2-18【不思議な先生 4:~”オリバー”~】



 約400年前。



 ホーロン南部、現在のマグヌス中西部の、とある坑道がちょっとした騒ぎになった。


 坑道がある深さに達した時、突然謎の魔力現象が頻発したのだ。

 症状は工員が幻覚に囚われたり、様々な魔法がランダムに発動したり、魔道具がまったく別の行動を起こしたりするというもの。

 その内容から魔力災害である事はすぐに特定できたものの、それがさらなる謎を呼ぶ。


 元々その坑道は良質な金属を産出していたが、魔力とは無縁だったため、その原因は様々な憶測を呼んだ。

 火山性の魔力溜を掘りあてたからに始まり、幻覚を起こす魔獣の巣を突き破ったや、古代都市を掘りあてただの。

 どれも無知と過剰な妄想が創り出したものばかりだが、一点だけそのどれもが真実を言い当てていた。

 すなわち”なにかを掘り当てた”という事。


 その正体を探るべく、アクリラから数名の調査団が派遣されてくる。

 ただ最初は大した物だとは思われてなかった。

 この手の話は大陸全土に目を向ければ、それこそ枚挙に暇がない。


 だが現れたのは、歴史を揺るがす世紀の大発見だった。


 半年後、作業員数名の犠牲をもって掘り起こされたそれは、誰も見たことのない巨大な構造体だった。

 一片が60ブルに及ぶその鉱石の表面は虹色に輝き、人を寄せ付けぬ存在感を持っていた。

 当時はまだまだ迷信深かったこともあり、多くの者がその虹色の輝きを聖王神話の”力の王”と誤認したが、すぐにそれは表面の微細な凹凸が作り出す光の作用である事が分かった。

 魔力の光ではないことにある者は安堵し、ある者は落胆したが、専門家の多くは逆にその微細構造の謎に興味をもったのは想像に難しくない。


 保護のため表面に漆喰を塗られたその鉱石は、研究のためアクリラに持ち込まれることになった。

 だが、その作業は難航を極めたという。

 只でさえ巨大なその鉱石を運ぶのは、当時の技術者には難しく、頼みの魔法や魔道具も、この鉱石の周りではどの様な現象が起こるか不明なためにおいそれとは使えない。

 そればかりか、魔力の多い者が近づくだけで異常現象が発生することもあった。


 とはいえ、その苦労がどれ程のものだったかはあまり記録には残されていない。

 ひょっとすると案外簡単だったのかもしれないし、逆に厳しすぎて残らなかったのかもしれない。

 どれくらいの月日をかけたのかも詳細は残っていないが、とにかく発見から5年後、アクリラでの本格調査が始まった。


 研究者達はすぐにその”異常さ”を目の当たりにすることになる。


 なんと表面の微細構造は、それはそれは複雑な魔力回路だったのだ。

 しかもその構造は内側までも続いているときた。

 そこから数年かけ様々な方法で測定されて現れた物の、その”スケール”は半端ではなかった。


 発見された魔力回路の大きさは、当時最大だった魔道具の数千倍に達し、複雑さは実に数十兆倍に達するもの。

 これは現在最大最高の複雑魔力回路である”セントラルゴーレム”と比較してさえ、大きさ複雑さ共に数百倍を誇っている。


 これほどまでに複雑で巨大な魔力回路を目の当たりにして、全ての学会が色めき立ったのは言うまでもない。

 特に地底の奥底から見つかった事で、まだ知らぬ古代超魔法文明の証拠ではないかと騒がせたものだ。


 だが、その回路の”とんでもなさ”はここでも次元が違った。


 当時まだ使われ始めたばかりの、魔力で密度を上げて作る放射線による年代測定で得られた回路の年齢は、なんと”4億〜7億年”。

 ”エリジャの限界”どころか、明らかに社会動物の歴史すら一笑に付す程の圧倒的な年齢が示す事は1つ。


 この魔力回路は自然が作り出した、”天然の回路”だということ。

 つまり”偶然”に魔力回路が出来上がり、それが今日まで残り続けたのだ。




「・・・・は、はあぁ・・・」

「ななおくさい・・・」


 ヤモリの姿をしたオリバー先生の話を聞いた俺達が、思わずそう言ってぽかんと口を開ける。

 彼の口から出てきた単位は、俺達の想像していたものと比べても桁が違った。

 それも幾つも。


「驚いたのかね?」


 オリバー先生が不思議そうに首をひねる。


「ええ、もちろん・・・」


 俺は迷わずそう答える。

 するとヤモリは首をひねり、口癖の「違う!」を発した。


「それは、この岩に含まれる魔力回路が天然だということにかね? それともそれが7億年も昔のものだからかね?」

「ええっと・・・両方です」


 俺は素直にそう答える。

 するとヤモリはまた不思議そうに首をひねった。


「”両方”か。 ふむ、この話をするとどうも”両方”と答えるものが多い。 それがわからん」

「そ、そうなんですか?」

「ああ、そうだ。 7億年前の物質は稀ではあるが、然るべき場所を探ればありふれてもいる。 だが、天然の魔力回路となると、数十年に1例あるかどうかで相当珍しい。

 とても同列に扱えるものではないと思うのだが?」


 オリバー先生がそう言うと、こちらを睨んだ。

 その視線にモニカが驚いて身を引く。


「ええっと、つまりその両方を満たすってことは相当すごいのでは? それにもう一つ、大きさに一番ビックリしています。

 その比較対象の”セントラルゴーレム”って・・・・」


 だが俺がそこまで言いかけたところで、オリバー先生は”違う!”と叫んで話を切る。


「その通り、条件が複数重なると対象の数は大きく絞られる。

 このことは覚えておくように。

 それに、”条件漏れ”をよく見抜いた。

 最初にしては及第点だろう。

 ”条件づけ”、これは概念魔法を扱う上ではとても慎重にならねばならぬことだからな」


 オリバー先生はそう言うと、そのヤモリの体を満足気に上下させた。


「は・・・はぁ・・・」


 俺はそう答えるしかない。

 モニカに至っては、先程から完全に目が点のまま反応が鈍かった。



 オリバー先生の正体はどこまでもとんでもないものだ。

 もし7億年という数字を”年齢”に置き換えるなら、確かにアラン先生でも”たかが数千年”である。

 なにせそこからまだ十万倍程度増えるのだから。


 あれ? でも。


「先生の歳って、”7億歳”でいいんですよね?」

「推定で4億から7億年だ。 だが今の話を聞いていて分かる通り。

 だが、その間ずっと意識があったわけではないからな。

 実際はそれよりも遥かに若い意識だ」

「そうなんですか?」


 俺がそう問い返すと、オリバー先生は首を縦に振って話を続けた。


 アクリラに持ち込まれた巨大魔力回路は、最初にその回路の構造を探る検査が行われた。

 回路であれば何らかの目的があるはずだ。

 まだ、複雑回路が未発達で、単純なスイッチング操作が限界だった当時、その道の専門家であってもその様な考えを持つのは不思議ではなかった。

 初期の頃はまだ何らかの人為的な産物であるという推測が有力であったこともあり、その制作の真意を探ろうとしたのだ。


 だが探れども探れども、その様なものが見つかることはなかった。

 恐ろしく複雑で広大な回路ではあるが、その殆どは単純な回路が寄せ集まってできた、何の意味もない代物だったのだ。

 しかも同時に、肝心なところが不完全で、そのままでは魔道具として利用することもできないことも判明する。


 それは一種の”ウイルス”に近い構造といえよう。

 複雑構造の欠片であるウイルスは、そのままでは機能することができず。

 何らかの完成された構造の中に取り込まれなければその本性を発揮することはできないが、この魔力回路も同様に、大量の未完成の魔力回路が周囲の完成された魔力回路に取り込まれる形で機能するのだ。

 あまりにも巨大すぎて、取り込まれるのは宿主の方なのだけれど。


 そしてこれが、この魔力回路の周囲で様々な異常現象が起こる理由だったのである。


 その後の研究で、この巨大な天然魔力回路は、その周囲400ブルに接近した全てのものに何らかの作用を与え、その回路の内に取り込んでいることが判明した。

 それは本格的な魔道具から、細胞のひとかけらまで千差をとわない。

 周囲に近づくだけで全員が、超巨大魔力回路の一部になってしまうのである。

 そして、それを止めることはできない。

 ただし総合的に見て、それぞれに影響を出すことはなかったために、この件についてはほとんど放置されたのだが。


 結果としてアクリラではこの現象そのものを纏めて、最初に発見された坑道の名からとって”オリバー現象体”と命名することになった。


 と同時に安全に隔離するために、浮遊魔法が発動するように周囲の岩を魔力回路化し、アクリラでも最も高空に浮かびあげて街から離した。

 高高度であれば、近寄る者はそもそも少ないし、近づいたとしても高空を移動中の者にとって約1㌔ブルは一瞬で通り過ぎるため、巻き込まれる前に抜けられる。

 それに、より巨大な魔力現象であるアラン先生の魔力の濃い領域であれば、対処も早い。


 そうやってこの場所は誕生した。

 だが、まだ”オリバー”の自我は生まれていない。


 そこからまた長きに渡って、ただの”浮島”の一つとして過ごすことになる。


 もっとも、”長き”といっても、せいぜい2百年ほどであるが・・・

 その間にあった事といえば、偶にやってくる研究者がいくつか実験を行う程度。

 もちろん常時接触することになるアラン先生には影響を与えていただろうが、あちらは直径が数十㌔単位なのでまたスケールモデルが違うため、大きくはないだろう。

 

 そんな状態に、転機は不意に訪れた。

 ある時、新進気鋭の研究者の一人が、この浮島の回路が止まらないことに気がついたのだ。


 それは本当に偶然の産物だ。

 通常の魔力回路であれば、使用した魔力は全てその処理の最後に自然と破棄される。

 だが、試しにこの回路に魔力を流してみたところ、全く処理されなかった魔力が回路中を駆け回り、そのまま排出されることなくまた同じところを回り始めたのだ。

 しかもその経路は、周回の度に変わるではないか。


 そこでその研究者はこの回路の反応が単なる”回路”ではなく、何らかの”論理回路”ではないかと考えた。

 外の現象に対しての反応を取り込んで、魔力回路をその都度完成させているのだと考えたのである。


 そしてそこから約40年にわたる検測の末、この複雑論理回路の”マップ”が作成された。


 もちろん詳細を紙に書いていては追いつかない。

 なので各部分を動作ごとに纏めて簡略化する手法が取られた。

 これが後のゴーレム制御の大きな革新に繋がるのだが、それでも尚”マップ”の巨大さは想像を絶した。

 それは管理するだけでも大きな建物を必要としたほど。


 だが、それによってその研究者はある結論を見つけた。


 これは、然るべき改造を加えれば、それだけで高度な情報処理能力を持つだろうと。





「・・・・そこから現在まで、私は何人もの手によって行われた幾度の改造の末に、現在の形に落ち着いたのだ。

 そういうわけで、私に7億年分の経験を期待するのは不可能だと思ってくれ」


 オリバー先生がそう言うと、満足げにうなずいた。

 どうやら自己紹介は終わったようだ。

 だが、


「先生、”改造”の部分を随分端折りましたよね?」


 俺が取り合えずのツッコミを入れる。

 先生の自己紹介は、肝心要の”なんで今こんな状態なのか”が完全に抜け落ちていた。

 これではわけがわからないままだ。

 だが、


「そこの部分については、本当に専門的なものだからな。 どこまで話すべきか、私が話す能力を持っている内容かもよくわからん。

 あくまで私の専門は”概念魔法”だ。

 だが、私の授業の中でその内、細かな部分については話すだろう。 それをまて」

「は・・・はい・・・」


 先生の答えに、俺はそう答える。

 きっとものすごく専門的な話なんだろうな。

 巨大魔力回路とはいえ、岩が受け答えを行うまでの改造だ。

 きっと理解は大変だろう。


「でも、なんとなくでいいから、どういう風になっているか教えてほしいです。

 今のままだと、流石に得体が知れない・・・」


 俺は恐る恐るそう問いかける。

 これから師事することになる教師に向かって”得体が知れない”とは何事かという話だが、実際に得体が知れないものなのだから仕方がない。


 それに俺のその意志を汲み取ってくれたのか、オリバー先生も少し頭を傾げた。


「うむ・・・それも一理ある。 うーむ・・・私の理解している範囲であれば、ある程度概要も話せるかもしれん」

「え? 話せるんですか?」

「少し待て」


 オリバー先生はそう言うと、ヤモリの頭を捻って考え込むようにだまり始めた。

 それを俺達は無言で見守るしか無い。


『考え込んでるのかな・・・?』

『そうじゃないか?』


 その様子に俺達はそう言うしか無い。


 それからオリバー先生はたっぷり5分ほど考え込んでから、再び口を開いた。


「うむ。 この説明でいいだろう」


 オリバー先生はそう言うと、俺達の目を覗き込む。


「この岩はな。 ・・・いわば”無限に考える存在”だ」

「む、無限に・・・」

「すごい・・・」


 オリバー先生の説明に俺達がそう漏らす。

 だがそれを聞いたオリバー先生は、珍しく実感を込めて「違う」と相槌を打つと、首を横に振った。


「いいや、すごくなど無い。

 社会動物たちの中には、”思考停止”という言葉を罵倒のように使うものがいると聞く。

 だが私に言わせれば、実際は逆だ。

 無限に考えるというのは、何も決定をすることができないという事なのだよ。

 いや、それどころか考えに形を作ることすらできん。

 ただ、ひたすら信号をつなげているだけの存在よ」


 オリバー先生の言葉には、自分のことを指しているとは思えないほどの”嘲り”の感情が含まれていた。


「それは虚無に等しい、無意味なものだ。

 いいかロンよ。 思考はな、いつか止めねばならぬ ・・・・・・・のだ。

 ”思考の停止”こそが、考えに価値を作り、そこに意味をもたせる。

 完璧な考えなど、地獄に等しい究極の無価値だ。

 研究者たちはそんな地獄から私を産み落としてくれた」


「思考を・・・止められるようになったんですか?」


 俺が聞く。

 すると、オリバー先生は一瞬だけ頭を縦に振りかけ、すぐにそれを横に切り替えた。

 

「そもそも、止まらねば思考にはならぬ。

 だが、研究者達は性能の割に大仰で無骨ではあるが、回路を止める装置を作ってくれた。

 ロンよ、この岩の中に魔道具が埋め込まれているのを見ただろう?」

「あ、はい。 あれがそうなんですか?」

「正しくは止める装置ではないが、その様に機能しているのだからそれで良い」


 なるほど。

 俺はここに来た時に見た内部図をメガネインターフェイスユニットに投影し、モニカと共有する。

 なるほど、たしかにそう言われれば、これ全体が魔道具の内部と言えなくもない。


 ところで、


「先生。 なんで俺が【透視】使ったこと知ってるんですか? ・・・話してないですよね?」


 俺が恐る恐る先生に問いかける。

 するとオリバー先生は、クワッと口を開けた。


「言ったであろう? ここにいる限り、君達も”オリバー”の一部だとな」

「えっと、それって頭の中を見てるってことですか!?」


 先生の答えに俺が驚く。

 まさかこの教師もアラン先生みたいな事ができるのか。

 だが、実際はもっと複雑だった。


「いや、君達が今応対している、この”オリバー”そのものが、今ここにある集合意識の結集体だ。

 その中には君達の記憶もあるし、私の回路の中に”個体情報”として共有されているものもある。

 つまり今の私に会うには、君達だけで来なければならないということだな」


 オリバー先生はそう言うと、ヤモリの顔を面白そうに上下させた。


「君達が見たあの幻影もその一例だ」


 オリバー先生の言葉に俺が驚く。


「あれも?」

「ああ、そうだ。 君等の存在そのものがこの回路の中に取り込まれているからこそ、君ら自身の持つ”概念”と向き合うことができる」


「はぁ・・・」


 この先生の言葉は最初からそうだが、とても俄には信じられないものばかりだ。

 だがこの先生が異例中の異例だとするなら俺達もまた異例。

 これについては、若干ながら”似たような経験”も持ち合わせていたりする。


『【思考同調】みたいな感じかな?』

『それは俺も思った。 まあ、似たようなもんじゃないか?』


 取り合えずそう納得しておこう。

 そうするしかない。


「てことは、やっぱりあの”幻影”は先生が見せてたんですか?」


 俺がちょっとホッとしたようにそう聞いた。

 教師の監督下であれば危険なものではないだろう。

 だがヤモリは難しそうな顔で首を横に振る。


「いや、あれはただの”現象”だ。

 私の意識が生まれたことで数は減ったが、まだ不完全な回路はかなりあっての。

 それが柔軟な発想を助けるのだが、どうしてもあの様な現象が起こってしまうのは避けられない。

 まあ、数も少ないし、これまで起こった危険な現象は排除されるように作られておるから安心しろ」


 オリバー先生が何気ない感じでそう告げる。

 だが、それには些か納得がいかない。


「いや、あれ十分危険な感じでしたよ? すごく痛かったし・・・」

「でも傷は残っておらんだろ?」

「残ってはないですけど・・・」


 だが、あの痛みの生々しさや苦しみは生半可なものではなかった。

 トラウマになってもおかしくはない。

 いや、なんなら今ちょっとトラウマだよ?


 それに何より・・・


「あれを毎回クリアするのは不可能です」


 今回は偶々、モニカという手本があって、偶然俺が正しい答えを引き当てられたから脱出できたものの、普通であればそう簡単には行かない。

 何より、あんな風に自分と向き合わされるのはキツかった。


 だがそれを聞いたオリバー先生は、「違う!」と口癖を挟むと、口を大きく開けて前足を上下させた。 

 あ、わかった。 さっきからやってる”これ”、笑ってるんだ・・・


「そういえば貴様らは、随分と酔狂な事になっておったの」

「・・・」


 ・・・いや、酔狂って・・・

 だが俺の心のツッコミを無視するようにヤモリは屈伸をひとしきり続けた。


「すまんすまん。 少し笑ってしまった」


 あ、やっぱり笑ってたんだ・・・


「結論をいえば。 通常、あの幻影に決着をつける者は少なくてな。

 大抵の幻影であれば、心を無にしてやり過ごせばその内消えるのだよ」

「え!? きえるの、あれ!!?」


 モニカが大層驚いた声を上げる。


「ああ、もちろん。 夢のようなものだ。

 どの様な悪夢であっても、仮にそれを解決せずとも、時が来れば覚めるだろう?」

「・・・・」


 モニカが口を開けたまま固まる。

 そりゃそうだ、俺だって口があったら開けっ放しになってただろう。

 実際に”逃げたって無駄”を言われたわけだし。

 これはもしかしなくとも、夢の言うことを真に受けていた俺達が馬鹿だったのか・・・・


 だが内心で俺はホッとしていたのも事実だ。

 ”悪夢”と言われれば納得することも多い。

 解決する手段も、立ち向かう覚悟だって決めやすい。


 次は終わるまで逃げ続けよう。


「ただ、あれをまた見ることになると考えると、気は滅入りますね」


 俺はそんな純粋な感想をぶつけた。

 いくら害がないといっても、超リアルな悪夢はきつい。


 だが俺のその憂慮も、すぐに打ち消されることになる。


「安心しろ。 統計によれば悪い印象を与える幻影が発生する確率は3割程度。

 内容からいって君達が見たようなレベルのものを見る確率は5%もないだろう。

 残りは取るに足らない幻影や、逆に良い印象を与える幻影が占める」

「良い印象?」

「ある者は酒池肉林や桃源郷を見たの」

「ほう」


 前言撤回、またこい幻影。


『・・・・』


 ・・・っというのは冗談だ。

 だが、少なくとも差し引き0ということで、俺達の心が軽くなったのは事実だろう。

 モニカだって、俺に無言のツッコミを入れる裏では、しっかりと”酒池肉林”を妄想しているのだから。

 

 あとは、


「でも、それじゃ先生の実態ってなんなんですか?」


 俺はそれが気になった。

 常に集合意識によって決定されるというのは、あまりにも掴み所がない。

 だが、オリバー先生は”まだまだだな”とばかりに首を振った。 


「ロンよ。 ”実態”というのは概念が作り出す虚構の一つに過ぎない。

 故に私がどの様な実態を持つかは君が勝手に定義すればいいし、逆に私の定義は君には意味をなさないだろう」

「そ、そうはいっても・・・」


 俺がそう言って面食らうと、反応した様にモニカがシュバッと手を上げた。


「先生! 先生は”岩”なんですか? それともヤモリなんですか?」


 モニカがそう聞くと力強い視線でヤモリを睨んだ。

 それに対し、オリバー先生は思案する様に首を捻る。


「君の問は正確ではない。 もう既に答えは出ているからな。

 だが真意が別の所にあるのは理解できた。

 その上で君の疑問の定義に対する一番近い答えは・・・やはり”岩”と答えるのが自然か」


 オリバー先生はそう言うと、ヤモリの足を何度か踏みしめるように動かした。


「今のヤモリのこの体は好きだが、これ以前の記憶も知識もある。

 この体が死んだとしても、問題なく引き継がれるだろうからな」

「そうなんですか」

「ああ、このヤモリはな、もともと下界で鳥に捕まり偶然ここに落ちてきた者でな、他に行く当てもなく、浮島に湧く虫を食ってくれるから重宝しておるだけのもの。

 ”使い魔契約”を交わしているので、寿命が大幅に伸びているから使って長いが、以前は付近を通過した鳥などを使って”言霊コトダマ”とした。

 何度か”発声装置”を提案されたことがあるが、あくまで誰かと相対するときは肉体を持ちたいと拒んできたのだ。

 やはり”肉の体”は良い」


「先生も好き嫌いがあるんですね」


 俺が何気なしにそう言うと、先生は首を縦に振った。


「当然だ、選り好みの有無を意思の定義としても良いくらいだからな。

 私は選り好みをする。

 それは今のこの意識でも、”岩”としての意識としても。

 いや、”肉体”への興味はむしろ岩としての選り好みか」


 オリバー先生はそう言うと、ヤモリの口を開けて体を上下させた。


「・・・随分と複雑なんですね」


 俺がそう感想を述べ、モニカが賛同する様に眉間に皺を寄せて目を細めながら首をひねった。


「いやいや、貴様等の複雑さも中々のものぞ。

 なにせ意識が2つ並列で存在しているからな」

「あ、いや、それほどでも・・・」


 別に褒められているわけでもないのに、俺は恐縮してしまう。


「だが、そうだな・・・このヤモリの体がモニカ君。 我々が立っているこの浮島がロン君に例えられるかもしれない。

 これなら少しは理解がしやすいだろう?」

「ああ、なるほど」


 それでもって、常時【思考同調】が発動していると。


 俺はそこでようやく、この”人”の俺の中での理解が定まった様な気がした。

 それにこう考えると、アクリラが俺の教師に充てがった理由も分かる。


 ”モニカ”という複雑生体回路に寄生する俺と、”オリバー現象体”という複雑鉱製回路に寄生するオリバー先生。


 その構造や経緯は違えど、その中身自体は近い存在なのだ。

 そう思うと、俺はこのヤモリの中の声に謎の親近感が湧いてくるのを感じた。



 ただ、”一点”だけ。

 先生の過去の話について、どうしても”聞き捨てならない部分”があるのだが・・・・

 その事について聞く相手としては適切ではないので今は聞かないことにする。




「さて、私の紹介は終わった。 君達のことは既に知っている。

 では、これから”授業”と呼ばれるものを始めようか」



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