2-20【先史の記憶 19:~ファレナの鍵~】



「あー、これですかね?」


 老剣士が腰を屈めて、草の間から小さな肉片を一つ拾い上げた。

 それを上半身だけのモニカが受け取り、掌の上で転がす。


『どう?』

『間違いない、俺達の腎臓だ。 あーあ、こんなに土にまみれちゃって・・・・・・』


 細切れにしすぎてこぼれ出し、老剣士と二人がかりでようやく見つけた俺達の内蔵は、見るも無残なくらい土だらけになっていた。

 これ断面部分に付いてるやつ、大丈夫か?

 すぐにモニカが魔法で洗浄用の生理食塩水を作り出し、腎臓の周りを丁寧に洗っていく。

 幸いなことに無傷のようだが、後で化膿したりしたら怖いので俺は滅菌処理の準備を始めた。


 数回洗浄してようやく綺麗になった腎臓を腰の中に埋め込み、モニカが予め組んであった”パーツ”をその上に被せる。

 もはや手慣れたものだ。

 この小一時間で、一体どれだけ体内を観察したことか。

 最初はビクビクしていた”接着”も、今じゃくっつける時にちょっと背骨をいじって身長を数mm稼ぐ余裕すらある。

 モニカが胴体を左右に捻って全身がくまなく元通りになった事を確認し、俺がそれに合格サインを付ける。


 するとモニカがそのまま体の捻りを戻さずに後ろに転がり込んだ。


 唐突の動きに視界がブレるが、直後、予想通り目の前の空間を老剣士の剣が高速で駆け抜ける。

 そう何度も、治った瞬間に切られてなるものか。


「もう、くらわないよ!」


 モニカがそう言いながら、バッタのような動きで一気に飛び上がり、俺が背中に飛行ユニットを展開し、空中を駆けるためにとエンジンに火を入れる。


 だがその寸前で、モニカがグイッとエンジンの向きを捻ったので、俺達は地面スレスレを急加速することになった。

 それでも最初に向いていた方向に”斬撃”が飛んでいくのを見れば、もし方向を変えなければアレに刻まれていたいたことは想像に難くない。

 少し距離が離れたところで、モニカが上体を起こして一気に急上昇した。

 ”斬撃を飛ばす” なんて超常現象に驚いてる暇もない。

 当たり前のように空気を蹴りながら、階段でも駆け上がってるのかという動きでもってこちらに迫る老剣士の姿が見えたからだ。


『あれって、レオノア勇者より速くないか!?』

『そういうのはあと!!』


 俺はものすごい速度で迫りくる老剣士の剣を、必死に羽を動かして回避しようと試みるが、なんと驚くことに老剣士の空中機動能力は、推力偏向ノズル持ちの俺達よりも遥かに機敏で強烈だった。

 もはや”空中に足場があるよう”ではなく、トランポリンがコンクリにボルト留しているのを俺達だけ見えてないみたいである。

 当然そこまで機動力に差があれば捕まるのまで時間もかからないわけで。


 懐に入った老剣士が剣を振り切ったときには、俺達は体への直撃を回避するので手一杯だった。

 それでも、


「・・・っ!? さすがはロン爺」


 老剣士が振り切った剣の手応えに、そう呟く。

 剣が黒い靄に行く手を阻まれる様にまとわりつかれていた。


「純度100%の魔力の塊だ!」


 これならば切られても問題ないし、魔力なので剣にかかっている概念魔法を打ち消すのも容易い。

 その出鱈目な切れ味を防いでしまえば、長い剣は大きな抵抗となる。

 今や粘土の中で振るうのと変わらない重みが老剣士の全身に掛かり、返す刀の速度も目で追えるほどに遅い。


 だが、それでも避けるには全力でなければ間に合わなかった。

 避けられるか切り飛ばされるか。

 堪だけが頼りの一瞬の博打が続き、それをモニカが己の嗅覚で当てていく。

 よくここまで当たる物だと感心せざるを得ないが、それでも博打が当たり続ける訳もなく。

 俺達の体は呆気なく地面に押し込められると、破れかぶれに放った攻撃ごと虚しく、頭から唐竹割に切り込まれた。


「!」


 だが、今回はいつもと違う。


 老剣士の剣は、俺達の頭を割り胸を裂くところまでは変わらなかったのだが、腹に差し掛かったところで”ガン!!”という、硬いものにぶつかったような音と振動を発して止まったのだ。


「・・・なんと豪気な」


 老剣士のその言葉にモニカがニヤリと笑い、その口から逆流した真っ赤な血が溢れだす。

 間一髪、なんとか間に合った”接着”で出血は最小限に留めたが、それでも胃の中に結構な血が漏れ、剣の周りの傷からも出血したのだ。

 俺達のちょうど臍の上辺りで止まった剣は、まるで切腹でもしてるかのように腹に刺さり背中から突き抜けている。

 その状態で、モニカが左手で剣を右手で老剣士の腕を掴んだ。


「つかまえた」


 罠にかかった獲物に向かって死を宣告するような口調で、モニカがそう告げる。

 老剣士はそれを訝しげな表情で見つめながら、剣を引き抜こうと力を込めるが、万力で固定されているかのように微動だにしない。


「・・・腹の中に、何か仕込みましたか?」

「正解だ」


 老剣士の見立てに俺が得意げに答える。

 状況を打破するため、機転を利かせたモニカが適当に内蔵を掴んで放り投げ、それを老剣士が探している隙に、実はこっそりと腹の中に紛れ込ませていたのだ。

 自らの座標を伝える小さなゴーレム機器を。

 あとはタイミングを見計らって、俺達はそれをめがけて、徹底的に強度を上げた魔力素材を腹の中に【転送】させればいい。

 普段攻撃にも使っているような頑丈な魔力素材が、俺達の体内という無尽蔵に魔力が使える環境。

 そんな、かつてないほどの強度になったその”盾”にとって、速度の鈍った剣を受け止めることなど容易かった。

 腹の中が文字通りギチギチになるのが問題だが、今それはどうでもいい。


「剣の概念魔法を体内で打ち消しましたか」

「この剣が一番面倒だったからな」


 老剣士の見立てに俺が頷く。

 それは一歩間違えれば大量出血で即死する危険な行為。

 仮に成功したとしても、魔力素材が剣を止めきれなければ腸から下が不可逆な形でスッパリである。


 それでも今重要なのは、最も厄介だった相手の剣を封じ、相手を拘束したことだ。

 俺がそう念じると、次元収納の魔法陣が周囲にいくつも展開され、その中から大量の魔力素材が飛び出し、アンカーのように地面に打ち込まれて俺達の体を固定した。


 ハッキリしないとはいえ、相手の善意に付け込むので僅かに心が痛むが、そんなことを言ってられる相手でないことは十分に理解しているし、やらねば気がすまない。


「いっぱつ・・・なぐらせろ!!!」


 モニカがそう叫びながら、頭の両サイドから出ていた”ツインテール”を操作して、すぐ横に拳を作る。

 その拳が、そこら中から湧き出した魔力素材やゴーレム機器を取り込んでどんどんん大きくなり、やがて俺達どころか老剣士の体の数倍以上に膨らんだ。

 現れたのは、まるで一部だけ切り出した”巨人の腕”。

 いや、本物の”デバステーター巨人ゴーレム”の機能を抜き出しているので、まるで・・・ではない。


 勇者に打ち勝つために作り上げた、最強の拳。

 完全体は無理だが、一部だけならもう準備はとっくにできていた。

 俺達はそれを確実にぶつける為に、肉を骨ごと切らせたのだから。


「ぬん!!」


 モニカは歯を食いしばりながら魔力を込め、デバステーターの拳が唸りを上げて空間を突き進む。

 加速の反動と空力加熱だけで表面がドロドロに溶けるほどの神速の拳が、一瞬にして老剣士の体を打ちすえ、そのまま大砲の砲弾のように撃ちだした。


 視界から消えた老剣士が視線の先の神殿の壁に突き刺さり、大量の粉塵が巻き起こる。

 確実に、勇者でもない限り命はない威力だろう。

 だがその手応えにモニカは、なんとも不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「なんで・・・はなした!!」


 そう叫ぶモニカの腹には、老剣士の剣が刺さったまま。

 という事は必然的に衝突の瞬間、自らの手を離した事になる。

 もし仮に離さなければ、俺の妨害で効果を失っていた剣が超威力で跳ね周り、俺達の体にかなりの傷を残していたはずだ。

 それを承知での攻撃だが、情けでもかけたつもりかとモニカは瓦礫の中に問うと、当たり前のように瓦礫の中からヌラリと無傷の人影が立ち上がる。

 デバステーターの神速の拳の直撃を受けているにも拘らず、その動きに乱れはなく、傷らしい傷もない。


「お察しの通り、母上様の体に余計な傷がつくのを嫌ったからですよ。 ですがもちろん、”情”ではありません」


 そう言いながら、剣を持たぬ老剣士がゆっくりとこちらへ歩みだす。

 その底知れぬ強さに、モニカが冷や汗を浮かべながら後ずさった。


「私の目的は、”母上様”を殺すための”鍵”を得ること、幼気いたいけな少女を傷つけることではありません。

 あなたはまだ、傷つくに値しない。

 ”そんなもの”で、その順序が変わったりはしないのです」


 デバステーターの力をそんなものと言い切り、それが嘘でないことを力で示す老剣士。

 その驚異的な圧力は、俺の知るどの人物と比べても勝るほどのものだった。


「それよりも私が気になったのは、母上様のその感情的な言葉です。

 まさか戦闘の最中に”プライド”を天秤に掛けてる訳ではないですよね」


 老剣士が言外に「それでもお前は私の母親か?」というニュアンスを滲ませてモニカに迫る。

 だがそれに対し、モニカは不敵に答えた。


「”プライド”くらいあるよ」


 モニカの答えに老剣士が訝しげな表情で立ち止まり、片目を顰めて品定めするような視線を送ってくるが、モニカはそれに対しても挑戦的な表情を崩さなかった。


「だって、あなたは”わたしの子供”なんでしょ?」


 自分の子供に舐められるのだけは許さない。


 モニカのその感情は不思議とハッキリとしていた。

 俺が感じるくらいハッキリと。

 老剣士もそれを感じ取ったのだろう。

 なんともバツの悪そうな表情で拳を握る。


 だがこれで、老剣士の厄介な”攻撃手段”は封じた。

 老剣士の右の拳は、そこにあるべき剣を探して虚しく空を掴むだけ。

 それもそのはず、彼の剣は現在俺達の土手っ腹に刺さりっぱなしなのだから。


 剣士は剣を持つから強いのだ。

 素手なら怖くはない。


 大量に取り出して作り出した魔力素材の即席の巨大な脚をズルリと動かして、デバステーターの腕を構えたまま俺達はゆっくりと老剣士へと詰め寄っていく。

 射程はこちらが長い。

 間合いに入る直前、モニカが倒れ込むように前に踏み出し、その巨大な腕を振り抜いた。


 だが、その腕が途中で粉々に吹き飛ばされ、高圧の魔力が周囲の土ごと俺達の顔面に叩きつけられる。


「ぅくっ!」


 そうだ、こいつは俺達と同等の出力を持った【制御魔力炉】の使い手だった。

 しかも俺達よりも数段使い方に慣れている。

 それでも地面にアンカーを追加でいくつも撃ち込んだモニカは、押し込むように踏み込み、デバステーターの腕をその形状が回復する前に叩きつけた。

 猛烈な圧力がぶつかり合い、臨海を超えた魔力に押し出されて行き場を失った空気が、そこら中を駆け抜ける。

 だが、その圧力がどちらにより多く向っているかは火を見るよりも明らかだ。


 恐ろしいことにこの老剣士は剣を失って尚、デバステーターの神速の拳をも正面から完全に制圧してみせたのだ。


 吹き飛ばされた俺達の体が猛スピードで地面を転がり、その反動でデバステーターの腕がバラバラに崩れていく。

 何より腹に刺さったままの剣がそこらにぶつかるたびに、強烈な痛みが腹部に走り、俺はなんとか切り裂かれないように、必死に抑えている魔力素材に魔力を注ぎ続けた。


 やがて勢いが止まったところでモニカが顔を上げると、強烈な存在感を放つ老剣士の姿が目に入ってくる。

 誰だよ、”剣士は剣を持つから強いのだ”なんてホラを吹いたのは・・・


 その時、不意に老剣士が腕に前に突き出して構えながら、何かを呟いた。


 その瞬間、俺達の体を強烈な悪寒が駆け抜け額から冷や汗が零れ落ちる。

 俺じゃない、モニカの感覚だ。

 だからこそ危険度が高いと判断した俺は、その次にやって来る事象に最大の警戒を払いながら構えた。


仕込み・・・に不安はありますが、残念ながら時間もありません」  


 そう言って老剣士が手を軽く振るう。

 するとモニカが慌てて腹から剣を引き抜いて投げ捨てた。

 今のは俺でも分かる、刺さっていた剣の身が、その内側に溜め込んだ魔力を吐き出して急に熱くなったのだ。

 剣のなくなった腹部から、一瞬だけ大量の血が飛び出すが、それは即座に治癒魔法と造血魔法が起動するスキルを組んでいるから問題ない。


 問題は別のところにあった。


「剣の危険度を見抜いた所までは良かったですが、それではだめですな。 対処として不十分です」


 老剣士がそう言うと同時に、俺達の全身の至るところが黒く光り始めたのだ。

 驚きに満ちた表情で、モニカが腕を広げて自らの体を見下ろす。

 グラディエーターの装甲を貫通する光・・・いや、グラディエーター自体にまで光が刻まれているではないか。

 【透視】で確認すれば、まるで線の様に一直線の光の筋が皮膚の内側まで何本も走っているのが見えた。

 それはちょうど、老剣士に切られたところに重なるように・・・


「!!!!???」


 その瞬間、俺達の体が文字通り大の字になって地面に転がり落ちた。

 受け身も何もなく、踏ん張ることすらしない。

 当たり前だ、それどころではないのだから。


『何だこりゃ!? この痛みは!?』


 突如として俺達の全身を、これまで経験したことのない大量の激痛が襲ったのだ。

 咄嗟に俺は鎮痛を試みるが、どれだけやっても痛みを意識から分離しきれない。

 痛みの”質”もかなりやばいが、何より”量”だ。

 そこら中から別々の痛みが発生してる。

 それもちょうど、剣に切られたところの断面上で発生しているかのように・・・


「剣の効果から”感覚”を分離して実行しました。

 私が、なんの意味もなく、母上様の体を切り刻み続けるような変人だと思ってましたか?」


 違うのかよ!!

 俺が突っ込むように叫ぶが、途中の回路で痛みに遮断されるのでスピーカーから音が出ない。


「今のお母様は、これまで蓄積し実行されなかった”痛み”の感覚が襲っています。

 それはどれだけ訓練や才能で己を押し殺せたとしても、我慢や無視ができない程の量と質です」


 これも”概念魔法”の応用というやつか。

 その言葉通り、激痛はその一つ一つが本来致命的な傷から放たれるもので、普通ならそれすら耐えることはできない。

 だがそれだけならば、モニカなら耐えてしまうだろう。

 この手法は”その確信”があるからこその念の入れようなのだ。


 口から泡を吹いて倒れながらのたうつ俺達に、老剣士がゆっくりと近づく。

 その目は死んだ様に冷たく鋭く、剣を拾うその仕草はとてもおどろおどろしい。

 この強者が、こんな回りくどいことをしてまで求めるものとは。


「言ったでしょ、私は”私の母上様”を殺すための”鍵”を見つけたいのです。

 だから申し訳ないですが、母上様には無理やりにでも”それ”を引き出させてもらいます」

「な・・・に・・・を」


 モニカが息も絶え絶えに老剣士に問いかける。

 だが老剣士は、モニカではなく俺に語りかけてきた。


「ロン爺、分かってるでしょ? この痛みから逃れる方法を」


 その言葉に、激痛の雨の中を駆け巡った俺の信号が、持っている知識の中から情報を引っ張り出す。

 鎮痛魔法・・・いや、量が多すぎて間に合わない。

 痛みを切離そうにも脳内で発生した痛みのせいで、分離する意味がなかった。

 【思考同調】で俺の処理に繋げれば・・・だめだ、それでさえ出力が間に合わない。

 例えくっつけたとしても、痛みを感じる意識がある限り、この激痛の効果からは逃れられない。

 残る手段は、意識を飛ばして対処する方法を・・・


 俺は出てきた単語を即座に否定する。

 その単語は、俺の中で【魔力の吸収】に匹敵する禁忌のものだったのだ。

 こんなものを使うわけにはいかない。

 だが、


「”ディザスター災厄”を使ってください」

「・・・」


 老剣士の口から出てきた単語は、想定外のものだった。

 いやむしろ”想定内”というべきか。


「この名前を言えるということは、やはりもう作ってましたか。 知ってますよ、あなたがアクリラに来て一番最初に作り始めた、強化システムでしょ?」


 ・・・なんで知ってる?


 【思考同調】を使ってピスキアでの暴走状態を意図的に再現する”ディザスター”は、モニカにすら言ってない本当に禁忌の存在なのに。

 だが老剣士は、反応を返さない俺に確信めいた表情を作る。


「・・・さあ、私に見せてください。 ”それ”を見に来たんですよ」


 老剣士はそう言うと、さらにいくつかの”傷”の感覚を復活させた。

 モニカの呻き声が大きくなる。

 どうやら、あれで全部ではなかったらしい。


「・・・無理だ。 あきらめてくれ」


 俺が縋るようにそう呟く。


「そんな言葉を聞きに来たんじゃないです」


 だがそんな俺の懇願を、老剣士が即座に切って捨てる。


「”ディザスター”はまだ完成してないんだ!」


 俺は必死に説得を試みた。

 ”ディザスター”には克服できてない大問題があるのだ。


「いいえ、もう完成している。 あなたはただ使いたくないだけだ。 

自分が自分じゃなくなる感覚を知ってしまっているから」


 だが老剣士はそんなものは問題でないとばかりにそう告げる。

 そこから俺は、”ディザスター”の現状の問題が解決されなかった事と・・・それでも尚使われ ・・・・てしまった ・・・・・事を悟った。


『ロン・・・あるの?』


 痛覚によって切れ切れにモニカの声が飛んでくる。


『ある・・・だが』


 だが。


「本当にヤバイんだよ・・・」


 ”あれ”は俺に制御できるものではない。

 不完全なピスキアの時でさえ、自他に甚大な被害を出すところだったのだ。

 それを今の出力で、【思考同調】状態で使えばどうなるか。


「ええ、知ってます」


 老剣士のその言葉には、経験に基づくような強烈な説得力があった。

 その力に俺は呑まれそうになる。


 だがそれ以上に、恐るべき熱量をもった”なにか”が、俺たちの内側から沸き起こった。


『ロン・・・やって』

『モニカ!?』


 まさかのモニカの言葉に、俺は殴られたような衝撃を感じ、次いで本当に強力な感情でぶん殴られたような感覚に陥る。


『こいつを・・・ぶん殴りたい。 本気でぶんなぐりたい!!!』


 それは純粋な”怒”の感情。

 この激痛すら麻痺させようかというほどの、大量の”怒”が脳内を席巻しようと渦巻いていた。

 瞬間的にでも痛みを克服するため、モニカの感情はその強烈な力に手を伸ばしたのだ。


 バタバタと跳ね回る腕を地面に無理やり叩きつけ、拳で自分の体を押し付けながらモニカが老剣士を睨みつける。

 その目には、つい今ままでなかった強烈な”闘争本能”が燃え盛っていた。

 その炎によって俺達の体の中を、大量の魔力が駆け巡り、漏れ出した魔力の光がメラメラと燃えるように立ち上る。


 同時に沸き起こったのは、モニカの奥底に眠る天性の”勝利への勘”が放つ強烈な”渇望”。

 それが”ディザスター”という単語に・・・正確にはその存在に震える俺から”勝利の匂い”を嗅ぎつけ、老剣士の口車としてではなく、この状況をひっくり返し老剣士を打ち倒す手段として選んだ。

 

 対する老剣士は、俺達のその様子を満足げに見つめながら、手にした剣をゆっくりとこちらに向って構えた。


「ロン爺・・・あなたの”息子”の願いと思って聞いてください。 私の剣はたとえ絡みついた精神の中からであっても、ロン爺と母上様を切り離せる」


 その言葉に嘘はないだろう。

 彼はそう思わせるほどの力を示してきたのだ。


 俺の中に最後の躊躇が渦巻く。

 だがそれが決定を覆すには、俺達を駆け巡る激痛はあまりにも酷くなりすぎていた。

 怒りですら耐えきれなくなったモニカの拳が痙攣で解け、体が再び地面に崩れ落ちる。

 もはや痛みだけで致命的になる次元が、すぐそこまで近づいていた。

 ディザスターで破滅するか、痛みで破滅するか。

 迷ってる暇はない。 

 

 最後に腹を括った俺は、せめてもの警告を老剣士に向かって発することにした。


「どうなっても・・・知らないぞ」


 俺はそう言い残すと、デバステーターのコンソールにこっそり隠した、”ディザスター”のスイッチを起動側に動かした。

 その瞬間、とてつもない音量の警告音が俺達の中に鳴り響き、咄嗟にモニカが耳に手を当てる。

 だが起動自体は成功したらしい。


 それを喜んでいいかは分からないが、判断する意識は残っていなかった。


 あまりの魔力が急激に動きを変えたことで、俺達の全身の内側から雷のような轟音が鳴り響く。

 とてつもない強度に強化された肉が、それ以上の圧力で裂ける音だ。

 俺の感覚は、最後にそれを認識すると一気に暗闇の中へと暗転する。



 その瞬間からしばらく先の記録記憶は、俺にもモニカにも一切残らなかった。







 老剣士の目の前で、少女の体の表面が内側から吹き出す不気味な魔力の圧力でボコボコと波打ち始める。

 一撃で分厚い鉄板を貫通するほどの圧力の魔力流が、モニカの細胞という細胞から湧き出しその小さな体を吹き飛ばさんと暴れているのだが、さりとてその体の方も尋常ではない強化の末に突き破れなくなっているのだ。

 やがて限界まで圧縮された魔力が、毛穴から漆黒の汗となって飛び出し、やがてその”黒”がモニカの表面の埋め尽くし、不気味に膨らみ続ける。


「ついに・・・」


 一方の老剣士は、焦がれたものを見つめるような視線でその現象を見つめていた。

 実際、これを見るために彼は多くのものを犠牲にしているのだから、焦がれているのは間違いない。

 同時に剣を上段に高く構え、それまで隠していた大量の魔力を解き放つ。

 モニカに見せたのは、彼の全力のほんの一部にも満たない力だ。

 きっとロンに意識があれば卒倒していたであろうその強烈な魔力が剣を覆い、やがて黒い渦巻となって老剣士の周りを逆巻きはじめる。

 間違いなく”この時代”にあってはいけない程の力の存在感に、周囲1㌔の空間がグラグラと歪み、真っ直ぐ進まなくなった光のせいで、視力は意味をなさなくなった。


 それでも尚、老剣士の前で発生した巨大な”魔力”の存在感は別格だ。


「ロン爺・・・”未完成”なのは間違いないですが、それは”これ”ではなく、こんなものを御しきれるのではと考える、ロン爺の”仮説”の方ですよ」


 そう言っている間にも、漆黒の魔力の塊は膨張の速度を上げながら膨らみ続け、今では見上げるほどの高さにまで伸ばしていた。

 時折、内側からの圧力で急激に膨らみが外に飛び出す。

 恐ろしいのは、その膨らみ一つ一つに”顔”があって、その全てが老剣士を睨んでいることだ。

 それぞれが別の意識をもった、禍々しい大量の顔達。


「あれだ・・・」


 老剣士が呟く。

 あの顔は巨大化と変形を続け、いずれ”竜の頭”へと成長していく。

 これが全て幼い少女の中にあったというのだから、つくづくこれを創った者は破壊的といえるだろう。


 その時、地面の一部が魔力溜まりに取り込まれて魔力へと変換される所が見えた。

 物質構造がモニカの強大で高次の魔力に触れ、より安定して存在しやすい魔力へと変換されたのだ。


 それは質量が直接エネルギーに変わるのに比べれば、体積としては大きな変化はない。

 だが物質より遥かにエネルギー化しやすい魔力に置き換わったということは、消えた質量分の爆弾が製造されたような物だ。

 それは”核兵器”のような、無力で生易しいものとは比べ物にならない危険物である。


 そして、その危険性を知っている老剣士は全身の皮膚表面に冷や汗を浮かべながらも、その表情は懐かしむように柔らかい。

 全身を焼き尽くすような”恐怖”。

 だがその”恐怖”こそが彼にとって、”母の存在”そのものなのだから。


 恐怖に相対した老剣士が剣の表面の無数の魔力を練り上げ、一つの魔法へと組み上げていく。

 その制作に彼の半生を捧げた、たった一人の母親に終焉をもたらす為だけの魔法に・・・


「聖剣術・・・最終奥義・・・」


 その瞬間、老剣士の剣が光の中に埋没した。

 魔力の発する色のついた光ではない。

 全てがエネルギーに変わり、その熱が発する、常人では直視できぬ強烈な光だ。


 そしてその光は、老剣士をも飲み込もうと大きく広がった黒い魔力溜まりに向って振り下ろされた。



















 ”ディザスター”に呑まれた俺の意識が次に目覚めたのは、先程までいたアンタルク島の神殿の前。

 だが様子がおかしい。


 3次元上の空間とは別に、神殿を中心に一繋がりの空間がどこまでも続き、あちらには原初の光が、反対側には終末の闇が見えていた。

 この感覚をどう説明していいか、時間が見えるというべきか。

 とにかく、神殿を軸に俺にはもう一つの方向が見えていた。

 この場所は、その中の時間の1つを切り取っているに過ぎない。

 それにどうやら、獣の腐乱死体のように見えた神殿の”本当の形”は違うようだ。

 時間軸上の”断面”がその形をしているだけなので、本来はもっと”マトモ”に感じる形をしていたのだ。

 三次元時空的な美的感覚なので、この視点に立てない他の者に理解してもらうのは無理だろうけれど。


 その空間の中で俺はモニカの体ではなく、何やらふわふわと浮かぶ意識だけの状態で浮かんでいた。

 ちょうど夢の中を行くときに近いかな。

 これもまた奇妙な感覚だが、おそらくこの状態だからこそ、”時間軸”を認識できているのかもしれない。

 視覚に縛られているなら、こんな景色は認識する事はできなかっただろう。


「これがお前の見てる世界なのか?」


 俺は、神殿の前の岩に腰掛ける老剣士に問いかけた。


 少し見ぬ間に、老剣士は物凄くやつれていた。

 さっきまでの存在感はどこへやら、服は破れて焦げ付き、顔中に傷が広がって脚は途中で折れて曲がっている。

 それに明らかに、たった今死線を超えてきた者みたいな風格が出ているではないか。


「・・・仕組みは分かりましたか?」


 老剣士がこちらを向いて聞いてきた。

 その片目は潰れている。


「俺とお前が、違う時間に存在する事はな」


 この視点になって気がついたが、この老剣士は最初からずっと”遠く”にいたのだ。

 いや離れた時間というべきか。

 時間跳躍などしていない。

 最初から俺達は”今”にいて、老剣士は”先”にいたのだ。

 ただ、この神殿を通じて、正確にはおそらくメルツィル平原の神殿をバイパスしてだが、お互いに干渉ができる。

 その状態を時間軸を認識できない者が見れば、同じ時間にいると錯覚するだけなのだ。


「この場所は、この世界上の全ての時間上で最強だった、とある剣士の”剣”なのですよ」

「剣士? じゃあ、さっき言ってた剣の本当の形ってのは、この”神殿”だってのか?」


 俺は訝しがるようにそう聞く。

 神殿が剣とはなんとも奇妙な話だが、ただそう言われてみれば、この時間を貫いている構造は確かに時間軸上の、剣に見えない事もない。

 だが老剣士は首を斜めにして、肯定とも否定ともつかない反応を示した。


「いえ、”剣を振るう者”という意味ではなく、剣士が勝手に”剣の真髄”と呼んでる場所に居座ってるだけの存在なのでね。

 ただ”剣の真髄そのもの”である以上、剣士を自称する私は意地でもそれを”剣士”と呼ぶしかない。

 ですがロン爺に分かりやすく伝えるならば、”聖王”と呼ばれる存在でしょうかね」


 思わぬその単語に俺は驚いて老剣士をまじまじと見つめる。


「だが”聖王”ってのは、そんなに凄いやつだったのか?」

「ロン爺はもう少し、神話を真面目な目で見るべきですね」


 老剣士はそう言うと、茶化すように笑みを浮かべた。


「母上様との分離は問題なく成功しました」


 そしてそう続ける。


「簡単に言うが、元に戻れるんだろうな? モニカを全く感じないぞ、分離しすぎてないか?」


 俺は周囲を見回しながらそう言う。

 ”分離は成功しましたが死にました”では話にならない。


「ご心配なく、”存在”を切りましたので、少しこの状態ですが、すぐにもとに戻りますよ」

「本当に?」

「私が信じられませんか?」

「欠片もな」


 俺のその返答に老剣士は寂しそうな顔をするが、俺は警戒心を緩めない。

 さっきはこんな空気から突然襲われたのだ。


「安心してください。 私の目的は無事に果たせましたから」

「・・・・・・・・・じゃあ俺達を殺したのか?」

「ある意味では」


 老剣士の言葉に俺は言葉を失う。


「ここから先は、ここに来るために私がロン爺に払う”対価”の話をしましょう」


 唐突に、老剣士がそう言いながら纏う空気を変えた。


「・・・対価?」

「この魔法を起動するため・・・私はあなたに、あなたが私に繋がるための”鍵”を渡すことを対価にしています。 それを今から渡します」


 老剣士はそう言うと、真剣な表情をこちらに向けた。

 だが突然そんな事を言われても。


「”鍵”?」

「私の時間に繋がるための”補正的干渉”というべきでしょうか。 そうすることで強大な”時間の力”に干渉することができるのです。

 例えば私がここで”過去の情報を直接知る機会を得た”という情報を、過去の時間の中に組み込めば、強大な時間の力はむしろ味方となる。

 だがその際、同時に私の時間へと繋がるための”要素”を置いていく必要がある。

 つまり無干渉で辿り着けない未来だったからこそ、補正を理由に干渉が許されているわけですね」

「・・・で、その情報が”鍵”ってことか」

「はい。 わかりましたか?」

「さっぱりな」


 んなもんわかるわけ無いだろう、何言ってんだこいつ。

 ただ、何か情報をくれるってのだけは伝わった。

 

「それで・・・何を教えてくれるんだ?」

「ロン爺は、”自分の正体”について、どこまで気づいてますか?」


 その問に、俺の表情はさらに怪訝なものになった。

 ”自分の正体”・・・


「それを聞くことが”鍵”なのか?」

「ええ、そうらしいですよ」


 俺は慎重に自分の過去を振り返りながら、その話をしていいのか吟味する。

 だが結局、ディザスターの事すら知ってた男に隠せてる事などないと諦めて話すことにした。


「・・・”カシウスの記憶”・・・というか知識の残滓だ」


 今手持ちにある自分の過去に関する情報を纏めて取り出し、それに回答をつける。

 長い間考え続けていただけあって、かなり正解に近いだろう。

 俺は間違いなくカシウス本人ではない。

 だが、その影響はとんでもなく大きく受けているのも間違いない。


 俺はそんな意図も込めてそう告げると、老剣士の顔色の変化を見つめた。

 俺の予想通りなら、老剣士はきっと頷くか、もしくはそこまで考えに至っていることに驚くだろう。

 仮にこいつがペテン師だとしても尚の事、そういう反応をするのが自然だからだ。


 だが、老剣士の顔に現れたのは、驚きは驚きでも、単純に”なんだそれ?”といった、意味不明な事象に対する表情だった。


「ああ・・・そんな勘違い ・・・をしていたんですか。 ”鍵”を指定された時におや?っと思いましたが、なるほど、確かにこれは早急に引っ掻き回しておく必要がある」


 老剣士はそう言うと、呆れたように小さく息を吐いた。


「おい、まて! それはどういう意味だ!!? 俺とカシウスは関係ないっていうのか!?」


 俺は食ってかかるように老剣士に迫る。

 当たり前だ。

 こっちはようやく辿り着いたと思っているような自分のルーツを、”そんな答えは想定外だった”といわんばかりの態度で否定されたのだ。

 俺が感心するような答えを聞くまで収まりがつかん。

 だが老剣士は首を横に振る。


「残念ながら、それにお答えする事まではできないようです」

「なぜだ!?」


 俺がそう言うと、老剣士が突然口をパクパクと空けて何かを喋り始めた。

 だが声がない。

 いや、そればかりか唇の動き一つでさえ、曖昧にぼかされているかのようで、更には一体どれだけの長さの言葉を喋っていたのかも分からなくなっていた。


「今の聞き取れました?」

「・・・なるほど」


 実際に見せられると納得せざるを得ない。


「今のはかなり無理をしました。 本来なら喋る前に止められるんですよ」

「どういう仕組みだ、それ」

「”時間の圧力”というべきでしょうか、私に繋がる時間の流れを変えようとするとその圧力で潰され、無理に通そうとしてもロン爺の記憶には残りません。 ”ロン爺は聞かなかった”のですから」

「また、面倒な・・・」

「不便ですが、間違いはないでしょ?」

「俺にとっては、お前の存在自体が間違いみたいなものだよ」


 俺が正直にそう言うと、老剣士はなにかツボにでも入ったのか、声を上げて笑った。


「ええ、”間違い”で間違いない。 何せこれから私は、母上様にトドメを刺しに ・・・・・・・行くのですから」


 俺はその狂気と憐憫と使命感の混じった笑いを、無言でも見送るしかできないでいた。


「・・・また、いつか会うのか?」


 ようやく絞り出したのは、そんな問。

 こんな魔法があるならば、またどこかで干渉してくるかもしれない。

 だが老剣士はそれに対しては、どこか寂しげに首を横に振った。


「いえ安心してください、この魔法はその構造上、一度しか邂逅することが出来ません。 私がまた母上様に会うとしても、それはあなたとは別の”生き方”を選択した”母上様”か・・・もしくは私を生んでくださる時になるでしょう」


 老剣士はそう言うと、ゆっくりと立ち上がる。


「では、そろそろ。 ここも限界です」


 老剣士が空を見上げ俺も釣られて上を見れば、空間に入った巨大な亀裂はいよいよとんでもない大きさになっていた。

 時間がないのは俺の目にも明らかだろう。

 この老剣士は、この場所でなければ干渉する事はない。

 時間軸上に重なってはいても、それを通り抜けられない存在にとっては、無限の距離と変わらなかった。


 ただ、もう少しくらいはあるだろう。


「待てよ、こんだけ迷惑かけたんだ、せめて何か有益な情報を置いていけよ。 なんかお前だけ納得してるみたいだが、こっちだけ何も分からないまま終わりじゃあんまりだろ、何か言えることはないのか?」


 何を思ったのか、気づけば俺は世間話のつもりで、そんな事を聞いていた。

 すると老剣士が顎に手を当てて考え込む。


「うーんそうですね・・・・」

「ないのか?」


 こいつの言葉を信用するのはあれだが、場末の占い師の言葉くらいに思っておくくらいなら害はないだろう。

 俺は自分にそう言い聞かせて、老剣士の言葉を待つ。。


「あ、そういえばありましたね」


 老剣士はそう言うと、俺のフワフワとした体を見つめた。


「母上様が三十路を過ぎたら気をつけてください。 ホーロン人はそのあたりから急激に太りやすくなります」

「・・・」


 予想外に意外と為になる言葉ができた。

 そういやこいつ最初、俺達の体が細いことに驚いてたっけ・・・


「・・・だが、それ聞いてダイエットしたら、未来が変わるんじゃないか?」

「そのはずなんですけどね、喋れるという事は、きっと”ホーロンの遺伝子”はそんなにヤワじゃないということでしょうか」

「・・・」


 なるほど、未来人の言葉は占いには向かないらしい。


「ところで”遺伝子”で気づいたが、お前の体、どうなってる?」


 俺がそう言うと、老剣士が一瞬怪訝な顔になってから、興味深そうな表情を作った。


「どういう風に見えてますか?」

「強いて言うなら、気持ちが悪い。

 ”俺だけ”が肉体を持ったらそうなるかもしれんが・・・」


 俺はそこで、ふとある事に思い至った。

 こいつの構造って・・・


「なれば、これも”鍵”なのかもしれませんね」

「・・・俺がお前みたいなのをそのうち作ると?」


 若干の不快感を持って俺がそう聞き返す。

 何がかは分からないが、この老剣士の体は生理的嫌悪を催すのだ。

 こんなものを作る奴になると思いたくないし、相容れたくもない。


「・・・さあ」


 だが老剣士はそう言って結論をぼかすと、くるりと後ろの神殿を振り返った。


「それではお別れです。 ”ここ”が終われば、ロン爺の意識は元通り母上様の中に戻りますから」

「何が終わればって?」


 俺がそう言うと、横から少し見える老剣士の口元が笑みを浮かべるのが視えた。


「さっきまでいた、”予知夢”がです。 以前見た母上様の夢ですが、ロン爺はまだ見てない筈ですよ。 それを利用したのですから・・・」


 老剣士は最後にそう言い残すと、すーっと霧のように消えていった。

 いや消えたわけではなく、俺の視界に干渉しなくなったというべきか。

 気がつけば過去と未来に渡って見えていた神殿の姿が、ただの壊れかかった建物のものに戻っていた。


 そしてそれと同時に、周囲の様子が急激に変わっていく。

 景色に”動き”が点り、”音”が追加される。

 死んだように動いていなかった地面の草が、何かの風になびくように揺れている。

 俺の知っている”アンタルク島”の景色にかなり近くなった。


 と同時に、”異質”な現象がその正体を見せ始めた。


 空に広がるアクリラの街から大量の物体が落ち始め、その轟音と悲鳴が不気味な不協和音となって周囲を埋め尽くしていたのだ。

 というか、今更ながら改めて、なんでアクリラがひっくり返ってるんだ!?


 俺が存在しない目を剥いて、周囲の景色を呆然と見つめる。

 あまりにも途轍もない光景に、ただ見ているしか無い。


 その時、俺の中にモニカから聞いた”予知夢”の情報が蘇る。

 

「そうだ、たしかあの辺に・・・」


 ピカピカ光る少女が・・・・・・いた!。


 俺の視線の先、先程モニカが示した場所に、たしかに大量の魔力の光で輝く少女の後ろ姿があった。

 だがその光っぷりが尋常ではない。

 肩までの長さの癖の強い髪が、色とりどりの虹色に輝いていたのだ。


「何だあの魔力・・・どうなって」


 通常、魔力傾向は”一色”だ。

 例外もない、なにせ持ってる魔力傾向を全部混ぜた色がその者の色になるのだから、一色以外になりようがないのだ。

 ものすごく強いて例外を挙げれば、ガブリエラと【思考同調】した時に近い現象を見たが、あれはただ2人の魔力がせめぎ合ってたからで。

 だが、この少女は1人でありながら、基本のすべての色を”純色”の状態で保持しているではないか。

 いうなればルシエラが6種類混じってるみたいな話だ。

 彼女が無数に展開している魔法陣も同様に虹色。


 俺はその少女の情報を少しでも多く得ようと注視した。

 だがその瞬間、目を焼き潰されるのではと思うほどの閃光に、虹色の少女が塗りつぶされる。

 俺の目が潰れなかったのは、単に今の俺に潰れる目がなかったから。


 続いて襲ってきたのは、地獄のような高温の炎と、例える言葉も思いつかない衝撃波。

 それが光の中から地面を駆け抜け、周囲のすべてを焼き飛ばす。

 風を得て命を感じ始めた草が、今では痕跡すらない。


 爆発だ。 

 強烈な爆発がこの場所を穿っていた。

 それも何度も。


 次々に何かが炸裂する光と衝撃に、俺の視界が無意味になる。

 これが、ただの”夢”で良かった。

 もしこの場所に放り出されたら、デバステーターであっても3秒保つか。


 だが驚くことに、その炎の中で何かが動いていた。


 いや戦っていた。


 なにか巨大な物体が動く気配があると思った瞬間、周囲を埋め尽くしていた高温の炎が吹き飛ばされる。

 真っ黒な光線に引き裂かれて。


「うわっ!?」


 自分を直撃したと思ったその光線が、俺をすり抜けて後ろの神殿の壁に当たり、そこを飴細工のように溶かしながら上方向に移動する。

 なんて威力だ!?


 だが次に起こった出来事は、もっと強烈だった。

 その真っ黒な光線に匹敵するくらいの強烈な光線が炎の海の先の方で炸裂し、黒い光線と叩きあってそこら中が爆発する。

 そしてその爆発の中から虹色の物体が光速で射出され、俺を掠めて飛び去り、後ろの神殿の壁を突き破った。

 確認するまでもなく、あの”虹色の少女”だ。

 攻撃されているのか?


 どんな飛ばされ方をすればそうなるのかと問いたいほど豪快に神殿の壁や柱をなぎ倒した虹色の少女は、神殿の中の祭壇の手前くらいの場所で、膝をついて止まっていた。

 俺は何とか背伸びしようともがくが、今いる場所の高さの関係で虹色の少女の上半身くらいしか見えない。

 すると虹色の少女が、上を向いて何かを睨んだ。


 その視線を俺が追う。


 そこには虹色の少女とは対照的に、徹底的に絞り込まれたような”黒”を纏う少女が空から現れた。

 その姿に俺は息を呑む。

 唐突に現れた”黒の少女”は、髪の色や肌の質感までモニカそっくりの・・・いや、ガブリエラの寮で見た”ウルスラ”の生き写しの様な姿だったのだ。


 モニカに聞いてはいたが、まさかここまでとは。

 と同時に、モニカがこの少女を自分ではなく”お母さん”ではと思った理由も理解する。


 自分との繋がりを感じたからではない、その逆 ・・・だ。


 俺達の姿をしているが、俺達ではない。

 絶対に違う。

 ”母”という形容は、その拒絶と困惑の間にモニカが見つけた妥協点なのだ。


 だが俺の見立てだと、ハッキリ違う。


 あれはこの世の理に従う者ではない。

 俺達どころか、そもそも人ですらない。


 その証拠に、”黒の少女”が纏う魔力は俺達のものとは比較にならない程、黒かった。


 ”黒の少女”が、ゆっくりと俺の頭上を滑るように通り過ぎていく。

 その背中には、黒い有機的なゴーレム機器がいくつも展開され、最も目立つ巨大な”輪”のような構造を中心に、信じられない程高度な魔道具が無数に広がっていた。


 だが、その”輪”から上下左右に広がる8本の”翼”に比べれば、そんな物はなんてこと無い。

 その翼の中腹に、尋常ではない魔力源が見えたのだ。


 そこで俺はなぜこの少女が自分達と思えないのかに気がついた。

 その存在感や魔力が、”本体の少女”ではなくその翼から出ていたのだ。

 あの前にぶら下がってる少女の体は、見せかけのハリボテに過ぎない。

 こいつの本体は、この”8本の翼”なのだ。


 俺は”虹色の少女”に近づく、”黒の少女”の後ろ姿を見つめる。

 すると必然的に”虹色の少女”の顔が目に入り込んできた。


「・・・なっ!?」


 そこに”知った顔”があった。

 なんでここに・・・そんな姿で。


 俺は思わず、その少女の名前を叫んだ。


 だが奇妙な事に音が出なかった。


「!?」


 なぜだ!?


 自分の中ですら喋れぬ単語がある。

 こんな現象に思い当たる事は一つしかない。


「くそっ、”時間の圧力”ってやつか!」


 俺はここで、”虹色の少女”の正体に気づかなかった。

 その”歴史的事実”が、過去を遡って俺の認識を捻じ曲げているのだ。

 いつの間にか、俺はその少女の名前どころか、顔すら霞がかかったように見えなくなっていた。

 正体を認識したことで、少女の姿にもフィルターがかかったらしい。


 だがそんな事に負けるわけにはいかない。


 俺は必死に、”虹色の少女”の情報を記録しようと試みた。

 彼女を救わなくては。


 俺達の知人が・・・たぶん友人の誰かが、俺達の偽物に殺されそうになっている。


 だがそう思えばそう思うほど、”虹色の少女”の姿が塗りつぶされ知覚できなくなっていく。

 ・・・というか、”虹色”ってなんの事だ?


 しっかりしろ俺!

 この情報を、なんとしてでも持ち帰らないと・・・

 俺は必死にそう念じながら、思考領域のそこかしこに”その情報”を刻みつけようともがいた。

 だがまるで検閲にあっているかのように、”それ”だけが抜けていく。


 その間も”俺達の偽物”が、ゆっくりと”友人かもしれないなにか”を殺そうと魔法を展開していた。

 その光景も、今や靄のように見えづらい。


 気づけば俺は、”それ”が何だったのかすら思い出せなくなり、やがて強烈な無力感に溺れながら、ゆっくりと自分の意識があるべき場所モニカの中に流れ込んでいくのを見ているしかできずにいた。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 ロンがモニカの予知夢の残滓に臍を噛んでいる裏で、老剣士はモニカと話していた。



「・・・それが母上様に渡す”鍵”です」

「ロンにも言ったの?」

「いえ、ロン爺には別の”鍵”を渡してます。

 これは母上様達が、それぞれで使わなければいけない鍵なので」

「わかった」


 モニカがそう答えると、老剣士は不思議そうな顔になった。


「なにか質問はありますか?」

「答えられるの?」

「・・・いえ」

「じゃあいいよ」


 モニカはさっぱりとそう言うと、老剣士が慌てて問返す。


「気になることはないのですか?」

「ないことはないけど、答えられないんでしょう?」

「そうですけれど・・・」


 老剣士はモニカの妙にあっさりとした態度が気になった。

 ロンが食い下がろうとしたのとは大違いの反応に戸惑ったのだ。

 だがその代わり、モニカの口からは別の疑問が飛び出す。


「わたし、自分を殺すような事をしたのかな」


 その言葉に、老剣士は一瞬口をつぐんだ。


「・・・その代わり、そこまで生きる”鍵”を得ることはできましたよ。 それを知らずに生き残るのは難しいのは理解してくれましたでしょ?

 それに、正直なところ・・・対抗策が分かったところで自分が母上様に勝てる保証はないですし」


 老剣士はそう言うと視線を外した。

 流石に生き残る”鍵”を渡したといっても、それが最期のキッカケになるという事実は変わらない。

 モニカにとって老剣士は、これから先で、モニカの命を狙う存在になるのだ。


 だがモニカは別の事を気にしていた。


「わたしは、”ダメなお母さん”だった?」


 ポツリと呟いた、その問に老剣士はしばし考えてから、やがて同じように小さく呟いた。


「・・・さあ」


 その答えにどういう意味があったのか。

 だが老剣士は明らかに話を打ち切る様に上を見上げた。


 モニカも見上げると、いよいよ崩落の始まった空間の裂け目がよく見え、その向こうに眩しい青空が透けて見える。

 いつの間にか、この空間の外は遺跡の中ではなくなっているようだ。


「時間です。 元の空間に戻れば、問題なくロン爺は戻ってきます。 それでは・・・」


 老剣士はそう言うと、踵を返して立ち去ろうとした。

 そして、その姿がゆっくりと虚空に透けていく。

 時間の干渉が終わろうとしていた。


 その時ふと、モニカは自分の名前の元になった物語集の、ある一遍を思い出した。


 使命を果たすため、果のない旅をする旅人物語だ。


 そのイメージと老剣士の後ろ姿が妙に重なって見えたのだ。

 名前はたしか・・・


「・・・”ファレナ”」


 モニカがそう言った瞬間、老剣士が立ち止まり、ゆっくりとモニカを振り返った。

 その顔は、岩の彫刻かと思うほど表情がない。

 だが、目だけは強い光を放っていた。


 その反応に、モニカは確信する。


「今決めた。 あなたが産まれたら、わたしはあなたを、”ファレナ”ってよぶから」


 モニカのその宣言を、老剣士は静かに見つめ続けた。

 その中で、一体どのような感情が渦巻いているのか。

 それは老剣士本人にしか分からない。


 だが、最後にその姿が消える瞬間、老剣士は優しげな声で語りかけた。


「兄姉達によろしくお伝えください。 ・・・それと父上にも」


 最後に消えゆく老剣士の姿の向こうに、モニカは無限に広がるかと思う程巨大な”黒い光の雲”が空間を埋め尽くしている所を見た。

 そして彼がそこで生きている事を直感的に理解する。


 あれはわたしの未来なのだろうか?


 急激に空間から引き剥がされ、元通りに戻っていく意識の中で、モニカはそんな事を考えていた。



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