2-14【ヴァロアの”血” 7:~新たなる故郷、フェルズの街~】



 ヴァロア伯爵領、フェルズ。



 その中央に建つ城の中で、1人の老婆が大きな衣装棚を引っ掻き回していた。

 そこら中散らばる”女物の正服”。

 老婆はそれを引っ掴みながら、ああでもないこうでもないと呟いている。


 すると、その部屋の扉が勢いよく開けられた。


「カローラ! こんな所で何やってる!?」


 小さな城の中に老齢の男の声が響いた。

 彼はずっと動き回っていたせいで肩で息をしているが、その声色はいつになくはつらつとしている。

 それもそのはず、


「もうすぐ来る!」


 男はそう言いながら、手に持っていた紙をヒラヒラさせた。

 そこには大量の魔力回路が描き込まれ、その中心には”連絡事項”が書き込まれている。

 だが、それを聞いてもカローラと呼ばれた老婆の様子は変わらない。


「確認いたしますが、モニカ様のサイズは、フランチェスカ様の11歳頃とほぼ同じ・・・・という事でよろしいんですよね?」


 と至極マイペースで答えるだけ。

 それに対し、男は呆れたように肩を落とす。


「朝にコモドを発ったという連絡が来た、もう時間はない」

「だから急いでいるんじゃありませんか、モニカ様を旅装束で晩餐に参加させるおつもりですか? 街の者も来るのですよ?

 お館様も、そんな何かよく分かってもいない”魔法の代物”で遊んでる暇があるなら、髭でも剃ってきてくださいな」


 カローラの言葉にお館様と言われた男は顎を押さえる。

 この男、ヴァロア伯爵の顔には確かに僅かだが髭が伸びており、それを指摘された伯爵は、少しの間逡巡した後、結局トボトボとした足取りでその部屋を去った。

 それを見たカローラがしたり顔で衣装棚へ向き直る。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 ヴァロア領に入って最初に訪れた小さな集落のコモドから、俺達のために手配してもらっていた高速馬車の臨時便に乗り揺られること、はや5時間。


 初めて見る”新たな故郷”の景色は、また随分と殺風景なものだった。

 切り立った山脈が進行方向に対し平行に伸び、その間に無意味に平らな平原が広がり、その上を雪が覆っている。

 ちょうどピスキア周辺の景色をランダムに入れ替えたみたいな印象だ。

 ピスキアとは数千kmは離れているのに面白いのが半分、この気候帯のバラエティの少なさにガッカリというのが半分。

 まあ旧ホーロン圏はどこもこんな調子だというし、その辺は諦めよう。

 時折しょぼい森が広がっているが、針葉樹ばかりで花がないから、春だというのに寒々しさを助長していた。


『ロン、どれくらい広い?』

『ちょっと待ってな・・・』


 ええっと・・・あっちの端があそこにあって、こっちの端があそこにあって・・・それであそこがこうなってるから・・・


『この平地の部分だけだと、だいたいアクリラの半分くらいかな』

『ふーん、なんにもないね』

『こりゃまた、身も蓋もないことを・・・』


 まあ確かに、面積に直したら結構な広さの土地に特に目新しいものはないのだ。

 そう思っても仕方がない。

 モニカはなんともいえないアンニュイな感情を全開にしながら、窓に映る外の景色をぼんやりと眺めていた。

 ”未開地域”が終わってからというものの、モニカはどこか気の抜けている。

 特に脅威に感じることもなかった5日間だが、それでも5日もの間緊張していたのだからそうなっても仕方はない。

 ただ、モニカの中には未開地域内で出会った”部族”に拒絶されたことが、まだ引っ掛かっているようなのだ。

 モニカの浅い経験では、殺されそうになった事こそあれど、あの様に目を見て”お前は駄目”と言われたことなどないからな。


 ただ、あれはちょっと”変”だった。

 全員が”魔なし”なのもそうだし、持っていた”自動小銃”と思わしき杖もそうだが。

 魔力に疎いはずの彼らが俺たちの”異常性”を一発で見抜いて、それを理由に拒否したのも引っかかる。

 まあ、今はその辺について知りようはないのだけれど。


「フェルズまではどれくらいだ? 山は越えるのか?」


 高速馬車の前の方で、ヘクター隊長が御者の女にそう聞いた。

 どうやら彼も、この変わらない景色に辟易し始めているようだ。

 一方のイリーナは、彼女曰くあまり馴染みのない北国の景色を興味深く眺めている。


「いいや、山は越えませんぜ旦那。 というかもう見えてますわ」


 御者の女がそう言いながらニカリと笑って隙っ歯を見せると、面白そうに前を指さした。

 だがそこには、相変わらず俺達の胸みたいに無駄に真っ平らで薄っぺらい平原が広がっているばかり。


「なんにも無いぞ? フェルズは一応、街なんだよな?」

「左様でございます旦那。 フェルズは昔からヴァロア領の中心ですわ」

「その割に、建物は見えてこないが・・・」


 ヘクター隊長がそこで言葉を区切り、何かを見つけたように目を凝らす。

 そしてそれを見たモニカは、迷うことなく窓から身を乗り出すと、進行方向に向かって顔を向けた。

 すぐに俺が【望遠視】を発動させ、遠くの景色がドアップになる。


 現れたのは、”真っ黒”に塗りつぶされた大きな”三角形”。

 それがなぜか空間から浮いているような違和感をもって存在していた。


「・・・屋根?」


 モニカがとりあえず、見た目から一番近そうな物を口にした。

 すると、それに答えるように馬車の中から御者が答える。


「あれが”フェルズ城の大屋根”、この周囲1000㌔ブルで最強の要塞都市の”てっぺん”ですわ」


 そう言って誇らしげに笑う女。

 この地域で、如何に”ヴァロア”の名前が力強く根付いているかを象徴しているようだ。

 ただ気になるのは。


「ねえちゃん、この近辺じゃ屋根だけで城なのかい?」


 というヘクター隊長の言葉通り、今の所でっかい屋根しか見えていない。

 すると御者の女はさらに笑みを強めた。


「旦那、他所じゃ”上”に建てる街ばっかりかもしれませんが、それが全てじゃないですわ」


 ヘクター隊長がどういう意味かと訝しげな表情を作る。

 そしてモニカはモニカで、俺に観測用スキルの指示を飛ばしながらメガネインターフェイスユニットを弄って”屋根”の詳細を探っていた。

 徐々に”フェルズの街”の全貌が明らかになっていく。


 それは、いわば”結界村”と”要塞村”を組み合わせた”ハイブリッド村”とも呼ぶべき代物だった。


「”裂け目の中”に街があるのか!」


 ようやく状況を把握したヘクター隊長が驚きの声を上げる。

 その言葉通り、フェルズの街はこの広い谷の真ん中に走る大きな亀裂の内側にまるでこびりつく様に存在していた。


『こうする事で、外からは内側の様子が見えず、天然の高層構造により少ない面積で多くの人員を収容できるということだろう。

 面積の節約は使える結界の節約にもつながる。

 ”聖王式”の結界は簡素で効果的に獣を避けてくれるが、その効果範囲の都合上実質的に”村レベル”に限定されてしまうからな』


 俺の推察にモニカが感心したように頷く。


 更に近づくと、フェルズの街のより特徴的な構造が明らかになってきた。

 どうやら”裂け目”の手前に、人工の”堀”が掘られているようで、裂け目の縁がまるで壁のようにそそり立っていた。

 堀の外側は、なだらかな傾斜と急な崖の二段構造になっている。

 おかげフェルズに入ろうとする者は、どうやっても無防備な状態を一旦晒さなければならない。

 これならば仮に軍勢に攻められても対処できるだろう。


 その様子を見たモニカがニヤリと笑いながら、俺の口調を真似して呟く。


「・・・こりゃ、おもしろそうだ」


 するとイリーナがこちらを向いて不思議そうな顔を作った。





 裂け目の入り口に当たる両端は、巨大な城塞で塞がれていた。

 裂け目から他に出入りできる様な道は見当たらないので、文字通りこの裂け目の”栓”の役目をしているのだろう。

 その上部から堀の反対側に途中まで掛けられている橋に向かって”跳ね橋”が降り、すぐ通れるようになっている。

 ただ気になるのは、その跳ね橋が随分と傷んで馬車の重みでギシギシと音を立てていることだ。


「これ、大丈夫?」


 窓から馬車の下側を覗きながらモニカが御者台の方へ声を掛ける。


「ははは、すいませんモニカ様、なにぶん”人手不足”でして。 街中にガタが来てるんですわ」


 そう言ってケラケラと笑う御者。

 その声が、俺にはなんだか薄気味悪く感じてしまった。

 だがその言葉に嘘は無いようで、城塞の方も遠くからは立派に見えたが、近くで見ればそこら中に痛みが見える。

 これでは、おそらく本来の半分も機能しないと思われた。


『これ、はね橋上がるかな?』

『無理じゃねえの?』


 跳ね橋のたもとを通過する時、錆びついた巨大な軸を見ながら俺達はそんな会話を行った。

 こんな肝心なところに油を挿す暇もないとは。

 これでは跳ね橋の”跳ね上がる”という機能は死んだも同然。

 いや、実際に城塞としての機能は失われているのだろう。

 残された機能は、跳ね橋の根本に設けられた小さな木製の門だけ。

 それもロメオやイリーナならば、ジャンプすれば軽く超えられる高さでしかない。

 こうなってしまえば、その荘厳な姿はむしろ打ち捨てられた感じを助長していた。


 御者の女が門の番兵と話す。

 彼女はこの近辺をずっと回っているので、番兵とはもうすっかり顔なじみに見える。

 ・・・つまり、この番兵の代わりはそれほど多くないと思われた。

 それでも番兵は女から俺達の話を聞いたのだろう、先程からずっと窓から身を乗り出しているモニカを見留ると、すぐにこちらを向いて姿勢を正した。


「モニカ・ヴァロア様の御到着!!!」


 その番兵が大声で叫び声を上げる。

 すると、門の向こうの方で何やらバタバタと人が動く気配が流れ、モニカの視線がゆらゆらとそちらに向かう。

 門が開くのは、それからすぐだった。

 ゆっくりと、頼りない”ミシミシ”というノイズをがなり立てながら開く門。

 よく使うものなのだから、もうちょっと丁寧に手入れできないものか。


 それでも、開かれた門の向こうに見えた”景色”は一見の価値の有るものだった。


 俺達の目に、裂け目の内側の構造が初めて明らかになったのだ。

 眼下に広がる、”細長い空間”。

 まるで両側から凄い力で引き裂かれたかのように不規則な形の亀裂は、20kmに渡って続き、広いところでは幅が500mほどに達していた。

 街の建物が有るのはその中ほど、全体の長さからいうと5分の1くらいの割合か。

 谷の深さは幅の広さにある程度比例しているらしく、真ん中ほど深く端に行くほど・・・つまり俺達の今いる城塞に近づくほど狭くて浅い。

 城塞の周囲は深さが足りなかったのか、人工の壁で継ぎ足しているくらいである。


 扉が完全に開かれると、内部側に付いていたのであろう兵士たちが一斉に飛び出してきて整列した。

 その数は全部で4人。

 手前側の人員を足してもやはり少ない。

 それでも彼らが一斉に腰に挿していた剣を掲げると、それなりに迫力は出ていた。


「モニカ・ヴァロア様の御帰還、フェルズの全員が心よりお待ちしておりました!!」


 番兵の一人がそう叫ぶ。

 ”様付け”で呼ばれるのは慣れないもので、見送られながら通過する時に、モニカからこそばゆい様な感覚がどっと流れ込んでくる。


 門を抜けると、今度は裂け目の中へと降りていく緩やかな坂道が目に入ってきた。

 その坂は要塞の内部を突っ切るように下に続き、途中で2回ほど切り替えして底まで続いている。

 まっすぐ進めないのは坂のスペースの問題も有るだろうが、防衛を意識してのことか。

 俺達の乗った馬車は、その坂をゆっくりと下っていった。

 坂の両側からは、まるで坂を見下ろすように棚田のような”台”が幾つも広がっている。

 もし俺達がこの街を攻撃する敵なら、この台から集中砲火を浴びることだろう。

 もっとも、そんな状況には陥らないだろうけど。

 この構造は、明らかに魔法が”只の筋肉増強剤”だった頃の戦術思想に基づいている。

 ”現代戦”ではきっと城塞ごと吹っ飛ばされるのがオチだろう。

 俺達ならそうするし、そうできないなら攻めない。


 そこで俺は、この要塞の手入れが行き届いていない理由がなんとなく見えてきた。

 よくよく考えれば、ホーロン時代のこの辺りは南部諸国との前線にも近く、大きく睨みを利かせる位置にある。

 それがアルバレスに組み込まれ、国境線から遠ざかり戦い方が大きく変わったことで、その”戦略的価値”を失ったのだ。 


 今はただ、”消えゆく貴族ヴァロア家”と共に、静かに自然に溶けるのを待つだけの存在なのだろう。


 石畳の坂が終わり、裂け目の底の地面に出る。

 だが見た感じと振動からして、底の地面は殆どが”岩”で土や砂の成分は殆ど無い。

 むしろ石畳よりも硬いくらいだ。

 降りてみると裂け目の底はかなり深かった。

 最深部まで降りると裂け目の縁は遠く霞んで見る。


『ざっと300ブルってところか、ラックですらここに落ちたら只では済まないだろうな』

『うん』


 それに、ここからだとフェルズの街並みがよく見える。

 面白いのはフェルズの街の真ん中に、結構な高さの”丘”が有ることだ。

 丘といっても緩やかなのは裂け目に並行している前後の部分だけ、裂け目に近い側は完全に切り立った断崖になっており、こっから見た限りではもはや”天然の高層ビル”といった具合である。

 おそらく、この裂け目ができた時、この丘の部分だけ両側から外れて取り残されたのだろう。


 そしてその丘の上に、岩をくり抜いて出来た”古城”が鎮座していた。

 この高い丘に建てることで、屋根の部分を裂け目から出すことができるらしい。

 だが丘の麓から見ると、本当に城全体が”屋根の土台”と呼んだ方がしっくり来るほど巨大な大屋根だ。

 そして、その最上部には物見台のような構造がここからだとハッキリ見える。

 きっとかつて”やぐら”として建造されたのだろう。

 だがここも他の軍事施設の例に漏れず、その機能は失われているようだが・・・


 裂け目の底は、暫くの間は細い道が続いていて、この辺りにはあまり建物はない。

 途中3件ほど、旅人向けと思われる店を見かけたが、殆ど開店休業状態といった感じである。

 面白いのは、その全ての軒先に巨大な熊の剥製が魔除けのように飾られていることだ。

 リストを見る限り、この地域では”プルト”と呼ばれるレブロンの亜種だろう。

 もっと北に住んでるアントラムの亜種よりは小さいが、結構な迫力だ。

 この辺りの土着信仰か何かだろうか?


 しばらくすると”市街地”の部分に差し掛かる。

 すると周囲の様子が文字通り一変した・・・・

 突然、”妙な活気”が出てきたのだ。

 家の周りや、崖沿いの坂を沢山の子供たちが元気よく駆け回り、その声が裂け目の壁面に当たって乱反射している。

 その騒がしさったら。


「なんだ、意外と活気があるじゃねえか」


 ヘクター隊長が意外そうに外を眺めながら呟いた。

 それに御者の女は軽く笑う。


 ここまで来ると底はかなり広く、ちょっとした街並みを収めるくらいの面積はあって、一番広いところなど並行して道が3本走っているくらいだ。

 とはいえ、住居などは崖に齧りつくように建てられている・・・というか、もうあれは玄関部分以外は全部、崖面の内部に掘ってあるな。

 その軒先には、近隣の森から取ってきたと思われる木材や炭が大量に置かれていた。

 この近辺はかなり寒くなるので、燃料消費も馬鹿にならないだろう。


『でも、裂け目の中に入ってから結構暑いよ?』

『たぶん意図的に熱を籠もらせて、街全体で暖を取ってるんだろう。 これも”裂け目”の中に街を作るメリットだな』

『へえ』


 モニカはそう答えると、少し興味が出たようにまた大きく窓から身を乗り出す。

 すると、近くを走る子供たちが俺達を見て笑い声を上げた。

 それに対しモニカも拙いアルバレス語で返し、それに対し子供達も手を振る。


 ”故郷の第一印象”としては悪くない。

 

 それが俺達の共通した感想である。

 俺達を載せた馬車は、そのまま街の中を少し進み今度は古城へ向かう坂を登り始めた。


「フェルズ城へ来るなんて、営業許可を貰ったとき以来だわ。 城の人は下まで降りてくるからね」


 御者の女がそう言ってどこか楽しそうに笑う。

 確かに、この坂から見る景色は結構な物があるからな。


「すごい・・・」


 モニカが、目の前に広がる裂け目の壁面に感嘆する。

 後ろでは、イリーナも若干身を乗り出し気味に反対側の窓に齧りついていた。

 ちょっと可愛い。


 馬車は、坂を登りきったところにあるフェルズ城の玄関前広場で止まった。


 そこには、侍従と思われるメイド服(コスプレじゃない方)っぽい人影が2人。

 片方はもう老い先短そうな女性で、もう片方は逆に俺達とそんな変わらない年頃という非常に両極端な組み合わせだ。

 その2人が窓から首を伸ばす俺達に向かって深々と頭を下げる。

 ”ホーロン式”か・・・

 だが幼い方は目を合わせない挨拶に慣れていないようで、頭を下げている間もチラチラとこちらの目を見ていた。

 その所作を見る限り、少なくとも彼女は殆どメイドとしての経験を持っていないのだろう。

 まあこの年齢だしな。

 そしてやっぱり対照的に、老婆の方は逆にアルバレスに馴染みがないレベルで経験豊かな感じ。

 それでも、ビシッと姿勢を正すと威勢のいい声を張り上げた。


「お初にお目にかかります、モニカ様。

 私はヴァロア家の侍従長:”カローラ”と申します。 隣は見習いの”アルト”。

 モニカ様の滞在の間、我々2人がお世話をさせていただきますので、何なりとお申し付けください」


 カローラと名乗る老婆はそう一息に言い切ると、再び深々とおじき。

 すると頭を戻していたアルトがそれを見て慌てて頭を下げる。


『ちょっとかわいい』


 アルトは、モニカがそんな感想を呟くくらいには可愛らしい。


 だが、そんな事を考えていると馬車の客室からイリーナとヘクター隊長が歩み出たではないか。

 それを見たモニカが慌てて自分も窓から身を引っ込めて、客室から飛び出す。

 するとアルトがそんな俺達をちょっと面白そうに見てきた。

 なんというか・・・少なくともこの子とモニカは仲良くやれそうだ。


 その時、急に周りが騒がしくなってきたことに気がついた。

 見れば、対岸の裂け目の壁に建てられた家々から、人々がこちらに向かって指しては口々に何かを話し合っているではないか。

 そこだけではない、その流れは徐々に街中に広まり、あっという間にフェルズの街全体の目線がここに集中していた。


「モニカ様到着の知らせが届いたようですね、きっと番兵が知らせたのでしょう。

 ここしばらく、街中の話題の種でしたから」


 カローラがそう説明し、それを聞いたモニカが驚いた様子で彼女を振り返る。


「”わたし”を見ているの?」

「ええ」


 カローラの答えに、モニカが再び観衆に視線を戻す。

 眼の前に広がる街全体から、俺達は見つめられていた。


『モニカ、手を振ってやれ』

『こう?』


 モニカがぎこちなく手を振ると、正面の壁の住居から大きな歓声が上がった。

 突如沸き起こったその迫力にモニカが押される。


『そのまま、ゆっくりと反対側を向くんだ』


 そんなモニカに俺は努めて優しい声色で”助言”し、モニカは手を振る動作を作ったまま、ゆっくりと反対の壁の方に向いていく。

 すると向きが変わる度に、その都度正面の観衆が大きな”声”を発し、反対側を向く頃にはその興奮は街全体を塗りつぶしていた。

 その”声”は次第に1つのうねりにとなって纏まっていく。


「「「「 モ ニ カ !!  モ ニ カ !! 」」」」


 その声が俺達を包み込み、その中へと染み込んでいく。

 モニカのあまりにも浅い社会経験の中で、これほどの量の人間に真正面から・・・・・俺達を指して声援を受けた経験などあるはずもない。

 

「入りましょうか」


 カローラがそう言うまで、いったいどれくらい時間が経ったのだろうか。

 何時間も経っていたような気もするし、一瞬だった気もする。

 俺は、それが12秒だったとはモニカには伝えなかった。

 古城の門を潜る直前、モニカは名残惜しそうに手を振っていたので、そんな野暮なことはしたくなかったのだ。



 城の中に入ると、外の歓声の音量は一気に小さくなった。

 それでもわずかに、まるで地鳴りのように響いている。

 俺達の歓迎っぷりはかなりの物らしい。


 だが、それを切り裂くような、冷たい言葉が石造りの玄関ホールに響いた。


「痛々しいだろう?」


 その言葉に、その場の全員が弾かれたように声の方向に向く。

 まるで全員が、その瞬間までその人物・・・・の存在を認識していなかったかのよう。


 俺達の視線が、舐めるようにその人物の顔へ動く。


 初めて見たときに感じた印象は、”岩のような人だな”というものだ。

 白髪の頭に、真っ黒な目。

 思ったよりもしっかりとした体格のその老人は、やっぱり少し小柄だった。


「私に優秀な孫がいると聞いた途端これだ。 それまで、どこにいたのかも分からぬ連中までもが騒ぎ始めよった。

 奴らめ、私には全く期待しとらんが、私の”子孫を作る能力”は未だに信奉しておるからな」


 老人がそう言って苦々しげに笑う。

 彼が誰かなんて聞く必要はない。

 それは俺たちに似ている目元を比べなくても、感じるところはある。


 彼が俺達の表向きの祖父である”ヴァロア伯爵”、グリゴール・ヴァロアその人だ。


 そして、それを悟ったのは俺達だけではなかったらしい。

 イリーナはビシッと姿勢を整えると、一歩前に歩み出てアルバレス式の最敬礼を行った。


「”アルバレス選定勇者:イリーナ・ブガレフ”。 この度のモニカ様の”里帰り随行任務”、無事にヴァロア伯爵の下に到着いたしました事をご報告いたします。

 これがアルバレスより発行された、任務の証書です」


 そして次元収納の中から豪華な装飾の青い箱を取り出し、それをヴァロア伯爵に差し出す。

 ヴァロア伯爵はその様子をしばし眺めてから、徐にそれを受け取り、箱を開けて中の証書をしばし眺めた。

 その姿の様っぷり・・・・ときたら・・・


『すごい・・・』

『強いのか?』


 モニカの言葉に、俺は聞き返す。

 だが、


『ぜんぜん』


 とモニカは即答した。

 ただ、その答えに自分自身納得がいかない様子でもある。


『・・・でも勝てる気がしない。 ロンはなにかわかる?』

『うーん・・・と』


 当たり前のように発動させていた観測用スキル群のデータを解析に掛け、その結果を見比べる。


『測定値はどれも”並”以下、漏れている魔力の”ノイズ”も自然だからな、抑えてるわけでもなさそうだし・・・』


 もしこれが何らかのスキル持ちや、魔力をコントロールして意図的にセーブしているとするならば、放出魔力の増減にもっと規則性が見られるはずだ。

 だが、それもないということは、


『どうやら本当に”才能なし”ってことだろうな・・・』


 そう結論付ける他なさそうだ。

 すると、モニカから”渋々ながら同意”といった感情を寄越してきた。


 すると証書を読んでいた伯爵が、小さく咳払いをする。


「うむ、イリーナ殿。 この度の任務、誠にご苦労であった。

 おかげでこうして・・・」


 そう言いながら今度は俺達を指し示す伯爵。


「こうして私の孫・・・の顔を見ることが出来た」


 また随分と”私の孫”を強調した言い方だな。

 ここに居るメンバーは、少なくともこちら側に関してはそれが”嘘っぱち”であると知っているというのに。

 突如展開された”腹黒空間”に、耐性のないモニカが落ち着けずに体を縮こませる。

 だが、さすがの他のメンバーはこの空気の中でも何処吹く風だ。

 モニカのお仲間はアルトしかいない。


 そんな中、ヴァロア伯爵の視線がイリーナから横に動く。


「そちらは?」


 まるで”お前は呼んでない”とでも言いたげな声でヘクター隊長に問いかけるが、ヘクター隊長はヘクター隊長で、まったく臆することなくマグヌス式に敬礼した。


シンクレステラマリッド・アデオ・フェステメッセ・ビートレイ神聖王国近衛第一大隊所属、”モニカ連絡室”専属護衛隊長、”ヘクター・アオハ”。

 この度はヴァロア伯爵令嬢の護衛役として参ったところであります、閣下」


 するとヴァロア伯爵の顔が露骨に険しくなる。


「”アオハの虫”が、私の孫にくっついているというのか?」

「補足とすれば、私は”アオハ公爵家”ではなく、その西方分家”アオハ伯爵家”の生まれです、閣下」


 言葉の中に、暗に”お前と身分差はそれほど無いぞ”と含ませるヘクター隊長。

 だがそれで怖気づくヴァロア伯爵ではない。


「マグヌスにウジャウジャと居る”アオハの一匹”に違いはなかろう」

「ええ、あなたの姪孫である”エミリア様の嫁ぎ先”でもある、”アオハの一匹”にてございます」


『おお・・・』


 ヘクター隊長の言葉にモニカが感嘆を漏らす。

 流石、歴戦の戦士、この程度の嫌味には造作もなく切り返す。

 というか、完全に正面から受けて立つんだな・・・


 俺はそこに含まれる、”ヴァロア伯爵とマグヌスの関係”に気がついて、気が滅入りそうになった。

 ヴァロア伯爵の唇が、恐ろしげに持ち上がる。

 だがそこから出たのは、”癇癪”ではなかった。


「なるほど、”我が息子たちを屠った一族”の血はちゃんと受け継いでいるようだな」


 そう言うと、少し感心したようにヘクター隊長を見返すヴァロア伯爵。

 随分と物騒な台詞だが彼の中でのヘクター隊長の”評価”が、かなり上がったことは雰囲気で伝わってきた。


「よく参られた・・・”ヘクター”殿。

 我が孫の護衛、心から感謝する」


 そう言うと、ヴァロア伯爵はホーロン式の勿体ぶったお辞儀を行った。

 彼なりに認めた・・・ということか。

 するとヴァロア伯爵は纏っていた空気を緩める。


「よく来たな・・・いや、よく帰ってきた・・・・・というべきか」


 ヴァロア伯爵はそう言うと、俺達を順繰りに見渡してから最後にヘクター隊長を不信げに睨んだ。

 認めてはいても、完全に信じるには至っていないといった感じだろう。

 だがそれに対してもヘクター隊長は飄々としたまま。


「俺のことは気にしなくていいですよ。 ちゃんと”ヤバイ所”まで知ってるんで」


 と、あっけらかんと返すばかり。

 しかも”それ”は、ヴァロア伯爵の思っていたことだったらしい。

 伯爵は、若干居心地が悪そうに視線をそらした。

 一方、脇ではそれを聞いたアルトが興味深そうに首を伸ばし、それをカローラに掴まれて抑えらている。

 そして伯爵は、そんな様子の侍従たちに視線を向けた。


「カローラ! 御二方・・・を応接室に、晩餐はまだだが、何なら何か軽食を用意してやれ」


 伯爵がそう指示すると、カローラは無言で頷く。

 そしてそれを見た伯爵は、今度はイリーナとヘクター隊長の方へと向き直った。


「御二方には悪いが、我々2人・・・・で話させてくれないだろうか?

 積もる話もあるしの」

「ええ、もちろん」


 伯爵の求めに、すぐにイリーナが答える。

 だが、その言葉は更に続いた。


「ですが私の晩餐の用意は結構です」


 それを聞くと、伯爵の眉間に皺が寄る。


「私の招待は受けられぬと?」

「ご気分を害されたようなら謝罪しますが、我々”勇者”は本来ならば国の指示なしには誰からの招待も受けられません、ご理解を。

 私の任務は、モニカ様の”旅路の随行”。 そこにフェルズでの滞在期間は含まれていないのです」


 そう言うと、再びアルバレス式に敬礼を行うイリーナ。


「それは残念だ。

 晩餐もそうだが、あなたが居てくれれば、モニカも安心だろうに」

「その件に関しては問題なく。 ここにいるヘクター殿は優秀な戦士ですし、モニカ様も十二分に強い。

 北部一帯にモニカ様を正面から破れる者はいないでしょうし、搦め手でくる相手はヘクター殿の敵ではありません」


 イリーナのその”太鼓判”に、伯爵は片眉を上げてヘクター隊長を見つめる。

 一方、”勇者”のお墨付きを貰ったヘクター隊長は、わざとらしく嬉しそうな表情を作っていた。


「これからどちらに?」

「モニカ様がアクリラに戻られる10日後まで、北部を回ってみようかと考えています」


 イリーナは何でも無いようにそう答えた。

 真面目な彼女の事だ、きっと”回ってみる”というのは俺達が考えているよりも数段ハードで血なまぐさいに違いない。


「それでも、着いてすぐに発つというのも流石に失礼が過ぎるので、軽食だけは頂きましょうか」

「ぜひとも、ゆっくりしていってくれ。 カローラ!」

「はい、承りました」


 伯爵の指示を受けたカローラがそう答えて頭を下げる。

 そしてそのまま、イリーナとヘクター隊長に声をかけ、玄関ホールの奥に見える一階の広間の方へと案内を始めた。

 その前をアルトが少し慌てた様子で早歩きで進んでいく、きっと軽食の準備に行くのだろう。


 パタンという音と共に広間の扉が閉められると、玄関ホールに残されたのは俺達と伯爵だけとなった。


 3人は少しの間、お互いのことをじっと見つめていた。

 まるで”何か”を確認するように。

 なんとなく面影があり、血縁と言われればそうとも思えるというのが俺達の率直な感想。

 ただし伯爵の方はどう考えているのか。

 元々、そういうのを読み取るのが上手くないというのもあるが、伯爵の表情の”上っ面”に掻き消され、その”内心”が読み取りづらい。


 だがやがて伯爵は少し表情を崩すと、自分の後ろ、2階の入り口を示した。


「そんな所で突っ立ってないで、こっちに来るといい。

 茶くらいは、私でも入れられる」


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