2-20【先史の記憶 18:~尖兵の最期~】
突如として現れた”乱入者”に、四本蜘蛛が怒りの混じる咆哮を上げる。
せっかくエリクを追い詰めきったと思ったところの事だっただろうに、ヴィオはそんな感情的に見える反応もできるこの怪物に、つくづく途轍もない物を感じた。
それでも、かなり回復したというのに力任せに突っ込んでくる気配がないところから、四本蜘蛛もこの”乱入者”が放つ只ならぬ存在感を理解しているのだろう。
ヴィオ自身、この突如として援軍として現れた剣士の力に圧倒されるようだった。
解せないのは。
『”魔導騎士団”って言いましたよね?』
ヴィオがエリクに確認する。
そんな事しなくても、剣士の言葉は全て参照できるのだが、あまりにも理解し難い内容だったので確認を要したのだ。
だが、エリクはヴィオの聞いた言葉を肯定するように小さく頷くだけ。
その目はしっかりと、目の前に立つ剣士の背中を見つめていた。
『なんでこんなところに?』
ここはアルバレス領内だ。
万が一、”特級戦力”がやってくるとしてもアルバレスの”勇者”というのが筋だろう。
間違っても、
ましてや、その団長だなんて。
ヴィオは必死に”父親”の持っていたデータから複製したテキストデータに検索をかけ、この男の情報を探す。
幸いなことに、すぐにその答えが出てきた。
現在、世界を3分する大勢力。
”聖王神話”の舞台の大部分を抱え、宗教と貴族を冠として戴く王の国、”マグヌス”。
魔国の遠方傀儡政権を母体とし、勇者によって独立を勝ち取った、軍事と行政と皇帝が治める歪な連邦、”アルバレス”。
最後に、魔国の中核州が連続的に独立し集まりあった集合体である、”トルバ”。
今でこそ、他の追随を許さぬ3勢力であるが、この状態になったのはほんの30年前の事であり、トルバの独立が確固たるものとなったのも僅か55年前のことである。
中でもトルバは、そもそも魔国の影響が少なかったマグヌスや、遠方故に独立を認められたアルバレスと異なり、300年以上に渡る独立紛争を含め、1000年近くに渡って”アムゼン魔国”の膨大な戦力の脅威に晒され続けた。
そのため技術の高度な体系化や個々の戦闘能力の追求よりも、単純な戦力の拡充と運用に大きな主眼が置かれているのがトルバ連合軍の大きな特徴である。
とはいえ、個々の戦闘能力に特化した部隊がいないわけではない。
300年に渡るトルバ独立紛争の最前線で戦い続け、常に魔王率いる魔将軍と戦い続けた英雄達。
それが連合全体から選抜された”魔導騎士団”である。
中でも、独立紛争末期に登場した”七剣時代”と呼ばれる、主要メンバー全員が人の魔獣化体である”仙人”で構成されていた時などは、今でも全世界的に有名だ。
”ディーク・グリソム”は、その時代から魔導騎士団の中核を担ってきた剣士である。
正確には七剣が解散し、”二度と剣を取らぬ”と誓ったトルバ独立後から、大戦争後の再編時にその誓いを破るまでの30年間は除くが、今現在トルバ最強は誰かと聞かれたら、多くの者が彼の名前を挙げるだろう。
いや、”世界最強の剣士は誰か”という問いに対しても、そう答える者がおそらく一番多い。
そんな戦力がだ。
”グリソム”を名乗るこの剣士からは、確かにそう言われると納得してしまいそうな程のエネルギーを感じた。
モニカや、エリクの”師匠”に通づる、”一線を越えた存在”特有のオーラというべきか。
なぜここに?
「ほ・・・本当に・・・”ディーク・グリソム”?」
エリクも信じきれなかったようで、剣士にそう聞いた。
だがグリソムを自称する剣士は、すぐには答えず後ろを振り向いてエリクを見下ろすだけ。
その顔は、今や何処からともなく現れた甲冑に覆われて見えない。
自分達の魔力装甲とは異なる、”年月に裏打ちされた精密さ”を持つ甲冑に。
するとその甲冑の表面に魔力の模様が浮き出し、その光景にヴィオは言葉を失った。
まさかこの甲冑・・・これ自体が魔法陣の塊だとでもいうのか!?
素材に打ち込まれた、などというレベルではない、観測スキルでも検知しきれないほど細かな構造が肉眼では見えぬほど細かい魔法陣を無数に描き、その繋がりが形を作っているのだと。
「・・・”魔導装具:アルテミス”だ。 どうだ格好いいだろう?」
顔の見えぬ甲冑の向こうから、剣士が誇らしげに自慢する。
その様子を、エリクもヴィオも呆気にとられて見ているしかない。
確かに剣士の纏う深緑の鎧は目を引くが、それは格好良いというよりも、ただその力強さに圧倒されるからといった方が適切だろう。
するとその時、これを隙と見た四本蜘蛛が一気に突撃をかけてきた。
”グリソム”に気を取られて集中が疎かになっていたヴィオ達が揃って冷や汗を流す。
だがそれが流れるよりも早く、四本蜘蛛が一気に向きを変えた。
何に反応したのかは聞くまでもない。
ヴィオのセンサーには、振ってもいない筈の巨大な円盤状の”剣”が前面を覆うのを見えた。
「やっぱり、勘違いじゃないか・・・」
”グリソム”が、唸る様にそう言いながら、いつの間にか手を掛けていた腰の剣の柄から手を下ろす。
すると、見えもしないのにその顔が笑みに染まっているのをエリクとヴィオが感じ取った。
「・・・まったく、マグヌスの剣士ゴーレムに
グリソムはそう言って警戒する四本蜘蛛の反応を眺めながら、なんとも言えない空気を纏う。
「・・・だが、
そう言いながら彼は徐に、腰に指していた剣ではなく、いつの間にか背負っていた剣の”柄だけ”を取り出し構えた。
その不格好さに目を奪われかけるが、直後まるで、次元の狭間にでも隠されていたかの様に身長を超える巨大な剣身がヌッと現れたではないか。
さらに、グリソムがその剣をゆっくりと前に伸ばすと、ヴィオとエリクの目にはその剣身がブレて拡大し、巨大な円盤状の物体となって四方に広がる所が見えた。
しかもその円盤は、薄っすらとしたエリクのものと違い、ハッキリとした姿を見せながら徐々に折れ曲がり、あっという間に四本蜘蛛の周りを覆い尽くしてしまう。
”触れたら切られる物体”に周囲を取り囲まれ、どこにも動けなくなった四本蜘蛛が首を必死に動かして逃げ道を探すが、グリソムの作る”剣の形”はどこにも穴がないばかりか、ひたすら分厚い”面”がかなり高いところまで壁のようにそそり立っていた。
四本蜘蛛の脚力を持ってしてもジャンプで届かない高さにまで。
エリクはその攻撃でもない”主張”に絶句する。
四本蜘蛛を追い詰めたことよりも、そこに囚われてしまう可能性を感じた、自分の感覚に恐怖したのだ。
このような事をされてしまえば、エリクには脱出どころか身動きする手段すら思い浮かばない。
見えるからこそ、恐怖には勝てないのだ。
そしてそれは四本蜘蛛も同じだった。
「恨むなら、剣を持てぬ体で”剣の才”を持ったことを恨むんだな」
グリソムがそう言いながら、まるで見せつけるように大剣を上段に構える。
それを見た四本蜘蛛が怨嗟と絶望の混じった咆哮を上げるが、避ける術も逃げる方法も持っていない。
グリソムの全身から膨大な魔力が流れ出し、剣の中へと流れていく。
明らかに常人とは違う、それでいてモニカのような”人工的”に”その状態”になったものとも違う、自然な形で体に馴染んだ”
間違いない。
この攻撃は、モニカの”攻撃力”と、エリクの”切れ味”を兼ね備えたものになる。
エリク達はそう直感した。
「・・・”千刃使い”に見られといてなんだが、自分は何度も何度も斬りつけるのは性に合わないんでね。
だから切るのは”一回”だけだ」
四本蜘蛛に向かってそう言った瞬間、グリソムが猛烈な勢いで剣を振り下ろした。
やったことはそれだけだ。
エリクは”それ”を感じ取り、ヴィオは己の観測スキルで”それ”を検知する。
だが”それ”によって発生した事象はとても”剣撃”の範疇に収まるものではなかった。
発生した風圧が衝撃波となってエリクの体を激しく揺さぶり、視界がグチャグチャにブレる。
グリソムの放った膨大な魔力を帯びた剣の一閃は、緑色の光の筋となって四本蜘蛛を襲い、勢いそのまま後ろに駆け抜け、発生した”剣の形”は円盤状ではなく、それ自体が巨大な剣のようにも見えた。
だが高さ200ブル、長さ3㌔ブルを超えるその太刀を、”剣”と呼んでいいものか。
少なくとも誰もそれを”剣”と形容したいとは思わなかった。
それでも、あまりにも凄まじいその”剣の形”は、本来それを見ることのできぬ者にすら、頭上に広がるキノコ雲を引き裂いた突風という形で、ハッキリと見えたほど。
ヴィオはそこで、真に”途轍もない力”というのは、それを理解することのできない者の頭にすら刻みつけられるということを知った。
「まあ、こんなものか・・・」
グリソムがそう言いながら剣をゆっくりと引き上げると、剣撃で発生した”真空状態”の空間に大量の気流が流れ込み、横向きの竜巻が発生したかのように土埃が地面のすぐ上を舞う。
「ご・・・”豪雷”」
エリクが
すると、グリソムがそれに気づいて嬉しそうな声を上げた。
「おお、知ってるか。 マグヌス語の随分短くされてる名前だが嬉しいね。 流石は”千刃使い”・・・いや、”千刃見習い”と言うべきか」
グリソムがそう言いながら全身を覆っていた甲冑を戻し、握っていた大剣を再び虚空の中にしまうと、エリクに向かって右手を伸ばした。
だがエリクはその手を取らない。
そんな体力はどこにも残っていないのだ。
むしろまだ意識が残っている方が理解できない状態である。
「おっと、そうだった」
エリクの傷に気づいたグリソムがそう言って、慌てた様子で懐に手を伸ばす。
回復薬か医療魔道具でも取り出そうと考えたのか。
「ちょっとまってろ、たしかこの辺に・・・」
「お待ちください、グリソム様」
するとそんな声が後ろからかかり、エリクが視線を横に向けると、そこに小柄な少女が魔法陣で浮かびながら着地するところが見えた。
たしか・・・
『”クラヴィス・タイグリス”・・・アクリラの高等部の生徒です』
そうだ、今朝見た”モニカの先輩”だ。
エリクはそれ思い出すと、ようやく肩から力が抜けるのを感じた。
と、同時に拘縮によって抑えられていた出血が一気に酷くなり、エリクのバイタルが一気に低下を始める。
だが、それもクラヴィスが作り出した魔法陣がエリクを覆うまでのこと。
エリクでは見ても理解できないレベルの高度な魔法陣に書かれた魔力回路が、エリクの内側の損傷を修復していく。
「魔導騎士団に配られてる魔道具では、傷の手当はできても、高度な治療はできませんから」
クラヴィスはそう言ってニコリとエリクに微笑むと、すぐに顔を上げてグリソムを睨んだ。
「それよりも、敵はどこです? 突然発生した”古代ゴーレム”と伺いましたが」
するとグリソムが親指で”爆心地”を指した。
猛烈な剣撃が駆け抜けたその場所は、未だに粉塵が濛々と立ち込めているが、それも徐々に晴れ始める。
「資料として残せるかは微妙だが、それは自分の知った事じゃないからな」
砂塵の中から現れた四本蜘蛛の巨体・・・だがその体は見るも無残な状態だった。
その巨体を縦に割るように大きな亀裂が走り、中に崩れ落ちる形で両断されていたのだ。
だが、その切り口はエリクの物と違いかなり荒々しく、ただ切るだけではなく”破壊”の後が随所に見える。
そして流石に、そんな傷を負ってまだ生きていられるほど、四本蜘蛛は頑健ではなかった。
亀裂から漏れ出した青白い光が、まるで命の残り火の様にゆっくりと明滅しながら消えていく。
最後にその輝きが消えた時、エリクの感覚は、四本蜘蛛の中に感じていた”存在感”が完全に無くなるのを感じ取った。
「はぁっ・・・」
エリクの口から溜め込んでいた空気が一気に漏れ、縋るようにヴィオに手を掛けてそれを支えに体を起こす。
”生き残った”
その実感が、エリクにはなかなか持てなかった。
四本蜘蛛の巨大な残骸が今にも動き出しそうで落ち着かない。
本当に死んだのか?
エリクは四本蜘蛛の残骸をまじまじと見つめる。
気のせいか、動いているときよりも、動かなくなってからの方が巨大に感じたほどだ。
『エリク・・・呼吸が乱れてますが大丈夫ですか? 』
ヴィオが心配そうに声をかけてきた。
「・・・大丈夫・・・ちょっと怖くなってきちゃって・・・」
なんてものと自分は戦っていたのか。
エリクはその明らかに自分の身の丈を超えた状況の、それも最前線に身を置いていた事実に寒気がした。
「傷は塞がりました。 ただ内臓の損傷と骨折は治してますが、改めて医療魔法士に診てもらってください」
クラヴィスが傷の様子を確認しながらエリクにそう伝える。
その顔がスッと真剣な物に変わった。
「それとモニカさんは?」
クラヴィスがそう問うと、エリクは心が抉られるような痛みを噛み締めながら首を横に振った。
そうだ、犠牲がないわけじゃない。
エリクのその様子を見て察したのか、クラヴィスは短く「では、後で詳しく」とだけ言い残すと、すぐ近くにいたアイリスの元に駆け寄り彼女の様子を診始めた。
いつの間にか、メルツィル平原にいた人間の殆どがここに集まってきていたらしい。
医療魔法士や治療能力のある者達が、負傷した者の手当に走り、動ける冒険者達が四本蜘蛛との戦闘で中断していた、まだ生き埋めになっている者の掘り起こしに向かって、地面を指差しては怒鳴り合っている。
エリクはそこで、思っていたよりも多くの者が近くにいて巻き込まれた事に気がついた。
すると、四本蜘蛛の近くへ恐る恐る近づこうとした男の冒険者がグリソムに止められた。
グリソムの手には謎の魔道具が青く光っている。
「悪いが、しばらくこいつに近づくな、”放射線”が漏れてやがる。 出力がわからんから、身体強化に不安のある奴は下がってろ」
そう言いながら、全身に魔力を漲らせたグリソムが四本蜘蛛の亡骸に歩み寄り、腰に差してる”普通の剣”を抜いて、何やらほじくり始めた。
「まったく・・・どこから湧き出したんだか・・・まあ、それは自分の考えることじゃないが」
グリソムはそんな事を呟きながら少しの間剣を動かすと、やがて中で何かを切ったのか、四本蜘蛛から漏れていた青白い光が急に弱まり、代わりに何か人の頭程の大きさの物体を引きずり出した。
地面を転がる”ゴトリ”という音から、その物体がエリクの知っているどの金属よりも重たい事が伝わってきて、エリクはゴクリと唾を飲み込んだ。
何故だか分からないが、その金属の塊を見ているだけで胸騒ぎが止まらない。
グリソムは取り出したその物体をひとしきり睨んでから、やがて脅威が無いと判断すると、その足でエリクの元に向かって歩いてきた。
エリクの体に力が入る。
『緊張してますか?』
ヴィオの問にエリクは無言で頷く。
緊張しない訳がない。
「君が手負いにしてくれたおかげで一撃で仕留められたよ。 よくやった」
グリソムがそう言って、エリクに右手を差し出す。
クラヴィスの治療で立てるくらいには回復していたエリクはその手を取ると、物凄い力を腕に感じ、そのまま引っ張り起こされた。
クラヴィスはよほど優秀なのだろう、立ち上がったエリクの体は自分でも驚くほど軽い。
だがその表情は苦いまま。
グリソムは、口ではエリクのおかげと言ってるが、四本蜘蛛に刻まれた傷を見れば、例え万全であったとしても一刀に伏した事は想像に難くない。
それに・・・
視線が上がると、自分がいかにボロボロかが目に入り、壊れかけの黒い鎧に失った”仲間”の顔が浮かんだ。
「・・・ダメージの大部分はモニカがつけたものです」
決してエリクは四本蜘蛛と互角だった訳じゃない。
もしモニカがダメージを与えてなかったら、例え”切り方”を思い出したとしても、遠距離攻撃で殺されていただろう。
つまりエリクは時間稼ぎ以上の事は何もできてないのだ。
話を聞いたグリソムは、何度かエリクと四本蜘蛛を見比べて頷いた。
「・・・なるほど、だが納得がいくな、それで彼女は?」
グリソムのその言葉にエリクは歯を食いしばり、”親”を失ったヴィオの柄をギュッと握る。
グリソムはそれを見てすぐに察したのか、答えも聞かずにエリクの肩をそっと叩いた。
「だが、君の”剣”も確かに届いていた、それも事実。
これからも精進したまえ、それが生き残った者の努めだ」
グリソムはそう言い残すと、治療を次々にやってくる医療班に任せ、事態の把握の為に聞き込みを始めていたクラヴィスの方へと歩みを進めた。
「”クラヴィス・タイグリス”!」
グリソムの呼びかけにクラヴィスは記録の手を止め、手元の紙を捲りながらグリソムの方に向き直り、今しがた話を聞いていた冒険者に断りを入れてから、足早にグリソムに駆け寄ってきた。
「グリソム様」
「”アクリラ名代”の君の依頼は遂行した。 これより自分はただの”使節役”に戻る。 ・・・もっとも、その”相手”がいなくなったみたいなので名ばかりだが、まさかこんな事態になるとはな・・・」
グリソムはそう言うと自分の左胸に手を当て、まるで心臓の位置から引き出したかのように魔法陣の塊を取り出すと、クラヴィスがその魔法陣にそっと触れる。
どうやら何かを書き換えているようだが、エリクには理解できない。
やがてその作業を終わり、グリソムが魔法陣を自分の胸に仕舞うのを見届けながら、クラヴィスは聞きづらそうに口を開いた。
「・・・それで、どのように報告なさるのですか?」
「どのようにもなにも、隠れて様子見している段階で2、3語交わしただけだからな、”ヴァロア嬢”の戦うところを見たわけじゃない。
代わりに”証人”として、そこの少年をエドワーズに呼んでも構わないか?」
そう言いながらグリソムが親指でエリクを指し示すと、クラヴィスの目がエリクを射抜いた。
アクリラ生特有の、モニカにはまだない”エリクの全てが手の内”であるかの様な視線にエリクは身を縮めるが、クラヴィスの表情自体は困ったような感じである。
「・・・その辺りの話は、私の手に余るので校長にお願いします」
「出来るだけ早い返事が欲しい。 君は”繋がってる”のだろう?」
グリソムがそう言ってクラヴィスを睨む。
魔導騎士に睨まれて正気でいられる者は殆どいない。
「・・・少しお待ちください」
拒否権のないクラヴィスは、青ざめた表情で複雑な魔法陣を耳にあてがい、魔力を流すとその雰囲気に霞がかかったかのような感覚をエリクは感じた。
更に片目の色が少し黒寄りに変色する。
「・・・それで、出てきたものは倒したのですね」
その声色にエリクは思わず肩を緊張させた。
横を見れば、アイリスやクレストール教授も驚いた顔をクラヴィスに向けている。
それくらい、クラヴィスの今の声は違和感があった。
まるで擦れた”老婆”の様な声だったのだ。
「ああ、”ステファニー殿”の見てのとおりだ」
ただ1人グリソムだけがその変化に驚きもなく、更にはどこか好意的な感情を向けている。
その顔は厳しいが。
「だが問題はそこじゃない。 君の生徒、”モニカ・ヴァロア”が戦闘に巻き込まれ死亡した」
「・・・」
グリソムの言葉にクラヴィスの向こうの誰かが、スッと目を細めてグリソムを睨む。
その迫力はグリソムの物と比べても遜色がない。
エリクはそこで、クラヴィスの背後にいる存在が、アクリラでも最上位の存在である事を直感的に見抜いた。
その証拠に、モニカですら上に見て自らを恥じるほどのクラヴィスが、恐怖に怯えるように震えているではないか。
「・・・申し訳ありません”校長先生”。 私の管理能力の不足でした」
クラヴィスが彼女の声で背後の誰かに謝る。
”校長”・・・というからには、本当にアクリラのトップがそこにいるのか?
それがどの様な仕組みか全く想像できなくとも、それがいかにとんでもない事かはエリクは理解できる。
ただ、アクリラの校長はクラヴィスの謝罪に対して、優しげに答えた。
「手も届かない場所の責任まで負うんじゃないですよクラヴィス」
「ですが先生・・・」
その、傍から見れば2重人格の標本の様な光景の中で、校長は自らの生徒を宥めるように言葉を続けた。
「それにモニカさんは死んでません」
それを聞いた瞬間、エリクは驚きに立ち上がり、アイリスも続こうとして彼女を診ていた医療班に怒鳴られた。
「残念ながら、モニカ・ヴァロアの戦死はほぼ確実だろう。
あの地平線の先からでも感じ取れた”気配”が今は全くない。
地中爆発の発生と同時だから、近くで巻き込まれたか」
生徒の死を認めようとしない校長に気遣うような声でグリソムがそう言う。
だがそれに対しクラヴィスに憑依した校長は、解答を間違えているとばかりに眉を動かしてグリソムを牽制した。
「あら、そんな事はありませんよ? ”魔導騎士様”の索敵というのは、案外大したものでは無いのですね。
アルバレスの”勇者”やマグヌスの”軍位”の方なら、皆さん見抜くでしょうに」
そのい言い様に、グリソムが僅かに言葉を失ったように口を半開きにし、どうしたものかと周囲を見回す。
一方の校長は、そんな風に見抜けない様子のグリソムに愛想を尽かしたかのように視線を外して目を閉じた。
「少々体をお借りしますねクラヴィス」
するとその瞬間、クラヴィスの片目の黒い染みが眼孔から滲み出し、彼女の体表を覆い始めたではないか。
「こ、校長先生!?」
クラヴィスが驚きの声を上げるが、すぐにその表情ごと黒い染みに塗り潰される。
エリクもヴィオも、クラヴィスの体が完全に校長に塗り潰されたことを直感し、腰が抜けたように後退った。
グリソムもその様子に悪趣味だとばかりに眉を顰めるが、クラヴィスを乗っ取った校長はそんなものどこ吹く風で、乗った体で意気揚々と四本蜘蛛に近づいていく。
グリソムが軽く手を伸ばしてクラヴィスを止めようとするが、校長はそんな物は不要とばかりに振り解くと、そのまま全身を黒い魔力で覆いながら進んでいった。
気のせいかその動きは、僅かに怒気を孕んでいて荒々しい。
「変わってないらしいな」
グリソムのその言葉を背に、校長は四本蜘蛛の残骸まで歩み寄ると、急にその頭を蹴り飛ばした。
モニカより背の小さな少女の物とは思えぬその蹴りに、巨大な残骸が軽く転がる。
何をしようというのか。
理解できないエリクはグリソムを見るが、彼も分からないのかおどけた顔で肩を竦めてみせた。
「どこの誰かは知らないが、”私の生徒”を隠そうなんて随分命知らずだね。 ”耳”しかないならいざしらず。 今は”目”もあるんだよ」
クラヴィスの口から、ゾッとするような響きで漏れ出すアクリラ校長の声。
と同時に、両手に展開した魔法陣で四本蜘蛛の残骸の中を掴み、何かを引っ張り始めた。
大きな物が他の構造を掻き分けながら進む鈍い音が辺りに響き、その反動で四本蜘蛛の表面がボコボコと波打つ。
少しの間、周囲の全ての目が四本蜘蛛の残骸に釘付けになった。
やがて、その断面から大きな丸い球状の物体が、繋がったパイプ等を引きちぎりながら姿を表し、無惨に残骸をばら撒きながら地面を転がっていく。
だがその動きは、校長にガシリと掴まれて止まってしまった。
「さあて、”生徒泥棒”の面を拝んでやろうじゃないか」
校長はそう言うと、清楚に整ったクラヴィスの顔を、エリク達が引くほど邪悪に歪め、右手の手刀に魔力を漲らせて球状の物体に突き刺したのだ。
◇
時を同じくして、モニカとロンの囚われた空間に大きな亀裂が走った。
まるで世界が割れた様な轟音と共に、頭上に広がるアクリラの街が引き裂かれたのだ。
いや、引き裂かれたのはその”幻影”か。
それでも天を覆う巨大な亀裂によって空間内の大量の空気がかき乱され、瞬間的に発生した乱雲から雷光が四方に走る。
その稲妻は、天から伸びる巨大な人の手にも見えた。
いや、見えたではないか・・・
「残念ながらここまでのようですね。 ”沼地の魔女”がお怒りだ」
その終末的な光景を、”自称モニカの息子”の老剣士は、どこか黄昏れた様子で見ていた。
「ここは”影”が交わる場所。 母上様は私にとっての”過去の影”、私は母上様の”未来の影”。
やはりこの邂逅には無理があり過ぎたかもしれません」
そう言って疲れたように息を吐く剣士の背中はなんとも物悲しげだ。
きっと今ここに来たばかりの者がいれば、彼の背中に漂う哀愁に気遣った事だろう。
そんな奴はいないが。
「そんなことより、今はちょっとだまってて!!」
モニカが地面すれすれから叫ぶ。
だが、その視線は不自然に低い。
「うん? まだ直らないんですか?」
老剣士がどうしたのかとばかりに後ろを振り向くが、その動きをモニカは手を伸ばして静止した。
「だめ、うごかないで!」
そしてもう一方の手で、自らの腰部の端を掴んで断面を見せつけるように持ち上げた。
傍から見れば、胸から上だけになったモニカが、サイコロ状になった自分の胴体の破片を腰の上に並べている非常に奇妙かつグロテスクだが、滑稽な光景である。
それでもモニカは真面目に焦っていた。
「”腎臓”がいっこたりないの、その辺におちてるから!」
この歳で腎臓1つ失うのは色々と大変なのだ。
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