2-14【ヴァロアの”血” 5:~未開地域珍道中:前編~】



「よし!」


 ミレーネミラーナの宿で荷物を纏めたモニカが、元気よく声を出した。

 朝から全力で動いたおかげでテンションは既にマックスである。

 そしてもうやり残す事はないと、部屋を後にしかかったのだが、


『ちょっと待った、まだ布団片付けてないぞ』

「あっと、わすれてた」


 俺の指摘にモニカが我に返ると、寝室の方へと駆け出した。

 アルバレス側の意向のせいか、泊まる宿は高級宿の”スイート”ばっかり。

 なので、当たり前のように部屋の中にいくつもの”部屋”が用意されているのだが、一晩泊まるだけなのに何の意味があるのやら。

 まあ、一応ボディガード(らしい)異性おっさんのヘクター隊長と”同じだけど違う部屋”で寝れるのは大きいか。


 だが寝室に戻るとフカフカのベッドから布団が剥ぎ取られ、地面に転がっていた。

 このベッド、魔獣の腱で作ったスプリングにこれでもかと高級羽毛がぶち込んであるので、まあ柔らかいこと柔らかいこと。

 そんでもって、そんなやわっちい布団ではウチのお嬢様モニカは全く寝付けないものなので、床にフロウを敷いてその上で布団に包まりながら寝たのだ。

 高級家具に対する冒涜も甚だしいが、こっちの方が寝やすいので仕方ない。

 岩のようにしっかりとした感触と、体に合わせて変形させた楽な形状はフロウでもないと不可能だろう。


 モニカは布団を元の位置に戻して確認すると、敷いていたフロウを次元収納にしまってこれで終わりと手を叩いた。





 しかしこの宿はアルバレスから一体いくら貰っているのか。

 今朝方イリーナと”やんちゃ”をやって裏庭を台無しにしてしまったが、チェックアウトのときにも特に何も言われることはなかったのだ。

 まあ、あの後すぐにイリーナが支配人と話し込んでたからな・・・たぶん補修費用とかの話なのだろうけど、アルバレスに無駄な出費をさせてしまって、早くも俺は恐縮気味である。

 これが変な”借り”にならなければいいのけれど。

 ・・・と、モニカに言っところ、”壊してたのは大半はイリーナだ”と言ってのけた。

 我が片割れながら大したものである。


 ヘクター隊長と一緒に宿を出ると、イリーナとの合流先にした北東門先の冒険者協会分所へと向かう。

 彼女、俺達としこたま打ち合ってからすぐにまた、各方面への連絡のために奔走していたのだ。

 これから未開地域へ入るという事もあってか、やる事は多いらしい。

 飛竜の旅ではぐうたらだったヘクター隊長も、今はピリリと”できるオーラ”を纏っている。

 ようやく”エリート”の本領発揮ということだろう。

 俺も次元収納の中身リストをもう1度見回し、必要な物がないか確認する。


 ミレーネミラーナは北の僻地と呼ばれるだけあって、街のそこかしこに雪がある。

 というか雪に埋もれていた。

 朝の街を行くと、住民達がせっせと雪掻きをしている光景を見かけたものだ。

 と同時に、こんな中でも薄着のモニカを凝視している。

 無理もない。


 だがそこに以前フラウスで感じた冷たさはない。

 ここはもう”旧ホーロン”の地域だから当たり前だが、まさか民族の対立をこんな形で味わうとは思いもしなかったな。

 そして当のモニカはそんな視線はどこ吹く風で、楽しそうに雪を蹴飛ばしている。


『雪だ、雪だ、雪がつもってる♪』


 と、呑気に歌いながら。


 

 街の内門を抜けると、急速に建物が疎らになり始めた。

 この街の壁は3重構造。

 一番内側から外側まで、離れている所だと10km以上離れている。

 この門のある壁はDランク以上の魔獣に対抗するため、高さが40mに達する立派なもの。

 更に高さを嵩増しするために堀まであるくらいだ。

 ここから見るとその迫力たるや。

 だが、その大仰な壁は何度の補修の跡が継ぎ接ぎのように色の違いを生んでおり、それがなんだかこの地域の生きづらさを象徴しているかのようで。


 イリーナがいる北東門は3つの壁の真ん中に当たる。

 ”未開地域”の最前線となる”最外周壁”は人が通るための門がない。

 つまりここが事実上の街の玄関という訳。

 だが前の門と異なり、門に近づくほど建物は減っていく。


『地図を見る限り、ここが最後の雑貨屋だがどうする?』


 門が見えてきたところで、俺がおもむろにそう聞く。

 そこはここから北へ向かう者向けだろうか、サバイバルグッズ的な物を沢山売っていた。


『うーん、ちょっと見ていく』


 そう言って、ヘクター隊長と一緒に店に入るモニカ。

 店の中は塩漬け肉の匂いが充満し、上から腸詰めや弓などがぶら下がり、足元には剣や槍と一緒に大量の矢が束になっている。

 それを見ながらヘクター隊長がこちらを見るが、モニカは少し残念そうに首を振った。

 どうやらここで役に立ちそうな物はないようである。

 とりあえず俺達はその店で、お土産として地元のお守り的な人形を購入すると、再び門へと向かったのだ。


 冒険者協会の分所は、門にくっつく形で存在していた。

 討伐対象動物の見分所などの一部施設は門の外にあるらしい。

 雰囲気としても実態としても、門の警備と一体化していると見て間違いないだろう。


 建物の中に入ると事務所で職員と話し込むイリーナの姿が見えた。


「イリーナ!」

「あ、モニカ様、いらっしゃいましたか」


 モニカの声かけにイリーナが応える。

 その声は気のせいか柔らかい。

 どうやら今朝の”打ち合い”は友好面でも効果があったようだ。


「そちらが?」

「はい、そうです」


 すると職員がイリーナにそう聞くと、俺達の事を値踏みするような目で見てきた。

 どうもチンチクリンな俺達が強そうに見えないのが気になるらしい。

 まあ、この職員も190cm超えは確実な体格だからな、無理もない。

 この世界の北国あるあるだが、路地を遊び回る子供の中に普通に2m台が混じるんだよな。

 全く、何食ったらそんなになるのか。

 少しは秘訣を教えてほしいものだ。

 おかげで元”純人国”のホーロン圏で獣人や亜人は見かけないのに、身長のレパートリーだけは南方と同水準ときている。


「ええっと、ここから先は確か特別な許可がいるんだけど持ってるかい?」


 職員ちょっと申し訳無さそうに聞いてきた。


『モニカ、”活動免許”』

『あ、うん』


 俺の言葉にモニカが反応する。

 アルバレスに入ってからこっち、言葉が中途半端にしか通じないモニカは俺の訳がメガネに表示されるのを読んでいるので、どうしてもタイムラグが発生するのだ。

 そしてモニカが懐から”第2種校外活動免許証”を取り出すと、職員の目が露骨に驚きに染まるのが見えた。

 まさか本当に持っているとは思ってなかったって顔だ。

 もしくは、そもそもこの免許を初めて見たのかもしれない。


 職員が免許証の確認と、未開地域への通行の手続きをしている間、俺達は掲示板などの方へ目を通す。

 やっぱり狩人向けなのか、野生動物の市場価格の案内なんてのがあるな。

 ただ情報欄などは近辺の話が主だったものだ。

 催情報や、求人情報とか、事件情報はミレーネミラーナ内の物ばかり。

 そして、それと対象的なのが”魔獣の欄”。


『多いな』


 予想通りというか、予想以上というか、広めに取られた掲示板にはビッチリと近辺で見つかった魔獣が張り出されていた。

 やはり未開地域に近いということもあってか、接する魔獣は多いらしい。


『どれくらいいる?』

『”B”が27、”C”が31、”D”以下が238・・・裏にもまだあるな・・・』

『たいりょうだ・・・』


 そりゃ人も住めんわ。

 だが気になるのは、


『BとかCは、ほとんど”差し止め”だね』


 モニカがその事実を指摘する。

 その言葉通り、手配書の殆どは賞金の欄が横線で消されていた。

 そればかりか値段すら書かれてないのが殆ど。

 そしてそれらの魔獣は、とある”一種類”にまとめられている。

 絵を見る限り、首の長い牛というか、体格の良いキリンというか。


「・・・”ラック”」


 モニカがその名を呟く。

 すると職員がすぐさま反応した。


「イリーナ様がいるので大丈夫でしょうけれど、”ラック”には手を出さないでくださいね」

「この辺の”セイタイケイ”に必要なの?」


 モニカが拙いアルバレス語で聞くと、職員は首を縦に振った。


「変に”ラック”が減ると、それを目当てにする魔獣が餓えて人を襲いだしますからね。

 それと悪くすれば、”ラック”の群れに恨みを買うことになる。

 この辺じゃ、怒り狂ったラックに潰された街の話は真偽問わずそこら中にありますからね」


 なるほどそういうことか。

 確かに”B”とか”C”が混じる群れに敵対認定でもされた日にゃ、こんな街などひとたまりもないだろう。

 おそらく普段は危険性が低いんだと思われる。

 この魔獣認定も、”狩ってくれ”というよりは”手を出すな”という意味合いが強いのだろう。


『”触らぬ神に祟りなし”ってやつだな』

『うん』


 次に目に入ってきたのは、この先に点在する開拓村や集落を支援するための”開拓債”の広告。

 ”冒険者協会”は都会では完全に銀行と化し、俺達も討伐依頼の斡旋所的なイメージが強いが、その本質は辛い未開地域で活動を行う”冒険者”を支援すること。

 そしてこの世界の”冒険者”という言葉には、”開拓者”という意味合いもある。

 つまりこの人界の最前線では、”冒険者協会”は文字通りの生命線なのだ。



 その後、免許証の確認が終わった俺達は外に出た。

 するとそこでは先に出ていたイリーナが、別の職員の説明を聞きながら己の次元収納に謎の木箱を入れていくところだった。

 聞けば、この先で俺達のコース上にある集落に届ける物資らしい。

 イリーナはそれを嫌な顔一つせずに入れていく。

 相変わらず真面目な人だな。

 ”勇者”ってもっと周囲からチヤホヤされて祭り上げられてるのかと思っていたが、少なくとも彼女を見る限り、その耐久力に物を言わせて国のために尽くす人という印象だ。

 そしてイリーナは最後に持っていく荷物の確認を職員と改めて交わすと、こちらに向き直る。


「行きましょうか」


 するとその後ろで、ガラガラと音を立てて大きな門が開き始めた。





 北東門の向こうは何もない平地が広がっていた。

 獣の接近を恐れてか、木は無く草も短く刈り込まれ、有るのは時折雪から頭を出す獣よけの結界発生機ばかり。

 時折そのメンテと見回りを兼ねていると思われる兵士の一団が見えることもあるが、それ以外に人影はない。

 彼らはすれ違うたび、イリーナの胸章を見て驚きと畏怖の念を込めて頭を下げ、ヘクター隊長の”マグヌス式エリート金バッジ”に胡散臭気な視線を向けてから、最後に俺達を珍妙な目で見てきた。

 無理もない。

 こんな珍妙な集団もそうは無いだろう。

 ロメオに跨がり”勇者”と”エリート”に先導させる姿はいかにも”超VIP”だが、跨がられているのはこの地域ではごく普通の”牛”に、乗っているのは季節感も地域感もゼロの薄着の少女。


 別にロメオに乗っている必要はないが、乗ってないと彼が落ち着かないので仕方ない。

 獣よけの結界で気が立ってるのもあるが、ロメオなりにメンバーが纏う空気が昨日までと違う事を悟ったのだろう。

 こいつは”ドラグーン”を展開すれば無敵のパワーだが、展開できなければただの牛だからな。

 そしてモニカと引っ付いてないと、1度しか”ドラグーン”を使えない事をなんとなく察してるんだと思う。

 モニカはそんなロメオを落ち着けようと何度も背中を叩いていた。



 しばらくすると、最外周の壁が見えてきた。

 石を積んで作ったというその壁は、高さが6mほど。

 ジャンプして抜けるには少し高いかな。

 ”人の手”があれば登れる窪みが設置されているんだとか。

 だが、これでも魔獣を止めるには心もとない。

 ちょっと頑張れば超えれるし、”Cランク魔獣”などは文字通り一跨ぎであるからだ。


 そして、そこで設置されているのが”獣よけ”だが・・・


『うっ、頭いたい!』

「キュルル!」


 近づいた途端発生した”不快感”に、モニカとロメオが揃って音を上げる。

 対魔獣用の強力な結界だ、当然俺達にも影響はある。

 見ればヘクター隊長も眉をしかめていた。

 イリーナだけが平気だが、彼女は”チート権能”があるのでノーカン。

 一応、4名ともそれを打ち消す魔道具を借りて身に着けているが、それでも結界の効力を打ち消しきれなかったようだ。


 ロメオが頭痛に負けて曲がりそうになる度、俺とモニカが必死でなだめる。

 何とかそれで持ち直してくれたが、時折ヘクター隊長に手伝ってもらう事もあった。

 おかげで壁に着いたときには、妙に疲れたものである。

 3人(+1頭と1スキル)の壁を見上げる視線に興味や感慨はなく、ただただ、いかに素早く超えるかに終始していた。


 まずは露払いとばかりにイリーナが先行する。

 さすがの6mも”勇者”の脚力の前では無いも一緒、反動もつけずに階段を一段上がるノリで上に立つと、その向こうを見渡してこちらに合図をよこした。

 それを見たヘクター隊長がロメオの尻を叩くと、自分の番だと理解したロメオが非常にイヤイヤながら足に力を込める。

 と同時にごく自然に魔力が流れ、結果として、ロメオは軍用魔馬もびっくりの跳躍力で軽い感じで壁の上に上りでたのだ。


 そして最後にヘクター隊長が自然な所作で足に魔法陣を展開すると、そのまま自然な動きで壁を横方向に立って歩いて登りきり、無作法にもジャンプした俺達を”やれやれ若いの”といった目で見てきた。

 さすが”エリート”様、余裕である。


 モニカが壁の外を向く。

 すると今度は、どこまでも荒涼とした大地が目に入ってきた。


 いや、これまでと同様木の少ないデコボコの大地が続いているだけなのだが、気のせいかちょっと荒い。

 妙に岩が転がっているし、所々不自然に地面が抉れていた。

 そしてその先に見える山脈の荒々しいこと。

 美しかったり荘厳だったりする山ならいくつか知ってるが、ここまで愛想のない山は見たことがない。


 それが俺達の抜ける”未開地域”の第1印象。


 そして俺達は壁の発する結界に追い立られるように飛び降りると、そのまま人を寄せ付けぬ大地への第一歩を踏み出したのだ。




※※※※※※※※※※※※※※※※※




 荒野を行く俺達の速度は、かなりのものがあった。

 イリーナが健脚なのは当然として、ヘクター隊長も当然の様に足が速いし、ロメオだって負けてはいない。

 おかげで、雪混じりで未舗装のでこぼこ道でありながら、自動車並みの速度で爆走することになった。

 これならば、1日200kmの予定など、すぐに消化するだろう。


 だが20分ほど進んだ頃、いよいよ山岳地帯に差し掛かろうかというところで、徐にイリーナが足を止める。


「どうしたの?」


 イリーナの周りを円を描くように駆け抜けながら止まるロメオの背中で、モニカがイリーナに聞いた。

 するとイリーナはこちらを向いてすぐに答える。


「少し休憩しましょう」

「え? でもまだちょっとしか来てないよ?」


 モニカが首を傾げる。

 確かに20分走といえば結構な運動だが、今ここにそれで音を上げるメンバーはいない。

 だがイリーナは、次元収納から地図と何かのリストを取り出すと、こちらに見せてきた。

 えーっと、なになに? ”ミレーネミラーナ地区討伐対象リスト”


「この先の、山を越えたところで討伐対象の魔獣を含む群れがいるらしいので、先に行って片付けて・・・・・きます。

 0.4時間ほどで戻るので、それまでここでお待ち下さい」


 そう言いながらイリーナは周囲に目を配り、最後にヘクター隊長に視線を送った。

 この周辺は開けているので、そんな短時間でヘクター隊長の手に余る脅威に近づかれる心配は無いだろう、という意味か。

 

 しっかし”勇者”ってのは、山1つ超えた先で魔獣率いる群れ倒して帰ってくるのに30分いらないのか。

 本当に、”ちょっとコンビニ行ってくる”的なノリで凄いことを言ってのける。

 だが、


「ついてっていい?」


 とそれに対しモニカはちょっとワクワクした様子でそう返した。

 なんでも、イリーナの戦いを間近で見たいんだそうだ。

 朝の”打ち合い”から何度もそんな事を呟いている。

 するとイリーナが窘めるような視線を向けてくる。


「駄目ですよ、私がいるとはいえ、一応魔獣がいる群れを相手にするのです。 取り漏らしが出るかもしれない」

「大丈夫、私も戦うから」


 だがモニカも引かない。

 即座に俺達とロメオの”強化装甲”を展開すると、どうだとばかりに腕を組んだ。

 戦闘態勢が組まれたことでロメオが何事かと周囲を見回す。

 その光景にイリーナがどうしたものかと頭を抱えた。


「諦めろ、この”暴れ牛共”は止まんねえよ。

 それに全員で行ったほうが時間の節約になる」


 するとヘクター隊長が援護射撃をくれる。


「それに”これ”の戦闘を見ておく、いい機会だぜ?」


 とウインクをしながら。

 するとその言葉が切っ掛けだったのか、それともモニカを説得するのが面倒くさくなったのか、イリーナは結局渋々といった感じに頷いた。

 まあ・・・今朝手合わせしたことだし、とりあえず魔獣に簡単にはやられない実力はあると思ってくれたのだろう。


「はあ・・・でも前には出ないでくださいね。 遠距離の方が得意と聞いているので、それでお願いします」

「うん! わかった!」


 イリーナの注意にモニカが元気良く答える、と同時に”次元収納”に手を突っ込んで、遠距離用の装備を取り出した。

 出てきたのは俺達の身長と変わらない大きさの巨大な大砲。

 それを即座に”強化装甲”が覆い、人の手で扱うにはあまりに禍々しい真っ黒な兵器が出現する。

 メガネインターフェイスユニットに踊る、”01式マジカル・ブレイク・キャノン”の文字。

 と同時に大量の魔力が流れ込み、その迫力にヘクター隊長が一歩距離をおいて身構え、イリーナの顔が強張った。


『おいおいおいおい、まてまてまてまてまて』


 慌てて俺が止めに入る。


『それはまだ無理だって! 制御系とかまだ作ってないって!』

『え!? あ! そうなの!?』


 こいつは”実験用”だ、実戦で使ったら最悪制御不能に陥る。


『まだ常時フルパワーだから、制御魔力炉がないと一瞬で魔力を持っていかれるんだよ。

 それにこんなの、”C”や”B”の魔獣相手じゃオーバースペック過ぎる』


 これはスリード先生みたいなのを相手にするためのものなのだ。

 するとモニカは少々名残惜しそうにそれを魔法陣の中に戻す。


「やっぱり・・・これはなしで・・・」

 

 するとイリーナとヘクター隊長が緊張を解き、ホッとした様子になる。

 だが明らかにこちらを見る目が変わっていた。


 代わりにモニカが取り出したのは、”対抗戦仕様”の”ドラグーンの槍”

 こいつならロメオの上でも扱いやすいし、”ロケットキャノン”と一体化しているので遠距離で戦える。

 モニカはそれを抱えると、さあ行くぞとばかりに歩きはじめた。





 山の上に出ると、かなり遠くまでハッキリと様子を見る事ができた。

 山一つ一つは大きくはないが、見渡す限りの大山脈が広がっている。

 そして当然ながら・・・


『捕捉した、メガネに出すぞ』


 ロメオの蹄部分に設置されたセンサーから得た振動データーを元に、望遠視のかかった感覚器が直接確認してその結果を反映して、メガネインターフェイスユニットにマークする。

 その結果、レンズには大量の赤い斑点が浮かんだ。


「聞いていたとおり、”スターク”ですね」


 イリーナが手配書と見比べながらそう呟く。

 ”スターク”は大型で犬形の獣で、人の集落を好んで襲うことが知られている”討伐対象動物”だ。


『しかも魔獣化してるのが、6頭もいる。 大きさ的にランクは低いだろうが、かなり危険度は高めだな』


 群れもかなり大きい・・・というか複数の群れが集まっているのか。

 手前の群れはこちら側の斜面にいるし、遠い方は反対側の斜面にいる。

 おそらく魔獣を抱えている群れを、小さな群れが取りまいているのだろう。


「里に近いですし狩りましょう。 とりあえず半分が目標、魔獣は4頭は減らしたいですね」

「わかった」

「はいよ」

『了解』

「キュル!」


 イリーナの指示に各々が頷く。

 するとその瞬間、まるで何かの合図でもあったのかスタークの群れが一斉にこちらを向くのが見えた。

 と、同時に手前側の斜面の一部の個体がこちらに駆け出してくる。

 体長は2m〜3mが殆どか。

 スタークの発する大きな唸りと咆哮が山に木霊して、凄いことになっていた。


 イリーナが背負っていた”白い槍”を取り出して構える。

 その動きは相変わらず見えない。

 だがよく見れば、槍自身もまるで”存在があやふや”であるかの様に、時折ブレて見るな。


「とりあえず近場は私が、モニカ様はご自由に、ですがヘクター殿から離れないように。

 ヘクター殿は参加しなくていいので、警戒をお願いします」


 そしてそう言い残すと、イリーナの姿が一瞬で消えた。


 次の瞬間、突っ込んできた群れの2列目の数匹を串刺しになり、1列目の個体が胸から血を流して倒れ込んだ。

 今の一瞬で移動したのか、だがまだ1kmはあるぞ!?


 そこからのイリーナはまさに”勇者”ここにありと言わんばかりの動きだった。

 まるで瞬間移動のように群れの中を動き回り、次々にスタークを狩っていく。

 だがスターク達は、事ここに及んでも実力差が理解できていないらしく、むしろ突然現れたイリーナに反応するように敵意をむき出しにしている。


 一方、少し離れていたところにいた群れは違った。

 リーダー格であろう魔獣が声を発し、小さな個体を引き連れて一斉に逃げ始めたのだ。

 そして反対に残った魔獣を中心とした大型の個体が、こちらに突っ込んでくる。

 反対側の山の斜面を駆け下りる群れのその姿は、全体で1つの個体であるかの様に統制が取れていた。


『まだ小さいやつは討伐対象にはなってない。 追う必要はないぞ』


 害獣だからといって全滅させれば、それで乱れたせいで悪影響が出かねない。

 幼い個体もいずれは大きくなるが、そこまでは手を出す必要はないとの事だった。


『うん』


 モニカがうなずきながら”槍”を構え、”ロケットキャノンモード”へ切り替える。


『どこ狙う?』

『手近はイリーナで十分、というか動きが速すぎて流れ弾が怖い。 遠くの数を減らそう』


 別に当たってもどうせ無傷だが、当てない方がいいだろう、それよりもまだ距離のある魔獣を減らした方がいい。


『最初は”アレ”』


 モニカが集団の先頭を走る魔獣個体に砲身を向ける。

 するとすぐに観測スキルの情報を各所へ繋いだ。


『距離5.6、目標速度120、追尾スキル正常可動、第1試射発射準備できたぞ』

『発射!』


 その瞬間、右手に持った砲身の先から長さ数十mに達する青いプラズマの炎が吹き出し、凄まじい爆音が辺りに広がった。

 その音に、ヘクター隊長が咄嗟に耳をふさいで屈み込む。

 そして強烈な衝撃を受けたロメオの強化ユニットが異音を立てて軋み、4本の足が地面にめり込んだ。

 だが彼の背中は全くブレない。

 それが己の本分と見たロメオが、その筋力で衝撃を抑えきったのだ。


 空中を飛ぶ真っ黒な魔力砲弾、その数は4つ。

 それらはゆっくりと広がりながら5kmを超える距離を駆け抜け、先頭を走る魔獣の周囲に着弾した。


 突然目の前に発生した巨大な爆炎に、10mを超える魔獣が木っ端のように吹き飛んで地面を転がる。

 だが命中はしてない。


『”試射弾”着弾、誤差は全て予想通り、修正完了、”本射”いつでも行けるぞ』

『”本射” 発射!』


 再びロケットキャノンの炎が噴き上がる。

 だが今度は、前より遥かに長く、そして断続的に何度も放たれた。

 その砲弾の雨が、まだ何が起こったのか掴めていない魔獣個体を襲う。

 魔獣の巨体は、一瞬にして爆炎の中につゆと消えた。

 最初の4発は誤差修正のための試し打ちだ、ここからは全弾正確に飛んでいく。

 そして近辺の個体も続けざまの攻撃で爆散していった。

 あとに残るのは、直径数十mの”穴ぼこ”。

 その光景を見たヘクター隊長が口をあんぐりと開け、続けて”やりすぎだ”と口だけで言ってきた。


『モニカ、威力が高すぎる、直撃したら後も残らんから、次からは出力を落とすぞ』

『うん分かった、でも魔獣の時は威力ちょうだい』

『了解』


 そこから威力を絞った俺達の狙撃の雨が、スタークの群れを襲った。


 完全な固定砲台と化した俺達は、ロメオの背中からひたすら砲撃をし続け、メガネインターフェイスユニットに映る情報を元に、モニカが魔力を込める。

 動きを補助するスキルは便利だが、モニカ自身でも感覚を掴んでおきたいらしいのでタイミングだけ指示に留めていたのだ。


 近場ではイリーナが文字通り無双している。

 哀れなスターク達が逃げ出したときには、もう既に逃げ時を失っていた。

 どんなに走っても稜線の向こうに隠れるまでの間に、俺達に狙撃されてしまうのだ。


 結局、視界からスタークの群れが消えるまで、1分とかからなかった。

 今は先に確認に行ったイリーナを追いかけて、谷に降りてきたところ。

 ちょうど最後に仕留めた魔獣の死体の側だ。


「手配書が出ている個体ではありませんが、魔獣化してますね。 魔獣5頭、十分です」

「ボスっぽいのは逃したけど、それでいい?」

「ええ、群れをまとめる個体が必要ですからね。 このスタークの群れは、しばらく大きく動くことはできないでしょう」


 イリーナはそう言うと、魔獣の巨大な首を切り落としてこちらに引きずってきた。


「懸賞金は掛かってませんが、これを持っていけば、冒険者協会で報奨金が出るでしょう」

「イリーナはいらないの?」

「勇者は冒険者協会の出す賞金は貰いません。

 私の全て・・は国の管理下にあることになっているので。

 それに魔獣は全て、モニカ様が仕留めてましたし」

「それは遠くに魔獣が固まってたから。 近くにいたらイリーナが全部やってた」

「ありがとうございます」


「・・・・わかっちゃいたけど、お前ら、本当に凄まじいな・・・」


 最後にやってきたヘクター隊長が、呆れ半分、畏怖半分みたいな表情で周囲を見回しながらやってきた。

 するとモニカとイリーナが揃ってキョトンとする。


「あれ、ヘクターだってこれくらいできるでしょ?」


 そのモニカの言葉に、ヘクター隊長は本当に呆れて物が言えないみたいな顔になった。


「・・・そりゃ、この群れをどうにかするくらいならなんとかなるかもしれないが、そんな勢い・・・・・は無理だ」


 そして、そう言いながら魔獣の死体を足でつつく。

 そこには明らかな”恐れ”のような感情が見て取れた。

 ヘクター隊長は”エリート”の筈なのに、この程度の魔獣が怖いのか。

 いや、”相性問題”か。

 実際、もし仮に俺達にパワーがなければかなり厳しかっただろう、俺が目覚める前のモニカなら、迷う事なく逃げた相手だ。

 そう考えると、本当に俺達って魔獣相手は得意なんだな。


 かつてクレイトス先生に言われた言葉が一瞬脳裏をよぎった。


「というか魔獣を一瞬で消し飛ばすとか、どんな威力してんだ?

 このちっちゃ体のどこにそんな力溜め込んでやがる・・・」


 そう言いながら、ヘクター隊長はロメオに跨る俺達の臀部を摘んできた。

 いまは”強化装甲”を解除しているので、指の力でもフニュリと歪む。


「あー、意外と尻は厚いんだな、胸は絶望的・・・・・だけど」


 ヘクター隊長、それは言わないで!


 その俺の悲痛な叫びは、誰にも聞こえはしない。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 そこからしばらくの間、俺達の旅路はひたすら荒野を駆けるだけの状態に戻った。

 といっても動くのはロメオなので、俺達はひたすら暇である。

 いつの間にかモニカは、フロウで風よけを作ると、今読んでる参考書を開いて勉強し始めていたくらいだ。

 俺は俺で、ロメオの管理に必要なレベルの集中力を残して、普段夜にする色々な”作業”を行っていた。

 なんだかんだで、随分と快適な旅である。


 今は山岳地帯も一段落して、再び荒野が広がっていた。

 進行方向ではないが、少し先には巨大な魔樹の生える森が見える。


 その時、俺の視界の一部に、”着信”を示す通知が映り込む。

 おやメールだ、誰からなのだろう。

 ・・・まあ冗談だけど。

 俺にメールを出すのは”1人”しかいない。


《親愛なるロン。

 ミレーネミラーナの出発報告受領しました。

 ハイエットとの接触がなくてよかったです。

 それと、現時点での観測報告です。

 フラウス時点での魔力波は観測されていません・・・が、一部の、特に南部の観測点でノイズが増える傾向にあるようです。

 フェルズではなにか結果が変わるかもしれません。

 それと未開地域の進行は十分に注意してください、ガブリエラとあなた達の安全を祈っています。

 ーーーーーーガブリエラのウルより、たった1人の友人へ》


 ほら、やっぱり”ウル”だ。

 なんだかここ数日で、嫌に文から受ける印象がマトモ・・・になってきているが、彼女の成長はかなり著しいようだ。

 一体どこまで行くのかちょっと興味深い。

 ウルは独自のルートで、ずっと魔力波観測所の進捗を教えてくれていた。

 まあ、マグヌスにとって1番気になる要素だから仕方ないか。


 さて、どう返信したものか。

 送信開始時刻のスタンプを見る限り、片道10時間以上はかかっているので、即応が求められる内容にはしたくないし。

 いつものように”日記”をちょっと弄って現状報告とするかな。


 だが俺はそこで、ガブリエラに聞きたいことが”一つ”あることが引っかかった。

 それはこの前、本当に偶然聞いてしまったイリーナとヘクター隊長の話していた”ハイエットの断片情報”について。

 

 ヘクター隊長はハイエットについて結構なことを知っていた。

 だが、それを教えてくれなかったことを責める訳にはいかない。

 彼なりに俺達を思って(なのかはちょっと怪しいけれど)のことなのだ。

 ただ、きっとガブリエラもハイエットについて、以前教えてくれた以上のことを知っているのではないかと思った。

 もしかしてウルに聞けば・・・


 それはやめておこう。

 なんとなくヘクター隊長の言った、俺達が”認識すればすぐにぶつかる”という謎の運命感に妙に実感があったので、聞くのが怖いのだ・・・・もしかしてもう遅いかもしれないけれど。



 その時、観測スキルが何かの反応を見せた。


「止まりましょう」


 イリーナが鋭い声を発する。

 気づけば、いつの間にかヘクター隊長が近くの岩の上に登って遠くを見つめていた。

 次の瞬間、一斉に辺りの”空気”が変わる。

 音が変わり、風が変わり、空を行く鳥の動きが変わったのだ。


 ”なにかが来る” 


 その”直感”がモニカから流れ込んできた。


 岩の上からヘクター隊長が声を出す。


「こりゃまた、とんでもない”大物”が出てきたぞ・・・」



 ”ズシン”


 振動で周囲の様子を検知するスキルの表示が真っ赤に染まる。


 ”ズシン・ズシン”


 その音が鳴るたびに、大地が揺さぶられ草の葉っぱが一斉にカサカサと擦れる音が響く。


『どこ!?』


 モニカが驚きの声を発した、振動が大きすぎて場所が掴みきれないのだ。


『”そこら中”だ、しかもでかいぞ』


 少しして、近くの森の木々がバサバサと揺れ始めた。

 俺達の視線が一斉にそちらへ向かう。

 ビルのようにでかい巨木だというのに、小枝のように何かに翻弄され、そこに積もる雪がバサバサと落ちた。

 


 いったい”何”がそこにいるのか。


 固唾をのんで見ていると、少しして木々の間から、巨大な細長い牛の顔が現れた。

 だが、その位置がマトモではない。

 木々の上部、見上げるほど高い位置から現れたのだ。


「きゅる・・」


 その異様な光景に怯えたロメオが後ずさる。


 ”そいつ”の体が森から出ると、その全貌が顕になった。


「でっか・・・」


 モニカがそんな素直な感想を口走った。


『あれが”ラック”か・・・』


 一方の俺もその姿に放心するしか無い。


 手配書で見かけた、この”未開地域の支配者”。

 ”草食魔獣:ラック”

 全長は100mを超えているだろうか? その長い首の先に付いている頭の高さもそれくらいはある。

 明らかに今まで見てきた生物の中で最大だ。

 3本に1本は魔樹化する巨木、アーテリオスイ科の”グッシュ”の先端の枝を食べるために巨大化したその体は、ユリウスですら横に並べば見劣りするだろう。


 その体に対して異様に長い首と脚はキリンを思わせるが、バランスとしては遥かに太くてガッシリしている。

 その脚の先の巨大な蹄が地面に付くたびに、”ズシン”という大きな振動が発生し、地面がメリメリと音を立てて圧縮されていた。

 体色は黒、その上に稲妻を思わせる赤い筋が幾つも走る。

 こんなものに襲われれば、一端の街でもひとたまりもないだろう。


 そのラックの巨大な眼球がこちらを向いた。

 モニカの体が緊張し、俺はグラディエーターの展開スイッチを視界に置く。


 だがそいつはすぐに視線をこちらから外すと、再び前を向いて歩き始めた。



「 クウウウウウウウウウリュアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!! 」


 そのラックが口を開け、とんでもない音量の声で嘶いた。

 あまりの音量に空気が裂けたようなバシバシという音が混じり、俺達の体全体が直に震わされた。

 モニカが咄嗟にロメオの耳を塞がなければ、きっと驚いて逃げ出しただろう。


 するとそいつに続いて、森の中からラック達が次々に現れた。

 それも何頭も何頭も。


 俺達はラックの群れに出くわしたのだ。

 巨木を押しのけ、平原へ次々に身を現す巨大なラック達。

 その全てが規格外に大きく、そして力強い。

 まだ、4kmほど距離があるが、逆を言えばその程度しか距離が空いていなかった。


 イリーナもヘクター隊長も、無言でその光景に見入っている。

 ラックは大人しい生き物では無いが、人を認識した上で、その上で見逃して・・・・くれる。

 こちらが妙な動きを見せなければ、何もしてこないだろう。

 もっとも、誰も動きたいとは思わなかったが。


 ラックの雄大な姿は、それだけで何時間でも眺めていられそうな美しさを持っていた。

 筋模様は全ての個体で色が違い、目の色も違う、魔力傾向が違うのだろう。

 それぞれの色で明るく染まる頭の上の2本のコブのような角からは、火花が散り”ジュウジュウ”と空気を焦がしている。

 明らかに”Bランク以上”の群れのボスなど、体長は150mを超え、首と背中から長く伸びたタテガミが風になびいて、傷だらけの巨体が威圧感を出していた。

 完全に”怪獣”の領域の生き物である。


 その群れが過ぎる間、俺達はじっとその姿を観察していた。

 それはもう本能的なものだろう。

 ラックにこちらを襲う意志はない。

 皆こちらを一瞥するが、すぐに視線を戻すのだ。

 きっと俺達が小さすぎて、気にも止まらないのだろう。



 だがそれを最後尾のラックがした時だった。



「!」


 突然、イリーナが弾かれたように動き出し、一瞬で俺達の後ろに移動して槍を構えたのだ。

 そして、ほぼ同時にモニカが”強化装甲”を展開する。

 すると次の瞬間、突如として観測スキルの表示に新たに大量の反応が現れた。

 それもすごく近くに。


 ほんの少し後ろの地面が一気に持ち上がる。

 その後ろも、その隣も、そこら中でだ。

 現れたのは毛の長い、幽霊のような見た目の巨大な”狼”

 大きいのだと10mはあるか、スタークよりもかなり大きい。

 もはやサイカリウスと変わらない大きさである。

 そんなのがすぐ目の前に沢山現れたのだ。


 そして、その狼達が一斉に俺達の方へと走り出した。


 咄嗟に、モニカが槍を取り出し、ロケットキャノンの砲身をそちらに構えようと動かす。

 だが、


「・・・撃つなよ」


 静かな声でそう言われ、砲身を後ろから伸びてきた手で掴まれる。

 ”状況の変化”にいち早く反応したヘクター隊長が、俺達の後ろに飛び乗って止めたのだ。

 それもあったのか、それともモニカなりに気がついていたのか、ロケットキャノンの火が吹くことはなかった。


 するとすぐ横を、何十頭もの狼の巨体が駆け抜けた。

 俺達をギリギリで躱すようにスレスレを通る狼達。

 グラディエーターの頬を何本かの毛が叩き、猛烈な獣臭が鼻を突くほどに近い。

 遥かに巨大な獣の群れに飲み込まれ視界が暗い、イリーナの姿も見えず、今はすぐ後ろ俺達を抱き止めるヘクター隊長と、股の間で震えるロメオの振動を感じるだけだ。


 狼達が駆け抜けると、差し込んできた光に目が眩みかける。

 それを我慢して後ろを振り向けば、ラックの群れに襲いかかる狼達の姿が見えた。


「”グース”ですね。 討伐規制・・対象です」


 少し焦ったような表情のイリーナが、横に並びながらそう呟いた。


「あれが・・・”グース”」


 ”グース”は”ラック”同様、人を認識した上で襲わないことが知られる比較的理性的な動物だ。

 アルバレスでは軍で飼育もされている。


 だが決して大人しい動物ではない。

 その証拠に、先頭を走るおそらく魔獣化した個体が、ラックの1頭の首に巨大な牙を突き立てた。

 狙われたのは、まだ子供で体の小さな1頭。

 それでもラックの子供だ。

 40mはあろうかという巨体では、噛み付いているグースも小さく見えた。


「 キュウウウウアアアアア!!!! 」


 ラックの子供が叫びながら首を振り回し、グースを振り払おうともがく。

 そこに噛み付いている10mの小犬・・・・・・など、空中にバタバタと振り回されるしかなかった。

 だがどんな顎の力をしているのか、そのグースは一向に外れない。

 そうこうしていると、他のグース達がラックの子供の体に次々に噛み付いてきたではないか。

 その痛みにラックの子供が大音量の悲鳴を上げながら膝をつく、するとすぐに腹の下にグースが潜り込みにかかる。

 だがそれは突如発生した”爆発”で頓挫した。


 母親が助けに入ったのだ。

 ラックの母親は100mの巨体を目一杯振り回し、子供の体に取り付いたグースを蹴散らしにかかる。

 グースの10mを超す巨体も、ラックの母親の前では木っ端も同然、蹴飛ばされたグース達は自身の体長の何倍もの距離を飛ばされる。

 そしてさらに、母親の体の筋模様が強烈に光り始めた。

 その光がだんだんと体から首、そして頭へと流れるように光がうねっている。

 すると俺の観測スキルが、大量の魔力が動くところを捉えた。


 次の瞬間、ラックの母親の角から雷光が飛び出して、子供の体に取り付くグースに直撃した。

 またも発生したその爆発に、そのグースは吹き飛ばされる。

 だが、長い毛が保護したのか地面を転がった後すぐに起き上がると、またもラックの子供に飛びかかった。

 母親が必死に子供を守ろうと動き回り、そこら中に雷撃を飛ばし、その過程で掘り返され吹き飛ばされた土煙が周囲に立ち込める。


 グース達はまだ諦めようとはしていない。

 狙い定めた獲物を喰らわんと、母親の強烈な攻撃を躱し続けていた。


 ラックの群れは、”哀れな親子”から距離を置こうと走り始めている。

 だが1頭だけ、群れのボスだけが助けに入ろうとしてきた。

 地面を吹き飛ばしながら、凄まじい勢いで迫る150mの巨体。


 そしてその長いタテガミが、大量の魔力を含んでバチバチと光り始め、同時にボスラックの目が光り、その角から魔力が飛び散る。

 するとそれに呼応するように、上空に雲が立ち込めそれがどんどん厚みを増して空を覆った。

 気づけばボスを中心に嵐のように風が渦巻いている。

 何をするのかは知らないが、なにかとんでもない魔法を使うことは明白だった。


 だがそれは突如として乱入した、”グースの空からの援軍”によって頓挫する。

 発生した雲の合間から、野生の”飛竜”が何頭も現れ、ボスラックに向かって急降下攻撃を始めたのだ。

 ラックには見劣りするものの、それでも巨大な20mの飛竜が顔面にぶつかり、ボスの頭が横にずれる。

 飛竜達はさらに、ボスラックの目や鼻を執拗に攻め立てた。

 堪らずボスラックは首を振り回し飛竜を振り落とそうとするが、素早い飛竜の動きから逃れることが出来ない。

 そしてそのまま、まるで分断されるようにラックの母子から逸れる形で誘導されてしまったではないか。

 これが決定打となった。


 その隙に、母親の攻撃をすり抜けた一体が、ラックの子供の尻の間に噛み付いたのだ。

 そのままグースは柔らかい肛門を食い千切り、そこに繋がる腸と内蔵を引きずり出した。

 子供の腹の下に、轟音上げて落ちていく真っ赤な臓物。

 そこに含まれていた大量の魔力がぶつかり合って火を吹き、流れ出した血が鉄砲水のように岩を押し流した。


「 グウウウウウワアアアオオオオオオオ!!!! 」


 大量の血を浴びたグースが勝利の雄叫びを上げる。


 すると、それまであれほどラックの子供に群がっていたグース達が、一斉に蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 と、同時にボスラックを引き付けていた飛竜達も散り散りになって逃げ始める。

 それを母親の放った雷撃が激しく追い立てるが、当たった場所の地面を虚しく掘り返すだけ。  

 あっという間に、それまでの”惨劇”が嘘であったかのようにその場に静寂が訪れた。


 ボスラックも母親ラックも、地面に横たわる子ラックの側で呆然と立ち尽くしているだけしかできないでいる。

 それでも子ラックはまだ息があった。

 そればかりか、途切れ途切れの息を吐きながら、なんとか立ち上がろうと必死に前足を動かしている。

 だが内蔵を引きずり出され大量の血を失った今、もう助からないことは明白だ。

 子ラックはその痛みと苦しみに藻掻きながら、その巨大な瞳に絶望を湛えていた。

 その絶望も、やがて乾いていく。


 これがグースの”狩り”だ。

 巨大なラックに1頭でも致命傷を与えられれば、あとはひたすら逃げてそいつが死ぬのを待つだけ。

 いくら強いラックといえども、そうなってしまった仲間を助けることは出来ず、死体を持っていくことも出来ない。

 そうしてラックの群れがいなくなったところで、再びここに集まってゆっくりと”晩餐”を始めるのだ。

 おそらく飛竜とは共生関係にあるのだろう。

 グースにとって飛竜との協力は別に問題はない、ラックはこの巨体だ、肉はいくらでもある。

 

「グースに利用されましたね。 ラックは魔力が見えるので、モニカ様の魔力の影に隠れてたのでしょう」


 不意にイリーナがそう言った。

 その声で俺達はハッと我に返る。

 眼の前で繰り広げられた事の、あまりの迫力に見入っていたのだ。


「そんなことができるの?」

「ええ、教本で読んだことがあります。 グースも魔獣化していれば魔力が見えますからね。

 普通は魔樹の魔力に隠れることが多いそうですが」

「へえー」


 モニカが心底感心したような声を出した。

 しかし、なんて頭のいい獣だ。

 でも確かに、魔力が見える存在にとって俺達は目が眩む存在だろう。

 対抗戦の時、レオノアやガブリエラの巨大な魔力が見えたが、確かにあれを見てしまうとその近くに居る者の魔力など全く気にもならない。

 だが、まさかそれを利用して狩りを行う動物がいるなんて。


 その時、母ラックが天に向かって吠えた。


「 キュアアアアアアアアアアアアアアアア!!!! 」


 その悲しみに怒り狂った母ラックの悲鳴が、地平線の先まで響き鼓膜を激しく揺さぶる。

 見れば、いつの間にか子ラックの体が完全に動かなくなっていた。


「 キュアアアアアアアアアア!!!!!!! アアアアアアアアアア!!!!!!!!! 」


 母ラックはそのまま、何かを求めるように首を激しく上下左右に振り回し、角から魔法を撒き散らす。

 八つ当たりで放たれた雷撃がそこら中にぶつかり土煙を上げた。

 ボスラックが首を巻きつける形で止めに入るが、それでも止まらない。

 今やそのラックは完全な自然災害と化していた。

 だが、そんな状態でもその攻撃を子供の死体や血の池には当てない、その心があまりにも痛々しくて。


「離れましょう」


 イリーナが短く呟く。

 それに異論を挟むものはいない。

 いくらラックが人間を認識して襲わないとはいえ、あの母ラックが今そんな気遣いをできる余裕があるとは思えないからだ。


 実際、離れるとすぐにまるで追い立てるように、今まで立っていた所を雷撃が通過した。

 きっとそれが彼女の今できる精一杯の”配慮”なのだろう。

 だが、その雷撃で吹き飛ばされた大量の土が背中に降りかかり、俺達を追い越して飛んでいく。

 そしてその衝撃でさっきまで近くにあったはずの、家並みの大きさの大きな岩が砕けながら空中を飛んでいるところを見た俺は、心の中で盛大な実感とともに呟いたのだ。



 ”こりゃ、人は住めねえわ”


 ・・・と。


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