2-15【流れ行く日常 3:~三人娘~】



「おお! きたきた! こっちこっち!」


 夕暮れ時、中央区のレストラン街にやってくると、思ったよりも高そうな店の前でルシエラが手を振っていた。

 周囲の者達が店の雰囲気に似合わぬガサツな振る舞いに眉を顰めるが、彼女はそんな事お構いなしで、それを見た俺達は慌てて駆け寄った。


「・・・ルシエラ! ちょっと恥ずかしいよ」


 最近、文明に染まって本格的に”恥”という概念を理解し始めたモニカが、顔を赤らめながら小声でルシエラを止める。

 すると我等が姉貴分はそんなモニカの変化を面白がって顔をニヤけさせ、これよみがしに肩に手を回した。


「なーに恥ずかしがっちゃってんだか、せっかくの”ベル・クラト”だってのに」


 ルシエラは得意げに目の前の高そうなレストランの店名を口にする。


『やっぱりここか・・・』

「ルシエラ、わたしそんなお金持ってないよ?」


 モニカが心配そうに聞く。

 物価の高いアクリラでこの門構え、どう見ても少なくとも事前に聞いていた”10セリスで腹いっぱい”の範疇からは外れる。

 だが、ルシエラはどこ吹く風。

 俺達の肩に回した腕に力を込めると、半ば無理やりに店へと連れ込んだ。


「”伯爵令嬢様”がなにいってんの。

 いいからいいから、中でベスも待ってるし入っちゃお」


 なんとも強引な入れ方だが、俺は外の様子が見える最後の一瞬、ルシエラが鋭い視線を外に向けるのを見逃さなかった。



 ”ベル・クラト”は店構えだけ立派な格安店、といったことも無さそうで、店の中はあいも変わらず重圧すら感じる立派さだ。

 色とりどりに染め上げられた床と壁の意匠は、まるで絵画の中に飲み込まれたかのような錯覚を起こさせた。

 というか足元のこのフカフカマットって、ガブリエラのところに敷いていたのと色違いだよな・・・

 店の構造は入ってすぐに食事スペースが有るようなものではなく、店の真ん中を貫くように太い廊下が続き、そこに幾つもの扉がある”個室制”のレストランだった。

 俺達はそこを、正装の案内人の先導のもと進んでいく。

 周到に予約が組まれているのか、その間全く人とすれ違うことはない。


『ここ、なんか”怖い”』


 周囲をキョロキョロと見回しながらモニカが呻く。

 その言葉通り、この店、外の喧騒も含めて全然人の気配が漂ってこない。

 まさか周囲2kmから人が消えたなんてことはないだろうから、この店の防音対策がいかにとんでもないか。

 そしてそんな事をしているこの店が、いかにまともでないか・・・


 やがて角を3回ほど曲がった先の、最初の部屋の扉を案内人が恭しく開けて中へ促すと、部屋の中の大きなテーブルには既にベスが座って待っていた。


「あ、お姉さま方、お待ちしてました」


 さすが金持ちのお嬢様、この空間にあっても自然に見える。

 というか、当たり前に窓がないんだな・・・

 案内人が「ごゆっくり」と言って扉をパタリと閉めると、部屋の中は完全な静寂に包まれた。

 これ、完全に政治家とか芸能人とか”危ない人”とかが、こっそり会って話すための部屋じゃなかろうか。

 なんとなく壁に【透視】を打つと、当たり前の様に外が見えず、それだけでなんとも萎縮してしまう。


「さささ、座って座って」


 一方、俺達とは対照的にいつになく楽しそうなルシエラは、これまた高そうな椅子を一つ引くと、俺達にここに座れと促した。

 そして俺達がおっかなびっくりそこに座ると、すぐにベスが堰を切ったように話しだしたのだ。


「モニカ姉さま! ”里帰り”で何をなさったんですか!?」


 と、珍しくベスが興奮気味に声を上げ、その予想外の迫力にモニカが身を仰け反らせる。


「な、なにって・・・」


 そりゃ色々あったけど・・・


「先週あたりから私のところに、”お国”から”モニカ・ヴァロアについて教えろー!”って手紙が何通も来たんですよ!」

「あ、それ私のところにも来た。 凄いよー、ついこないだまで無視みたいな反応だったのに、今じゃ顔も覚えてない人から手紙が来る」


 ベスの言葉にルシエラが同調する。

 やはり2人とも雪国ということもあってか、ヴァロア領での話が回るのが早い。


「それに私達だけじゃないよ。 分かってるでしょ?」


 モニカが鋭い視線で壁の向こう・・・・・を見つめる。

 その視線は何かを捉えているのか、はたまた只の当てずっぽうか。

 だが、その視線の先にいるであろう”者達”については、俺達も心当たりがあるのでモニカが頷いた。


「昼間辺りから・・・気配は感じてた」

「というよりも、ガン見してくる輩が結構いたな。 最近目立ってるからその類かと思ってたが、どうも違う」


 俺が大体の見立てをルシエラに伝える。

 すると俺が話しやすいように、モニカが発声機と感覚器を組み合わせたユニットをテーブルの上に置いてくれた。


「たぶん、”あんた達”が取引を反故にした貴族や商人の関係者でしょうね。 うちの国の官僚にも何人か泣きついてるらしいわ」


 ルシエラがその見立てを口にする。

 するとベスもそれに頷いた。


「そういえば私のところに来た手紙も、商業や経済関連のお役人さんの物が多い気がします」

「モニカの姿を直に確認してこいって、上司に言われてるんじゃないかしら、あまり上役って感じじゃないし」

「モニカ姉さま、何を”反故”にしたんです?」


 ベスがまた半ば咎めるような視線で俺達に迫ってきた。

 どうしたものか・・・

 するとそれをルシエラが止める。


「やめなさいベス。 モニカだって、話したくない事くらいあるわ」


 そう言うと、こちらに向かってベスから見えないようにウインクする。

 どうやら”できる姉”を演じたいらしいが、既にモニカに内緒で俺が話してるので、俺の目には台無しに見えるのだけれど、というのは内緒だ。


「でもルシエラ姉さま、そういう話をするためにこのお店に来たのでは?

 ここなら聞かれる心配はありませんし」


 あ、やっぱそういう店なんだ・・・

 だがルシエラは首を振る。


「このお店を選んだのは、単純に”私達だけ”の空間が確保できるから。

 だから今日はモニカの帰還祝い。 そして私達だけの食事会として楽しくやりましょ」


 そう言いながらベスの頭を勢いよく撫でるルシエラ。

 彼女が何かを誤魔化す時によくやるやつだ。

 それを分かってるだけにベスの表情は晴れない。


 ちょうどその時、小さな鈴の音に続いて扉が開けられ、前菜的な物が運び込まれてきた。

 どうやら”コース系”の食事らしい。

 この部屋まで案内してくれた店員さんが、丁寧かつ素早くテーブルに料理を並べていく。

 案内と同じ人なのはホールスタッフの数が少ないのか・・・いやこれだけ高そうな店だ、俺達専用のスタッフなのかも。


 モニカが前菜の”春雨サラダ”的なやつを睨む。

 前菜といってもかなりしっかりしたやつで、必然的にお値段もかなりのものに見える。


「やっぱりこれ、高すぎない?」

「いくら割引券があると言っても、焼け石に水じゃないか?」


 俺たちがそう聞くとルシエラが少し苦々しげに”ネタバラシ”を始めた。


「実はクリステラルシエラの母国エメルサントベスの母国が、揃ってお金を送ってきたのよ、あなたの「覚えを良くしておけ」って」

「え!?」

「まさかの”国費”!?」


「2国とも、あなたが”ガブリエラ並”って聞いて舞い上がっちゃってるみたいね。

 でも、私達の覚えを良くするも何もないじゃない? だからといって返金も拒否されたから、パーッと使ってやろうって話。

 実際、モニカの接待にもなってるから文句無いでしょ」

「はあ・・・なるほど・・・」

「この1ヶ月で相当俺達の名前が広まったってわけか」


 いくらそういう戦略とはいえ、こうしてその影響を見ると、とんでもない気がしてしまう。

 それに”ガブリエラ並み”とか尾ひれも付きすぎだ、いったいどこまで行くのか・・・


「それと”校長先生の顔”を立てるためかしらね」

「割引券くれたんだっけ?」


 モニカがそう聞くと、ベスが頷いた。


「実は、この前校長先生と会う機会があって、そこでこのお店の”割引券”をもらったんです」

「私達にお金が送られてきたタイミングでね」


 ルシエラの補足にベスが心配そうに頷く。


「このお店って、校長先生の関係のお店なんですよ」

「へえ、そうなのか」


 俺はそう言うと、建物の外観や内観のデータを興味深げに眺め直した。

 壁際の花瓶まで高そうなここは、校長室とはかなり雰囲気が違うが、こっちが校長の本当の趣味なのだろうか?

 

「この店で私達が食事したって情報をバラ撒きたいんでしょうね。 まあ私もベスもモニカを”接待した”って”実績”ができたわけだし、モニカも”国”が唾つけてる子だって、ストーカーさん達に知らせられるし」

「でも、そんな事して、校長は何の得があるんだ?」

「さあね、ひょっとしたらモニカが北で何をしていたのか、モニカの口から聞きたいのかもしれないわ」

「ここには校長はいないぞ?」


 俺がそう言うと、ルシエラが甘いとばかりに指を立てて振った。


「いるのと一緒よ、このお店は校長の”胃袋”みたいなものなんだから」

「胃袋の中の話がきけるの?」


 ルシエラの例えに、モニカがピントのずれた返答をする。


「モニカ姉さま、このお店の人達、みんな校長先生の”使い魔”なんですよ」

「え!? じゃあさっきの!?」


 俺が驚いてそう聞くと、ベスが緊張気味に頷いた。


「もちろん」

「でも、あの人って・・・」


 どう見ても”普通の人”だ・・・多少前髪の生え際が後退している気がするが、清潔感に気を使える普通の人に見えた。

 それが使い魔なんて・・・


 使い魔契約は、単純な主従契約と違って主側にもかなりの制約を強いる契約形態だが、だからこそリスクも大きく、人に対して行っているというのは初めて見た。


「だから、里帰りで何があったかは話さなくていいの」

「うーん・・・なんで?」

「そんな事して、校長は怒らないか?」


 こんな高そうな店まで用意して、しかも他には漏れないように配慮までしてくれているのに、ただ飲み食いだけして帰っただけでは校長の機嫌を損ねるかもしれない。

 だがルシエラの意見は違うらしい。


「あの人が”本気で”知りたくなったら、誰も隠せないわ。 こんな見え透いたことはしない。

 それに、探れと言うならせめて直接言ってもらわないと、ただの割引券をベスに渡したからそこまで気を配れってのはお門違いよ。

 それに校長先生自身も、信用できるか結構怪しい人だし」


 ルシエラがそう言いながら、なんとも複雑な表情で部屋の天井を見つめた。

 そもそも、もしここで会話している内容が筒抜けだとしたら、この会話も筒抜けなわけで。

 それでも尚そんな事を言うからには、それなりの信頼関係はあるのだろうが。


「気をつけて。 モニカの存在が”おおやけ”になって、その上、校外活動免許まで取ったから、校長先生にとってはどんどん”使いやすく”なってる」

「つかいやすく?」

「校長先生にとって生徒は、学びを与える対象・・・そこの所は疑ってないけれど、でも同時に”人質”でもあり、”駒”でもあるの。

 生徒や卒業生の巨大な力を使って、この街は今の地位を築いてきた。 そして、あの人はその”指揮者”。

 だからあなた達みたいな存在にとって、場合によってはアクリラで最も危険な存在になりうる」


 ルシエラが念を押すようにそう言った。


「でも、わたしをアクリラに入れる時、魔法契約まで出して、”絶対用意する”って言ってた」

「それが、”あの人”よ。

 実際にモニカみたいな子を得るためだったら、あの人にとって命くらい惜しくない。

 それに、魔法契約はアクリラで作られてる物よ」

「あ、」


 ルシエラの指摘にモニカがハッとする。

 ここで1年学んで分かってきたことだが、魔法契約というのは案外脆い・・

 特にそれを”作ってる側”の人間にとっては、抜けることなど造作も無いだろう。


「つまり、あれはモニカを留めておく為の演技だったと?」

「もちろんそれだけじゃないわ。 でも、あの人は善意だけで生徒を選んだりはしない。

 手をかける分だけ、成長すれば見返りを求めるし、利用だってする。

 だからちゃんと”距離”をはからないと」


 ルシエラはそう言うと、自分自身距離を測りかねてるような目で部屋の壁を見つめた。

 まるでそこに校長がいるみたいな表情だ。


「まあ、校長先生についてはここまでにして、

 あなたの周りをうろつく人達は気にしない事よ、キリがないし、たぶんそれが日常になる」

「日常か・・・」

「貴族って大変だね」


 モニカが染み染みとそう漏らす。

 里帰りからこっち、知らぬ間に肩の上に色んなものが乗り始めていた。


「いや、あんた達のは特殊だと思うけど・・・でも、とにかくそういう事。 まあ、マグヌスとアルバレスの息がかかってるあなたに、手を出せる人は少ないでしょうけど」

「いっそ、手を出して来てくれたほうが楽なんだけどなぁ」


 俺がそう言うと、モニカがそうだとばかりに頷いた。

 少なくとも、もうちょっと何か”被害”をあたえに来るような行動を起こしてもらうと、こちらとしてもやりやすい。

 ああして、チラチラと様子を窺われるとどうしようもないのだ。

 

 仕方無しとばかりにモニカが前菜を口に入れる。

 春雨みたいな透明な麺だが、味はパスタに近く食感は粘りが強い。

 成分表も食物繊維がかなり多めに出てるし、なんだこれ。


「その人達から何か言われたりしてないの?」

「向こうからはなにも、会って話したいって声をかけて応じてくれたのも来週からかな」


 謎パスタの味に夢中のモニカに代わって俺がそう答える。

 するとルシエラが意外そうな表情をした。


「あら、会いたいの?」

「ああ、”その件”で説明とか入れたいし、今後の為にも取引相手は欲しいからな」

「ふーん、なるほどね」

「ただ、なかなか難しくて」


 俺がそう説明すると、ルシエラは小さく頷いた。


「じゃあ、しばらくは用事はないんだ」

「うーん、そうでもないぞ。 明日は研究所に行くし、授業の相談とか、校外活動についての相談もあるし、たぶんどっかで校長とスリード先生とも会うし、あと”別件”でもいくつか予定が入るから、意外と忙しい」


 俺が予定表の内容を見ながらそう答える。

 こうしてみると直近の予定は細々としたことでぎっしり詰まってるな。

 それも授業相談から申請関係に、領の商談まで多岐に渡ってる。

 すると突然、ルシエラが血相を変えて声を上げた。


「ええ!? そんなに予定決まってるの!?」

「いや、決まってるのは明日のピカ研だけだが、暇はないって話で・・・」


 俺がそう説明すると、ルシエラが”ビシッ!”っという音が聞こえてきそうな勢いで俺の感覚器を指差す。


「ならロン、明日のせめて午前中には予定入れないで!」


 そしてかなり強い口調でそう言って、俺達の予定表に割り込みをかけてきた。


「明日の午前中? なんで?」

「ベスとあんた達の4人だけで、行っておきたい場所があるの」

「どこ? 来月じゃダメか?」

「来月だと流石に駄目なところだわ、まあ、近くだから安心して」

「・・・近く? ベス知ってる?」


 俺達の会話を聞いていたモニカが、謎パスタを飲み込んでからベスに問う。

 だがベスも首を傾げるだけ。


「さあ・・・私も今はじめて聞きましたし・・・」

「それは着いてのお楽しみ!」


 どうやらルシエラは秘密にしておきたいらしい。

 だが、すぐにベスが何かに思い至ったように表情を変えた。


「あ! もしかして”あそこ”ですか?」

「ベス! 言わないでね」

「「え!?」」


 ルシエラの”釘”に俺達が揃って声を出す。


「ふふふーん、あなた達は着いてからのお楽しみよ!」

「「そんなぁ!」」

「そんなことより、食べましょう! せっかくの”ベル・クラト”なんだから!」


 するとちょうどその時、まるで話の切れ間を待っていたかのように、部屋の扉が開かれ熱々の料理が運ばれてきた。

 その内容の、また豪勢なこと・・・


「これ・・・いくらするの?」


 俺が思わず、またそう聞いてしまった。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




翌朝



 まだ街が寝静まった夜明け前。


 朝からどこかへ行くとは聞いていたが、まだ周りが真っ暗な時間に叩き起こされるとは思いもよらなかった。


「さあ、いくわよ!」


 いつもなら夜明け前など最悪のコンディションの筈のルシエラが、驚くほどのハイテンションで木苺の館の扉を開けながら叫ぶ。

 こんな時間に近所迷惑だと思うが、モニカの寝ぼけテンションに引っ張られて、俺も指摘するどころではない。


「うー・・・・」


 次いでベスを背負いながら出てきたモニカが唸る。

 寝ぼけながら準備したのでポニテの位置が横にずれ、服のボタンは掛け違い、靴は左右別のを履いていた。

 俺は俺で、荒れ狂うバイタルに掛かりっきりでメガネインターフェイスユニットが半分だけしか展開できてないのも放ったらかしだ。

 背中のベスもなんとか着替えまではこぎつけたが、そこでダウンして夢の世界にお帰りで、頭の上のサティも起こさない様に気を使ってる。

 一瞬、ロメオを連れて行こうか迷ったが、厩で気持ちよく寝ている姿にその気力が削がれた。


「ルシエラ・・・こんな朝早くから、どこへ行くの?」


 ベスの体をフロウで固定しながら、モニカがルシエラに聞く。


「それは着いてからの、お楽しみ」


 だがルシエラは楽しそうにはぐらかすばかり。

 その元気っぷりと来たら・・・

 半ば呆れた俺達は、ルシエラを一旦無視して、いつもの様に坂を下り始めた。


「ちょっとまってモニカ、そっちじゃない」


 だがすぐにルシエラが止め、モニカが階段を一段降りたところで足を止める。

 その反動で背中のベスがぐらりと動き、彼女の非戦闘系生徒特有の柔らかい感触が背中にのしかかる。

 モニカが振り向きながら見上げると、ルシエラが面白そうな顔で逆方向を指差している姿が目に入ってきた。


「上?」

「そう”上”」

「上に行ってどうするの?」


 東山の斜面に沿って作られている知恵の坂の構造上、上に行っても行ける所は非常に限られている。

 というか・・・


「山の頂上?」

「そう」


 モニカの答えにルシエラが正解とばかりに答えた。


「この時期に行っておきたかったの、ほら、はやく!」


 ルシエラはそう言って手招きすると、軽快に坂道を駆け上がり始める。


『・・・まったく、元気な姉さんだな』

『・・・・』


 俺の皮肉に答える元気もまだないモニカは無言で坂道を登り始めた。


 朝の冷たい空気の中、俺達は坂を登っていく。

 初めてではないが、いつもと逆方向に進んでいるのは不思議と違和感がある。

 だがよく見れば、知恵の坂の他の坂道にもポツポツと俺達と同様に”部屋の姉妹”の3人で坂を登る人影が見えた。

 なにかこの時期特有のものがあったっけ・・・・あ、そっか。

 俺は仮想資料を眺めてその記述を見つけると、ルシエラがどこに向かうのかおおよそ見当がついた。





 知恵の坂の山側の出口から出ると、斜面に垂直に走る道に出る。

 他の”坂”とつながる道だが、その構造上、切り立った崖の先に見えるパノラマはかなりの迫力があり、そこから見える空は既に白み、反対側の山の頂上が朝日で赤く輝いていた。

 ベスも本調子ではないがモニカの背中から降りて、右手で眠い目をこすりながら反対の手でルシエラのスカートの裾を握っていた。

 モニカが山の頂上を見上げる。

 普段麓から見上げると山の上の方までびっしりと寮が続いているイメージだが、実際は4合目のあたりまでしかなく、まだまだ山頂は遠い。

 まあ、東山自体大した山じゃないので登山気分とかもないが、ここまで来ると流石にルシエラがどこを目指しているのかくらいは見えてくる。


『あの明るいとこ?』

『そう、あれが”東山の桜”なんだってさ』


 東山の頂上には春の短い期間だけ様々な色の花を咲かせる桜の木が生えている。

 だが、そこら中に摩訶不思議なスポットが溢れるアクリラにおいて、東山の桜は地味な名所だが、それでもこの山に住む生徒にとっては身近な名所であり、実際こうしてみるとなんとも親近感を含んだ良さを感じる。

 まあ、行ったこと無いんだけど!



 それから、ベスの足に合わせて10分ほど山道を登った頃、意外とあっけなく頂上に到達し、山の向こうに広がる景色とそこに浮かぶ色とりどりの空間が見えてきた。


「・・・ほぉ・・・」


 モニカが感嘆する

 周囲の谷がまだ照らされず、頂上のカラフルな木の色だけが日を受けて輝いていたのだ。

 見れば周りで同じようにその景色に見入っている者の姿が何人も。

 その数は、ここから見えるだけで100人を超えていた。


『うひゃぁ・・・』

「みんなこれを見に来たの?」


 他の寮の生徒も多いので、当然ながら男子生徒もいる。


「ここで、部屋の子といっしょにこれを見るのが春の楽しみなのよ」


 ルシエラはそう言うと、山の向こう側まで俺達を引き連れて、まだ人の集まってない桜の木の下に寝転がった。

 そして左手で横の地面をポンポンと叩く。


「はい、2人とも横に寝てね!」


 それを聞いた俺達は横のベスと顔を見合わせると、とりあえず次元収納から大きめの布のロールを取り出し敷物のように地面に敷いて、その上に一緒に寝転んだ。

 俺達やルシエラみたいな”野蛮人”はともかく、ベスを直に地面に寝かせるのはちょっと嫌だったからだが、隙間を開けて寝転んだのでそこにルシエラがゴロゴロと転がりながら入ってきた。

 ちょうど最年少のベスを挟んで川の字に並んでる。


「あー、スッキリした、去年はできなかったからねー」


 ルシエラが両手を上に勢いよく伸ばしながらそう言った。

 なんだ、これがやりたかったのか。

 そういやミシェル姉さんの話にも出てきたな。

 去年はちょうどルシエラの”里帰り”に重なってて、しかもルイーザ姉さんも卒業したのでベスが一人だった頃。

 そういや俺が目覚めてもうすぐ1年か。


「さあ、今年の研究も頑張るぞ!」


 ルシエラがそう言いながら腕を横に倒しベスの右手を握る。

 するとベスも自然な感じに反対側の手で俺達の右手を握り、3人で手を繋ぐといつも以上に2人の距離が近く感じて、それだけで心の中の不安が小さくなっていくのが感じられた。


「ベスは何か今年の目標ある?」


 徐にルシエラが聞く。


「私はとにかく授業です。 ・・・優秀な方じゃないので、一生懸命ついていかないと」

「そっか、頑張れ! モニカは?」

「えーっと・・・もっと大きくなりたい!」


 モニカは色々ありすぎて、結局一番切実な願いを選んだようだ。


『特に胸とか・・・』

『それは”目標”なのか?』


「うーん、頑張れ! ロンは?」

「え!? おれ? えーっと、あー」


 目標・・・目標なぁ・・・

 いざ、言えと言われるとなんとも選び難い物があるが・・・


「出来ることを増やしたい!」


 と、俺もとりあえずの願いを言ってみることにした。


「よし、頑張れ!」


 ルシエラも半ばやけくそ気味に檄を飛ばす。

 どうも今日の彼女はいつもよりも”お姉さん”ぶりたい衝動が強いようだ。


 すると山の上を風が吹き、桜の花びらが一気に舞い散ると、それが朝日をキラキラと反射しながらまだ暗い空の中を様々に色を変えながら舞い踊った。

 まるで光の川が現れたかのようだ。


『うわ!? 綺麗!?』


 その光景に思わず声を上げてしまう。

 すると興味を持ったモニカが反射的にその花びらを1つ掴み取った。


「色が変わるね」


 モニカが角度を色々変えて見ると、その色合いが赤やら青にどんどん変わっていく。

 どうやら表面の細かな形状が色が変わる仕掛けのようだが・・・

 ・・・というかこれ、どう見ても桜の花びらじゃないね。

 プロペラ型というか、曲がった平行四辺形というか、かなり独特の形状をしていた。

 やっぱ、桜じゃないのか・・・と思いながら、俺は翻訳の修正に入ったのだ。


 

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