2-20【先史の記憶 15:~罠~】


『展開が成功しました!』


 使い慣れないコンソールを注視しながら、ヴィオがエリクに向かってそう叫ぶ。

 その声がいつもよりも早口で感情的だったのは、状況の変化に対応したのもあるが、生物で云うところの”興奮”や”高揚”に近い動作が発生したからだろう。

 ヴィオの集中力と思考速度が一時的にブーストされているのだ。

 ただ、自分はそれだけの事をした。

 父親の強大なスキルの一端を使いこなしている。


「逃げれてる?」

『はい、ギリギリですが問題なく。 ”バイタリーIOユニット”がないので、思考加速がアイリス様ご自身の物ですが、誤差は許容範囲です』


 エリクの問にヴィオが答える。

 その視線の向こうでは、通信を通してアイリスがIMUの魔法攻撃で四本蜘蛛を怯ませながら、その攻撃を掻い潜る姿があった。

 アイリスのヘルメットのカメラと、ヴィオに標準搭載されている観測スキルの遠距離データから四本蜘蛛の動きを察知し、即座にアイリスにどのように動けば避けられるかを伝達する。


 ”お父様”のガラクタの山の中から色々掘り返した甲斐があった。

 危ないからとお父様は嫌がるけれど、ヴィオは満足気にその行動の評価値に上方修正を加える。

 夜に暇を持て余したお父様は、友人達の分の”強化装甲”の図面を幾つも作っては未完成のまま保管していた。

 アイリスが今着ている装甲は、そうやって用意された物の一つである。

 材料はロメオの装甲を【転送】して使い、その魔力は彼のユニットから頂戴した、今はアイリス自身の魔力を吸い出している。


『お父様が生きてれば、怒られたでしょうね』


 まだ研究段階のスキルの”外部要因化”、更にはその”外部制御”まで。

 いくら父親の実験データをパクったとはいえ、ヴィオのやっている事は一足飛びに過ぎる。

 それでもアイリスの装甲は、擦り合わせもしていない状態でありながら、驚くほど計算どおりに動いてくれた。

 大して特殊な機構を搭載してないおかげか、それともアイリスの魔力親和性が意外と高いのか、ヴィオが外から補正できない致命的な問題は今の所起こっていない。


 アイリスが、IMUから魔法攻撃を連射し四本蜘蛛の体を爆炎で包む。

 武装が無い事を心配したが、エリクの腕から出てくるそれと比べても威力も弾数もまるで違うので、もはやIMUが主武装といってもいいだろう。

 彼女自身も、思ったよりもブーストされる威力に驚いている。


 だが、そうはいってもモニカ達の攻撃に比べればコケ脅しでしかない事に注意しなければ。

 あくまで彼女の役目は”餌役”なのだ。


 四本蜘蛛も、モニカと同じような姿のアイリスが放つ似たような攻撃に警戒していただけで、すぐにそれが無視できるレベルの威力だと気づくと、徐に迫りくる攻撃魔法の爆炎を物ともせずに飛び出してきた。

 だが問題ない。

 その攻撃が、突然横から割り込んできた強烈な”斬撃”で吹き飛ばされる。


 耳をつんざく金属の擦過音を残し、四本蜘蛛の巨体が瓦礫の山を転がるように吹き飛ばされた。

 攻撃せんと身を乗り出した瞬間の一撃に態勢を崩された四本蜘蛛は、あっさりとひっくり返ってしまう。


「エリク君!」


 アイリスがホッとしたような声色で、追いついてきた者に向かって叫ぶ。

 その声の先には、真っ黒な強化装甲を身に纏うエリクの姿が。

 同時に、こちらの感覚器でもアイリスの姿が視認される。

 四本蜘蛛の動きが速すぎるだけで、ハスカールの脚力は遅くはない。

 少しの間でも彼女が避け続けたおかげで、エリクが追いつく時間が出来たのだ。


 四本蜘蛛が一際大きな瓦礫を蹴り飛ばして砕き、その反動で起き上がるが、その足元を刈り取る様にエリクが切りつけると、四本蜘蛛が脚をビクリと引いて後退る。

 そこにアイリスの攻撃魔法が追い打ちをかけた。

 畳み掛けるように繰り出される勢いに、四本蜘蛛が後退る。

 猛烈な灰色の光が周囲を焦がすが、エリクは寸前で離脱して無傷。

 同士討ちしないギリギリのタイミングを、ヴィオが示してコントロールしていたのだ。


 エリクの手の中で、ヴィオは思考を最高速まで加速させていた。

 これまでエリクの速度の兼ね合いで最速は不要だったのだが、今はそれが必要になる。

 ”ハスカール”とアイリスのヘルメットのセンサーで取得した情報を再構成し、得られたデータを仮想空間上に配置し理解する。

 そこから出される指示は、四本蜘蛛の織り交ぜる”フェイント”も看破し、常に最善手の連続だった。


 さあ、私の掌で踊れ。

 1対1なら勝ち目がなくとも、俯瞰する指揮者を持つ2対1なら完封できる。

 完全に気勢を挫かれた四本蜘蛛が一旦距離を取るように後ろへ飛び退き、エリクとアイリスを2人とも正面に見える位置まで下がってから、一気にアイリスに向かって突撃を敢行した。


 まだ、”優先順位”を変えないのか。

 その性能の割に柔軟性を欠いた思考にヴィオは”憐憫”にも近い評価を下し、冷徹な思考でアイリスに指示を飛ばしながら彼女のユニットを操作した。

 弾き飛ばされたような動きでアイリスが横に飛び、それに釣られるような動きで四本蜘蛛の軌道が曲がる。

 待ち構えたように剣を振り上げるエリクの方に。


『まずは一本』


 完全に嵌った状況にヴィオが自信を込めてコンソールを叩いた。

 ハスカールの脚先のアンカーが地面に打ち込まれて固定する。

 と同時に、ヴィオの剣身に一際大きなベクトル魔法陣が浮き上がり、それが黒い羽のように後ろに広がる。

 その暴力的な加速度を得た剣の切っ先が、同じく超高速で飛び込んできた四本蜘蛛の顔面に衝突した。


 物凄い衝撃がヴィオを揺さぶり、その衝撃でデータのいくつかが吹っ飛びノイズが思考の中を飛び回る。

 これだ。

 ヴィオはその”感覚”を大いに楽しんだ。

 ”外”と隔絶された仮想の世界に生きるヴィオにとって、その”ノイズ”こそが自分と外を繋げる絆であり、自分の存在を確信できる証拠である。


 一瞬の間があって復活したデータ上に表示されたのは、振り抜かれた剣に弾き飛ばされた四本蜘蛛が無様に転がる光景だった。

 その恐るべき手応えに、自分の体剣身が紙のようにたわんでいるのが観測される。

 四本蜘蛛の運動エネルギーをまるごと打ち消して余るほどの魔力を投入したので、リソース管理スキルが警告を出す。

 それでも問題はない。

 ちょうどすれ違うようにエリクの後ろを通過したアイリスが、エリクの背中に振れると、そこから大量の魔力が一気に補充された。

 高速充填用の魔法陣は先程見ている。

 だが予想外だったのは、ヴィオの組み立てた”それ”から一部の魔力が漏れ出し、火花を吹いたこと。

 見ただけの魔法陣を模倣するのは少し冒険が過ぎたか。


 それでも、吹き飛ばされた四本蜘蛛の顔面には僅かに”凹み”のようなものが刻まれていた。

 今くらいの力なら、ダメージは入れられるということか。

 すぐにヴィオは、残っているデータから四本蜘蛛の強度を逆算する。

 やはり途方もない数字だったが、ハスカールの性能なら不可能ではない。

 これならば、もしかするとエリクとアイリスだけでも処理は可能ではないか?


 ヴィオは一瞬だけ浮かんだその”邪念”を振り払う。

 いくら何でもリスクが大きい、現状でも薄氷を踏むような綱渡りなのだ。

 事前の予定通りで行こう。

 このデータは”そちら”で使えばいい。


 こちらの攻防に僅かに時間が出来たことで、ヴィオは”もう一方”の方に意識を向けた。


 場所は先程のところ。

 そこでは、ヴィオ達と通信が繋がったヘルメットを被ったクレストール教授が、他の冒険者達に指示を飛ばしながら動き回っていた。


『クレストール先生、そちらの状況は?』


 ヴィオがエリクの声で問いかける。

 こういった質問をするとき、自分の声をいちいち説明するのは時間の無駄だからだ。


『今で6割といったところだ、魔力の配分の計算に手間取っている。 私の専門ではないからな、ちょっとまってくれ』

『どれ?』


 ヴィオがそう言うと、クレストール教授は手元の紙になぐり書きされた計算式に視線を落とす。

 それを見た瞬間、ヴィオは即座に計算結果をクレストール教授に伝えた。

 戦略魔法陣の事などヴィオは知らないが、書かれた数式を解くだけなら一瞬でできる。


『ちょっとまて・・・あってるだと!?』


 訝しがったクレストール教授が一番上の式だけ先に解き、その結果がヴィオのものと一致しているのを確認すると、瞠目するように紙を上に掲げて何度もそれを睨みつけた。


『すごいな・・・』

『良いスキルがあるんで・・・急いでください! こっちもキツイ』

『あ、ああ、わかった』


 ヴィオが急かすようにそう言うと、クレストール教授が慌ててそう答えながらヴィオの計算結果を紙に書き込み、それに従って指示を切り替えている。

 その様子を確認したヴィオは意識を戻し、次の段取りを練り始めた。


 既に四本蜘蛛は起き上がり、再びアイリスを襲おうと果敢に攻撃を仕掛けていた。


 それをアイリスがヴィオの支援で避け続け、空振りしたところをエリクが仕掛けアイリスが追い打ちをかける。


 エリクも心得ていた。

 アイリスと四本蜘蛛の間に入らなければ、回避不能の攻撃が飛んでくることはないと。

 逆に上手く割り込めれば、大きな一撃を入れられると。


 喚き散らかすように振り回された四本蜘蛛の前脚がそこら中を掘り返し、己の行動の邪魔をする存在を引き裂こうと暴れまわる。

 だがその全てをエリクは見て躱しながら、四本蜘蛛の片側を斬りつけていた。

 ”アイリス”という”狙い”がわかっている以上、エリクにもヴィオにも四本蜘蛛の攻撃を恐れることはない。

 それでも四本蜘蛛は、愚直なまでにアイリスを狙い続けた。

 きっと、まともなダメージを繰り出せないエリク達の事等、対処すべきでないと判断しているのだろう。

 だがその状況もすぐに変わる。


 いや・・・”今”変わった。


『エリク! クレストール教授から連絡です』


 アイリスとは別行動をさせていた ・・・・・クレストール教授からの通信だった。


「・・・できたって!?」


 その通信を含めて、ヴィオに戦場管理を一任していたエリクが問う。

 その答えは教授の返答を待つまでもなく、彼に渡しているアイリスと同じヘルメットから得られるデータで確認できた。

 マップ上に、冒険者たちが幾何学的に配置されている。

 ヴィオはすぐにインターフェースユニットにその情報を表示すると、さらに続けて練り上げていた行動計画に切り替えた。


 ここからは一気に目標を釣り込むのだ。


 幾度かの回避の隙間にエリクが割り込み、四本蜘蛛の顎を叩いて吹き飛ばす。

 すると突然、アイリスが背中を向けて走り出した。

 アクリラの訓練の経験か、脅威に背を向けるという”危険な行動”に、恐怖で彼女の全身から大量の冷や汗が吹き出し強化装甲と皮膚の間に流れ込む。

 同時にエリクも、剣を横に向けた状態でアイリスの後を追うように走り始めた。


 体勢を整えた四本蜘蛛がすぐさま、大量の瓦礫を吹き飛ばしながら追いかけてくる。

 その足音というにはあまりにも連続的な振動に、先頭を走るアイリスの脚が震えるが、瞬間的に組んだヴィオの補正プログラムがその震えを無視して走る動作だけを強化した。

 とはいえ四本蜘蛛との距離が縮まる速度に大きな変化はない。 

 付け焼き刃の強化装甲ではお父様達どころか、念入りに事前準備を行なったエリクにも勝てないからだ。


『左!』


 ヴィオのその指示にエリクが左側に剣を振り抜き、それをヴィオが加速させてすり抜けようとした四本蜘蛛の前脚を刈り取る。

 エリクのすぐ後ろで、巨大な質量がつんのめりながら回転するのを感じた。

 それを確認する間もなくエリクがそのまま左に避けると、前方からアイリスが追撃の光弾の追い打ちをかける。

 彼女の魔力の特性か、通常攻撃力が出やすい”炎”や”雷光”よりも、魔力エネルギーに変換した方が効率がいいらしい。

 四本蜘蛛の姿が一気に後ろに下る。


 少し時間は稼いだか。

 ヴィオがその様子を値踏みしながら、逃げの足並みを緩めるべきか判断していると、大きな粉塵が空に向かって弾け飛んだ。

 そこまで簡単ではないか。


 息を切らせながらエリクが聞いてくる。


「このまま・・・進めば・・・良いのか?」

『はい、できるだけ距離を維持しながら、アイリス様の後ろを守ってください』

「わかった・・・っぐ!!」


 再び高速で突っ込んできた四本蜘蛛をエリクが弾き飛ばす。

 頭上を覆い尽くすほどそそり立ったキノコ雲が崩れ始める中、ヴィオはエリクとアイリスを動かしながら少しずつ”目的の場所”へと誘導し続けた。

 徐々に連携が様になってくるが向こうの学習速度も侮れないようで、段々とエリクの剣を避けるような場面が出始めた。


「俺を認識してる?」


 全力の一撃が空振りしたところでエリクが疑念を発するが、それは返す刀の一撃が命中したことで霧散する。


『”アイリス様の一部”として認識してるのかもしれません、彼女の攻撃に続ける場合は避けているようです』


 何処までも失礼なやつだ。

 今自分を追い詰めようとしているのが誰かもわからないのか。

 だがその”好都合な情報”にヴィオは冷静に組み立てを変える。

 エリクの攻撃は必ず四本蜘蛛の認識を切ってから、逆に認識させる場合はアイリスにさらなる追撃をさせるなどして逆手に取る。

 それも徐々に余裕が無くなってくるが目的地はすぐそこだ。

 ヴィオが地図でその事を確認すると、ちょうどエリクと瓦礫の向こうで待ち構えるクレストール教授の視線が交差した。


『そこで止まって!』


 エリクに停止の合図を送り、逆にアイリスには続行の指示を飛ばす。


 その瞬間エリクが左拳を地面に突き刺して体を止め、その反動で後ろに向き直る。

 そして眼前に迫る四本蜘蛛に向かって自分を下から振り上げた。

 最後の一撃、それをヴィオは攻撃や牽制ではなく”補正”に使った。

 アイリスと四本蜘蛛を結ぶ直線上に”罠”の爆心点が来るように。


 わずかに吹き飛ばされた四本蜘蛛の巨体が、計算どうり僅かに地面を掘り返しながら滑り、ちょうどその位置に・・・一振りでアイリスに攻撃が届きそうなその位置へと移動する。

 獲物がすぐそこに見えたことで、釣られた四本蜘蛛が前脚を大きく振りかぶって攻撃を構えた。

 その攻撃が最後の”調整”だ。


 よっし!


 何処から飛び出した思考か、ヴィオはそう叫びながらアイリスの装甲を操作する。

 その瞬間、背中から吹き出した魔力ロケットの噴射にアイリスが悲鳴を上げながら飛び上がり、四本蜘蛛の前脚を回避すると”爆心点”を飛び越えるように吹き飛ばされ、地面を転がったところでそのまま蹲るように頭を抱えた。

 当然、四本蜘蛛は追いかける。

 自らを仕留める、”最大級の罠”の中心に向かって。


 エリクが物凄く強力な感情を発し、それが言葉になる前にヴィオは事前にセットしておいた【転送】を発動した。

 送り先はアイリス・・・送るのは”自分”だ。

 ヴィオは生き物ではないので、【転送】の制限には引っかからない。

 だが間違いなくアイリスに渡した中で、最も高精度で、最も強力な装備だろう。


 すぐに感覚の大部分が途切れ消え去り、代わりにアイリス側から見た景色が感覚器の中に飛び込んでくると、彼女の姿が文字通り目と鼻の先に大写しになる。

 眼前に迫ってくる四本蜘蛛は、もはやこれが”恐怖”かと定義づけたくなるほどの迫力だった。


 だがそこでヴィオは己の体を剣から変形させる。

 ずっと剣の形でいたから最も効率よくその形を維持できるだけで、簡単な変形であればヴィオでも可能だ。

 薄く広がった”フロウゴーレム”の頑丈な構造がその他のパーツを巻き込んで、大きな壁のように四本蜘蛛の前に現れる。


 だがそれは、四本蜘蛛の攻撃を防ぐためのものではない。


「今だ!!!」


 転送の際、無意識に放り投げるようにヴィオを放った手を握りしめながら、エリクが無線に向かって叫んだ。

 すると突如として、アイリスと四本蜘蛛の間の空中に、まるでネットのように巨大な魔法陣が浮かび上がった。

 しかもそれは、普通の魔法陣ではなく様々な色の魔力が複雑に絡み合い、滲み合って組み合わされた”ダークグレー”の魔法陣だ。


「” 戦略魔法:合結壊破 ”」


 指揮を取っていたクレストール教授が、魔法陣完成の合図としてその名を全”組成員”に聞こえるように放つ。


 脇を見れば、何人もの魔法士達が取り囲むように一定間隔で並び、その後ろから魔法士以外の者たちが肩を組むように連なって、全員で一つの巨大な魔法陣を組み上げている光景が見えた。

 中心で全体の管理をしているクレストール教授は非戦闘系の教師だが、それでもアクリラの水準は一般的な魔法士のそれを大きくを上回る。

 事実、まともに魔法を使えない冒険者たちまでも魔力源として利用するような難度の高い魔法陣を組むことで、本来準備に長時間が必要な巨大な魔法を、戦闘に間に合うように短時間で用意出来たのは彼の功績だ。


 複数人がかりで組み上げる極大魔法陣、”戦略魔法”。

 周到な準備と、全く取り回しの効かないその魔法は、単純な威力だけならモニカの高出力攻撃にすら匹敵する。

 これこそが、ヴィオの用意した最強の”決定札”であり、これまでのエリクとアイリスの行動は全て、この魔方陣の”キルゾーン”に四本蜘蛛を追い込むためのもの。

 それは状況を俯瞰できるヴィオという”オペレーター”がいたからこそ。

 アイリスを爆心予定地の近くに置いたは、その一撃を確実に四本蜘蛛に叩き込むため。

 そのための防御も抜かりはない。

 今のヴィオは、この場の状況の全てを支配していた。 


 四本蜘蛛の動きからさらに正確な”着火タイミング”を逆算し、それに合わせてクレストール教授に”発動”の合図を送る。

 すると同時にグレーの魔法陣が、急速に唸りを上げていく。

 既に全力で飛び込んだ四本蜘蛛に、それを避ける余裕はない。

 あまりに気持ちよく決まった”釣り”の作戦に、その場の全員が四本蜘蛛の大きな体がさらに巨大な火球に飲まれて消滅するところを幻視した。



 だが、


「あ・・・」


 その幻視とは裏腹に、実際にはその瞬間、本当に全員が呆気にとられたかのように同じ声を発した。


 アイリスに目が眩んで飛び込んだ筈の四本蜘蛛が、突如としてつんのめるようにして急停止したのだ。

 四本蜘蛛の前方で、戦略魔法の猛烈な業火が炸裂する。


 発生した火球は、モニカの放ったものと比べても遜色ない。

 火力を底上げし、被害を最小限に抑えるために覆う結界の外にも、強化なしに直視すれば失明するほどの閃光と、金属すら瞬間的にグシャグシャにできるほどの衝撃波が発生する。

 だが如何に戦略魔法といえども直撃が外れ、あまつさえ火力集中の為の結界の外に漏れ出したエネルギーだけでは、モニカの攻撃すら何度も凌いだ四本蜘蛛の装甲に傷一つ付ける事はできなかった。 


 ”失敗”


 その文字が、ヴィオの管理していた作戦進行表に踊り狂う。


「ヴィオ!」

『エリクちょっとまってくだ・・・』


 その瞬間、ヴィオは火球の向こうで、四本蜘蛛がこちらではなくエリクを見つめているのに気がつく。

 その顔が、火球の熱気で笑みのように歪んで見えた。

 

 次の瞬間、四本蜘蛛の動きがヴィオ達の認識可能速度を超えて動いた。

 しかも狙いはアイリスではなく・・・

 エリクが咄嗟にIMUから魔力の剣を展開して構えるが、間に合わずに懐に潜り込まれてしまった。

 ダメージを追っていた四本蜘蛛の動きは、全速力ではなかったが、まるでこのためにエリク達の目を慣れさせていた ・・・・・・・かのように ・・・・・ちょうど追えなくなる速度だったのだ。

 

 四本蜘蛛の前脚が高速で振り抜かれる。


 ヴィオは大きな”勘違い”をしていたことに気がついた。


 一つはエリクが”釣り”を一瞬渋った理由が”仲間を危険に晒すから”・・・等という甘い理由ではなく、単純に作戦の成立条件が未完成であることを本能的に察知していたからだということ。


 そしてもう一つは、四本蜘蛛の狙いがアイリス達にあると思っていたが、実は最初から四本蜘蛛の狙いはこの中で一番戦闘能力の高いエリクだったのだということ。


 その攻撃を防ぐ手立てはなかった。

 ”千載一遇のチャンス”に釣られ、甘い詰めを無理やり詰ましに行ったヴィオは、本来あるべき場所エリクの手を離れ、恐ろしいほど遠く感じるすぐ先に【転送】されていたから。

 四本蜘蛛はずっとこの場面を・・・エリクが自分を手放し、最大の切り札を消費した瞬間がやって来ることを唯ひたすら待っていた。

 いや、そうなるように”単純な機械”という”都合のいいイメージ”を自分達に刷り込んでいたのだ。


 よく考えればモニカを仕留めたのも同じ方法ではなかったか。

 先の戦いでは”強さ”を隠し、今回は”狙い”を隠した。

 そのほんの少しの”知性”に、ヴィオ達はまたもしてやられたのだ。

 ヴィオの内側に踊り狂ったノイズに、彼女が”恐怖”や”後悔”といった名前をつけるのは、もう少しあとのことだった。



 四本蜘蛛の長い足がエリクの装甲に食い込み、ほとんど無抵抗に防具をえぐり取っていく。

 エリクにはそれが、あまりにゆっくりに感じられた。

 ヴィオの思考加速よりも更にゆっくりに。

 飛び散った自分の血飛沫の一滴一滴が、加速度の微妙な変化で形を変える様が鮮明に見え、肋骨が一本一本断たれる感覚が連続する。


 ” 手負いの”獣”を甘く見るな ”


 急速に薄れていくエリクの思考の中を、走馬灯のように駆け抜けたのは、

 エリクの最も信頼する師匠の言葉だった。





※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




『ステータスレッド!?』


 ヴィオから流れ込んできたその信号に俺が叫び、それを聞いたモニカの額から冷や汗がどっと噴き出す。

 それはエリクの体に、生死の危機に関する重大な損傷が発生したことを示す信号だったからだ。

 

 モニカが老人を睨む。


「ゴメンだけど、あなたと話している時間がない。

 ここを出ないと!」


 叫ぶようにそう言いながら、俺に戦闘準備の指令を飛ばしてくる。

 いざとなれば強硬的にここを突破することも視野に入れている・・・いや、それを前提にしているというべきか。

 だが老人の答えは、そんな俺達の願いを踏みにじるものだった。


「”尖兵共”を起こしたことについては、本当に申し訳ない。

 ですが私も、ここに来るまでに色々なものを犠牲にしてきました。 

 もう引くわけにはいかない。

 なのでここに来た”目的”が達成されるまで、あなたを帰すわけにはいかないのですよ」


 老人はそう言うと、俺達の事をギロリと睨んだ。

 その態度の変化にモニカが後ずさる。

 もう老人との距離は10mを越えていた。


 俺の”観測スキル”が、老人の判明した脅威度を俺に報告してくる。

 やはり、あの腰に挿している剣が危険度が高いか、ヴィオとはまた異なった異常な反応が返ってきいる。

 それに、こいつの言を信じるなら、俺達の”予知夢”かもしくはそのデータをジャックされた可能性があった。

 言葉が変だからと言って、油断していい相手じゃない。

 俺がその情報をモニカに伝えると、警戒を伴った了解のサインが返ってきた。


「”目的”ってなに?」


 モニカが鋭い声で問う。

 もちろん、まともな答えが帰ってくるとは思っていない。

 だがなんとなくだが、俺は”その答え”がろくでもない物だと本能的に感じた。

 その勘は当たる。


「なに・・・簡単なことですよ」


 老人が少し悲しげな表情をこちらに向ける。


「実は私はこの後・・・

 元の時代に戻った後に・・・



 そこで・・・母上様を殺さ ・・・・・・なくてはなら・・・・・・ないのです ・・・・・


 予想通りの予想以上 ・・・・・・・・・の言葉に、俺達は即座に戦闘態勢に復帰した。

 全身をグラディエーターの装甲が覆う。

 するとそれを、老人は冷ややかに見下すような視線で以て見届けてから、満を持して”決定的な台詞”を口にしたのだ。



「あなたには、その”練習相手”として。 死んでいただきたいと考えています」


 老人がそう言うと突然、とてつもない量の魔力がその老人から放たれ、その圧力に俺達は押し込まれるように膝を付いた。

 そこにいたのは、俺達のことを”母上様”などと呼ぶ変態ではない。


 1人の、巨人とも錯覚するような気迫を持った”戦士”がいたのだ。


『な!?』


 その圧力に俺が驚き、モニカが思わずつんのめる。

 俺達が膝をつくような魔力なんて。


「たとえ未熟なれど、母上様は母上様。 殺してみてみれば、思わぬ弱点を見つけられるかもしれない」


 老人の背中に真っ黒で巨大な魔法陣が展開され、そこから大量の魔力が周囲に飛び出し空間を歪める。

 いや、それだけではない。

 俺達の感覚が、急速に周囲の魔力がこの老人に制圧されていくのを察知していた。


『ロン、これって!?』

『こいつが何なのかわかんねえけど・・・この反応は一つしかない』


 俺がそう言うと、モニカが次の言葉を本能的に察知して歯を食いしばり、こめかみの辺りを特大の冷や汗が伝い落ちた。


『・・・”制御魔力炉”だ』


 こと、ここに至って俺達は初めて、この老人が本当に自分達の子供である可能性を真剣に検討し始めた。



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