2-21【静かな雨音 2:~アトラスの悲鳴~】


 もう50年以上前のことになる。


 その記憶の中では、今でも城の壁が震えていた。

 まだ距離がある筈の場所で行われている戦闘の途轍もない余波が、こんなところまで届いているとは。

 いや、もしかすると自分が震えていたのかもしれない。

 そこはハッキリとは覚えていなかった。


 足の踏み場もないほど大量の怪我人たちが不安そうな顔で、埃を振りまく天井を見やる。

 彼らに待ち受ける運命はどのようなものか。

 明るいものではないのは確かである。

 それでも彼らは、この”上級士官用の病室”に入るに相応しい者達であり、その扱いは隣の一般病棟に積まれている普通の怪我人や、外で震えている一般兵士に比べれば幾分マシなものだ。


 少なくとも、”自分”は彼らを助けようと動いていた。



 心の折れた男が、勢いよく扉を開いて病室の中に入ってきた。

 その目は血走り、全身のそこかしこに大量の包帯を巻いてはいるが、その足取りの隙の無さは、戦闘の素人でも見逃さない。

 きっと、心を折られ、その傷を刺激するようなものが迫っていなければ、その”称号”に似合うだけの威厳を発揮しただろう。


 その男が、他の怪我人を無視して病室の中をズンズンと歩み抜け、他の士官と区切られている年齢層の若い集団に近寄ると、その1人の頭を引っ掴んで囁いた。


「・・・逃げるぞ。 地下水路が西に抜けている、”奴”の狙いはこの城の物資だ。

 負傷兵を追いはしない」


 そう言うなり、その少年の腕を力強く引っ張り、隣の意識のない少女の体を担ごうとする。

 だがそれを、別の少年が掴んで止めた。


「・・・ここを見捨てて、逃げるのですか?」


 少年の声は怒気を孕んでいたが、他の者に聞かれないように押し殺したように小さい音だ。

 他の士官たちが何事かとこちらを見やり、臥せっていた何人かが身を起こす。

 トルバにおけるこの男の存在を考えれば、その言葉の意味はあまりに危険である。

 だが、既に心を折られた男にとって、そんなことはもうどうでもいい。


「はやくしろ、時間がない。 ”奴”はもうすぐそこまで来ている」


 そう言いながら少年の腕を引っ掴む男。

 だが、少年はその手を振りほどいた。


父さん・・・・・・私達はここに残ります」

「お前達が”シセル”に勝てるわけないだろうが!!!」


 病室の中に、男の怒鳴り声が木霊する。


「ここに、アレを止められる奴はいない!!! 残ったところで犬死だ!! お前達はトルバの希望なんだぞ!!」


 男の声は悲痛に満ちていた。

 それもそのはず。

 彼がここにいる理由は、男の全身全霊をシセル・アルネスに打ち砕かれたのだから。

 その身には、今も恐怖と一緒に絶望的な戦力差が刻まれていた。

 それでも若い魔導騎士団員やその見習いなど、次代のトルバの主戦力となる少年少女達を逃がそうとするのは、染み付いた修練の最後の足掻きだろう。


 だが、少年は首を横に振る。


「いいえ、1人・・だけいます。 シセル・アルネスを止められる人が」


 すると、少し離れたところにいた老将校が頷いた。


「そうだ。 ここには我らの希望の星、魔導騎士団の”千刃”、スコット・グレンがまだいる」


 その声に周囲の者たちが、次々にそうだと頷いていった。

 事態を理解できないその言動に、スコットと呼ばれた男は大いに苛立ちを高め、声にならない呻きを発する。

 だが少年は、そんな男の腕をギュッと握ると、覚悟を決めた顔で語りだした。


「ここで勝てないのなら、我々に次はありません」


 その言葉に、他の少年少女が強く同調していく。

 そして、その言葉通り補給線の要であるこの城を破壊されれば、膨れ上がったトルバ軍はその大きさに押し潰されるしかない。


 すると唐突に、意を決した少年がスコットに組みかかった。


「何をする!?」

「私の魔力を使ってください! アトラススコットの鎧なら、私達のよりも大量の魔力が入る。

 あなたがアトラス魔導装具の全力を使えれば、勝機はある」


 少年がそう言いながら、己の壊れた魔導装具の回路を引きちぎって剥き出しにし、そこに魔力譲渡の魔法陣を展開する。

 それも見習いに教えている安全なものではなく、使ったら最後、己の全てを絞り出して相手に渡す”無制限の物”を。

 彼等が知っているのは、それが如何に”恐ろしいか”だけのはずなのに。


「馬鹿なことをするな!」


 スコットが血相を変えて怒鳴る。


「わかってるでしょ父さん・・・。 これが最善だということに」


 だが少年の目は覚悟を決めたように真っ直ぐにスコットを見つめていた。

 と、同時に手元の魔法陣をスコットに近づける。

 スコットはまるで攻撃でもされたかのように飛び退こうとしたが、後ろの少女に体を掴まれた。


「なにを・・・考えている!?」


 スコットが少年の腕を掴んで抑えながら、そう歯噛みする。

 だが負傷してすぐの魔力が回復していない今の状態では、少年の腕を払いのけることすらできない。

 それでもと抵抗していると、今度は少年が懐から短刀を取り出したではないか。


 一瞬、スコットはその短刀で攻撃してくるのではと身構える。

 だが少年はそれをスコットに向けることはなかった。


「・・・さあ、はやく!」


 そう言いながら少年は、心の折れたスコットの心に鞭を打って戦わせるために、追い詰めるような目でそう言ってから、短刀を自ら喉に突き刺した。


 噴水のように真っ赤な血が吹き出し、詰めていた医療魔法士が血相を変えて走ってくる。

 だが少年は、治療を拒否するように医療魔法士を掴んで投げ飛ばすと、死を目前にしているとは思えぬほど強い眼差しでスコットを睨み、”早く取れ”と命令するように手を差し出して、スコットの魔導装具の魔力供給用の魔法陣を展開する。


 ”この命を無駄にするのか?”


 少年の目はそう訴えていた。

 もはや少年は、魔力喪失で死ぬか、失血で死ぬかの二択しかスコットに与えていない。

 その状況にスコットの顔面が蒼白になる。

 だが、少年の強い眼差しに追い詰められて後ずさることもできなかった。


 するとその様子を見ていた他の少年少女達が、次々にその手に短刀を取って喉を掻き切り始めたではないか。

 そして全員が、その手に魔法陣を光らせていた。

 追い詰められたスコットはその状況を、ただ呆然と見ているしかできず、この狂行を止める手段がないかを必死に探すも、見つからない。


 彼等は次代のトルバを支える魔導騎士見習い、たとえ負傷しようとも全員が理解していた。

 例えどんな手を使おうとも、スコット・グレンを今すぐ戦場に戻さなければ、”トルバ独立”の夢が終わると。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 聖王2102年の春。


 スコット・グレンはその忌まわしい記憶を思い出しながら、思い出す原因となった男の顔を睨んだ。

 

 現、トルバ魔導騎士団長ディーク・グリソム。

 かつてスコットと剣を並べ、共に戦い、”最後の誓い”を破った剣士である。

 だがあの時の、誰よりも才能に満ち溢れていた青年の姿はない。

 今、スコットの研究室で傍若無人に茶を啜るこの男の顔には、あの時にはなかった老獪さが浮かんでいた。


「ペントリアで私達が無力に打ちひしがれている間、あんたがノーティカスで戦った”シセル・アルネス”を覚えているか?」


 その問いにスコットは押し黙る。

 まさに今頭を過ぎった所だ。

 忘れるものか。


「忘れた日があったと思うか?」


 その”傷”は、未だにスコット自身を蝕んでいるというのに。

 だがその答えにグリソムは首を傾げる。


「自分には、年に数日くらいは忘れている顔に見えるぞ?」


 その言葉にスコットは表情を険しくするが、それを見てもグリソムは笑みを深めるばかり。


「まあ、何があんたを変えたのかはこの際どうでもいい。

 問題は、その”シセル・アルネス”が直々に、”モニカ・ヴァロア”に会いたいと言ってきた事だ」

「あの”魔王がどうたら”というやつか」


 スコットの問にグリソムが頷く。

 ことの経緯は校長から伝えられるまでもなく、既にアクリラの街角で見ることができる。


「表向きはアムゼン魔国の要請だが、その話を進めたのはかの”元大魔将軍様”らしい」


 スコットはかつての同僚がもたらした情報に、思考を巡らせた。

 魔王の名前が出た時点で脳裏に浮かんではいたが、まさか大魔将軍直々の指名があったとは・・・


「”大魔将軍シセル”とサシで4度も戦ったあんたなら、その危険性は分かってるだろ?」


 グリソムがそう言ってこちらの反応を窺う。


「・・・シセル・アルネスはあの子を殺す気か?」

「キャンベルとしては、2超大国に泥をかけるような事態は回避しておきたい。 ・・・だが、アムゼンの中ではおそらくな」


 グリソムの言葉にスコットは俯く。

 



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「そのシセル・アルネスって、どんな人なの?」


 モニカが、今しがた出てきたばかりの名前をガブリエラに問う。

 あのガブリエラが強気に出れない戦力というのはかなり異例である。

 するとガブリエラは意外そうな顔で聞き返してきた。


「モニカはどの程度の事を知ってる?」

「なんか、そんな人がいたってことくらいかな」


 モニカが小首を傾げながら答える。


「外に同じく、俺達が取れてる中1の基礎教養の授業じゃ、あんまり細かいところはまだなんだ」


 もちろん”大魔将軍”や”シセル・アルネス”という単語自体は知っている。

 トルバの独立戦争の最後である”ペントリアの戦い”とセットでテストに出るからな。

 だが、”そういうのがあるよ”以上のことは知らない。

 エリクの口ぶりからうっすら察していたが、大魔将軍がめっちゃ強いというのも一応初耳なのだ。


「正直、私もよく知らないですよ。

 トルバの独立戦争期は、魔王の名前を覚えるのでいっぱいなんで」


 ルシエラもそれに乗っかってくる。

 高等部でもそういう認識なのか。

 ちなみに”歴代魔王の名前”は、高等部の歴史の鬼門である。

 ”ルイーセ”と”ルイーゼ”と”ルーセル”が何人いるんだ? って感じなのだ。

 だがそれに関しては、ガブリエラは呆れたように息を吐いた。


「そなたは、専門にかまけておるからだろうが」


 その言葉にルシエラが僅かに呻き、扉の前で陣取るリヴィアさんの表情が少し崩れた。

 なるほど・・・高等部ではちゃんとやるのね。


「だが、”シセル・アルネス”を知らぬとはな。 その出生ゆえモニカが知らぬのは仕方ないが、周りの者までそうとは」


 ガブリエラがそう言って、納得いかんとばかりに腕を組んで憮然とする。

 するとリヴィアさんがフォローをくれた。


「ガブリエラ様、最近の子はこんなものですよ。

 地続きの”大戦争”の英雄ならまだしも、もう何十年もほぼ音沙汰なしでは実感も湧きません」

「そんなものかな」


 ガブリエラがそう言いながら考え込む。

 どうやら、俺達やルシエラとのジェネレーションギャップに戸惑っているらしい。

 ただ、ルシエラはともかく俺達が世間ズレしているのは、エリクやアイリスの話を聞いても明らかなので、世の中的には”大魔将軍様”の話も一般常識と考えるのが自然だろう。


「それで、その大魔将軍ってのはどれくらい強いですか? スコット先生の足を斬ったって話だけど・・・」


 俺はそれとなく話を戻す。

 今知りたいのは、シセル・アルネスとかいう魔人が、どれくらいの脅威なのか知るための材料である。


「あぁ、そうだったな。 では”不勉強の姉”もいる事だし、世間一般に知られている話からするのが良いだろう。 ウル!」

「かしこまりました」


 ガブリエラの合図に、ウルが待ってましたと鹿魔装獣の目を光らせ、そこからが立体映像を空間に投写させた。

 どうやら授業とかで使う、投影魔法を使うらしい。

 こっちとしてはありがたいが、映し出された”マジカル・グラフィックス”の作り込みがかなり細かい所を見るに、今日のウルは相当ノリが良い様だ。 


 今俺達の目の前に現れた映像には、俺達の知らない様式で建てられた、巨大な壁を持つ城のような街の姿が映っていた。






 聖王 2047年   現在のトルバ中部


 現在ではトルバ列強の一つである”フォルクノー”の首都、ノーティカスは未曾有の恐怖に襲われていた。


 当時、アムゼン魔国との独立戦争の末期とあって、最前線から少し距離の離れたこの都市は、トルバ側の最重要物資拠点であるにも関わらず軍備が手薄で、負傷兵ばかりが集められていた。

 最前線に近い側の城壁の上に、黒山の兵士達が並びながら震えている。


 わずか12万・・・・・・の寡兵では、1人もの・・・・大軍を前にしては己の無力さに震えるしかない。

 あまりにもの”戦力差”は、兵士の心を容易にへし折るのだ。


 おかしな話と思うだろうか?


 だが、主力の出払った彼等の殆どは負傷兵か元負傷兵。

 戦場で魔人の力と、その主戦力である”魔将軍”の力をその身に刻み込まれた者達だ。

 そして、今ノーティカスを襲う脅威は、その中でも一際尋常ではない。



 数時間前、南方のペントリアでの大規模戦闘でトルバ軍は、”七剣”4人を含む総力戦でもって、魔王軍の主力と激突した。

 その戦況たるや、それ自体が地獄と呼ぶに相応しい程である。


 だがそれは、たった一人の戦力をトルバの内側に送り込むための魔国の”陽動”だった。


 守りの薄い部分を突き破り、そのまま進路上のトルバ軍を要塞ごと破壊しながら突き進むその者を、主力を前線に出してしまったトルバ軍に止める手立てはない。

 最初から、アムゼン軍の狙いは補給線の破壊であり、その中核であるノーティカスの破壊だったのだ。


 南の空が、異様なまでに青く染まる。


 それが太陽の光の中ですら輝いて見える程の量の魔力であることを、歴戦の兵士達はすぐに見抜いた。


 続いて、すぐに平原の先の山並みの稜線に、その”影”が浮かび上がる。

 身の丈は20ブルを超え、背中から伸びた両翼端の間隔は50ブルに迫る。

 只でさえ魔獣並みの魔人の、更に”上位種”である”竜人”。

 ”自然由来”としては、今もって最強の座を揺るぎないものとする、魔王軍最高幹部。


 ”大魔将軍:シセル・アルネス”


 その異様な立ち姿は、その種族がかつて”デーモン”と呼ばれていた頃に描かれた出鱈目な想像図を彷彿とさせた。

 だが何より異様なのは、その全身に穿たれた大量の剣や槍の数。

 ここまでその足を止める為に放たれた攻撃、それをシセルは抜く事すらせずにここまで走り続けてきたのだ。

 そのどれ一つとして只物はなく、大陸に名を轟かせる業物も一つや二つではない。

 ノーティカスを守るために、前線のトルバ軍がどれ程の犠牲を払ったか。


 だがシセルは、己に刺さるその武器達を鎧の様に纏い、浴びた血を戦化粧に、その力を誇示したまま。

 それが意味するのは、どうやっても覆す事のできない、”絶対的な力”を前にしては、どのような策も無意味でしかないという事か。


 それでもノーティカスの衛兵は、震える足を無理やり動かしながら、城壁の前に整列し陣を組む。

 軍なら容易く受け止めるノーティカス城壁も、単体のシセル・アルネスが相手では無防備な横っ腹と変わらない。

 とはいえ衛兵が陣を固めたところで、壁以上の事ができるわけでもないが。

 それでも最前線の指揮官は決死の表情で号令を飛ばし、後方の魔法士軍団が先制の遠距離攻撃と前線の近接武隊の支援を始めた。


 第一波の遠距離攻撃が山腹に次々に命中し、高さ数百ブルを超える爆炎を巻き上げる。

 明らかに対人用ではなく、攻城戦用の破壊力特化攻撃だ。

 その火球の中に、分厚い鎧と防御魔法で全身をガチガチに固めた大柄の獣人戦士達が突入する。

 負傷兵とはいえ、トルバ全土から集められた大型獣人の体躯は魔獣並で、事実何人かは上位種も混じっていた。


 そんな巨躯達が、火球の中から伸びてきた魔力の光に当たって弾け飛ぶ。

 だが、直撃した者は瞬間的に蒸発したというのに、何に当たったかなんて誰も気にしない。

 先手の一撃が相手に大したダメージを与えていないことなど承知の上だからだ。


 すると、まるで薙のような一閃で爆炎が吹き飛ばされ、その眩しい光の合間から破壊の化身が姿を見せ、その姿に先頭の大型獣人達が震えがった。

 体格だけならば負けない筈の”象人”達が己が小ささを呪い、それ以下の者達など認識できる恐怖の次元を超えている。 

 ただし不幸中の幸いか、彼等の恐怖が長続きすることはない。

 次の瞬間には先頭の数十人が纏めて消し飛び、その破片が混ざりあった砲弾が平原を飛び越え、ノーティカスの城壁に突き刺ささり、その衝撃で街全体が地震の様に揺さぶられたのだ。

 城壁の上の兵士達に動揺が走る。


 しかし、それでも突撃部隊がその手を弱めることはなかった。


 末席の魔導騎士を含む数人の主力級兵士達が、先陣の犠牲の間に作った僅かな隙でシセルの周りを取り囲み、一つ一つが戦略級の攻撃を雨のように放つ。

 戦時期とあって、その攻撃は近年の兵士と比べても遜色ないほどに高威力で、それでいて遥かに苛烈。

 何者の生存も許さぬその攻撃は、それでも件の大魔将軍には、わずかな痛痒しか伝わらなかった。


 返り血が焦げた煤で顔を汚す巨大なデーモンが、その腕を一気に振り払う。

 すると、いつの間にか巻き付けられていた拘束の鎖が勢い良く巻き取られ、繋いでいた若い魔導騎士をその地面ごと引きずって手繰り寄せると、反対の拳でその上半身を弾き飛ばした。

 あまりにもの力の差。

 主力軍すら策を弄さねばまともに受け止める事すらできないその力を、いったい誰が止められるのか。


 勇敢なノーティカスの兵士達は、それでもとシセルに挑みかかっては、一瞬でその身を散らし、余波が何度もノーティカスの壁を叩いた。

 後陣が壊滅し、残った者達が壊走するか皆殺しにされるまで、どの程度の時間を要したのか。

 気づけば殆ど無抵抗に近い速度を保ったまま、シセル・アルネスは城壁の前に辿り着いていた。


 城壁の衛兵達が、絶望的な表情で眼下を見つめ、シセルの遠距離攻撃で城壁の上部ごと一瞬にして吹き飛ばされる。

 誰もが陥落の瞬間を悟った。

 この怪物を止められる者など残ってはいないと。


 だがシセル・アルネスは違った。


 壁の前で立ち止まったかと思うと、不意に上を見上げたのだ。

 今しがた自分が吹き飛ばした城壁の上部を。

 そもそもシセルは衛兵を攻撃したのではない。


 雨のように降り注ぐ瓦礫の向こうに、黒い小さな人影が映る。


 ノーティカスには残っていた。


 魔人に対抗できる人類種の希望。

 魔導騎士団の頂点に君臨する七剣。

 その一振り、”スコット・グレン”が。


 吹き飛ばされた瓦礫の向こうに、シセルの巨体から見れば本当に小さな影が現れ、それに対し、伝説の大魔将軍はこれまでにない程の警戒を向ける。

 事実その体は、平常の魔導騎士に許されているものを遥かに超える魔力出力を放っていた。


「どのような禁手に手を出したのか!」


 シセルが”好敵手”に向け、笑みを浮かべながら叫ぶ。

 一方のスコットの全身からは魔力光が滝のように溢れ出し、そのとてつもない力に、頑丈なはずの魔導装具が火花を散らし撒いていた。

 もはや”軍位スキル”にすら匹敵する出力で、その出力に耐えるために表面に魔力を流さなければ、一瞬にして彼の体は押しつぶされただろう。

 そして、スコットの顔の血管が真っ赤に腫れ上がり、大量の汗が即座に蒸発している様子からシセル・アルネスは、その長い戦闘経験の中から、背水の魔導騎士が時折見せる”その力”が、他の者の命を奪って成り立っていることを思い出していたのだ。


「・・・・・・!!!!!!!」


 スコットの声に聞こえない絶叫が木霊する。

 その悲しみと怒りと使命感に染まった声を響かせながら、スコットが振り下ろす大剣が光り輝きながらブレて消えた。

 一閃で千の斬撃を放つスコットの剣先が、文字通り豪雨のように己の”領域”を広げながら、シセル・アルネスへ襲いかかったのだ。


 きっと弱者なら避けようとしただろう。

 いや、本当の弱者なら、認識することすらできなかったか。


 そしてシセル・アルネスは、この戦場で初めて武器を手に取った。

 驚くことにそれは、自らの背中に突き刺さっていた、スコットの物よりも大きな大剣。

 そして自身の行動により初めて鮮血をこの戦場に巻き散らかしたシセル・アルネスは、その剣を徐に突き出し、スコットの一撃を向かい撃った。


 共に人智を超えた速度でぶつかる超金属同士の衝突音は、一般的な”ガキン”という金属音ではなく、その大部分が超音波として可聴領域を超えた、単なる”衝撃波”として周囲を揺さぶり、聞こえないはずのその音の音量に、ノーティカスの中にいた殆どの者は耳を塞いだ。


 だが、スコットの攻撃は受けたところで止まらない。

 続けざまに放たれた999発の斬撃が、一撃目で動きを止めていたシセルの剣をすり抜け、その奥へと滑り込み、何人も生き残れぬ空間をその場に展開する。

 シセルの手にしていた業物の大剣が耐えきれず、即座に破裂する様に細切れになるような斬撃の雨の中、聖剣よりも遥かに頑丈なシセル・アルネスは代わりに左の拳を前に突き出した。


 比較的近くにいた兵士達が、その光景に冷や汗を浮かべる。

 超常的な斬撃を放つスコットと・・・それを意にも介さない、大魔将軍の強度に肝を冷やして。

 シセル・アルネスの腕は、とても千の斬撃を受けたとは思えないほど完全で、ただその表皮にうっすらと付いた無数の細かい”引っかき傷”が、地獄の残滓をわずかに残しているだけ。

 スコット・グレンの伝説の剣撃は、それ以上の伝説である大魔将軍を前に、殆どまともな傷すら付けることができなかった。


 それでも。


 スコットは剣圧で変わっていた移動方向を、無理やり空中を蹴ることで変化させ、間髪入れずに2撃目の千刃を繰り出す。

 だが、大魔将軍に2度も攻撃が通る訳もなく。

 シセル・アルネスは、突き出していた右腕をゆっくりと動かすと、そのまま剣の渦の中へと差し込んだ。

 数百の斬撃音が重なった一つの高音の中に、”ガッ!!”っというノイズが混じり、スコットの体が一気に揺さぶられる。


 超高速の斬撃をシセルが指で掴み取り、その反動でスコットの体が吹き飛ばされそうになったのだ。

 だがスコットは、桁外れのバランス感覚で超常的な力に物を言わせ、強引かつ優雅にそれを往なし切る。

 舞踊の一節を見せられたかのような動きで向きを変えると、そのままの勢いを利用して、シセルの巨体ごと大剣を思いっきり振り抜いた。


 20ブルの怪物が小さな砲弾の様に打ち出され、地面にぶつかって噴火の様な巨大な土煙を巻き上げる。

 城壁の上の戦歴の浅い衛兵たちがそれを見て歓声を上げた。

 だが、ベテランの兵士達は逆に警戒を深める。

 相手は魔人の、それも魔将軍だ。


 ダメージどころか、これを逆手に取り地面に潜って攻撃してくることもある。

 一時期それが多用されたこともあってか、兵士達の視線が一瞬足元に流れた。


 だがスコット・グレンは煙の中に向かって叫び、鎧から大量の噴流を垂れ流す。

 するとまるで、その咆哮に応えるように噴煙の中に黒い影が浮かび上がったではないか。

 シセル・アルネスは己に小細工の必要など無いと言わんばかりに、腕を払い噴煙を吹き飛ばすと、そのまま猛烈な勢いで加速し、それに対しスコットも応戦する様に加速した。


 一瞬にして激突する2つの光が、衝撃波と使いきれなかった魔力を撒き散らす。


 ”対抗できている”。


 前線をその衝撃が駆け抜ける。

 だが、それは希望が見えたからではない。


 その異常な強さと背中から羽根のように伸びる魔法陣から、スコット・グレンが魔導装具に備わる”最後の機能”を使った事を悟ったからだ。

 最も判断が早かったのは、城壁の上で俯瞰していた後詰めの魔法士達。

 既に持ち場が半壊し、戦線を失っていた彼等は即座に身に着けていた魔道具類と、スコット・グレンの魔導装具を直結させた。


 その瞬間、一瞬で魔力を吸いつくされ命を失った魔法士達が、バラバラと音を立てて一斉にその場に崩れ落ちていく。

 最前列の幾人かは城壁から滑り落ち、地面にぶつかって更に大きな音を立てた。


 すると、まるでその命を吸ったかのようにスコットの鎧は輝きを増し、その大剣が圧力を増していくではないか。

 それは魔将軍との間に横たわる、膨大な戦力差を埋めると思えるほど。

 ただ、それでもシセル・アルネスは屈しない。

 どれだけスコットが強化されようとも常に優勢を取らせず、圧倒的な力でそれを受け止め打ち返す。

 だが決定的にスコットを打ち倒すまでには至らない。


 誰かが叫んだ。


「魔将軍は弱っているぞ!!」


 シセル・アルネスが、ノーティカスの街に至るまでその身に受けた傷は、表面的には問題なくとも、限界まで研鑽を積み強化された魔導騎士を相手にしては決定力を失わせるには十分だった。

 その一筋の希望が兵士達を鼓舞する。

 

 スコットが剣を一振りする度、竜巻のような斬撃がシセルを襲い、魔法士達が生命力ごと魔力を失って倒れる。

 シセルの一撃をスコットが受け止める度、更に多くの魔法士が死んでいく。

 後方支援部隊が尽きれば、前線部隊が、それが尽きれば街の中の援護兵達が、最後には住民までもが周囲の魔法士に抱きついて己の魔力を渡した。


 2人の戦いは、周囲の命を喰らいながらその勢いを増していく。

 ”1人の怪物”と”12万の命”が互いに食らいつき、だが互いに勝ちきるまでには至らない。


 その戦いは半日を超えても続き、その甚大な災禍を前にトルバ軍の兵士たちは、己の命を刈り取る寸前で展開される暴威に逃げることもできずに怯え続け、それでもスコットに命を供給し続けた。

 圧倒的戦闘力に、多数の補助を受けた英雄が立ち向かうその構図は、偶然にもこのトルバ独立戦争の象徴そのものの様に見え、だからこそノーティカスの兵士達は、己の命が尽きようとも、決して魔力を差し出す事を惜しみはしなかったのだ。



 だが、永遠に続くかと思われたその戦いも、終わりはやってくる。

 トルバにとって幸運だったのは、スコットが喰らい尽くした命がノーティカスの半分に達する前に、それが訪れたことだ。



「よくやった、七剣よ」


 いつの間にかクレーターのように抉れ上がった地面の底で、シセル・アルネスが対するスコット・グレンに言葉をかける。

 二人共ボロボロの血塗れで地に伏し、もう精魂尽きそうなことは誰の目にも明らかだろう。

 強いて言うなら、下半身が潰されている分だけ、スコット・グレンの方が不利に思える。


「そなたの勝ちだ」


 だがシセルは高らかにそう宣言すると、それまでの疲労が急に吹き出したように、その場に崩れ落ちた。

 その体に先程までの覇気はない。


「残念ながら、我々の旅はここで終わりだ」


 シセルが悔しげに呟く。


 例えこの戦いに勝とうとも、もう既にシセルにノーティカスを攻め落とすだけの余力は残されてはいなかった。

 飲食も休憩も取らずに、トルバの防衛線を1000㌔に迫る大蹂躙しながらの行軍と、そこから始まったスコットとの戦いで、いかな大魔将軍といえどもついに限界を超えていたのだ。


 そしてこの場でスコットに負った”時間”の足枷は、前線からトルバ軍主力が追いつくには十分すぎた。


 日の入り前、夕日を背にシセルが立つ山の稜線に、今度はトルバ連合軍主力の大軍勢が朝日に照らされながら現れたのだ。

 スコットと打ち合い、消耗した状態であれを打ち破る力はもうない。






「こうして、長きに渡るトルバの独立戦争は終りを迎えたわけだ」


 ガブリエラが、随分と自慢気にそう語り終えると、ウルが立体映像を止めた。

 その、満足そうな顔ときたら・・・

 先程までの深刻な顔はどこへやら、彼女の表情はとても俺達に脅威の説明をしているとは思えない。

 それを見たルシエラがモニカの髪の中から俺の感覚器を引っ張り出し、そこに向かって呟く。


「そういやこの人、”空間魔法系”に進む前、”トルバ独立戦争”の研究してた時期があったっけ・・・」


 ルシエラが酷くつまらなそうな顔で、そう耳打ちする。


「へー」

「そうなのか」


 その情報に俺達は素直に感心した。

 意外というか、何というか。

 歴史が好きとは、全然雰囲気の違うアイリスあたりと似たような趣味ではないか。


「この人、こう見えて夢見がちだからねー」


 どうりで、随分気合の入った説明だったわけである。

 ひょっとして、この辺の話が案外ガブリエラにとっての”マルクスの冒険モニカのお気に入り”に当たるものなのかもしれない。

 映像に出てきたシセル・アルネスの姿は、圧倒的強さのせいかどことなくガブリエラっぽさがあった。

 俺の中に、歴史活劇に心躍らせる少女の姿が思い浮かんで来る。

 中身のことを知らなければ、中々に微笑ましい光景だ。


 まあ、俺にとってはどっちの物語も”生命の脅威”に変わりないのだが。


「それで、この話を聞いてどう思った? 正直に答えてくれ」


 好きな逸話を話せてまだ上機嫌のガブリエラが、徐に俺たちにそう聞いてきた。

 だがそれに対し、俺達は返答に窮する。

 モニカが俺にどう答えるべきか、感情だけで聞いてきた。


『正直に答えるしかないだろう』


 俺がそう意見を伝えると、モニカは言いづらそうな口調でガブリエラに答えた。


「うーん・・・正直にいうと・・・意外とよわい?」


 次の瞬間、”空気が凍る”、というのはこういう事かと思うような沈黙が部屋の中に充満する。 

 ”大魔将軍が弱い”とは、普通の神経から出てくる言葉ではない。


「・・・まったく、ずいぶん上から言うようになったじゃないの」


 するとそう言いながら、ルシエラが拳を俺達の頭頂部にくっつけ、そのままグリグリと押し付けてきた。

 その拳が、”死にかけたところだろ”と念を込めている。

 実際、その通りであるので大変恥ずかしいのだが、率直に意見を述べろと言われては仕方ないではないか。


「いやいや、俺達が勝てるかというよりも、ガブリエラが手に負えない戦力には思えないんだよ」


 俺は慌てて、ルシエラにそう弁明する。

 俺達だってもちろん、本気で”弱い”なんて1ミリも考えてないのだ。


 ただ、いくら全盛期+謎ブーストとはいえ、スコット先生ごとき・・・・・・・・・を相手に、即座に決め切れないとするなら、精々が”鍛えた勇者”と互角といったところになってしまう。

 あの頼もしい俺達の先生でも、”魔導騎士”の基本戦力は勇者には大きく劣るというのが世間の常識だ。

 だとするなら、とてもじゃないが、ガブリエラを向こうにして、俺達を殺せる戦力とは思えない。


「ガブリエラが対応できない何かが別にあるのか、・・・それとも、今の話はデタラメ?」


 俺がガブリエラに率直にそう伝えると、彼女はなんとも愉快そうな顔になった。


「ほう。 私をそこまで高く買ってくれるか」

「いや、買うとかじゃないですよ・・・」


 あれから、俺達も制御魔力炉を本格的に使うようになって、その力は身にしみているし、それを使いこなしているガブリエラの力は、前以上に遠くに感じている。

 ガブリエラなら、あの”息子”にだってたぶん勝てる。

 それも余裕で。


 そしてどうやら本当に、俺達のその見立ては間違いではなかったらしい。


「・・・デタラメではない。 これでも経緯はだいたいあっている。

 だが確かに今言った話は、かなりトルバ寄りに脚色されているな」


 ガブリエラはそう言うと、ウルに次の資料を表示する様に合図した。


 魔力が空気を焼く音がして、眼前に映る映像が切り替わる。

 現れたのは、今しがた聞いたのとは随分と印象の異なる・・・だが、遥かに強力な魔人の姿だった。


 ただ・・・これは・・・


「これが本当のすがた?」


 モニカの問に、ガブリエラが小さく頷く。

 それは、さっきの映像とは随分と毛色の違う姿をしていた。


「あの怪物は、シセル・アルネスの伝説が創り上げた”虚像”だ。

 そなた等に、”世間一般の心象”を伝える為・・・それとそなたに恐れてもらう ・・・・・・為に、先の話ではあえてそのままにしたが、どうやら逆効果だったようだ。

 もっとも、”虚像”の方が弱いのだから仕方ないが」


 ガブリエラはそう言って肩を落とす。

 だが、確かに目の前に映る魔人は、この姿を先に見せられていたら、”怖がらないだろう”と思うのも無理はない見た目なのも確かだ。


「そなた等と初めて合ったとき、私の魔力制圧を抜けたのは、”そなたで3人目”と言ったのを覚えているか?」


 ガブリエラの言葉で、俺はあの時の、あの”無茶苦茶な挨拶”のことを思い出す。

 なんとか切り抜けることができたが、今になってみても難易度は変わらないと思えるほど、とんでもない魔力圧で制圧されたのを覚えている。

 あんなものを抜けられるのは、それだけで誰もが警戒すべき”異常”なのだ。


その1人・・・・が、この”シセル・アルネス”だ」

「じゃあ・・・」

「ああ、青二才だった私のそれを、シセル・アルネスはこともなげに抜け出してみせた。

 当時の私の全力を、まるで無礼とも思わないとばかりにあしらわれたものよ」


 その言葉に、俺達の空気が変わる。

 だとするならば、”自らの手に余る”というガブリエラの言葉は、本人の見立てによるものだからだ。


『でも・・・それじゃあ、さっきの話ひつようだった?』

『世間知らずの俺達が、タダで歴史の授業受けれたんだから文句は言うな』




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 アトラス魔導装具の警告音が、”今”も、光を失った兜の中にけたたましく鳴り響く。

 初めて聞いた時は剣士らしくないと唾棄し、戦地を駆けるに連れ、唯一自分の身を案じてくれている存在と気づいてからは、伴侶よりも愛し信頼したその警告音が、悲鳴を上げている。


 あの日、あの最後の戦場の中で、力も精神も出し尽くし伏せる私の代わりに、アトラスが泣いていた。



「我々の旅はここで終わりだ・・・」


 スコットの記憶の奥底で、掠れかけたその声が木霊する。


 結局、世間に流布されている話で正しいのは、この台詞だけだ。


 だがその言葉が出た口は、20ブルを超す巨体の”デーモン”からではなく、

 まだ子供の様な幼さと儚さを感じさせる、魔人の”少年”の口からだった。


 本当のシセル・アルネスは、長身な部類ではあるがそれほど大柄ではない。

 スコットとの体格差も、身長で僅かに勝る代わりに厚みでは大きく負けているので、当時の大柄な魔導装具を考えれば随分とスコットの方が大きく見える。


 そして、伝承で語られるほど弱く・・もなかった。


 市域に転がる与太話と違って、本当のシセル・アルネスは大量の刺さった武器どころか、背中に傷もなく。

 スコットとの戦闘を終えても尚、余裕を残した状態で立ち続けていたのだ。


 反対に地面に転がるスコット・グレンは、全身を傷だらけにされ、完全に足を砕かれて仰向けに倒れている。

 とても”勝者”の姿には見えない。

 実際、破壊されたアトラスの残骸の中で、スコットの心の中は完膚なきまでに叩き潰されていた。

 これ以上ないほどの犠牲を払い得た力。

 それすら実際には、この”怪物”にはまったく通用しなかったのだ。


 だが何より、スコットの心を砕いたのは、眼前に無防備に広がるノーティカスの城壁を見上げる魔人の少年の姿が、自分以上の”敗北感”に塗れていた事。


 それは”史実”に書かれたような、トルバ軍の主力の軍勢を見たからではない。

 なにせそんなものは、実際には翌朝まで現れなかったのだから。




 シセルの敗北は、端からスコットとの戦闘などに影響されるものではなく、当時の第4席国家にして現首都国のエドワーズとアムゼン魔国が交わした、”密約”によるものである。

 そもそもの話、魔国は当時既に・・負けていた・・・・・のだ。


 実際に現場でその苦しみに喘いでいた者たちは気づかなかったが、長きに渡る戦乱をものともせずに膨らみきったトルバを前に、アムゼン魔国の国力は極限まで削り取られていた。

 なんのことはない、リソース勝負で覆し難い大差が付いただけのこと。

 それは”魔将軍怪物達”が暴れたところでどうしようもない程の。


 そしてもはや戦線の維持が困難になった時、水面下で勢力を増していたエドワーズの”ゴブリン達”が交渉に動いた。

 まだ、エドワーズの一官僚に過ぎなかったクリント・ミューロックが、極秘に魔国に講和を持ちかけたのである。

 それも魔国への経済支援や、講和後のトルバ内での後見まで行うという破格の条件で。


 ・・・その代わりにミューロックが魔王に求めたのは、トルバの全勢力が集結するペントリアで、それを打ち破ること ・・・・・・。 


 面白いことに、その場にエドワーズの軍はいなかった。

 他ならぬ、ネリスやキャンベルといった大国が、当時は害獣として忌避されたゴブリンやトロール、その混血種や、それを同胞と見なすエドワーズ軍を引き入れるのを拒んだからである。 

 今にして思えば、参謀達は瀕死の前線部隊を前に随分と贅沢な判断を下していたものだ。


 シセルが単独でノーティカスを襲ったのは、ノーティカスに備蓄されていた、エドワーズ捻出の軍事物資を狙った、せめてもの足掻き ・・・に過ぎない。

 だがそれも、シセルの速力を周到に計算したゴブリン達の提示した”休戦時間”に阻まれてしまう。

 滑稽なことにスコットと、若き魔導騎士達はその命を無駄に散らしてまで、最後の門番を務めたのだ。


 トルバ独立の機運が高まった時、ゴブリンは地を這う悍しい獣として、魔国と同じくらいの敵とみなされた。

 それは独立戦争が激化しても、殆ど変わらない。

 スコット自身、幼年の頃、友人の兄妹を食われ、その報復や駆除として殺したゴブリンの数は数えることもできない程である。

 彼らは汚く醜く、姑息だが知能も低く力も弱いので、本当に見かけたら踏み潰すくらいの存在でしかなかった。


 それがどうしたことか。


 だが結局、アムゼンもトルバまでも、最後は自分達が最も弱く、最も愚かと見下した存在に食われ、

 そしてなんと皮肉なことに、彼らの”慈悲”を得て、それまで命をとしてまで欲しがった筈の安寧を手に入れたのだ。

 当然、幾つかの国から反発があがる。

 ”捨て駒になってでも”が標語のトルバ軍を捨て駒にされても文句は言えないし、その選択がなければ、より多くの戦死者が出たのは、あの時前線にいた誰もが痛感していた。

 ”じゃあ魔国と戦ってるべきだったのか?”と、問われてプライドを取れるほど、トルバの余力も残っていなかったのである。

 それに自分達自身が、自分達の望みの最大の障害になっていたというのだから、憤る権利すらない。


 ただその事実に気がついた時、七剣達は己の剣を砕き、静かに野へと散っていった。

 何も成せなかった己の無力さを呪いながら。



「・・・あの戦いに、なんの意味があったのか」


 アクリラの地で久々に会ったかつての戦友グリソムに向かって、スコットは吐き捨てるように呟いた。

 その声には様々な感情が乗っている。


 グリソムは戦後講和会議の席で、スコットと共にこの話をミューロックの口から聞いた時誰よりも憤り、ゴブリン達に噛み付いていた。


” 我々は、お前達のような害獣のために戦ったのではない!! ”


 と。

 常人なら、直視しただけで失神しかねない”仙人”の剣幕を弱めようともせずに。

 だがそれに対しミューロックは涼しい顔で、


” では安心してくれ、我々はそんな君達が生きられる”トルバ南部諸国連合”のために戦っている ”


 と、言ってのけたのを覚えている。

 その時のスコットは冷静に聞き流していたが、その実、心の内側に残っていた最後の”芯”が砕かれる痛みに震えていた。


 だがそれに対し、今の目の前のグリソムは馬鹿にしたような笑みを浮かべた。


「あんたも、他の七剣達も、あんな物・・・・に”意味”などを求めるから、絶望するんだよ」


 その言葉に、スコットは眉も動かさずに表情を険しくする。


「ディーク、お前は何故、我々の”誓い”を破ってトルバ軍に戻った? お前にとって、魔導騎士の誓いはその程度のものなのか? ならば、よく私の前に顔を出せたな」

「幸運な事に、それが”ガキのママゴト”だと気づいたからだ。

 あんたより若かった俺は、あんた等、”先輩達”程、潔く”戦い”を捨てる事はできなかったんだよ。

 とはいえ最初は傭兵まがいで転々としたがな・・・」


 グリソムはそう言うと、どこか遠い目をする。

 まるで、人生の全てをひっくり返す瞬間を見てきたかのようだ。


「・・・何を見た?」

「・・・傭兵として大戦争に従軍した、本当の”地獄”を見たよ。

 あの独立戦争が児戯に思えるほどのな。

 七剣がやってた”英雄”ごっこじゃない、本当の”戦争”を」


 グリソムはそう言うと、かつての七剣時代には見せなかった鋭い視線でスコットを射抜いた。


「スコット・グレン。 我々は”戦場の匂い”から逃れられてなどいない。

 現に今もあんたの手の中に、大陸最大の火種を抱えているじゃないか。

 ここから先は昔馴染みからの忠告と、そして警告だ。

 その火種で燃え尽きる前に、手放せ。

 それは今なら、まだ我々でも消せる ・・・・・・・火だ」


 グリソムはそう言い放つと、スコットの目をじっと睨んだ。


「それが・・・お前の忠告か」


 スコットが小さな声で問う。


「ああ、そうだ」


 グリソムの答えは、まったく躊躇のないものだった。

 だとするならば・・・


「それが、キャンベルの・・・トルバの望というわけか?」

「そうとってもらって構わん」


 グリソムの答えに、スコットは少し考え込む。

 だが、モニカとロンをアクリラから放り出す事を悩んだわけではない。

 なぜ、”元魔導騎士”にこんな焚きつけるような物言いをしたのかをだ。

 

 だが考えても答えは出ないと思い至ったスコットは、一先ず”自分の望”であり、相手の”本心”でもあるその選択をグリソムに伝えた。


「一考にすらならないな。 それに”弟子の火”で死ねるなら、それが私の本望だ」


 スコットはその答えを、淀みなく言い放つ。

 例え剣を取らなくなろうが、魔導騎士団の志が消えたわけではない。


「私が”戦場の匂い”から逃れられてないというなら、なおさらのこと」


 そう言うと、スコットはグリソムから見えないようにペンをギュッと握り締める。

 だがグリソムの表情は、そんなスコットに、まるで懐かしい物を見たように緩んでいたのだ。


「よく言った」


 グリソムはそう言うと、スコットが次の言葉を理解できるように一呼吸置いてから、ここに来た本当の理由を口にした。


「ならば”戦友”として提案する。

 モニカ・ヴァロアの保護人として、ラクイア軍事会議に・・・もう一度軍事の表舞台に名乗りを上げろ」



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