2-14【ヴァロアの”血” 4:~世界の涙~】


 飛竜の旅は、何事もなく2日目の宿泊地である”フラウス”へと着いていた。

 だがここもデジャンと同様、見る所の少ないどこにでもあるような小さな街だ。


 この2日で思い知らされたが、アルバレス西部というのは、真っ平らな平原に時々小さな街というのがどこまでも続くらしい。

 上から見ていると、その変化の無さには氷の大地もかくやという物がある。

 強いて言うなら植生が少し変わったくらいかな。

 ただし、移動中は地面に降りることなく、街では泊まるだけなのでそれを感じる事はできないが。



 それと”これ”だ。


「今日採れたばかりの”フェリポー”です」


 そう言って、給仕が俺達の目の前に皿を置く。

 すると横から、この街の”街長”の女性がにこやかに補足した。


「”ヴァロア伯爵令嬢”は、苦味や渋味が好みだと聞きましたので用意いたしました。

 きっとお口に合いますよ」


 出てきたのは、大きな黄色い柿を切って焼いたような代物。


『焼き方がへんだね』

『魔法で内側から焼いてるみたいだな』


 この世界は魔法が使えるので、しっかりしたとこだと調理方法はかなり精密かつ高度な事がある。

 これもそういう類だろう。


 モニカがフォークを使ってその果肉を少し噛んでみる。

 すると中からジュワッと、仄かな甘みと苦味の混じった温かい果汁が漏れ出した。


「うん、おいしい」


 モニカが本心からそう感想を述べると、街長の顔色は急に良くなる。


「それは良かった。 お気に召していただけて何よりです」


 街長のホッとした言葉遣いからわかる様に、この料理はかなり人を選ぶ味で、普通の子供ならこの独特の苦味を嫌がってもおかしくはない。

 それを出したからには、街長なりに”賭け”な部分があったのだろう。

 このために、街に着いてから結構しつこく味の好みを聞かれたくらいである。

 しかもその度に”ヴァロア伯爵令嬢”と呼ばれるので、食事時にはすっかり辟易したものだ。


 今夕食をとっているのは”宿”として用意された、街長の公邸。

 街の中心から徒歩0分の超高立地だが、この堅苦しさはどうにかならんか。

 食卓は、まるで何かの式場の様に舞台の上に用意され、視線の先では街の有力者と思しき面々が媚びるような目でこちらを見つめている。

 別に無作法を咎められたりはしないが、これじゃまるで”餌を食べる珍獣ショー”だ。

 まあ、モニカが気にしていないのが救いか。


「”オストリのラズモンド”です」「”クリャルのリープ”です」「”チタ”の・・・」


 次々出てくる意味不明な名前の料理たち。

 いや、持ってる辞書で調べれば一発なんだが調べる気も起きない。

 それに名前に反して見た目はマトモな肉と野菜ばかりなので、モニカに聞かれない限り調べない事にしていた。


 それよりも気になるのが、街の有力者達の反応。


 デジャンでもそうだったが、俺達に関する概要レベルの情報は思ったよりも広く周知されているらしい。

 いや、これを周知のイベントにしていると言った方が正しいか。

 それは一応聞いていたとおりだが、こうして知らない土地の人間に存在を強く意識されているというのは、なかなか落ち着かない。


 ただ気がかりなのは、ここでは俺達のことを”準王位スキル保有者”としてではなく、”ヴァロア伯爵令嬢”として認識している事だ。

 それも、かなり徹底して”モニカ”と呼んでいないのが気になる。

 俺達は”ヴァロア伯爵の孫”ということになっているし、”父役”のタラス・ヴァロアは爵位を襲名してない4男なので、そう呼ぶ必要性はないというのに。

 

 ある時、モニカがこの地域ならではの真四角なパン(の様な塩味のクッキー)をバリバリと頬張っていると、料理人と思われる中年の男性が、給仕と一緒に鍋を抱えてやってきた。

 この人が料理を作っていたのか。

 ちょっとブスッとしているが、”ザ・職人”といった雰囲気に俺とモニカの好感度は高かった。

 すると、すかさず街長が最大級の自慢気な声で鍋の中身を紹介し始める。


「イリーナ様、ヴァロア伯爵令嬢、このスープは、この地域の特産品である”ジャッコウ”を2日掛けて煮込んだ我が街自慢の逸品です。

 ぜひご賞味ください」


 ほう。


『”ジャッコウ”って、アルバレスでの”エルクロス”だよね』


 そう言いながらモニカが興味津々に首を伸ばす。

 エルクロスは鹿のでっかいやつだ、煮ると結構美味い。


 そしてその期待を裏切らず、鍋の中から立ち上る濃厚な肉汁の匂いは一瞬で俺達の味覚を直撃し、もう既に結構食べているというのに空腹感が呼び覚まされた。

 いや、むしろ結構食べているからこそ、この優しげなスープの匂いが効くのだろう。


 料理人の男性が、まるで牛乳みたいに白いスープを深皿に入れていく。

 後は、その上からいくつか香辛料やハーブを散らすと完成みたいで、出来上がったスープ皿を給仕の人が持ってきてくれた。


 目の前に置かれたスープはとても美味しそうで・・・

 すぐにモニカはスプーンを掴むと・・・



「食べてはだめですよ」



 突然、その手をイリーナに掴まれた。


「・・・え?」


 モニカが驚きの目でイリーナを見つめるが、彼女の視線は既にこちらにはなく、料理人の男性をじっと見つめていた。


「ヘクターさん、少しの間、モニカ様の事をお任せします」

「言われなくても」


 イリーナが、俺達を挟んで反対側に座っていたヘクター隊長に”お守り”を任せると、そのまま立ち上がって俺達の深皿を掴み、滑る様な足取りで街長の下へと歩み寄る。

 そして目線だけで合図を送り、料理人と街長共々食堂の外に出ていってしまったではないか。


 突然の出来事に、食堂の中は音の無い混乱に包まれた。

 いったい何が起こったのか?

 誰もそれが理解できない様子だ。


「・・・ねえ、食べちゃ駄目だった?」


 いきなりイリーナに皿を取り上げられたモニカが、恐る恐るヘクター隊長に小声でそう問いかける。

 するとヘクター隊長は、答えと同時に自分の皿を俺達の前に置いた。


あの皿からは・・・・・・な。 代わりにこっちを食べな。

 おーい! そこの! 俺に新しくスープを入れてくれ!」


 そのヘクター隊長の言葉に、状況を掴めずにいた給仕がハッとこちらを向くと、すぐに鍋から注ぎ始める。


『お皿が汚れてたのかな?』


 モニカが聞いてきた。


『かもしれないな』


 俺がそう答える。

 だが内心では状況が気になった俺は、モニカには内緒で観測系スキルを稼働させ、イリーナ達を追っていた。

 すると、すぐに大量の会話が俺の中に飛び込んでくる。

 どうやら、防諜の類いの魔法は掛かってないらしい。

 アクリラとは大違いだな。


 モニカに内緒なのは、なんとなくモニカには聞かせるべきでない、と俺の直感が告げていたのだ。

 なに、モニカはメガネインターフェイスユニットに表示されるスープの成分表に夢中で気にしていない。


 イリーナ達の声は、食堂を出て部屋を一つ挟んだあたりで見つかった。


「イリーナ様、どういう事ですか!?」


 街長の鋭い声が聞こえる。

 だがそれに対するイリーナの声色は、更に鋭いものだった。


「この者を近付けないように。 モニカ様のスープに”何か”を盛りました」


 わずかな間が空く。


「な、なんてことを!?」


 その街長の声は、驚きと恐怖に満ちていた。

 当然ながら俺も同様だ。

 いったい、いつ?

 

「おそらく気づかぬほど僅かですが、判定魔法で毒物反応も出ています」

「私はそんな事はしていない!」


 料理人が反論を叫ぶ。

 だが視覚記録を遡ってみれば、確かに俺達の皿だけ1工程多い。

 それはほんの一つまみ塩を加える様な、そんな行動だった。

 おそらくイリーナの言うとおり、食べても問題は無かっただろう。

 それに摂取栄養素を選り分けるスキルが稼働してるので、最悪、危険を察知して分離して吐き出せば問題ない。


 だがイリーナは、その僅かな”悪意”を見逃さなかった。


「とにかく、近付けないように。

 街長、あとの処置は任せます。 分かってますね?」


 そう言って、その場を街長に任せるイリーナ。

 どうやら大事にはしないらしい。

 それを聞いて俺は少しホッとした。

 1人の悪意によるものだとしても、事が事だけに、公になればかなりアルバレスの立場はまずくなる。

 それは俺達の安全にも関わってくるので、避けたかったのだ。


 内々に処理できるなら、それに越したことはない。



「お待たせしました」


 すぐにイリーナが戻ってきた。


「スープ、変な物でも入ってた?」

「はい、そのようでした。

 どうも食器がちゃんと洗えてなかったようです」


 そう言って、ポーカーフェイスでサラッと誤魔化すイリーナ。

 だが、


「ちょっとくらい平気なのに、ロンがいるから毒でも・・・大丈夫だよ」


 というモニカの答えにはドキッとしたらしく、その陶器のようなこめかみに、僅かに皺が寄る。


「そのような事はさせられませんよ。 あなたの安全には、我が国の威信がかかっているんですから」


 その、まるで”ジョークにマジレス”の様なその言葉に込められた、ほんの僅かな”重さ”を俺は見逃さなかった。

 一方、モニカの後ろでは、ヘクター隊長が”これは貸しだぞ”とばかりに意味深な視線を送っている。

 そうか、今の一連の出来事が露見したら、即座にマグヌスにバレる事になるのか。

 これはマグヌスに1ポイントだな。


 もっとも、マグヌスはかなり”借金”多めなので、この程度じゃ、まだまだアルバレス優位は崩れないと思うよイリーナさん。


 そんなこんなで再開する夕食。

 モニカはすぐにスープを掻き込んだ。


『おいしい!!』

『ああ、美味しいな』


 肉汁ならではの濃厚な味わいが、嫌味なくしっかりとスープに溶け込んでいた。

 料理人の丁寧で優しい心が見える様な味だ。


 ・・・だからこそ、なんでそんな事・・・・をしたのか気になった俺は、観測スキルの”ピント”を動かして、料理人と街長の後を追った。

 2人の声は、建物の一階の出入り口付近で見つかった。


「エフ! 何てことしてくれたんだ!」


 街長の怒った声が聞こえる。

 ”エフ”というのは、あの料理人のことだろう。


「ほんのちょっとだったんだよ! まさか気づかれるなんて!」


 どうやら本当に”盛った”らしい。

 イリーナの前とは違い随分とあっさり認めるな。


「なんでそんな事をしたんだ!?」

「そんな事? ・・・あの顔・・・を見たろ!」


 街長が息を呑む・・・

 まるで、エフの次の言葉を想像したかのように・・・



「”ホーロン人”だ、街長も見ただろ! あの小娘はイカれたホーロン共の顔をしてやがる」


「エフ!」

「なんで私達が、ホーロン崩れのヴァロアの娘の接待なんかしなきゃならん! 街長にはプライドがないのか!」


「エフ! もういい加減にしろ! 戦争は30年以上前に終わったんだ。 今はホーロンなんてない!」

「忘れるもんか! 母ちゃんを殺したホーロン共の事は、街長だってそうだろ!」


 しばしの沈黙が2人の間に降りる。


「・・・エフ、私だってそうだ・・・・・・・。 だが、今はそういう時代・・・・・・なんだよ」

「いつだってそうだ、ホーロン共は俺達から全てを奪う。

 土地を奪い、家族を奪い、ようやく戦争が終わったと思ったら、いつの間にかアルバレスの希望まですり替わってた。

 このままじゃ私ら”弱者”は、ホーロン人に顎で使われるだけの存在になっちまうぞ。

 それにハイエットだってホーロン人の血が流れてるって噂じゃないか、あの小娘だっていつ本性を見せるか・・・」

「エフ! 現実を見ろ! 今は平和で、お前は俺に雇われてる。 そしてその金は、あの”ホーロンの娘”をもてなすために国から出てるんだ」


 ”ホーロン人”


 "その言葉”の衝撃は、強烈に俺を揺さぶっていた。

 確かにこの辺は、かつての”大戦争”の戦場にも近い。


 モニカの視界に映る街の有力者達の顔が、今では違って見えた。

 そうか、彼らは俺達を”ホーロン人”として見ていたのか。

 彼らの正面切って口には出さない、その”微妙な距離感”に秘められた”嫌悪”が、正直痛い。


 研修でも自らを差別してくる存在のことは聞いていた。

 でも”作り物”だったせいか、その意識がスッポリと抜け落ちていたようだ。

 彼らにしてみれば、モニカの姿は”ホーロン人”そのものだというのに。

 こうして実際にその中に飛び込むと、感じたことのない強烈な孤独感に襲われる。


「とにかく、今日は帰れ、そして明後日までは隠れてろ。

 私が地下牢に入れた事にしておくから」


 そう言うなり扉が開く音と、何かを押し出して閉める音が連続して聞こえてきた。


『これ、おいしいね』


 突然、モニカの声が頭に響く。

 それと同時に俺は、俺達が今スープを飲んでいるところであることを思い出す。


『ああ、おいしいな・・・本当に』


 今”聞いてしまったこと”は、モニカには言えない。

 これは俺が勝手に覗いたことだ。

 あのエフという料理人を除けば、彼等は”その気持ち”を、直接ぶつけてきた訳ではないのだから。


『うん。 あの人、やっぱり、お肉を見る目はしっかりしてる』


 モニカがそう言いながら、またスプーンを口に運んだ。

 その味は、本当にやさしくて・・・



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 翌朝。


 ”前日の事”で、どこかモヤモヤしていた俺の気分を引き裂いたのは、バサバサという乱暴な音だった。


「・・・騒がしい」


 その音に目を覚ましたモニカが目を擦りながら起き上がる。

 見れば寝室の窓に朝日が差し込まれ、その向こうで鳥のようなものが羽ばたいているのが見えた。

 すぐに隣のベッドに座っていたイリーナが窓に近づく。

 よく見れば、その鳥は毎日イリーナがどこかに飛ばしているのと同じ、”紙の鳥”ではないか。


 ”紙の鳥”が、わずかに開けられた窓から飛び込んでくると、イリーナの手の中で役割を終えたかのように動かなくなる。

 それを確認したイリーナが精密に織り込まれている紙を解き解し、まっすぐに伸ばした。

 現れた紙には、暗号のような文字がビッシリと刻まれている。


 何かの連絡か?

 だがその内容は、あまり喜ばしいものではなさそうである。

 最初の1行を読んだ時点で、イリーナの表情が曇ったのだ。


「モニカ様・・・少し、旅程が変わります」





 寝起きのヘクター隊長を隣の部屋から叩き起こして連れてくると、すぐにイリーナの”説明”が始まった。


「本来なら、本日の宿は”アスレース”になる予定でしたが、それは無理そうです」

「ムリ?」

「外が騒がしいのと何か関係があるのか?」


 ヘクター隊長が鋭い視線を窓に送る。

 そう言われると、たしかに何故か街の様子が騒がしい。

 最初はごく普通の朝の騒音かと思っていたが、よく聞けばどうも様子が変だ。

 動きに慣れた感じがないし、その音もだんだんと増えていっている。


「あります」


 イリーナが短く答える。

 そして、まだ寝起きの俺達に注意を促すように真剣な表情でこちらを見つめてきた。


「諜報部から、昨日付でもたらされた情報によると、・・・・アスレースが”ハイエット”の500㌔圏内に入った可能性があるそうです」

「”ハイエット”って・・・」


 その単語にモニカが小さく息を呑む。


「ええ、現在、アルバレスと敵対中の・・・”最強の勇者”です」


 イリーナの声色は、かなり深刻な色を匂わせていた。


 ハイエット・・・それは現在進行系でアルバレスの内側に存在する、”国家よりも強い個人”だ。

 ガブリエラですら、”本気”でないと対処不能と言われるその存在。


「じゃあこの騒ぎは・・・」

「この街もハイエットの進行方向に位置しているため、警戒情報が発令されたんですよ」

「でも落ち着いている人もいるよね?」


 モニカが窓の外を見ながら、そう聞いた。

 その言葉通り、窓の外の景色は”混乱”というよりかは”困惑”に近い。


「この近辺では”警戒情報”までは年に数回ある事です。

 まだ1000㌔ブル以上離れてますしね。

 ・・・ですが今回は進行が速い、”これ”と同じタイミングで警報が出ている」


 そう言ってイリーナが”紙の鳥”に使われていた紙をヒラヒラとさせる。

 やはりこれは、なんらかの通信手段だったらしい。

 だが、確かに専用回線と同時に一般に周知されているというのは、かなり状況が急激に動いたことを窺わせる現象だ。


「これは外では言わないでくださいね」


 イリーナが念を押す用にそう言い、俺達と、それからヘクター隊長を交互に見つめた。

 ”紙の鳥”の事か、それとも状況の変化が早いということか。

 いや、どちらもだろうな。


「とにかく今日は飛竜で出来るだけ東に距離を取ります。 それから北上して迂回するようにミレーネミラーナへ。

 すいませんが、今夜と明日は野宿になるかもしれません」

「いいよ、別にそれくらい」


 というか、どうせアスレースに行っても堅苦しい接待が予想されるので、野宿の方が喜ばしいくらいだ。

 それにアスレースはここよりもずっと、”旧国境”に近い街だし・・・


「出発前は”ゼキエイ”に、今度は”ハイエット”か。 この国は問題が多いな」


 だが、俺と対照的に街に泊まる方が良かったらしいヘクター隊長が、寝癖の付いた頭を掻きながらチクリとそう毒づく。

 それを聞いたイリーナが、すごい形相でヘクター隊長を睨んだ。

 流石に今のは俺でも失礼だと分かる。

 それに”ゼキエイ”って元々マグヌス発の鬼じゃなかったっけ?


 だが反論しても仕方がないとでも思ったのか、イリーナは特に文句をいうことはなかった。


「・・・・行きましょう、モニカ様」


 と言うと、手早く荷物をまとめだす。

 今はできるだけ早くこの街を飛び出して、安全圏に逃げたいということなのだろう。

 それを見たモニカも、自分の魔法陣から服と装備を取り出して”逃げの支度”を始めた。

 俺も抱えていた”モヤモヤ”を一旦脇に避け、忘れ物がないかチェックを始める。


 だがその中で、寝癖は付いてるくせにどういうわけか・・・・・・もう既に準備万端といった感じのヘクター隊長が、イリーナに問いかけた。


「そのルートだと、”スティナ平原”を通ることになるが・・・いいのか?」


 その言葉にイリーナの動きが止まる。

 モニカがそちらに顔を向けると、床を見つめながらものすごく複雑そうな表情のイリーナの姿が目に入ってきた。


「・・・背に腹は代えられません」


 だが少しして、まるで自分に言い聞かせるようにイリーナはそう呟くと、吹っ切れたように視線を前に戻し、机に置かれていたモニカの読みかけの本を俺達の魔法陣の中に突っ込んだ。





 建物の外に出ると、街の住人に状況の説明をしている街長の姿が目に入ってきた。


 曰く、この”警戒情報”はあくまで万が一のためのもので、ハイエットからは依然として1000㌔以上離れていること。

 ハイエットが徘徊するのは今に始まったことではなく、大抵は400㌔ほどの範囲を動き回るだけで終わること。

 このフラウスを目指しているわけではないこと、等が説明され、住民に冷静な対応を呼びかけていた。

 ただし、万が一の時はできるだけ早く避難するために準備を整えておくようにとも。


 それを聞いた街の住人の中に、露骨に安堵の空気が広がっていく。

 中には”ほら、言ったじゃないか”的な言葉を知人にする者も居るくらいである。

 どうやら、”ハイエットの接近”というだけならそれほど珍しいものでもない、というイリーナの言葉は本当のようだ。


 だが、その中で少々様子の異なる者も居る。


 俺達が街の外れにあるアルバレス軍の駐屯地に向かって歩き始めると、それを見た中年の男性が街長の横をすり抜けてこちらに走ってきたのだ。


 それを見たヘクター隊長が一瞬で俺達の前に割って入る。

 と、同時に、目にも留まらぬ速度でイリーナが視界から消え、次の瞬間にはいつの間に抜き放ったのか、背中に抱えていたはずの槍を男性に突きつけていた。


「下がりなさい」


 イリーナが、強烈な威圧を込めた”警告”を放つ。

 

『見えなかった!?』


 その動きは、視覚記録を何度再生しても掴み取れぬほど素早いものだった。

 まるで瞬間移動のように、一瞬にして戦闘態勢に移行している。


『さすが勇者か・・・』


 始めてみたイリーナの槍は、意外にもシンプルなデザインだった。

 まるで木を削り出したかのように柄と刃が滑らかに繋がって、その色は昨日飲んだスープのように白い。

 1mほどの長めの刃は、三又槍を半分にしたような不均等な2本刃だった。


 そしてその切っ先で、槍を突きつけられた男性がその場に崩れ落ちるように座り込む。

 だがその目は強い感情を持ってイリーナに向けられていた。


「イリーナ様! どうか! どうかお助けください!」

「なぜ、あなたがここに?」


 男性の顔を見たイリーナが更に表情を曇らせる。

 驚いたことにそれは、昨日俺達のスープに毒を入れたあの”エフ”という料理人だったのだ。


「イリーナ様達が次にアスレースに向かうと聞いて・・・」


 エフが懇願するようにそう答える。

 だが、イリーナが聞いたのは”そういう意味”ではないだろう。

 おそらく街長から地下牢に入れられていると聞いていたはずのエフが、ここに居ること自体に驚いているのだ。


 すると街長が気まずい表情でこちらに駆け寄り、補足をしてくれた。


「彼の息子がアスレースにいるんですよ・・・」


 なるほど、そいうことか。

 まだ警戒情報が出ただけのここと違い、アスレースはもう既にいつハイエットに襲われてもおかしくない”危険区域”に入っている。

 だが、


「残念ですが、我々はアスレースには向かえません」


 イリーナは淡々と、その”事実”をエフに告げた。


「そんな・・・勇者様でしょ?」


 エフの顔が絶望に染まる。


「すいません。 今は重要な任務の最中ですので・・・」


 だがイリーナの決定は覆らない。

 国の威信を賭けて”俺達の護衛”を請け負っている以上、そのような危険な場所に近づくことは出来ないのだ。

 もっとも、俺達の護衛の任務がなくても、イリーナがハイエットに近づけたのかは不明だが。


 エフの視線は、まるで助けを求めるように周囲の者たちを彷徨った。

 やがてそれが俺達のところで止まる。

 この場で唯一、”イリーナに意見できそうな存在”に。


「ああ! モニカ様、昨日の無礼なら謝ります! でもどうか! 息子は関係ありません! どうか、お助けください! お願いです、私にはもう息子しか残ってないんです・・・」


 そう言うなり、恥も外聞も投げ捨てて地面に顔を擦り付けるエフ。

 アルバレスではそれは懇願にはならないが、マグヌスやホーロン・・・・ではなる。


 するとモニカが、俺達を抑えていたヘクター隊長の腕を横に押しのけながら前に出た。

 すれ違いにヘクター隊長が鋭い表情で頭を小さく横に振る。

 だがそれをモニカは目で制して進んだ。

 イリーナが槍を構えながら横目でこちらを見る。

 モニカはそれにも構うことなくエフのそばに歩み寄ると、そこに膝をついて顔を近づけた。


 エフの顔がこちらを向く。

 涙でグシャグシャになったその顔に、希望の光が灯るところが見える。


 だが、



「じゃあ、なんでスープに毒を入れたの・・・・・・?」



 モニカは本当に、

 本当に、ただ”それ”が理解できないとばかりにそう聞いたのだ。

 そうか、やっぱり”あの時”モニカも気づいてたのか・・・


 そして、それを聞いたエフの顔色がこれまでに無いほどの絶望に染まる。

 その”問い”に、エフが答えられるわけがない。

 人が言葉を失うところを、俺達は初めて見たかもしれなかった。


 それでも答えを待っていたモニカの前に、イリーナがスッと体を割り込ませる。


「残念ながら、私達では助けに行くことはできません」


 イリーナがエフに、その”結論”を告げる。


「・・・そ、そんな・・・」

「ですが、まだ”危険区域”に入っただけ。 ハイエットがアスレースを襲うと決まった訳ではありません。 アスレースでは既に避難も始まっているそうですし、”有効射程”とされる100㌔ブルまでは、まだ時間があります。

 避難が間に合う事を祈りましょう」


 イリーナはそう言って、エフに”わずかばかりの希望”を残すと、抜いた時と同様瞬時に槍を背中の布に直して俺達とヘクター隊長に頷いた。





 駐屯地へ向かう道すがら、どんどん小さくなっていく街の中心を振り返りながら、モニカはイリーナに聞いた。


「イリーナは逃げられると思うの?」


 視界の先では、立ち上がれずに地面に崩れながら泣くエフの姿が小さく写っている。


「ハイエットが近付いたのが、何かの偶然ならば・・・」


 イリーナがそう答える。

 だが、もし偶然でないならば?

 その答えは、苦々しいイリーナの表情が雄弁に物語っていた。


 街の中心にそびえ立つ”光通信塔”の上部が、まるでパニックを起こしたようにものすごい速度で点滅している。


『あの人のむすこさん・・・ちゃんと逃げられるといいね』


 モニカが呟く。

 その言葉には、俺にだけは痛いほど伝わってくる、本当の本心から・・・・・・・の心配の気持ちが混じっていた。


『ああ・・・そうだな』



 最後に見えたエフの姿は、それが人間であることが信じられないほど弱々しいものだった。

 


 この世界の”人”というのは、これほどまでに弱い存在なのか・・・




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 結局その日は、一日掛けてひたすら東に飛竜で飛ぶことになった。

 ざっと1200kmは移動しただろうか?


 日が落ちて真っ暗になり、野宿のために平原に降りたときには、重い荷物を長時間運んだ飛竜はすっかり息が上がり、今は焚き火の向こうで苦しそうに羽を休めていた。

 いつもなら勢いよくがっつく筈の餌にも興味を示していない。



「ねえ、ちょっと聞いていい?」

「うん?」


 モニカが、焚き火を使って少し遅めの夕食を準備しているヘクター隊長に近づいて、小声でそう語りかけた。


「”ハイエット”って、なんの・・・勇者なの?」

なんの・・・?」


 有り合わせの食材の入った鍋を掻き回す手を一旦止めて、ヘクター隊長が不審げに聞き返す?


「ほら・・・イリーナさんは”槍”でしょ? レオノアさんは”剣”だったし・・・」

「使ってる”武器”ってことか?」

「うん」


 モニカが頷く。

 どうやら今朝の一件で、モニカはハイエットに興味を持ったらしい。

 するとヘクター隊長は、近くにある小高い丘の方へ顔を向けた。


「”あっち”には聞いたのか?」


 暗くて見づらいが、その視線の先には丘の上に立つイリーナの姿がある。


「聞ける空気じゃないから」

「まあ、たしかにな・・・」


 モニカの言葉通り、今のイリーナが纏っている空気は、とてもじゃないが近寄ることすら難しいものがある。

 きっと自国領内の危機に、救いに行くことすら出来ない事に忸怩たる思いでいるのだろう。

 もう既にハイエットから十分に距離を取ったというのに、その顔はまるで戦場が近いかのようだ。


「若いな」


 それを見たヘクター隊長がそう呟く。

 その表情は、まるで子供を見るように柔らかい。

 

 まあ、あんたは飄々とし過ぎな気もするけれど。


「俺達もハイエットについては詳しくは知らない。 アルバレスは隠したがっているしな。

 漏れてくる”被害”から推定するしかない。

 それでもいいか?」

「うん」


 ヘクター隊長の言葉に、モニカは小さく頷く。

 ハイエットについて、まともな情報が手に入らないのは今に始まったことではない。

 ガブリエラも、おおよその力の推定以上のことは知っていなかったし。

 それでも使っている武器くらいなら、何か聞けるかもしれない。

 そういう希望を込めての質問だ。

 ”勇者”の能力は、その力の源となる武器に大きく影響を受ける。

 モニカは今朝、槍を持つイリーナの姿を見てそれを思い出したのだろう。


 だが、ヘクター隊長が答えたハイエットの武器は、予想だにしないものだった。  


「”レンガ”だ」

「れんが?」


 ヘクター隊長の回答に、モニカが怪訝そうに聞き返す。


「見たことないか? ほらこんな感じの」


 そう言うとヘクター隊長は両手を動かして、なにやら四角形をつくる。


「積み上げて家とか作るやつ、見たことないか?」


 いや、見たことはあるけれど・・・

 レンガ・・・・煉瓦。


『ブロックみたいなやつだよね?』

『みたいなやつというか、まんまというか・・・』


 ヘクター隊長の反応を見るに、どうやら認識間違いではないらしい。


「”レンガ”で戦うの?」


 モニカが想像できないといった風にそう聞いた。

 だがそれに対し、ヘクター隊長も頭を振るばかり。


「さあな、だがそれが侮られた原因だって聞いたぜ。

 ”レンガの勇者:ハイエット”・・・それが最強の勇者の正体だ」


 ヘクター隊長はそう言うと、再び鍋をかき回す作業に戻った。


 だが、武器が”煉瓦”とはどういうことだ?

 そんな物で戦って強いのか?

 というか、そもそもどうやって戦うのか。


『投げつけたりするとか?』

『あたったら痛いもんね』


 ただ、精々が痛いが限度。

 どう考えても初めから武器として作られた武器の性能には劣る。


 でも確かに、そう考えるなら、”最初は弱いと考えられていた”というハイエットの奇妙な評価も頷ける。

 国の命運をかけて全力を注いだ勇者が、”煉瓦”なんかで武装していたら、俺だって失望するだろう。


「まあ明日になれば、どれくらい強いかの痕跡くらいは見れると思うぜ」


 するとヘクター隊長が、徐ろにそんな事を言った。


「あした?」

「ああ、因果なことに東にズレたことで、たぶん”スティナ開戦”の跡の上を飛ぶ。 アルバレスの大部隊がハイエットに負けた戦場だ」




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 スティナ平原は見渡す限り何もない、本当にだだっ広い平原だ。

 翌日、飛竜の客室の窓から見えるその景色は、そう聞いていた通りの物だった。


 相変わらず背の高い草にどこまでも覆われ、人影どころか道すら殆ど見かけない。


 本当にこんな所で、ハイエットとアルバレス軍が戦ったのだろうか?

 ここから見る限りでは、その様な痕跡は見られない。

 そもそも、そんな何年も前の戦いの痕跡が、こんな高いところから分かるものなのか?

 そう思うと、呑気に窓の下を覗き込んでいる俺達は、なんとも間抜けに思えてくる。


「風が出てきました。 揺れるかもしれません」


 ある時、イリーナが御者台から上半身だけ客室の中に入れてそう言った。

 その言葉通り、先程から若干飛竜の姿勢変動が大きい。


 見れば進行方向には、更に真っ黒な雨雲が掛かっているではないか。


『これは一雨くるな』


 しかもかなりの高度まで雲が続いている、この高さでも降られるかもしれない。

 

 その時だった。


「モニカ嬢、・・・見つけたぞ」


 ずっと反対側の窓を見ていたヘクター隊長が、そう言ったのだ。


「どこ?」


 すぐにモニカが駆け寄り、ヘクター隊長の顔の横に自分の頭をねじ込む。

 だが、窓の先に見えるのは相変わらずだだっ広い平原だけ。

 今はそこに、幅の広い峡谷が追加されてはいるが・・・


 その時俺は、なんでもないその光景に走る”違和感”に気がついた。


『この”谷”・・・なんか、おかしくないか?』

『そう?』

『ほら、縁のあたり』


 谷の縁が、まるでヤスリでも掛けたように真っ直ぐで、周囲の地形から浮いているのだ。

 何というか、大地全てがズレた・・・様な違和感が。

 そして、それがどこまでも続き・・・



 地平線の手前で、廃墟となった街を引き裂いていた。



「・・・見えてる範囲、全部がそうだ」


 ヘクター隊長が呟く。

 その額には冷や汗が滲んでいた。


「こりゃ・・・とんでもねえバケモンだぞ・・・」


 ”それ”を認識した瞬間、のどかな景色は恐怖の象徴へと変貌した。

 俺達はもう、さっきからずっと、”そこ”にいたのだ。


 ただ、あまりにも”痕跡”のスケールがでか過ぎて、感じる事すら出来ていなかっただけ。


 更によく見れば、谷の周りにも薄らと沢山の謎の”クレーター”が空いているのが草の生える向きで分かる。

 付き方からして、明らかに何かが弾けて空いているのは明白だ。

 その一つ一つが、小さいものでも数百m、大きいものだと数kmを超える巨大な穴。

 だがそれも、大地全てを引き裂いたような巨大な”谷”に比べたら、斑点にも満たない可愛い代物でしかない。


 そして平原を眺めていると、大地を刻んだ”谷”は一本ではないことに気がついた。


 何本も、何本も、定規で引いたような真っ直ぐな線が、なんの規則性もなく並んでいる。

 まるで地平線の彼方まで続くような巨体を持った怪物が、内に秘めた憤りを発散させて無造作に大地を引っ掻き回したかのようだ。

 そしてその傷は、付けられてから何年もの時間が経っているというのに今もなお生々しい。

 剥き出しになった断層が、明らかに地質の異なる谷底が、皮膚を捲り取られた傷跡に見える。


 そして、その傷の直撃を受けた廃墟の都市は、その時の衝撃で砕け散った建物があちらこちらに散らばり、今ではボロボロになりながら帰ってくることのない住民を待っていた。

 都市の大きさは、アクリラと同等くらいだろう。

 それが真っ二つに引き裂かれ、片側は綺麗に消滅していたのだ。

 その半分は、消し飛ばされた傷の内側の大地はどうなったのか?


 これがハイエットの痕跡・・・・人の成したことだというのか?


 だとするなら、この世界の”人”という存在は・・・・なんと強いのだろうか・・・



 ”傷”だらけの大地に、雲がかかり、雨が降る。



「世界が泣いてるみたい・・・」



 モニカが小さく呟いた。


 その言葉通り、目の前に広がるのは、まるでこの巨大な傷跡の痛みに、世界が泣いているような・・・・そんな光景だった。



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