2-10【頂の生徒 7:~上位種~】


「競技場から連絡です。 ルキアーノ様の試合が始まったそうですよ」


 満員の講堂の舞台袖で、静かに出番を待っていたガブリエラに彼女の侍従長がそう告げる。

 するとそれを聞いたガブリエラが瞑っていた目を開いた。


「そうか、ならば私もそろそろ支度をせねばの」


 今日これから行うのは、この町で彼女が行ってきた研究の総決算。

 そのことにガブリエラは珍しく緊張を顔に浮かせていた。

 この発表はそれくらい、彼女にとって重要なことだ。

 もちろん、それだけではないのだが・・・


 すると侍従長が声を掛ける


「よろしいのですか?」

「何がだ?」


 ガブリエラが少し不審そうに答える。


「いえ、ルキアーノ様の様子が気になると思ったのですが・・・」


 侍従長のその言葉を聞いたガブリエラは、”なんだ、そんなことか”と静かに笑った。


「あやつは私が気にする程、弱くはない」


 気にかけている1人ではあるが、”そこ”を心配したことはなかった。


「とはいえ今日は”竜人”が相手と聞きますし」


 だが侍従長はそれでは腑に落ちないようだ。


「ターニャ。 所詮ただの試合ごとき、誰が相手であろうと、どうということはない」


 別にどちらが勝とうが負けようが、何かが変わる試合というわけでもない。


「そうですか。 ただいつもルキアーノ様の事を気にかけていらっしゃったので、今回もお気になさるかと」


 侍従長がそう言うと、ガブリエラが珍しく少女の様な無垢な笑みを見せた。


「私とルキアーノの関係はそんな単純ではない、それくらいの”信頼”はあるさ」

「そうですか。 でも勝てますかね」


 侍従長はどうやらルキアーノの実力を信じきれていないらしい。

 それを知ったガブリエラは少しだけそのことを不満に思った。

 だがもう、この程度で彼女を怒りに任せて投げ飛ばす歳でもないと考えたガブリエラは、少し思案するように虚空を見つめてから口を開く。


「・・・この世界は不平等だ。 多くの弱き者達が力を傘に着た者達によって踏みつけられている」


 徐にガブリエラはそう語り始め、それを侍従長がキョトンとした表情で見つめる。


「だが、この世界の弱き者達はな・・・いや、彼らの存在は、決してその”理不尽”を許そうとはしないのさ」


 いつだって知性あるものは忘れてしまう。

 魔力が支配するこの世界で、本当の意味で不変の”強者”など・・・不変の”弱者”など、どこにも存在しないのだということを。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 かつて、魔法やスキルが整備される以前、それでも原始的な魔法と魔力が全てを支配していた時代。

 そこで”覇者”として君臨していたのは、偶然と突然変異によって発生した”上位種”の知的生物達だった。


「なんか突然始まった・・・」

「始まったな・・・」


 いきなり何かの概要のような事を語り始めたスリード先生に、俺達が2人してそんな反応を返す。

 だが蜘蛛教師はそんな事は我知らずとばかりに語りを続けた。


「広い意味で魔力に愛された”我々”は、その力をふるい、ある者は災いを撒き、ある者は、慈悲を与えた。

 そしてそれが許された存在だった。

 何せ鍛え抜いた兵士ですら、今の最低ランクのスキル保有者に及ばぬ時代だ。

 ”上位種”に逆らえる者など、ほぼいない」

「昔の話ですか?」


 話を聞いていたモニカが何気なく質問した。


「ふむ、結構最近までそうだったんだけどね、私がアクリラで教師を始めた頃は、まだそんな感じだった」

「へえ、意外とさ・・・」


 最近と言おうとして俺はそこで固まる。

 この蜘蛛の教師キャリアが500年に上ることを思い出したからだ。


「竜人ってそもそも何なんですか? 竜の獣人・・・って感じでもないですよね」


 俺はその根本的な問をぶつけてみる。

 イルマの様子は、獣人と捉えるにはどうも違和感があるのだ。


「そういう獣人がいるわけじゃないよ。 ”竜人”は獣人や亜人も含めた”人類”の中から突然生まれる”変異種”の一種だね。 竜の因子が赤子に寄生した者とも言われているが、その詳細は今以って謎が多い。 だが記録上”竜化”は知的生物にしか確認されていないはずだ」


 なるほど、って”竜の因子”ってなんだ?

 俺は頭の中で、ルシエラの飼っているユリウスが赤ん坊に巻き付く変なイメージを思い描いた。


「あの人も?」

「彼女は半獣人の一家に生まれたらしい。 だが多くの竜人と同じで、幼い頃に食い殺してしまったらしいが」

「え!?」


 スリード先生の何気なく放ったその言葉に俺が驚きの声を上げる。


「何を驚く? 圧倒的力の差のある親子だぞ? 特に幼子は加減も知らぬからな」


 俺はその存在の”異常さ”に心底驚いた。

 だが確かにまだ善悪やものの加減を知らぬ幼児に、兵器以上の力を与えればあまり良くない事態になるのは想像に難くないのも事実だろう。

 それにモニカの方は何か思い当たるものでもあるのか、驚いた様子はない。


「それって”魔獣”みたいなものだよね?」


 モニカのその言葉で俺は、カミルがかつて教えてくれたことを思い出す。

 魔獣とは、強力な魔力特性が後天的に発現した存在のことだという話だ。


「魔獣は一番典型的な”上位種”だね、だが他にもいくつかの要因で強力な力を自然にもつ者がいる」

「”竜人”もそうなんですか?」


 モニカが競技場の真ん中で、ルキアーノ先輩と向き合う竜人の少女イルマを見ながらそう聞いた。

 イルマは相変わらず何も着ていない。

 だがそこに一切の扇情はなく、まるでそれこそが”本来あるべき姿”と言わんばかりの雰囲気を放っていた。

 実際、大柄で装甲のような赤茶けた鱗に覆われた彼女の姿は、フル装備の甲冑姿にも思える。


「そうさ、だが竜人は”上位種”の中でも特に権力との結びつきが強い、今でも竜人を神の使いと崇める地域も残ってるくらいに」

「”神”?」

「それくらい強力な能力という話さ」

「でもそんな力、扱い切れるんですか?」


 膨大な力を持つ俺達だからこそ、それの制御が容易いことではないことは知っている。


「それが”竜人”の存在が上位種の中でも飛び抜けている点、私みたいな魔獣は魔力と力が密接に繋がっているが、竜人はその魔力をより魔法に近い形で扱うことができる。

 つまり生まれながらの魔法士なのだよ」

「へえ」


 モニカが感心したような声を出して、イルマを見る目が少し変わった。


「あの人は魔獣くらい強いんですか?」

「そうだね・・・少なくともAランク魔獣レベルには、力が発現しているようだ」


 スリード先生が目を細めて、品定めするような目でイルマを見つめながらそう言った。


「え、それって強くないですか?」


 俺は思わずそう呟く、Aランクっていえば・・・そういや”俺”は見てなかったな。

 記憶にあるAランク魔獣は”あれ”だけ・・・それも死骸で生きている時のものではない。

 だがその被害は、災害と呼んで差し支えの無いものだった。

 あれと同等の力とは・・・


「そんなのと戦って、勝てるんですか?」

「ロン?」


 あの”記憶”を見ていないモニカが、不思議そうな感情を発する。

 見たことのない”Aランク魔獣”という比較対象に実感が無いのだろう。


「確かにAランク魔獣は強力だ。 しかも彼女は”竜人”、その強さはそんなものでは収まらないだろう」

「じゃあ、ルキアーノ先輩に勝ち目ないじゃないですか」


 あの先輩が規格外に強いことは知っている。

 だが相手の”竜人”という存在は、いわば暴走したときのモニカがその力を完璧に制御できる様なものだ。

 そんなものに勝てる存在など・・・


「そうでもないさ」


 だがスリード先生は面白そうな顔でそう言うと、フィールドに立つ2人を指差した。


「とにかくこの試合、よく見ておくといい。 ”上位種”というものがどういうものか、しっかり目に刻むチャンスだ」






 フィールドの中心では、2人の選手が静かに試合開始の合図を・・・


「ねえ!ねえ!ねえ!」


 静かに・・・


「ねえ!ねえ!イルマちゃん!」


 選手の片方であるルキアーノが興奮した様子で、もう1人であるイルマに話しかけ、それを聞いたイルマがその様子を静かに見つめた。

 その表情は虫を見るように冷たい。


「なんで裸なの!? ひょっとして僕と・・・」

「うるさいやつだな」


 イルマはそう言うとその言葉の迫力だけでルキアーノを仰け反らせた。

 既に彼女は竜人の力を身に纏っており、その言葉も魔力を帯びている。


「竜人はその身一つで完全だ。 醜い身体を隠さねばならぬ”下等生物”には理解できんだろうがな・・・」


 イルマはそう言うなり自信たっぷりに胸を張る。

 だがその言葉通り、均整の取れた彼女の体はそうするだけでまるで絵画の様に決まっていた。

 ただその空気も、すぐに壊される事になる。


「はいはいはい! 僕理解できるよ! 人間はやっぱり裸が1番いいよね! ってあ!?」


 イルマの裸身を前に興奮で我を忘れたルキアーノが、衝動的に自分も服を脱ごうと手をかけたところで、何かに弾かれたように手を引っ込めた。


「あっつ・・・”これ”の事を忘れてたよ・・・」


 どうやらルキアーノが衣服を脱ぎ捨てないようにするための、何らかの防護策が発動したらしい。

 するとそれを悟ったイルマが大声で笑い出した。


「あははっは、まさか噂通り、本当に服にそんな魔法が掛かってるんだな。 じゃあ編入初日に見境なく生徒に手を出したというのも、本当か?」


 イルマが馬鹿にしたようにそう嘲る。

 だがそれに対してルキアーノは締まりのない笑顔を作った。


「ははは、あれはいい思い出だったな・・・エルザちゃん、デルフィーネちゃん、クラウスくん、ファルマーくんに・・・」


 それを聞いたイルマの顔から笑みが消え、その代わりに不快感が表情に現れる。

 自分の中の大事な部分が汚されたような、そんな顔だ。


 ちょうどその時、競技場の中に試合開始の合図が木霊した。

 だが”楽しい思い出”に浸るルキアーノはそれに気づかない。


「まったく・・・私達は、こんなふざけた奴の背中を追いかけさせられたというのか・・・」


 対戦相手のそんな様子を見たイルマは、小声でそう呟くと、心底不愉快とばかりにルキアーノを睨んだ。


「おい!」


 流石のルキアーノも大声で声をかけられれば反応する。


「なにぃ?イルマちゃん」


 するとイルマは、まるで自分の体を見せつけるようにくねらせながら、手でその体を指し示した。


「やろうよ、楽しいこと・・・・・


 更にそう言いながら、わざとらしくはにかんだ・・・・・のだ。


 そんなものを見せられたルキアーノの理性は、跡形もなく吹き飛んでしまう。


「あはは、やったあああ!!」


 と心の底から嬉しそうな声を上げると、イルマに向かって飛びかかったのだ。

 と、同時に彼の体から、まるで彼の欲望そのものといった見た目の赤紫色の魔力が吹き出し、それが高密度を保ったまま、まるで津波のように押し寄せる。

 不気味な粘性を持つ魔力の波に取り囲まれたイルマの裸身の美貌という組み合わせは、まるで何かの象徴画の様な印象を見る者に与えた。

 きっと象徴しているのは、”無限の性欲”とかであろうが。

 普通であれば、その中心にいる少女は呆気なく飲み込まれたことだろう。

 

 だがイルマは違った。


 ルキアーノの”魔の手”がイルマの体を飲み込もうと肌に触れる、まさにその瞬間、

 突如としてルキアーノの体が浮き上がったかと思うと、彼の魔力ごと砲弾のように弾け飛んだのだ。


 一瞬にして100ブル以上の距離を転がるルキアーノの体。

 あまりに強烈な勢いの為にぶつかった地面がめくれ、衝撃波で破片が飛び散り、制御を失った彼の魔力がそこら中で弾けまわる。

 だがどれだけ地面にぶつかっても一向に止まる様子はなく、むしろ加速しながら一気にフィールドの端まで駆け抜けると、そのまま競技場の壁に激突した。


 あまりに衝撃で大きくたわむ客席の結界。

 そのたわみが、まるで波のように周囲に広がるのを眺めながら、それを成した竜人の少女は尚も不快な表情を崩さなかった。


 次第に観客の目が中央に集まる。

 そこにあったのは、振り上げた右足から煙を上げるイルマの姿。

 その恐竜の脚のような右足は、吹き飛んでいったルキアーノに真っ直ぐ向けられ、それを見た者は一目で、今の一撃がイルマの”蹴り”によってのものだと理解した。


 一方ルキアーノの体は、まるで叩き潰された虫のように客席の壁にへばりついている。

 彼の粘性のある魔力が周囲に飛び散っているのが、圧力で飛び散った”内容物”のように見えた。

 もしこれが普通の魔法士であればこれで決着だろう。

 だが、


「器用な奴め・・・」


 イルマがそう毒づく。

 よく見れば、壁からべチャリと剥がれ落ちたルキアーノの体はほぼ無傷で、更にいつの間に展開したのか防御用の魔法陣が、その役目を終えて霧散するのが見えた。

 ルキアーノの体がもぞりと動く。


「あはは、凄いね、結構いた・・・」


 だが立ち上がったルキアーノのその言葉は、最後まで語られることは無かった。


 突如ルキアーノの目の前に瞬間移動したイルマが、彼の制服の胸ぐらを掴むなり真後ろに投げ飛ばしたのだ。

 空中に放り出されたルキアーノが続いて発生した暴風に揉みくちゃになる。

 超高速で動いたイルマが巻き起こした空気の渦が、衝撃波となりルキアーノを襲い。

 更にイルマは間髪入れずに周囲の風を操作しながら、そこに雷撃を加えてルキアーノに地面に叩きつけ、続けざまに爆炎を撃ち込んだ。


 競技場の中に発生した巨大な火柱。

 それが風を纏って地面を灰にしながら巻き上げられ、魔法によるブーストのせいで超高温になった炎に当てられ、地面はあっという間にドロドロに溶けていく。

 だがイルマの表情は尚も晴れない。


「ちっ!」


 突如、炎の中から高速で飛び出した魔力を見たイルマが、舌打ちをしながら払うように尻尾を振り回し、その魔力ごと炎の中のルキアーノを跳ね飛ばした。

 再び小石のように跳ねるルキアーノ。


 だが今度は、彼の周りの魔力がまるで網のように地面に絡みつき、その体勢を整える。

 そればかりか、即座に魔力が変形し魔法陣の形をとったかと思えば、そこから反撃の一撃が飛び出した。


 ルキアーノが作り出したのは大量の水。

 ただ、強烈な水圧がイルマを襲うも、彼女の強靭な足腰の前では意味はない。


 だがそれでも、跳ね飛ばされた水がイルマの周囲の溶岩に触れると、一気に蒸発して破裂した。

 イルマを水蒸気爆発の衝撃波が襲う。

 その衝撃は、硬い岩すら砕くほど強烈だ。

 それでもルキアーノは手を止めない。

 今度は自分の魔力を器用に動かすと、爆発よりも速い速度で結界魔法をイルマの周りに展開した。


 水蒸気爆発の衝撃波が結界に当たって跳ね返る。

 ベクトル系の魔法陣で構成されたその結界は、外に向かって動く衝撃波の向きを効率よく偏向し、内に向かう強烈な力へと転化して、イルマの体を行き場を失った衝撃波が何度も何度も打ち付けた。


 ルキアーノはその言動と行動に目を取られがちだが、実際には彼の思考はとても冷静で、何が起こっているのかを瞬時に見極める知性がある。

 そこに更に生まれ持った器用な魔法の才能を組み合わせることで、その力を最大限活用し相手を圧倒するのが彼の得意技。

 一瞬にして戦況を入れ替えるその”戦闘センス”で、高等部に上がった後のガブリエラに学生で唯1人勝利した程である。

 アクリラの”2番手”の実力は、伊達ではないのだ。


 依然として破壊の波が反射する結界の前で、ルキアーノがゆっくりと魔力を横に広げる。

 その動きはまるで死体に狙いを定めるハゲタカのようだ。


「ウヒヒ、まずは¤∆を≮❂するでしょ、それから邪魔な鱗を剥いで#$≮を・・・」


 ルキアーノがそう呟きながら舌舐めずりする。

 禁欲生活を強いられるルキアーノにとって、戦闘後に教師達が割って入るまでの僅かな時間は、本当に貴重な”ハッピータイム”だ。

 しかも今日の獲物は”女”。

 いくら性別にこだわりの無いルキアーノにしても、男が続けば流石に飽きる。

 もちろんイルマの体は男なんかよりもよほど硬いだろうが、モノには”正しい使い方”というものがある。

 たまには正しく使わないと、可愛そうだろうという話だ。


「それからあそこに・・・あれ?」


 その時、ルキアーノの”冷静な部分”が表層の自分に盛大な警告を発し、本能的にその場を飛び退いた。

 するとその瞬間、それまでルキアーノの立っていた地面が半径数十ブルの範囲に渡って陥没し、続いて粉々に砕けながら飛び散ったではないか。

 ルキアーノが魔力を使って空中を移動しなければ、きっと今の一撃に飲み込まれるか、着地したところを次いで発生した地震に足を取られたことだろう。


 競技場全体がガサガサと音を立てて揺れる。

 今の一撃で地面が揺さぶられ、それが競技場の本体にまで波及したのだ

 そして今しがたフィールドに空いた大穴の中から、まるで竜の咆哮のような轟音が響き渡った。

 いや、”まるで竜”ではない。


「グルルルロロロオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!」


 およそ少女の喉から飛び出したものとは思えない轟音を叫びながら、イルマが地面の瓦礫を吹き飛ばし、そのままの勢いで空中に飛び出した。


 空中を漂うイルマの姿は、完全に小さな竜そのもの。

 瞳の瞳孔は縦に切れ長くなり、わずかに開いた口の中に見える太くて長い牙の間から、小さな炎が何本もの舌のように見えている。

 そして全身の盛り上がった筋肉と鱗の周りには、彼女の身体から漏れた魔力が蒸気のように何本も立ち上っていた。


 ルキアーノはその様子を冷静に分析する。

 おそらく衝撃波の檻の中から地中に逃げたのだろう。

 そして地竜よろしく地面の組成を都合よく変更した後に、彼女の膨大な魔力で吹き飛ばしたのだ。


「 ”ルキアーノ・シルヴェストリ” 貴様は死んだ 」


 イルマのその声はもはやそれまでの活発な少女のものではなく、怪物の唸りのような迫力がある。

 そして徐に右手をルキアーノに向けて伸ばすと、その手の中に魔力を集めて魔法を発動した。

 だがそれは普通の魔法ではない。


「あ・・・それ、やば・・・」


 次の瞬間、超高速で放たれた巨大な火球がルキアーノの体を打ち付け、そのまま後ろに吹き飛ばした。

 しかも驚いたことに、今回はルキアーノの防御魔法がほとんど効果を発揮しないではないか。


 撃墜されて降下するルキアーノをさらなる魔法が襲う。

 今度もまたルキアーノが用意した防御魔法が効果を発揮しない攻撃だ。


「負けたあとに、アクリラの資料館にでもいって、”竜人”という言葉を調べてみろ」


 ルキアーノが地面に着地したところを狙って攻撃を繰り出しながら、イルマが勝ち誇ったようにようにそう言った。

 だがルキアーノも只ではそれを喰らわない。

 あえて見せるようにダミーの防御魔法陣を作ってイルマの攻撃を誘導すると、続けてそれに対応するように新たな魔法陣を組んだのだ。

 それはルキアーノの規格外の魔法陣生成速度だからこそ出来るもの。

 そして、その魔法陣は間違いなくその攻撃に有効なはずだった。


「!?」


 突如、ルキアーノの目の前で攻撃の特性が大きく変わり、爆炎を防ぐ魔法陣を迂回する形で雷撃が発生し、その攻撃がルキアーノの身体を大きく打ち据えた。

 その痛みと驚きにルキアーノが怯みかける。

 だがそんな暇はない、イルマの攻撃は続けて第2波、第3波と息もつかせぬ勢いで次々と繰り出されていた。

 ルキアーノは必死にそれらに合わせて防御を展開する。

 だがどれほどそれに合わせても、直撃するその瞬間に魔法の形が次々に変わるせいで防ぐことが出来ない。


「憐れなものだね、”弱者”ってのは」


 イルマがその様子を見ながらそう言った。


「必死に魔力を学んで体系化して、組み立てて、そこまでしないと魔法が使えない。 だけど”私”は違う」


 ルキアーノの身体を大量の高位魔法が雨のように打ち据える。

 その変幻自在な魔法にルキアーノは全く対応が間に合わない。

 だが真に驚くべきはその多彩さではなく、その魔法の全てが”魔法陣なし”で行われていたのだ。


「竜人である私は、そう”願う”だけでいい・・・いやもう願うまでもないか、 この体は最も魔力を使うことに適した体だ。 魔力を扱うのに魔法回路など必要ない、私自身が”万能魔力回路”であり”万能魔法陣”・・・つまり私こそが”真なる魔法”なのだよ、魔法士まがいもの君」


 次の瞬間、イルマの身体が不意に消えた。

 ルキアーノが次に襲い来る魔法に備えて魔力を展開しながら構える。

 だがその予想に反して、イルマの姿はルキアーノの直ぐ側にいきなり現れた。

 てっきり魔法攻撃が飛んでくるものだとばかり思っていたルキアーノは、イルマの突然のその行動に虚を突かれた形になり、一瞬だけ完全に防御が遅れてしまう。

 イルマはそんな隙を見逃すような者ではない。

 ルキアーノの物理防御が間に合うよりも早く、神速の抜き手がルキアーノ顎の下に突き刺さり、そのまま爪で引き裂くように突き飛ばした。


「勘違いしないでほしいけど、私は”戦士”だ。 ただ君より魔法が上手いだけのな」


 戦士が殴って何が悪い。

 イルマの言葉はそう言わんばかりだ。

 実際肉体による攻撃と最速の魔法を織り交ぜてからは、ルキアーノの防戦一方加減がさらに加速した。






「勝負ありましたね」


 試合を見ていた俺が思わずそう呟いた。

 すぐにモニカからも同意の感情が流れてくる。

 ルキアーノ先輩の試合は初めてちゃんと見ていた気がしたが、ここからあの竜人イルマ相手に逆転できるとは思えない。

 これでアクリラの敗北が決定だが、しょうがない。

 むしろ俺達にかかるプレッシャーが一つ減ったと思おう。


 それにしても、人類の”上位種”というのがいかに恐ろしい存在かはよくわかった。

 普通の魔獣も厄介だが、特に竜人のあれは魔法士にとっては悪夢だろう。

 なにせ魔法陣を組んでいるようでは間に合わない、速度で勝てるとすればスキルか杖だが、それではあの多彩な攻撃に対応できないという寸法だ。

 魔力が深く体に馴染んでいるというのが、どれほど危険で強力なことか。

 スキルや魔法が整備されるまで神のごとく扱われたというのは、容易に想像がつく。


 今もルキアーノ先輩は必死に粘ってはいるが、汎用的な魔法陣で致命的なダメージを防ぐのがやっと。

 しかも悪いことにイルマは接近戦を仕掛けている。

 あの泥みたいな魔力に飲まれる危険があるため、多く者はルキアーノ先輩には近寄りたがらないが、それさえなんとか出来るなら実はルキアーノ先輩は、そのヒョロッとした見た目通り接近戦に弱い。

 逆に竜人という強力な肉体を持つイルマにしてみれば、接近戦こそが己のフィールド。

 遠距離戦も駄目、接近戦も駄目とくれば、もう打つ手はないだろう。


「と、いうのが君の考えてるところかね?」


 スリード先生がそう言って、愉快そうに笑みを作った。


「あの・・・勝手に俺の考えを捏造しないでくださいますか? まあ、でもその通りなわけだけど」

「モニカはどう思う?」


 スリード先生は今度はモニカに問いかける。


「うーんと、やっぱりあのイルマって人のほうが強そう・・・でも」

「でも?」

「なんか・・・本当ならもう終わってそうなのに・・・ルキアーノ先輩、全然傷ついてなくないですか?」


 その瞬間、ハッとした俺は注意を試合中のルキアーノ先輩へ戻す。

 たしかにモニカの指摘どおり、ルキアーノ先輩はボロ雑巾のようにボコボコにされているにもかかわらず、汚れ以外にダメージを示すものがどこにもない。


「うん、いいところに気がついた」


 どうやらモニカの指摘は正しいらしい、スリード先生がそう言うなりやけに上機嫌な空気を漂わせた。


「でも、どういうカラクリなんですか?」


 ルキアーノ先輩の代名詞ともいえる、あの気持ち悪い粘液みたいな使い勝手のいい魔力は、特に役に立っている様子はない。

 どれだけ高速で吹き飛ばされても本体についていくのは凄いと思うが、あれでは何も出来てないはずだ。


「ルキアーノが”どういう生徒”か、本当に知っているかい?」

「いいえ」


 スリード先生の質問にモニカが即答する。


「言っちゃ悪いですが、気持ち悪い先輩ってイメージしかないです」


 俺はこの先生の性格を考えて、あえて正直な感想を伝えることにした。

 

「ふむふむ、ならばこれから起こることをよく見ておくといい、今日は彼も”本気”を出すらしいからね」

「本気?」

「”本当の姿”と言ってもいいよ」

「ちょ、それ、大丈夫なやつですよね!?」


 あの先輩の本当の姿と聞けば、完全にR指定な光景しか思い浮かばないんだが・・・て、それはいつものことか・・・


「でも、それでもあの竜人相手じゃ・・・」


 あれに勝てると言い切れる生徒は、アクリラ中を探してもガブリエラ以外見つかるとは思えなかった。

 だがそれを聞いたスリード先生はいたずらっぽく笑う。


「言っただろう、これは”上位種の試合”だって」






 その時、フィールドでは戦況が徐々に不穏な空気を孕みだしていた。

 イルマは膨大な攻撃で圧倒するが、一向に勝利条件であるルキアーノの結界の破壊が発生しないのだ。

 それは、最後の一重でルキアーノが粘っているという話では説明がつかない現象だ。

 もう既にかなりの時間、ありとあらゆる種類の攻撃がルキアーノを直撃しており、その一部は明らかにルキアーノの肌まで攻撃が届いていた。


 つまり未だにこの男が粘り続けている理由は、単純にこのルキアーノという男の体が恐ろしいまでの強度・・・・・・・・・・を持っていることではないか?

 このひ弱そうな体のどこに・・・


 そしてイルマにとって厄介なことに、ルキアーノの防御が徐々にではあるが的を得始めていた。

 段々とイルマの速度に追いついてきたのだ。

 もちろん、完全に追いつくことはない。

 だが、僅かに攻撃の入りが甘くなる程度の効果はある。


 そうしてそうなれば、ルキアーノからの反撃の隙も・・・


「チィッ!」


 その時イルマが背中に感じた、ゾワリという悪寒に反応し一旦攻撃を打ち切って距離を開けた。


「・・・触れられた・・・・・か」


 後ろに顔を向けるまでもない、イルマの背中から臀部にかけてルキアーノの粘液の様な魔力がベットリとこびり付いていたのだ。

 そしてその魔力が意思を持ったように移動を始め、臀部から股ぐらを流れその内側に入り込もうと・・・


「気持ち悪い!!」


 イルマがそう叫びながら体の表面に爆炎魔法を走らせルキアーノの魔力を焼き払う。

 竜人の身体は全てが魔力触媒であり、全てが魔法陣の代わりになる。

 したがって”どこからでも”魔法を放つことが可能なのだ。


 だがイルマは、そんな無様な醜態を晒したことに激怒するようにルキアーノを睨みつける。

 だが同時に、わずかに距離を開けてもいた。

 相変わらず不埒なルキアーノに憤りつつも、そこに秘められた”謎の迫力”に押されて踏み込めないでいたのだ。


 膨大な攻撃の嵐から開放されたルキアーノは、まるで憑き物が落ちたようなさっぱりとした顔で立っていた。

 それは一見するだけなら、道端で立っているだけにも見える。

 だがそこに大量の攻撃を叩き込んだ張本人であるイルマにしてみれば、その何気なさが何よりも薄ら寒いものを感じさせたのだ。


「ははははは・・・でもゴメンね。 今日は僕、負けてあげられないんだ」


 ルキアーノがイルマに語りかける。

 それは今日初めて、ルキアーノの口からハッキリと”誰か個人”に向けて放たれた言葉だった。


「本当に嫌になるよね。 ガブリエラが最後に僕の”力”をみんなに見せろっていうんだ。 僕は彼女の胸を○◎いだけなのに・・・」


 それは内容だけなら、”いつものルキアーノ”のものである。


 だがその声は、”いつものルキアーノ”のものではなかった。


 その時、それまで彼の体の周囲に漂っていた魔力が一斉に動きを見せ、ルキアーノの身体に纏わりつき始めた。

 それを見た観客席から驚きの声が沸き起こる。

 すぐに彼の身体が赤紫色に染まり、その表面が粘体特有のヌメリを帯び始めた。

 だが更にすぐにそのヌメリも消え、後には赤紫色の肌が現れたではないか。


「貴様・・・・・・・まさか!?」


 イルマの顔に初めて驚愕と恐怖の色が浮かぶ。

 その”現象”に心当たりが有ったからだ。


 ルキアーノの周囲の魔力は尚もどんどん引きずり込まれ、それが通常ではありえない密度で彼の肉体に絡みついていく。

 それに伴ってどんどん膨らむ彼の筋肉。

 ついには彼の皮膚を突き破らんばかりにまで膨張した筋肉は、だがしかしこちらも魔力を吸って凄まじい強度と化した皮膚に阻まれ内側に収まる。

 もはやルキアーノの肉体は、イルマと並んでも遜色が無いほど力に満ちていた。

 そして、これが”本来の形”であるかのごとくルキアーノの体に収まった赤紫色の魔力は、最後に彼の額を小さく突き抜けると、そこから火柱のように立ち上ったのだ。

 その火柱がまるで”ツノ”のように見え・・・


「貴様・・・”鬼”か!?」


 イルマが吠えた。


 ”鬼”


 この世界でそれは人が魔獣化した存在であり、同時に災厄の象徴として恐れられる、最も典型的な”上位種”


 ”魔獣”の正体を表したルキアーノに、イルマが身構える。

 それに対し、ルキアーノはこれまでとは”違う笑み”でもって応えた。


「ねえねえイルマちゃん・・・・ 僕とキモチイイコトしようよ♪」


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