2-10【頂の生徒 6:~つまらない”味”~】



「おや、今日はいつもと雰囲気が違うね」


 控室に出るなり、そこに居た先輩から声をかけられた。


「ええっと・・・」


 それに対しモニカが口籠る。

 普段話さない人という事もあるし、長身なので威圧感があるという事もあるが、実際”何故か”いつもと違う雰囲気なのだというのが1番の要因だ。

 もう何度も顔を合わせてお互いの準備を見ているので、試合前の格好などは皆知っている。

 そんな状態でいつもと違う格好をして出ればすぐにバレるというものだが、やっぱり皆結構俺達の事を見てるんだな。

 まあ、俺達も彼等の準備は大変参考になるので見てるのだが。


 俺達のこれまでの準備は、主にロメオに取り付けた”2.0強化外装”用の魔道具の調整くらいで、俺達本体にはなにもない。

 スケジュールによっては控室に出てきた段階で”グラディエーター”を起動していることもあるくらいだ。

 それが今日は俺達の方にも何やら物騒な魔道具が幾つも取り付けられており、そのせいで鎧を展開する前だというのに、もう既に重装備感が出ていた。

 そして反対にロメオにはいつもの装備はなく、その背中には布に覆われた謎の巨大物体が意味深に積んであるではないか。


「今日はそのパンテシアは使わないのかい?」


 その先輩が聞いてきた。

 その姿勢はモニカの反応を見たせいか努めて優しげで、怯えさせないようにという配慮を感じる。

 だが、声をかけるのを辞めないあたりはアデルの親戚なんだろう。

 なんでもルーベンとアデルの一家は、女と見るや手当たり次第に反応するらしいし。


「ええっと・・・はい」


 モニカがそう言いながら首を縦に振る。

 ロメオを使わないのかという質問に対する答えだが、この先輩の見立通り今回こいつに出番はない。

 今回俺達が行う”作戦”では、ロメオの”2.0強化ユニット”を展開することは出来ない。

 そんな余裕もないし、俺達と離れた状態で魔力を供給する手段がまだ無いからだ。

 昨日見たラビリアの主将が使ってた魔法石ならあるいは、とは思っているが、現在持ってないし絶対あれ無茶苦茶高いだろう。

 そして今回のレオノア戦は、強力な防御手段のない牛が紛れて生存できるものではないし、俺達自身がそれくらいの事をするつもりでいる。

 つまり”ロメオは置いてきた、この戦いについてこれそうにないからな”というわけである。

 もっとも、原因は俺達の実力不足で彼に非はないので、ロメオを責めないでやってほしい。

 それでも連れてきたのは、会場まで運ばなければならない”大荷物”があるので運んでもらっただけだ。

 運営に聞いたところ、なんでも開始時に控室の前に出していれば、転送とかで手元に送って使ってもいいらしい。

 控室の1歩外からはフィールド内という扱いなんだそうだ。


「へえ、そうなんだ」


 先輩がそう言いながらロメオの背中を見る。

 ここに持ってきたというからには、試合で使うのは間違いなく、その内容が気になっているのか。

 先輩がロメオを使わないことに気づいたのは、たぶんロメオがいつもと違って殺気立っておらず、どこか不満げな表情でいるからだろう。

 こいつ、準備中にいつもと違う装備なのに気づいて、試合に出れないことを察したらしい。

 そこから妙にヘソを曲げているのだ。

 

 ちなみに、この先輩は俺たちの同級生のアデルの親戚とかその辺らしく、その縁でルーベンを代理に選んでいた先輩だ。

 貴族の派閥とかの絡みだろうか。


「あれ、でもそれって・・・」


 その先輩がさすがに”いつもと違う”では済まされない違和感に気づいて目を細める。

 俺達も、そこに走った”僅かに黒い感情”を察知して小さく身構えた。

 モニカが何処か気まずそうだったのは本当はこれが原因だ。

 すなわち、


「”貴族”の制服・・・なんでそれ着てるの?」


 先輩の声がさらに黒くなり、次第に不穏な空気を孕みだす。

 大きな魔道具とかで分かりづらかったが、少し見れば今俺達が来ているのが”貴族用の制服”なのはすぐに分かる。

 そしてその豪華な質感は、見れば見るほど見間違いの可能性を消していく。


「その制服、”普通の生徒”が着ちゃいけないことは知っているよね?」


 先輩の声はもはや尋問に近い。

 その空気を感じ取ったのか、巨大な控室の離れたところにいた面々も興味の視線をこちらに向けてきた。

 

 ガブリエラとの”秘密のレッスン”時、いつも着ていたのと同じデザインの制服だが、本来これは貴族以外の生徒が着ていいものではない。

 それは階級など感じさせないアクリラの街だからこそ、貴族が必死に死守した”違い”だし、その”重み”もまた背負っているからだ。

 俺達だって本当なら着るつもりはなかったさ。

 だけど、


「そこまでです」


 すると俺達の後ろから鋭い声が飛び出し、それがまるで杭のように先輩の動きを封じた。  そこにいたのは、俺達が貴族用の制服なんてものを着る原因であるヘルガ先輩。


「彼女がその制服を着ているのは、私がそう要請したからです」


 ヘルガ先輩が毅然とした態度でそう言う。

 一応、相手の先輩の方が年上だというのに、彼女は一歩も引かない。


「何故そんな事を?」


 先輩が不審な表情でヘルガ先輩を問いただす。

 答え如何では只では済まないといった態度だ。

 たしかこっちの先輩の方が実家は格上だったような・・・

 だがヘルガ先輩にはそんなものはお構いなしにしてしまう材料があった。


「彼女は”ガブリエラ様”の代理・・・すなわち”名代”になります。 不当な詮索は慎むように。 モニカ様の格好は、”ガブリエラ様の意向”です」

「うっ・・・」


 それを聞いた先輩が大きく口籠る。

 ”必殺:ガブリエラ様が言った”

 これは貴族にはかなりキツイ一撃だろう。

 なにせ格的にも王族相手では貴族じゃ太刀打ちできないし、仮にそれでも問題がある行為だったとしても、文句はガブリエラに言いにいかなければならない。

 昨日の”アレ”の後で、いくらなんでもガブリエラ本人に苦情というのは難易度が高すぎる。


 結局その先輩は見逃すしかなくなったのか、2回ほど頭を振って諦めると自分の座っていた場所に戻って準備を続けるようだ。

 彼が第1試合目に出るということもあるだろう。


「ええっと・・・ありがとうございます」


 その様子を見守って問題が去ったことを確認したモニカが、後ろを向いて助けてくれたヘルガ先輩に感謝する。

 だが、


「その必要はありません」


 と、ヘルガ先輩がピシャリと言ったのだ。


「え!?」

『そうだぞモニカ、その必要はないぞ』

『ロン?』

『なにせ”向こうの勝手”だからな』

『あ!』


 そう、俺達が好き好んでこんな制服を着ているわけではなのだ。

 着ているのはひとえに、ヘルガ先輩から半ば脅し気味に着せられているからで、その件について助けてもらっても、それに感謝する必要はない。

 なにか問題が有っても、最初から根回しておけよという話だ。


 ・・・ただ、いくら感謝する必要はないとはいっても、もうちょっと優しげな空気にならんかこの人は。

 控室の一角に歩いていくヘルガ先輩を追うモニカの視線は、もう猛獣にビクつく子供そのものだ。

 ガブリエラとは案外うまく行ったのに、そのお付きのこの人とは結局まったく仲良くなれていない。

 どうにかならないものか・・・

 まあ、今日は彼女も試合があるので気が立っているのもあるだろうと思って、諦めるしかないか。


 さて、控室入ってとりあえず襲ってきた問題をどうにかやり過ごした俺達は、俺達の試合開始までの時間をどうやって過ごそうかと相談を始めた。

 あの先輩の近くは・・・


『無理!』


 モニカがそんな事聞くなとばかりに勢いよく答える。

 だよなー・・・

 となればヘルガ先輩の近く・・・


『それも無理』


 だよなー・・・

 となれば、結局いつものように控室の誰もいない辺りに陣取って、装備の再確認でもするしかないか。

 こんな時、ガブリエラがいればまだ話し相手には困らな・・・・


 俺はその”馬鹿な考え”を脇にどける。

 いくらなんでもあんな”怪物”がいたほうが気が休まるというのは、俺達の社交能力に絶望してしまう。


 そんな訳で俺達は、いつものように部屋の隅に・・・


『ねえ、ロン、あそこにスリード先生がいるよ?』

『あぁ・・・もう、見てないふりしたのに・・・』


 モニカが控室の一角を占領する”巨大蜘蛛教師”を指差す。

 もちろん彼女がいることは知っていたさ。

 なにせ部屋に入った瞬間にそれと分かる異様さだ。

 正直、心臓のコントロール権を俺が握ってたらその瞬間止まっていたかもしれない。

 確かに彼女なら”まだ”話しやすいだろう、だが・・・


『ありゃ駄目だ、近づくな。 教育に悪い』


 俺が念を押すようにモニカにそう言う。

 もちろんスリード先生は多少強引なところがあるが、基本的には”いい人”だ。

 だが今日この場にいる”理由”がまずい。


『あ・・・』


 モニカがその事に気がついたのか、無言で視線を避けると部屋の隅安息の地へと歩みを進めた。

 結局、端の方で大人しくしているのが一番安全であることは、この数日でよーく学んでいる。

 特に今日は俺達以外は全員”正規”メンバーなのでなおさら。

 対抗戦に選ばれるような実力者って、どうしても何処か異常な一面を持ち合わせていて、話していると気が休まらない。

 普通に話してるかと思えば、さっきみたいに突然険悪になったりする。

 かと思えば次会うときはケロッとしているのだ。

 本当、アドリア先輩の出来た人間性ってのは、稀有なものなんだと染み染み感じる。

 まあ、あの人はあの人で”問題”はあるのだが・・・


 モニカがとりあえず何時ものように、一番フィールド側から遠い四隅にロメオを伏せさせ、その背中の荷物を降ろし始める。

 しかし近くで見るとロメオって筋肉がすごいんだな、今日なんか合計で200kgは積んでるのに全くへこたれる気配がない。

 普段、俺達と相撲取ってるせいか、たらふく食べてる魔力が全て筋肉に変換されてる感じだ。

 そりゃこんなものに魔力を流せばある程度の格上にも勝てるよな。

 惜しむらくは、今日の相手にはまだ力不足ということか。


『全部揃ってる?』


 その時、全部の装備を床に並べたモニカが確認のために俺にそう聞いてきた。


『あ・・・ひーふー・・あっちがあれで・・・』


 俺が視界に映る魔道具を確認しながら、チェックリストを埋めていく。

 と同時にモニカも俺の声に合わせるように指差しながら小声で確認を行った。

 俺の動作のカモフラージュというのもあるし、実際モニカの方でも確認しているのだろう。

 だが今回は大きなものから小さなものまで数百以上あるので、モニカだけではちゃんとした把握は困難だ。


『あ・・・と、これがあっちで・・・あ、2番セパレータ!』

『たぶんここ』


 俺がリストにないものを発見すると、モニカがすぐに大きな部品を持ち上げる。

 するとそこに、小さな部品が張り付いているのが見えた。


『これ、よくここにくっついてるよね』

『静電気かな、なんとか対策しないと、試合中にくっつかれたらたまんないな』

『とりあえず今日は、しっかり油を塗り込むしかないかぁ・・・』

『そうだな』


 モニカが俺にそう言うと、腰に下げてたバッグの中からピカ研で使ってる作業用エプロンを取り出し首からかける。

 重くて無骨な革製で油とヤニに塗れて汚れているのでちっとも可愛くないが、妙にモニカが気に入ってるエプロンだ。

 そしてロメオに下げてる作業用の入れ物から布と魔道具向けの油を取り出すと、いつもの要領で件の装備を磨き始めた。

 この辺はもう慣れたものだ。

 俺の補助は最小限にモニカのペースで油を一定の厚さで塗布していく。

 モニカの気分も良くなり、ここが外なら鼻歌が混じったかもしれない。


『やっぱり落ち着くね』


 すぐにピカピカに磨き上がった2番セパレータを眺めながら、モニカがしみじみとそう言った。

 綺麗に磨かれたその金属部品の表面には、薄い油膜の層が見える。


『そうだな』


 俺も心からそう答える。

 本当、こういった作業をしているときが一番心が落ち着く。

 まったく、戦闘なんて好き好んでするもんじゃないな、対抗戦の選手に選ばれてつくづくそう感じる。

 最初はみんな嫌がると聞いて不思議に思ったものだが、それが今では、選手としての役目が終わったらモニカも俺もピカ研に引きこもる気が満々だ。

 いや、その前にまだ回ってない魔道具系のブースを残りの2日で回りきらないといけないか。

 とにかく、この祭りで失った”ブランク”を取り戻さないと。

 

『油を少し厚く塗ったのは、くっつかないようにか?』

『うん、この厚さなら問題ないでしょ?』


 俺が確認のために脳内にて動作シミュレーションを行う。

 この手の部品は、塗っている油を1mm厚くしただけでも動作に支障をきたすことがある。

 その確認だ。


『ギリギリだな』


 ギリギリ問題ない。


『よっし、狙い通り』


 モニカが俺の答えに気分良くそう言った。

 もともと筋肉の動きなどから0.01㍉単位で調整していたことは知っていたので、本気でギリギリを狙いに行ったのだろう。

 そのまま俺達は、同じように他の部品の手入れへと移っていった。


 こうなればモニカはもう夢中だ。

 部品が多いのも相まって完全に自分の世界に入り込んでいく。

 そんな彼女を見守りながら俺は、控室の他のメンバーの様子へと注意を移した。


 いつの間にか試合は始まっていたらしい。

 既に先程険悪なムードになった先輩の姿はなく、フィールドから歓声が聞こえてくる。


 どうやら1試合目はこちらの勝ちみたいだ。

 ここからでは試合内容は見えないが、一応バレないように小さく伸ばしたフロウ感覚器で試合の様子はチェックできる。

 そして続けて2試合目も勝ちっぽい。

 やっぱり僅かにアクリラの方が上位校なのだろう。

 この辺の選手層の厚さは、戦闘専門校相手とはいえ一枚上手のようだ。


 問題はその次で、なんとヘルガ先輩が負けてしまったらしいのだ。


 ”ええ・・・”となったのは、ヘルガ先輩クラスでも普通に負けるという事実と、それよりも試合前に俺達に何かないのか、という2つについてだ。

 今この場にいる中でガブリエラの関係者はヘルガ先輩だけだというのに、何もないとはどういうことか?

 こっちはガブリエラが”この試合は絶対勝て”というから一生懸命準備してきたというのに、肝心のその試合前にもうちょっと何か有ってもいいだろう。

 結局、この貴族用の制服を着るくらいしかなかったし、その理由についても教えてくれないし、幻惑魔法は掛けてないので胸につけたスコット先生のバッジが妙に浮いて見えるしで、不満だらけだ。

 この分だと仮になんとか勝っても「よかったねー」で終わるかもしれない。

 いや、あの王女様ならその可能性の方が高いかも、労ってくれるだけありがたいと思えみたいな事も・・・


 その時、次の試合の案内を聞いたモニカが、手を止め「よっこいしょ」と立ち上がるとフラフラと控室の窓の方へ移動した。

 さすがに次の試合で戦う、ゴーレム使いのセルゲイ先輩の試合は見ておきたいということらしい。

 しかもセルゲイ先輩が出ていくまでは”興味ないですよ”といった雰囲気だったのに、いなくなった途端これだ。

 この反応はなかなか面白い。

 モニカにも少し”恥じらい”が生まれたか。

 こういう時、モニカもこの街に来て変化してるんだなと感じるものだ。


 さて試合の方は、残念ながら完全にセルゲイ先輩の分が悪い。

 前回の”ゴーレム対決”と違い、今回の相手は恥も外部もなくセルゲイ先輩本体を狙いにきていた。

 そりゃ、戦士が1人で高度なゴーレム軍団に出くわしたら、操ってる本体を狙いに行くよね。

 いくら自立可動可能なゴーレム機械とはいえ、高度な魔法戦士相手にサポートなしではただの鉄の塊だ。

 数体の機体が必死に対抗しているが、得意の連携も対戦相手の圧倒的攻撃力を前にしては役に立っていない。

 意外と数で押すスタイルって”圧倒的な個”には脆いんだなと感じた時には、セルゲイ先輩の結界HPはガラスのように砕け散っていた。


「・・・負けちゃった・・・」


 モニカが若干しょんぼりとしながらそう呟く。


『しかたない、あれは相性が悪かった』


 それにもしかすると、相手は対策もしっかり取っていたのかもしれない。

 最終戦ともなれば、対戦相手がどんなやつでどれくらい強いかなどはいくらでも知りようがある。

 こういった時に、補助支援系の魔法士はどうしても不利だ。

 せめて俺達の”グラディエーター”並に頑丈な装甲を本体に用意できればなんとかなっただろうが、流石にそこまでの余裕はなかったか。

 試合に投入できるコストの割合がどうしても重くなるのも、”ゴーレム使い”の悲しい運命。

 殆ど札束で殴り合うジャンルなのだ。

 今日の俺達だってガブリエラが買ってくれなきゃ、これだけの装備を投入するのは無理だっただろう。


 試合観戦を終えたモニカは、再び”定位置”に腰を据えると途中だった準備を再開する。

 対抗戦的には、次の試合が一応かなり重要な一戦だというのに、そちらに興味は全く示さなかった。

 だが、その気分は先程よりも随分と暗い。

 セルゲイ先輩が負けたのもあるが、徐々に自分の試合が近づく緊張も混ざりだしているのだろう。

 もしかすると、ゴーレム使いのセルゲイ先輩の負けた姿に、自分を重ねている面もあるのかもしれない。


 それから少しした頃、それまで沈黙を守っていた”巨大な気配”がこちらに向かって動き始め、それを察知したモニカが顔を上げた。

 いくら作業に夢中でも、スリード先生ほどの存在感を無視することは出来ないらしい。

 

 あいかわらず巨大な蜘蛛の下半身だ。

 巨大な部屋とはいえ、室内なのでその迫力と存在感はいつも以上に感じる。


「やあモニカ、挨拶もないとは、つれないじゃいか」


 スリード先生がそう言うと、それに対し実際に挨拶に行かなかったモニカは申し訳なさそうに恐縮した。


「ええっと・・・」

「いや、冗談だよ。 近づかない”理由”は分かってる」


 どうやらスリード先生も自分の”今の状態”は理解しているようで、若干呆れた表情で自らの身体を見下ろした。

 スリード先生の普通の人より一回りほど大きな女性の上半身。

 普段なら、よく何も着ずに彼女の助手たちに怒られているそこには、今日は”赤紫色の物体”がへばりついていた。


 それは一見すればスライムなどの粘体にも見えるが、よく見れば普通の形の人間の少年が抱きついている事が分かる。

 スリード先生の表面を覆う赤紫の粘体は、彼の身体から滲み出た高密度の魔力の塊だ。

 そしてその少年が、自らが話題に上ったことを察知したのか、ヌチャリという音を発しながらスリード先生の身体から身を起こすと、こちらを向いてニンマリと笑顔を作った。


「アハハ・・・モニカちゃん・・・今日もかわいいなぁ♪ ねえ、もっと近くにおいでよ♪」


 その少年、”ルキアーノ・シルヴェストリ”はそう言うと、こちらに向かって手招きの仕草を作る。

 自分の試合の前だというのに全く緊張の色はない。


 これが俺がモニカをスリード先生に近づけなかった”理由”。

 今日の彼女は、ルキアーノ先輩の”お守り役”としてやって来ていたのだ。


 このルキアーノという先輩は、3語ほど話す程度ならその”異常性”は理解しにくい。

 だが少しすれば嫌でも理解するし、その戦いを一度でも見れば近づきたいとは思わないだろう。

 モニカも緊張と生理的嫌悪の感情で、自分の体をベットリと舐め回す彼の不快な魔力に体を強張らせていた。

 いくら無害だといっても気分のいいものではない、なんかベチャベチャするし・・・


 彼は基本的に1人で出歩くことはない。

 常に戦闘系の教師と一緒だし、特に若年層との接触はかなり気を使われていた。

 今日、スリード先生が一緒なのもそんな理由だ。

 彼女なら1人でルキアーノ先輩相手でも対応できるし、なにより見た限りではひっつかれても気にした様子はない。

 ルキアーノ先輩は”人型”であれば老若男女関係なく襲うので、男性教師でもよくひっつかれて困ってたが、やはりその辺の懐の深さは桁が違うのか、そもそも価値観が違うのかは分からないが、ルキアーノ先輩がどこを触っても涼しい顔のまま。

 モニカの教育的には勘弁してほしいが。


「そう邪険にしないでやってくれ、こんなんだが、本心では分別はちゃんとわきまえてる子だ」


 スリード先生がそう言って苦笑いを浮かべる。


「ええっと・・・はい・・・」


 だがモニカの緊張は一向にほぐれない。

 いくら本当は理性があるといっても、サメに近づきたい小魚などいないのと一緒だ。

 そもそも、なんで声をかけてきたのだろうか?

 ただ、その疑問はすぐに氷解する。


「ルキアーノが君の気分が悪そうだと言ってね」

「え? わたしがですか?」


 モニカが不思議そうにそう聞き返す。

 するとルキアーノ先輩の気持ち悪い笑みが更に深まった。


「フヒヒヒヒ・・・モニカちゃん、試合つまんないでしょ? そういう”味”がするよ」


 ルキアーノ先輩がそう言って口の周りをペロリと舐める。

 え? ”味”? なんの!?


「ガブリエラの試合を見ちゃったらそう思うよね。 他の子の試合なんて”おままごと”じゃないかって♪」

「そういう・・・わけじゃ・・・」


 モニカの反論は途中から消えるように勢いを失っていった。

 どうやら”図星”らしい。

 なるほど、それでセルゲイ先輩の試合の後機嫌が悪くなったのか。

 おそらくモニカはセルゲイ先輩の試合に若干失望し、そんな自分に嫌気がさしたのだろう。

 はっきりと意識はしていなくても、そういった心の動きと思われる感情の変化はログに残っている。


「ひどいよね、あんなの見せられたら、みーんな陳腐になっちゃうよね♪ 」


 ルキアーノ先輩がそう言うと、モニカがさらに俯く。

 自分の感情を言葉にされたことで、さらに意識したのだろう。


「ああー、そんな顔しちゃ駄目だよ、可愛い顔が台無しじゃないか!」


 するとルキアーノ先輩がそう言って手を伸ばしてきた。

 だがその手が俺達の頭に触れる寸前、そこに極太の蜘蛛の足が割って入る。


「ルキアーノ、”おさわり”は駄目だって言ったよね?」


 スリード先生がルキアーノ先輩にピシャリと告げる。

 するとルキアーノ先輩は露骨に嫌そうな顔をした。


「ちぇえっ、あともう少しでモニカちゃんの身体をさわれると思ったのになぁ」


 どうやらどさくさに紛れて、モニカにセクハラする気だったらしい。

 モニカもその事に気がついたのか、”本能的な危険”を察知して僅かに後退った。

 

「でも・・可愛い顔が台無しなのは本当だよぉ? だからさ、ほら、笑お? 君のことが大好きな僕のために」

「わたしの事が・・・大好き?」


 モニカが意外そうな声を出した。

 するとルキアーノ先輩がニッコリと笑う。


「君の”ちょっと変な身体” 大好きだよ、舐めると・・・・とっても美味しいんだ!」


 その瞬間、俺達の服の内側で何かが蠢くと、服の隙間という隙間から”ゴウ”という音を立てて空気が一気に飛び出し、その風圧に俺達は面食らってしまった。

 そしてその空気に混じった”なにか”は、しばらく近くの空間をさまよった後に、ルキアーノの身体へと戻っていく・・・・・

 もう俺達の身体に張り付いていた”ベチャベチャした感覚”は残っていない。

 そしてさらに、スリード先生の身体に張り付いていた赤紫の粘体もルキアーノの身体に引き込み、同時に彼の身体がペリペリと音を立てながらスリード先生の上半身から剥がれていく。

 まるでセミの脱皮を思わせうような、そんな”非人間的”な光景だ。

 そしてそれは明らかに、これから”何かが始まる”ことを予感させた。


 ちょうどその時、控室の中に第5試合の終了を告げる合図が鳴り響く。

 勝ったのはトリスバル側の生徒。


 モニカが緊張に唾を飲み込む。

 これでトリスバル側は3勝2敗で”リーチ”。

 もうアクリラ側に負けは許されない。

 そして最後の2試合、相手にはガブリエラと比較されるような”バケモノ”2人が残っている。



” これより第6試合を執り行います 選手は出場してください ”


 そのアナウンスはやけに頭の中に響いて聞こえた。

 まるで死刑宣告のように。

 だが、


「フヒヒ・・安心して、僕は”つまんなくない”から」


 ルキアーノ先輩は不敵な笑みでそう言うと、これまでにないほど爛々と目を輝かせながらフィールドの方向を見つめる。

 そこには彼の対戦相手、すなわち”竜人:イルマ”の姿が小さく見えた。

 その圧倒的な”存在感”は、これだけ距離が離れた場にいてもヒリヒリと焼け付く様に感じられる。

 明らかに”人間”を超越した存在を匂わせる、遺伝子に刻まれた本能の様な恐怖が湧き上がってくる。


 だがしかし、先程までだらしなく出していた魔力を引っ込めたルキアーノ先輩の後ろ姿は、不思議なことにそれに負けない”存在感”を感じさせたのだ。





「ふう・・・とりあえず行ったか、あの子といると肩が凝って仕方ない」


 ルキアーノ先輩がフィールドに出た直後、スリード先生がそう言いながら肩を揉みながらこちらに寄ってきた。

 もう既に控室には俺達と先生しか残っていないので、だいぶ気楽な様子だった。

 もっとも普段からこの人は気楽な雰囲気だが、ルキアーノ先輩がへばりついていた間は彼女でもそれなりに気を張っていたのだろう。

 相変わらず何も着ていない彼女の上半身は、いつにも増して開放的だ。


 そして更にスリード先生は、そのままの流れで蜘蛛の足を器用に動かして俺たちの体を抱き上げた。


「あ、あれ?」


 ごく自然な流れで巨大な蜘蛛に捕まったモニカが、いつの間にか近くに見えるスリード先生の姿に戸惑う。


「おっと、準備がまだだったかな?」

「ええっと・・・」

「今やってるのは最後の確認の確認なんで、準備自体は終わってますよ」


 戸惑っているモニカに代わって俺が答える。

 実際今やってる整備は俺達の試合前の精神集中の意味合いが強い。

 手持ち無沙汰だと俺の緊張がモニカまで伝播するので弄ってるだけで、本当は控室に入った時点で準備はできていたのだ。

 するとそれを聞いたスリード先生の顔が明るいものに変わった。


「ならよかった。 モニカ、彼の力をよく見ておきなさい」

「なにか参考になるんですか?」


 戦闘系授業のトップ教師であるスリード先生がそう言うからには、ルキアーノ先輩の戦い方ってなにか参考になるものがあるのだろうか?

 前に見た時はそんな風には感じなかったのだが・・・

 だが、そうではないようだった。


「たぶん、ならないだろうね」

「え?」


 モニカの期待をあっけらかんと否定したスリード先生。


「ふふふ、君の場合、これは”社会勉強”だね」

「”社会勉強”・・・ですか・・・」


 やたら意味深に笑うスリード先生に、モニカが思わず身構える。


『何するんだろう・・・』

『何するんだろうな・・・』


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