。

 すぐにその視線にニナが加わった。

 いや”似つかわしくない”は言い過ぎか。


『どれくらいまえから?』

『さっきは気づかなかったが、観測スキルのログを精査する限り、俺達がこの街に現れた辺りから移動が始まっているな』


 どうやら派手に現れた俺達の噂がすぐに街中に広まり、俺達のいるこの場所に別々に現れたというのが事の経緯らしい。

 だが、”野次馬”と片付けるにも様子が変である。


『この街の”商会の人”だよね?』

『たぶんな』


 現れたのは、普段店の奥に引っ込んでそうな身なりの商人達だった。

 もちろん、荷役や、船乗りなどの”屈強な者”に混じってごく少数の人数であれば、この場所で見かけても別に珍しくはない。

 だが明らかに肉体労働に向いていない、派手目の格好をした”商人風の出で立ちの者”が、埠頭の人口密度の7割を超えて集結して、全員の視線が俺達を捉えているとくれば穏やかではないだろう。


「っ!?」


 商人達の威圧感にニナが僅かに気色ばみながらアルトとサブの前に出て、その様子を横目で見てから、モニカが後方視界の映像を俺に求める。

 俺達の後ろでエリクが腰のヴィオのすぐ横に右手を下ろし、ロメオが威嚇し返すように体を持ち上げているのを確認したモニカは、そのまま挑むように商人達の群れに一歩足を踏み出した。

 すると、商人達がサッと大きく後ずさり、その反応に俺達は心の中で眉を寄せる。


『妙だな、俺達が怖いみたいだが』

『でも”たたかう気”はあるみたいだね』


 俺の思考に、モニカが適切な言葉を見つけ出す。

 ただしここで言う”戦う”に、暴力的な含まれていない。


「なにか用? ”しはらい”忘れてることがある?」


 モニカが確認するように商人達に声をかける。

 万が一、何らかの料金なり税金なりの支払いが未納なのだとしたら、非があるのは俺達なのでその確認だ。

 実際飛んで入ったし、荷物を”次元収納”に突っ込んだので、”通行税”的な指摘が入る可能性は大いに存在している。


 だが彼らの返答は、俺達の予想通り ・・・・・・・、予想していなかったものだった。

 商人の群れの中から、1人の女商人が歩み出て叫ぶ。


「本日は、モニカ様にお願いがあって参りました!」


 その言葉に俺が、その表情にモニカが首を傾げた。

 ”お願いをする”という内容にしては、女商人の顔が随分と決然としていたのだ。

 見たところ魔力は一般人基準で”並”、体も鍛えておらず特に強そうなところはない。


 それでも一つの商会を率いているのであろう顔つきと、50代と思われる貫禄を武器に、彼女は俺達に挑みかかるような声音で語った。


「どうか、奴隷関係者を襲うのをやめてほしいのです」


 と。


 埠頭を沈黙が支配する。

 商人達の額に冷や汗が浮かび、モニカの顔から感情が消える。

 俺達は少しの間、それぞれに思考しそれを擦り合わせた。

 だが、


「話がみえないけど」


 モニカの言葉通り、俺達には全く意味がわからない話だった。

 俺達が奴隷関係者を襲っている、だと?

 何の話だ?


 だが商人達は、俺達のその答えをそのまま受け取らなかったらしく、巻き起こったざわめきの中に憤りや微かに侮蔑の声が混じる。

 勿論、その程度で不快感を感じる俺達ではないが、俺達に話しかけてきた女商人はそうは思わなかったようで、ヤジを一喝して黙らせると話を続けた。


「”心当たり”が無いと?」

「ないよ」


 モニカがキッパリとそう言い切る。

 だが、その程度では商人達の不信感は拭えなかったらしい。


「では、”モニカ・アイギス”の旗を掲げた者達の事も?」


 女商人は更に意味不明な単語を追加した。

 モニカ・・・”アイギス”だと?

 俺達の名前は、”モニカ・ヴァロア”であって旧ホーロン公爵の”アイギス”ではない。

 ”ヴァロア呼び”にケチをつけるとしても”モニカ・シリバ”だ、こっちは正当に得ている。


「しらない」


 当然のようにモニカはそう答えると、息を一つ吸って切り替えした。


「あなた達が、わたしの何に怒ってるのかわからない。

 まず、そこから教えてくれない?」


 モニカのその言葉に、女商人は不承不承といった雰囲気のまま、事の経緯を話し始めた。


 どうも俺達が、ヴァロア領に帰って奴隷産業廃止を宣言してからというもの、各所の奴隷関係施設で襲撃が始まったらしい。

 魔法士の一団と思われる族が襲い、奴隷施設の防御態勢をズタズタにして奴隷を奪っていく。

 しかも月日を追うごとに急速にその規模を拡大しているとのこと。

 そしてついに、マグヌス北部で貴族の領地の一つがまるごと陥落し、治めていた貴族が敗走する事態になったらしい。


 最初は、俺達の奴隷廃止に触発されて発生した”いつもの散発的な現象”だと思っていた奴隷商人達も、これには黙っているわけには行かなかった。

 奴隷制は産業の根幹ではないものの、サプライチェーンを支える重要な要素だ。

 現に、ここに集まっている商人達の大部分は直接的に被害を受けた奴隷商人ではなく、それによって引き起こされた物価崩壊に巻き込まれて損害を受けている普通の商人達だという。 


 そして目撃者によれば、襲った連中は皆”モニカ・アイギス”の御旗を掲げて襲っていたらしい。

 この北部で、アイギス系の貴族で”奴隷制嫌いのモニカ”など1人しかいない。


 そして女商人はそこまで説明した所で、確認するように俺達に問う。


「まだ、心当たりはありませんか?」

「ない」


 モニカはキッパリとそう言い切る。

 そう言い切ったのだが・・・


『これってあれだよね? ”なんか噂になってる”ってやつ』


 モニカは内心では、冷や汗をダラダラと流しながら聞いてきた。


『ああ、間違いない』


 俺もそれを肯定する。

 確認するまでもない、”心当たり”はあった。

 アクリラでそんな噂を聞いたばかりか、寮の先輩に直々に注意されたのだ。


 だがなぜ俺達が、そしてなぜ滅びた貴族の名前を騙っているのか。

 実は”アイギス”を名乗っている理由については、不本意ながら思い至る所がある。

 というか、そのせいで”容疑者”まで特定できる。


 十中八九、”フルーダー・アボット男爵”だろう。

 だってドラン伯爵邸を初めて訪れた時の帰りに、俺達に”アイギス”を名乗るように提案しているのだ。

 彼もアルバレス経済に思うところがあったようだし、他の者だったらビックリである。


 ただし、それ以上の心当たりもないのも事実。


『”知らぬ存ぜぬ”を通すしかないだろうな』

『だよね・・・』


 モニカが感情だけで困りはてたと愚痴る。

 アボット男爵の話をしたところで、それはそれで碌でもない結果になる事は目に見えていた。


「もしその話が本当だったとしても、わたし達は関係ない。

 自分たちの事でせいいっぱいなのに、他の”どれい”の事をかまってる余裕はないよ?」


 モニカはそう言いながら、暗に”俺達の財政状況ぐらい把握しているだろう?”と言い返した。

 実際、調べたのだろう女商人はそれを聞いて俯く。

 なにせ俺達を財政的に追い詰めているのは彼等なのだから。


「白を切っているわけではないでしょうね?」


 だが女商人のその言葉に、俺達の頭の中に”カチン”という音が鳴り響いた。


「あなたは、本当にわたしに襲われたいの?」


 そう言いながら魔力を全身に滲ませるモニカを俺が必死に止める。

 危うく”魔力炉”に火を入れるところだった。

 どうやら、モニカの堪忍袋の緒の耐久値はかなり危ういらしい。


 女商人もそれを察したのか、続く言葉を飲み込んで俯く。

 だが、彼女も生活がかかっているのだろう。


「・・・では、これを止めるために、なにとぞ御力を御貸しいただきたい。

 いや、この件にあなたが関わっていないと、公式に宣言していただきたいのです」


 女商人が懇願するような声でそう言った。

 確かに彼女の言う通り、本当に関係ないのなら、「関係ない」と宣言するのが筋だろう。

 そうすれば、少なくとも”俺達の名前分の威力”は襲撃者たちから失われ、直に終息するのは間違いない。

 ただし。


「いやだ」


 モニカは首を横に振った。


「なぜです!? あなたの言うことが本当なら、奴らはモニカ殿の名を騙っているのですよ!?

 それとも、やはりあなたが・・・」


 女商人の言葉が途中で切れる。

 それは不快気な顔を強めるアルト達の様子を見たからでも、エリクに止められるロメオの形相を見たからでもなく。

 モニカが発する、強烈な”拒絶”の意思を見たからだろう。

 そしてそれを理解できなかった者も、


「あなた達は、わたし達を助けたの?」


 という、モニカの言葉に対して反応できる程の勢いは残っていなかった。

 彼等だって、誰と喧嘩しているのかくらいは理解できる。

 それに、この話の先に待っている戦場が、どちらかといえば俺達の領分だということも理解しているはずだ。




 それから俺達はすぐに、追われるようにフォリアンの街を経つことにした。

 長旅なのに、まったく泊まらないことに新人3人が驚いていたが、ワイバーンの性能を考えれば問題ないし、泊まるとしてももっと南の街でないと明日中に帰るのがしんどくなると説明すると、3人は遠い目をこちらに向けてきた。

 正直なところをいえば、俺達だって少しは観光するつもりだったさ。

 だが、そんな空気ではない。


 視界の下に流れていく商人達の顔は皆一様に暗いものだ。

 よく見れば、街中がどこかそんな空気を纏っている。

 商業の中継地ということは、”件の襲撃事件”の影響は街の隅々に出ているだろうし、俺達に対する風当たりも強いだろう。


 それでも打ちひしがれた商人達に対して、俺達が”ざまあみろ”と思ったことを恥じる気はなかった。

 それくらい、俺だって彼等に思うところはあったのだ。


 現に、フォリアンの街の空気と対照的に、北国の空の色はどういうわけか、これまで見た中で一番心地の良いものだった。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 俺達が、この奴隷解放運動が予想を超えて巨大化していく事を知るのは、まだ少し先になる。


 全てが俺達の手から滑り落ちて、”もしかしてあの時、彼等の言葉を聞いていれば・・・”と、一時の快楽を後悔するのはもっと後。

 その”結果”に愕然と己の無力さを呪うのは、更に後。

 失ったものを悲しみながら毎夜、この日の事を思い出しては嘆くようになるには、まだまだ幼い。


 もう既に事態は想像を超えて複雑怪奇になりつつあったが、俺達が自身の能力で流れを止めることができたのは、この時をおいて他になかった。

 たぶん目先の脅威に追われて視野が狭くなっていたのだろう。

 結局の所、この時の俺達は”モニカ”というバケモノの事を深く考えていなかったという事だ。

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