2-18【不思議な先生 3:~死の概念~】




 次に意識が戻った時、俺は先程までと同じ真っ暗な浮島の光景の中で目が覚めた。

 だが、ゾンビ達の姿はない。


 俺はゆっくりと身を起こすと、周囲を見渡す。

 するとその瞬間、俺はその違和感にハッとして自分の体に触れた。


 触れる・・・


 そこにあるのは間違いなく、制服を着たいつもの俺達の体。

 だがモニカではなく、俺の意識がそれを動かしていた。

 好きな時に好きなように動かせる。

 なんて事だ。

 こういう時は大抵、禄でもない事が起こっている時だ。


 スキルコンソールもなんとか引っ張り出す事はできた。

 だが、先程までにも増して遠く感じるけれど。

 これ、本当に機能してるんだよな?


 これの機能によって生かされている存在なだけに、首元に刃物を突き付けられているような感じだ。

 【思考同調】とも違う、俺だけの意識という奇妙な感覚だな。

 モニカの意識はどこへ行ったのか?

 

 俺はそんな事を考えながら、立ち上がった。

 相変わらず、浮島の周りの景色は真っ黒に塗りつぶされて見えない。

 まあ見えたとしても、飛行関連のスキルは軒並み不安しかない反応なので、どこにも行けないし、普通ではないこの場所から抜けるのは簡単ではないだろう。


 ここは間違いなく、さっきまでいた空間と比べても一層、”不思議な場所”である。

 おそらく何らかの精神的な所なのだろうが。

 まったく・・・こういうのも”概念魔法”なのか?


 俺はおそらくこの状況の首謀者と思われる、まだ見ぬ”概念魔法教師”に心の中で悪態をついた。

 冷静になって考えてみれば、他に犯人は思いつかないからな。

 まったく・・・


 俺は、モニカの体で数歩ほど歩いたところで、疲れたように肩を落とした。


「動いて・・・ないじゃないか・・・」


 俺の声が口から出る。

 モニカの体でおっさんの声という、大変違和感甚だしい光景だが、歩いたのに動かなかったという違和感には及ばなかった。

 俺は試しに、前後左右に動いてみるも、まるで固定されたように景色は動かない。

 これは、浮島から降りるどころか、縁にも辿り着けない奴だな。


 だが空間自体は移動しているらしい。

 体にかかる感覚が、何かの気配の向きが変わる事を示していた。

 これはアレだ。

 周囲の風景は先程のモニカに食われた所で固定されている感じか。

 だが俺自身は別の所にいると・・・


 この視界と同期しているのかしていないのか判然としない空間は、まったく別の場所を指していた。

 さて、それはどこなんだか・・・いや、それとも何を示しているのか。


 ちょっとだけ、あのフロウゴーレムエリクの剣の中を思わせる空気感である。

 あれよりもかなり掴みどころは無いけれど。

 ここはどこか、作り物めいた閉塞感を感じるのだ。


 俺はとりあえず空間を移動するために歩き続けていた。

 だが、そんな事をして抜けられるのか分からないし、抜けて大丈夫なのかも分からない。

 それに見た目は乾いた岩のくせに、今の感触は泥の中に足を突っ込んでいるかのように重い。

 見た目と感触のギャップに何度も躓きかけて、その度になんとも言えない悪態が口をつく。


 少しだけ余裕の生まれた俺は、自分に降り掛かった”災難”に憤っていた。


「なんだよ”死”って・・・

 なんだよ”最古の概念”って」


 こっちは新しい授業だと浮かれてきたというのに、雲を掴むような現象の連続に、その上ゾンビに襲われて酷い目にあった。

 単純に怖いし、自分の攻撃が全く意味を成さないと知って更に困惑したし、何より単純に痛い。

 傷は全く残ってないが、姉たちに噛まれたそこかしこが、未だに存在しない痛みを訴えている。

 そしてそう考えた途端、俺は目の奥に深い疼きを感じて眉間を揉んだ。


 しかも、そんな目にあったのは、実質俺だけだというじゃないか。


「なんで俺だけ」


 これがもし、ただの”授業”だというなら、正直俺は概念魔法についていく自信が無かった。

 モニカの方がよっぽど向いている。

 なんてったってモニカはあの”理不尽”の攻略法を知っていたのだ。

 それも彼女にしか出来ないような方法を。


 ”死と戦っちゃ駄目”なんて、どうしろというのか。

 そりゃ勝てない相手ってことは嫌でもわかるよ。

 実際、勝てそうになかったし。

 あれは、俺が生きている限り絶対勝てないタイプの敵だ。

 だが、だからといってすんなりと受け入れる事もできないだろ。

 そんな所に折り合いをつけられるのは、それこそモニカみたいな特殊な人間だけだ。

 俺をあんなのと一緒にしないでほしい。


 気づけば俺は、憤りの殆どをモニカに向けていた。


「モニカといえば、最後の”あれ”はそれこそ何なんだよ・・・」 


 まさか俺を頭から引きずり出して丸呑みにするなんて。

 そんな事をされるなんて夢にも思わなかっただけに、俺は若干裏切られたような気になっていたのだ。

 もちろん、今現在も俺の意識が続いていることで、本当に害するつもりはなかったことは理解しているのだけれど・・・


 あの怪物に食われるような独特な感覚は、今でも俺の中に残っている。

 これはここから上手く逃げおおせても、暫くは食事の度にぶり返すトラウマになりそうだ。


「・・・・?」


 その時、俺の感覚が・・・正確にはモニカの体の感覚が、なにやら”ヤベー奴”の気配を捉えた。


 その反応に、俺は目を凝らして進行方向を睨みながら、ゆっくりと足を進める。

 すると僅かして、相変わらず変化のない眼の前の景色の中に、何やら得体のしれない大きな影が現れた。

 その姿を見た俺が、引き寄せられるようにそちらへ走り出す。

 その影は近づけば近づくほど、より鮮明に、そしてより威圧感を増した。


 そしてその姿は・・・


 30mを超える巨体に、特徴的な大きな足と尻尾・・・

 どこか遠目ではリスを思わせるその姿を忘れようがあろうか。


 あの氷の大地で、俺達が初めて倒した巨大魔獣サイカリウス。

 その雄姿が今目の前にまざまざと見えたのだ。


 その迫力に、俺の足が恐怖で竦む。

 こうして一人でそれと対峙すると、その大きさのなんと大きい事か。


 ・・・いや、こいつだけではない。


 いつの間にか両サイドに、様々な獣や人が俺を囲むように並んでいた。

 そして超巨大サイカリウスの後ろには魔獣達が控えている。

 あの一際大きいのは、コイロス・アグイスか、横の同じくらいのは極北のバルジだろう。

 横のグルドと比べると、なぜこの2つの強さを逆に感じていたのか不思議に思う。


 それにその全てが凄まじい存在感を放っていた。

 取り巻きの少し小さい魔獣や通常個体でさえも、俺よりも遥かに大きく、そして恐ろしく見える。

 親玉のサイカリウスの後ろに控える、他の魔獣達など、もはや直視することすらできそうにない。

 

 こんな恐怖と・・・モニカは長い間一人で戦っていたというのか・・・


 その事実に俺は愕然とする。


 と、同時に理解もした。

 この場所は、さっきまで俺がいたのと”ほぼ同じ場所”だということに。


 違うのは、ここが俺の”死”ではなく、モニカの”死”の世界であるということ。


 ここに居並ぶのは、全てモニカの周りで死んだ者達だ。

 その大半はモニカ自身の手で殺した者。

 そこに貴賤はない。

 それはもう、巨大な魔獣から、小さな獣まで何でもありで、当然ながら俺の世界では襲ってきた、ランベルトやザハトバ・・・それに姉達の影も獣達の足下にあった。

 他にも、俺達が殺していないミリエス村での死者たちの姿もあることからして、ここに具現化する条件は俺の世界よりもかなり緩いのだろう。


 だが、その姿はゾンビのようだった俺の世界の物と異なり、生きていた頃よりも生き生きとした見た目に、まるで何も考えていないかのような穏やかな表情を浮かべている。

 その違いは大きく、一瞬では同じ人物だったと理解できないほど。

 そして何より、彼らは俺を静かに見下ろしてはいるが、まったく敵意のような物を感じないのだ。


「襲って・・・こない?」


 どういうことだ?

 俺がモニカじゃないからか?


 だがその可能性を俺は直感的に否定する。

 彼らの顔が、魔獣の顔ですら、一点の曇りもないほどに穏やかで、とても誰かを襲うような感情があるとは思えなかったからだ。

 これが、モニカにとっての”死”だというのか?


 俺は、ともすれば荘厳とも言えるようなその光景の中を、ただ吸い寄せられたように歩いていた。

 それでも、その歩き方のへっぴり腰具合に、俺は我ながら酷いものだと感じたが。

 だが、俺を囲む獣たちが一斉に襲ってくるのではないかと、気が気ではないので仕方がない。

 あの体と牙に攻撃されたらと思うと・・・

 そうなれば、少なくとも姉達の時よりは痛い目に遭うだろう。


 それでも向かわずにはいられない。

 俺の心はそんな、なにか確信めいた物を持っていた。


 巨大サイカリウスの足元に、まるでその魔獣に守られるかのように2つの人影と、一つの”石像”が見えてくる。


 人影の片方は知っている。

 今も北の大地の”王球”の中で眠るミイラの男こと、モニカの父親育ての親

 だがその顔は、ミイラのものよりもずっと生々しく、生前の面影を感じさせるものだった。

 ああ、これは・・・


 俺はその顔をしっかりと焼き付ける。

 それは、かつて初めて思考同調したときに見た、在りし日の父親そのものの姿をしていた。

 真っ黒なローブ状の外套の内側に、支援系用の魔法士服を着ている。

 こうして、ある程度知識を持ってから観察すると印象も変わるものだ。


 俺はそうやってひとしきり父親を観察すると、その向かいに座る人影へ視線を動かした。


 そこに居たのは、更に奇妙な存在だった。


 父親を見つめる様な形で置かれた石像は、モニカ自身を指すものだろう。

 曖昧で不完全だが特徴は捉えている。


 だが、まるでそれを守る様に抱く男の事を、俺は知らなかった。


 それは非常に奇妙な男だった。


 この世界の物ではなく、明らかに俺が知識としてだけ持っている”地球”の服を着て、魔力を感じさせる要素が見事に何もない。

 何より・・・その男には”顔”がなかった。


 頭自体はあるのだが、本来顔のパーツのあるべき場所には、真っ黒な穴がポッカリと空いていたのだ。

 そればかりか、その顔の穴から垂れた真っ赤な鮮血が、モニカの石像にポタポタと零れ落ちていた。


 こいつは誰だ?


 俺は首を捻る。


 俺の知る限り、俺が目覚める前にモニカが出会った人間は父親だけ。

 そして俺が目覚めてからのデータに、この様な人物はいない。

 いや、こんな奇妙な奴がいたら単純に忘れないだろう。

 それなのに、なぜこんなにモニカの石像の近くにいるのか。

 この短時間でも、死者たちとこの石像までの距離に何らかの因果関係がある事は分かる。


 気になった俺はそっと顔を近づけた。


 全然見覚えはないが・・・どこかで見た事あるような気も・・・


「まさか、この場所に”生者”が迷い込むとはな」

「!?」


 突然、顔のない男がそう言い、俺が驚いて後ろに飛び退いた。


「・・・喋るのか?」


 俺が恐る恐る問いかける。

 すると顔のない男が、不思議そうに問い返してきた。


お前のところの・・・・・・・は喋らないのか」

「いや、喋っていたけど・・・ここのは、ずっとじっとしてたから、てっきり・・・」


 俺がそう言って口籠る。

 すると顔のない男は、なにか笑い声の様な物を上げた。


「そりゃ、ここの連中は穏やかだからな。

 何かを気にするような事もない」


 そう言うと、意味深にモニカの父親に顔を向ける。

 だがモニカの父親は、眼の前で会話が始まったというのに、相変わらず無表情でモニカの石像を見つめたまま。


 その様子を見ながら、俺は顔のない男の言葉のある部分に違和感を感じた。


「”俺”の正体が分かるのか?」


 この男の言葉は、なんだか”俺”自身を狙い撃ちにしているような感じだったのだ。

 今の俺はモニカの姿をしている。

 すると顔のない男は、何を言っているんだといった感じの口調で返してきた。


「”ロン”だろ? それくらい分かるよ。

 今の俺は、ここにいる連中も含めて”モニカの一部”だ。

 モニカやお前の知識や記憶もある程度知っている。

 逆をいえば、俺達本人の記憶はほぼないけどな」


 顔のない男の言葉は、俺が聞いた以上のことを含んでいた。


「ということは・・・やっぱりここは”幻想”なのか?」

「その言葉が意味するものに近いのは確かだな」

「じゃあ、ここは具体的に何の幻想なんだ?」

「さあな。 だが見ての通り、モニカの認識した”死者”が並んでいる」


 俺の問に、顔のない男がそっけなく答える。

 だが今の会話で確定した。

 ここは”死”の概念達が眠る場所なのだろう。

 もちろん、それは俺達の心の中にある”死”であるし、先程のものとは俺とモニカの違いがあるが。


「それで、どうやってここに来た?」


 今度は顔のない男が問うてきた。


「モニカに飲まれたんだよ。 何を考えての事かは分からないけど・・・」


 俺は若干の憤りを込めてそう答える。

 すると顔のない男は、一瞬だけ固まってから、大きな声を上げて笑った。


「ははは、それはあの子らしい。

 でも残念ながら彼女は何も考えてはいないよ。 だが安心しろ。 あの子は荒唐無稽でも、本能で正しい行動を見つけられる」

「俺が、ここに来るのが”正しい行動”?」


 俺が聞く。


「さあな。 今回がそうだったかまでは分からない。

 だがそうだな・・・”手本”は見せられるだろ?」

「手本・・・」


 俺はそう呟きながら、周囲を見渡す。

 そこに居た死者たちは、俺の物よりも遥かにハッキリとしていたが、襲ってくる気配はまるでない。


「なんでこいつらは襲ってこないんだ?

 ”何かを気にする事はない”ってどういう事だ?」


 俺は率直に疑問を投げかける。

 すると顔のない男は己の抱くモニカの石像の頭にそっと手を乗せた。


「これさ」


 顔のない男がそう答える。


「その石像が?」


 その答えに俺が不審げにそう返すと、顔のない男は面白そうに笑う。


「お前の”死”にはなかっただろ?」

「ああ、だがそれは何なんだ?」


 俺がそう聞いた瞬間、俺は顔のない男の見えない表情が、ニヤッと笑ったような錯覚を起こした。


「”モニカの死”」


「モニカの・・・死?」


 顔のない男の言葉を俺が聞き返す様に呟く。

 すると顔のない男は小さく頷いた。


「モニカが死ねば、この石像と置き換わり、死者の列に加わる。

 そういう事になっている ・・・・・

 それが分かってるから、こいつらはあえてそれを求めたりはしない。

 モニカにとって”死”は特別ではない。

 ”死”によって生まれ、常に”死”を感じながらその上に生きてきたからな。

 だがそれに救われた事も、1度や2度ではない。

 ”死”と対立するのではなく、”死”と並び立つ。

 それがこの子にとっての”死”だ。

 本当は皆がそうなのだがな」


 顔のない男の説明に、俺は半分だけ納得する。

 だが、どうしても納得できない所もあった。


「だが、ここはモニカの頭の中の幻想なんだろ?

 モニカが死ねば、その石像と置き換わる間もなくこの世界ごと消える。

 だから、こいつらの”願い”が実行される事はない筈だ」


 そう、顔のない男が言う限り、この場所はあくまでモニカの中の”死”の概念が具現化したに過ぎない。

 モニカ無しに続くことはなく、ここの死者がそれを越えて続くこともない。

 言ってしまえばこの石像は、空手形に近いのだ。


 だがそれを聞いた顔のない男は、大きく肩を上下させながら笑った。


「そこまで分かっているのなら、なぜ分からない?

 論理の遂行などに意味はない。

 ”事実”など、ただの”現象”に過ぎない。

 ”そう決めている”という”前提”が、物事を動かすには重要なんだ。

 そもそも、こいつらは”本人”でも本当の”死”でもないしな。

 ただ、モニカの感じている”死”なんだよ」


 顔のない男はそう言うと、周囲の”死者達”を見回した。


「こいつらもモニカの一部だ。

 受け入れられてはいるが」

「受け入れる?」

「お前は受け入れていないのだろう?」

「”死”なんて受け入れられるものか」


 俺がキッパリとそう言い切る。


「俺は死にたくはない。 生きていたい」


 誰だってそうだろうし、モニカだってそうだ。

 いや、モニカ以上に”生”に貪欲なやつも少ない。

 それが、”死”を受け入れているなんて信じられるか。


 だが顔のない男は俺のその様子に、不満そうに肩を落とす。


「”死ぬこと”は、”死”のほんの一部でしか無い」


 そう言うと、顔のない男が突然体をこちらにニュッと伸ばし、俺の額に指を突きつけた。


「そうやって、”死”という言葉で己の中の”死”を縛り付け、受け入れることを拒否する限り、彼らは安息を求めて、お前を苛み続けるだろう。

 そいつ等が襲ってきたのはたしかにイレギュラーが引き金だが、その原因はお前自身の”死”との付き合い方だ」

「そんな事、俺の勝手だろ」


 俺が唸るようにそう答える。

 確かに俺とこの男は近い存在かもしれないが、”死生観”まで強制されるいわれはない。


「たしかにそれはお前の勝手だ。

 だが、お前自身はそう考えていない事を忘れるなよ?

 お前が見た”死”達は皆、お前の一部だ。

 あいつらが憤っているという事は、お前自身が自分の中の”死”の置き方に納得できていない証拠だ」


 顔のない男のその言葉に、俺は言葉を飲みこんだ。

 自分が言ったのが単なる詭弁だと、自分自身がよくわかっていたからだ。

 顔のない男が言葉を続ける。


「”死”を受け入れるというのは、なにも”死んでもいい”ということじゃない。

 自分の中に”死”が流れ、それによって支えられているという事を、ちゃんと呑み込んでいるかという話だ」

「死が・・・俺を支えている?」

「ああ、そうだ。

 モニカにとってそうだった様に、真に純粋な”死”はお前にとっても敵ではない。

 ”死”の上に生きている事を呑み込んで、”死”と並び立て。

 そうすれば、奴らだって満足するだろう」


 顔のない男はそう言い切ると、俺の額につけていた指を離して身を引いた。

 頭にかかっていた圧力が抜けた事で、頭が軽くなったような錯覚を覚える。


 ああ、そうか・・・錯覚なのか。


「だが、あいつらはそれで満足してくれるかな、俺には自信がない。

 モニカみたいに完璧に死を受け入れるなんて・・・」

「モニカだって完璧じゃないさ」


 顔のない男はそう言うと、サイカリウスの群れの後ろの空間を指差した。

 それにつられて、俺の顔がそこへ向く。


 その場所に、まるでサイカリウスの巨体で覆い隠そうとしているかのようなその場所には・・・

 ”巨人ゴーレム”と、”執事のようなゴーレム”が太い鎖で全身を縛られて俯いた格好で鎮座していた。

 その姿は、驚くほどみすぼらしく、俺の中にいたゾンビよりも悍ましい存在感を放っている。


「・・・・」


 その姿に俺は息をのまずにはいられなかった。

 モニカの2人の守護者、クーディとコルディアーノは変わり果てた姿でその場に縛り付けられていた。


「モニカだって、まだ受け入れられない”死”はある。

 もっとも、まだ不確定な”死”だからこそ、暴れる心配はないがな。

 おっと、あの鎖を真似しようなんて簡単に思うなよ。

 あれはモニカにとって、”死”などより遥かに強い”信念”だからな」


 顔のない男は憐れむようにそう言うと、こちらに向き直る。


「ちゃんとやれるかなんて考えるな。

 とりあえず、あいつらを受け入れてやれ。

 やり方はお前の好きでいいから、とにかく受け入れるんだ」


 その男がそう言った時だった。

 突然、周囲の景色がゆっくりとぼやけ始めたのだ。


「・・・!?」

「おや、もう分かったのか。

 飲み込みが早いな」


 顔のない男がそう言うと、死者たちの姿がゆっくりと消え始める。


「ちょ、ちょっとまて、あんた消えるのか!?」


 俺は慌てた。

 あまりに唐突すぎる。

 だがそれに対し、顔のない男は首を横に振る。


「俺達は消えない。 モニカの中に残り続ける。

 ただ、お前に見せている”幻想”の部分は、役割を終えたから必要がなくなったんだ」

「ま、まて、俺は何も分かってないぞ!?」


 俺の意識は度重なる意味不明の連続に混乱したまま。

 こんな短い時間で何を理解できるというのか。

 だが、顔のない男はそれに対しても、首を横に振った。


「重要なのは分かってるかどうかじゃない。 ”可能か”どうかだ」


 顔のない男はそう言うと、彼の体も末端から消え始める。

 それを見た俺は更に慌てた。


「お、お前は誰なんだ? 俺・・・なんとなく、お前のことを知っているような気がして・・・」


 まだ聞きたい事はある。

 この男が誰なのか、なぜこれ程モニカに近い位置にいるのか。

 そしてこの妙な違和感の正体は・・・

 だが、その疑問に対し顔のない男が答えることはなかった。


「残念ながら、答えられることはなにもない。

 言っただろ、ここにいるのは全てモニカの中の”概念”をお前が勝手に”理解”して見ている幻想に過ぎない。

 だから、俺は俺についてお前が知っている以上のことは知らないし、モニカが思っている以上の存在でもない」


 顔のない男はそう言うと、どこか淋しげな雰囲気で肩を落とした。


「この子を頼む・・・あばよ、兄弟・・


 そしてそう言い残すと、男の姿は完全に虚空の中に消えていった。

 後にはひたすら孤独な空間だけが残される。


 何だったのか。





 眼の前の空間が再び、真っ暗で何もない浮島の景色だけに戻る。

 だが俺は、その世界が変わっている事にすぐに気がついた。


 気配がしたので後ろを振り返る。

 するとそこには、もはや懐かしさすら感じる”俺のゾンビ達”の姿が。

 だが、モニカの世界にいた獣達の姿はない。

 それらは俺にとって、重要な”死”ではなかったのだろう。


「なるほど、俺の”死生観”はまだまだみすぼらしい」


 俺はそう呟くと自虐気味に笑った。

 どうやら、また戻ってきてしまったようだ。


 だが違う事もある。

 俺は自分の体を見下ろすと、そこにはモニカのものではなく真っ黒な肌の、特徴のない人形の黒い塊があった。

 ちょうど魔力で作ったマネキンといった感じだ。


「モニカはどこに行った?」


 俺がゾンビ達の真ん中にいたザハトバに問いかける。


「この世界はお前の中にある。 そこから一時的にとはいえ切り離したのだから、入れなくなってもおかしくはない」

「なるほど、ありがとう」


 その答えに、俺は少しホッとした。

 やはりロメオと同じく死んだりはしていないようだ。


「それで? どうするか?」


 今度はランベルトがそう聞いてきた。

 相変わらず、陶器の擦れる様なノイズを含んだ声だな。


 それでも俺は、その様子をじっと見つめる。

 そして、覚悟を決めてその”提案”を放つ。


「さあ・・・お前達の好きにしろ」


 俺はそう言うと、抵抗する意思がないことを示す様に両手を広げて見せた。

 するとゾンビ達は不思議そうな顔になる。


「どうなってもいいのか?」


 ランベルトが問う。

 だが問われても仕方がない。


「結局、お前達を納得させる方法は分からなかった。

 だから俺に、お前達にしてやれることはない。

 モニカみたいに安息を与えてやる自信もない」


 それが俺の持っている”結論”だった。

 ”死”を受け入れるなんて、そんなすぐにできるはずがない。

 それでも・・・


「ならせめて・・・お前達のやりたいようにやれよ。

 それが今、俺ができる唯一の”受け入れる”という事だ」


 俺がそう言うと、ゾンビ達は困惑の表情を浮かべた。

 だが、ザハトバだけは何かを察したように表情を緩める。


「それがお前の”死”か」


 ザハトバが確認するようにそう聞いてくる。


「いや・・・俺達の死・・・・だ」


 俺はそう言うと、自分の腕をザハトバに伸ばした。

 すると彼はゾンビ達の先陣を切って歩み出、俺の手を掴んだ。


 その途端、大量の氷水に手を突っ込んだような寒気と、これまでにないほどの猛烈な痛みが襲ってくる。

 だがそれを俺は必死に我慢した。

 ここで折れれば、せっかくのモニカの世界で得た教訓が無駄になる。


 死者の恨みか、はたまた”死”の苦しみを仮想化しているのか。

 ザハトバの中から開放された苦痛は想像を絶するものだった。

 きっと普通の状態で味わえば、一瞬にして意識を失ったことだろう。


 それでも受け入れる覚悟を決めたおかげか、その痛みはそれほど長続きはしなかった。

 ザハトバの手の冷たさも、今では若干マシになっているような・・・


 いや、よく見ればザハトバの姿が先程までよりも随分と人間らしいものに変わっているではないか。

 ゾンビのように腐り落ちかけていた皮膚が元通りになり、虚ろだった視線もしっかりとしたものに変わる。

 そしてそれがある一点を過ぎたとき、急にザハトバの姿が光輝き、まるで俺の中に溶けるように消えたのだ。


 それを確認した俺がそっと自分の胸を抑える。

 すると俺はその手の暖かさの中に、先程まではなかったものを感じ取った。


 そしてその様子を固唾を呑んで見ていた姉たちの亡霊が、お互いに顔を見合わせて相談するように首をひねる。

 だが、その姿はもう既に先程までのようにゾンビ染みたものではなくなっていた。

 そして、それは彼女達だけではない。


 やがて意思が決まったのか、一人ずつゆっくりと俺に近づいてその手で触れては、光の中に消えていった。

 驚いた事に、その表情はまるで浄化されたかのように穏やか。

 まるで安息を見つけて縋るように1人、また1人と俺の中へと消えていく。


 だが死者たちが俺に触れる度、俺は猛烈な痛みと苦しみに襲われた。

 それでもそれを、俺は必死に堪える。

 ”死”を受け入れるのだ。

 この程度の苦痛ならばなんてことはない。


 それになんだか・・・

 死者達が俺の中に消える度、俺はまるで自分の失っていた一面を回復したような感覚を覚えていた。

 胸のつかえものが取れていくようにも感じられる。

 

 やがてその葬列に、奴隷の館の者たちが混じりはじめた。

 俺達をひどく扱い、憎しみのままに殺した者も。

 正直、その姿を見ると暗い感情が湧いてくる。

 だが俺は、その者たちでさえも等しく己の中に受け入れた。


 ”死”に優劣も、選り好みもない。


 ただ、”死”という現実があるだけ。

 奴隷商人の最後の一人が自分の中に消えたとき、俺はようやくそのことを・・・ほんの少しだけ理解したような気持ちになった。


「・・・」


 最後に残ったランベルトが、ゆっくりと近づいてくる。

 その顔も、いつの間にか、あの広大な畑の中で見たものに戻っていた。

 ランベルトが手を触れ、苦痛とともにゆっくりと消えていく。


 だが彼だけは消える前に、まるで俺に忠告するように言葉を発した。


「”死”が・・・お前を離すことはない。

 ”死”が・・・お前を悩ませぬこともない。

 ”死”が・・・お前を苦しませぬこともない」


 その脅しのような言葉に俺は少し肝を冷やす。

 だがその様子を見たランベルトは、少しだけ生者のように笑うと、最後の言葉を残して消え去ったのだ。




「・・・だが・・・”死”はいつもお前と共にある・・・それを忘れるな」





 その声が消えたとき、俺達の周りが急に明るくなり、纏っていた重々しい空気が嘘のように晴れ、それまでなかった感覚が大量に戻ってくる情報の津波に俺達は目眩がしてその場でクラリとよろめいた。



「きゅるるる!」


 近くにいたロメオが血相を変えて近づき俺達の体を支える。

 その感触を感じた瞬間、俺達は全てが正常に戻っていることを実感した。


「もどって・・・これたみたいだね」


 モニカが絞り出すように感想を述べる。

 気づけば、俺の視界はいつもどおりのモニカの体の中に戻っていた。


『どうやら、そうみたいだな』


 大量のエラーログを処理しながら俺がそう答える。

 どうやら、”あそこ”にいた間に俺が出して上手くいかなかった命令が、今になって帰ってきたらしい。


『なんだったの・・・あそこ』

『さあな・・・ログを見る限りは・・・どこか別の場所の処理に取り込まれた感じだが・・・』

『処理に取り込まれた?』


 モニカが不思議そうに問い返す。


『ああ、なんというか他人の妄想の中に俺達の脳の回路ごと取り込まれたみたいな・・・』


 俺はログの状況を精査しながら、そう結論をつけた。

 てっきり自分の妄想か何かだと思っていただけに、その結果に若干面食らう。

 スキルが正常に使えなかったのは、魔水晶内の制御回路までは取り込まれなかったかららしい。


 あの場所で俺達が負った負傷は、その痕跡も含めて綺麗サッパリなくなっている。

 俺の脳内だけで負った幻想の傷であることに違いはないらしいが・・・

 

『ったく・・・何だったんだよあれは・・・』


 俺はわずかに残った不満を吐露した。

 するとモニカが疲れたように頷き、ロメオが首を傾げる。


 結局、今回も完全に対症療法になってしまったな。

 俺が上手く”死”を受け入れられたから良かったものの、もし上手く行かなかったらどうなってた事やら・・・


 俺はふと、そこで思考を一旦止めた。


『あいつら・・・あれで納得してくれたのかな・・・』

『上手くいったんだよね?』


 モニカが心配そうに聞いてきた。


『ここに帰ってこれてるってことはな。 ・・・だがあんなので良かったのか』


 それから俺はモニカに、あの場所で自分がやった行動を説明した。

 だが口にしてみれば、なんとも馬鹿らしい対処方法。

 そもそも単純に好きにさせるのが良いのなら、わざわざモニカのところに行った意味は無いだろうに。


『わたしはそうは思わないな』


 だがモニカは、いつもよりも気持ちキツめに鼻を擦りつけてくるロメオの頭を撫でながら、そう答えた。


『あの人達が納得したのは、やっぱりロンが本当の意味で受け入れてくれたからだと思う。

 そうじゃなかったら、痛い目にあって、もっと強く嫌がってたんじゃないのかな』

『なるほど、たしかにそうかもしれないな』


 彼らが好きにしたからではなく、俺が彼らを好きにさせたから。

 それはいってしまえば、”受け入れる”という事象の随分と典型的な例ではないだろうか。


『そう考えると、あれでも”死”を受け入れたと言えるのかもしれないのか』


 やはり彼らの正体は、俺の中にある”引け目”だったのだろう。

 俺は自分にそう言い聞かせると、わずかながら納得する部分が増えているのを感じた。

 なにより確実に、彼等を受け入れた事で俺は、ちょっとだけ肩の重みが減ったような気持ちになっていたのだ。


 浮島の上に流れるアクリラ上空の冷たい空気が、俺の心を慰めるように洗う。

 良い空だ。


 ついさっきと何も変わらないのに。



「いやいや、災難だったなご両名。

 だがまさか、たった一回で”あれ”を解決して出てくるとは」


 その時、突然俺の後ろから謎の老いた声がかかった。


 その声に、モニカがサッと後ろを振り向く。

 だがそこには誰もいない。


「・・・?」

『どこから声が飛んできた?』


 俺達が声の主を探すように周囲を見渡すが、そこにはロメオ以外を見つけることができなかった。

 まさか、こいつが喋ったわけでもあるまいし・・・

 俺達がそんな考えを込めてロメオの姿を覗き込むと、俺達の飼い牛も不思議そうに見返してくる。


「どこを見ておる?」


 すると今度は、明らかにロメオではない方向から声がかかった。

 その音に向かって俺達は正確に首を向ける。

 今度は予め測定スキルを点けていたので、一発でその場所を特定できた。

 だが俺達は、正しく首を向けて得たたはずの光景に、またも首を捻ることになる。


 それは俺達の足元1mほどのところに、ちょこんと鎮座する体長5cm程の、小さな・・・それは小さなヤモリだったのだ。


「ええっと・・・あなたが喋ったの?」


 モニカが恐る恐るヤモリに問いかける。

 だがいくら、何でもかんでも喋るこの街にあっても、これだけ文明の空気を感じぬ小さなヤモリが喋るとは・・・


「いかにも! この声は、この相対的に見れば小さな生命体が発している!」

「うわ!?」


 急に口をクワッと開けてそう叫んだヤモリに、驚いたモニカが後ろに後退る。

 だが、その瞬間、ヤモリの首が急に上を向いた。


「ちがう!」

「え?」


 急に発せられた謎の否定に俺達が面食らう。


『ええっと・・・なにがちがうのかな?』

『さ、さあ・・・』


 だがそのヤモリは何が違うのかを教えてくれることはなかった。


「そういう貴様は、噂に聞くモニカ・ヴァロアと、そのスキル、ロンだな?」

「ええっと・・・はい」

「ちがう!!」

「ひっ!?」


 またも発せられる、ヤモリの謎の否定。

 だがヤモリは、その否定の事など無視するように顔を戻すと、当たり前のように話を続けた。


「君等のことは聞いているよ」


 ヤモリがそう言う。

 その言葉で、俺達はこのヤモリの正体に気がついた。



「・・・”オリバー先生”ですよね?」


 俺が恐る恐る、自分の声でそう問いかける。

 俺達のことを聞いているということからして、喋っても問題のない相手と判断したのだ。

 するとヤモリは、こちらをじっと見て口をクワッと開けた。


「もし、その問が”オリバー”という”受け答えできる個体”を指しているとするならば、それは私だ。

 この私、この小さな体は確かに、”オリバー”と呼ばれ、”オリバー”として振る舞っている」


 やっぱり。

 俺はその答えに、少しホッとしたように胸をなでおろす。

 だが、オリバー先生はまたも首を上に上げて口を開いた。


「ちがう!」


 え? 違うの!?

 まだ慣れないその口癖に、俺は一瞬混乱する。

 しかも今度は、本当に否定だったのだ。


「もし、貴様が単純にアクリラの”概念魔法教師”として登録された魔法教師”オリバー”を指しているものだとするのならば、それは私ではない」


 その答えを聞いた瞬間、俺達は脳内に大量の”?マーク”を浮かべ、モニカが力が抜けたように首をコテンと横に倒して呆気にとられた。

 えっと、このヤモリは”オリバー先生”であって”オリバー先生”じゃない?


 だが、その疑問に対するオリバー先生の答えは、なかなかにぶっ飛んだものだった。


「”オリバー”は、この体も含め、この”岩”の周りで起こるすべての魔法現象そのものを指す総称だ。

 私も、貴様らが体験した幻想も・・・いや、この上で思考している時点で貴様ら自身までもが、”オリバー”の一部である!」



 まるで”ドン!”という擬音が聞こえてきそうなほど堂々としたヤモリのその答えに、俺達はさらなる混迷と驚愕を深めるしかなかった。

 


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