2-14【ヴァロアの”血” 8:~グリゴール・ヴァロア~】


 2階の古風な(というかカビ臭い)応接室で、俺達はこれまた凄まじく年季の入った内装を眺めながら、老人がお茶を淹れるのを眺めていた。

 なんというか、人も含めて全てが古い。


『へんな形だね』


 天井の梁を見上げながらモニカが呟く。

 それはトラスとアーチを複雑に組み合わせて作られた、マグヌスやアルバレスにはないスタイルの構造をしていた。

 ちょっとした芸術品にも見える。


『ホーロンでは魔力がなくても頑丈なトラスやアーチは、一種の信仰の対象になっていたらしいからな』

『へえ』


 その証拠に放射状に広がるアーチの根本には、聖王神話の”6人の従者”が彫り込まれ、頂点部分には”ギリアン力の王”を示す、”∞”型の発展型みたいな複雑な彫り物がつけられている。

 その様子にこの地域の信仰心の深さを感じ、こんな部屋にまでこんな意匠を施せるヴァロア家のかつての栄華を見た。


『でも色が剥げちゃって、どれがどれだか分からないな』


 経年劣化なのか補修する金がなかったのか、従者達に塗られた塗料は色を失い、全部焦げ茶になって見分けがつかない。


『でもアレが、白の従者様だと思うよ。 だってアラン先生そっくりだもん』


 そう言ってモニカが見つめた先の像は、確かにアラン先生に似ていた。

 まあ、完全に変質しちゃってるけど白の従者様は存命だからな。

 イメージは固まるだろう。


 だが、俺達はそれと同時にこの部屋の中に様々な”探り”を入れていた。


 それは、今持ってこの老人の考えている事が読めなかったからだ。

 不気味といってもいい。

 いくらバックにガブリエラが付いているとはいえ、彼女が卒業して軍属になった今、その影響力は殆どないといってもいい。

 そしてアルバレス内で強い影響力がある筈のヴァロア伯爵が、それを見越して戦略を立てていないわけもなかった。

 というよりも、俺達を引き入れるためにこの老人が振るった”政治力”を考えるなら、警戒しない方が無理な話だ。

 それなのに、この”廃墟のような城と街”はどういう事だ?

 こんな田舎のどこに、超大国を振り回せる原動力があるというのか。


 それにモニカが”勝てない”と言ったのも気になる。

 色々とクセの強い感覚ではあるが、無視できるほど鈍くはないのは十分に知っていた。


 モニカが足下で蠢く数人の気配を追う。

 イリーナもヘクター隊長も、俺達の足下直下を中心にあまり動こうとはしていない。

 いつでも床を突き破って俺達の護衛に入れる体制というのが半分、俺達の会話を堂々と聞いてやろうというのが半分ってとこか。

 となれば・・・


「そんな事をしていると、肩が凝るぞ」

「え?」


 突然声がかけられそちらを振り向くと、興味深そうに俺達を見ているヴァロア伯爵と目が合った。


「できる奴は、なんでも自分でしようとする。 だが周りのことが見えるあまり、まるで小さなネズミのようにビクビク怯えているのは、なんとも滑稽だろう?

 お前は強いのだから、寝首を掻かれてから動いてもまだ間に合うというのに」


 そして伯爵はそう言いながら、いつの間にかお茶を入れ終わっていたコップをテーブルの上に置いたのだ。

 あ、さすがにコップはアルバレス風なんだな。

 だが伯爵の使っている言語は”旧ホーロン語”・・・つまり現在の”マグヌス語北方訛り”だった。

 それは、少しでもモニカの理解しやすいようにとの配慮か、それとも彼のワガママか。


『・・・どうする?』


 モニカが聞いてきた。


『とりあえず座ろうぜ。 こんな所で立ってても意味ないのは事実だし』

『うん・・・』


 モニカが若干恐る恐る動きながら、コップの置かれたテーブルの横まで歩き、そこにあったこれまた凄まじく年季の入った長椅子に腰を下ろした。

 繊維に魔力を練り込んで強化したクッションではなく、昔ながらの完全木彫りの”かったいやつ”だ。

 まあ木がいいのか彫りがいいのか、座ると良い感じに腰を受け止めてくれて、これはこれで気持ちいいんだけれど。


 ヴァロア伯爵は、俺達を前にして何か感情を見せることはなく、ただ見たことのないヘンテコリンな物でも見るような目でじっとこちらを観察していた。

 モニカがそれをチラチラと見返しながら、ゆっくりテーブルの上のコップを手に取り、それを口に含む。

 ・・・これはモニカの好みを聞いていたな・・・めちゃくちゃ苦いではないか。


 一方のモニカは好みの味を口に含み、お茶本来の作用も手伝ってか、全身から緊張が抜け始めた。

 そのまま、今度は少し勢いをつけて2口目すする。


「よくできているな」


 するとヴァロア伯爵が徐にそう言ってきた。

 声をかけられたモニカの口が止まり、視線が上を向いてヴァロア伯爵を捉える。


「とても”作り物”には見えん。

 ちょっと服を脱いで、どういう体をしているか見せてくれないか?」

「・・・?」

『え!?』


 突然の”セクハラ発言”に俺が慄き、モニカが不審げに身を起こす。

 俺達は2人とも、ヴァロア伯爵がそんな事を言うとは思っていなかったようだ。

 それでもその言葉を受け止めたモニカは一瞬だけ逡巡すると、そのまま着ている上着に手をかけゆっくりと持ち上げ始めた。

 だが、ちょうどおへそが見えた辺りで、ヴァロア伯爵が手を上げてそれを静止する。


「冗談だ。 私の言うことを、いちいち本気にするんじゃない」


 なんだ、冗談かよ!

 俺は心の中で盛大にツッコミを入れる。

 そんなこの世で一番冗談言わなそうな顔で、真面目そうな表情を作って冗談を言われても分かんねえって。


「だが、顔をよく見せてくれないか?」


 それでも、今度はそう言いながら手招きする伯爵。

 それを見たモニカは感情だけで俺と少しばかりの”相談”を行うと、持っていたコップをテーブルに下ろして、ゆっくりと身を乗り出してヴァロア伯爵に近づいた。


「その、”目の周りに付けているもの”は外せないのか?」


 だがすぐにヴァロア伯爵が、俺達の掛けているメガネインターフェースユニットに反応する。


「あ! っと」


 モニカがそんなやらかした・・・・・ような声を出した。

 伯爵の指摘はもっともだ。

 俺たちは現在、この世界では完全に馴染みのない随分と先進的・・・なデザインの眼鏡を掛けている。

 というか、ここくらい田舎なら眼鏡自体見たことないかもしれない。


 慌ててモニカはメガネインターフェースユニットの”つる”の部分につけられた制御ユニットを触る。

 本来はその必要はないのだが、何らかの動作をしていないと相手をビックリさせてしまうのでこうしているのだ。

 すると眼鏡が中央からパカリと割れ、つるの部分を支柱に両側に開くように持ち上がり、折り畳まりながら後ろに纏まった。

 さらに制御ユニットの部分がつるから離れ、少し下に移動する。

 こうして、”サイバーパンクな眼鏡”が一瞬にして”サイバーパンクなアクセサリー”に変化してしまった。

 上方向に広がるメガネのレンズと下方向に広がる制御ユニットが、まるでリボンのように見えるオシャレっぷりだ。

 モニカも一応・・女の子なので、こういうのは大切である。

 デザインはルビウスさん印なので間違いない。

 

 だが、さすがに目の前でガチャガチャと変形した機械はヴァロア伯爵も見慣れないようで、若干気味悪い表情でその様子を眺めていた。

 それでも意を決した伯爵は、身を乗り出して近づいてくる。

 そしてそのまま。右手を伸ばして俺達の頬に手を当てて軽く撫でた。

 そのまま彼の親指が俺達の左目の下を滑る。


 ヴァロア伯爵はじっと俺達の顔を見つめていた。

 その顔に、なぜだか見覚えがある。

 あ、”あれ”だ。


 なぜだか知らないがモニカの顔は一部の大人達を惹きつけるらしい。

 祭りでやってきた”アベリ大姉さま”もやっていたし、カミルもそうだった。

 あとスコット先生あたりも偶に俺達の顔を見たがるし、よく触れたがる。

 そしてそういう時、決まって大人達はなんとも微妙な・・・表情を作るのだ。

 ちょうど、この伯爵みたいな、どこか物悲しい感じの・・・


 そんな顔をするのなら、見なければいいというのに。


 ヴァロア伯爵が俺達の顔を見ている間、俺達もまたヴァロア伯爵を観察していた。

 だが、こうやって触れてデータが増えても、相変わらず得られるデータが示すのは、彼の”能力の低さ”だ。

 もちろん一般人と比較するなら”並”くらいはあるが、武人の家に生まれた者としては明らかに弱い。

 アイリスに教えてもらって大戦争の資料を探ったことがあったが、そこに書かれる”ヴァロア一族”の強さは”アオハ一族”よりも優れ、”アイギス一族”と完全に互角といったものだった。

 特に宗家である現ヴァロア伯爵の息子達は、マルクスやカシウスと比べてもそこまで見劣りするものではない。

 だが、だからこそ、この老人の”弱さ”が異様に際立っているともいえるが、だからこそ生き残ったのだから、戦争とはなんとも皮肉なものか。


 次に俺が気になったのが、ヴァロア伯爵の腕に見える”筋肉”だ。


『結構すごい筋肉だな』


 俺は素直にそんな感想を漏らした。

 ヴァロア伯爵の二の腕は、明らかに何らかのトレーニングをしていることがわかるくらい盛り上がっている。

 よく見れば、全体的にかなり厚い、おそらくこの服の下は”マッチョ”だろう。


 だが、それを見たモニカの意見は辛辣だ。


『ダメ、これは”見せかけの筋肉”。 肝心な時に音を上げるし、重くて動きにくい。 これなら無いほうがマシ』


 うわっ、ひでえ・・・

 だがモニカは”肉”については嘘をつかないし、とても厳しいからな。

 だがよくよく探ってみれば確かにこの筋肉は、例えば対抗戦でルーベンを破った”バガーリア”の筋肉と比べて明らかに”鈍い”。

 単純な筋力がないわけではないが、その効率は悪いと言ってもいいだろう。

 特に魔力で筋力を強化できるこの世界では、そんな筋力が何の役に立つというのか。

 ボディービルダーと一緒で、その筋肉で戦いに挑むことは想定していないのだ。

 

 それからヴァロア伯爵は、もう少しだけ無言で俺達の顔を確認したあと、名残惜しそうにその手を引っ込めた。

 彼の中で、”何らかの判断”を下すための情報は全て得たのだろうか。

 少しの間、何かを考え込むように顎に手を当てていると、徐ろにまたこちらの目を見つめた。


「それでは改めて、グリゴール・ヴァロアだ。 私達の話・・・・はガブリエラから聞いているだろう?」


 どうやら挨拶がまだだったことに気がついたらしい。

 そのことにモニカもハッとする。


「えっと、あの・・・モニカ・・・です。 おじいさま・・・・・?」

「・・・・」


 モニカの挨拶に、ヴァロア伯爵は無言でこちらを見つめている。

 その予想外の無反応にモニカが更に緊張した。


「あの・・・えっと」

「ん? ・・・ああ、すまんすまん。 私も”お祖父様”になったのかと思ってな。

 そういえば、そう呼ばれた事はなかったな」


 そう言いながら、顎に手を当てて擦るヴァロア伯爵。

 そういやこの人、大戦争で奥さんもろとも家族が全滅したんだっけ。

 俺達は、今更ながらこの人が抱える重たい人生に押され、ついでにちょっと抜けた一面に緊張が緩んだ。


「まあ、”爺様”でも”ジジイ”でも好きに呼べ、どうせ目くじら立てる奴はおらん。

 残った家族は私とお前だけだ」

「はあ・・・じゃあ”おじい様”で」

「うむ、では私は”モニカ”と呼ぶ」


 2人の中でお互いの呼称規則が確定する。

 俺は勝手に”じいちゃん”呼びでいこうかな。

 もちろん本人と話す機会があるならもう少し硬く言うが、思考の中までそうする必要はない。

 現状たった1人の”家族”なのだから、俺の敷居も低い方がいいだろう。

 

「早速だが、今夜は城で街の者を呼んで晩餐をする事になっている。

 外の様子を見ればわかる通り、奴らの期待はかなりのものだからな、抑えるのに少しでいいから付き合ってやってくれ」


 すると早速、じいちゃんはこの後の予定について話し始めた。


「それから晩餐の前に、お前の”スキル”の調整をしろ。

 調律士を呼んである、こっちも夕方には着くと連絡があった」

「・・・はい『別に、いらないよね?』」

『まあ、俺が把握する限りはな。 その辺のスキル調律士に判断できるとも思えないけど、それでじいちゃんが安心するならやっておこうぜ』

『わかってる』


 好意は素直に受け取っておこう。

 ただ弄るとなればそれは別だけど。

 それはそれこそ緊急でもなければ、カミルかロザリア先生だけにお願いしたい。


「ここはお前の家だ。 部屋は後でカローラかアルトに案内させる、好きに使え。

 今なら広い部屋も空いてるからな」

「はい、ありがとうございました」


 じいちゃんの厚意に対しモニカが感謝する。

 だがそれに対して、じいちゃんの方はすぐさま指摘を入れた。


「当然の権利にいちいち感謝するな。 もしくはしても言葉にするな、感謝の言葉が安くなる」

「えっと・・・すいません」


 唐突に怒られた事にモニカが面食らう。

 だが、


「理不尽に対してすぐに謝るな」

「・・・『ええ・・・』」


 モニカが俺にだけ聞こえる声で漏らす。


『・・・どうしろと』

『黙ってるしかできないよね?』


「黙っていればいい」

『『!!??』』


 心が読まれた!?

 何かのスキルか魔法か!?

 まさかの”脳内会話”に割り込まれた俺達は、2人して縮み上がった。

 だがそれに対してじいちゃんは、目を閉じて首を振った。


「思っている事が顔に出すぎだ。 その辺りは人よりも人らしいが、貴族社会でそれは無防備すぎる。

 少しは表情を取り繕う事を覚えねばならないな」


『うーん・・・ちょっとは自信あるんだけどな・・・』

『え?』


 モニカの意外な自信に、流石に俺も突っ込まざるを得ない。

 そういえばロザリア先生やディーノにも言われたな。

 そんなにモニカは、考えている事が顔に出るタイプなんだろうか。

 ただ、どちらもある程度モニカのことを見ている人間なので、そこまで出る方ではないと思っていたんだけどな。

 でも、じいちゃんは一発で見抜いてしまったワケで。



「私がお前を呼んだ理由は3つ。

 単純にここがヴァロアの家だから。

 そしてガブリエラの言っていたことが正しかったのか、この目で見極めるためだ」

「ガブリエラを信じてないの?」


 じいちゃんの言葉に、モニカは驚いたような声を出す。

 てっきり、ガブリエラの事を溺愛しているのかと思っていただけに、じいちゃんの言葉は意外だったのだ。

 ただ、そうではないようで・・・


「ガブリエラは可愛い姪孫だ、当然信頼しておる。 だが、その”目”は信じておらん」

「”目”?」


 モニカが怪訝そうな表情でじいちゃんの目を見つめる。

 じいちゃんの目はなんというか、俺達の目をちょっとくたびれさせたような目をしていた。

 するとその目から緊張が抜け、閉じられる。


「これは私の病気のようなものでな。 ”人の人を見る目”だけは決して信じないのだ」


 そう言うと自嘲気味に唇の端を緩める。

 じいちゃんにとって、ガブリエラ自身は信用できても、”彼女の語る俺達”は信用しなかったということか。


「最後の一つは?」

「それは教えられん・・・まだお前を、そこまで・・・・信じきれぬからな」

「じゃあ、なんで”ある”と教えたの?」


 モニカが納得できないとばかりに聞く。


「お前の話を聞いて、それ程・・・には、信頼したからだ。」


 だがじいちゃんは、それだけしか答えてくれなかった。


『どういうこと?』

『うーん、めんどくさい老人?』


 とりあえず俺達がじいちゃんに思っているのと同様、じいちゃんもまた俺達のことを信用しきれてはいないのだろう。

 それを教えてくれるだけ、歩み寄ろうとしていることの裏返しなのかもしれないが。


「さて、それではまず、私達の事について話し合うとするか。

 お互い、どこまでお互いのことを知っているか分からぬからな。

 どういう人間か、どういう風に生きてきたか、それをお前の口から聞いておきたい。

 もちろん・・・」


 そう言うと、じいちゃんは視線を一瞬だけ下に向けた。


話したいこと・・・・・・だけで構わん」


 その一階に居るヘクター隊長とイリーナを意識したような”サイン”の意味はわかっている。

 彼らに盗聴されてもいいことだけを話せということだろう。

 俺がその解釈をモニカに伝えると。

 モニカは無言で小さく頷いた。

 するとじいちゃんの瞳に、わずかに関心の色が混じったように錯覚する。


「それじゃ・・・まずは私の話からだな・・・」


 そう言うと、じいちゃんはコップからお茶を一口含んで口を潤わせ、ゆっくりとしたトーンで彼の半生を語り始めた。


「知っての通り、今はアルバレスの伯爵だが、大戦争でホーロンが敗れ去るまでの間、この辺り一帯は私の母が全てを治めていた」


 そこから聞いた話は、概ね事前に”ヴァロア家”について調べていた通りのものだった。


 侯爵家時代の当主、じいちゃんの母親・・・俺達から見れば曾祖母になるのか(でもフランチェスカから見ると祖母なのでややこしい)。

 その時代、意外なことにじいちゃんは完全に跡目争いから外されていたらしい。

 ホーロンで一二を争う武家であるヴァロア家にとって、全く戦闘力を持たないじいちゃんが当主になるなどあり得ないことだったのだ。

 当然、序列は、じいちゃんの弟や妹を含めて兄弟の中で最下位だった。

 彼の息子たちが非常に優秀だったおかげで多少はその待遇が改善されたらしいが、それでも酷いものだったらしい。


 その流れが一変したのは、やはり”大戦争”が原因である。

 事前の衝突から数えれば10年以上に渡って泥沼と化したその戦いの中で、特に最前線を誇りとした古い武家のアイギスやヴァロアの被害は甚大で、その中でも最後まで王と運命を共にした前当主とその一団のせいで、ヴァロア家はほぼ完全に消滅となった。

 だからじいちゃんの”伯爵”という地位は、前当主から譲渡されたものではなく、この地域の暫定統治のためにアルバレスが寄越したものなんだそうだ。

 それまで貴族の出来損ないだった男が、家族を失って当主になるというのは何という悲劇だろうか。


 じいちゃんはそれから、俺達の”表向きの父親”になった”タラス・ヴァロア”についても教えてくれた。

 これから、ひたすら比べられるだろうからとのことだ。


 タラスは、非常に優しい青年で、戦争に行くまでは虫も殺したことのないような子供だったらしい。

 彼の兄弟たちと同様優秀ではあったが、狩りで結果を出さないので親族から大層変な目で見られたらしい。

 それでも戦場では鬼神のごとく活躍し、最後はマルクス本人と対峙し敗れたとのこと。

 その功績から、ヴァロア領では概ね好意的に見られているらしい。


 ただ、じいちゃんのタラスを語る口ぶりが、戦場に行くまでが非常に細かかったのに対し、戦争に入ってから嫌に淡白なものに変わったのは気の所為ではないだろう。

 それはじいちゃんが戦場に行ったことがないからというのもあるが、なんというかこの老人が”大戦争”をとても”馬鹿馬鹿しいもの”といった風に見ているように思えてならなかった。



「・・・まあ、これくらい知っておけば、当面は問題はないだろう」 


 そう言って自己紹介を終えた時、じいちゃんの表情がわずかに暗くなっているように感じたのは気の所為ではないだろう。


「それじゃ、お前について、私に教えてくれ」

 

 じいちゃんがこちらに話を投げる。

 今度はこちらの番だ。


『どこまで話す?』

『モニカの好きにしろ、ただ下にヘクターとイリーナが居るからな。 2人に聞かれたくない事は言うな』

『じゃあ、ロンが喋れることは言わないね』

『ああ、そうしてくれ』


 本音としては別に言ってもいいのだが(どうせ高度な人格があるとは思わないだろうし)、隠れていたほうが動きやすいのも事実なのでそのままにしておこう。


「えっと・・・わたしは”モニカ”、ここからもっと寒いところに住んでた・・・」



 そこからモニカはしばらくの間、自分の半生に関して話せるだけのことを話した。

 だが今回は、ハッキリとどこに住んでいたかの情報に関して明言は避けた。

 ただ単にここよりも北で寒い地域とだけ、”北壁”を越えてきたとも言わない。

 あと、なんとなく”父親”に関する情報と、”ゴーレム達”に関する情報も。

 どちらも俺達の根幹に関するものだし、ゴーレム達に関しては弱点にもなりうるからだ。

 ただ、そのおかげで随分と歯抜けの多い振り返りになったのだが、その辺はまだ幼いということで勘弁してもらおう。


 じいちゃんも俺達の話を聞いている間、おそらく突っ込みたいことが1つや2つではきかなかっただろうに、何も言うことなく、ただ真剣な表情で話を聞いてくれた。

 その強烈な”威圧感”のせいで、モニカが緊張しっぱなしだったのだけど。


 北の大地を出たのは、モニカが外の世界に興味を持ったからということにしておいた。

 じいちゃんに絶対に違うだろという表情をされたが、”隠すことにしている情報”なので仕方がない。

 そういう意図で2回ほど下の階に目線を移したら納得してくれた。


 それにしても、改めて振り返ってみると、随分と衝動的に動いたもんだと思う。

 それがモニカの性格なのだろうが、冷静なようでいて意外と頭に血が上りやすいというか、引かないところがあるというか。

 まあ、そういう生活をしていたのだから仕方ないけれど。


 だが、じいちゃんの意見は別だった。


「それは”ヴァロアの血”だな。 我が一族は時折、怒り狂った猪のように突き進むところがある。 気にするな」


 レオノアにマジで勝ちに行った辺りで、俺達の”そういった所”が、なんだか普通じゃないんじゃないかとモニカが心配を滲ませたとき、じいちゃんは徐にそう言った。

 それに対し、モニカが怪訝そうに問い返す。


「わたしに流れてるのは、”偽物”だよ?」

「それはお前の考えか?」

「えっと・・・」


 まさか真正面から突っ込まれると思ってなかったモニカがタジタジになる。


「私は”細かな定義”など気にせん、そのような学もないからな。 フランチェスカとお前の違いなど、名前以上のことは分からん。

 それに重要なのは、どういう風に機能するかだ」


 そう言うとじいちゃんは、横柄な感じで足を組んでこちらを見下ろした。


「お前に一つ、ホーロン貴族に伝わる考え方を教えてやろう・・・

 ” 貴族とは、その名で生まれた者ではなく、その名で生きた者の事である ”

 ホーロン貴族は腐りきった愚か者の集まりではあるが、”その思想”だけは私も誇りに思っておるし、そう信じておる。

 お前が”フランチェスカの偽物”として生きるのならそうだろうし、”モニカ・ヴァロア”として生きるのなら私の孫だ」


 全てはお前で決めろ。

 言外にそう言われた俺達は、この人の強さの内側を少し見た気がした。


「それにお前の”創造主”も、この考えには同意してくれるだろうさ」


 じいちゃんが続ける。


「・・・カシウスのこと?」


 モニカがそう問うと、じいちゃんは不快なものでも思い出すような表情で頷いた。


「奴は”狂う”前から、”お前のようなもの”を作ることに固執しておったからな。

 以前会った時に、そのことについて聞いた事がある。

 ハッキリとは覚えておらぬが、その中でこう言っておったのは覚えている。


 ” ある存在が、特定の者であるかどうかを見比べる要素は3つだけでいい。

  1つ・・・その者が行いうる行動をするか。

  2つ・・・他者がその者でないと気づかぬか。

  3つ・・・そいつが自分をその者と結論付けるか。

 この3つに該当するならば、そいつは”その者”であるとな ”


 その時は雲をつかむような話と笑ったが、よくよく考えれば私自身、”私”を定義しているのはその3つだけと気づいたものだ。

 ”血の真偽”など、誰にも分からんではないか、とな」


 じいちゃんはそう言ってから少し笑うと、不意に真剣な眼差しで俺達の目を見つめた。


「私にはお前は、ヴァロア家の血を引いているように見えるし、そのように振る舞っていると思う。

 あとはお前がそう思えば、それでいい」


 その表情に含まれた”覚悟”に俺達は気圧された。

 彼は俺達のことを、”本気”で自分の孫として扱うと決めているのだ。


 その名で生まれたものではなく、その名で生きた者・・・


 じいちゃんの言葉が俺達の中に反響した。

 ”ヴァロア”という名前の生半可ではない、重みと共に。

 そしてその度に、自分の立つこの古い部屋全体が、なんだか自分の一部のように思えてくるから不思議だ。

 俺もモニカも、恐らくこの時初めて”ヴァロア伯爵”として生きるということを意識したかもしれない。


 ただし、それは一瞬のことだったのだけど。



「だがその前に、1つだけお前に言っておく、お前が何か”固執していること”についてだ」


 じいちゃんの声が、まるでナイフのように空気を引き裂いた。

 と、同時にモニカが不意に全身に力を入れて緊張させる。

 じいちゃんは突然、語ってもいない筈の”それ”について言及してきた。

 モニカが”固執するもの”など、1つしか無い。


「アクリラにいるのは、本当はそのためだろう?」


 じいちゃんはそう言うと、まるで悪魔のように恐ろしげな瞳で見てきた。

 まるで心の奥底を射抜くような、深い瞳で。


「アタリのようだな」


 それがモニカの中の”何か”を撃ち抜き、引き上げる。

 するとモニカが慌てたように口を開いた。


「なんで・・・」

「”なんで、知っている?” か? 不合格だ。

 お前の語るお前を聞いて、周りの語るお前を聞いて、実際にその目を見ればすぐに分かる。

 私を舐めるな。 私はこれまで、この”人を見る目”で生き残ってきたのだ」


 そこにいるのは先程までの”じいちゃん”ではなく、北方の豪傑”グリゴール・ヴァロア伯爵”その人だった。


「そしてお前の目はこうも言っている。

 ”それに私は近づけても、決して届かぬ夢”だとな」


 その瞬間、まるで何処かに封印していたのが突然決壊したかのように、モニカの凄まじい”激情”が全身を駆け回り、そこら中から熱を持った汗が噴き出した。


” 違う!! ”


 頭の中にモニカの絶叫が響く。

 いつも会話に使っているやつではなく、モニカの感情が極地に達し、それが言葉として幻聴するやつだ。

 だがじいちゃんの言葉は止まらない。


「そのような事をするのはやめろ。

 届かぬところに手を伸ばして傷つくのは自分だぞ」

「わたしには”ロン”がいる!」


 モニカが反射的に叫ぶ。

 だがその瞬間、じいちゃんの表情は一層険しいものになった。


「ほう・・・そのスキルは”ロン”というのか」

「あっ・・・」


 じいちゃんの指摘にモニカがハッとなる。


「直情的なその性格。 やはりお前はヴァロア家の者だな、きっと誰も疑わないさ」


 じいちゃんは少し馬鹿にしたようにそう言った。


「話を聞く限り随分と強力なスキルのようだが、お前の目を見る限り・・・それでも足りぬ・・・のだろう?」


 モニカは無言でじいちゃんを睨む。

 だが答えることは出来ない。

 ただ、ギュッと握りしめた拳が、じいちゃんの言葉が間違いでないことを示していた。


「何に囚われているのかは知らぬが、己の”本分”を理解しろ。

 誰よりも優れたその力をドブに捨てる気か?」


 じいちゃんは厳しい声で、だが諭すように丁寧にモニカにそう言う。

 一方の俺はそれに対し、何も言えない。

 じいちゃんの言うことは、俺自身薄っすら・・・・とそう思っていたからだ。


「私の言うとおりにすればいい。

 そうしなかった奴は皆死んだ」

「わたしは死なない」


 じいちゃんの言葉に、モニカが衝動的に噛み付く。

 だがそれに、じいちゃんは呆れた様子で返した。


「その”生き方”でか? 説得力がないぞ」


 それを聞いたモニカが口をギュッと結び、全身に力を入れる。

 まるで彼女の怒気を象徴するように背中から熱を帯びた汗が立ち上り、北国の冷気で冷やされて湯気になっている。

 それでも、モニカには言い返すだけのものが残っていなかった。


『・・・行くよ』


 代わりにモニカは俺にそう言うと、飲みかけのお茶を置いて立ち上がり、じいちゃんに挨拶もなく後ろを向いて扉へと歩いていった。

 その足取りは、ドスドスと音を立て不機嫌さを隠さない。

 だがその背中に、じいちゃんの言葉が追い打ちのように突き刺さる。


「まだ、調律師が来るまで時間がある。 部屋で少し休んでおきなさい・・・」


 その言葉にモニカは一瞬だけ足を止める。

 だが、すぐに歩みを戻すと勢いよく扉を開けて廊下に出た。






爺さん・・・とは、仲良くやれそうか?」


 一階に降りてきた所で、ヘクター隊長が声をかけてきた。

 その顔は茶化すように軽い。

 じいちゃんとの初顔合わせが嫌な終わり方をしたというのは、別に盗聴しなくたってモニカの全身から噴き上がる怒気を見ればわかることだ。

 こんな風に憤るモニカを見るのは中々ない。


 すると、続いてイリーナが少し心配そうな表情で出てきた。


「大丈夫ですか?」


 そう言いながら、なんとも言えない表情で上の階を見つめる。

 そんな事をすれば聞いていたことがバレバレなのに、隠すよりも俺達のことを心配するとは・・・


『・・・・イリーナは正直だね』


 モニカが俺にそう言いながら、フッと笑って若干怒気を緩めた。


「大丈夫・・・そのうち慣れると思う」 


 そう言いながら肩を落とした。

 モニカだって、じいちゃんが悪い人じゃないことくらい理解できる。

 ただ、自分の夢を否定されて黙ってられるほど大人じゃないだけだ。


 するとヘクター隊長が、やれやれとばかりに呟いた。


「そんだけ面倒くさい反応ができれば、十分に”本物”だな」





 モニカが部屋を出ていったあと、2階の応接室でヴァロア伯爵は顔を抑えて塞ぎ込んでいた。


「ああ・・・またやってしまった・・・私はなんて馬鹿な男だ・・・」


 ヴァロア伯爵が嘆く。

 だがそれを、茶器類の片付けに入ってきたカローラは呆れた様に眺めていた。


「本当に馬鹿な人ですね」

「・・・今度こそ・・・今度こそ、ちゃんと向き合おうと思ったのに・・・」


 その言葉に、カローラは手を止めて大きな溜息をつく。


「ハァ・・・人が30年で変わるわけないじゃないですか。 むしろ固くなって、余計に面倒くさくなりますよ」


 そう言いながらカローラはヴァロア伯爵を見下ろした。

 老婆のその顔には、この城同様年季の入った憐れみに近い感情が浮かんでいる。


 それでも己の本分を弁えていたカローラはすぐに片付けを再開すると、茶器を乗せた盆を抱えて立ち上がった。

 だがその時、ヴァロア伯爵がまるで懇願するような声を発する。


「カローラ・・・あの子の”目”を見たか?」


 それを聞いたカローラは、その場で立ち止まった。


「・・・ええ」


 扉を向いて無表情のまま、ヴァロア伯爵を見ずにそう答える。


「どう思った?」

「・・・お館様が言うところの・・・”死に急ぐ者の目”でしょうか」


 ヴァロア伯爵の問にカローラは短くそう答える。

 すると伯爵は、やっぱりかという調子で更に塞ぎ込んだ。


あいつら・・・・の目だ。 戦乱に散っていった、あいつら私の家族と同じ目をしている」


「今は平和な時代です」

「だがあの子の中には、その平和を一撃で叩き潰すだけの力が眠っている」


 ヴァロア伯爵の言葉に、カローラは唇をぎゅっと結ぶ。


「だからこそです。 その行末に関われる今度こそ、お間違いのないように」


 そしてそう言うと、カローラは扉を開けて廊下に出た。

 後に残されたのは肩を落としたヴァロア伯爵だけ。

 そこにフェルズの冷たい空気が伸し掛かっていた。

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