2-12【新たな日常 4:~サイロ~】



新年2日目


 まるで、山火事でもあったかの様な香ばしい香りが漂う貴族院の中庭は、異常な程の緊張に包まれていた。

 奇麗に手入れされている筈の木々は、無残に吹き飛ばされ周囲の建物に刺さり、自慢の芝生は完全に燃え尽きて下の地面に大穴が空いている。

 さらには王族級向けの屋敷なども殆どが半懐し、破壊された防御用大型魔道具が火花を噴き出していた。


「・・・なるほど・・・おおよそ、何があったかはわかったわ」


 そんな破壊的な状況の中心で、憮然とした表情のルシエラがそう言った。

 着ていた場違いな防寒着はボロボロに破れ、露出した皮膚や顔がところどころ焦げているが、その姿勢は堂々とした佇まいがある。


「ようやくわかったか・・・この”うつけ者”が」


 一方、その向かいで玉座の様な王球の上半分に座りルシエラを見下ろすガブリエラもまた、どこか不機嫌そうな憮然とした表情を浮かべているが、こちらはルシエラと対照的に汚れ1つない。

 だがその雰囲気は熱を帯び、猛獣のような近寄りがたさを周囲に放っている。

 そしてルシエラの後ろで本物の獣の唸りを放っているユリウスは、羽の全てが大量の魔法により地面に縫い付けられ、大量の魔力がまだ獲物を探して動き回っていた。


 この状況を一見して分かる通り、2人はついこの直前まで、激しく戦闘を繰り広げていた。

 その凄まじさは、祭り期間中のどの試合よりも破壊的で長期に渡り、あまりの激しさ故にヘルガを含めたガブリエラの近衛や、貴族院に詰めている戦闘系教師でも迂闊に手が出せない程だった。


「3時間だぞ・・・3時間! そなたが今朝方攻め込んでから、私の話を信じる気になるまでたっぷり3時間・・・まったく、妙に知恵をつけよってからに・・・」


 ルシエラの強烈な攻撃を受けながら、何が起こったのかを細かく説明するハメになったガブリエラは、珍しくルシエラに立腹だ。

 数日前にラビリアのリヴィアに圧勝して気分が良かったのに、それより格下と思っていたルシエラにかなり苦戦したのも大きい。

 試合で使わなかったような”本気レベル”のガブリエラの防御を掻い潜る攻撃が頻発し、逆にルシエラはガブリエラの手をありとあらゆる手段ですり抜け続けた。

 ガブリエラの”悪行”を最も近くで受けてきたルシエラは、最もガブリエラの弱点に精通した存在であることを見せつけられた形になる。


「しょうがないじゃない。 いくらなんでも10日間で起こった事にしては、話が多すぎるわよ・・・ですよ」


 ルシエラが周囲を見回しながら語尾を変えた。

 今、この場にはルシエラの”襲撃”に対応した戦闘系教師だけでなく、貴族院の様々な関係者が恐る恐るルシエラを、もっと言うならどえらい・・・・魔法を連発したユリウスと王球の巨体を見上げている。

 一応、クリステラの方がマグヌスより下手したてな関係のため、王女であるガブリエラには敬語で接しないと角が立つと気にしているのだ。

 もう、そんなものは既にどうでもいいくらいの”粗相”をやったわけだが、未だ興奮気味の本人達が気にする事ではない。


 幸いな事に、あまりにも戦闘が派手であったため、ガブリエラによるルシエラへの”説明”は、周囲に殆ど聞かれずに済んだ。

 内情を知らぬものが零れ聞いた”怒号”から、正確な事の経緯を複合するのは不可能に近いだろう。

 事前にロンとモニカからガブリエラに、襲撃が来る可能性が知らされていた事も大きい。

 おかげで情報工作は万全で、教師を含めこの場のほぼ全員の頭の中で、

” ルシエラが襲撃をかけてきたのは、モニカの正体が伯爵の孫であることを聞いたルシエラが、ガブリエラが何か良からぬ事を企んでいると思い込み、更に昨日の未明に倒れて緊急入院したという情報を聞いて動転した ”

 という風にごまか・・・いや、なんだかんだで、ほぼ事実通りに認識されたのだ。


 ルシエラとガブリエラの険悪な空気が晴れるに連れ、周囲の緊張もほぐれていく。

 すると今度は、貴族院の惨状がより鮮明に見えだして、ガブリエラですら疲れたように顔に手を当てた。


「まさかそなたの”説得”が、これほど骨が折れるとは・・・」


 そう言ってガブリエラが肩を落とす。

 単純に制圧するだけなら、ルシエラといえど片手間に片付けられた事だろうが、モニカに説得を依頼された手前、気絶させる事もできず非常に苦労したのだ。

 すると、ガブリエラのそんな”かつてない姿”を見た貴族院の者達の顔が、恐怖に似た驚きに染まる。

 ルシエラとの関係や、今回の経緯をある程度知っていて”やれやれ”といった空気なのは、ほんの僅か。


 一方、この”騒ぎの首謀者”であるルシエラは、周囲からの空気に自らへの不穏な気配が混ざりだしたことを察知すると、それを誤魔化すように話を進めた。


「それで・・・モニカはどこにいるの?」




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 貴族院のある西山からさらに西に10kmほど行ったところにその場所はある。

 周囲2kmほどの広大な敷地全てが立入禁止の草原が広がり、その中心部に石灰に大量の魔力を混ぜて作られた”対魔コンクリート”で作られた巨大な構造物が円形に形作られている。

 空から見れば草原の真ん中に、中心に穴の空いた直径300mの灰色のパンケーキが置かれているような光景だ。


 この”第2高密度魔力試験場”そのものを転用して作られたこの施設は、通称”サイロ”と呼ばれ。

 高濃度の魔力保有者・・・事実上のガブリエラ専用の調整・治療施設である。

 だが現在、この施設の中にいるのはガブリエラではない。


 そのサイロまでの細い道の上空を、ガブリエラの黄金の王球がゆっくりと進んでいく。


「あそこにモニカが?」


 王球の内部に乗せてもらっていたルシエラがそう聞く。

 するとその横で、”玉座”に座り操作を行っていたガブリエラが小さく頷いた。


「今回の”発作”は、さすがに前例がないからの。 祭りで無理もしたし、保有魔力もかなり増えておるゆえ、万全を期してこの場所を使うことにしたのだ」

「誰が無理させたんだか」


 ルシエラが不機嫌そうにそう毒づく。

 目の前に広がる無機質な巨大構造物は、なんとも冷たく本能的な不安を増幅させる。

 その中でモニカが集中検査を受けているとなれば尚更。

 だがその見た目に目をつぶれば、確かにモニカにとって最も安全で最適な場所だともいえる。

 なにせ”動く災害”と呼ばれた幼少期のガブリエラの不安定さすら抑えきった施設だ。

 おそらく何があっても、死ぬことだけは阻止しきってみせることだろう。


 このサイロの周囲は、一定以上の魔力を撒き散らすような魔法が禁止されているほど厳重に管理されているため、空間を大きく揺さぶる転移魔法は使用できない。

 なら、王球みたいな巨大物体を浮かせても問題ないのかと不安にもなろうが、この王球は魔力を吸い込む特性があるので近づくだけなら問題ないらしい。

 というか、本来はこの王球ごと中央の穴から内部に飛び込むことで、安全にガブリエラを収容する寸法だ。


「ずいぶん陰湿なところね」

「ん? そういえばそなたを連れてきたのは、今回が初めてか」


 ガブリエラが少し驚いた風にそう言うと、ルシエラが呆れたように息を吐いた。


「こんな”安全保障”に関わる場所に、私が来れるわけ無いですよ」


 本音は、ここにガブリエラが入っている間は、ルシエラにとってはガブリエラに干渉されない天国のような時間なので、なんでわざわざ近づくのかという話なのだが、それを言えば碌な事にならないので言わない。

 そしてガブリエラはそんなルシエラの考えを知ってか知らずか、なんともない表情で話を進めた。


「ならば、慣れておけ。 私が卒業すればモニカに譲渡することになっておる。

 あの子も歳とともにどのような変化があるかわからんから、ここの備えがあれば安心だろう。

 それに”祭りのおかげ”で、モニカは”私のはとこ”になったからの。 正式な手続きを踏むので、あの子次第ではそなたが好きに出入りしても文句は言われまいて」


 ガブリエラはその言葉の中で、やたら”祭りのおかげ”という部分を強調した。

 その事で怒鳴り込んできた・・・・・・・・ルシエラに対する当てつけか、だがそれを理解しているルシエラはツンとした態度を緩めず肩をすくめるだけ。


「”それ” 本当に本当なの? ヴァロア伯爵関連の話も、勇者に勝ったって話も未だに信じられないんだけど」

「全て本当だと言っておるに、まだ疑うか。 いったい誰が・・鍛えたと思っておる?」

「この世で、最も教師やっちゃダメな人」


 ガブリエラとルシエラのやり取りに、後ろの侍従達は先程から冷や汗が止まらない。

 もしガブリエラが相手しているのがルシエラでなければ、とっくに暴発していたことだろう。

 いや、モニカを内包したサイロの近くでなければと言うべきか。

 ルシエラもそのことに気がついているので遠慮がないので、ガブリエラはこれまた珍しく手をこまねいた渋い顔になりっぱなしだ。


 そんなこんなで、そうこうしている内に黄金の王球はサイロの建物の横にピタリと止まり、卵型の太い部分が音を立てて開けられた。

 いつもなら、このまま中心部に飛び込むのだが、今日はその中にモニカがいるので入ることが出来ない。

 なのでこれまたガブリエラにしては珍しく、出入り口から入るために、王球の中から地面へと飛び降りる。


 すると、ちょうどサイロの出入り口に立っていた”2人組”が、ルシエラとガブリエラに近寄り声をかけてきた。


「『ずいぶんと派手にやっておったの、ここからもよく見えたぞ、新年早々元気そうで結構!』」

「あ、アラン先生。 なんで割って入らないのかと思ってたら、こんなところに居たんですね」


 新年早々、妙な場所で見かけた精霊教師の”わかりにくい苦言”に、ルシエラが悪びれずにそう応える。


「『我もスリード先生も、ガブリエラにモニカ・ヴァロアの事を頼まれた故な。 だがその様子だと、我も参戦した方が早かったかもしれんがの』」

「この人、私のことをまだ中2の頃のガキだと思ってましたからね」


 ルシエラが親指でガブリエラを指しながら馬鹿にしたように小さく笑う。

 先の戦闘でガブリエラの鼻を明かした事がよほど面白いらしい。

 後ろでは王球の状態を”係留モード”に変更中のガブリエラが、そのやり取りをわざとらしく無視しているのも大きいだろう。


 だがルシエラはすぐに表情を”真面目”に戻すと、アラン先生の横に居た”もうひとりの教師”に向き直る。


「それで、モニカ達の様子はどうなんですか? スコット先生」

「現状、問題は見つかってない。 だが原因も特定できないみたいで、これからかなり徹底的に調べるとのことだ」


 モニカの”直接の教師”であるスコット・グレンはそう応えると、いつの間にかとんでもないほど隈の濃くなった目をルシエラの後ろのガブリエラに移す。


「ガブリエラ様、ちょうどいい。 ”これ”をお返します」


 スコットがそう言うなり、腰に下げていた黄金の豪奢な剣を掲げた。

 それを見たルシエラが、スコットが帯剣するという”一大事態”に目を見開く。


「なんだ、もうしばらく持っておれと言うたでは無いか」

「あなたが来ればこの場は心配ないでしょう。 それよりも剣が不満を溜め込んで言うことを聞きません。 祭りが終われば持ち主の下に帰れると聞いていたのに、話が違うとうるさい」


 すると、まるでスコットのその言葉を肯定するかのように剣が僅かに震え、金色の光が鞘の隙間から漏れると、それを見たガブリエラがなんともいえない呆れ顔になった。


「まったく、忍耐のない奴だ・・・しかたない、”戻れ”」


 その瞬間、ガブリエラの許しを得た剣が勢いよくスコットの持つ鞘から飛び出し、その剣身を外気に晒した。

 黄金の柄と宝石の様に透明な刃が、太陽の光を浴びて色とりどりに輝く。

 空中を勝手に飛ぶその剣はすぐに形を大きく変え、剣身が枝分かれし宝石を散らしたような角になり、柄が黄金の肌を持つ獣へと姿を変えた。


 現れたのは”金色の鹿”。


 それはガブリエラの特徴的な使い魔である”武装獣”、その代名詞的な存在であり、普段はアクリラの野山を駆け回る心優しきその獣は、数日間も主人の下を離れた不機嫌さをぶつけるようにガブリエラの体に角を擦りつけた。

 剣のように鋭く硬い角と、ガブリエラの魔力を含み過ぎて鉄より硬い肌が擦れ合う”ゴリゴリ”という音がその場に響き、そのなんともいえない微妙な空気にルシエラですら目を逸したほどだ。

 やがて主人に甘えて満足した黄金の鹿は、その鹿らしからぬ丸い顔を上げると、いつもと同じく塵のように体を分解し、やがて空気の中へと消えていった。


「・・・何度見ても悪趣味な”使い魔”ですね」


 最後にボソッとルシエラがそう漏らす。

 するとガブリエラがため息を吐きながら憤慨した。


「そなたのユリウスよりは健全だ。 なんだ、あのハリボテの巨体は?」

「ああ! あの子の事はなしですよ! 私のために頑張ってくれてるんですから!」

「ならば、私の使い魔だって・・・」


 その時、口論に発展しかかった2人の声を遮るように、アランとスコットの咳払いが放たれる。

 ルシエラとガブリエラがそちらを振り向けば、スコットが”本題はこっちだろ”とばかりに後ろの建物を顎で指し示した。


「はあ・・・そうですね。 はやく入りましょう、モニカが待っている」


 ルシエラがそう言って肩を落としながら、出入り口に向き直るとそのまま重たい足を動かして歩みだす。

 そしてなにか言いたげだが、それ飲み込んで無言で続くガブリエラ。

 

 だがそんな2人と対照的に、スコットとアランはその場を動かなかった。


「あれ? 先生達は入んないんですか?」


 その様子にルシエラが不審そうに問いかける。

 するとスコットとアランは、なんともいえない微妙な顔を浮かべた。


「私達は・・・”遠慮”している」

「”遠慮”?」


 なんとも歯切れの悪いスコットの言葉にルシエラの不審がさらに深まる。

 だが、それを見かねたガブリエラが即座にルシエラの肩を叩いて、”理由”を耳打ちした。


「サイロでの治療スペースには、一切の”装具”は持ち込み禁止だ」

「・・・ぁあ!・・・なるほど・・・・なるほど・・・」



 ◇




 外からの見た目と異なり、サイロの中は予想外に狭い空間しか来訪者に用意されていない。

 しかもその中を、ガブリエラお抱えの技術者や医者たちが殺気立ちながら忙しなく動き回るので、単なる来訪者の肩身は余計に狭くなる。

 特に大柄なスリードなどは、可哀想に殆ど天井に張り付いた状態で身動きできずにいる。

 きっと何処に居ても邪魔になったので、あそこに追いやられたのだろう。

 ルシエラはそんな蜘蛛教師を憐れみの目で見守りながら、とりあえず身近な者のところに近寄ることにした。


「ベス」

「・・・ぅう? え? ・・・ルシエラ姉さま!?」


 端のベンチでモニカの友人のメリダに抱きつくようにして眠っていたベスに声を掛けると、ベスは驚いた表情でルシエラを見返した。

 ここにいるのが信じられないといった感じだ。


 だがすぐにこれが夢ではないと気がついたベスは、すぐに縋るようにルシエラに手を伸ばした。


「ルシエラ姉さま・・・モニカ姉さまが・・・モニカ姉さまが、苦しんで・・・」


 涙を浮かべながらそう言ってきたベスの口元にルシエラは指を当て、”大丈夫だよ”とばかりに力強い視線を送る。


「安心して、全部聞いてるから。 今は大丈夫なんでしょ?」

「そうですけど・・・でも・・・」


 ベスの反応にルシエラは、大慌てで戻ってきた自分の行動が”手違い”などではない事を悟る。

 この禍々しいまでに大仰な”装置類”を前にして、ベスがここまで不安がるのだ。

 昨日の未明に起こったというモニカの”発作”が、少なくとも傍目には只事ではないというのは間違いない。


 ルシエラはそのまま、確認するようにサイロの制御室の中を見渡す。

 新たに入ってきたのはルシエラとガブリエラだけ、”専門家”以外は数人の例外を除いて基本的に入れない方針らしい。

 中央制御盤に突っ伏すように豪快に寝ているロザリア先生は、モニカの”主調律者”なのでノーカンだが、見たところ慣れない巨大魔道具を前に傍観者化している。 

 同じように寝息を立てているスリード先生は”監視役”か。

 アラン先生がいるのに彼女が常駐しているということは、モニカが暴走する危険性も考えてなのだろう。

 メリダやベスも含め皆寝ているのは、昨日から心配し通しで徹夜だったからに違いない。

 ガブリエラですら一言も発せずに静かにしているのが何よりの証拠だ。


 それを察したルシエラはベスに最低限の確認だけ済ませると、興奮気味の彼女を宥めてから、その場所に向かって邪魔にならないようにゆっくりと近づいた。



 ”治療スペース”の第一印象は、”巨大な水槽”といった感じ。


 王球がすっぽり入る広大な空間の真ん中に、裸のモニカがポツンと小さく浮かび、その周りを魔獣並みの大きさの様々な機器類が取り囲んでいる。

 人口密度が高めなこちら側とのなんともアンバランスな対比に、スケール感が壊されてしまいそうになる。

 この空間を満たしたしている、薄い黒の靄みたいな物は魔力だろうか?


 ルシエラは治療スペースと自分の立っている場所を隔てる分厚い窓に顔をつけ、妹分の様子をじっくりと観察する。

 目を閉じて宙に浮かぶモニカの姿は、ルシエラの記憶にある姿と同じで変わったところはない。

 全体的に肉厚のガブリエラと異なり、モニカの体は相変わらず小さくて弱々しい。

 この小さな少女が、ルシエラの知らぬ間に勇者レオノアを下し、アルバレス貴族の一員になったなど、誰が信じられようか。


 ルシエラの脳裏に、真っ赤な血で書かれた”助けて”という文字が浮かぶ。

 今でこそ落ち着いているが、つい1日と少し前。

 彼女はあんな物を寄越すほど追い詰められ、苦しんだのだ。

 これだけ大きな事が立て続けに起こったのに、その場にいてやれなかったばかりか、それでも尚ルシエラに助けを求めたのに、応えられなかった後悔が湧き上がってきた。


 その時、視界の向こうのモニカの目がゆっくりと開けられ、ルシエラと目が合った。


『・・・ルシエラ?』


 近くの発音魔道具から、くぐもったモニカの声が流れてきた。


「今も痛い?」


 ルシエラが答える。

 だがその声は分厚い窓に阻まれて届かなかったようで、モニカが不思議そうな顔を作ってキョトンとした。

 するとそんなルシエラを見かねたのか、技術者の1人が円盤状の制御用魔道具を指さしながら近くを通り過ぎた。

 これを使えということか。

 たしかに集音用魔道具を無理やり据え付けた構造だ。


「モニカ? 聞こえてる?」


 すると、魔力を流しすぎたのか予想以上に大きなルシエラの声が、ガラスの向こうに鳴り響く。


「あ、・・・ごめんごめん」

『よかった・・・ルシエラの声だ』


 とっさの平謝りに返ってきたモニカの声は、何かとんでもないものを沢山詰め込んでしまったような者の、ようやく得た平穏のような響きがあった。

 それは気のせいかもしれないほど微かな響きだが、それを逃すルシエラではない。


「大丈夫? ”そこ”、痛かったりしない?」

『なんか、ずっとおしっこ漏れてるみたいで落ち着かないよ・・・』


 モニカがそう笑いながら、手足をバタバタさせる。

 巨大空間の中でのその動きがなんとも奇妙で面白い。


「案外、元気そうね」

『うん、大丈夫。 ロンが”痛いの”切り離してくれてからなんともないよ。 それより検査の方がキツイくらい』


 そう言いながら、左胸にぶっ刺さっている極太のチューブを軽く弄るモニカ。

 モニカは笑っているが、その光景のあまりの痛々しさにルシエラは思わず目を顰める。


「それ、本当に大丈夫なやつ?」

『うん、挿れるときは怖かったけど、全然痛くないよ。 あとはお腹とおしりと、左足と右手に・・・』

「いや、見せなくていいから」


 大量の器具に隠れて詳しくは見えないが、どうやらモニカは現在、とんでもないことになっているらしい。

 ルシエラは”本当にこれで大丈夫なんだろうな”という半分疑いの視線を、横で爆睡するロザリア先生に向ける。

 まあ、これは元々ガブリエラ用なので動き回っている連中次第だろうが。

 見た感じ、治癒魔法でチューブに皮膚を癒着させる事で出血を防いでいるのか、相変わらずこの街の医者は器用に無茶をする。


「ロンは?」

『寝てるよ』

「寝てる?」


 あの奇妙な”弟くん”は、寝れない事が木苺の館内でのアイデンティティみたいな事になってるのに、”寝ている”とはどういうことか?

 するとモニカはチューブが刺さって大きく動かない右手の代わりに左手を使って、ルシエラのへその辺りを指差した。

 ルシエラが視線をそこに落とすと、よく見れば制御盤の巨大な筐体の中に、ガッチリと魔水晶が嵌っているのが見えた。


「ああ、こんなところに」


 その変わり果てたロンの姿にルシエラが、薄っぺらい嘆きの声を漏らす。


『ロンがいるのは、わたしの頭の中だけどね。

 今は動きを見たいから、間にいっぱい機械を挟んでるんだって。

 ものすごく眠いって言ってるよ』

「ずっと寝てなかったんだから、今の内に寝ておきなさい。 睡眠は至宝よ」

『”もう飽きた”って・・・あ、また寝ちゃった』


 なるほど、この中ではロンは眠り龍だな。

 おそらくこっちの制御盤から、あのチューブを通じてモニカに繋がっているのだろう。

 機能的には問題ないが、機能までが遠いから鈍くなって眠くなるのかもしれない。

 少なくとも害はなさそうだ。

 ルシエラは妹分達の様子にそれを悟ると、少しだけ安心した。


「それで、どこかと交信してたんだって?」


 ルシエラはここまでの道中、ガブリエラから聞いたここ数日の顛末を思い出す。

 本音で言えば、勇者相手に無茶な戦いをした事を姉的に説教してから、噂のイケメン勇者が本当にイケメンなのかについて、たっぷりとガールズトークをしたいところだが、ぐっと我慢する。

 今大切なのはこっちだ。


『わたしが見てたのは・・・わたしに食べられる・・・・・夢』


 それからモニカが話してくれた、その時に見たという”夢”は、まあ標準的な悪夢と言っていい内容だった。

 時期や経緯的にも、潜在的な不安や恐怖が具象化したと考えれば辻褄が合う。

 私もベスが来るとき、前の晩に小さい頃の私にひたすら暴れられる夢を見たなー・・・今度、ルイーザ姉さまとミシェル姉さまにお菓子でも送っておこう・・・

 ・・・ただ、気になるのが、


食べられた・・・・・? 殺された・・・・じゃなくて?」


 胸を刺されて食べられるとは、どういうことだろうか?


『うーん、カジられた・・・・・なのかな? 潰されたり切られたりしながら引っ張られる感じ。

 飲み込まれる前にロンが”繋がり”を切ってくれたから助かったけど、そうじゃなかったら飲み込まれてたかも』

「はー・・・」


 まったくわからん。


「でも、”この有様”ってことは、ただの夢じゃないんでしょ?」

『うーん・・・私はひょっとすると、ただの夢かもしれないって思うんだけど、ロンが・・・』

『その夢を見てる間のスキルの動作に、問題があってな』

「あら、もうお目覚め?」


 眠ったと思っていたロン弟くんの声に、ルシエラは少し驚いた風に応える。


『おかげさまで寝起きが悪くてな、知らない間に誰かさん・・・・に似てたらしい』

「ははは、あなたの”その状態”って、ある意味低血圧みたいなもんか」

『そういうことだ。 で、本題なわけだが、”その時”のログを見る限り、モニカは誰かと通信してたみたいなんだ』

「聞いてるわ。 あー・・・”自分と”だっけ?」


『そうなんだ、もともと俺の制御が狂ったときに外部機器から強制的に補正する機構があってな・・・』

「”王女様”にもあるの?」


 少し気になったルシエラは後ろで妙なまでに傍観者を決め込んでいるガブリエラを振り返りながらそう聞いた。

 するとガブリエラがなんとも気まずそうに顎を上下に動かす。


「私にも同じ機能はある・・・というか、むしろ私はモニカと違って積極的に使っておるくらいだ。 ”ウル”は最近まで自己調整能力がなかったからな。

 何を隠そう、今モニカとこの”サイロ”を繋いでおる機能がそれだ」

「『へぇー』」


 ガブリエラのその説明に、ルシエラとモニカが揃ってこの巨大な機構を観察するために首を上げた。

 後ろでは、ほぼ同時にベスも上を向いて観察している。


『・・・それで、その通信の記録が残ってるんだが・・・”相手”の情報がモニカの外部調整機構の物じゃなくてな、ついでに”ここ”のでも、ガブリエラのでもない。

 というか”俺達”の情報が入っていたわけだ。 ”ID:04、王位スキル、フランチェスカ”ってな』

「外部調整機構だったら、そこはどうなるの?」

『ガブリエラの例を見る限りは、”王位スキル”のところが”王位アーク”になるはずだ』

「あんまり変わらないのね」

『データはぜんぜん違うけどな。 でその通信先が俺達自身ってことは、通信が”自己短絡”の状態になってたんだと思うのが普通なわけだが・・・・受信データはあるのに、何処を探しても送信データがないんだ』

「で、今はそれをここで探していると・・・」

「それもあるがの・・・」


 その時、ガブリエラがそう言いながらルシエラのそばまでやってきて、窓に手を当てた。


「祭りで無理をさせてしまったからの、いくつかのスキルが壊れておるのやもしれん。

 今ここで徹底的に検査しておいて後顧の憂いを断ちたい。 それにここであれば、次に誰かが”悪意”をもって同様の接触を試みても、対処は易いし尻尾も掴みやすいだろう」


 そう言いながら、手をわずかに震えさせるガブリエラ。

 それを見たルシエラは、その瞬間なんでこの”暴虐王女”が借りてきた猫の様に大人しいか合点がいった。


 この”金ピカ王女”、今回のモニカに起こった”異変”が、自分が祭りで無茶苦茶させたせいで起こったのではないかと責任を感じているのだ。

 実際、ルシエラも9割くらいはそれを疑っている。

 王位スキルは確かにとんでもない力だが、中1のモニカがそれだけを持って勇者に勝てるほど”勇者”は弱くはない。

 きっとガブリエラがルシエラの留守を良いことに、とんでもない追い込み方をしたに違いなかった。

 やっぱりなんてやつだ。


 だが、とはいえまさか、責任を感じてしょんぼりしているガブリエラが見れる日が来ようとは。

 長く生きてみるものだな(まだ15年弱だけど)。

 というか正直、見ていておもしろい・・・・・


 おっといけない、真面目にならねば。


「とにかく、今はロンのオーバーホールしながら、ここでその”異常現象”を待ってるってことね」

『もしくは誤送信の痕跡が見つかるかだな』

「ロンとしては、どっちの可能性が高そう?」

『なんらかのスキルの異常の可能性が高いかな。 いかんせん把握しきれてないスキルが多すぎるし、相当な負荷の痕跡もある。 この分だと、どっちにしろここに入って良かったと思ってるくらいだ』


 ロンの声はとても冷静で、それでいて中々の深刻具合を感じさせるものだった。

 晴れて外に出たときは、どんな無茶をしたのか問い正さねば。


『それに、もし仮に何処かからの通信とすれば、モニカがもうひとり・・・・・居ないとおかしくなる』

「そんなわけ無いわよねー」

『だよなー』

『そうだねー』

「『『はははは』』」

「・・・・・」


 ”そんな馬鹿なことがあるか”と笑う3人と、深刻に考え込むガブリエラ。

 温度差のある反応ではあるが、この場に居た全員が心の何処かで”その可能性”が普通に考えられるということに思い至っていたのは、いうまでもない。


 そもそも、モニカ自体が未だ出所不明の”いない筈のロストナンバー”なのだ。

 あと何人居たって不思議じゃなかった。

 


『ところでルシエラ・・・ごめんね』

「うん? なに? どうしたの急に謝って」


『わたしのせいで・・・調査旅行、無理に抜けてきたんでしょ?』

「ははは、気にしないで、大丈夫よそれくらい」


 モニカの気遣いにルシエラが気にするなよとばかりに軽く応える。

 実際、十分に”一大事”だったのだ。

 呼ぶのが遅いと怒ることがあっても、呼んだ事自体を責める気持ちも、帰って来た後悔も毛頭ない。

 だがモニカの無邪気な言葉は、そんな風に現実逃避しようとしたルシエラの考えに無残な追い打ちをかけてきた。


『でも、ルシエラの先輩達ってすごく怖いんでしょ? わたしが”ここに居る理由”は言えないけど大丈夫?』

「はははは・・・・・うあわああ、それはいわないでえええええ」


 そうだ、モニカの存在は公のものになったが、彼女のスキルの詳細が公になったわけではない。

 そればかりか、こういった”繊細な情報”の秘匿性はむしろ上がった方だろう。

 ルシエラは、仕事を放り出して飛び出してきた事を、どうやって説明していいかという”現実”を想像して、顔を覆いながらその場に塞ぎ込んだ。






 それから3週間。

 ロンとモニカはサイロの中での”入院生活”を強いられることになるが、結局、外部からの通信も、誤動作の痕跡さえも見つけることが出来ないまま退院した。

 最初はその事に、なんともいえない不安を感じていた2人だったが、入院中になまった体のリハビリと年度末に向けて急速に動き出した生活に再び合流するのに忙しく、


 いつまで経っても訪れない次なる”その現象”に、いつしか心配する気持ちも薄れて消えていったのだった。


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