2-20【先史の記憶 17:~千刃の頂~】



 師匠が、”本当の剣の形を知ってるか?”と聞いた翌日のこと。

 エリクの痛みが治まるのも待たずに、師匠はエリクをキャンプのすぐ横の平地に連れ出した。

 前日に大戦果を上げた師匠が弟子を連れ出して稽古ということで、かなり囃し立てられた事を覚えている。

 昨晩と比べて随分解体が進んだ魔獣の死骸の前で、徹夜で作業をしていた冒険者達にとってそれは、興味深い娯楽だったのだろう。

 ひょっとすると、何か”奥義”的なものを教える瞬間が見れると思っていたのかもしれない。 


「師匠・・・人の目がありますけど、いいんですか?」


 エリクが不審げに師匠に尋ねる。

 物語の師弟も、実際の師弟も、”教え”というのを外にあまり出したがらないのは変わらない。

 普段なら師匠もその例にもれず、エリクを鍛える時はこっそり人気のないところに連れて行かれるのが常だった。

 だが今回、布地を何重にも重ね着にした隙間の向こうに見える師匠の独特な視線は、そんな物など気にもとめていない。


「・・・見て分かるのならば、分かればいい。 これは”技”でも”技術”でもないからな」


 そのかなり平板な師匠の声から、興味のようなものが溢れているのがエリクは気になった。

 エリクに”剣の形”を教えた場合の結果を楽しみにしているのか、それとも周囲がそれを見てどの程度理解できるのかに興味があるのか、あるいはそのどちらか。


「・・・それに、どのみち。 お前の剣は誰の参考にもならん」


 師匠がそう言って歩調をわずかに早めると、エリクの中のなんとも言えない感覚が羞恥を掻き立てた。

 実際、こんな暴れ牛のような剣を扱う剣士は見たことがないし、その技術を知りたい”者”などいないだろう。

 ただ、


「師匠、昨日の今日なんで、あまり痛いのは・・・」


 流石に魔獣と切り結んだ翌日に、キツイ稽古は体が悲鳴を上げる。

 流派によっては軟弱者と罵られるかもしれないが、エリクの師匠は”アレ”なせいで人の体に深い理解がないし、それでいて、こう見えて無理はさせない”効率主義者”なので、体調の状態は事前に言っておくように普段からキツく言われていたのだ。

 だが、師匠は特に気にした様子もない。


「安心しろ。 お前が体を動かす必要はない。 これはお前が普段”無意識”でやっていることを、自覚させるための鍛錬だ」

「自覚ですか?」


 エリクが怪訝な顔で聞き返す。

 普段から他の冒険者に「よくそんな剣を振り回せるな」と言われるが、それだろうか?

 だが、師匠は無自覚でやっていると言うが、それは師匠が徹底的にそうなるように鍛えたからだ。

 だから”剣の感覚”は、いつだって意識して掴むようにしている、無意識ではない。

 

 ちょうど草地が真っ平らになる場所に着いたところで師匠が徐に足を止め、エリクを振り返ると、静かに腰に下げていた細剣を抜き放つ。

 すると周囲の囃し立てる声が一気に大きくなり、作業の手を一旦止める者も出始めた。

 エリクはそれを極力意識しないように、視線を師匠の剣に集中させる。


 エリクの剣と違って、師匠の剣はエリクでも眉をしかめる安物の既製品だ。

 それも協会の横の武器屋で値下がり品をケチ臭く買っている。

 既に何度も折れて替えているので、今は四代目か五代目か。

 それで魔獣を一刀両断できるのだから、”剣は使い手次第”という格言もさもありなん。

 剣だけが異常に強く、振り回されている”おまけ”でしかないエリクとはあまりにも対照的で嫌になる。


「それで、”剣の本当の形”でしたっけ?」


 エリクが今日の題材を確認する。

 昨日の夜に聞いた言葉は、エリクの中で引っかかっていた。

 すると師匠は小さく頷く。


「どんな形なんですか?」

「・・・やはり無意識か・・・」


 師匠はそう言うと、手に持っていた細剣を持ち上げて見せた。


「言葉で説明するのは難しい。 私も感覚として知っているだけで、ハッキリと掴んでいるわけではないからな。

 お前は、剣は本当はどんな形をしていると思う?」

「細長い・・・”棒”ですか?」


 極稀に例外もあるが、原則として長短のある棒状の片方を持ち、長い方の腹か背、もしくはそのどちらかに刃が付いたものを”剣”と呼ぶ。

 練習や試合では刃の付いてない棒で打ち合うことを考えれば、”棒”というのが剣の本質だろう。

 だが、当然のように師匠は首を横に振り、厚着に厚着を重ねた大量の布地がバサバサと振り回された。


「本当にそう思うのか?」


 師匠が”わからんか?”とばかりに細剣を軽く振る。

 だが、その見た目はどう見ても”棒状”という他ない。

 周囲の冒険者達に混じる剣士たちも、”そりゃそうだ”とばかりに膝を叩いて師匠の言葉をからかっていた。

 尊敬する師匠を軽んじるその言動に賛同したくはないが、エリクとしても他に答えがないからどうしようもない。


「すこし・・・先が細くなっている?」


 エリクは何とか答えを絞り出そうと、剣の特徴をより細かく答えてみた。

 だが、それは間違いだったようで、より露骨に肩を落として落胆した様子を見せた。

 エリクの中に焦りと苛立ちの混じった感情が吹き出し始める。

 落胆されたこともそうだが、なにより全く思いつかないのだ。


「・・・なるほど、なら試しにこの剣の前に立ってみろ」


 すると師匠がそう言って剣を構え、エリクに向かって人差し指をクイクイっと曲げて合図した。

 どうやらすぐ剣を構える師匠のすぐ前に立てということらしい。

 剣の形を言い当てられなかったエリクは大人しく従うほかなく、すごすごと師匠の元へと歩みをむける。


 だがその時、突然師匠が強烈な殺気を放った。


 エリクの目が師匠の手の中の剣に集中し、恐怖で冷や汗が飛び出す。 

 当然ながら、その前に立つなどできるわけがない。


「し・・・ししょう?」


 何事かと問うエリクのその声は、かなり上ずったものだった。

 状況を掴めない周囲の冒険者達が不審そうに首を傾げ、何人かが腰が抜けたようなエリクを見て笑う。


「どうした? 早く前に立て」

「た・・・立てません・・・」


 立てるわけがない。

 エリクの感覚が、一寸先の空間に漂う”切られる”という波動を検知して止めるのだ。


「どうした? 剣は”細長い棒”ではなかったのか? なら、どうして剣の前に立てない? そこに刃はないのだろう?」


 師匠が問う。

 そんな声ではないが、絶対笑っている。

 エリクは心の中で確信していた。


「・・・立てません」


 もう一度、エリクが答える。


「・・・なぜだ?」

「師匠に・・・切られるから」


 エリクが正直にそう答える。

 するとそれに対し、師匠は凄みのある声で返した。


「私はお前を切ったりはしない。 お前を切る気もない。 切らないように最大限の警戒もしている。

 なのにお前は、私がお前を切ると言う。 なぜだか分かるか?」

「・・・・・・剣が・・・そこにあるから・・・」


 エリクはそう答えるしかなかった。

 だがその指は、何も無いはずの空を指す。


「・・・何が見えている?」


 師匠が鋭い声で問う。


「ま・・・まるい・・・え、”円盤”?」


 確かにエリクの眼前に”それ”がある。


 見る事も、触れる事も、正直に言えば感じる事すら怪しい。

 だが確実に、師匠の身長と同じくらいの直径を持つ、謎の”円盤状の何か”がエリクの体を押しとどめていた。










『円盤・・・それが剣の本当の形なんですか?』


 エリクの簡単な説明に、ヴィオがそう聞く。

 だがエリクは心の中で首を横に振った。


「・・・もちろん違うよ・・・でも”棒”よりはよっぽど近いかな」


 そのエリクの答えに、ヴィオは大いに混乱する。

 ”剣の本当の形”という問に対する答えも分からないし、そもそも今がそんな物を問うべき時かも分からないし。

 ただ1つはっきりしているのは、今しがたエリクが放った斬撃は、ヴィオには説明のつかない事象だという事だ。


 剣の速度も剣の鋭さも足りない。

 有り体にいえば、先程のエリクの一撃は”大したことはない”。


 にも関わらず。

 ヴィオも四本蜘蛛も反応する事ができず、あまつさえ強靭な四本蜘蛛の爪の先を無抵抗にスッパリと切ってみせたではないか。

 四本蜘蛛が得体の知れない物を窺うように首を傾げながら、ゆっくりと近づいてくる。

 きっとヴィオと同様、後になって”大したことのない一撃”が記録されている事に、混乱しているのだろう。

 記録されている中で唯一、普通ではない事は、たしかにエリクの言葉通り一瞬だけ”円盤状の物体”に相当する”何か”が計測されていた事だ。


 四本蜘蛛が、満身創痍のエリクに向かって恐る恐る切られてない方の脚を近づける。

 すぐにでも踏み潰せるだけの力を溜めながら、だがエリクの僅かな隙を窺うように小刻みに動かしていた。

 一方のエリクは息も絶え絶えで、未だに歩く事もできそうにない。

 それでもなお、その目には四本蜘蛛を押し留めるだけの覇気があった。


「ヴィオ・・・もう一回いくよ、難しいと思うけどよく見ていて」


 そう言いながら、エリクが腰を落として剣を横手に構える。

 その瞬間、再びヴィオを強烈な”衝動”が襲い、思考の殆どをかっさらっていく。

 それでも、今度は記録するだけの余裕があった。


 ”切”


 ただ、純粋な、感情とも言えぬ衝動が、ヴィオの思考を塗りつぶす。

 

 ”切”


 ”斬る”ではなく、ただ”切る”。

 それだけが自分を支配していた。


 己の先、刃の先の空間が見える。

 まるで剣の前後が延長されたかのように。

 その形を例えるなら、やはり”円盤”のようで・・・

 これから剣が通る道、その先に浮かぶ四本蜘蛛の金属の、原子の繋がりの一つ一つまでもが、何故だか自分の体内のように感じられたのだ。

 そしてその繋がりが、一瞬で断ち切られる。


 気づいたときには、エリクがその”円盤”の形に沿ってヴィオを振り抜き、四本蜘蛛のもう片方の脚先の爪が、先程より深々と切り飛ばされるところだった。


 その”異質な光景”に、周囲の冒険者達が恐怖に魅入られたようにエリクを呆然と見つめる。

 彼らの本能が、エリクの放った攻撃に対し、四本蜘蛛の脅威を塗りつぶすほどの”恐怖”を植え付けたのだ。


「・・・分かった?」


 剣を振り抜いた先で、エリクが問う。


『・・・少しだけ』


 ヴィオは、なんとかそう答えるのが精一杯だった。

 すると再び、ヴィオの感覚が”円盤”の出現を感知し、その延長線上にあった四本蜘蛛の脚の表面が切り飛ばされる。


 それは不思議な感覚だった。

 抵抗も”切った”という実感もない。

 ただ、何もない”無”ともいうべき感覚だけが後に残る。

 今のは本当に自分だったのか、エリクの意識がヴィオを塗り潰したのか?


 ” 否 ”


 自己診断プログラムを走らせたヴィオが、その結果から早々に結論を下す。

 あの感情は、外から来たものではなく、己の内側・・・”剣としてのヴィオ”の持つ純粋な感情で、エリクはただ、それに呼応する様な”気”を瞬間的に纏っているだけだ。


 これが”使い手”と”剣”の呼吸なのか。


 ヴィオは最初、”円盤”が剣の本当の形で、その正体は剣の動きを予測した物だと推察した。

 円盤の支点がエリクの形に膨らみ、それがコマのような”回転運動”を表していたからだ。

 だとするなら、剣の動きを”回転運動”による産物と定めてそれを意識し、その感覚を会得するというのは、”凡人”にとっては極めて重要だといえるだろう。

 なにせ確かに、剣で斬りつけるとき、それを客観的に見れば必ず”回転運動”の一部になるからだ。


 だがエリクがしているのは、”そんなもの”ではない。

 使われたヴィオが言うのだから間違いない。


 攻撃を撃ち落とされた四本蜘蛛は、それでもなんとかエリクに攻撃を通そうと、距離を取りながら突入のタイミングを窺い続けた。

 一撃さえあれば、今のエリクなら死ぬ。

 だが、いくら攻撃を入れようにも、エリクの剣がそれを許さない。

 何度攻撃しようとも、エリクの周りに展開された”円盤”が、盾のように攻撃を受けると、接触した部分が綺麗に切り飛ばされるのだ。


 ”予測軌道”ではない。


 ヴィオはそれを確信する。

 まるで、その円盤上の何処にでも現出できるかのように、鋭い切っ先が突然現れては消える。

 あとから見れば、ただ剣を振っているだけの動きが、その瞬間では認識する事すら難しいのだ。

 幻術か、認識阻害か、あるいは時間軸への干渉か。

 何度も繰り出される防御不能の攻撃に、四本蜘蛛の中のエリクの危険度が急上昇していく。

 ようやく”それ”見えてきたヴィオにしても、”円盤”から先を見ることはできていない。


 そう、”先”がある。


 そして真に恐ろしいのはエリクの視線は常にそこにあって、”凡物”が理解可能な範囲を必死に見ようとしていることが、その手を通して痛いほど伝わってくる事だ。

 何がそこまで彼の感覚を歪めたのか。

 それはもはや才能と云うよりも”呪い”に近い。


 腰が引けた様に後ろに後退る四本蜘蛛を、追う様にエリクが前に踏み出す。

 するとその瞬間、急激に”円盤”が変形し、細長い楕円へと形を変えたではないか。

 ヴィオがそれに驚いた時には、細長い楕円の中からヴィオの剣が現れ、それが途轍もない”刺突”となって四本蜘蛛の顔面に突き刺刺さるところだった。


「・・・ありがとう、前より全然使いやすいよ」


 そう言いながらエリクが剣を振るい、ヴィオを引き抜く。

 四本蜘蛛の頭部には、それまでに無いほどのハッキリとした深い傷が穿たれていた。

 まるで痛みに呻く、悲鳴の様な軋みを周囲に轟かせて四本蜘蛛が威嚇する。

 その強烈な音に殆どの者達が恐怖で青ざめながら、その場に蹲っていた。


 だがエリクは違う。


 これまでに無いほど大きな”円盤”を幻視させたかと思うと、それに沿って剣を一薙し、空を切った。

 文字通り”空”をである。 

 その瞬間、四本蜘蛛の威嚇音がほとんど聞こえなくなる。

 それもその筈、エリクは空気中を伝わる、”音の振動”を切り裂いて払ったのだ。

 もはや、”音波のメカニズム”など有ったものではない。


「ヴィオの”意識”がはっきり見える、意識がある剣ってこんな感じなんだ・・・」

『わ、私のですか?』


 エリクの言葉にヴィオが大きく混乱する。


「”剣の主張”が前よりハッキリしてるから、俺はその通りにすればいい。 楽に切れる」

「私の・・・”主張”ですか?」


 その声は、ヴィオの基準ではかなり引きつっていた。

 ヴィオは自分の主が、何か得体の知れない存在だったと気付かされた気分だ。


「そう、君が”自分の姿”を主張する限り、その場所は君のものだ。

 ”剣で斬る”ってのは、そういう事だろう?」


 その言葉で、ヴィオはエリクの行っている事が、自分の持っている知識では理解できない事を察した。

 より正確には、エリクから理解可能な情報を引き出せないというべきか。

 なのでヴィオはすぐに思考を切り替える。

 今重要なのは、エリクのその”発想”だけが唯一の拠り所という事だ。

 ”メカニズム”は分からずとも、その”工程”なら把握している。


 おそらく”主張”というのは、エリクが斬る瞬間に発生する”切”という、あの感覚だろう。

 あの感覚の先、いや”時間軸上の上”というべき場所にある部分が、ヴィオに押しのけられ結果的に切断する。

 つまりエリクのいう”剣の本当の形”とは、


 ” 三次元時空に存在する、時間軸上の断面が、剣を持つ剣士の形になる物体 ”


 を、指しているのではないだろうか?

 その定義の真偽はともかく、確かにこれならば”剣”はその様に振る舞うし、ヴィオにも何とか理解できるし、こうでもしないと何もできない。

 それに、”時間軸”を俯瞰した場合、”円盤”という形が見えることも、これならば説明がついた。


 ヴィオはそう結論づけると、「だから何だ、それで何で切れる!?」という混乱を押しのけ、自分の体と四本蜘蛛の状態へ注意を向けた。

 エリクは”前より使いやすい”と言ったからには、ヴィオの意識が何らかの好作用を持っている可能性がある。

 いたずらに混乱しない方が良い。

 その思考の変化を、剣を通して察知したのだろう。


「・・・うん、その感覚だ。 さすが俺のヴィオだ」


 何も掴めてないので褒められてもちっとも嬉しくないが、上手く転んでいる限りはそっとしておこう。

 ヴィオは、ロン父親から受け継いだ数少ない利点である、長い物に巻かれる考え方を発揮した。

 何はともあれ、この”円盤”の切断力は比類がないのも事実。


 四本蜘蛛が前脚を突き出しながら後退していく、だが迎撃する様にエリクが”円盤”を展開するので、それに触れられない四本蜘蛛の攻撃は通る事はできない。

 もはやエリクは構えてすらいなかった。

 ただ剣の”主張”だけが前へと飛び、そこに四本蜘蛛が触れた場合にのみ剣が飛ぶ。

 四本蜘蛛の巨大な体に、それまでに無かった切り傷が次々に刻まれて行く。

 エリクの剣を止められる者など、ここには居ない。


 それでもヴィオは、四本蜘蛛の反応に一抹の不安を覚えた。


『エリク、対象がこちらの攻撃を見始めてます』


 ヴィオが迫る様な声色でエリクに警告する。

 もう既に戦闘に関する能力で、自分を四本蜘蛛の上には見ていない。

 ならばこそ、ヴィオにもハッキリと認識し始めた”円盤”を四本蜘蛛が認識できない訳が無く、事実として、四本蜘蛛はもう既にエリクの放つ”剣の形”を見極め、さらに”先”を見ようとしていた。

 つまり、”見切り”である。

 エリクの振るう剣の入り具合と、事前に観測できた”剣の主張”を照らし合わせ、入り込む為の隙を見つけようとしていたのだ。


 続けて何発かエリクの剣が掠るだけに留まる。

 四本蜘蛛はその驚異的な反応速度の暴力で、円盤状に広がる剣の領域から一瞬で離脱したのだ。

 その事にヴィオはまた、絶望に似た感覚を味わっていた。

 これ程まで・・・

 ここまで超常に達したエリクの剣でさえ、届かぬというのか。


 そしてついに四本蜘蛛が巨大な体を捩り、ハッキリと剣の軌道スレスレを避けきった。

 その醜悪な顔面が斜め上からエリクを睨みつけ、同時に放たれた獲物を見つけた様な視線を、この数分で研がれたヴィオの”感覚”が掴み取る。


 だが、その視線を放ったのは”エリク”だった。


 ” 準備はできているな? ”


 エリクが一瞬の気合でその様な事をヴィオに伝えると、剣を大きく後ろにそらして深い構えを取った。

 と同時にヴィオの思考が”切”に切り替わり、前面にこれまでに無いほどの巨大な”円盤”がいくつも出現する。


 だが、それを見ても四本蜘蛛は、”確信”を持って突っ込んできた。

 図抜けた才に任せた曲がることなき剣筋は比類なき威力だが、同時に読み易くもある。

 既にエリクの剣を見切っている四本蜘蛛にとってその”渾身の一撃”は、避けるのも容易い安易な攻撃だったのだ。


 ここを”勝機”と見た四本蜘蛛が、エリクと同じく”切り札”を投入する。

 突如としてその巨体が青白く光りだし、大量のエネルギーが表面に浮き上がった。

 ここまで隠しながら回復していたその力は、例え切り飛ばされようとも余波だけでエリクを消し飛ばすに十分だろう。


 だからこそ、見逃した。


 エリクの前面の”円盤”が、実はその一部がねじ曲がり、螺旋模様のようにどこまでも続いている事を。

 その螺旋状の物体が、エリクの周囲10m四方を埋め尽くしていることを。


 強力な”ベクトル魔法”を内包する、”魔剣ヴィオ”の本当の形が、”円盤”などという矮小な形に収まる訳がないことを。



 己に降りかかる運命を知らない四本蜘蛛が、猛烈な速度で接近し前脚を振り下ろす。

 そのあまりの速度に、あっという間に全身の半分以上が”螺旋構造体”の中へと潜り込んだ。



『・・・いきます!』


 必殺の攻撃を眼前に迎え、覚悟を決めたヴィオがそう宣言し、意識を完全に剣の中に落とす。

 もはや何も感じるものも無い、唯の”切”という思考が、ヴィオの全てを染め上げた。

 現れたのは、本当の意味での”魔剣”としてのヴィオ。


 それに繋がった強化装甲の支援機能が、虫けらの様なエリクの体に、その”才”を使い切るだけの能力を付加する。


 ”才能”、”体”、そしてそれを受け止める”剣”。

 どれ一つとっても比類がなく、どれ一つとってもそれだけでは無意味な存在。

 その全てが揃って初めて”剣”は完成する。



 ”心が斬る!”


 その掛け声をエリクが念じ、ヴィオが応えるように叫んだ。


「『【聖剣術:一ノ形、”千刃一閃”】!!!!』」



 放たれた剣撃は、もはやそこに”棒状の形”を見ることの方が難しかった。


 あまりの鋭さと速度に完全に視界から消え、加速の為に用意された魔法陣の光が、黒い閃光となって駆け抜け、焼き付いた光が”剣の形”をなぞる。

 当然、その一撃を完全に見切っていた四本蜘蛛は余裕を持って躱した。

 それなりの感情があればきっと、勝ち誇った笑みを浮かべていた事だろう。


 だが四本蜘蛛の感覚器は、同時にエリク本体の姿を見失っていた。

 そしてその信号が処理される直前に、突如として黒い光が、四本蜘蛛の背中を大きく削り取る。

 大きく外した筈の一閃が、そのまま途切れる事なくニノ太刀へと繋がったのだ。


 ”黒い閃光”の暴威はそこで止まらない。

 使い手であるエリクごと剣戟の中に取り込んだ”魔剣ヴィオ”は、振り切っても尚止まることを知らない。

 本能のままに勢いを維持し、回転して次の一撃に変える。

 四本蜘蛛の表皮を切り刻んでも、切り刻んでも止まらぬその剣は、まるで後に残る魔力光で”ヴィオの真の姿”を描き出さんとするかの様に、正確に動き続けた。


 エリクの記憶に蘇る、かつて憧れた”剣士”の奥義。

 一振りで”千”を切った事から命名されたその攻撃は、かつて”魔導剣士スコット・グレン”だけが到達した究極の剣技の一つである。


 そこに己の才を受け止められるだけの、”剣”と”力”を得たエリクが迫る。

 それはもはや、”技”というよりも一種の”偉業”に近い。

 だがそれ故に・・・


 それでも、まだ到達を拒むように、この度もその偉業が達成はされる事はなかった。


 エリクとヴィオの創り出した”千の剣”は、その姿を現出させる遥か手前・・・1割と少しを切り込んだ所で破綻し、その反動で投げ出されるようにエリクとヴィオが地面を転がる。

 ヴィオの意識が急激に戻り、不完全に終わった”現出”に、その意識が混乱に染まった。

 と、同時に自らが踏み込んだ次元のあまりにもの”深さ”と、そこまでの絶望的な”距離”に、”恐怖”の感情をハッキリと自覚する。

 なんて”使い手”の手に渡ってしまったのか・・・

 

 エリクが地面に手を付いて起き上がりながら血を吐く。


「ゴブッ・・・う、・・・あいつは?」

 

 そう言いながら見上げた先には、傷だらけの四本蜘蛛の姿があった。


 完全な攻撃の1割とはいえ、合計で100発を超える防御不能の斬撃を喰らい、無事で済むはずがない。

 ボロボロになった表皮が殆ど剥がれ落ち、その下の不気味な青白い光を纏う骨組みや筋肉に相当する構造が顕になっていた。

 そこら中に切れ込みが入り、内包している強い光がそこから筋のように飛び出している。

 巨体故に致命傷を免れてはいたが、最も苛烈な攻撃を受けた前脚の片方は根本から脱落し、もう一本もまともに動ける気配ではない。

 それでも、まだしっかりと立ち上がるのだから、この怪物のしぶとさも常気を逸していると、改めて痛感させられる。


 四本蜘蛛が恨めしげにボロボロの頭を後ろに向けて、そこに膝をつくエリクを睨んだ。

 両者共に風前の灯の様な状態。

 その場にいた誰もが、次の一撃が決着だろうと悟っていた。

 問題は、それをどちらが仕掛けるか・・・

 何人かが息を飲む・・・エリクは動けない。


 だが、四本蜘蛛はそこで思わぬ行動に出た。


 急に残った前脚で無理やり地面を叩いて上体を起こすと、なんとそのままスルスルと距離を取ったのだ。

 突然のその行動に、誰もが呆気に取られて見ているしかできないでいた。

 すると四本蜘蛛はその様子に満足したように頭を擡げながら、そのまま更に距離を取るようにどんどん後ずさっていく。

 まるでエリクから逃げる様に・・・


 明らかに優劣の決した行動に、周囲の冒険者達から歓声が上がる。

 皆、エリクの剣がこの理不尽な怪物の力を下したと思ったのだろう、それ自体は間違いではない。

 ・・・間違いではないのだが。


「・・・やられた」


 エリクが僅かに淋しげな声でそう呟く。

 その言葉通り、この場の決戦は四本蜘蛛の撤退の時点で詰んでいた。


 エリクに、もう”勝ち目”は残されていないのだ。


 四本蜘蛛がエリクを正面に見据えたまま、地面を突き破って露出した巨大な柱の残骸の上に陣取る。

 距離は200ブルと少し。


 エリクの手では届かない。

 いくら”真なる剣撃”をもってしても、物理的に届きようのない場所に逃れられてはどうしようもなく、エリクにその距離を詰める手段はなかった。


「ぐふっ・・・」


 エリクが胸を抑えて膝をつく。

 装甲の隙間から、抑えきれなかった血が溢れだす。

 それでも四本蜘蛛はピクリとも動かなかった。

 もはや立つこともやっとのエリクにとって、200ブルの距離を歩き、あまつさえその上にそびえ立つ柱の上に陣取る四本蜘蛛の下に向かうことなど出来るわけがない。


 そしてただ待っていれば・・・


「来るな!!」


 エリクが、横から近づいてきたアイリスに向かって叫び、その声にアイリスの体がビクッと反応してから固まった。

 エリクが冷や汗も枯れた顔を四本蜘蛛に向けると、そこには動こうと構える四本蜘蛛の姿が。


 エリクとの死闘の果てに、四本蜘蛛は己の本分を柔軟に変更する事を選択した。

” 目標を出来るだけ速やかに排除する ”という本分を。

 エリクの攻撃は、もはや四本蜘蛛を破壊し尽くすだけの危険性を持っていた。


 ならば、戦うだけ”損”である。


 四本蜘蛛は見抜いていた。

 エリクが”剣の形”を扱う様になっても、その”致命的な傷”を回復させる気配が無い事から、エリク達の”自己修復能力”が足りてない事を。

 四本蜘蛛自身には、動けなくなるのと引き換えに、リソースを集中させることで擬似的な”完全自己修復機能”が備わっている。


 ならばこうして”安全圏”から眺めて、ただひたすら、エリクを回復させようと近づく者を排除していればいい。

 きっとその内、エリクは負っている傷が原因で事切れるし、その間に四本蜘蛛は回復しきる。

 これは対等な決闘ではない。

 既に致命傷を負っているエリクと戦う意味は、そもそも無いのだ。

 それが分かっていたからこそ、エリクは霞む視界の中でアイリスに下がる様に手を動かした。

 アイリスが無力感に涙を浮かべながら、エリクと四本蜘蛛を交互に見つめる。

 そして四本蜘蛛はそれを、ただじっと見つめていた。


 エリクがその場にパタリと倒れ込んでも動かない。

 余程のことがない限り、エリク討伐の手柄は”時間”にくれてやるつもりでいるのだろう。


「わるい・・・たりなかった」


 エリクがヴィオにだけ聞こえる声で、ヴィオに謝る。


『何言ってるんですか! それは私が不甲斐なかったから負った傷です! 混乱してないで、意識をしっかり持ってください!!』


 それでもヴィオはそう叱咤しながら、必死に傷口をどうにかしようと奮闘していた。

 塞ぐだけじゃ駄目だ、ズタズタになった内部をどうにかしないと、内出血で失血死する。

 そう判断したヴィオは、傷口から魔力装甲を挿し込み、内部の傷を縫合しようと動かす。

 だが使える魔力が少なすぎて、傷を塞ぐ事すらままならない。


「・・・痛いよ」

『我慢してくださいとは言いません。 でも我慢してください』


 ようやく”剣の形”が分かり始めてきたのだ。

 ようやく、”剣”として、エリクという”使い手”を見つけられたのだ。


『こんな形で負けるなんて、こんな形で終わるなんて!』


 ヴィオはそう言いながら、四本蜘蛛の様子を窺う。

 相変わらず、動く気は無いらしい。

 本当にエリクが完全に息絶えるまで、手出しする気はないようだ。

 自分達はそれだけの脅威であることを示してみせた証左でもあるが、同時にそれが敗北の決定打となるわけで。

 ヴィオはそれがたまらなく悔しかった。


 ああ、そうか・・・

 これが”悔しい”という感情か。



「ヴィオ・・・いったい何を言ってるんだい?」


 不意にエリクがそう呟く。


『何って・・・』

「ヴィオ」


 エリクが正すような口調でヴィオに”その事実”を伝える。


「俺達は・・・負けてなんかいないよ?」




 

 四本蜘蛛は大きな勘違いをしていた。

 相手を直接倒す必要はないのは、何も四本蜘蛛だけの事ではない。

 一定を超えた脅威に対して僅かに発生した”認識の集中”が、四本蜘蛛の視野をほんの少しだけ狭め、エリクの残りリソースの少なさに気を取られ、”それ”に気づく事ができなかったのだ。

 エリクの本当の狙いも、”時間稼ぎ”だという事に。


 四本蜘蛛が己の力を過小評価させたように、エリクも”自分達の戦力”を過小評価させる事に成功していた。

 己の最後の一片まで喰い下がることで、”エリクさえ倒せば問題はない”・・・等という、そんなわけない”幻想”を刷り込むこませていたのだ。


 最初からエリクの行動は、”援軍”が来るまでの時間稼ぎと、少しでも援軍が勝つ可能性を上げるための捨て石でしか無い。

 そのために、援軍を呼びに行かせた冒険者を意識から外すように立ち回り続けたのだ。

 単体では戦闘に勝てなくとも、この平原には頼りになる戦力なら何人もいる。

 それこそが、エリクの本当の狙いであり、”切り札”だったのだ。


「・・・援軍の人が・・・勝てるかまでは分からないけれど」


 呆気にとられるヴィオにエリクが苦笑しながらそう呟く。

 エリクは自分が時間を稼いだとして、誰がやってくるかまでは想像していなかった。

 できれば四本蜘蛛が想定していないような者だと良いが。

 エリクはそんな事を考えながら、僅かに身を起こし剣を握ろうとすると、ポロリと手からヴィオがすり抜けた。


『・・・エリク!?』


 ザクリと地面に刺さったヴィオが叫ぶ。


「ああ・・・ごめん・・・限界みたいだ」


 何かの閾値を越えたのか、エリクの視界が急激に暗くなり、手足の感覚がいよいよ剣の柄すら、まともに捉えられなくなるほどに消えてしまった。

 四本蜘蛛はそれでも動かないが、僅かに身を起こして構える。

 そんな可能性はないのに、まだエリクが剣を取る可能性を警戒しているので、なんとか視線だけでも合わせようとするが、もう見抜かれているだろう。

 よく見れば、せっかく斬りつけた傷が殆ど消えているではないか。

 あれを付けるのにどれほど苦労したか・・・


 すると不意に、四本蜘蛛が立ち上がる。

 予想に反し、止めを刺しに来るか。

 

 エリクが目を瞑る。


 だが四本蜘蛛の頭はエリクではなく、別の方向を見ていた。



「・・・よくやった少年、ここから先は引き受けよう」



 次の瞬間、四本蜘蛛が突然跳躍し、足元の柱が轟音を上げて爆発した。


 モニカの高威力攻撃でもかくやという程の大量の破片が辺りに散らばり、その一部がエリクのすぐ横の地面を吹き飛ばし、別の破片が直撃コースを飛んで来る。

 

「おっと、すまない」


 既の所で、割り込んできた何かに、その破片が別の方向に吹き飛ばされる。

 同時にエリクとヴィオは、自分達のものとは比べ物にならないほどハッキリとした”円盤”が自分達を覆うのを見ていた。


「おや・・・”剣の形”が見えるのか?」


 その円盤の中心で剣を振るう長身の男が、横目にエリクを見下ろしながら呟く。


「ということは、さっき遠くから感じた”千刃”は君がやったのか。 

 懐かしい剣の気に”グレン”が出てきたのかと期待したが・・・まあ、そんな訳もないか。

 だが、その歳でよくぞ」


 剣士はそう言うと構えていた剣をスッと鞘に収める。

 にも拘らず、剣士を覆う巨大な”円盤”は、その密度を増したばかりか、より巨大になって傘のようにエリクごとその内側に取り込んでしまった。

 その様子に四本蜘蛛が威嚇音を発し、その反応を剣士が興味深げに見上げる。


「・・・あなたは!?」


 その剣士のことはエリクも知っている。

 事務所の前の広場での準備中、モニカが警戒していたとヴィオに教えられて遠目に顔を覚えていたのだ。

 向こうも覚えていたのだろう。


「ああ、君は”モニカ・ヴァロア”の連れだな? 彼女はどこへ行った?」


 と緊張状態などどこ吹く風の表情で、エリクに聞いてきた。

 それに煽られてか、それとも新たな脅威の出現に反応してか、四本蜘蛛が軋み声の咆哮の音量を上げる。

 流石にそれを無視するわけにはいかないと、謎の剣士は視線をそちらに動かす。


「まあ・・・君達のことは後だ。 まずはこのデカイのを黙らせないとな」


 そう言いながら剣士が睨む。

 それだけなのに、視線外のエリクまでもが冷や汗を浮かべた。


警告・・:この機体は※※※※の※※※※局の管轄になります。 したがってこの機体への攻撃、もしくはその幇助行為は・・・」

「ほう、傀儡風情が名乗りをあげるとは面白い。 ならこちらも名乗らねばな」


 謎の剣士が「魔導装着!」と叫び、左手を掲げる。

 すると突然、どこからともなく空間を割くように現れた物体が左腕を包み始め、そのまま全身を覆い尽くすと、見惚れるような深緑の光沢を持つ重装の鎧が現れたではないか。


 それはモニカ達の持つ有機的な見た目の魔力装甲とは異なる、無機的でより”鎧らしい”見た目だが、放つ感覚はどこか似ている物がある。

 当然、その変化に四本蜘蛛の警戒感が変わった。

 モニカ、ロメオ、エリクときて、流石に突然現れた”鎧”を警戒しない訳がない。


 だがそれを見た剣士は、大きな兜の奥で笑みを浮かべ、威嚇を返すように名乗りを上げた。

 

「・・・トルバ魔導騎士団、団長・・、”ディーク・グリソム”だ」


 その名乗りを、四本蜘蛛以外の誰もが信じる事ができなかった。

 あまりにも予想外の名前。

 常識的に考えて、この場所に居る筈も、来る筈もない”超戦力”。

 マグヌスの”軍位”、アルバレスの”勇者”に並ぶ、トルバの”特級戦力”がなぜここにと。


 だがエリクの感覚だけは、その言葉を信じていた。

 間違えるものか。

 エリクの脳裏に、自分が憧れ、かつて父を魅了し死地へ駆り立てた、”七人の剣士”の影が浮かぶ。

 その一人が、この場に舞い降りたのだと。


 間違いなく今現在、”世界最強の剣士”が現れたのだと。


 その剣士がニヤリと唇を歪めた。


「アクリラ条約に基づく要請によって、貴様を無力化する」


 次の瞬間、エリクの感覚が、四本蜘蛛の何倍もの大きさに膨らむ、巨大な”円盤”の姿を幻視した。


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