2-14【ヴァロアの”血” 12:~思わぬ提案~】
そこからドラン伯爵の煽りの下、再び場の熱量が戻るまでは実に数十分もかかってしまった。
だが酒の力というのは偉大なもので、今ではすっかり何事もなかったかのように楽しげである。
今も誰かが投げたジョッキが、酒をぶち撒け虹を描きながら宙を飛んでいった。
もっとも、俺達の周りは先程と打って変わって平和なのだが。
ドラン伯爵の晩餐で集まっていた面々に、見事に”私、おかしいこと言っちゃいました?”をかましたモニカは、案の定警戒されたのか距離を置かれてしまっていた。
特に誰かが近づくと、うっかり街を吹き飛ばす約束でもされたらかなわないとばかりに、ドラン伯爵がチラチラと見てくるので、大人達は迂闊に近づけないときている。
結果として俺達はじいちゃんの紹介の元、旧ホーロン系の貴族達の中を巡り、大抵の時間はそこの子息達と過ごす事になったのだ。
”派閥巡り”というやつだろうか?
「モニカさんはどう思われますか?」
「クロイトさんのおっしゃる事には賛成いたしますが、それを実行するのは止めておいた方がよろしいかと」
「はあ・・・ですわよね。 やっぱり無理なのかしら」
「元気だしてくださいクロイトさん。 自分を忘れなければ、いつか必ずチャンスが来ますわ」
「ありがとうございます、モニカさん」
おほほほほ〜
などというような擬音が発生しそうな空気の中、俺達はどこぞの貴族の少女(男)の相談に乗っていた。
この子、どうも自分の性別に悩んでるみたい。
痛いほどわかるよ、その気持ち。
だが、もちろんモニカがこんな受け答えができる訳もなく。
彼女の意識は早々に『妄想版:コルディアーノ3:サイクの逆襲』の中に引っ込み、ひたすら俺が必死に考える”当たり障りの無さそうな答え”を無心で読み上げていた。
普通そんな事をすれば棒読みになる所だが、そこは俺の腕の見せ所。
表情と声色を巧みに調整し、あたかも感情が乗っているように見せていた。
例の如く”現場”が要素ごとに即効でスキル化してるので、後で纏めて【受け答え】とでもしておこうか、いや”換装型スキル”の練習に”ガワ”だけ作るのも悪くない。
「モニカ、こっちへ来なさい」
テーブルを2区画程挟んだ向こうから、じいちゃんが声をかけてきた。
「はい、今行きます。 それでは」
「ええ、またの機会に」
モニカが、その
『よかった、ちょっと面倒くさかった』
『殆ど、ボーッとしてただけのクセに』
ロメオを風よけに人混みを進む中で、俺達はそんな事を言い合っていた。
呼ばれたのはヴァロア家とよく取引しているというアルバレス中部の豪商だった。
じいちゃんは旧ホーロン系にしては珍しく特定の集まりではなく、様々な所に顔を出している。
アルバレスの貴族や商人とも仲良くやってるみたいだし、かなり遠方とも取引しているらしい。
ただ、どういうわけか今日は具体的な取引の話はしたくないようで、ここまで一度もそんな話にはなっていなかった。
あんな何もないド田舎で、何を主な産業にしているのか気になっていたのだが、それは謎のままで終わりそうな空気である。
その代りじいちゃんは、俺達の存在をかなり大きくアピールしていた。
そしてそれは順調だった、なにせ”先程の1件”で俺達は少し目立っていたからな。
どこに行っても、モニカが挨拶するとかなり興味深そうな目でジロジロと見られたものである。
一方、そんなじいちゃんを、旧ホーロン系の者達はあまり快くは思っていないらしい。
アルバレスの商人と気さくに世間話をするじいちゃんを、まるで裏切り者か何かのように白い目で見ていたのだ。
そしてその中には、ここに来るまでの廊下で出会ったアボット男爵も含まれる。
『ふーむ・・・なにやら”複雑な匂い”がするな』
『本当? なにかこぼしたかな?』
そう答えながら、せっかくの服にソースでも付いてやしないかと下を見るモニカを置いて、俺はこの会場で交わされるやり取りのデータの収集を強化した。
どうも、じいちゃんの立場が分からん。
見た感じ結構幅広く取引しているし、ドラン伯爵とも上手くやっているが、かといって好かれている訳でもなさそうだし・・・
だがすぐに何か見つかる訳でもなく、それからまた暫くの間、俺はモニカの”サポート”とデータ取りの監視を続けてるしかなかった。
ただ、夜がふけるに連れ貴族の子供たちが順々に会場を後にし始め、代わりに随分と”いかがわしい”空気が場に漂い始めてくると、段々とそういう訳にも行かなくなってくる。
あられもない格好の娼婦や男娼が入ってきたかと思うと、子供の目などお構いなしに会場の隅などで
「ギャハッハハッハ!! ほれ、見ろよあれ!!」
その光景を、一際下品な声で笑いながらドラン伯爵が指差す。
すると、そこら中から凄まじい歓声が上がり、続けとばかりに品の悪そうなものから”娼”達に群がっていった。
何を隠そう、その中心がドラン伯爵である。
うわぁ・・・晩餐会自体は多少文化的かと思ったが、これじゃ”外”と変わらねえじゃねえか・・・
その光景に俺達は呆気にとられ、後ろではアルトの顔がどんどん赤くなっていく。
すると、そんな俺達の肩を後ろから近寄って来たカミルが叩いた。
「ヴァロア伯爵が、お前達をここから出すようにと。
紹介に時間を使いすぎて、遅くなったらしい」
そう言いながら、肩越しに親指でカミルの後ろの扉を指す。
よく見れば、旧ホーロン系の者たちの姿も半分以上ない。
皆、この”乱痴気”を察知してか、今日の晩餐はここまでと切り上げたのだ。
ならば俺達もさっさとこんな”教育上よろしくない所”から御暇するとしよう。
そんな感じで、カミルに続こうとした時だった。
「ところで、ヴァロア嬢は男を抱いたことはあるか?」
彼女の好みであろう顔の整った男を片手で抱えたドラン伯爵が、まるでスポーツの経験を聞くかのような気軽さでそんなことを聞いてきたのだ。
その事に俺の思考が一瞬停止し、向こうの方に座っているじいちゃんが噎せ、その様子を周りの者が大声で笑う。
モニカはモニカで、俺の”翻訳”が中々表示されないことに
「・・・ないけど?」
数秒して、モニカがそう答える。
するとドラン伯爵は大きく驚いた。
「嘘だろ!?
「モニカは
じいちゃんが大声を出す。
するとドラン伯爵の表情が更に不審げにゆがむ。
「
ドラン伯爵がそう言って憤慨した。
すると周りから、”流石にそれはあんただけだ”という声が上がる。
「何を言うか! 出産は”強い女”の嗜みだろうが! それに、その辺の男を10人も適当に襲ってりゃ勝手に出来るだろうに!」
ドラン伯爵がそう言って、彼女の中の”持論”を力説した。
俺は心の中で声にならない声を上げる。
イヤイヤイヤ、流石にその”価値観”はおかしいって!
すると見かねたドラン伯爵の”愛人”の1人が、申し訳なさそうにこちらに謝ってきた。
「悪いなヴァロア嬢、この人昔っから適当にその辺の男を
「27人だ」
するとすぐに別の愛人がやれやれとツッコんだ。
それに対しドラン伯爵が憤る。
「オイ! お前ら人数を言うな、俺の歳がバレるじゃねえか!!」
だが、ドラン伯爵のその声は笑い事のように軽かった。
というか、え? まさか毎年産んでるの!?
27人って・・・
「女にとっちゃ、出来た子供を産むまでが”コト”だろうに。 あぁ、あの気持ちよさったら・・・それを男は理解できないんだから、憐れなものだね」
ドラン伯爵がそう言いながら、恍惚した表情で自分の腹を撫でた。
その場の全員の視線が彼女の腹に集中する。
彼女の腹は肥満に隠れて分かりづらいが、確かにハッキリと膨らんでいた。
ドラン伯爵のこれは”出産中毒”とでもいうべきか、それとも”究極の色狂い”とでもいうべきか・・・
とにかく、これはこれで、”この世界ならでは”の思考回路といえなくもないが・・・
時に命に関わることもある地球の出産と違い、魔力を流せば頑丈になるこの世界では、出産というのは”ごく一部の例外”を除いて驚くほどあっさりとしている。
それこそ文字通り”ポン”と出てくるのだ。
おかげで”お産”という概念が、ハッキリ言って薄い。
だからこそ、その苦痛を感じずに快楽性だけを享受する者がいてもおかしくはない。
おかしくはないが・・・
「とにかく、1度やってみろ、ハマるぞぉ!」
ドラン伯爵が悪そうに笑いながら、そう言ってきた。
まるで酒や煙草を勧めるかのような表情で。
「えっと、結構です!」
それに対し、モニカがタジタジになりながら必死で抵抗する。
モニカは本能的にドラン伯爵の勧めが碌でもないと感じ取っていたのだ。
だが、ドラン伯爵は聞かない。
「この辺の男は、私の”手付き”ばかりだが、”あの辺”の若いのなら”観賞用”だからな、歳も近いだろう。
どうだ? 1人抱いてみろ、やり方は教えてやるよ」
そう言ってドラン伯爵が会場の端の方を指差した。
そこには俺達と同世代から少し年上の、”若い”というよりも”幼い”と言った方が良い少年たちが何人も並んでいる。
そしてそのどれもがイケメンで、何故か寒い地方なのに半裸だ。
モニカの目があまりに見事なその美しい大胸筋に吸い寄せられ・・・その少年がこちらに向かってウインクした。
するとモニカがドキリと心臓を鳴らして、咄嗟に上体を起こして身を引く。
それを見たドラン伯爵が大きく笑い、それに釣られた会場全体がどっと湧いた。
「なんだ、ちゃんと男に”反応”するじゃねえか!
ヴァロア嬢くらいの歳の女の”用意”が抜けてたからよ、ちょっと焦ったぜ!」
ドラン伯爵の爆笑が、本当に爆発の様な大きさで響く。
その時、その”大爆笑”を引き裂くように大きな音を立てて椅子が引かれ、その音に会場が一気にしんとなる。
見れば、そこには席を立つじいちゃんの姿が。
「・・・ドラン伯爵。 我々はここで御暇します。
もう遅い時間なので」
そう言うとじいちゃんが俺達の近くに歩み寄みより、そのまま俺達の腕を取って立ち去ろうとする。
だがそれをドラン伯爵は手を上げて制した。
「グリゴール・・・・泊まって行くといい。 ・・・・・11歳の子供に夜の行軍はキツイだろう?」
ドラン伯爵はそう言うと、人差し指を立てて天井を示した。
城の上で泊まっていけということか。
じいちゃんの眉が苦々しげに歪む。
どんな形であってもドラン伯爵が善意を示した以上、ここで断れば失礼に当たる。
そして、その失礼を許容できる力関係では無いことは明白だった。
◇
結局その日、俺達はドラン伯爵の城で泊まることになった。
正直意外なことに伯爵の用意した部屋は、かなり居心地のいい部屋だ。
・・・意味深に巨大なベッドと、隠そうともしないこの謎の”匂い”がなければだけど。
「うわっ、アヘナ焚いてるよ・・・」
モニカが、グラディエーターのマスクを展開してベッド脇の香炉に近づき火を消すと、換気のために窓に近づく。
「帰る人も多いんだね」
窓の向こうには、城から出発した馬車が何台も連なってジュラッグの街を出ていく光景が見えた。
その殆どはホーロン側の参加者だが。
相変わらずジュラッグの街は、迂闊に【望遠視】を使えない光景で満ちている。
・・・いや、着いた夕方よりも更に増しているというべきか。
まあ、この街の”主”がアレだからな・・・
足下の床の向こうに見える大食堂は、今やちょっとしたスペクタクル級の快楽空間になっていた。
ここを詳細に描写したらエライことになる、モニカやアルトには絶対見せられない。
そしてそのアルトが、隣の部屋から顔を見せた。
「モニカ様、やっぱりベッドはその1つだけみたいです」
彼女は、今回充てがわれた部屋の状態を確認していたのだ。
じいちゃんの求めにより俺達はアルトと同部屋、ついでにロメオと同部屋。
だが、じいちゃんとカローラの部屋までは少し距離があり、”従者枠”のカミルとヘクター隊長の部屋は違う階なので少し孤立感がある。
ロメオが余裕で寝そべられるくらい床が広い部屋なのは助かるが、アルト曰くベッドが1つしか無いのはちょっと困る。
「じゃあ仕方ないね。 まあ、おっきいから、一緒に寝よ」
「そんな、”主人”と一緒に寝れるわけないじゃないですよ! 私は床で寝ますから!」
モニカの提案にアルトが両手を上げて慌てて断る。
だがモニカは引かない。
「じゃあ、今だけ”友達”で。 大丈夫、おじい様やカローラさんが来るよりも早く起こして上げるから」
そう言って横にモニカやアルトが5人は並べる広さのベッドの布団を捲り、その表面をポンポンと叩いたのだ。
その無駄に巨大な寝床を見せられては、アルトも断りきれない。
結局、少しの間逡巡した後、諦めたように俺達と反対側の布団を捲って腰掛けた。
すると、すかさずモニカが飛びかかり、アルトの”メイド服”を脱がせにかかる。
「うわ!? モニカ様!?」
「あははは、服着たままだと皺になるぞぉ!」
「いや、あっはは、じぶんで・・・自分で脱げますから!」
まるで、いつもベスやルシエラにやってるように絡みつくモニカに、アルトがくすぐったい声を出して抵抗する。
部屋の外で展開される”絡み”と比べて、その光景のなんと微笑ましいものか。
だがその《”ウフフ”の入ってない”キャッキャ空間”》は、トントンという扉をノックする音で中断した。
モニカとアルトが絡まりあったまま、同じタイミングで扉の方を見上げる。
すると少しの間があってから、応対に出るためにアルトが俺達の腕の中から這い出ようとし、それをモニカがメイド服を引っ張って止める。
「あ・・・」
アルトが”しまった”という声を出した。
モニカが中途半端に脱がしたせいで、今のアルトはとても応対できる格好ではない。
その代り、”まだまとも”な格好をしていたモニカがベッドから滑り降り、アルトが隣の部屋に隠れるのを確認してから扉をガチャりと少しだけ開けた。
「・・・・・」
扉の先にいた者達に、モニカが無言になる。
それは11~12歳くらいと思われる、美少年3人組だった。
「やあ・・・どうだい?」
中央の美少年がそう言いながら、裸に直着していた上着をハラリと捲り引き締まった肩周りから腰までを見せつけてきた。
その光景にモニカが固まる。
「・・・え?」
モニカが素っ頓狂な声を返す。
するとその美少年が、思い切り腕を伸ばして俺達のすぐ横にある壁に手を付いて顔を寄せてきた。
美少年の吸い込まれそうな瞳がドアップになる。
そしてその美少年は、続いて反対側の手で俺達の顎に手を当てて持ち上げた。
「”え?” じゃないだろ?」
そう言って、トドメとばかりに必殺兵器”イケメンスマイル”を叩き込むその美少年。
まさかの”壁ドン”からの”顎クイ”である。
ベタな手ではあるが、それ故、美少年がやると強烈なあれだ。
事実、モニカの頭の中がグルングルンと混乱を始め、一部”特定の内臓”が歓喜の号外を出しまくって命令系統が混乱をきたしている。
「本当は分かってるんだろ? 僕達にまかせてお・・・・」
その瞬間、美少年の”致命の一撃”は ”ズダアアアアンン!!!” という強烈な音で消し飛んだ。
「え? え?」
事態を飲み込めないモニカが、他の美少年2人共々、キョトンとした表情を見合わせる。
そしてその真ん中、廊下の反対側では壁にめり込んだ美少年がさらに驚いた顔をしていた。
その目が次にモニカの腹から伸びた、”フロウの腕”に集中する。
『え!? ロン!? なんで!?』
うりゃああ!!
俺の行動に驚いたモニカの声を一旦無視して、俺は更に続けざまに行動した。
腹部から伸ばしたフロウを使って乱暴に扉を閉めると、そのまま適当に持ってきた材料で固定具を作り、【転送】で扉の隙間に押し込んで固定する。
一瞬にして、部屋の扉は人の手では開けられないほどガッチガチに施錠された。
『ちょ、ちょっと、やり過ぎじゃない?』
『いや・・・・こうでもしないと、寝込みを襲われるぞ』
モニカに俺がそう言う。
実は美少年が来たのはこれが初めてではない。
最初はこの部屋に案内された時に、案内してきた美少年にそのまま入られかけたし、その後に1回、水の入ったピッチャーを持ってきた次いでに入り込もうとした。(ちなみにピッチャーの中身は水ではなく酒だった)
どちらもモニカが丁寧に”
そしてモニカは、ハッキリ言ってこういう”押し”に弱い。
『あ・・・やっぱりだ・・・』
不審に思った俺は観測スキルを総動員して、下の階を覗いた。
すると案の定、ドラン伯爵が何やら音頭を取って始めているではないか。
「”ゲーリックの倅どもが失敗した、次は2000追加して1万だ! 誰かやる奴はいるか?
と、謎の”チャレンジ”を始めていたのだ。
何のチャレンジかって?
俺達の”貞操奪取チャレンジ”だよ!!
あの野郎ども、俺達の貞操を何回目で奪えるか競ってやがった。
目的は金か酒か、それとも俺達の”血”か、
とにかく貴族の息子から駆け出しの男娼まで、目の色を変えて名乗りを上げていたのだ。
因みにアルトとセットなら+3000、俺達がそれで懐妊したら倍額がドラン伯爵から出るらしい。
何人目で行けるかの賭けまで始まってる始末。
フザけた奴らだ!!
どうもドラン伯爵は、彼女の考える”強い女像”に迎合しないモニカが気に入らないらしい。
きっとどうにかして、モニカを”彼女の側”に引きずり込みたいんだろう。
というか、ヘクター隊長どこ行った!?
あの人、一応俺達の”護衛”でしょうが。
もっと云うなら、俺達をアオハとくっつけたい立場の人じゃないか! ピンチだぞ! 助けろよ!
そんな風に憤りながら、頼りない護衛役の姿を探していると・・・
大食堂で、どこぞの貴族と肩を組みながら賭けに参加している姿が飛び込んできた。
・・・・・・・ああ!!
もう、誰にも任してはおれん!
自分の身は自分で守らねば!!
頭に来た俺は全ての窓を補強して固定すると、ロメオに”ドラグーン”を着せてベッドの前に待機させた。
寝室に戻ってきたアルトが重武装のロメオに目を丸くする。
これでとりあえず”万が一”は潰した。
部屋に入ってこれる奴はいないだろうが、もし入って来ちゃったらドラン伯爵を恨んでくれ。
『ちょっと落ち着こうよロン、わたしにまで感情が流れてるよ!?』
『これが落ち着いてられるかってんだ!』
なんてったって、モニカとアルトの貞操は俺に掛かっているのだ。
そしてそこから、俺の”孤独な戦い”が始まった。
何度も押し寄せ、扉や壁を破壊せんと試みる男達をあの手この手で追い返し、それでも戻ってくる者をちぎっては投げ、ちぎっては投げる。
いくら追い返しても、キャリーオーバーで膨らんだ賞金目当ての不貞共はむしろ増え続け、それでも撃退している内に・・・
ついには、俺達の”貞操”の賞金額が10万セリスを超えたのだ。
魔獣か!
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
side カミル
翌朝。
狂乱の一夜が終わって、昨夜の騒ぎが嘘のように静かになった廊下をカミルは歩いていた。
彼はモニカほど狙われた訳ではないが、その”余波”はしっかりと受けており、その顔にはまだ付いたばかりの口紅の色が拭いきれていない。
それでもなんとか、それらの”攻撃”を凌ぎ切ったカミルは、昨夜はとても近寄れなかったモニカの部屋に近づいていく。
だが、同じ階に入ったところで彼はすぐに”異変”に気づいた。
階段を登ったところで、ヴァロア伯爵がモニカの部屋の方を向いて呆れた顔をしていたのだ。
「どうされました?」
カミルが怪訝な顔でヴァロア伯爵に聞く。
するとヴァロア伯爵がゆっくりとカミルの方へ向き、すぐに不快そうな顔でモニカの部屋の方を顎で指した。
「見てみればいい」
その言葉に、カミルが最後の階段を登りきり何事かと廊下を覗き込む。
するとそこに広がっていた光景に目を剥いた。
モニカの泊まっている部屋を先頭に、夥しい数の若い男達が何やら黒い物体に絡め取られていたのだ。
「なっ!?」
もちろん、この黒い物体に心当たりはある。
モニカとそのスキルが好んで使う魔力素材、”フロウ”だ。
どうやら、幾度も押し寄せる男達にしびれを切らしたらしいモニカか・・・もしくは彼女のスキルが、追い返すことを諦めてこの場で制圧することを選んだようだ。
「流石に全員、息はあるな・・・」
カミルがそう言うと、それに反応したように数人の男がもぞもぞと動き出す。
「た・・・たすけて・・・」
「まったく・・・」
カミルが呆れ顔で頭を掻きながら近寄ると、頑丈な”フロウの戒め”の解体に入った。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
side ロン
翌日、俺達は早々にジュラッグの街を後にすることになった。
フェルズへの今日中の帰還のため、できるだけ急ぎたいとじいちゃんが申し出たのだ。
すっかり静まり返った廊下を歩き、玄関へと向かう。
外に出ると、城が少し高い位置にあるおかげで、ジュラッグの街中から朝の飯炊きと思われる長閑な煙が何本も立ち上っているのが見えた。
その穏やかな光景に、俺達はこの街に”別の面”を見た気がして、なんとも不思議な気分になる。
玄関横に設けられた駐車スペースには、まだ何台も馬車が停まっていた。
だが来るときは”熱烈な歓迎”があったというのに、帰りはなにもない。
せめてドラン伯爵が見送りに出るかとも思ったが、そんなこともない。
ただ彼女の従者の一人が、何やら記号化された文字で書かれた文書をじいちゃんに手渡していただけだ。
あれはなんだろうか?
それを受け取った時のじいちゃんの顔は、とても言葉では表せない複雑な物だった。
『うう・・・頭痛い』
その時、俺のせいで寝付きの悪かったモニカが頭痛に呻く。
『全力で動かしたからな』
『次は、もうちょっと加減してねぇ・・・』
『できれば、次はない方がいいけれどな』
まあそのおかげで俺達と、次いでにアルトの貞操は守られたんだけれど。
参加した皆さんには残念ながら、キャリーオーバーした10万セリスは誰にも渡っていない。
強いて言うなら元締めのドラン伯爵が持っていったのかな?
ん・・・もしかして、これってドラン伯爵の資金集めだったりする?
◯
「あんな下賤な連中が”貴族”とは!」
馬車に揺られジュラッグの街を出たところで、じいちゃんが突然、大声を上げた。
大きな叫び声が馬車の中に響き、隣のアルトがビクッと体を緊張させる。
見ると、じいちゃんの顔は苦虫を噛み潰したように苦い。
ドラン伯爵のあまりにも”あんまりな姿”に、たいそうご立腹の様子だ。
「でも伯爵さんなんだよね?」
モニカが問う。
するとじいちゃんが否定する様に唸った。
「奴らは、”大戦争”で名を挙げたアルバレスの”ゴロつき”共だ。
奴らに褒美をやるため、残った我らに楔を打つために国から領地を与えられているに過ぎん」
「でも、あの人達、全然強そうじゃなかったよ?」
モニカが不思議そうにそう聞く。
確かにあの場所には、少なくともホーロンとの戦争で名を挙げられそうな実力者もいなかったし、それだけの知識を匂わせる者すらいなかった。
彼らが戦地に赴いていた者か、その家族だったとは考えにくい。
するとじいちゃんは吐き捨てるように続けた。
「”力”だけが強さじゃない。 戦場に食料や武器、消耗品を送る能力だって確かな強さだ。
ドラン伯爵の先代は、アルバレス軍の”包帯”を調達していた事で名を挙げた男だった。
医療魔法の発展で医療品の備蓄が少なかった頃の大戦争だからな、1ブル(1m)の包帯が魔法石以上の値で取引された事もある。
それが10年続いたのだ、その間の奴らがどれだけ肥え太ったか。
あの腹を見ただろう?」
まあ、確かにあの腹は妊娠を差し引いても凄かったからな。
ただ”経済的強者”という話を聞いて、俺は色々なことに合点がいった。
少なくとも、じいちゃんが下手に出なければならない理由くらいは。
おそらくヴァロア領の経済は現在、ドラン伯爵に大きく依存しているのだ。
これでじいちゃんの”謎”の片方は分かった。
あとはもう片方だが・・・
その時、後ろからガバっとヘクター隊長がくっついて来た。
今朝方まで”男”と戦っていた俺はそれにわずかにビビるが、モニカがそれを抑える。
「よお、耳貸せやい」
昨夜は役立たずだったヘクター隊長が、口元を隠してそう言った。
音は瞬間的に展開した防聴魔法で防いでいる。
「なにか分かったの?」
「いいや、連中、酒は緩いがガードは硬い。 爺さんが俺を泳がせたのは他の貴族への牽制ってのは分かったが、せいぜいが”魔薬”の取引くらいしかつかめなかったな」
ヘクター隊長はそう言うと、少し悔しげに城を振り返った。
無節操な集まりと思ったが、意外と情報の扱いは硬いらしい。
ヘクター隊長の集めた情報は、昨日俺が把握した物と何ら変わりないレベルの物しかなかった。
「だが、やっぱり爺さんには何か有るぞ。
ウチの上司やガブリエラ様の査問に引っかからなかった”
「まだ探るの?」
「いや、違和感はデカイからな、ガブリエラ様でもそれは気づいただろうし、もしかすると知って
そうなるとこれ以上は藪蛇だ、隠したい事まで知るのは俺も本意じゃない。
伯爵2人に嫌われて、あんたに”アオハ”が関われなくなれば本末転倒だからな、おとなしくしていることにするよ」
ヘクター隊長はそう言うと、俺達の肩をポンポンと叩いた。
それを聞いたモニカが馬車の前の席に憮然と座るじいちゃんを見つめる。
結局、この人の謎の”影響力”の正体は分からなかったな。
これも、ドラン伯爵が絡んでいるのは間違いなさそうだが・・・
「それで、あとはこれだ」
するとヘクター隊長が、懐から何やら袋を取り出して俺達の胸元に押し付けてきた。
その時、かすかな”チャリッ”っという音と、金属の硬い感触が袋の中から伝わってくる。
「・・・なにこれ?」
「ああ、昨日
ヘクター隊長が悪びれもせずにそう言うと、袋の口を引っ張って中を見せる。
入っていたのは金貨が数枚と、大量の銀貨。
「3万2200セリス入ってる。 連中、誰もあんたが朝まで貞操を保ってるとは思ってなかったみたいでな、おかげで儲けさせてもらったよ。
これはその半分だ」
その言葉にモニカが僅かに口を開けて固まる。
ヘクター隊長のその顔は、まるで一緒に相手を騙して手に入れた儲けを山分けする詐欺師のようだ。
てか、こっちが大変な時にこの人は・・・
だがその屈託のないの笑みを前にしては、怒る気力も沸かない。
モニカはため息を1つ吐くと、袋の中から1万6100セリスだけ抜き取り懐にしまうと、残った分を袋ごと横にいたアルトに渡した。
「え? え? え?」
何の脈絡もなく突然大金を渡されたアルトは、混乱しながら俺達と手元の袋を何度も見比べている。
これで”八百長仲間”は3人になった。
◇
その後も馬車は、来たときと同様、快調に北の大地を駆けていく。
だが昼前、昨晩俺達に吹き飛ばされる事になりかかったピラト山の、壁のようにムダに長い尾根を窓の向こうに見ながら迂回して、ちょうど反対側に回った頃。
不意に、何の脈絡もなく馬車の速度が落ち始めた。
『うん?』
『どうした、モニカ』
その事にモニカが何かを嗅ぎつけたように、持ってきた宿題から視線を上げる。
『カローラさんと御者の人が、なんか困ってる気がする』
『気がするって・・・』
だが、その”動物的勘”は的中していた。
馬車の最前端の上部に設けられた御者との連絡用の窓から、カローラが困惑気味の顔を見せたのだ。
「お館様、少しよろしいでしょうか?」
「ん? どうした、まだ昼食には早いぞ?」
「いえ、少し問題がおきまして・・・前を見てください」
「・・・?」
カローラの言葉にじいちゃんが怪訝な様子で立ち上がり、馬車が完全に停止した所で扉を開けて外へと歩み出た。
『なんだろう?』
『ちょっとまってな』
俺がモニカの目に【透視】を展開する。
すると馬車とそれを引く魔馬の向こうに、何やら”人影”が見えてきた。
雪を踏みつけるような形で作られた未舗装の道の真中に、ポツンと1人の男が立っている。
そして多くもない荷物を道端に置き、さして目を引くところもない格好をしたその男の姿には見覚えがあった。
「フルーダ殿! こんなところで何を!?」
じいちゃんが、困惑した様子でその男に声を掛ける。
それは間違いなく、昨晩ドラン伯爵の館で見かけた”アボット男爵”だったのだ。
「道を塞いだ事、誠に申し訳無い! だがグリゴール殿、ここでしか話せない事を話したいのだ!」
俺達の乗る馬車に向かって、アボット男爵がそう叫ぶ。
その表情はドラン伯爵の屋敷で見たのと同一人物だとは信じられないほど、強い意志に満ちており。
それを見たじいちゃんが、すぐにただ事ではない空気を感じ取って表情を強張らせた。
「内容を聞こう!」
じいちゃんが、一瞬だけ逡巡してからそう叫び返す。
だがそれに対してアボット男爵は頭を振った。
「外では話せない! 馬車の中に入ってもよろしいか!」
それを聞いたじいちゃんがこちらを振り向き、また一瞬だけ逡巡すると再び顔を戻す。
「手短に頼む!」
「かたじけない!」
アボット男爵はそう応えると、馬車の側面に駆け寄りそのまま勢いよく扉を開けてじいちゃんと共に中へ乗り込んできた。
なんとなく2人の間に入る事を遠慮したモニカが、後ろの席へと移動しようとする。
だがそれをアボット男爵が肩を掴んで止めた。
「聞いていてください」
アボット男爵が、真剣な声でそう言う。
その、その迫力にモニカが固まった。
そしてアボット男爵は、そのまま俺達の後ろにいたヘクター隊長や横のアルトに向かって、俺達に向けたのとはまた別の強い視線を向けたのだ。
「悪いが、外してくれ」
それを聞いたヘクター隊長が俺達と目を合わせる。
するとモニカが少し考えてから頷いた。
「しゃあ、ない。 ちょっと出てますよ」
ヘクター隊長が仕方がないとばかりに息を一つ吐いて立ち上がり、アルトの手を引いてアボット男爵の横をすり抜ける形で外へ出る。
・・・・と同時に、アボット男爵が懐の魔道具を起動した。
その突然の行動に、じいちゃんと俺達は一瞬緊張を高めたが、それが無害な魔法であると悟るとすぐにそれを緩める。
気づけば、この馬車を包むように”結界”が張られていた。
『見た感じ、防聴系か?』
俺は測定結果を端的に伝える。
簡易なので薄皮のように脆くて簡単な結界だが、それ故割らずに中を探ることが難しいし、割れたら分かる仕組みだ。
アボット男爵の見た感じの財力を考えれば、これでもかなり思い切ったと言える。
「それで・・・”話”とは何だ?」
じいちゃんがアボット男爵に問う。
その眼差しは、一切の冗談を許さないほどきついものだった。
だがアボット男爵の表情はそれと比較して尚きつく・・・
・・・そして、じいちゃんの方を向いていなかった。
「
少しの間、何かを確認するように俺達を見つめていたアボット男爵は、やがて意を決したように表情を引き締めると、
「その”力”で、”アイギス”を再興して頂きたいのです」
と俺達に言ったのだ。
”空気が凍りつく”、こういう事を言うのか。
俺達とじいちゃんは、その言葉を理解するのにかなりの時間を要した。
「・・・・・え?」
やがてモニカが、そんな声にもならない”音”を漏らす。
「貴様! 何を言っとるのかわかっとるのか!?」
じいちゃんがアボット男爵に詰め寄る。
だがそれをアボット男爵が正面から見返した。
「何を言っているかは分かっている。 この方に・・・モニカ様に”アイギス”を名乗っていただく。
そして、行く行くは御子息を新たな”ホーロン王”として・・・」
「寝惚けたことを抜かすな!! 現実を見ろ!!」
じいちゃんがそう叫びながら、アボット男爵を殴りつける。
だがアボット男爵の顔は、じいちゃんの鍛えられた腕から繰り出された拳が顎に命中したにも拘らずビクともしない。
「・・・寝惚けてるのはどちらだ? ”あの者達”を見ただろう?
あんな奴らに家を売り、土地を売り、民を売り、名誉まで売って生き長らえてるだけの貴様が、
ただ売るものが我々よりも多く有っただけの貴様が、何を偉そうに”現実”を語ってきかせるというのだ?」
アボット男爵がじいちゃんに迫る。
その目は、昨晩見たあの”強烈なもの”に満ちていた。
だがそれが、まさか”こんなもの”だったなんて・・・
「・・・この子は”ヴァロア”だ。 ”アイギス”じゃない」
じいちゃんが苦しそうにそう唸る。
だがアボット男爵はそれを聞いて、ものすごく悪そうな笑みを浮かべた。
「
・・・いや、例え
”力”さえあれば十分だ」
アボット男爵の言葉にモニカが息を呑む。
そしてじいちゃんの額を冷や汗が一つ流れ落ちた。
「貴様もそう思ったのだろう? だから、いつでも使えるように”偽物”を手元に置いたんじゃないのか?」
「違う、この子は私の”孫”だ!」
アボット男爵の言葉に、じいちゃんが即座に反論する。
だがその瞬間、アボット男爵の中で”確信”が起こるのを俺達は見た。
「私を舐めるな”グリゴール・ヴァロア”。 ここまで落ちぶれたが、タラス様の御子を見間違うと思うか?」
「・・・・!?」
アボット男爵の言葉にじいちゃんが目を剥いた。
と、同時にモニカが俺に警戒レベルを上げるよう指示を飛ばしてくる。
それに従って俺が戦闘準備を始めると、アボット男爵がその”狂気の目”をこちらに戻した。
「モニカ様・・・お願いします。
パトリシオ様が隠居し、ガブリエラ様を始め旧アイギスの血を引く者が立たぬ以上、もはや希望はモニカ様だけなのです」
そう言うと、アボット男爵は馬車の床に額を擦り付けて懇願する。
「どうか!!! 我々には・・・いえ、”北部”には!!
ホーロンが必要なのです! そのために”公家”の復活が、”アイギス”の復活が必要なのです!」
アボット男爵はそう言うと、縋るように俺達の足首を握った。
その迫力に、モニカが動けなくなる。
すると横で、じいちゃんが立ち上がった。
「もう忘れろ! ホーロンは30年も前に亡くなったのだ!
貴様はその”最前線”にいたのだろうが!!」
じいちゃんが凄まじいまでの怒りを顔から噴き出して怒鳴る。
だがその怒りは、アボット男爵の返答によってあっという間に打ち消されてしまった。
「忘れたさ・・・
だが
我々北部人が見捨てたホーロンが、俺達に向けられる”侮蔑”の中に・・・”憎悪”の中に、まだ
ならば奴らのハラワタの中から、ホーロンを助け出さなければ・・・
それがホーロンを捨てた
アボット男爵のその言葉に対し、じいちゃんが口を開いて反論しようとする。
だがその声は、いつまで経っても出てくることはなかった。
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