2-X9【幕間 :~支える者、支えられる者~】



 結局その日も、街で休むことはできなかった。


 ハイエットを迂回するために、飛竜の限界活動距離まで飛ばしてしまったせいで、今イリーナの目の前で眠る飛竜の姿は、ビックリするくらい疲れ切っている。

 これは明日もそれ程飛べぬであろう。


 その事にイリーナは罪悪感でチクリと心が傷んだ。

 任務に盲進するあまり、大事な仲間の事を考えきれてなかった。

 幸い、”ミレーネミラーナ”までは300㌔ブルも行けば着く。

 明日は昼まで寝かせてやろう。


 飛竜の世話を終えたイリーナは、そのまま少し離れた所で焚き火を囲んでいる”同行者”の方へと歩いていった。


 その傍ら、周囲の様子を窺う。

 この近くだけ少し小高くなっているので見晴らしは良いが、相変わらず地平線まで野生の小動物以外の姿はない。

 まさかこんな所までハイエットが襲ってくるわけもないのに、なにを恐れているのか。


 イリーナは焚き火の前で火の番をしていた男に声を掛ける。


「寝ましたか?」


 そう言いながら、そこから3ブルほど離れたところで毛布に包まる小さな少女の方を見た。

 するとその男、マグヌスのヘクターは頷く。


「ああ、触らなければ安全だ」


 昨晩、様子を確認しようとうっかり触ってしまったイリーナを揶揄しているのか。

 この少女、モニカはどうも寝る時に防御用のスキルを展開しているらしい。

 触った瞬間、けたたましい警告音が鳴って、謎の黒い触手のようなものが飛び出してきた時は少し驚いたものだ。


 イリーナは気持ちモニカから距離を開けて、ヘクターの隣に腰を下ろした。

 もうだいぶ北に来たせいか、肌に刺さるような寒さに焚き火の炎が暖かい。

 別に”勇者”の権能があるので眠る必要はないが、それでも心を休める時間は必要だ。


「・・・昨日は、ありがとうございました」


 徐にイリーナはヘクターに向かってそう言った。

 すると、ヘクターがまるで攻撃でも受けたように軽く飛び退き、驚いた表情でこちらを見る。


「おいおい、どういう風の吹き回しだ?」


 その表情は気持ち悪いものでも見ているかのよう。

 それを見たイリーナは、この男に対して少し邪険にしすぎたかと、ほんの少しだけ反省した。


「それになんの事だ」

「モニカ様に・・・黙っていてくれて」


 イリーナの歯切れの悪い答えに、ヘクターの眉が歪む。


「何を?」

「”ハイエット”の事です」

「それこそ何の話だ」


「”レンガの勇者:ハイエット”・・・その能力について、本当は知っているのでしょ?」


 イリーナがその”指摘”をすると、ヘクターが疲れたように表情を変えた。


「知っている・・・と思ってたな。 だが今日のアレを見て自信はなくなったが」


 そう言って今日飛んできた方向・・・すなわちスティナ平原のある方向を見つめるヘクター。

 やはりハイエットの情報について、ある程度把握はしていたらしい。

 その事自体に驚きはない。

 アルバレスは機密扱いをしているが、あれだけ派手に動くハイエットの事を隠しきれるわけもなく。

 マグヌスでも一定レベル以上の機密情報に触れられるものならば、ハイエットの基礎的な情報が行き渡っている事は知っていた。


「何で黙ってたんですか?」


 イリーナはそんな質問を投げかける。

 モニカの”立場”を考えれば、隠す意味がわからない。


「教えていた方が良かったか?」

「いえ・・・あれはアルバレスの恥ですし・・・」


 正直、あまり小さな子供に吹聴してほしくないというのがイリーナの本音だ。


「それだけか?」

「・・・・」

 

 ヘクターの問にイリーナは押し黙る。

 自分の中のこの”なんとも言えない感情”を言葉にするのを憚ったからだ。

 するとヘクターは、まるでそれを察したかのように視線を焚き火に戻した。


「モニカ嬢の事だ。 知ればきっと”対策”を考え始めるだろう」

「それは悪い事なのですか?」


 ヘクターの答えに、イリーナは大きく驚く。

 対策を取ることのなにがいけないというのか?

 ましてやモニカはいずれ・・・


「モニカ嬢の場合はな。 対策を取ればきっとすぐに挑みかかるか、不用心に近づくか。

 もしくは相手に魅入られる・・・・・か。

 とにかく、すぐにぶつかりかねん。

 そういう子だ、そういう星の下に生まれている」


 へクターの答えはそんな雲をつかむような話だった。


「それはあなたの考えで?」


 たまらずイリーナは失礼にもそう聞いてしまう。

 だがヘクターは頭を振った。


「あいにく。 これはウチの”上司”の考えさ。

 モニカ嬢は今や俺の国にとっても重要な存在だ、馬鹿な消費はできないんだと」

「消費・・・ですか」


 その無機質な言葉にイリーナは若干の薄ら寒い感情を覚える。

 その”上司”とやらは、人の運命的なものを信じているくせに、それすら損得勘定で考えているかのような口ぶりだ。

 だが、どうやらヘクターはその”上司”の言葉を信じているらしい。


「そう言ったのは、ファビオ殿ですか?」


 イリーナは、モニカ連絡室で会った、あの”無害な男”のことを思い出す。

 あの男に、そのような冷たい判断ができるとはとても思えないが・・・


「いや、もう少し”上”の上司だ」


 だがヘクターはそう言って笑う。


「色々と”問題”のある人だが、人を見る目は確かだ・・・怖いくらいにな」


 そう言うと、ヘクターはモニカの方に意味深な視線を向けた。


「まったく、付いて行けねえよな・・・”コイツラ”の次元には」


 そう言うなり今度は遠い視線になる。

 すぐにイリーナは、その”コイツラ”の中に自分が入っていないことに気がついた。

 だがハイエットと比べれば並の”勇者”ですら、彼と同じ”無力な者”に含まれてしまう存在だ。

 そしてこの少女に内包している”力”と比較しても・・・


「私は、あなた程弱くはありませんよ」


 だがイリーナは、なけなしの虚勢を張って冗談を言うと、ヘクターが声を上げて笑った。


「そりゃ、俺の方が年寄りだからな。 少しは労れ」


 そうやってヘクターがひとしきり笑っていると、この場になんとも言えない軽い空気が立ち込めてきた。

 まるで懸案事項など存在しないかのようなその声に、イリーナの心も少し穏やかになる。

 こういうのも経験というのだろうか?


 まだ若輩のイリーナには無い”力”だった。


「モニカ様・・・この子なら、いつか勝てるのでしょうか?」


 イリーナはふと、そんな事を聞いていた。

 それは明らかに、この場で聞く必要のないことだ。


 だがヘクターは、緩かった表情を一気に引き締めると、そのまま真剣な表情で考え込む。


「ハイエットは今・・・何人積み上げた・・・・・・・?」


 やはり・・・だが、本当に・・・知っていたか。


「約270万人ほど・・・」


 少し考えてから、イリーナはそう答えた。

 するとヘクターは手を顔に当てて天を仰ぐ。

 事態が想像よりも深刻であることを悟ったか。


柱は・・?」

「100人は超えてないでしょう・・・ですが内15人は”エリート”以上・・・確認できてるだけで”勇者級”が3人」

「ハイエット自身を含めて特級戦力が4か・・・それじゃアルバレスと変わらねえじゃないか・・・」


 ヘクターがそう毒づく。

 するとイリーナは自嘲気味に笑った。


「フッ・・・だから、負けた・・・んですよ」


 ついでに言うなら、その負けた時はここまで肥大化はしておらず、”勇者の質”も今よりも高かった。

 イリーナはこの力を得てもうすぐ7年になるが、未だにあのときの”勇者達”に比肩できているとは思っていない。

 その彼らが一蹴されたのだ。


 ヘクターは暫くの間、無言でなにかを考え込むように焚き火を見つめていた。

 まるでその火の中に答えがあるような表情で。


「そうだな・・・まあ、ウチの姫様がその気になれば、あれくらいは普通にやるだろうから、同じくらい強くなれば。

 あとはまとまっている・・・・・・・ことが有利に働くかどうか」


 その答えに、イリーナは大きく驚いた。

 ヘクターの答えの、少なくとも前半には・・・・・・・・・迷いがない。

 強い強いとは聞いていたが、まさか本当にガブリエラがそこまで強いとは・・・


 と、同時に、この隣で眠る少女の姿が少し遠のいた様な錯覚を起こす。


「まあ、俺に測れる世界じゃないさ。

 あんたはどう考えてるんだ?」

「私は・・・正直、ハイエットが負けるところを想像することができません。

 それに、他国の技術に最強の勇者が負けるというのも癪に障りますし、それをこんな小さな少女が内包しているというのも、心からは信じてはいません」


 それは予てよりずっと抱えてきた、イリーナの”本音”だった。

 周りがなんと言おうとも、イリーナはモニカにそんな期待はしていないし、そんな期待をするのはお門違いも甚だしいと考えてもいたのだ。

 だが、


「・・・ですが、ハイエットに虐げられる者の事を考えれば、モニカ様にその可能性があるというなら・・・

 ・・・それに縋りたいと考えている自分が恥ずかしくて」


 そう言うと、イリーナは唇を噛む。

 アルバレスの最高戦力として生きる今、その国内にすらどうしようもできない存在を抱え、挑むことすら恐れているのだ。

 これのどこが”勇者”だというのか。


「恥じるべきはあんたじゃないさ。

 兵士をやってれば、どうしようもない相手というのはいる・・・”勇者”とかな」


 するとヘクターがそう言って、こちらを見た。

 たしかに彼にしてみれば、イリーナだって”どうしようもない存在”だろう。


「だが、そいつと正面切って戦うだけが術じゃない。

 戦えなくとも、戦えるやつを支える事はできる」

「随分言い切りましたね」


 ヘクターの安い慰めに、イリーナは思わずそんな言葉を返してしまった。

 だが、それに対しヘクターはなぜか誇らしげな表情になる。


「ああそうさ、なにせ俺の初陣は”バートラムの戦い”だからな」

あの・・バートラム?」


 イリーナは驚いた。

 ”バートラムの戦い”といえば、あの”大戦争”における伝説的な戦いではないか。


「ああ、そうだ。 あれは俺の誇りだ・・・大英雄2人・・・・・の後ろで戦えたことはな。

 だから、あんたも諦めるのはまだ早い」


 まだイリーナの生まれる前の出来事ではあるが、その内容はトリスバル戦士学校時代から何度も聞いていた。

 そしてその戦いで生まれた、2人の英雄・・・・・についても。

 まさかこの冴えない男が、地獄と称された戦場を経験していたとは。

 それを知ったイリーナは、どうしても聞きたいことが出てきた。


その2人・・・・なら、勝てますか?」


 何を馬鹿な質問を。

 冷静に考えれば、”勇者”であるイリーナと同等程度の存在に、ハイエットが倒せるわけがない。

 だがヘクターは力強く言い切った。


「勝てるさ」


 ・・・と。

 そこになんの迷いもない。


「全盛期の”マルクスとカシウス”は無敵だ。 たとえあんたよりも弱いとしても、ハイエットだろうがウチの姫ガブリエラ様だろうが負けはしない」

「私より弱くても?」


 イリーナはその意味が理解できなかった。

 弱いのに負けはしないとは?


 だがヘクターの見立てが狂っているとは思えない。

 ハイエットの事は知らなくともガブリエラのことは知っているわけで、その上で”負けない”というからには、何か確信めいたものがあるのだろう。

 イリーナには理解できないが・・・


「それが”英雄”だ」


 ヘクターはそう言うと、イリーナの肩をポンポンと叩いた。


「ハイエットの事はあまり気にするな。 そういうやつは案外、予想もしないことでダメになるものさ」


 まるで老兵が新兵に語りかけるような言葉に、イリーナの中の勇者の誇りが僅かに燻る。

 だがそれと同時に、経験豊かな者のその言葉に安心している自分がいることに気づいて、それもまたイリーナのやるせなさを増大させていた。


 その時、イリーナはふと、僅かな違和感を感じている事に気がつく。


「・・・気づきましたか?」


 ヘクターに向かって小声で問う。

 するとヘクターが怪訝な表情になった。


「何が?」

「いえ・・・誰かに見られてる気がして」


 正確には今も見られている気がする。

 だが、どこからの視線なのか判然としない。

 それにこの近辺に、こちらを窺うような存在も見えない。


「気のせいだろ」


 ヘクターはそう言うと、手に持っていた枝を焚き火の中に投げ入れた。

 彼には感じられないらしい。

 これは本当にイリーナの考えすぎだろうか。


 その時イリーナは、ふと横で寝ているモニカの事が気になった。


「モニカ様は寝てますよね?」

「ああ、しっかりな。 寝ながら外の様子を覗うスキルでもあれば別だが・・・」


 一応、彼女が何らかの観測スキルや観測装置を持っている事は、これまで旅の中で知っていた。

 だが寝ているときに、周囲の様子を記録し続けるなど可能なのだろうか?

 イリーナの知る限り、スキルが無意識下でそこまで柔軟に動けるとはとても思えなかった。


「たぶん気の所為でしょう。 一応警戒はしておきますが」


 イリーナはそう言い残すと、立ち上がって再び寝ずの番へと戻る。



 だが、その違和感の正体が明らかになる事は結局なかった。

 真っ暗な平原は、まるでイリーナの悩みのようにどこまでも広がる闇に覆われているだけで、何も答えてはくれない・・・




※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 翌々日



 朝靄のミレーネミラーナを、イリーナは鬱蒼とした気持ちで歩いていた。

 足下でジャリジャリと音をたてる雪の歩きにくさも癪に障る。

 結局、この飛竜の旅最後の経由地には問題なく到着する事ができていた。

 イリーナにとっても初めて訪れる街ではあるが、この旅で訪れる他の街と同様、対して見どころはない。 


 既に、今日からの”徒歩”に向けた準備は昨日のうちに済ませてある。

 飛竜だって、10㌔ブルほど離れた軍の施設に預けてきた。

 一応、それなりの都市ということもあり物に困ることは無いのが救いだが、地方都市らしく朝の街は閑散としており、街行く中でイリーナとすれ違うのは疎らだ。


 今はモニカとヘクターが泊まっている宿に戻っている最中。

 眠る必要のないイリーナは夜の間、街の近くに迫っていた魔獣を片付けに出ていた。

 Dランク程度だが、こんな地方の都市にしてみれば十分に死活問題になりうる。

 夜明け前に討伐完了の手続きをしたとき、冒険者協会の職員に大いに喜ばれたものだ。


 一応弁明しておくが、巡回中の魔獣討伐は”勇者”の職務である。


 ・・・だが、今日は間違いなく気を紛らわせるための方便だろう。

 ”エリート”資格持ちとはいえ、ヘクターに任せたまま一晩モニカ随行の任から逃れたのだ。

 その事について、帰ったときモニカから責められても返す言葉はない。

 そして、そこまでしてもイリーナの心は晴れては居なかった。


「・・・切り替えろ」


 そんな心を叱咤する。

 此処から先、同行者の速度を考えれば昼頃には危険区域に突入してしまうのだ。

 このような気の迷いを抱えたまま進む訳にはいかない。

 そう言い聞かせながら歩みを進める。


 イリーナがモニカ達の泊まっている高級宿の近くに来たとき、不意に”ブンブン”という聞き慣れない異音が聞こえてきた。

 宿の建物ではない、その庭部分だ。

 そういえばこの宿は、広場のような閑静な裏庭が売りと言っていたな。

 だがモニカが寝たのを確認してからすぐに魔獣討伐に出かけたイリーナは、どのような庭かは確認していなかった。

 なのでイリーナはその確認も兼ねて、宿の正面玄関からではなく裏口から入ることにする。


 こんな外れの街にヘクターの手を煩わせる様な驚異があるとも思えないが、気になったものは仕方ない。


 扉を開けると、手入れの行き届いた林の向こうに小さな池があるのが見えた。

 更にその向こうには芝生の地面が。

 聞いていたとおり確かに品のいい裏庭である。

 生まれが裕福でないイリーナにとって、このような穏やかな空間の存在というのは、いつ見ても新鮮だった。


 イリーナはそのまま視線を端から端まで動かして、この異音の出処を探る。

 するとすぐにその正体が見つかった。


 芝生の広場の真ん中で、朝靄を切り裂くように非常に長い棒を振るモニカの姿があったのだ。

 その格好はこの寒い朝の中だというのに、下着の上に薄手の服を軽く羽織っただけ。

 その周りを彼女の牛が息を荒げて走り回っている。

 きっと普通の者が見ればその”意味不明な光景”に言葉を失ったことだろう。

 実際、イリーナも少しの間言葉を失っていた。


 だがその様子から、すぐにこれがモニカと彼女の牛の鍛錬なのだということは理解した。

 それに、その動きが思いの外鋭いことも。


 モニカが一心不乱に棒を振る度に、彼女の周りの朝靄が切り取られ撹拌される。

 棒の動きの無駄の無さは、鍛えた戦士並か。


 だが”棒術使い”であるという情報は聞いていたが、これほど長い棒を使うとは。

 モニカが今振り回している棒は、イリーナの槍の普段の長さ・・・・・よりも長く、小柄な彼女の身長の倍近くある。

 そんなものをあんなに色んな角度で振り回して、よく地面をこすらないものだと感心せざるを得ない。

 棒の動きを完全にコントロールしている・・・いや、むしろコミュニケーションを取れていると言うべきか。

 モニカは棒の反動すらも次の動作につなげていた。

 その動きに僅かな気後れもない。

 熟練した戦士は武器を信頼しているというが、彼女のそれは、まさに棒を信頼しきっているといっていいだろう。

 まるでそれが”呼吸”であるかのように、止まらぬ動作で棒の先端が動き回っている。


 イリーナは暫くの間、その動きに見惚れるように立ち止まっていた。


 それからどれくらいの時間が経っただろう。

 広場に、ついに完全に顔を出した朝日が差し込み、その光がモニカの姿を照らし出した。


 その瞬間、イリーナは息を呑む。

 棒を構えたまま仁王立つ少女が、朝日を受けて神々しいまでに力強く見え、それに圧倒されたのだ。


 それは”力の差”などではない。

 まだまだ今のイリーナでも勝つことはできるだろう、だがそういうことではないのだ。


 この子なら・・・モニカなら・・・


 その時、モニカの顔がこちらを向いた。

 その迫力に、思わず後ずさりかける。


 するとモニカは右手を地面につけ、そのまま棒のようなものを引き抜いたではないか。

 その棒の先端には丸い物がついている。

 ちょうど訓練用の模擬槍みたいな・・・


「イリーナ!」


 すると、モニカがそう叫びながらその模造槍を放ってよこした。


 どういうことだ?

 イリーナは思わずそれを受けてってしまったが、これでどうしろというのか。

 だがそれを何かの同意と受け取ったモニカが、こちらに向けて棒を構える。


「打ち合おうよ!」

「・・・?」


 尚も怪訝な様子のイリーナに、モニカは全く臆することなく続ける。


「なんかモヤッとしてるでしょ? そういう時は体動かすのが一番だよ」

「・・・・」


 見抜かれていたか。

 いや、あたりまえか。


「一応これでも、さっきまで魔獣と戦闘していたのですが・・・」


 それでもイリーナは、そう言ってやんわりと断ろうとしたのだが・・・

 モニカの姿が、いきなり”黒いなにか”に包まれた。


「わたしは、魔獣より強いよ?」


 その瞬間モニカの足元が文字通り弾け飛び、あっという間にイリーナとの距離を詰める。

 そして勢いそのまま、持っていた棒をイリーナに向かって叩きつけた。

 その覇気たるや。

 イリーナの体は、棒の威力ではなくその”気迫”に反応していた。


 咄嗟に動かした手持ちの模造槍が、間一髪のところでモニカの棒を打ち払う。

 そして訓練で魂にまで染み付いた動きで以て槍を動かしモニカの武器を完全に逸らすと、そのまま彼女の顔面に槍を突き刺した。

 手元に明らかに生身とは異なる硬い感触が伝わる。

 それに対し、イリーナは内心大きく肝を冷やす。

 しまった、あまりにモニカの棒の動きが鋭すぎて、手加減が全く出来なかったのだ。


 眼の前で、イリーナの槍に弾かれたモニカが膝を付きながら後ろに向かって滑っていく。

 だがその気迫は全く目減りしていない。

 無傷なのは模造槍の刃先が丸いおかげか・・・いや、モニカが今着込んでいる鎧のおかげか。


「それが、噂の”鎧”ですか・・・」


 イリーナも、レオノアと打ちあったという”黒い鎧”のことは聞いていた。

 だがその形状は情報とは少し異なっている。

 なんというか、聞いていたより”筋肉質”というか・・・

 そして頭部からは、2本の謎の細長い物体が両サイドに伸び、まるで”二つ結い”の髪の毛のようにも見えるそれは、触手のように柔軟に動きながらモニカの動きに追従していた。


「”グラディエーター” 最新型だけどね」


 モニカが心底嬉しそうにそう自慢する。

 なるほど・・・”最新型”というからにはレオノアに勝った時よりも強いのだろう。

 どうやら、その”テスト”に付き合わされなければならない運命だということを悟ったイリーナは、仕方なく持っていた模造槍をモニカに向けることにした。


「”本気”はなしですよ。 ここで動けなくなられたら困りますから」


 レオノアとの戦いで全力を尽くしたせいで、3週間くらい入院していた事をイリーナが指摘する、

 スキルは即応性が高く強力だが、同時に脆くもある。

 単純な”強さ”だけで判断してはいけない。


「じゃあ”権能”もなしね」


 するとモニカが面白そうにそう言って返してきた。


「ええ、もちろん。 ・・・もっとも、その必要があるかは分かりませんが」


 そう言って挑発する。

 するとモニカが即座に打ち込んできた。

 相変わらず恐ろしい速度とキレだ。

 だが、今度は落ち着いて対処する余裕がある。

 イリーナは模造槍をくるりと回し、モニカの攻撃を逸すと、そのまま彼女の顔面を狙ったと思わせながら腹へと打ち込んだ。

 悪いが模擬戦でも手を抜く気はない。


 だが吸い込まれるようにモニカの懐に進んだ槍が、その途中で向きを変える。

 逸した筈のモニカの棒が、その勢いを借りる形でクルリと回り、反対側の先端がイリーナの顔面を捉えかけたのだ。

 堪らず後ろに飛んで距離を取る。

 だがそれすらも、モニカの棒はクルリと回って刈り取りに来た。


「・・・!」


 選択肢のなくなったイリーナが槍でそれを受ける。

 すると手にビシリと衝撃が伝わり、折れかかった模造槍をイリーナの”権能”が保護した。

 もし何もなければ今の一撃でイリーナの槍は、砕け散っただろう。

 なんて力だ。


「すいません”権能”を使いました」


 イリーナが、事前の取り決めで禁止されていた”権能”の使用を謝る。


「いいよ、”ソレ”止められないんでしょ? それにその槍作ったの、わたしだし」


 モニカはそう言うと、再び猛攻を再開する。

 その嵐のような動きに、イリーナは翻弄された。

 勇者である自分の速度を超えるとは、明らかに普通じゃない。

 それにこのパワー!?


 受け止めたイリーナの槍が大きくたわみ、更にモニカの腕から発生した謎の異音と共にその圧力が増加する。

 カラクリはこの”鎧”か!

 まだ成長期の細腕では耐えきれぬ魔力で加圧された”筋力”は、”権能”なしのイリーナのそれと互角以上の出力があった。


 それでも”動き”はこちらが上!

 イリーナは槍の腹で棒を弾き飛ばすと、そのま槍を正中に構えて突撃する。

 棒術に対して槍の優位点は、この有無を言わせぬ突破力。


 だが驚いた事に、モニカはそれを棒で軽く小突くと、そのままイリーナの突進力を活かす形で横に回り込んだではないか。

 直線的な強さを持つ”槍術”に対し、曲線的な強さを持つ”棒術”。

 その真髄を目の当たりにしたイリーナは、まるで化かされた様な気分になった。

 そしてイリーナの突撃の威力を吸った棒が眼前に迫る。


 イリーナはそれを勇者特有の超反応でもって受け止めたが、全身にかかる強烈な圧力に、地面の土を捲りあげながら踏ん張る。

 何とかその一撃は踏みとどまったが、続けざまに飛んでくる攻撃を受け続けるしかできない。

 イリーナが構えられぬよう、不規則なリズムで叩きつけられる棒。

 その度に、動けない程の衝撃が掛かる。


 ギリギリで受け続ける槍の向こうに見えるモニカの姿は、大きく動く棒のせいか何倍も、何十倍も巨大に感じられた。

 これではまるで魔獣ではないか。

 その動物的な暴力性は、見た目の洗練さとはまるで違う。

 そしてモニカの纏う黒い鎧から、真っ黒な魔力の光が立ち上り、それが朝靄に混じって陽炎の様に見えていた。


「・・・っぐ! とぉあああ!!!」


 イリーナはその状況を脱するために、一気に右足を地面に踏み込んだ。

 空中を蹴って進めるほどの脚力の踏み込みだ。

 一瞬にして地面が砕け飛び、その反動を受け取った槍の穂先が一瞬で超高速まで加速する。

 だが、それすらもモニカは見て避けた・・・・・

 外れた槍の丸い刃先から飛び出した衝撃波がそのまま突き進み、裏庭の林の上部を貫く。

 と、同時に横から突っ込んできた一撃を躱すためにイリーナは槍を引っ込めた。


 接近しすぎた、完全に棒術の距離だ。

 この少女の小さな体からは考えられないような攻撃範囲には舌を巻く。

 片方の攻撃を防げば、反対側から更に強烈な一撃が飛んでくるのだ。

 そしてイリーナは有利な位置を確保しようと距離を開けるが、モニカはそれを逃さない。

 意識の外から飛んでくる棒の先端があまりに早すぎて歪んで見え、絡みついてくる”蛇”のように見える。


 激しくぶつかる棒と槍。

 その何合目か、モニカが地面を激しく打ち据えるとそのままイリーナに向かって跳ね上げた。

 イリーナの顔に土や石、芝生の草が激しく打ち付けられる。

 もちろんその程度で怯むイリーナではない。

 だがその土砂に紛れ込んだ棒の反対側を避けるために、大きく右側に倒れ込むように一回転すると、そのすぐ後ろをモニカの嵐のような猛打が追いかけてくる。

 その1打1打が地面に触れるたびに発生する地震のような振動に肝を冷やした。

 そんな攻撃、まともに喰らえば魔獣でも致命傷だ。


 だがよく見える・・・・・


 イリーナの中に刻み込まれた”勇者の本能”が、モニカの力に引かれるように徐々に顔を見せ始めた。

 転がるように避けながら、その何回転目かに足を伸ばしてつま先で地面を掴む・・

 それはコップ1杯保持できるか怪しいほど僅かな摩擦力。

 だが勇者の身体能力からしてみれば、その程度でも十分な土台になる。

 それを支点に、もう片方の足で空中を大きく蹴ると、イリーナの逆向きに爆発的な衝撃波が発生し、その反動で強烈な一撃が飛ぶ。

 ”空渡り”はルールで禁止されている権能なので使えないが、勇者の脚力で空中を蹴ればそれだけで十分な推力になった。


 さしものモニカもこれには反応が遅れる。

 とっさに棒で打ち払いにかけるが、躱しきれなかった一撃が彼女の真っ黒な兜の側面を”ギギギ”という嫌な音を残して通り抜けたのだ。 

 だがそこで終わるモニカではない。

 そして、そのことを直感したイリーナはモニカが動くよりも早く槍を引き戻すと、今度は別の場所を支点にして槍を叩き込んだ。

 勇者の脚力だからこそ可能な、槍らしからぬ”3次元攻撃”。

 四方八方から繰り出されるその攻撃に反応しきれなかったモニカが、棒を回しながらなんとか防ぎ続ける。


 完全に攻防が入れ替わった。

 曲線的で捉え所のない棒術は攻撃に置いては強力だが、槍のような高速で突破力の高い武器を相手に防戦に回ると脆い。

 イリーナの攻撃は、何度も何度も棒の防御をすり抜けた。

 だがそこで大人しく被弾してくれるモニカではない。

 その小柄な体格を活かし、受け残った棒の勢いを反動にして間一髪で避け続けたのだ。


 そして甘く入った一撃を見逃さず体勢を維持したまま避けきると、そのまま今支点にしているイリーナの左足を刈り取りに来た。

 だがイリーナもそれで止まる者ではない。

 すぐさま一回転しながら支点を右足に切り替えると、再び猛攻撃を開始する。


 ”楽しい”


 気づけば、イリーナの中にそんな感情が芽吹いていた。

 そしてそれがモニカの一撃一撃から滲み出していることも。

 頭の中の”不安”が消えていく。


 ”打ち合い”は残酷だ。

 高度になればなるほど、本気になればなるほど、限界がはっきり見えてくる。

 己の力の限界、己の心の限界、それらが剥き出しになるのだ。

 そして、だからこそ”憂い”が消える。

 なるほど、たしかにモニカの言うとおりだ。


 僅かな違いというのに、迷いの消えたイリーナの槍は遥かに鋭さを増した。

 そしてそれにモニカも追従する。


 いつしか2人は、激突する2つの”嵐”に変貌していた。

 お互いがお互いの勢いを殺そうと猛烈に噛み付く、だがいくら激しくぶつかっても消し切ることが出来ない。

 それが”イリーナとモニカ”だった。


 イリーナの渾身の一撃がモニカの防御を大きく崩した。

 僅かではあるが”嵐”の流れに乱れが生じる。

 それを逃すイリーナではない。

 すぐに2撃目、3撃目が繰り出され、モニカの防御の構えが剥がれていく。

 そして最後の一撃、イリーナの槍が大きくモニカの棒を弾き飛ばした。

 手から離れ、回転しながら飛んでいくモニカの棒。


 ”勝負あり”だ。

 その意味を込めて、イリーナは槍をモニカの首に突きつけんと伸ばした。

 

 だがその時、モニカの頭に付いていた”二つ結いモドキ”の片側が、明らかに能動的に動いて棒を掴んだではないか。

 驚いたイリーナの一撃が一瞬緩み、それを”髪”で持った棒が払い飛ばす。

 するとモニカはそれを追いかけるように”反対側の髪”で地面を掴むと、自由になった全身で反動をつけて強烈な一撃を叩き込んできた。

 どうやらあの”触手”は飾りではないらしい。


「・・・面白い」


 イリーナの槍を持つ手に力が漲る。

 対して、腕で棒を構え直したモニカの頭の後ろで、2本の触手がグルグルと回転を始めた。

 それもイリーナの感覚ですら追えない速度で。

 あの勢いで叩き込まれた一撃は、どれほどの威力があるのか。


「面白い!」


 イリーナの全身が、満ちて溢れた魔力によって白く発光を始めた。

 モニカが2本の触手の動きを止め、その勢いを全身を使って棒へと伝える、その瞬間にイリーナの渾身の一撃を叩き込む。


 そして、その”瞬間”。


 あまりの急加速に、モニカの体が文字通り完全にブレて消える。

 と、同時にイリーナの両足が”空間”そのものを蹴り飛ばした。


 そして黒と白の光の塊と化した2人がぶつかる・・・・その刹那!



「キュルルルルルルルルルルルルルrrrrrrr!!!」



 突如、横から突っ込んできた黒い大きな塊が、全てを薙ぎ払ったのだ。


 それに驚いたイリーナとモニカが慌てて回避に移るが、お互いもう既に全力の一撃を繰り出しに掛かっているので逃れられない。

 結果として2人はそのまま周囲の地面ごと持ち上げられ、恐ろしい勢いで吹き飛ばされてしまう。

 

 何だこのパワー!? 魔獣以上!?

 その猛烈なパワーにはさすがのイリーナも”勇者の権能”なしに耐えきることが出来ず、無様に地面を転がる。

 そして、ようやくそれが止まったところで膝をついて前を向くと、ちょうどモニカが「ぐぁ!?」っという声とともに、ベチャッと地面に叩きつけられるところが見えた。



「なにやってんだ! ガキどもが!」


 大きな声が裏庭一杯に響く。

 我に返ってそちらを見てみれば、モニカの牛にまたがり顔を赤らめて怒るヘクターの姿が目に入った。

 ・・・と同時にぐちゃぐちゃに掘り返された裏庭の悲惨な姿も。


「お前ら! 少しは加減しろ! まったく!」


 ヘクターが、そう言いながら牛から滑り降り、曲がってしまった木を元に戻す。

 だが、それが最後の一押になったのか、その木はそこでポッキリと折れてしまった。

 ヘクターの米噛みが、彼の怒りと呆れの混じった感情でピクピクと動く。


 どうやらモニカとの”打ち合い”が白熱して、周囲を確認できていなかったようだ。

 つい数刻前まで風光明媚だったはずの裏庭は、地面が掘り返され、木々が薙ぎ払われ、きれいな芝生が台無しになり、その上に土砂や岩が散乱していた。

 その事にイリーナは固まる。

 これの修繕費用・・・いくらくらい掛かるだろうか・・・

 一応・・・たぶん・・・きっと、この程度ならモニカの随行費用で落ちるとは思うが、それを申告するときの事を考えてまた気分が落ち込んだ。


 見れば”鎧”を解除したモニカの顔も申し訳なさそうに固まっている、・・・時々まるで聞こえない声に叱られているようにビクビクとしながら。

 するとそんな主人を見かねたのか、彼女の牛が駆け寄って鼻面を彼女の顔面に擦りつけた。

 と、同時にその牛が纏っている見慣れない装具から、”ブシュッ”っという音がして何かが外れ落ちた。


 あれは、”吸魔石”か?

 それがいくつか束になったものだ。

 だが見た感じ魔力は入っていない。

 構造的に魔力を詰めていないとも考えられないので、使い切ったと考えられる。

 だが、だとするならば、さっきの”あの一撃”で使い切ったのか?

 どおりで凄まじい威力なわけだ。


 イリーナはそのモニカならでは・・・・・・・な豪快な魔力の使い方に、心の底から呆れる。

 そしてそれと同時に、彼女に対する”疑念”が晴れていくのを感じた。


 もちろん、まだモニカがハイエットに勝てる確信はない。


 だが、もし”その時”が来て、彼女と轡を並べる事が叶ったのなら、イリーナはきっと全力でモニカを支えるだろうという確信は持つことが出来たのだ。

 それだけなのに、なぜか心が軽くなる。

 

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