2-20【先史の記憶 16:~剣の本当の形~】






 ”息子”を名乗る老人から噴き出した大量の魔力が、津波のようにそこら中を根こそぎ蹂躙していく。

 そのあまりの量と圧力は、間違いなく”魔力炉”が生み出すとてつもないものだった。


『ガブリエラと、どっちが強い!?』


 モニカが歯を食いしばり右足を前に出して踏ん張りながら、そう聞いてきた。

 動物的な直感が、この現象の”比較対象”を一つに絞ったのだろう。


『恐ろしいことに、互角だ・・・』


 俺は正直にその事実を伝えた。

 ”現在”・・・俺の持っている資料にこれほどの魔力出力量を誇る存在などいない。

 一時的なブーストで上回る者ならそれなりにいるが1秒も保たないだろう、このようにただ気合いを吐いているだけでこれだけの出力となると、本当にガブリエラくらいしかいないのだ。


『こりゃ・・・本当に俺たちの息子っていうのもあながち・・・』

『ロン、今はそんなことどうでもいい!!』


 モニカが心の中でそう叫びながら、再び全身に魔力を漲らせながら意識を集中させる。

 その”スゥー”っという独特の感覚が俺の視野を無理やり刈り取ると、俺は慌ててコンソールを叩いてスキルを起動した。

 短時間で2回目だがどうにかなるか。

 再び俺達の体の中で”制御魔力炉”の火が点り、その圧力で全身が外に向かって僅かに膨らむ。

 と、同時に抑えきれなかった大量の魔力が、周囲に漂う老人の魔力を一気に押し返し始めた。

 大量の魔力による押し合いは、俺達も望むところである。


 ぶつかりあった魔力の衝突面が、衝撃波のように周囲を白く染めながら広がっていく。

 だがその波は、俺達と老人の中央少し手前で止まってしまった。

 モニカが体重をかけるように前のめりになりながら、猛獣のような表情で老人を睨めつける。

 そこに敬老の精神はまったくない。


 少しでも優位に立つために、俺達はぶつかり合って”ダマ”になった魔力を掻き集め、その塊で引っ掻くように魔力衝突面にぶつけていく。

 迂闊に集中させたりすると裏を取られる恐れがあるが、これならば問題ない。

 すると、わずかながら効果があったようで老人側の魔力が徐々に削れ、押し込まれ始めた。

 平均出力は僅かにこちらに利があるか?

 向こうもそれを感じたのか、その表情がなんとも暗いものになっていく。


「いくら、”お前は魔力出力が低い”と言われ続けた私でも、流石に12歳のお母様になら勝てると思ってましたが・・・・はあ」


 そう言うと憤りを感じさせながら、老人は僅かに肩を落とす。

 攻撃を仕掛けたというのに、随分のんきなやつだ。


『モニカ、瞬間的でいいから出力をあげられるか? 今ならあのふざけた顔面に一発入れられそうだ』


 俺はそう提案する。

 実際、今の老人の姿はその見た目に似合わず、戦闘素人の俺から見ても隙だらけである。

 だが、モニカはすぐに否定の感情を大量に送ってよこした。


『あれは隙じゃない・・・でも罠でもない?』


 値踏みするように、般若の形相の眉を僅かに動かすモニカ。

 そこには俺には到底できないだろう困惑が広がっていた。

 こういう時は、俺は口を出さない方が良いのはわかってる。

 だが、今は状況が許してくれない。


『じゃあ、どうすんだ? ルシエラ見たく混乱させて時間を稼いでいるだけかもしれないぞ!?』


 俺はそう言ってモニカを焚き付ける。

 実際、ルシエラ級に立ち回りが上手い相手なら、モニカの”嗅覚”は容易に逆手に取れるし、この老人の出で立ち的にできてもおかしくはない。 


 それに、ヴィオの出した”ステータスレッド”は命に関わる危機な状況が既に発生した事を示すものだ。

 ”死亡判定”が飛んでくるまで、それほど猶予は残されていないということである。

 というか、このままだと俺達が”そう”なっちまうだろう。

 それを知ってるモニカから、忸怩たる感情が流れてきた。

 とにかくこの状況を正面から打破するには、”制圧合戦”が落ち着くまで長い時間をかけて少しでも有利を維持し続けるしかない。


 だがその状況が、唐突に終わりを迎えることになった。


「でも、どうやら”使い方”はまったくのようですね。 いや・・・それはそうか」

『!?』


 突然、周囲の老人の魔力の圧力が急激な減少を始めたのだ。


『魔力切れか!?』


 俺が希望的観測を口にする。

 だがそれは即座に否定された。


『ちがう、わざと引っ込めてる! なにかくる!?』

『そんなバカな!?』


 ものすごい速度で老人の魔力が押し込められる。

 このままだと俺達の魔力が完全に老人の魔力を押しつぶす、そうなれば何をおいても俺達の絶対有利から次の一手が始まってしまうというのに。

 だからこそ”魔力制圧”は確実に決めなければならないし、最後まで押し合う必要がある筈なのだ。


 だが老人は”そんなものは古い定石だ”とばかりに、自信に満ちた顔でいつの間にか抜き放っていた長剣を上段に構えると、その剣に大量の魔力が集中していくのが観測され始めた。

 その密度は、俺達のそれと比較しても圧倒的に高密度。

 ”制御魔力炉”で作り出して放った魔力を、吸収しているとでもいうのか?

 もしそんな事が可能ならば、己の身の内に一度貯めねば使えぬ俺達などよりも、遥かに大量の魔力を同時に・・・


 慌てて俺は、制圧下に置いている分だけでも相手の魔力の制御を試みた。

 制御魔力炉で精製された高次の魔力には、低次の魔力を制御下に置く特性がある。

 ガブリエラもそうだったし、【思考同調】でレベルを引き上げたときもそうだった。

 まだまだプリセットのレベルが低すぎて上手くは行かないが、それでも少しくらいは相手の邪魔ができるだろう。


 しかし、老人の魔力は俺の制御を受け付けないばかりか、逆に制御のために侵入してきた俺達の魔力を引っ掴んで押し返したではないか。


『魔力が、こんな動きをするのか!?』


 本当に”腕”が見えたかと思うほどハッキリとした魔力の動きだ。

 そのあまりの速度と精度の差に、俺達の魔力が力なく制圧されていく。

 量で勝っているため拮抗状態だが、巨漢の筋肉達磨が小柄な達人に捻られている様な感覚である。


 いつの間にか、周囲の魔力の景色が逆転していた。

 一見するだけなら、この場所を埋め尽くしているのは、ほぼ全て俺達の魔力に見えるだろう。

 だがその実、その場に漂う魔力の殆ど・・は老人の手に持つ”剣”の中に集中していたのだ。


「”聖剣術四ノ型”・・・」


 その老人の声は、まるで周囲の雑音を静寂に変える効果でもあるかのようにハッキリと聞こえた。


 そしてその声を依り代にしているかのように、集まった魔力が形を取り始める。

 だが、何より理解できないのは、剣の周りを蠢く魔力の流れが、”俺のシステム”と互換性でもあるかのようにその内容が理解できる事だ。


『どれだけ飲み込む気だ!?』


 そこに記述されている、”とてつもない量”の魔力要求に目が回りそうになる。

 こんな魔力回路、最高出力の制御魔力炉でも賄いきれないぞ!?

 内に圧縮された魔力の黒い光が、あまりの強さで硬くて不透明なはずの剣の表面を透過して輝いて見えていた。


『ロン!! あれはまずい!!』


 モニカが俺の意識を戻すために大量の思念をぶつけながら叫ぶ。

 同時に、その手を迷いなく老人に向かって伸ばす。

 飛んできた破壊的な司令に面食らいかけるも、俺は瞬時に、その場に”魔壊銃”の巨大な砲身を呼び出して握らせた。


『制御魔力炉の力を使うなら、こっちも使えばいい』


 そう言いながらモニカは銃を構え、照準をつけようと動かす・・・・


 だがその寸前で、一瞬で間を詰めた老人の剣が縦に振り抜かれた。


 目の前で、魔壊銃の魔力を秘めた銃身が縦に真っ二つになるのが見える。

 だが魔力を吸いに吸った剣はそこでは止まらない。

 一瞬にして俺達の腕を切り裂き、そのまま頭に食い込むと、猛烈な勢いで体の中を進んでいったのだ。

 ”止める”などという思考が発せられるよりも速い速度で、冷たくて熱い剣の感触が体の内側を通り抜けていく。


 そしてそれは、強化装甲の修復が全く追いつかない速度であるにも関わらず、ゾッとするほどゆっくりに感じられた。

 首を切り割り、背骨の中心を進みながら俺達の正中線を分割していく老人の剣。

 その先が、空中を通るときと全く速度を変えることなく、俺達の股の間から下側に通り抜けた。

 老人の体が、まるで居合の達人の一閃のような姿勢で止まり、剣の切っ先が股間のすぐ下でピタリと止まる。

 それ以上切る ・・・・・・必要はない ・・・・・とばかりに。


 まるで、切られたことを分かっていないかのように、俺達と老人の間に何もない時間が数旬続く。


 だが、俺達の視界はゆっくりと左右でずれ始め、正中線上に走った”断面”が擦れる感触に眉をしかめるも、体の右半分と左半分が、逆の方向に倒れるのを俺達はただ無力に見守っているしかなかった。





※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※





 一方、メルツィル平原では、新たに巻き上がった粉塵の中で巨大な魔法陣がその役目を終え、力尽きたように明滅しながら消えていく。

 だが魔法陣はその役目を全うする事はできなかった。

 ”国喰らいの魔獣”である四本蜘蛛は、未だ健在だったのだ。


 大混乱に陥った戦場を、ヴィオは猛烈な無力感を持って眺めるしかできないでいた。

 それが”喪失感”という名前だと気づくのは、いったいいつの事だったか。


 ”ユニバーサルシステム”の通信網に、エリクの安否を問う声が何度も木霊するが、反応する事もできない。


「エリク君!」


 ヴィオのすぐ近くでアイリスが叫ぶ。

 その視線の先には、体の正面を抉られ血を流すエリクがゆっくりと崩れ落ちる様子が。

 ヴィオは慌てて指令を飛ばし、エリクの体の表面に残った鎧を集中させて傷を抑え込んだ。

 だが、既に失った血の量が尋常ではない。

 血溜まりの中に俯せで倒れるエリクの姿に、”手遅れ”という単語が湧き出し、それを脇に除ける。


『エリク!!』


 飛びかかっている意識に認識させるためか、それとも状況の変化に注視させるためか、はたまた別の条件があったのか。

 とにかくヴィオはエリクに向かって叫んだ。

 だがその声は、全くといっていい程反応が鈍い。


 ああそうか、エリクから離れているから強い信号じゃないと届かないんだ・・・


 自分が叫んだ”本当のもっともらしい理由”に納得している中で、同時にヴィオの思考に走った大量のノイズが指揮優先権を掻っ攫う。

 だが冷静さを欠いたその思考では【転送】は発動しなかった。

 ヴィオは人で言うところの”舌打ち”に当たるノイズを盛大に鳴らし、アイリスから取れるだけの魔力を引きずり出すと、それを使って彼女の手からエリクに向かって弾き飛ばす。


 完全に冷静さを欠いていた。

 そもそも”人工知能”とも呼ぶべきヴィオに、”冷静さ”なんてものがあるのかは要議論だが、その”ノイズだらけの思考”を形容するなら、そう呼ぶのが適当だろう。

 少なくとも四本蜘蛛が優雅さすら感じる動きで、空中を行くヴィオを前脚で叩き落としたのと比べれば、あまりにも思慮がなかった。


 ヴィオの剣に残された僅かな感覚器が、地面に叩きつけられた衝撃を検知するが、もうどうしようもない。

 この場を逃れるだけの魔力はなく、ただ起こっている事象を見ているしかできないでいた。



通告・・:この機体は※※※※の※※※※局の管轄になります。 したがってこの機体への攻撃、もしくはその幇助行為は※※※※※法違反となりますので、皆様は”除去対象”となりました事をお伝えいたします」


 その、あまりも上から振り下ろされた言葉に、魔法陣を組んでいた者達が目を見開きながら四本蜘蛛を見上げる。

 すると、まるでその効果を分かっているかのように四本蜘蛛が脚を伸ばして体を持ち上げ、遥か高みから見下ろすように頭を曲げた。

 気持ち悪いくらいにゆっくりと。

 その場の全員が、四本蜘蛛の”宣告”を理解するのを待っているかのように。

 もうこの場に、この怪物を抑え込める者がいないのを知っているかのように。


 それでも、それで止まる者達ではない。


「立て直す!!」


 その場にいたとある冒険者パーティのリーダーが叫ぶ。

 彼はこの中で一番強いわけでも、先程の戦略魔法で中核を成していたわけでもない。

 それでも誰かがイニシアチブを取らなければ、即座に危機的状況に陥る事に気がつくだけの経験があった。


「接近戦ができる奴は前にでろ!! 盾がないやつは、あるやつの後ろに!! 魔法士共は動けないやつを担いで距離を取れ!! 俺が前に行く!!」


 そう叫びながら、近くに落ちていた大きな瓦礫を盾代わりに持ち上げ、背負っていた短槍に魔力を流しながら走り出す。

 その迫力のある突撃に、周囲にいた荒くれの冒険者達が反応し各々に盾を構えながら続いていく。

 完全に急造の隊形としてはこれ以上ないほどの一体感だろう、少なくとも全員が横並びで四本蜘蛛を取り囲むように走っていた。


 さらに冒険者達の武器が、後方から投射された補助魔法の光で色とりどりに輝き始める。

 その先頭を走る者を含めた数人は、さらに己の手持ちの武器にも魔力の光を灯すのが見えた。


 だが帯する四本蜘蛛は静かにそれを見ながら、小馬鹿にするように頭を傾げるだけ。

 もう既に先程の戦略魔法で冒険者達の体内に殆ど魔力が残っておらず、今はただ気合いと興奮作用でなんとか絞り出していることを見抜いていたのだ。


 この世界で”最も高度に発達した時代”に設計された四本蜘蛛は、”気合い”や”覚悟”といった”社会生物”の心的状態による強力な力を過小評価はしない。

 だが、だからこそ”社会生物”よりも遥かにその価値の限界を熟知していた。


 四本蜘蛛が緩やかながらも素早い動作で、先頭を走る数人の盾に前脚を突き立て力任せに押し倒す。

 その勢いで何人かの足の骨が折れる”グシャッ”という音が響く。

 四本蜘蛛と彼らには、短期的な心的作用ではどうしようもないほど途方も無い力の差が存在していた。

 もとより”王の因子”から力を得れるモニカや、その恩恵を受けるエリク以外にこの場に張り合う者などいない。

 その上で魔力を減らしたのだから、勝機はまったくなかった。


 四本蜘蛛が貫いた盾ごと数人の冒険者達を地面に押し付け、負荷をかけると骨や肉が潰れる音が響き続け、そこに小さな悲鳴が混じる。

 だが殺しはしない。

 ちょうど良い塩梅で苦痛が大きくなるように力をかけると、悲鳴を上げる声に釣られて他の冒険者達が仲間を助け出そうと、四本蜘蛛の前に集まりだす。

 潰しきらない ・・・・・・ことで四本蜘蛛の力を”まだなんとかなる”と誤認させているので、逃げようともしない。

 四本蜘蛛はその状態で、誰が一番脅威か、どこから攻撃すべきかを慎重に観察していた。


 するとそこに、遠距離から攻撃魔法が何発も着弾して色とりどりの光を放って炸裂し、その衝撃に四本蜘蛛の頭がゆっくりと持ち上がる。


 ” あちらから片付けるべきか ”


 四本蜘蛛の思考を言葉に直すなら、そう訳すべきか。

 その高度な戦闘知能がそう判断したところで、前脚を低く横薙ぎに払い、周囲にいた冒険者達の足を狩飛ばした。

 突然のその一撃に反応できたものはおらず、殆どの者が足を折ったか切断し、例外なく全員がその勢いで吹き飛ばされる。

 一瞬にして壊滅した前衛に、後衛の魔法士たちが青褪めながら後ずさった。


 それを満足気に見ながら、四本蜘蛛はゆっくりと距離を縮めていく。 

 その恐ろしげな動きに、多くの者が四本蜘蛛に無いはずの舌がその顔を舐めずるところを幻視した。



 一方、その後ろでは、小柄な”クォーターゴブリン”の男がゆっくりと這いながら動いていた。


『アイリスくん聞こえるか!?』

『・・・クレストール先生?』

『よかった、君は生きてるみたいだな』


 クレストール教授が、小声でヘルメットのマイクに向かって喋る。

 幸いなことに、独立したシステムを持つそのヘルメットは、ヴィオの管理を外れても尚、音声通信の回線を確保したままだったのだ。

 防御用の魔力素材でグルグル巻にされたアイリスが、その声に反応するように体を動かし全身の戒めを外していく。

 恐ろしく頑丈だったが、ヴィオに付けさせられていた強化装甲に魔力を流せば、なんとか剥がせる。

 するとその様子を見たクレストール教授が四本蜘蛛の方を振り向きながら、焦った口調で話し始めた。


『あの化け物は他の連中に気を取られているから、この隙になんとか、君とエリク少年だけでも脱出させる』

『先生!? でも・・・』


 アイリスが口籠る。

 ”口実”とはいえ医療魔法士志望の彼女の思考が、まだ戦っている仲間を放棄するという考えに拒否感を示したのだ。

 だがクレストール教授は鋭く首を横に振る。


『非戦闘系の生徒をこれ以上巻き込めん、既に生徒を1人失っている以上、今の私が優先すべきは君の生存だ。

 エリク君の力なら何とかなるかもしれないと思ったが、それが潰えた以上、他にすべきことはない。

 できるかは別だが・・・』


 クレストール教授が冷や汗を浮かべて遠巻きに四本蜘蛛を見ながら、ゆっくりと近づく。

 アイリスもその作戦には同意したくはなかったが、とりあえず動けるようにならねばと、防御用の魔力素材を引き剥がし続けた。

 僅かだが永遠にも思える格闘の末、ようやく足の部分が外れて動けるようになり、彼女の顔が本当にほんの少しだけ緩む。


 その時、


『・・・アイリス様、お願いがあります』


 不意にアイリスのヘルメットから声が流れ、その音に2人はビクッとその場にしゃがむ。

 アイリスがクレストール教授を見ると、彼も焦ったように首を横に振った。


「だれ・・・!?」


 アイリスが驚いたようにヘルメットの耳を抑えながら、その声を主を探すように周囲を見渡す。

 すると少ししたところで、その顔に驚きと疑念を浮かべながら一点を向いて止まった。


 アイリスと、血溜まりに倒れるエリクのちょうど中間に力なく転がる、”ヴィオの剣”のところで。


「もしかして・・・あなた・・・なの?」


 アイリスが剣を向いてそう言ったのは、単なる偶然か、彼女の知識がそうさせたのか、それとも・・・


『アイリス様、お願いがあります』


 一方のヴィオは、あまりにも苦しくて苦いノイズに飲み込まれながら、それでも沸き起こる”衝動”に抗えずに、その”願い”を口にした。


『私を・・・そこに落ちている剣を、エリクに投げてください』


 そうすれば、せめて”主の最期”に自分は”あるべき場所”に戻ることができる。

 そんなことで戻る名誉もなければ、そんなことでヴィオがエリクから離れた事実が消えるわけでもない。

 だが、そうしなければ自分の思考が真っ二つに裂けてしまうような苦しさが、ヴィオを苛んでいた。

 その苦しみから逃れたいという思いだけが、ヴィオを支配していたのだ。


 ただ、そんなことを知らないアイリスは、僅かに希望を滲ませた目でこちらを見つめてから、周囲で暴れまわる四本蜘蛛の様子を窺い始めた。

 今丁度、アイリスから見てエリクの向こう側にいる。

 その光景に、ヴィオの思考にさらなる負荷がかかった。

 アイリスの表情に、”希望の光”が灯ったのだ。

 彼女は間違いなく、ヴィオに”逆転の一手”があると思っている。

 それが通用すると思っているかどうかは別にして、ヴィオの中に”何かの考え”があると思っていた。


 だが、そんなものはない。

 ただ自分の”醜い自尊心”を満たすだけのものでしかないのに。

 その事実に、ヴィオの思考はいよいよ引き裂かれる寸前まで惑った。


 その時、四本蜘蛛の巨大な頭が”ギギギ”と音を立てながらユックリと、アイリスの方を向き、アイリスが額に冷や汗を浮かべてそれを見つめ、ゆっくりと顎を引く。

 すると、その動作に反応するように四本蜘蛛が突然動きを早め、追い詰めようとしていた冒険者達のことなど気にもとめないとばかりに向きを変えると、そのままアイリスめがけて超高速で突っ込んできた。


 逃げて!


 ”本当に言うべきだった言葉”が、魔力不足でアイリスに届かない。

 結果として彼女は、”最後の希望”であるヴィオへと、四本蜘蛛に迎え撃つ形で飛び出すことになるのも構わずに走り出した。

 這って隠れていたクレストール教授が起き上がり、手を伸ばして「やめろ!!」と叫ぶ。

 つかの間の距離、だが猛烈な勢いで迫る四本蜘蛛を前にしては万里にも感じる距離を、3歩で駆け抜けたアイリスが必死の表情で飛び込み、その手がヴィオに向かって近づいてくる。

 ”なにもないヴィオ”へ・・・


 結局、この時の”思考状態”に適当な名前を付ける日は訪れることはなかった。 



 ◯



 状況が激変する一方、血溜まりに倒れ伏すエリクの薄れ行く思考の中では、いくつもの記憶が高速で流れては消えていった。


 エリクの短い人生で経験した出来事が、走馬灯として彼の脳裏にいくつもながれていく。

 楽しいもの、悲しいもの、その種類は沢山あれど、不思議な事に一緒に過ごした時間の割に、師匠に関するものがやたらと多い。

 しかもその中の”1つ”が、やけに気になって仕方がない。

 エリクは、まるで”そこ”に探していた答えでもあるように、その記憶の中へと沈んでいく。






 正確な日付はおぼえていない・・・


 今日ほどではないが、それでもなかなかキツイ激戦のあと、暗闇に沈む巨大な魔獣の死体を前に、冒険者達が火を焚いて興奮気味に蠢いているのを横目に見ながら、エリクはテントの中で蹲っていた。

 全身には青い痣が浮かび、必死に歯を食いしばっているが、その隙間から痛みでうめき声が飛び出す。


 まだ、名前もついていなかったヴィオの力を上手く制御できなかったエリクは、早々に剣に振り回されて脱落したのだ。

 その悔しさにも歯噛んでいると、テントの中に人影が入ってきた。


「・・・師匠?」

「寝ておけ・・・」


 その何処かぎこちない響きの声に押され、起き上がりかけたエリクの体が押し返される。

 師匠は左足代わりに付けている”義足”という名の鉄の棒を器用に動かしながら、ギクシャクした動きでエリクに近づいてきた。

 それだけならば、とてもあの魔獣を一刀に伏した強者には思えない。


「今日も役に立てなかった・・・」


 エリクが忸怩たる思いで横に置かれた剣を睨む。

 強大な力であっても、使えなければ意味がない。

 いや、むしろエリクにはこの暴れ狂う剣を御しきれる自信が無くなっていた。

 最初に手に持った時に感じた希望など、とっくに打ち砕かれている。

 これでは、いつまで経っても師匠の手伝いなど夢のまた夢ではないか。

 

 するとそんなエリクを慰めるつもりなのだろうか、師匠がテントの裾を少し開けて空を見せてくれた。

 宝石のような星が瞬く夜空を。

 師匠は”そんな成り”なのに、意外と感傷的で優しい所がある。


「・・・”剣の本当の形”を知っているか?」


 ふと、師匠がそんな事を呟いた。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「お母様は、”剣の本当の形”って知ってますか?」


 剣を振り抜いた姿勢をゆっくりと崩した老人の声が、俺達の耳に入ってくる。

 

 地面に無残な姿 ・・・・で転がる俺達に。


「昔・・・お母様から見れば”だいぶ先”ですが、”とある剣士”が私に聞いたんです。

 ”剣の本当の形を知ってるか?”って」


 そう言いながら、忌々しげに剣を構える老人を見上げながら、俺達は必死に自分の状況を確認しようと藻掻いていた。

 だが、右目と左目がまったく互換性のない映像を送ってくるせいで混乱している。


「いやあ、理屈では分からんこともないんですが、未だにその”意味”が理解できなくて。

 ”多次元的な考え方”ってのは分かるんですが、だからどうしろって・・・」


 ええっと、左手があっちで・・・右足はこっちで。

 中途半端に分割 ・・・・・・・されたせいで、モニカの思考のかけらのようなものが脳内に木霊しているが、上手く言葉にならない。

 

「剣を握る度に突きつけられるのです。 どれだけ強くなったところで、私に”アレ”の一端も才能はないと」


 老人がそう言いながら、剣を軽く振り下ろす。

 すると素振りとは思えない音を残して、空気に切れ目が入り、その線がすぐに消える。


 その剣で俺達は切られたのだ。

 真っ二つに。


「・・・何で死んでないの?」


 モニカが俺のスピーカーのコントロールを奪い、自分の疑問を老人にぶつける。

 自分の口から声は出ない。

 何度やっても、左右同時に動かして ・・・・・・・・・も真っ二つになったせいで上手く声にならないのだ。

 ・・・じゃあ、なんで今息ができている!?


「おや、お母様はこの歳で”ロン爺”の発声機をもう使えたのですか、資料と違いますね・・・それともこれは”ロン爺”?」


 老人が怪訝そうにそう言いながら俺達を見ようとしゃがみ込む。


 無様に地面に倒れ伏す俺達は、正中線上を縦に真っ二つに切り割られ、右半身と左半身がバラバラに転がっていた。

 その”断面”はキレイに割られた”体の中身”が、図鑑の挿絵の様に見えている。


「私、こんな小さな所から産まれたんですね」


 そんな事を言いながら、感慨深げに断面から見える俺達の”一部の内蔵”を指でつつく老人の、あまりにも狂った光景に言葉が出てこない。


 なんで生きている!? なんで大量出血しない!?


「何で死んでないのかと言われても、ただ”切っただけ”で殺す気がないのですから、死ぬわけがないでしょう?

 それともお母様は、相手の強さもわからない内から、”殺しの一撃”を入れていくのですか?」


 老人がそんな風に道理を知らない相手に諭すような声で聞いてくる。

 確かに俺達も未知の相手を初撃で殺せるとは考えて攻撃はしない。

 だがそれは、こういう意味ではない。

 ただ単に、殺しきれない場合を想定して大丈夫なようにするという意味で、断じて”こういう意味”ではないのだ。


 右半身をなんとか制御下に置いた俺が、そこからフロウを伸ばし左半身を掴んで引き寄せると、ちょうど”何処触ってんじゃい!”とばかりに、左手が老人を殴り飛ばすところだった。

 近くに来た”片割れ”をフロウで抱き止めた俺はすぐに、それを”正しい位置”に来るところで強化装甲で無理やり固定した。

 そんな事をしたところで、切った断面がくっつく事はないのが道理だろう。

 だが俺はある種の”確信”を持って断面を完璧にピタリとくっつけると、そこに流れる魔力を解析しながら、魔法を組み上げる。

 すると予想通り、切られたはずの断面がピタリとくっついたではないか。


『やっぱりか』


 俺はこの剣術の”タネ”に気がついて苦い感情を浮かべた。

 老人がこちらの様子を窺いながら、ニヤリと笑みを浮かべる。


「これも”資料”と違うではないですかロン爺、”概念魔法”を覚えたのは、高等部に上がってからではなかったんですか?」

「それが言えるってことは、俺の”予定”に変化はないらしいな」


 俺が挑発的にそう答えると、初めて俺に答えられた事に老人は満足げな色を笑みに追加した。

 どうやら、本当に演技ではなく”俺の事”も知っていたらしい。

 ようやく全身の感覚が一繋がりになった事で、モニカが頭を両手で抑えながら立ち上がった。

 まだ、真っ二つになるのではないかと心配しているようだ。


『・・・これも”概念魔法”なの?』

『ああ、剣術のフリをしているが、こいつの正体はゴリゴリの”概念魔法士”だ。

 たぶん剣は”切る”という概念を強くする為の魔道具だろう』


 真っ二つにされたのに、死なないどころか出血もしないというのは、あまりに”切る”という概念が強すぎて他を押しのけたからだ。

 つまり、”切る”という行為に付随する、ありとあらゆる要素を削ぎ落とすことで、”切断”だけの実効性を高めたのだろう。

 それが逆に”切っても死なない”という、意味不明な副作用をもたらしているのだ。

 俺はそう言って見立てを話すと、モニカがさっと距離を取って構えを変える。

 同じ剣を使うにしても剣士と魔法士では、必要な対処が異なる。

 だがそれを見た老人は、なんとも黄昏れた雰囲気を纏った。


「これでも、心は”剣士”のつもりなんですけどね。

 だがいかんせん才能が無いので、仕方がありませんが・・・」


 そう言うのと同時に、老人の体が視界から消え、瞬間移動したように眼前に現れると、そのまま俺達の左腕を切り飛ばし、返す刀で左足を切り飛ばす。

 一度纏ってしまえば長続きするのか、老人の剣には依然として途轍もない魔力が詰まっていた。


「”切る”だけならば、そんな大それた才能などいらないんですよ」


 そう言って剣を振り抜く老人の姿を、”偽物”と評するには、あまりにも堂に入っていた。

 これで”才能がなかった”だと!?


 モニカが残された四肢で姿勢を戻しながら飛ばされた腕と足を掴み、その動作の反動で老人に蹴りを入れる。

 だがその蹴りも、切り飛ばされて効果がない。


「なんでこんな回りくどい事してんだ、殺す気があるんじゃないのか?」


 長期的にダメージがないのはありがたいが、なぜそんな事をするのか分からない俺がそう問いかける。

 少なくとも”殺す気”があるやつの行動じゃない。

 すると老人は何を聞いてたんだと呆れ顔になった。


「私が殺したいのは、少しでも糧になるものを得るためです。

 この様な”無力な少女”を殺す趣味はないですよ」


 そう言いながら、その”無力な少女”の肩口から脇腹まで袈裟斬りにするのだからたちが悪い。

 なんとか即座に繋ぐことで事なきを得ているが、俺達の体はそれから”息子”の繰り出す剣撃によって、メタメタに切り刻まれる事になった。

 頭が飛び、腕が飛び、足が飛び、胴体が飛ぶ。

 放送コードなどお構いなしの、あまりにも酷い光景の連続である。


 一応防戦しようと様々な武器を構えてはみるものの、それを使う前に切り飛ばされるのでどうしようもない。

 強化装甲ですら何もできないのに、武器が耐えられる訳がないのだ。


『ロン、オリバー先生に、こういう時どうするか習ってない!?』


 飛びかけた腰から下を捕まえながら、モニカが聞いてくる。


『いや、こっちはまだ”基礎の基礎”だ。 それに、これ以上下手に弄って、断面を保護する仕組みが切れたら即死だぞ!』


 俺の回答に、モニカが忸怩たる思いを強くさせる。

 その間も、老人による”蹂躙”は続いていた。


「いつまで本気を出さないおつもりですか?

 これではいつまで経っても、私も本気で打てませんよ」


 その言葉を聞いた瞬間、モニカがピタリと動きを止め、”あのさぁ”的な表情を老人に向けた。


「そんなこときいて、本気になるとおもうの?」


 ストレスが溜まっていたこともあってか、”そんな事も分からないのか”と言わんばかりに両手を広げて呆れ顔を突き出すモニカ。

 その顔が、老人に切られてストンと下に落ちた。


 だが俺達も流石に慣れる。

 すぐにモニカが足を出して俺達の頭を蹴り上げると、ヘッドリフティングの要領で首に乗せた。


『・・・次は手でやろうな』

『・・・』


 僅かに額に残る鈍痛を感じながら、モニカは不機嫌そうに両手で頭の向きを調整すると、すぐにピタリとくっつく。

 その様子に、流石の老人もどうした物かと肩を落とした。


「これでは、わざわざここに来た私の損ではないか・・・」


 どうやら想像以上に何もできない俺達に失望しているらしい。

 こっちだって、”勝手も大概にしろよ”と言いたいが、本気で切られても困るので口にはしない。

 とにかく、この老人が強すぎるせいでこっちは対処する暇すらないのだ。


「あと、10年後くらいにくればいいと思うよ」


 モニカが暗に、”なのでさっさと帰れ”といった意味を込めてそう言うと、老人は深い溜め息を吐きながら剣を下ろした。

 モニカが”これで終わりか?”といった様子で、違和感の残る右肩の付き具合を確かめていると、両足を大腿の中央部分で切り飛ばされて盛大に後ろにコケる。


「残念ながら、その様な余力はありません。

 私が次に介入できる母上様では、強すぎて返り討ちに合う恐れがあるので」


 じゃあそっちに行けよ、と言いかけた俺達が口の所で切られ、頭が半分だけで転がった。

 本当になんでこれで死なないのか・・・


「・・・それだけ切れるんなら、もう”剣士”でいいんじゃない?」


 今度は両手で自分の頭を拾いながら、モニカが呆れ返すようにそう言う。

 もはや戦闘中という意識すら馬鹿らしくなってきていた。

 だが、なんとか脱出の糸口を稼ぐための時間稼ぎの言葉だったが、結果的に思わぬ話を引きずり出す結果となった。


「それで割り切れれば苦労はしませんよ。 特にすぐ近くで”アレ”を見せられ続ければ、何が本当の”剣士の才”なのか嫌でもわかります」


 そう言って肩を落とす老人の姿は誰にも伝わらない思いを抱えているかのように、荒々しさと無情感を抱えていた。

 だがそこで老人は、ハッとなにかに気づいたように首を上げたのだ。


「・・・ところで、”剣”で思い出したのですが、今外に、”尖兵共を倒せる者はいない”というお話、それがお母様達が焦られる理由だと思うのですが、

 別にそんな事ないですよね?」


 老人は唐突にそんな言葉を口にした。

 それに頭だけで転がる俺達が怪訝に目を動かし、半分になった口がへの字に曲がる。

 言葉こそ出なかったが、”いきなり何を言っているのか”というこちらの考えは読み取ってくれたらしく、老人は話を続けた。


「いや、私が見た”今回の資料”に名前があったのを思い出したんですよ・・・」


 老人はそう言うと、一瞬だけ手元の剣を嫌そうに見て頭を掻きながら言葉を続けた。


「”この時代最強の剣士”の名前が」




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 アイリスが転げるように掴んで放り投げたヴィオの剣が空中を舞い、それ以上の速度でもって四本蜘蛛の巨体が突っ込んでくる。


 そのあまりの質量と運動エネルギーを止める手段など、この場には存在しない。

 誰もが飛び込む形になったアイリスの体が、四本蜘蛛の爪によって無残に引き裂かれる事を信じて疑わなかった。

 何かを信じてヴィオを投げ込んだアイリス自身でさえ、恐怖から頭を守ろうと腕を動かし始めるが、流れる状況のあまりの速さに全く間に合いそうにない。

 仮に間に合ったとして、潰れ方が僅かに異なる程度の差でしか無いのだが。


 とにかく、この場で起こったこの状況を変えうる出来事は・・・空中を飛んだヴィオの剣の柄を、突き出された少年の右手がガッシリと掴んだことだけだった。




 唐突に四本蜘蛛の動きの向きが変わり、飛び退くように右後方へとジャンプする。

 一瞬にして動きの向きが変わったので、大量の空気が掻き乱されて荒れ狂い、蹴り込まれた四方の地面から爆発したように土煙を上がる。

 攻撃が中止されたことで間に合った腕を頭に被せながら、アイリスが前向きに地面を滑り、その横を細長い金属の物体が”カラン”と音を立てて転がった。


「・・・・?」


 アイリスが腕の隙間から、横に転がる”それ”を凝視する。

 細長いとはいえ、アイリスの胴体より確実に大きなそれは、どう見てもつい先程まで四本蜘蛛の前脚の先端についていた”鋭い爪”にしか見えない。


 少し遠くから事態を客観できたクレストール教授が、驚いた顔を四本蜘蛛に向ける。

 そこでは、先程までの無双っぷりが嘘のように警戒感を顕にする四本蜘蛛が、姿勢を落としながら”その場所”を睨んでいた。

 と同時に、確認するようにゆっくりと己の右の前脚を持ち上げその状態を確認している。


 それまで、どれほどの強力な攻撃に晒されても僅かに変形こそすれど、欠けることはなかった筈の四本蜘蛛の爪がその中程ですっぱりと切断され、それ自体が一つの刃物に思えるほど鋭い縁を持つ完全に平らな断面を晒していた。

 

「・・・脚ごと切ったと思ったけど、逃げられたか」

 

 四本蜘蛛の視線の先では、そんな事を言いながら膝に手を付き、前後左右にフラフラとよろめきながら”少年”が立ち上がった。

 出血がひどいのか顔は青く、足は自分の体重を支えるのも無理とばかりに震えている。

 それでも、そんなボロボロの状態でありながら、四本蜘蛛はこれまでにない程の警戒を浮かべて様子を観察していた。

 その静止に、反撃の隙とばかりに周囲の冒険者達が四本蜘蛛に攻撃魔法を叩き込むが、一考にも値しないとばかりに無反応を貫く。

 いや、一瞬でも反応して視線を外せば、即座に叩き切られる可能性を考慮して動けないというべきか。


『エリク・・・』


 立ち上がった少年の手の中で、あるべき場所に戻ったヴィオが心配そうに声をかける。

 にもかかわらずヴィオの声は震えていた。

 それくらい、今のエリクは近寄りがたい雰囲気を漂わせていたのだ。


「・・・血は止めてくれてるのか」


 エリクが魔力装甲の上から胸を擦りながら呟き、目眩を振りほどこうおとするように左手を額に充てがう。


「・・・今朝からずっと考えてたんだ。 ヴィオと喋れるようになってとっても強くなった筈なのに・・・・・・”なんで切れ味が落ちたんだろう”って」

『何を言ってるんですか!?』


 こんな状況で唐突にそんな事を言い出す自らの使い手に、ヴィオは少しの心配と、それ以上の恐怖を感じた。


「・・・わすれてた」

『何をですか?』


 身の丈に合わない力に、師匠の言葉を忘れていた。


 エリクが心の中でそう呟く。


「ヴィオ・・・剣の・・・”本当の形”を知ってるかい?」

『・・・』


 エリクの言葉にヴィオの思考が大いに混乱に染まる。

 だがエリクはそんな様子のヴィオに、フッと笑みを浮かべると、鋭い眼光で四本蜘蛛を睨みつけた。


「やっぱり・・・じゃあ、教えてあげるから・・・覚えておいて。 大事なことだから」

 

 そう言いながら剣を構えるエリクに、四本蜘蛛が僅かに後退る様に姿勢を低くする。




 エリクには魔法の才能もなく、魔力も人並みの粋を出ない。

 本人の能力だけならば、この世界における”剣士”の基準など遠く及ばないだろう。



 だからこそ、エリク自身を含め多くの者に勘違いされていた。


 偶然で、”荒れ狂う魔剣”を御し切ることなどできようか。


 唯一、”剣の扱い”だけを見るならば、エリクは無類の才を持っていた。



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