2-16【恋と知りせば・・・ 3:~xd-06:05:14 ~ xd-06:05:06~】



 暗い部屋・・・鼻に付くなんとも甘い香り・・・

 グラグラに歪んだ視界の先には、いつの間にか”白い肌”が視界を埋め尽くしていた。


 ルーベンは若干の居心地の悪さを感じながら、その白い肌の上を這うように進んでいく。


 しっかりとした大腿から臀部・・・引き締まった腹・・・平らな胸・・・息を呑むほど繊細な首筋・・・柔らかな頬の上に黒く光る眼・・・そして水中で揺れるようにたなびくクリーム色の髪・・・


 ”ルーベンの理想”がそこに有った。


 いや、まて・・・これは本当に”理想”なのか?


 そもそも、”モニカ”はルーベンにとっての”理想”なのか?


 ルーベンは、その僅かな違和感に頭を悩ませると、急にその体が離れ、その姿を俯瞰する。

 

 間違いない・・・”モニカ”だ。


 いつの間にか自分のベッドの上にやってきていたモニカは、一糸も纏わず肌をさらけ出し、違和感に遠のいたルーベンの体を絡め取ろうと腕を伸ばしてくる。

 モニカの体はこの世のものとは思えぬほど心地よく、その手や肌が触れた場所が熱くなり、その熱で頭が溶けてしまいそうな感覚に陥った。

 だが、また感じた”違和感”がそれを引き剥がし、篭もった熱を冷ます。


 何度も、何度もモニカが体を絡ませては、違和感がそれを引き離すという対立が、目の前で繰り広げられた。

 その時、不意にモニカが柔らかな唇を歪めて口を開く。


『ルーベン・・・・』


 その凛とした声がルーベンの心を刺す。

 まるで麻痺毒に侵されたように抵抗力を失ったルーベンは、そのままモニカの腕の中に取り込まれた。

 頬から額の触覚で、モニカの柔らかな胸・・・・・を感じ取ると、無限の幸福の中に飲み込まれていきそうになる。


 なんて、いいところだろうか・・・


 モニカが囁く・・・


『”力”を求めなさい』


 そう言うと、モニカがいつの間にか掴んでいたルーベンの手を己の首へと持っていく。

 ちょうど、ルーベンがモニカの首を握る格好になっていた。


『さあ・・・』


 モニカが吸い込まれそうな笑顔を作る。

 その首を握る掌には、モニカの鎖骨から喉にかけての複雑で繊細で、とても生々しく動いてくすぐる感触が・・・


『屈服させれば・・・』


 そのままモニカが顔を寄せ、耳元でそっと囁いた。

 その吐息がルーベンの理性を激しく削る。


『・・・全てあなたのもの』


 いつの間にか、ルーベンはモニカに押し倒される格好になっていた。

 手の中のモニカの細い首の感覚が、”握りつぶして”と囁くようにルーベンに強烈な衝動を押し付けてくる。

 今、ここでほんの少しでも力を入れれば、モニカの首はルーベンの手の中であっけなく潰れ・・・・その”全て”が手に入るだろう・・・

 その”誘惑”に抗うことができない・・・

 唯一、その支離滅裂な感情に対する”違和感”だけが、まるで抗うようにルーベンの手を押し留めている。


『さあ、手を伸ばして・・・』


 だがモニカは、まるでそれに抗うようにルーベンのもう片方の手を取ると、今度はそれを己の胸へと伸ばした。

 モニカの、平坦でいて複雑な胸の細かな形状が、ルーベンの心を更にヤスリのように削り取る。

 それによって”違和感”が薄まり、首にかかる手に力が入りそうになった。


「・・・やめろ、ヴェロニカ・・・・・


 ルーベンが呟く。

 だが、モニカは・・・・あえてそれを無視するように、もう片方の手を胸に押し付け続ける。


『ルーベン・・・私を信じて』


 モニカの柔らかな胸が、ルーベンの掌の圧力で形を歪める。

 そのあまりにも気持ちのいい感覚に飲み込まれそうになるが、その柔らかさが逆にルーベンの心を冷静にした。


「これは、夢だな・・・勝手なことを・・・」


 モニカの、骨の上に薄く付いた筋肉と筋だらけの胸がこんなに柔らかいわけがないだろうに。

 ルーベンの腕に押されたモニカの胸は、歪みを通り越して変形していた。

 これではもはや、肋骨まで粘土細工ではないか。


 そしてその”綻び”から、”夢の世界”は急激に崩壊していった。

 ここまでいくと、”違和感”はもはや無視できないほど巨大なものになっている。

 モニカの体は蝋人形のように嘘っぽくなり、感じられる体重は只の重しのように形がなく、熱は懐炉のように安い。

 その顔も、丁寧に作った”人形”のようだ。

 それでも”そいつ”は、ルーベンを誘惑する事をやめなかった。


『全ては、あなたのもの』

「その口でしゃべるな!」


 ルーベンはそう言うと、一気に意識を集中させて夢のイメージを捻り潰した。




 急激に目を覚ます不快感と、夢と現実が入り混じった違和感を覚えながら目を開けると、体の内側を好き勝手に動き回る魔力が、まるでルーベンを縛るように表面に浮き出しているのが目に見える。

 一見すると、真っ黒な縄で縛られているようにも見えた。

 ”ヴェロニカの囁き”は、未だ頭の奥底で響いている。


「いい加減にしろ・・・」


 ルーベンはそう言うと、体を無理やり動かして左手に増設された制御魔水晶を引きちぎるように外した。

 途端に”ヴェロニカの囁き”が聞こえなくなり、黒い魔力が内側に溶けて消え、代わりに強烈な酩酊感がルーベンを襲う。

 まるで内側で巨大な魔獣が暴れ回っているような感覚に吐き気を覚えながらも、それを意思で押し込めると今度は無理やり魔水晶を元に戻す。

 一気に血の通った感覚がルーベンの全身を焦がし、冷や汗が熱を帯びたものに変わった。

 すぐに制御回路が魔力を元通りに戻し、何事もなかったよう整えていく。


 少なくとも現在の状況に問題がないことを理解したルーベンは、すぐに魔水晶に自前の”調律盤”を繋いで状況の確認を始めた。

 予想通り、スキルのログにはルーベンが使った覚えのないスキルがいくつも記録されていた。

 やはり暴走したらしい。


「・・・まったく、お母様め・・・」


 その中心となったのは、ルーベンの母親が入れさせたという【社交スキル】。

 それがルーベンの中の”葛藤”を燃料に勝手に動いたのだろう。

 明らかに”社交”の範疇を超えた動作だが、このスキルは後から無理やり追加したせいで作りが甘いから、ヴェロニカに飲み込まれたのだろう。


 だがそれでも、まさかこんなことが起ころうなんて、”軍位スキル”というやつは油断も隙もない。

 寝ている間だったから良かったものの、万が一起きてる時にルーベンの意識が暴走したスキルによって混濁させられたら、どうなることか・・・


 その事にゾッとしたルーベンは、ベッドの横の棚から紙束を取り出すと、そこに描かれた少女の裸画を必死に目に焼き付ける。


 ここ数ヶ月、”モニカ攻略”のために作った膨大な量の彼女の詳細図の一部だ。

 筋肉むき出しの血管等の図は見ていて気持ちの良い物ではないが、だからこそ信頼できる。

 そうやって、置き換えられた・・・・・・・”モニカ像”を取り戻すように、ルーベンは自分のイメージと図のズレを潰していく。


「そうだ・・・僕の知ってるのは、この・・モニカだ」


 体の構造を知れば知るほど膨らむ、この底知れぬ恐怖の権化、それこそが彼女の”本質”。

 あんなもの・・・・・、モニカではない。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 ”あんな夢”を見たせいか。

 その日、ルーベンは朝から落ち着かない気分がずっと続いていた。

 何ともこそばゆいというか、視線が気になるというか・・・

 まるで自分が何か恥ずべき秘密を抱えてしまったかのようだ。


 それもこれも、アデルに”結婚したいと言え”と言われたせいに違いない。

 アレのせいでここ数日ずっと、”結婚”か授業への”復帰”かを迷い続けていたのだ。

 まだ勝った訳でもないというのに、子供のようにどちらを選ぶかを四六時中考えては、考え直す日々。

 そうやって”邪念”が膨らんでいく中で、ついに妄想が爆発したのだろう。


 そう考えると、ルーベンの心がまた俄にざわめいた。


 こういう時、決まって”夢に出てきたモニカ”が頭に浮かび、その心の内のそれを強くする。

 だがそれは、話に聞く”恋”というような甘ったるい感情ではないし、偶に感じる”性欲”と異なる。

 ただ落ち着かなくて、イライラする感覚だ。

 はっきり言って、居心地が悪い。


 そうだ、あれだ!


 ルーベンは彼の少ない経験から近い感情を掘り当てる。

 それは数学の授業で、不意に教師から”未解決問題”を出された時のこと。

 一見簡単そうな問題が中々解けずに苛立ち、最後は一部の”呪い”が異常をきたして大騒ぎになった事がある。

 あれを薄めた感覚と、今のルーベンの状態は非常によく似ていた。


 と言う事は、やはりこれは”スキルの暴走”と考えるのが自然だろう。

 そう納得したルーベンは少しホッとすると同時に、別の心配が顔を覗かせて心を蝕んだ。


 ルブルムの”アオハ邸”にて”手術”を受ける直前の事。


 ルーベンと入れ替わるように”封印手術”を終えたばかりの叔父マルクスが、ルーベンに言った言葉。

 

” ルーベン、この力は大きな責任を伴う。 これは決して特権などでは無い。

 その意味を君なら理解できると信頼している ”


 その言葉が、ルーベンの中で木霊のように反響し膨れ上がっていた。


” ”ヴェロニカ”の主として、ふさわしい人間になれ ”


 叔父様、僕はちゃんとなれるでしょうか・・・


 ルーベンが助けを求める様に天に問う。

 だが浮島しか見えぬ晴天の空は何も答えてはくれない。


 その様子にまた心が沈んだルーベンは、肩を落とすと、街の中へと歩みを進めていく。


 我ながら、情緒不安定が過ぎる・・・


 ルーベンはいつの間にか、自分は”この力”に相応しいと思えなくなっていた。

 国に4人しか許可されていない重みや責任、その運命を録に考えもせずに、”モニカと並びたい”という”欲求”だけでこの力を得た事が、恥ずかしく思えてしまったのだ。


 その時、ルーベンは自分の中に押し込められた”なにか”が体を吹き飛ばすような錯覚を起こした。

 慌ててスキルに指示を飛ばして”発作”を抑える。

 魔水晶パスを繋いでログを取ると、見たこともないレベルの力の奔流が記録されていた。

 その事に、ルーベンはドッと冷や汗をかく。


 ”こんな物”を使いこなし続けないといけないのか。


 もう、ただ蓋をして見ぬふりをする事はできない。


 そう思った瞬間、ルーベンは己の中にある”恐怖”に怯え、”そんなもの”に耐え続けてきた強者達に怯えた。

 もちろん”その中”には、モニカもいる。

 次第にルーベンの中のモニカの姿がどんどん膨らみ始め、いつしか魔獣のように見上げていたかのような錯覚を起こす。



「モニカは、どんな風に過ごしているか聞いてる?」


 気づけばルーベンは、後ろを歩いていた”付き人の男”に聞いていた。


 ”軍位”に格上げとなったルーベンの状態と行動を見るために、こうして週に何度か抜き打ちで付き人が付く。

 だがその彼は、ルーベンに声をかけられて不思議そうに口髭を擦った。


「どんな風に、と言われましても」

「君はモニカの”付き人”も時々やってるって話だろ?」

「ええ、まあ。 ただ最近は完全に舐められて無視されてますが」


 男はそう言うと困った様に頭を捻った。


 この男、”ヘクター・アオハ”はアオハの古い分家の出身で、”当主家”のエミリアの部下でもある。

 つまり”本家”のルーベンとは非常に微妙な間柄なのだが、”モニカ連絡室”のメンバーでもあるので、モニカとの接点は多い。


「教えてほしいんだ」


 ”自分の事をどう思ってるか”


 ルーベンはその後半の言葉を口に出す勇気はなかった。


 だが、ヘクターはそれを察してか知らずか、少し考えるとゆっくりと話し始める。


「モニカ嬢は最近少し・・・忙しすぎる」

「忙しい?」

「ええ、”自分の事”、”自分の未来の事”、”自分の責任の事”に奔走しているようで、付いていくのも結構大変ですよ」


 ヘクターはそう言うと、言葉には出さずに口の形だけで”空を飛ぶんで”と付け加えた。


「そうなのか?」

「どうもあの”スキル”が高性能すぎていけない、効率的に動かしてるみたいで、疲労が溜まらないからいつまでも動き続けようとする。

 知ってますか? 先週末なんて”ディルダ”の方まで飛んでいったらしいですよ」


 ヘクターの言葉にルーベンは驚く。

 ディルダといえば、飛竜でも半日以上かかるくらい遠い街だ。

 ルーベンはモニカがそんな遠くまで動き回っているとは思っていなかった。


「かと思えば、今取れる魔道具系の授業をいくつもハシゴして、それだけじゃなく高度授業の教師や、優秀な上級生にも恩を売ってまわろうとしたり」

「恩?」

「ええ、力仕事や”魔力仕事”とか、あとは週末の街外活動の時に仕入れや運搬を買って出たりね。 ディルダへ行ったのもそれが主な目的だとか。

 あ、そうだ、その教師が抱えてた幼年部の子供達の引率とかもしてますね」

「幼年部の引率だって!?」


 ヘクターの言葉にルーベンが激しく驚く。

 小さな子供の面倒なんて”あのモニカ”に見れるのか!?

 小型種族の子なんて、うっかり食べてしまいやしないか?


「それが出来てるんですよ、しかも評判も良くて」


 するとヘクターが、まるでルーベンの心を察したかのようにそう答える。


それでもルーベンは、その光景がすぐには想像できなかった。


 だが、小さなエネルギーの塊のような子供たちを何人も従える様は、なんとか想像してみれば、それはそれでモニカらしいと言えるのではないか・・・

 

「とにかく、今は必要な”経験”を求めてがむしゃらに飛び回っている、って感じですね。

 こっちとしては、抱えてる”もの”が”もの”だけに、もう少し余裕を持ってほしいんですが、どうも止められなくて。

 かといって、迂闊に介入する訳にもいかなくて困ってるって感じですかね」


 ヘクターが結論のようにそう言う。

 その言葉の口調からして、これでもまだまだ”一部”なのだろう。

 よく、それを1人でこなせるなと驚く他ない。

 誰かが管理してくれなければ、ルーベンでもすぐに破綻しそうだ。

 ・・・とくに”こんなもの”を抱えていれば・・・


 そう思うと、ルーベンはモニカが更に遠くに行ってしまったような気分になった。


 ”見ているところ”がルーベンとは明らかに違う。


 だからこそ、安易な考えでそれを邪魔してしまった自分に腹が立った。

 だが、


「でも、坊っちゃんには感謝してますよ」

「え?」

「坊っちゃんとの試合は、あの子にとって丁度いい”息抜き”になるでしょう」


 ヘクターの言葉にルーベンは二重の意味で面食らう。

 単純に自分が仕出かした”駄々”に感謝されたこと、それと、


「”息抜き”?」


 自分との”決戦”を、まるで休日の気分転換のように言われたこと。

 だがヘクターは、それを見て”まだまだだな”とばかりにニヤリと笑った。


「あの子にとって、”命をかけてない戦い”なんてものは、相手がどこまで強かろうが”遊び”でしかない。

 そういう世界で生きてきた人間ですよ、あれは」


 その言葉にルーベンは押し黙る。

 ヘクターの見立てに、確かにそうだと思える自分がいたからだ。


「でも、だからこそ、心が成長できる”遊び”の場は必要です。

 今のあの子は少々、日々を生きる”戦い”に比重を置きすぎてるので、坊っちゃんとの試合は重要な”遊び”になる。

 だからこそ勝ってやってください」


 そういうと、ヘクターはルーベンの背中を拳で軽く小突く。


「でも僕が勝ったら、モニカの進む”道”の邪魔にならないか?」


 ルーベンがそう言って心配する。

 モニカの”目標”は、ルーベンごときが塞いで良いものではない。

 だがヘクターは、それについても心配ないと胸を張った。


「その時はこう思えばいい。 モニカ嬢が”無理に近道しようとしてる”のを止めてるんだと。 実際、去年は邪魔になってましたか?」


 ルーベンはヘクターの言葉に、また押し黙る。

 だが今度は逆に、少しだけ心の内が晴れるような気持ちにはなった。


 確かに、”命をかけていない”からこそ、戦いで伝わることもある。

 それで成長することも。

 ルーベンが、彼女の”ライバル”として並び立つことで、その助けになることはできるのではないか?

 そんな”幻想”が、少しだけルーベンの罪悪感を癒やしたのだ。



 すると、そんな事を考えていたからだろうか、


「・・・?」


 不意に、その”件の少女”の声が街並みの中から聞こえてきたような気がしたのだ。


 ほら、また・・・


「どうしました坊っちゃん?」

「モニカの声がする」

「え? 本当ですか? 私にはさっぱり・・・」


 するとその時、今度ははっきりとモニカの声がルーベン達の耳に飛び込んできた。


「おねがいします!」

「だから無理だって!」


 続いて困ったような女の声が続く。

 そちらの方を見てみれば、薬草屋の店の入口を入ってすぐのところで、半ば口論のようになっているモニカと商人の姿が見えるではないか。

 そこから成されている会話を掻い摘んで聞く限り、どうやらモニカの持ち込んだ商談に店主が応じてくれないらしい。

 今応対している商人の女は、どうもこの店の下っ端のようである。


 だが、ルーベンの心を引いたのは、モニカの様子がこれまで見たことがないほど知的に見えたこと・・・ではなく、まるで流浪の民のように必死に乞うような表情をしていたことだ。

 彼女のそんな、”無力感”すら漂う表情をルーベンは見たことがなかった。

 するとルーベンの中で、ここ数日の”悩み”が一気に別の形をとって顔を見せる。


” そんな顔をしないでくれ・・・ ”


 ルーベンがそう願うと、気づけば昨晩暴走していた【社交スキル】が”飛び出せ”と指示を出していた。

 無論、最初からそのつもりのルーベンは、後ろでヘクターが慌てて止めに入ろうとしたことなど関知もせずに店の中に飛び込んだ。


「すいません!」


 ルーベンがそう叫びながら店の中に入ると、口論していた2人が驚いてこちらを振り向く。


「え!? ルーベン?」

「あ、アオハの”坊っちゃん”!?」


 その商人がルーベンの顔を見て腰を抜かしたように後ずさる。

 もちろんルーベンはその商人のことなど知らないが、向こうは違う。

 ”公爵家”・・・しかも大商人の親族であるルーベンの顔は、商人連中の間では有名だ。

 ・・・何度も”最有望株”として街角を似顔絵が飾ったせいもあるが。


 するとルーベンの肩をヘクターが掴む。


「坊っちゃん・・・この件に関しては・・・」


 だがルーベンはそれを無視する。


「その子は知り合いだ。 あなたの事を叔父上に紹介するから、良くしてやってくれないか?」


 ヘクターの静止を物ともせずにルーベンはそう言い放った。

 おそらくヘクターの反応からして、これは”アオハとしては関われない”案件なのだろう。

 だが、そんなものはルーベンにとっては関係ない。


 すると女商人は、大商人でもある叔父マルクスの名前に怯えたのかすぐにルーベンに平伏気味に答えた。 


「め、め、滅相もございません! 公爵閣下に睨まれては私共など・・・ぜ、ぜひお取り引きさせてください」


 そう言って、途中からモニカに向かって頭を下げる女商人。

 その様子に、モニカは大いに目を丸くしていた。


「え!? ほんと!?」


 どうやら商人のあまりの豹変っぷりに驚いているようだ。


「もちろんでございます! ぜひに!」


 商人はそう言うと、”ささっ、どうぞ”とばかりに商会の中を手で指した。

 ヘクターが後ろで顔を覆う。


「・・・知りませんよ」

「本当にちょっと紹介するだけだよ。 何なら”ウチ”で懇意にしてもいいし」


 ルーベンは牽制目的で、本家の事をチラつかせると、ヘクターもそれ以上は突っ込めない。

 それでも彼は苦い顔を作るのはやめなかった。


「坊っちゃんは、”あの人に紹介する”って意味をもう少し重く考えるべきだ」


 ヘクターのその言葉を、ルーベンはあえて無視する。


 すると、今度はモニカが商人に案内されて奥の部屋に向かう前に、ルーベンに駆け寄ってきて耳打ちした。


「ありがと。 でも試合は手を抜かないよ」


 そう言い残すとと商人に連れられて建物の中へと入っていく。

 ルーベンは無言でそれを見送るだけ。

 ヘクターの様子からして、これ以上の介入は本当になにか厄介なものを引っ張り出しかねないと悟ったからだ。


 だがその心の内は、妙なまでに凪いでいた。

 まるで先程までの”邪念”がどこかへ消えた様に。


 ルーベンは心の中で呟く。


 やっぱり・・・これは”恋”ではない。


 もっと純粋で、もっと・・・”ワクワク”するものだ。



 だからルーベンは、満足顔で戻ってきたモニカを待って聞いた。


「明日、夕方に少し時間あるか?」

「えっと・・・あるけど・・・なんで?」


 ルーベンの不思議な問いに、モニカが怪訝な顔で問い返す。

 それを聞いたルーベンは、自分が怖じ気付く前に”今の考え”を切り出す事にした。


「君と戦う前に・・・先にやらなきゃいけない事がある」



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 翌日。


 エリコル研究所の一室にて・・・



「ヴィンセント先輩、ジュールズ先輩、先日の失礼、謝罪いたします。

 ゴメンナサイ」


 そう言って深々と頭を下げるルーベン。

 すると2人の”豚人”は一瞬、何事か理解できない様にポカンとすると、慌てた様子でそれを止める。


「ま、ま、まってルーベン氏、モニカ氏との”試合”はまだの筈であろう!?」

「まぁさかぁ、モニカちゃん、不意打ちしちゃたぁの!?」


 2人が怖いものを見るような目でモニカを見る。

 するとさすがのモニカも”心外だ”とばかりに、ふくれっ面を2人に返した。

 ルーベンが続ける。


「モニカとの試合は関係ありません。

 これは本来、そんな事関係なく、あの時にすべきだったこと・・・いや、そもそもあんな事するべきじゃなかった。

 何も成してない”ガキ”が、先輩達に言っていい事じゃない」


 そう言うと、ルーベンは更に深々と頭を下げる。

 その殊勝な様子に、他の3人は大いに驚いたまま固まっていた。


「や、やめてくれよルーベン氏・・・拙者たちもその・・・調子に乗ってたし」

「モニカちゃんかわいいから・・・僕らも、まいあがっちゃってて・・・」

「ありがとうございます。 ヴィンセント先輩、ジュールズ先輩・・・・でも、僕も”その気持”は分かります」


 2人が謝罪を受け取ってくれたことを悟ったルーベンは、そう言って緊張を解いた。

 と、同時に内心で彼等に対する親近感が強まるのを感じる。


 今なら分かる。

 正直なところ、今のルーベンが彼等と同じ立場だったら、きっと舞い上がって夢の時のように”暴走”していただろう。

 それを思い知っている今、彼等を侮辱するような物は何も持ち合わせていなかった。


 結局の所、自分は”強くて偉い”と、勝手に思い込んで図に乗っていたのだ。

 その身勝手さが、今では恥ずかしかった。

 きっと昨日感じていた居心地の悪さは、モニカに対する気持ちでもなんでもなく、ただ自分の不出来に気付いただけだったのだろうと、今は思う。

 ”身の程を知る”というのはこういう事か。

 いや、それも図に乗ってる考えだな。

 


 ただ、まさかあの”悪夢”が、逆にルーベンの心を柔軟なものにしてくれるとは・・・


 和解したルーベン達の様子に嬉しそうに微笑むモニカを見ていると、腐っても【社交スキル】の効果も馬鹿にできないものだとルーベンは思ったのだった。





「これで良かった。 これでまた”同じ轍”を踏まないですむ」


 2人で研究所を出たところで、別れ際にルーベンがモニカにそう切り出した。

 そしてモニカに向き直る。


「改めて、一戦願う。 君と戦いたい」

「でも、わたしが勝った時に賭けるものがなくなっちゃったよ?」


 モニカがちょっと困った様な顔でそう聞き返してくる。

 ルーベンが謝罪した今、彼女が戦う動機は何もない。

 だが、だからこそ、


「それも改めて考えてくれ、謝罪したところで、君を不快にさせたことは変わらないし、不当な方法で戦いに駆り出したことは消えない。

 だから君が勝ったら、何でも1つ言うことを聞くよ。

 それでも、戦ってほしい」


 ルーベンはそう言うと、謝罪と懇願の意味を込めて頭を下げる。

 だがそれをモニカが即座にものすごい速度で腕を割り込ませて止めた。

 頭を無理やり起こされて、不格好に仰け反る形になったルーベンがモニカを見ると、彼女が真剣な表情で見返して来るのが見えた。


「わかった。 正々堂々・・・今度は”ケンカ”じゃなくて、”試合”をしようね」


 その言葉を聞いた瞬間、ルーベンの中にまだ残っていた”モヤモヤ”は跡形もなく消え去った。

 後に残ったのは、混じりっ気のない・・・形容しようのない”ワクワクする気持ち”だけ。


「ありがとうモニカ。 これで純粋な気持ちで戦える」


 そう言って、ルーベンが挑むように笑みを向ける。

 するとモニカも同じように笑みで返した。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 それから、さらに数日後。



 幾多の調整と会議の末、ルーベンとモニカの試合に充てがわれたのは、なんとアクリラでも最大の競技場だった。

 対校戦でも使われた、あの巨大な観客席のある大きなスタジアムである。


 その巨大な会場のフィールドの真ん中から、ルーベンは観客席に座る者達の様子を眺めていた。

 反対側では、モニカも同様に眺めている。

 一体何処から湧いて出たのか、数万人収容の観客席は、流石に満員とは行かなくともかなりの人間が蠢いているのが見えた。

 呆れるのは興行の時のように売り子が食べ物や飲み物まで売り、賭け屋が最後の券の販売を告げる大声をあげている。

 しかもその半分は商人学校の生徒ときたもんだ。

 何とも商魂逞しいというか・・・


 これはもはやちょっとした祭りだな。


 客席の最前列では、既に酒に酔った客達が肩を組んで”さっさと始めろ”の大合唱。

 いくつかの賭け屋が締め切りの号令で客を急かしだす。

 それを聞く限り、倍率は・・・やはり”モニカ優勢”か・・・


 ルーベンはその事をあまり意識しないようにしながら、自分の”調律師”の最終チェックを受けていた。

 今回はかなりちゃんとした形式の、それもかなり大掛かりな試合とあって、双方共、事前に関係者が同行する。

 しかも両方とも高位スキルなので、スキル関係の医療従事者が多い。

 モニカ側など一体何人来てるのか、今は13人だが、時折スタジアムに設置したと思われる観測機との連絡を図るために走っていくので数が安定しない。

 ”準王位”は伊達ではないということだろう。


 だがルーベンは、その観察の中でも努めて”モニカ側”の関係者はあまり見ないようにしていた。

 特にその中にいる、自分の”従兄弟ファビオ”の姿は。

 ファビオも何かを察して気にしているのか、こちらをちらりと見る以上の事はしなかった。

 

 この1ヶ月以上に渡って、2人は同じ街に住んでいたというのに、殆ど顔を合わせることがなかった。

 もちろんそれはルーベンが学生で忙しく、ファビオもまた彼の任務で忙しいからだが、最大の理由はルーベンがかなり露骨に避けていたからだ。


 ファビオとモニカの縁談が”白紙”になったことは風の噂で聞いている。

 だが、これはどういうことだ?

 今やファビオは完全に”モニカの関係者”で、その中でもかなり”近しい”といえる位置と立場にある。

 今日など、事実上の保護者ではないか。

 そればかりか、顕になったモニカの”家柄”やしがらみ、更には周りの扱いまでもが、彼等の婚約を”事実たらしめようとしている”ように見えてルーベンは不快だったのだ。



 いや、違うだろ。


 ルーベンは雑念を横に押しやる。

 今はそんなことを考えているときではない。


 今日は”純粋な気持ちで戦う”と決めたはずだろうに。


 そう思うと、ルーベンは両手で自分の頬を叩いて気合を入れ、競技場の真ん中を睨みつける。

 すると、ちょうど準備の終わったモニカと目が合い、向こうも挑むようにキッと睨み返してきた。


 それを見る限り、モニカは準備万端らしい。

 それでいい。

 ルーベンは改めて、全ての雑念を思考の外に押し込めると、自分の関係者に下がるように伝える。

 そして、それから少ししてモニカの”大所帯”が引っ込むと、フィールドに残されたのはルーベンとモニカと彼女のパンテシアだけ。


 するとその間に割って入る様に、黒髪の小柄な獣人が黄色い魔力を残しながら入ってきた。

 今回の試合の”立会人兼審判”を担当する、グリセルダ先生だ。

 だがその姿は、いつもと違ってかなりの重武装。

 いざとなれば、高位スキル2人を止めに入らねばならぬということで、その面持ちには緊張が滲んでいた。


「2人とも、準備はいいか!!」

「「はい!!」」


 グリセルダ先生の問に、ルーベンとモニカが揃って答える。

 するとスタンドのギャラリーが一気に盛り上がり、大歓声が競技場を包み込んだ。

 そこにルーベンは、若干の満足感を覚える。

 最初は不快に感じたものだが、自分達の対決に相応しい歓声だと感じたのだ。


「これより、”モニカ” 対 ”ルーベン” の模擬戦闘試合を行う!! ルールは上級生徒仕様。 相手の表層結界を先に破壊した方の勝利となる!!」


 フィールドではグリセルダ先生が、この対決のルール説明を始めていた。

 続いて細かい補足が入るが、内容は殆どが普段から順位戦で慣れ親しんだものと同じ。

 だが今回は双方の実力を鑑みて、いつもやっている中等部用の怪我を極力防ぐ”ぬるいもの”ではなく、高等部や”対校戦”で使われている、”怪我すら戦略に織り込んだ”仕様のものに差し替えられていた。

 具体的には、擬似”体力”用の表層結界が体の少し内側に張られ、さらに腕や足の先には意図的に排除されて、生命保護用の強力な結界は頭と胸だけに集中的に配される。


 だがそれはお互いが望んだこと。

 もし中等部仕様のままならば、去年の後半戦のように、ただ”先に攻撃を当てた方が勝つ”という非常につまらない物になっていたからだ。

 そんな結果に、今の自分達は納得できない。


 ルーベンが本当にしたいことは、戦うことでも勝つことでもない。


 ”この力”を、モニカに見せつけ・・・その横に並ぶことである。



「・・・ああ、そうか・・・これが僕の本当にしたかったことか・・・」



 その瞬間、ルーベンはここ数ヶ月の自分の葛藤の正体気がついた。

 それは気づいてみればなんてことない、本当に笑っちゃうくらいに子供みたいな感情だったのだ。



「両者! 構え!!」


 グリセルダ先生の鋭い声が競技場の中に木霊する。


 その瞬間、反射的にルーベンの体が緊張し全身に魔力を漲らせると、一気に”ヴェロニカ”のスキルの能力を開放した。

 するとこれまでにない勢いで、ルーベンの体表が黒く染まりながら固くなる。

 もはや”身体強化”の度を超した魔力が表面に浮き上がったのだ。


 一方のモニカは、連れてきた彼女のパンテシアの背中に飛び上がると、主従纏めてもはや彼女の代名詞となった魔力素材の装甲を展開する。

 その理不尽な耐久性に、何度ルーベンは涙をのんだことか。

 だが、今日のルーベンはその黒い姿に若干の落胆を感じた事は否めない。


 ” あの巨人ではない ”


 対校戦で”勇者”相手に見せた、あの”黒い巨人体”ではなかったのだ。

 ルーベンはそこまでに値しないとでもいうのか。


 だがルーベンは、すぐにその”馬鹿げた嫉妬”を脱ぎ捨てる。

 事実、これまでモニカに見せてきたルーベンの実力は、たしかにそれに”値しない”。


「それに・・・」


 ルーベンは拳を握る。

 すると、まるで迎え撃つようにパンテシアが頭を下げてそこに付いている、大きくて鋭い角をこちらに向けてきた。


 ”あれ”だって、モニカが対校戦に入ってから用意した”新装備”で、ルーベンは実際に戦ったことはない。

 その実力は、対校戦の結果を見る限りとても過小評価していいものではなかった。

 それにこの数ヶ月で、さらに洗練されているようにも見える。

 モニカ自身の装備にも、頭にはついこの前まで見られなかった大きな”おさげ”が2つ見受けられた。

 モニカの性格を考えれば、あの大きさと無骨な見た目で”装飾”ということはないだろう。


 ルーベンは全てを迎え撃つように、全身に魔力を漲らせながら”構え”を取る。


 並び立つ2つの黒い少年と少女。

 その姿は、全く異なる原理でありながら、不思議な事にとても似通って見えた。



「始め!!!」


 グリセルダ先生がそう叫ぶ。



 最初に動いたのはモニカだった。


「それじゃ、いくよ」


 モニカがそう言うと右手を宙に掲げる。

 するとその上に、小さな魔法陣が一つ現れた。


 だがルーベンは一瞬だけ警戒するものの、すぐにそれは怪訝に置き換わってしまう。

 モニカが用意したのは、単なる”次元収納”の魔法陣。

 それも、開けるゲートの大きさが拳1つか2つ程度の大きさでしか無い。

 これで一体どうしようというのか?


 だがその時、ルーベンの頭の中でけたたましい警戒音が鳴り響いた。


『警告! ”モニカ” から大量の魔力の流出を確認。 量は測定不能、既にこちらの最高出力を超えています!』


 何が起こってる?

 ルーベンのその疑問は直後に解決する。


「・・・・!?」


 モニカの背中から天に向かって広がるように、いくつもの同じ魔法陣が展開され、それが黒い壁のように視界を覆ったのだ。


『警告! 展開量が異常です! その数1000以上! 全て”次元収納”のゲートです!』

『これが全て、次元魔法陣だって!?』


 そんな馬鹿なことがある訳がないと考えたルーベンは、ヴェロニカに再度の観測を指示し、貴重な時間を無駄にした。

 ”彼女の姉貴分ルシエラ”ならばまだしも、モニカがわざわざ高出力魔法の偽装をする必要など無いというのに。


 モニカの数千を超える次元魔法陣は全て・・本物で、そのすぐ向こう側には、さらに急加速用のベクトル魔法陣が仕掛けられていた。

 そしてさらに、その中には、スキルで極限まで強化された大量の”槍”が仕込まれている。


「ええっと・・・”ゲ◯ト・オブ・バビ◯ン”・・・だっけ?」


 魔法を展開し終わったモニカが少し困ったようにそう言うと、視界いっぱいを埋め尽くした魔法陣の中心から、ベクトル魔法で打ち出された大量の槍が一斉に放たれた。

 その”黒い暴風雨”は、ルーベンの想像を遥かに超える威力と量をもって迫り、触れるもの全てを砕きつくしながら駆け抜けていく。

 その圧倒的物量の暴威に逃げ場はない。



 ルーベンは大きな勘違いをしていた。



 モニカは今に至るまで一度として、


 ルーベンを”下”に見たことはない。


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