2-12【新たな日常 2:~ゆく年くる年~】


 ミルス・アクリラーレアクリラ大祭最終日。


「なぜお前達が呼ばれたのか、わかっているか?」

「・・・・・」


 昼下り、アクリラ中央講堂内の狭い教室の中にひどく不機嫌な声が響き、その迫力にビビったモニカが身を縮こませる。

 声の主は、この教室前方の教卓にどっかりと腰を下ろしている獅子のような体育会系教師こと、グリフィス先生その人だ。

 普段、戦闘系の授業で見る時も迫力満点だが、こう狭い教室で間近で相対するとなお一層恐ろしげな顔をしている。


「先生! それより、なんでこんな狭い所で”説教”なんですか?」


 すると、そんな空気を微塵も読む気はないとばかりに、能天気で傲慢な声が横から挟まれ、それを聞いたグリフィス先生の眉間がピクピクと微動する。

 それに伴って一気に増大した剣呑とした空気を察知して、この部屋にいた者たちの殆どが僅かに身構えた。

 だがその声の主である、”竜人”の少女は全く気にしておらず、それを見たグリフィス先生は大きくため息をつく。


「はあ・・・トリスバルの教師は、よくこんなのを教育してられるな・・・・この教室なのは、祭り期間中で空いているのがここくらいしかないからだ。 わかったか、イルマ」


 グリフィス先生がそう言うと、イルマが笑みを浮かべながら頷いた。

 まったく、この人は怖いものがないのか?

 調子を狂わされたグリフィス先生は、なんとか立て直しを試みるように声を荒げる


「いいか! お前達がここに呼ばれた理由は、お前達が対抗戦で不必要に強力な攻撃を行ったからだ!」


 グリフィス先生が俺達の耳に叩きつけるように声を荒げ、その音量にモニカ含め何人かの生徒が耳を塞ぐ。

 だがそう言われると、確かにここにいる顔ぶれの殆どは学校別対抗戦で見覚えがある。

 それに俺達自身、不必要に強力な攻撃というのになんとなく心当たりが有った。


「真剣なのは結構! だがもし保護用の結界が破れていれば、観客や関係者にも被害が及んでいた」


 あ、やっぱりそれか。

 派手に壊したもんなー。


「熱くなるのも構わんが、時と場を弁えろ! この対抗戦での試合は、お前たちにとっても、そこまで全てを蔑ろにしていいものではない筈だ!」


 グリフィス先生のもっともな話に、俺達は音もなく恐縮するしかない。

 確かに、もし観客保護用の結界や機構が無ければ、一体何人死人が出ていたか分かったものではないからだ。

 安全機構というのは”もしもの時”のためのものであり、それを前提にガシガシと負荷をかけていいものではないのに。

 その上さらに俺達は、フィールドを粉々に破壊して利用までした。

 いくらガブリエラに脅されていたとはいえ、いくらレオノアがムキになって対抗してきたとはいえ、許されていい話ではない。

 

 だがその時、驚いたことにレオノアが不服そうな顔で手を上げる。


「ん? どうしたメレフ」

「その条件ならば、ガブリエラやルキアーノが真っ先に集められるべきでは?」


 そういやそうだ。

 元はといえば、あの人達が無茶苦茶するから、それが相場だと勘違いしたのではないか!

 オレタチハワルクナーイ!


 ・・・いや、すいません悪いです。


 でも俺達が呼ばれて、あの2人が呼ばれてないというのはどういうことだ?

 特に競技場まるごとブチ壊したガブリエラは言い逃れできないだろ。


「その2人は、今は外せない予定が入っている。 だが安心しろ、あいつらは俺が後で責任をもってみっちりしごいてやる」


 グリフィス先生はそう言うと、”だから今はお前達だ!”と言わんばかりにこちらを睨みつけてきた。

 その姿は、完全に魔獣化したライオンといった様相を呈している。

 それを見た俺達は、この場から逃げることが出来ないことを悟ったのだ。



・・・


・・・


・・・



 それから数時間。


 文字通り、みっちりと説教漬けの時間が経過した。

 しかも普通に喋るだけでも怖いグリフィス先生の説教だ。

 目の前で魔獣が吠えまくっているのと何ら変わりない。

 モニカだってグッタリ気味だし、小心者の俺の仮想顔は恐怖と反省の涙ですっかりグチャグチャである。


 だが、他の連中ときたら。

 皆、大音響の怒鳴り声など何でもないとばかりに暇そうにしてるし、どこか暖簾に腕押し的な反応しか見せないでいる。

 ”どうせ奉仕活動でしょー”的な空気がビンビンだ。

 最初はイルマだけかと思ったがとんでもない、こいつ等みんな”悪ガキ”である。

 その最たる例のイルマなんて、盛大に口を開けて欠伸をして、数列に並んだ鋭い牙を見せつけているではないか。


 極めつけはコイツ。


「先生! それは違うと思います!」

「んだとコラアァ!!!」


 レオノア君である。

 この人、てっきり礼儀正しいのかと思ったら、先生の説教にいちいち正面から反論をブチかます問題児だった。

 そのせいで全然話が進まない。

 君達、何でここに呼ばれてるのか分かってる?

 というかトリスバルって騎士学校だよね!?

 なんで、そこの首席と次席がこんなに反抗的なんだ・・・



・・・


・・・


・・・



 そこから、さらに数時間が経過した。


 もう窓から見える空はすっかり赤らみ、比較的冬でも日の長いアクリラでも日没まであと1時間もないくらいになって、ようやく永遠に続くかと思われたグリフィス先生の説教が終焉を迎えた。


「ま、今日はこの辺で勘弁してやるが、次からはもっと考えて行動しろよ!」


 と叫ぶなり、不機嫌そうにズカズカと”説教部屋”をあとにしたのだ。

 獅子のような教師が出ていった出口に”悪ガキ”共の視線が集中する。

 するとそこには、前に見たときよりかなり疲れ顔の校長が立っていた。

 どうやら、祭り関連であちこち引っ張り回されて疲労が蓄積しているらしい。

 それでもグリフィス先生を捕まえて、”説教が長すぎる”旨の注意をする姿は力強いが。


 どうやら説教に熱が入ったグリフィス先生が予定されていた時間をオーバーしたらしい。

 あとの”式典”もあるので切り上げを急かしに来たとのこと。

 グリフィス先生は渋々それに頷くと、教室の中に座る俺達を軽く一瞥してから、廊下の向こうへと消えていった。

 

『なんだろう・・・』

『ん? どうしたモニカ?』

『グリフィス先生、なにかわたし達に言いたがってる気がしたから・・・』


『そういや、なんか意味深な視線だったな。

 なんだろうか俺達だけを見てたみたいだけど』

『試合の時も、なんか変だったでしょう?』

『そういやそうだったな。 俺達がヴァロアだって聞いた途端、めっちゃ睨んでた』

『もしかしてグリフィス先生って、ヴァロアとなにか問題でもあるのかな?』

『そんなまさか。 考えすぎだってハハハハ・・・・・』


 あ り え る。


『うわぁ・・・そういやあの人、30年前までアルバレスで勇者やってたって、ガブリエラが言ってたぞ』

『てことは、ちょうど”大戦争”のころは・・・』

『間違いなく現役だ』


 当然、参戦してておかしくないし、ならばヴァロア一族とそこで因縁があっても普通だ。

 むしろ時期的に彼の”引退理由”まであり得る。


『でも何もしてこなかったね』

『その辺はほら、今は先生なわけだし、それはそれこれはこれで区別して考えてるんじゃないか?』


 グリフィス先生は顔や言動こそ怖いが、中身はとても気配り上手な良い先生だ。

 ヴァロア家への因縁を、俺達に持ち込む様な馬鹿な事は無いだろうという信頼がある。

 きっと、なんともない・・・と良いんだけど・・・



 そしてそんな俺達を残して、説教が終わった教室ではもう既に帰り支度のムードが出来上がっていた。

 どうやら今回はお説教だけで、その他に罰則はないらしいということが大きいのか、皆一様に明るい笑顔で、2重の意味で・・・・・・共に戦い抜いた仲間と親睦を深めていた。

 お互いの健闘を称え合い、母校や母国に戻っての活躍を祈るその姿は、説教中の態度が嘘のように紳士的だ。


『そっかぁ、明日にはほとんど帰っちゃうんだよね』


 それを見たモニカが染み染みとそう呟く。


『ついでに言うと、ほぼ全員がこれで卒業だな』


 選手の半分以上を占める最上級生は、これで全ての活動が修了する。

 あとは数ヶ月間の整理活動期間が与えられ、その間に順番にアクリラを去るか、研究職として移行するか。

 つまり今ここに並んでいる者達の殆どと、机を並べる機会はこれで最後になるのだ。


 まあ、ほぼ全員知らない人ばっかなんだけど。


 それでもそんな空気を纏っているせいなのか、皆どこか別れを惜しむかのように紳士的だった。

 ただ、どうしても下級生の俺達は蚊帳の外になりがちで、声をかけられる事はなかったし、こちらからもかけられずにいる。

 できれば、このまま空気の様にフェードアウトするのが理想なんだけど・・・

 って感じの思考をモニカがしたのがいけなかったか、よりにもよって最悪な人から声をかけられてしまった。


「”モニカ・ヴァロア”!」

「・・・うっ」


 その声に、ほとんど反射的にモニカが身構える。

 振り向いてみれば、いつの間に接近したのか、竜人イルマの姿がすぐ近くに見えた。


「えっと・・イルマさん? あ、ごめんなさい・・・」


 やられる前に先に殺れとばかりに、モニカが即座に頭を下げる。

 イルマが普段から高圧的な空気を振りまいているせいか、それとも前回の邂逅時に苦手意識を植え付けられたせいか、すっかり下手に出てしまっていた。

 無理もない、俺ならきっと睨まれただけで土下座だろう。


 だがそんなコチラの気持ちを知ってか知らずか、イルマは突然の謝罪に対し怪訝な表情を浮かべた。


「なぜ謝る?」

「うっ・・・なんとなく」


 あんたの雰囲気と顔が怖いからだよ。


「・・・まあ、いい。 ・・・レオノアに勝ったんだって?」

「えっと・・・はい・・・一応・・・なんとか」


 モニカが恐る恐るそう言うと、イルマは眉間にシワを寄せてなんとも苦い表情を作った。


「・・・恐ろしい街だ」


 あんたほどじゃないけどね。


 ぽそりと呟かれたその言葉に、俺がまた心の中だけでツッコミを入れる。

 だが、今日のイルマに俺達を怖がらせようという意思がないことだけは、なんとなく伝わってきた。

 どうも、俺達がレオノアを倒したことに何か思うところがあるらしい。

 しばらくじっとこちらを値踏みするように見つめながら、少しの間、無言の時がそこに流れた。

 そりゃ、あれだけ盛大に啖呵を切っておいて結局2人共負けたばかりか、レオノアに至ってはガブリエラと勝負すらさせてもらえなかったのだ。

 悔しい思いもあるだろう。

 

 だがその時、突然なにか吹っ切れたようにイルマが真顔を作ると、そのまま俺達の首元に頭を近づけてそこの匂いを嗅ぎだしたではないか。


「うぇ!?」


 突然の出来事にモニカが身を引くが、あっという間に肩を掴まれて逃げることが出来ない。

 首にイルマの力強い鼻息がかかり、くすぐったい。

 ”クンクン”じゃない、”フシュー”である。

 そして以前と同様に俺達の匂いを嗅いだイルマは、まるでカメムシの匂いでも嗅いだかのように顔をしかめた。

 朝稽古のあと、すぐに汗は拭ってるから今日も一応臭くはないと思うのだけど・・・


「相変わらず、生理的嫌悪感を覚える匂いだ。 だが、好き嫌いも直さないとな」


 そう言うなり、今度はいきなり肩を掴んでいるのとは逆の手で俺達の全身をまさぐり始め、首筋を舐めてきたではないか。


『!?!!*%@(!?』


 ”ゾゾゾ!!”っという、背筋の凍る感覚にモニカがノイズの様な悲鳴を上げ、咄嗟に離脱を試みるも、竜人の凄まじい膂力でガッチリ掴まれて逃げられない。

 何事かとモニカが見れば、やたら色っぽい目つきのイルマと目が合い、その吸い込まれるような瞳に心臓が跳ねる。

 あかん、色んな意味で食われちゃう!?

 さらに蛇のように絡みつくイルマの手が胸の上を這い回る。


「これが気持ちよくなったら、いつでも私の所にきな。 抱いてあげ・・・・」

「イルマ!」


 トドメの一撃のように口説きにかかったイルマを、レオノアが声をあげて静止する。

 するとイルマが俺達の体をパッと離して、手を上げて無害をアピールしながら笑った。


「あー! わかってるよ、冗談だから!」


 そう言ってはいるが、その顔は間違いなく”本気”で食いに来ていた顔だ。

 レオノアもそれに気づいたのか、割って入るようにモニカの前に立つと、強い口調でイルマを注意しだした。

 それを聞く限り、どうもイルマは無類の”女好き”のようである。

 イルマもまるで慣れたことのように、のらりくらりとレオノアの言葉を受け流しているのを見るに、彼女がその辺の女子を”つまみ食い”するのはいつもの事らしい・・・あぶねー。


「・・・はぁ、仲間がすまないことをした。 僕から謝るよ、こいつには後できつく言っておくから」


 強く言っても効いている様子のないイルマに対し、レオノアが諦めたようにため息を付きながら、こちらに向き直って謝ってきた。

 だが近くで見ると、相変わらずとんでもないイケメンである。

 

『かっこいいなー』


 モニカがボーッと呆けたような声で俺にそう言う。

 謝罪の言葉が耳に入っているかどうか。

 レオノアから出ているこの謎の”イケメンオーラ”に当てられているだけじゃなく、元々”モニカの価値観”的にも格好いい部類なのが大きいか。


 するとレオノアが少し気まずそうに、咳払いを1つついて表情を引き締めた。


「実は本国から、君に伝えるように言われている事がある」


 レオノアがそう言うと、モニカもその言葉の空気から大事な話をされたと気づいて、あわてて姿勢を正す。

 レオノアの”本国”ってことはアルバレスからの連絡事項か。


『そういや俺達、今は”アルバレス人”なんだよな』

『なんか実感ないね』

『行ったこともない国だからな』


 アルバレスについて俺達が知っているのは教科書に書いてあることと、噂で聞いた内容くらい。

 正直、歴史の授業でよく出てくるアルバレスの前身の”オルドビス”の方が、まだ馴染みがあるくらいだ。

 俺達に対する姿勢も、正直良くわからないし。

 モニカが、レオノアから何を言われるのかと思って身構える。


「次のアクリラ校外活動研修で、”第2種郊外活動免許”を取っておくように、とのことだ。

 なんでも、君をヴァロア領に連れて行くのに必要らしい」

「第2種? それって魔獣討伐とかしてもいいやつですよね?」


 レオノアの言葉にモニカが不思議そうな反応を見せる。


 ”第2種郊外活動免許”はその名の通り、アクリラの生徒が学園の外で活動するのに必要な免許である。

 アクリラ行政区を一歩でも出れば、生徒にかかっている様々な保護魔法はごく一部を除き全て機能を失う。

 生徒として所属している以上その生命にはアクリラが責任を持っているので、然るべき許可がなければ危険の伴う活動はできないのだ。


 アクリラが生徒に発行する”免許”は主に3つ。


 全生徒が無条件に保有している”移動免許”。

 これはアクリラ条約に加盟する国全てで利用できる”通票”のようなもので、様々な移動手段の利用と、外で危険のない仕事に就くことができるというもの。


 次に魔法学校生が研修を受け、それを認められることで発行される”第1種校外活動免許”

 こちらは協会に指定された魔獣を除く害獣等の討伐参加と、重危険地帯を除く各地での活動が可能で、軽度の死の危険がある仕事につくことも可能だ。


 そして最後に、研修だけでなく難易度の高い試験を突破したものだけに与えられる”第2種校外活動免許”

 難しい試験をクリアしなければならない代わりに、第1種の制限がない”無制限活動許可証”になる。

 

 だがそんな物が必要な理由って・・・


「まあ、あそこはかなり奥地だからね・・・・」


 レオノアがそう言いながら遠い目をする。

 アルバレスが無茶苦茶広くて未開の地が多いのは知っているが、ヴァロア領ってそんな見捨てられた大地みたいなとこなのか?

 

「大丈夫、君なら問題なく取れるだろうさ・・・むしろ取ってもらわないと、僕の立場がない」


 レオノアはそう言うと、突然暗くて憂鬱な表情を作った。

 そういや俺達、この人に勝ってしまったのだ。


 第2種校外活動免許は生徒の中でも1つのステータスであり、結構な難易度だという話しは聞いていた。

 だが、そうは言ってもまさか勇者に勝つほど難しいわけはなく、噂に聞く内容からしたらむしろモニカなら簡単に取れてしまう部類である。


『ひょっとしたら、新しいアルバレスの”最高戦力”になった俺達が、アルバレス国内を移動するときに、免許が魔獣討伐も出来ない”移動免許”では格好がつかないからかもしれないな』


 ふと思ったその考えをモニカに伝えると、モニカの方も同意したような感情を返してきた。


『なんか・・・めんどくさいね』

『まったくだ』


「それじゃ、本当に僕たちはこれで・・・なんか君を待ってる人がいるみたいだし」


 レオノアはそう言うと、少し気まずそうに教室の出口に視線を送る。

 そこには、”はよしろ”という言葉を顔に貼り付けたような校長の姿が。

 どうやらなにか俺達に用事がるらしい、きっと”ヴァロア”絡みだろうけど。


「お前の力なら、そのうちまた会うだろう。 その時までには、その”匂い”をなんとかしておけ、そしたら本当に抱いてやる」

「イルマ!・・・まったく君は・・・それじゃ、またいつか会おう。 正直結果は不本意だけど君と戦えて良かったよ」


 イルマとレオノアの2人はそう言い残すと、出口に向かって歩き始めた。


「えっと・・・またね!」


 その背に向かって、追いかけるようにモニカが別れの言葉を投げる。

 すると2人は無言で歩きながら、手を振ってそれに答えてくれた。


『あらためて・・・とんでもない連中だったな』


 廊下の向こうに消えていく2人の背中を見ながら、俺が染み染みと呟く。

 それに対し、モニカが本音をぶち撒ける。


『・・・しばらく会いたくない』

『・・・俺も』


 きっと10日前に戻って、”あれの片方に勝ったんだよ”とその時の俺達に言ったならば”またまたご冗談を”と失笑されただろう。

 だって今でも思うもん。


 すると何か気になったのか、モニカが顔の前に腕を持ってきてそこの匂いを嗅ぎだした。


『・・・臭くないよね? 変な匂いする?』


 どうやらイルマに”生理的嫌悪感のある匂い”と評されたことが引っかかっているようだ。


『いや、あれは別に、臭いとかって話じゃ・・・』


 するとその時、ようやくこっちの用事が済んだことを悟ったのか、クンクンとあちこちの匂いを嗅ぐのに夢中なモニカの近くに校長がやってきた。


「モニカさん」

「・・・あ!? はい!」


 あわてて腕をおろし、校長に向き直るモニカ。

 すると徐に校長は疲れたような声で切り出した。


「”経緯”はガブリエラから聞きました」


 話に夢中とはいえまだ教室に何人か残っている手前、このような回りくどい言い方になってはいたが、俺達はその言葉だけでここ数日の校長の心労を察する。

 きっと方方に対応を迫られたことに違いない。

 その姿を見ただけで俺達は、心の中で手を合わせてひたすら拝み倒した。


 だが校長の要件はそれ”そのもの”ではなかった。


「今回、あなたに会いに来たのは、これを渡すためです」


 校長はそう言うと、砂の混じったような質感の紙を1枚こちらに差し出した。


「これを・・・ですか?」


 モニカがそう言いながら不思議そうにその紙を受取る。

 紙はキレイに丸められており、縁には沢山の高度な魔力回路が刻み込まれている。

 回路内容は短い割にかなり複雑で、小さく書き込まれた回路が迷路のように複雑に絡み合っていた。


 この紙自体は見たことがある。

 通信用の”魔法紙”だ。

 この紙に文字や絵を書いて、紙の1番上に取り付けられた魔法陣を発動させれば、指定された送り先に魔力的に送信され向こうで内容が見れるという仕組みだ。


「なんでこれを?」

「これはルシエラから預かったものです」

「・・・ルシエラ?」


 今は何処か南の方で調査している筈の俺達の姉貴分の名前に、モニカが小さく驚いた。


「調査旅行に出る前に、ルシエラがいない間にモニカさんに何かあれば、これで連絡してくれと渡されました。

 本当は危機を知らせる意図のものですが、十分に”何かあった”わけですから使用しても問題ないでしょう。

 差し上げますから、これで連絡なさいな」


 そういやルシエラには、まだ俺達が”貴族の孫”になったことを伝えてなかった。


「いいの?」


 やたらと高度で高級感あるのその紙を見つめながら、モニカが恐縮気味に問う。

 すると校長はこれが答えだとばかりに、笑みを作った。


「もう魔法が完成しているので、ここで使わずとも腐らせてしまうだけです。 あなた達の事を、あなた達自身の手で最初にルシエラに伝えたらいいでしょう。

 それとも私が伝えましょうか?」

「ううん、大丈夫です。 わたしがやります。 自分でやりたい」


 モニカが力強くそう答える、その言葉には迷いはなかった。

 俺達も遠いところにいるだけに、どうやって伝えて良いものか悩んでいただけに、この申し出は大変ありがたい。


「書き終わったら、上の印の所に魔力を流してください。

 ただし通信は暗号化されてますが、受け取るのはルシエラの隊の他のメンバーでしょう。 なので最初にルシエラ宛てであること、内容を見られても問題ない範囲で書くように」

「はい!」


 モニカがそう答えると、嬉しそうに紙を広げて見つめた。


『なんて書こうか?』


 俺に相談するその声も、どこか嬉しそうに弾んでいる。

 そういや、初めて自分達の立場の変化を肯定的に見たかもしれないな。


『そのまま、書けることだけ書くしかないだろ』

『ええっと、それじゃとりあえず・・・』


 モニカが懐からペンを取り出して、魔法発動に必要な”署名欄”に”新しい名前”を書き込み始める。


「モニカ・シリバ・・・ヴァロア・・・・っと」


 その署名は、まだ書き慣れないせいか、”ヴァロア”の文字がガタガタに歪んでいた。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※





「うわぁ、人いっぱいだ」


 広場の姿が見えてきた時、そこから溢れ出したあまりの量の人混みに、モニカが驚きの声を上げる。

 中央講堂で校長と別れた後、俺達はそこからほど近い広場へとやってきていた。

 あの、祭りの開会式典が行われた大きな広場だ。


 だが今日は、あのときよりも遥かに多くの人で溢れかえっている。


 これから行われるのは、10日間続いた祭りの”閉会式”。

 そしてその直後から迎える、新たな年を祝う式典である。

 そのため、参加したいという人数も開会式よりも多いのだ。


「モニカ! こっちこっち!」


 人混みの向こうからメリダが声を上げ、何本もある腕を目一杯振り回してこちらにアピールするのが見えた。


「メリダ! 今行く!」


 友人の姿を見つけたモニカが嬉しそうにそれに応え、周りに蠢いている人混みを強引に押し分けながら(これがこの街のスタイル)そこへ進んでいった。


『もっと、メリダと一緒に祭り楽しみたかったな』

『うん、ピカ研の”だしもの”にも出れなかったし、次は一緒にいたいね』


 そこで俺達は、来年は決して”対抗戦の選手”などという”面倒くさい事”はしないと心に誓った。

 どうせ高等部になれば避けられないだろうし、今の内くらい馬鹿な観衆の1人として祭りを楽しみたい。


 そんな事を考えながら友人達の下へたどり着くと、メリダの横にいたシルフィが少し呆れたように口を開いた。


「思ったよりも時間かかったわね。 かなり怒られた?」

「むちゃくちゃ怒られた。 間に合わないかと思ったよ」


 そう言って苦笑いを浮かべるモニカ。

 本当は、その後に校長から渡されたルシエラへの手紙にどう書くか悩んでいた時間も結構長いのだが、そちらはあまり広めていい情報ではないので、グリフィス先生に全部の責任を押し付けていたり。

 ちなみにルシエラへはまだ送っていない。

 俺達2人で短時間では、なかなか纏めきれず時間も無いので書きかけで一旦保留にしたのだ。

 まあ、今夜か明日には送れるだろう。


 すると腰のあたりに、ごく自然にではあるがベスが無言でくっついてきた。

 相変わらずまだ微妙に腹の虫が収まっていないらしく、モニカが視線を向けてもプイと逸らす。

 周りにいる友人たちも、事情を既に察しているので生暖かい笑顔でスルーするだけだ。


「まだ始まってないよね?」

「ギリギリ大丈夫、ほらあそこ」


 メリダが広場の中心部に設けられた巨大な舞台を指差す。

 するとちょうど、舞台の上に関係者や主賓と思われる者たちが登っていくところが見えた。

 式典はこれから始まるのだろう、本当にギリギリだったようだ。

 

 まずアクリラ市長さんが先頭で舞台の上に立ち、そこで立ち止まって登ってきた者たちを握手で出迎えている。

 舞台上に上がるのは開会式の時とあまり変わらない面々だが、今回は随分と儀式張った豪華な服を着ている。

 アドリア先輩と商人学校側の代表生徒も、学生用の制服と同じような意匠ではあるものの、遥かに豪奢な特別仕様の出で立ちだ。

 だがその中には、開会式にはいなかった者も何人か混じっている。


「あ、ガブリエラ!」


 最後に上がってきた人物を見たモニカが驚きの声を上げ、それに反応するように友人たちが声を上げる。


「どれ!?」「え!?ほんと」「まじですか!?」


 そしてさらに、その声に反応した周りの人々が、舞台上に上がったガブリエラを指さして驚きの声を上げる反応が波のように広がっていく。

 舞台の上に上がったガブリエラは、いつもどおり・・・いや、いつにも増して”金色”だった。


「うわぁ・・・」


 その迫力ある美しさにモニカが感嘆を漏らす。

 アドリア先輩と同じ儀礼用の制服を着てはいるが、その上から黄金のベールを・・・


『いや、あれ魔力だ!』

『え!?』

『高密度に固めた魔力を服みたいに着てるんだ!』


 そんな事が可能なのか、ガブリエラの魔力はまるで天上の絹のように浮き世離れした柔らかさで漂っていた。

 しかもその動きは、必要に応じて変形させているわけじゃない、当たり前のように・・・・・・・風をはらみ、勝手になびいているではないか。


 ガブリエラとの”秘密のレッスン”で俺達も、魔力を物質のように固めることは可能になったが、それでもそれは固定された形を維持するだけの硬い感触の物質だ。

 ゴムのようにわずかに変形こそすれど、あんな風に布のように薄くて柔らかいなんて・・・


 周りの者達は、シルフィを含め何人か不審そうに見てるくらいで、全くその”偉業”に気がついていない。

 無理もない、高密度の魔力を物質のようにその場に留まらせるだけでも普通は想像もできないだろう。

 あそこで行われている事の凄まじさを真に理解しているのは、この場では俺達くらいしかいない。


『まったく・・・見せつけて・・・・・くれる・・・』

『次は、”あれを目指せ”って事かな』

『きっとそうだ』 


 超高密度のエネルギーの塊をあんな風に自由気ままに扱えたら、どれほどのことが出来るか。

 一目見ただけで、俺の中には様々な可能性が花火のように次々に打ち上がっては消えた。



 その”黄金の王女”が舞台上に登壇し、既に登っていた者達の列に加わって舞台の上に円状に広がる。

 すると周りの者達が一斉に息を呑む音が耳に入ってきた。


「始まりますよ」


 腰に抱きついていたベスが顔を上げ、これから起こることを見逃すまいと目を見広げながらそう言った。

 

 その瞬間、舞台上の豪奢な衣装や宝飾から一斉に輝きが消えた。


『日没だ』


 地平線に沈みかけた太陽の光が周りの建物に遮られ、広場に深い影を落としたのだ。

 完全な日没まで、あと数十秒もない。

 そして日が沈み切った、まさに”その瞬間”が10日前の日の出から始まったこの祭りの終了であり、新たな年の始まりである。

 この地域の新年は、完全なる”闇”から始まるのだ。


 人々の目が、広場の切れ目である建物の隙間に一斉に向かう。

 そこに映った太陽の僅かな残滓は、西山の北側の麓、ルブルム川に続く小川の表面に沈んで・・・・光が消えた。



「「「うわああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」」」


 その瞬間、広場の観衆が一斉に歓声を上げ、その音量にモニカが耳を塞ぎかける。

 だがすぐにベスとメリダが服の裾を引っ張りそれを止め、”作法”を思い出したモニカが口を開けて叫びに加わった。

 この”叫び”は新たな年を迎え、生まれ変わった新しい自分が誕生する”産声”だ。

 俺も遅れてなるものかと、モニカの中で声を上げる。

 最初は恥ずかしかったが、それもすぐに慣れてしまった。

 そのまま観衆たちは実に数分に渡って思い思いに声を張り上げ、様々な種族の様々な音が混じったサイレンのような轟音が広場の中でとぐろを巻いている。


 そしてある時、舞台上の者たちが一斉に両手を高く突き上げた。

 その瞬間観衆たちは、それまで広場を反響し続けていた声たちが、まるで意思を持った魚の群れの様に動きを変えて舞台の上に集まる様子を幻視する。

 いや、幻ではない。

 俺たちは確かに、突如として舞台の中央に現れた”白い光”に自分の声が吸われるような感覚を感じていたのだ。


 大量の”産声”を吸い込み、膨らんでいく白い光。

 それがやがて一定の大きさまで膨らむと、巨大な花火の様に一気に弾け、その光が地平線の彼方まで埋め尽くした。



「『皆の者よ! 新たな価値は見つかったかな?』」



 そう言って弾けた光の中心から、人の姿が現れる。

 アクリラの”白の精霊”、アラン先生だ。

 だがその姿は、以前見たときよりも数段若々しく力強い。


 それもそのはず、何せアラン先生はこの祭りの期間中ずっと死んでいて、新たな年と共に復活したのだ。

 ベスからそれを聞いたときは何を言っているのかと思ったものだが、こうして直に見てみると死んでいたというよりも溶けて・・・いたといったほうが近いか。

 こうして街に溶け、また再び再構成される事で、彼は無垢なはずの精霊の体でありながら、この人に塗れた街の中で生き続けて来たのだろう。


 観衆の興奮はアラン先生が現れたことで最高潮に達し、それから夜中になるまで新年を称える”馬鹿騒ぎ”は続き、人々は思い思いに歌い叫び、飲み食い倒し騒ぎに騒ぐことになる。


 こうして、本当に色々あった1年間が終了し、新しい1年が始まったのだ。 



『モニカ! ”あけましておめでとう”!』

『”アケメセテオメット”? なんかの呪文?』

『いや、東の方にある国の新年の挨拶だ』


『それ本当にあるの?』

『ああそうさ』


 ひょっとすると俺の頭の中だけかもしれないが、そんな”些細な事”はどうでもよかった。


『ふーん・・・じゃあ”アケメセテオメット”、ロン』

『ああ、これからもよろしくな』


 俺達は、その新年の挨拶を2人で済ませると、横で輪になって踊り始めた友人達にベスと一緒に混ざり込み、そのまま夜更けになるまで騒ぎ続けたのだ。



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