2-X12【幕間 :~蠢く災厄~】
暗がりの中を、一人の男が歩いている。
幽霊の様な、みすぼらしい男が。
闇の中に潜み、その闇を引きずるようなその男の姿は、周りから見ればまるでその闇の主のように見えたことだろう。
その足取りはゆっくりとしたもので、服は衣服と言うよりも、皮膚が伸びて垂れ下がっているようにも見えるせいで、どこか病人めいた雰囲気を漂わせている。
ただ、その両目だけが魔力の光で黒々と闇の中に輝いていた。
男は洞窟のようなその闇の通路を抜けると、唐突に出てきた大きな空間に広がる光景に眉をしかめた。
「・・・何事だ?」
男が呟く。
その視線の先には、岸壁のように巨大な”結晶の壁”が広がっていた。
上を見ても下を見ても、左右を見てもどこまでも続く結晶が。
この広場の部分だけで、数百ブルはあるだろう。
しかも結晶は内部から光に照らされ、青白く輝いていた。
その光景はとても幻想的で美しいが、その光の根源である巨大な”構造物”が見えては些か興ざめである。
いや、”構造物”ではない。
男は、その結晶に埋まる円筒形の物体が何かの構造材などではなく、本当は四本足の蜘蛛のような姿をした”古代兵器”の脚の一部である事を知っていた。
「”ジャン・ブラン” 貴様か」
男が虚空に向ってそう呼びかける。
すると、まるで地面から生えたかのように唐突に、男の目の前に別の男が現れた。
”ジャン・ブラン”と呼ばれたその男は、呼びかけた男とは対照的にかなりしっかりとした身なりに、豪奢な装飾を大量に施している。
その装飾の全てが噛み合って動作している事から、それらは全て彼の”装備”であることが窺えた。
「これはこれは、眠りを妨げてしまいましたかな」
”ジャン・ブラン”が微笑みながら、男にそう語りかける。
すると男は尊大な態度でそれを見下ろした。
「よい。 我が目覚めたのは別の理由だ。
・・・どれほど眠っていた?」
「此度は5週ほど・・・」
ジャン・ブランそう言うと、恭しく手を前に組んで礼をした。
「・・・長いな。 それで・・・これは? なぜ”こいつ”がこんな所に?」
「恐れ多くも、御身の寝所で暴れようとしたため、凍結させました」
「お前一人でか?」
男が訝しげな表情でジャン・ブランを睨む。
するとジャン・ブランは、恐れ多いといった様子で首を横に振った。
「いえ、私は凍結処理だけ。 抑え込んだのは”ウェンスティ”にございます。 おかげで何とも彼女の機嫌が悪い」
ジャン・ブランのその言葉に、男は今度は納得の色を見せた。
「ウェンスティか。 奴には苦労をかける」
男のその名を呼ぶ声には、深い信頼が滲んでいる。
「呼びましょうか?」
「いや、疲れておるだろう。 休ませておけ」
数百ブルを軽く超える古代の怪物との死闘のダメージを、”疲れている”の一言で片付けるこの男のウェンスティへの信頼と、事実その言葉通りである事に、ジャン・ブランの顔が僅かに苦いものになる。
「御身が目覚められた事を、黙っておく方が面倒くさいのですがな」
”なぜ私を呼ばなかったの!”と叱責してくるウェンスティの姿を想像して、ジャン・ブランが皮肉ると、男は苦笑いを浮かべながら視線を前に戻した。
「・・・こいつが暴れた理由は? 完全に我の制御下にあるのではなかったのか?」
「”ピケ”によりますと、何やら”仲間”の信号を受信した模様であります。 それがピケの知らない回路を刺激したとの事」
「仲間? そいつはどこにいる?」
男は頭で皮算用を始めながら、その情報を求めた。
”国喰らいの魔獣”はそれを操作できる”ピケ”の力があれば、強力な兵器となる。
男の目の前に氷漬けにされているこいつはその中でも規格外だが、10ブル程度の”尖兵”でも小国を落とすには十分だ。
「残念ながら、それは叶いますまい」
ジャン・ブランが男の皮算用を即座に霧散させる。
「・・・?」
「受信したのは”国喰らいの断末魔”。 かの古代兵器は己が最後に救援を求めて、戦った相手の魔力の情報をばら撒いた物にございます」
「・・・なるほど、つまりそれを受けたということは、もうその”国喰らい”は倒されたということか。
同時に、”こいつ”が暴れた理由も得心が行く」
男はそう言いながら、薄ら笑い浮かべた。
「国喰らいを倒すとは、時が時ならば文字通り国が滅ぶというのに」
男はかつてピケから聞いた、”数万の国喰らいに攻撃され滅びた国”の話を思い出した。
愚かにもその国は、自らの力を誇示するために、10ブル級の国喰らいを倒してしまったらしい。
そんな時代は1万年以上前の事とはいえ、無知とは恐ろしいものである。
「どこの誰だか顔を拝んでやりたいものだ」
「そのことについてなのですが・・・」
男の何の気無しの呟きに、ジャン・ブランが急にまごついた様子になる。
「ん? どうした? 言ってみろ」
「恐れながら、受け取った魔力情報の中に・・・例の”黒の光”が」
ジャン・ブランのその言葉に、男のこめかみがピクリと動く。
「・・・例の”モニカ・ヴァロア”か」
男の脳裏に、いつか自らをも上回るとされる少女の話が浮かび上がる。
なるほど・・・だが、なるほど。
「ガレスが持ち帰った情報と照合したのか?」
「もう既に」
ジャン・ブランの返答に、男はしばしの間、己の持っている情報を精査しながら考え込む。
だがやがて数週間眠っていたこと思い出すと、ジャン・ブランに向かって命じた。
「我が眠っていた間に溜まっていた報告を聞こう。 城にいる”主柱”を我の執務室に集めよ」
「ウェンスティもですか?」
「彼女には悪いが仕方がない」
主のその言葉に、ジャン・ブランは心の中でホッと息を吐く。
これであの暴れ女に、”よくも除け者にしたな”と叱責されずに済む。
「承知いたしました。 ”ハイエットの柱”一同に、”主”のお目覚めと招集を伝えてまいります」
ジャン・ブランがそう言って、アルバレス式に一礼し、その場を去ろうとした。
「・・・いや、少し待て」
だがそれを、”主”と呼ばれた男・・・”ハイエット”は止めた。
そして周囲を軽く見回す。
その目には、先程までの寝ぼけた緩さは無く、鋭い光が宿っていた。
「どうやら噂の”ヴァロア嬢”は、危ない場所に首を突っ込みたがるらしい。
この分だと、向こうから飛び込んでくるやもしれぬ。
干渉せぬなら放置と思っていたが、対策くらいはしておかなければな。
・・・城に”メシ”を食わせてやれ」
「かしこまりました」
ハイエットのその言葉にジャン・ブランは最敬礼で頷いた。
◇
外。
”ハイエットの領域”の外周部に沿うように、高空を飛行していた”飛竜観測隊”が俄に色めき立つ。
空気の薄い場所を飛ぶために選ばれた、比較的大型の翼の飛竜の腹部の、小さな小屋の中で、軽量化のために
「”目標”に振動あり!」
一人が望遠鏡を覗き込みながら叫ぶ。
するともう片方が、慌ただしい動作で大量の毛皮の中から予備の望遠鏡を引っ張り出して覗き込んだ。
黒の中に浮かぶ小さな丸い視界の中央には、一見すれば何の変哲もない山脈が見える。
強いて言うならば、そのどれもが2000ブルに迫る大山ばかりということか。
だが、その大山の中の一つが、確かに相方の報告どおり僅かに振動していた。
「5週間ぶりに動くか!」
小人の観測員がそう言いながら、紙束を引っ張り出し記録を始める。
すると同時に、振動していた山が僅かにズルリと他の山脈から動き始めたではないか。
更によく見れば、その山は他のものとは明らかに様子が異なる。
山の形が切り立ったように鋭く、斜面に沿うようにレンガ造りの壁が何重にも巻かれていた。
”山城”だ・・・それもかなりの規模の。
だがその”本質”を知っている者からすれば、山一つを覆い尽くす城など取るに足らない情報でしかない。
突然、山の縁から巨大な細長い物体が何本も飛び出し、巨大な土埃を上げるのが見えた。
いや、山と比べているから細長く見えるだけで、その太さは100ブルを軽く超えているだろう。
「こりゃ、
相方の小人がそう言いながら望遠鏡から一旦目を離し、手狭な小屋の壁に設けられた魔道具の制御機を操作する。
すると”シューッ”という音がして、天井の中を流れる空気の量が増え、口元を吸入器で覆った飛竜が上昇を始めた。
ここから先は、緊急時用の”高高度偵察”に入る。
観測小屋の中に空気濃度の低下を示す警告音がけたたましく鳴り響き、小人達が口元の吸入器を心配そうに擦りながら、望遠鏡の縁に彫り込まれた凍結防止の魔力回路に魔力を流した。
動き出した山の方は、途轍もないことになっている。
山の麓から生えた何本もの”脚”が地面を掴み、村単位の面積を掘り起こしながら背負った大山を進め始めたのだ。
大型ヤドカリの一種、”ドヌゼイオム”。
その意味で呼ぶならば”
だが魔獣化し、更にはハイエットの力で強化されたこの怪物は、さしずめ”
こんな者と並ばれれば、もはや飛竜や大型魔獣ですら羽虫程度の存在感しかない。
実際、その動きに驚いた魔獣や野生の飛竜が逃げる様子が、この高空からは蜘蛛の子を散らしたように見えた。
そしてその”大きさ”すら、この怪物の”脅威”の本質ではない。
「!」
唐突に、怪物が最前方の一際大きな脚を持ち上げ、そのまま前方の地面に突き刺した。
衝撃で巻き上げられた土砂が何百ブルも昇るが、怪物の巨体があまりに大きすぎて小さな土埃にしか見えない。
「始まった・・・」
小人観測員が小さく呟く。
もう何度も見た光景だが、何度見ても恐るべき光景だ。
巨大な前脚で引きずりられた地面が、山の麓の部分に隠された巨大な隙間に掻き込まれていく。
ここからでは見えないが、あの中では地獄が展開されている。
この怪物は好き嫌いをしない。
地面も、木も、逃げ遅れたあらゆる動物も、
全ての物体がハイエットの能力により、塵よりも小さく分解され、魔力に変換される。
その証拠に、よく目を凝らせば”食事中”の時、怪物の背中の山城のレンガの壁が魔力を吸って怪しく輝いているのが見えるだろう。
あの城のレンガは全て、”ハイエットの力”そのものであり、通常の”集力”とは別次元のこの能力が使えているという事は、ハイエット自身が活動を始めた証拠でもある。
後に残るのは、まるで神話の巨人に引っ掻かれたような、無残に削り取られた大地だけ。
そしてその爪痕が、これからこの怪物の進行方向に真っ直ぐ引かれることになる。
小人観測員の片方が、連絡用の魔道具を取り出し近くの基地に通信を繋ぐ。
「”ウルム観測隊”より各局 ”災害城”が食事を始めた! 繰り返す! ”災害城”が食事を始めた! 場所は”ナキジア第32山脈” 現在、南西方向に向って進行中!」
観測員が捲し立てるように通信魔道具に向かって叫ぶ。
年に数度ある”ただの移動”ではない。
その名の由来となった、文字通りの”災害”をバラ撒きながら進むのだ。
その間も、”災害城”の動きは加速を続けていた。
ここからだと、あまりに巨大なせいでノロノロとして見えるが、すでに時速100㌔ブルは出ているだろう。
あの、すぐ前を走る動物たちに明日はない。
その様子を見送りながら、観測員は万に一つも間違いがないように要点だけを叫んだ。
「”ハイエット”が動き出した!
繰り返す! ハイエットが動き出した!」
アルバレスの西方に広がる、”ハイエットの領域”。
その中に、安息の場所はない。
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