2-14【ヴァロアの”血” 13:~穏やかな、雪の午前~】


 ジュラッグの街の冒険者協会にて・・・



 夜型のこの街で、朝の冒険者協会の門を開ける者は少ない。

 それは受付の女が窓口で暇そうに欠伸をしても問題ないくらいだ。

 今日も今日とて、窓口に座る女はいつもの日課とばかりに大きな欠伸をしていた。

 しかも今朝は昨日の”バカ騒ぎ”の反動でやたらと静かである。

 聞こえる音といえば、そよ風が協会の屋根の旗を揺らす僅かな”カタカタ”という音くらい。

 こんなに静かなら、毎日馬鹿騒ぎしてくれればいいのにと受付の女は内心で思っていた。


 だがその平穏はすぐに破られることになる。


 ガチャンという大きな音がして、協会の扉が開けられたかと思うと、真っ黒なローブに全身を包んだ男が入ってきたのだ。

 それを見た受付の女は僅かに体を緊張させる。 

 男は見ない顔をしていた。

 街の殆どの者が利用する冒険者協会の受付が顔を知らない場合、それは大抵”よそ者”で、特にこの街の場合、結構な確率で”ならず者”だからだ。

 しかもこの男の格好は随分と”古臭い”。

 ”世捨て人”の可能性も追加である。


 だが男は特に怪しい動きは見せず、窓口まで真っすぐ歩いてくると、丁寧な口調で話しかけてきた。


「お金を少し下ろしたい。 500セリスくらい」

「わかりました。 登録証を出してください」


 受付の女の言葉に、その男が懐から小さなカード状の物を取り出して渡す。

 それを受け取った受付の女は、その登録証の内容をしげしげと確認した。


「”ザハトバ”さん・・・変な名前ですね」

「古い名前です。 両親が昔話が好きで・・・」


 ザハトバという男がそう言うと、受付の女は形式的に小さく頷き書類を確認しながら呟いた。 


「今日は静かでいいです。 昨日は朝からドラン伯爵が大盤振る舞いしたせいで騒がしかった」

「何かあったんですか? ここには今朝着いたばかりで」


 ザハトバがそう言うと、受付の女は噂好きそうな笑みを浮かべる。


「ヴァロア伯爵の孫が来たんですよ」

「ヴァロア・・・」


 ザハトバは”ヴァロア”という単語に一瞬不快げに顔を歪めたが、すぐに表情を戻した。

 それよりも気になる言葉があったようだ。


「・・・”孫”?」

「ええ、”モニカ”という名前の女の子だそうで」

「モニカ? ヴァロア侯爵・・に子孫が居たんですか?」


 ザハトバが若干食い気味に窓口に体を寄せる。


「ええ、最近見つかったそうですよ。 よっぽど強いみたいで、昨日の晩餐会に参加した人が、みんな自慢されたと言ってました。

 なんでもアクリラの大会で”勇者”を倒したとか」


 受付の女は言外に”眉唾ですけどね”と言いながら男の書類の処理を続け、すぐに銀貨を50枚数えて台の上に並べる。

 するとザハトバが掠れるような僅かな声で呟いた。


「”勇者”を・・・ならばあるいは・・・」

「”あるいは”? なんです?」


 ザハトバの呟きに受付の女が顔を上げる。


 だがそこで受付の女は固まった。


「・・・・・・ザハトバさん?」


 そこにあったのは、シーンとした協会の室内。

 つい今ままでそこに居たはずの男の姿はどこにもない。

 ハッとして視線を下に向ければ、並べた筈の500セリスと登録証が綺麗サッパリなくなっているではないか。


 受付の女が気味悪気に目を動かすと、遠くの方からようやく動き出した街の喧騒が聞こえてきた。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 モニカとロンがジュラッグの街から戻ってきた翌日、フェルズの街は大雪になっていた。

 数十m先の景色が見えないような大量の雪に、裂け目の中の街では大人達や年長の子供達が忙しく雪掻きして周り、その手伝いを逃れた年少の子供達が遊ぶ声が聞こえてくる。

 そんな中を、フェルズ城の雑用見習いのシャンテは必死に震えながら城の雪掻きをしていた。


 北国では雪が降れば寒さはマシになるというのは常識だが、根本的に寒いことには変わりない。

 だからシャンテは時折手を止めては、その手をこすり合わせて僅かばかりの暖を取っていたのだ。


「ううう・・・」


 震えでカチカチと歯が音をたてる。

 早い事この廊下の雪を掻き出して、城の中に逃げ込みたい。

 シャンテが今いる場所は、中庭横の外通路。

 屋根はあるが、壁がないので廊下の中まで雪が積もってしまうのが欠点の憎たらしい廊下だ。


 そこを掻きながらシャンテは時折、中庭をチラチラと見ていた。

 未明からの大雪で、今は雪の厚さがすっかりシャンテの身長を超えている。

 別にそこは雪かき対象ではないが、北国の子供にとって平地に積もった雪というのはちょっとした恐怖の対象である。


 こういう雪が多くて寒い日は、北から”セーブルタン”という怪物がやってきて悪い子供を食べると老人に脅されるのだ。

 たしか、ホーロン語では”サイカリウス”というんだっけ。

 山のように体が大きくて、同じくらい尻尾が大きい怪物で、厚い雪に潜んで獲物を待つことがあるらしい。


 もちろん、こんなところにセーブルタンはいないだろうが、シャンテはそれでも怖かった。

 シャンテには後ろめたい事があったのだ。


 実は、彼は夜な夜な城の風呂を覗いてはアルトの裸を盗み見ている。

 城で働き始めて数日後、何故か誰も使ってない”覗き専用部屋”をイタズラの途中で偶然見つけてしまって以来、彼は同年代の”女体の神秘”に取り憑かれていた。

 幼子のそれとは異なる、仄かな”芽吹き”に。


 しかもここ数日は、覗く対象が”もう1人”いる。

 自分が雇われた理由、未来のお館様、つまりはお館様の孫の”モニカ様”だ。


 一目見たときからシャンテは、彼女が全く違う世界の住人だという事に気づいていた。

 言葉も違うし、着ているものもこんな田舎とは違って洗練されている。

 しかも多くの場合、驚くほど薄着なのだ。

 あんなに薄くて、モニカ様は全く寒くはないのだろうか?

 アルトもカローラも体型が分からぬほど厚着だというのに、モニカ様ときたら彼女の僅かな起伏すら分かる服を着ている。


 そして何より、圧倒的に”存在感”があった。

 シャンテは、年寄り達からかつてのヴァロア家の者達がいかに凄かったか散々聞かされてきたが、これまでそれを信じた事はない。

 どう考えても絵空事だし、お館様はそこまで強くはないからだ。

 だがモニカ様の存在感は、昔話に聞いた”ヴァロア達”に全く引けを取らなかった。

 いや、それ以上かもしれない。

 なんてったって、モニカ様はセーブルタンを狩って食べた事があるらしい。

 もちろん最初にそれを聞いたとき、シャンテは何かの間違いだと思った。

 だが今は・・・”モニカの体”を見てしまった今は、信じている。


 シャンテの”覗き”は、最初の2日は失敗した。

 いつもならハッキリ見えるはずの覗き穴が、何故かどれも真っ黒で見えなかったのだ。

 ところが昨晩、ドラン伯爵の屋敷から戻ってきてすぐの頃、初めてモニカ様を覗くことに成功する。

 何やら精神的に疲れる事でもあったのか、わずかにくたびれた印象だったが、そこに映る”白い肌”が今でもシャンテの脳裏に焼き付いて離れない。


 憂いに満ちた目、柔らかそうな唇、絹細工の様な首筋に、無駄のない肉付き・・・


 比較的丸くて柔らかいアルテと違い、モニカ様は胸も薄くて全体的に痩せている。

 だが”細く”はない、むしろ鋼の様に皮膚を持ち上げて存在を主張する筋肉のせいで少し太く見えるくらいだ。

 ただ、お館様の大きいだけの筋肉と違い、遥かに美しくて力強い。

 特にお腹から足にかけてが凄かった。

 アルトの時に目が行く”胸”や”股間”よりも、まずそれ等が神々しくて。

 これ程の体の持ち主ならば、セーブルタンにだって負けはしないと本能的に思ったものである。


 そして、それから目が吸い込まれるように足と足の付け根に・・・


「うわっ!? ごめんなさいごめんなさい、聖王様! ギリアン様! もう2度としませんから!」


 シャンテが虚空に向かって必死に謝罪する。

 昨日見たモニカの姿は、まだまだ幼い彼の目には毒であり、同時に凄まじい罪悪感を想起させたのだ。


 そしてその時だった。


 突如として横の中庭の雪が大きく盛り上がり、山のように見上げる高さまでそそり立ったではないか。


「え?」


 シャンテはそれを見ながら雪かき用のシャベルを放り落とす。

 するとその直後、雪の壁が一気に爆発しその破片がシャンテの顔面にぶち当たり、何が起こったのかとシャンテが面食らっていると、吹き飛ばされた雪の中から下着姿の少女が立ち上がった。

 

「モニカ・・・様?」


 その姿は間違いなく彼の”未来のお館様”だ。

 だが、ほとんど布切れ一枚といっていい姿のせいで昨日見た裸体とも重なるその姿は、昨日とはまた異なった凄まじい”威圧感”に満ちていた。


「ヴヴヴヴゥゥ・・・グルルルルゥゥゥ・・・」


 モニカが猛獣のように唸る。

 さらに全身から真っ黒な魔力が彼女の体の何十倍にも噴き出して立ち昇り、それがまるで意思を持ったように有機的に渦巻いていた。

 濃い魔力が薄く見えることは知っているシャンテも、これほどまでに濃くてハッキリとした魔力は見たことがない。

 まるで、魔力それ自体が強力な魔獣のように乱暴に周囲の雪を吹き飛ばし、恐怖を感じる程の速さで中庭を駆け回る。


「こんなの・・・セーブルタンどころじゃない・・・」


 シャンテの”未来のお館様”は、本当の本当に次元の違う世界の住人だったのだ。


 そのままモニカの周りを渦巻く魔力は音を立てて動く速度を上げ、その振動がシャンテの体をビリビリと揺さぶる。

 あんな魔力にぶつかれば、シャンテなど塵一つなく残さず消し飛んでしまうだろう。

 それでもシャンテは、その”超常的な光景”に魅入られたように視線が釘付けになっていた。


 魔力の動きはどんどん加速し、モニカの近くの地面が熱で赤熱し始め、最後にはあまりに動きが速すぎて真っ黒な”筒”の様に見えたほど。


「ウガアアアアアア!!!!」


 筒の中でモニカが叫ぶ。

 と、同時に魔力が一気に上空に向かって飛び上がった。


 シャンテのいる廊下が魔力の光で真っ黒に染まり、巻き上がった気流で中庭に吸い込まれそうになる。

 そして彼女の黒い魔力は、そのまま天に登り低空に立ち込める雪雲を吹き飛ばしていったのだ。


「うわああ・・・ああああ!!!」


 それを見たシャンテがついに恐怖で立ち上がると、大声で叫びながらその場を走り去った。






「ふう・・・スッキリしたああ!!」


 わずかにゴロゴロという音を残して消え去った雪雲を見ながら、モニカがありったけのものを絞り出したかような爽快感に声を出した。

 そのまま、ゆっくりと腕を突き上げて背筋を伸ばす。

 するとほぐれた関節がポキポキと音を立てた。


 その背中に、吹き飛ばされた雲の間から差し込む光が当たる。

 見れば、あれ程降っていた雪はもう残ってはいない。

 ”雲払い”はとりあえず成功といったところだろう。


『案外、魔力炉なしでもどうにかなるもんだね』

『そりゃ、あれだけ練り込めばな』


 ガブリエラに教えてもらった、”魔力圧縮”

 それを今できる極限まで溜め込んで一気に開放したのだ。

 近所の雲を吹き飛ばすくらいワケはない。

 まだまだガブリエラの見せたあの”至高”には届かないが、威力だけは順調に伸びている。

 おかげで、あの鬱陶しい雪は消え失せて、今はきれいな青空までもが顔を見せ始めていた。


「・・・うん!」


 それ見たモニカが満足気味に頷くと、パンパンと体についた土埃を払って歩き始めた。

 魔力で赤熱した地面が足の裏の水分を焼いて”ジュウ”という音をたてる。


「お?」


 するとその音にモニカが反応し、反対の足を近くに置く。

 またも”ジュウ”という音がなり、面白がったモニカは何度も足踏みしては、そのうち地面に飛び込んで転がり全身の汗が蒸発する音を立てて遊び始めた。


「ははは」


 無邪気に”ステーキごっこ”に興じるモニカは気楽なものだが、こっちは強化が大変なので程々にしてほしい。

 というか、


『楽しんでるのはいいが、シャンテに見られてたぞ』


 俺がそう言うと、モニカが転がるの止めて上体を起こす。


『え? 本当? でも防音結界張ってたよね?』

『そこの廊下の雪掻きに来たらしい。 魔力練ってる・・・・時だったんで気づかなかったんだろう』

『それは悪いことしちゃったな・・・』


 そう言いながら、モニカは若干バツの悪そうな顔でシャンテの消えたであろう廊下の先を見つめた。


『まあ、あいつはどうも”覗きグセ”があるみたいだからな、全部止めるのは無理だろう』

『・・・”覗きグセ”?』

『いや、なんでもない』

「うぅぅ・・」


 俺の答えにモニカは小さく唸り、やがてため息を付いて立ち上がった。


 するとその時、わずかに漂う”焦げ臭い匂い”にモニカが鼻を鳴らした。


「スンッ・・・うん? うーーん? あ! あああ!!!」


 臭いの元をたどって自分の尻に行き着いたモニカが、そこにあった光景に悲鳴をあげる。

 なんと今履いている、モニカの”お気に入りのパンツ”が地面の熱で真っ黒に焦げていたのだ。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 ドラン伯爵の晩餐会から戻ってきた翌日、俺達はアルトを伴ってフェルズの街へと繰り出していた。

 カローラ曰く、今日から最終日までは”自由時間”という事で街を見て回る事になったのだ。

 ならば丁度いいということで、これから見物ついでにちょっと離れた所で持ってきた魔道具のテストでもやろうかと考えていた。


 すっかり晴れ上がって視界の良くなった街の中では皆、積もる雪を前にして頭を抱え、突然消えた雪雲に不思議そうに頭を捻っていた。

 それを見る限り、即席の防音魔法は上手くいったと言っていいだろう。

 あの音量を消せるなら、”魔力ロケット”の静音化にだって繋がる。

 音さえ消せば、後は大量の雪が魔力の光を隠してくれていたので俺達のやったことに気づく者はいない。 

 中には、晴れる直前に黒い光を見たという者も数人いたが、皆何かの見間違いと思っているようだ。


 もっとも、城を出る直前にヘクター隊長に「何やってんだ・・・」と突っ込まれたので、少なくとも”エリート”クラスには隠せなかったようだけど。



 街を歩いていると、すれ違う度に声をかけられ挨拶をされた。

 その度にアルトがその人の紹介を引き継いでくれる。

 俺の翻訳を待つよりも、彼女に通訳してもらった方が自然なのだ。


 住民達の姿は、ジュラッグの街で見た者達とは大違いに穏やかで、ずっと”健全”に見えた。

 それになんというか居心地がいいというか、落ち着くと言うか。

 ”ああ、ここが新たな居場所なんだな”という感覚が、俺からもモニカからも湧き上がっていたのだ。


 だが、そんな中にあって俺達の心は完全には晴れ切らず、モニカの表情もどこか暗い染みのようなものが残っている。

 モニカの視線がゆっくりと街を走り抜ける子供の姿を追う。

 年齢的には2つくらい、体格的にはほぼ同じくらいの子供が何人も集まって追いかけっこをしていた。

 相変わらず、やたら子供の多い街だ。

 俺達も、あの中に無邪気に飛び込めたら楽なんだけどな。

 

 俺達の頭の中では、昨日アボット男爵に言われた言葉が木霊していた。 


” アイギスを再興していただきたいのです ”


 結局、モニカはその話を断った。

 自分にそのような気はないと、そのような資格も権利も無いし、そのような事をして事を荒立てる気もないとハッキリ言ったのだ。

 だが、アボット男爵のあの凄まじい顔が、今でも脳裏にこびりついて離れない。


 モニカも”アイギスとの因縁”は知っている。

 だがそれを知ってから、俺にすらその話に触れる事は殆どなかった。

 それくらいモニカにとってはデリケートな話題だし、忘れたいとまでは行かなくとも意識したくない話題である。

 俺としても、そんなよく知らぬ連中と関わるのはゴメンだし、考えたくもない。

 できるなら、誰でもない単なる”モニカ”として、適当に生きて死ぬのが1番だ。


 だが、”貴族”というのはそう上手くはいかないらしい。

 ”ヴァロア”の名前を貰ってもう既に胃の痛い事の連続だ。

 じいちゃん曰く ”忘れろ、こんな事は貴族をやっていれば日常茶飯事だ” との事だが、当のじいちゃんが部屋に籠もって朝食にも出てこなかったくらいである。

 これを一生続けていかないといけないとか、ちょっと気が滅入る。


 そしてそんな事を考えていたからか。


 ”ピロリン♪”


 俺の視界に”メール着信”の表示が出たではないか。


 俺はどこか面倒くさい気持ちを持ちながら、そのたった1人のメル友からのメールを開ける。


” 前文。

 

 木苺の実の色眩し彼方なる山峰、蔦の見上げる視線、知る由もなく。

 宿木を変えれぬ身なれば、届かぬことも通りなり。

 その実に絡まる夢見ては、霞む景色を夢と紛う。

 ただ、見上げる木苺のなんと赤きこと。 ”


 うん、なるほど。


 近頃のウルのメールはだいたい最近嵌ってるらしい”詩”で始まるので、このへんは適当に読み飛ばす。

 ガブリエラの周りは、リヴィアさんを筆頭に”大都会の超セレブ”ばっかりだからな。

 趣味も”やんごとないもの”になるのだろう。

 田舎の貧乏貴族とは住む世界が違う。

 理解できないのでいつもの様に、適当に”いい詩だね”とでも返しておけばいいだろう。

 重要なのはその次だ。


” 以下はガブリエラからの伝言です


 アイギス再興を打診された件、話してくれてありがとう。

 安易に受けなかったことも。

 気にするなと言っても無駄だと思うが、気にするな。

 これはアイギスに関わる実力者の宿命のようなものだ。

 私も北部に行けばよく言われるし、姉様方もよく言われる。

 奴らの言葉は幼い身には大きく聞こえるかもしれないが、ホーロン時代に良い目を見ていただけの者が、未だに現在を直視できぬだけのこと。 

 そのうち、これが奴らの挨拶なんだと思うようになる。

 だがそれまでの間、心がざわめくというのなら私に言ってくれ。

 話し相手にはなれる。 ”


 俺はその文面をメガネインターフェイスユニットに表示させてモニカに伝える。

 するとモニカは無言で頷いて応えた。

 見た目には変化はない。

 それでも流れてくる感情はさっきまでと比べてかなり穏やかになっていた。


 言われた内容はじいちゃんと変わらないが、やはり”誰に言われたか”ってのは大きな要素らしい。



 それから俺達はしばらく歩き、街の広場のような場所に出たときのことだった。

 そこでは数人の子供達が集まって雪合戦に興じている。

 そして、その子供たちが俺達を見るけるなり、笑顔で駆け寄ってきたのだ。


「モニカサマ! モニカサマ!」


 辿々しいホーロン語で子供たちが俺達を呼ぶ。

 と、同時に持ってきた雪玉を投げてきたではないか。

 瞬間的にそれをモニカが横に避け、後ろを歩いていたアルトの顔面に命中する。


「へぎゃ!?」

「「アハハハハ!!」」


 アルトが素っ頓狂な悲鳴を上げ、それを見た子供たちがケラケラと笑った。


「モニカサマ!」


 そしてさらに、避けた俺達に追撃の嵐が降ってくる。


「うわ!? ちょっと」

「ワー!、プレジェッタモニカ様、モニカサマ!を狙え


 子供たちが口々に俺達の名を呼びながら雪玉を投げてくる。


「もー! やったな!」

プラー、コントラーカ反撃してきたぞ!? シェーケレ気をつけろ!」


 結果として、こちらが反撃を開始するまでにそれほど時間はかからなかった。

 大量に飛んでくる雪玉を掻い潜りながらモニカの投げる強烈な雪玉が飛んでいく。

 強化こそしてないが、天性の運動神経のなせる技か、モニカの雪玉は正確に敵兵・・達を撃ち抜いていた。


「ははは、アルト! 援護お願い!」

「え!? 無理ですよ! わたし運動神経鈍いん・・・ブヘッ!?」

ジニテクこっちのヴェリシクア女はデブラとろいぞメディアナッツェねらえ!」


 俺は、モニカがうっかり身体強化を掛けてしまわないかに注意しながら、その様子を生暖かい目で眺めていた。

 すると、それを見た通りすがりのもっと小さな子供たちが元気に応援し、12~15くらいの少年少女がやれやれと首を振っている。

 本当にこの街はよく子供を見かける。


 それがなんというか・・・平和な光景に思えた。






 ・・・・まだ、この時は。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




「モニカ様、もうここから先には特になにもないですが、どこへ向かわれるのですか?」

 

 街外れまで来た頃、アルトが不思議そうな顔でモニカにそう聞いた。

 もう既に建物は見かけなくなり、道のかなり先まで見通せるというのにモニカに引き返す気配がない。

 進行方向にあるめぼしい物といえば、せいぜいがフェルズの裂け目の門くらいなもの。


「もしかして、城門が見たいのですか?」


 そう思ったアルトがそれを指摘した。

 だがモニカは首を振る。


「ううん、そうじゃないよ。 でもちょっと街の外まで行きたくて」

「街の外ですか? 獣とかも居るので、危ないですよ?」

「うん、だからアルトはここまででいいよ」

「え?」


 モニカがそう答えると、アルトはポカンと口を開けて面食らった。

 するとその瞬間、モニカの背中からガシャンという小気味のいい音がして大きな翼が横に開いたではないか。

 そして、それを見たアルトが驚きで雪の上に尻餅をつく。

 

「アルト、夕方までには帰るから、あとよろしくね」

「え? え?」


 そのままモニカの翼の中ほどについた円筒形の物体から突然、大きな音と共に炎が噴き出し、その風で彼女の体がすっと持ち上がったではないか。


「モニカ様!?」


 アルトの声は突然発生した轟音で聞こえない。

 だが内容は伝わったようで、モニカが口の動きだけで”じゃあね”と伝えると、翼を含めた全身で勢いをつけてジャンプした。

 そしてそのまま翼が大きく羽ばたかれると、あっという間に空高く舞い上がっていったのだ。



 アルトはモニカの突然の出立に、口を開けたまま少しの間その場に座り込んでいた。


「凄い・・・空飛んでる・・・」


 モニカの姿は、もう点のように小さく見える。

 飛竜よりも全然速い。

 これ程速く動く存在をアルトは始めて見た。


 その時、アルトの頭の中に自分に伝えられていた”注意事項”を思い出し、そのことにハッとする。


「・・・・えっと、今日って”外に出していい日”でしたっけ!?」


 アルトは慌てて懐から紙束を取り出して、その中から特定の一枚を探した。

 するとその中の一枚、格子状に線が引かれその中に数字だけが書かれた謎のメモで手が止まり、その上をなぞる。


「あ・・・」


 メモの今日の日付の部分には、しっかりと”×”が記入されていたのだ。



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