2-9【アクリラ大祭 4:~祭り2日目~】



「絶対トイレは左に付いてたはずだ」

「姉さん、さっきからそればっかり」


 祭りの二日目、木苺の館の奥で2つ並んだトイレと洗面台の扉を前に、いつもこの部屋には響かない声が響いていた。


「いいや、私の時は左だった。 絶対改装したんだよ」

「昔からこれですって、ねえ、”アベリ大姉様”」

「ああ? なんだって? すまんね”グリマ”、あたしゃ耳が遠くなって」

「”ダフネ”です、グリマはこっち!」

「え!? なに酒があるのか!?」


 カオスだ・・・

 その光景に呆気にとられた俺達は、自分達の部屋の中で繰り広げられる、知らない人達のやり取りにどう入っていいか距離感を掴めずにいた。


「なあ、ベスちゃん、去年か一昨年トイレ改装してないよね?」


 40歳くらいの筋骨隆々の女性がさっきからそう言って、トイレの扉の前でウンウンと首を傾げている。

 どうやらトイレが右側の扉なのが信じられないらしい。


「あはは、ジェスタ先輩ボケたんじゃないの、あっひゃひゃ! あーおっかしー」

「おい、ミシェル! その口の聞き方は何だ!!」


 ジェスタ姉さんがミシェル姉さんの反応に腹を立てる。

 だがそれに反応したのは、御年200を数えるアベリ大姉様だった。


「おんだと!? 年上はどっちだ、このクソガキめが!!」


 そういって車椅子の上で腕を振り上げて怒る。

 だがそれもデタラメの方向を向いていた。


「ええっと・・・あのおばあちゃんが”アベリ大姉様”で、あっちが”ミシェル姉”さん・・・であの白い服の人が・・・」

「グリマ姉さまですよ」

「呼んだ!?」


 モニカがベスに確認しながら指を折って名前を確認していると、それを呼ばれたと勘違いしたグリマ姉さんが元気よく反応した。


「あっっははは、呼ばれてないって、何反応してんですか、あはは」

「おい! ミシェル! グリマはお前の姉貴分だぞ!?」

「お酒は!?」

「うるさい子達だね。 全く誰に似たんだか・・・」

「みんな一旦ちょっと黙ろう、誰が誰だか」

「今のがダフネ姉さんで、あそこで寝てるのがエヴァンジェリン姉さんで・・・」

「モニカ姉さま、指差すのは失礼ですよ?」


『カオスだ・・・』


 俺がそう呟くと、体の中にどっと謎の疲れが充満する。

 突如、増えに増えた”お姉さま軍団”にモニカも俺も頭がついていかなかった。


 彼女達はアクリラの卒業生。

 その中でも、かつてこの”木苺の館”で暮らした面々だ。

 本来この寮は卒業生といえど部外者は立入禁止。

 だが、このアクリラ祭り2日目は数少ない例外で、外を見れば”知恵の坂”全体に大人の女性たちが闊歩し、それぞれがかつて暮らした部屋で今の住人達と親睦を深めていた。 

 そこで生徒達は自分の部屋に脈々と続く”姉妹の繋がり”を確かめ、自分もその一員であることを自覚するのだ。


 ただ、この部屋の先輩たちは些か”自由”がすぎる。

 好き勝手に文句を言い、好き勝手に笑い、好き勝手に喋るのでモニカの神経がどんどんすり減っていた。

 特に、”ジェスタ姉様”の行動には俺もモニカもビクビクだ。

 なぜか、やたらとトイレの位置に文句をつける彼女だが、その特徴的な魔法士服の胸にはマグヌスの国旗と金バッジが輝いていた。

 つまり現役バリバリの”エリート魔法士俺達の敵”である。


 もちろん表向き敵対しているわけではないので、彼女は俺達のことを編入生の後輩としてしか知らないだろう。

 だがどうしてもその”金バッジ”の威圧感は俺達にとって拭いきれぬ”脅威”として映ってしまうのだ。


「それにしても、ルシエラはこんな可愛い妹分2人残して行くなんて、ホント無責任よね」


 徐にダフネ姉さんが、ここにいないルシエラにそんな不満を漏らした。

 するとモニカが慌ててフォローに入る。


「あ、いやルシエラの研究はこの時期にしか出来なくて・・・」


 するとそれを見たダフネ姉さんが深い溜め息を漏らす。


「はぁ・・・あなたにそこまで気を使わせてる時点で、”お姉様失格”よ。

 だいたいベスにしても面識あるのはミシェルしかいないんだから、もっと気を配るものでしょうに」

 

 あ、そうか。

 彼女達は毎年同じメンバーが集まるわけではない。

 今年、この場に集ったのはたまたま都合がついた人だけなのだ。

 その中でベスがいた去年と一昨年に来た事があるのは、どうやらミシェル姉さんだけらしい。

 俺達は当然初めてなので、今年のこの集まりには現役生と卒業生の間に大きな”溝”があることになる。


「わたしもルシエラが見たかったよ、前に見た時はこんなんだったからね」


 するとそれまで、高齢を隠れ蓑に狸寝入りを決め込んでいたエヴァンジェリン姉様がケロっとした表情でそう言いながら、膝くらいの高さに手を伸ばして示す。


「いや、いくらなんでもそれは低すぎだって・・・」


 それを見たグリマ姉さんがツッコミを入れると、エヴァンジェリン姉様は一瞬ビックリした表情を作って、すぐに目を閉じて再び狸寝入りを始めた。

 そしてそれを見た最高齢のアベリ大姉様が深くため息をつく。


「はあ・・・エヴァンジェリンも”これ”だし、あたしも次は”危ない”からね。 あの子も一目見ておきたかったんだが・・・」


 その言葉は老齢の者特有の悲哀を含んだ、不満だった。

 それだけに俺達は無言で受け入れるほかない。


「そうだ、モニカだったかい? こっちに来て顔を見せてくれないかい」


 するとアベリ大姉様は話題を変えるためなのか、膝を軽く叩いてから俺達を手招きした。


「それとベスも」


 モニカがベスと目を合わせる。

 2人してどうしたものかと少し悩んだが、すぐに意を決してアベリ大姉様の近くまで歩み寄った。

 すると大姉様はしわくちゃの手を伸ばし、俺達の顔に当て、そのまま少々乱暴に俺達とベスに顔を弄った。


「すまんねぇ、この歳になると目がよく見えなくてね。 手に刻み込まなきゃ顔も分からん」


 なるほど、その言葉通りアベリ大姉様の瞳は濁ったように虚ろで、焦点が定まっていない。


「わたしの鼻はここだよ」


 それを見たモニカは、そう言って自分の鼻に大姉様の手を誘導する。

 するとすぐにその手はしっかりと俺たちの鼻の形を捉え、そのまま優しげに顔全体を撫でる。

 その感触がくすぐったくて。

 モニカが目を横に向ければ、同じ様な状態のベスと目が合う。


「2人共、ルシエラやルイーザよりは優しい顔をしているね」

「っぷぷ、アベリ大姉様、それ本人に言ったらキレますよ、ック」

「・・・ミシェルよりは真面目そうだ」

「あーっはは、そりゃ、私より不真面目だったら困るわよ」


 ミシェル姉さんがそう言いて腹を抱えて笑う。

 この人も笑いのツボがよくわからないタイプだ。

 まあずっと笑ってるけど。


 その時、アベリ大姉様が俺達とベスの頭をくっつけそのまま目の前に寄せた。

 視界いっぱいに、シワのオバケみたいな顔が大写しになり、モニカからドギマギした感情が流れる。


「2人共、よーく聞きなさい」

「「・・・」」


 モニカとベスが無言で頷く。

 アベリ大姉様の迫力に声が出なかったのだ。


「私らは、どこにいても、どんな立場でもこの”木苺の館”で学んだ”姉妹”だ。 そしていつかここ出た時も、あなた達は独りじゃない」


 アベリ大姉様はそう言うとニッコリと微笑み、それを見たモニカがポカンと口を開ける。 


「嫌いな奴がいたら、私等がぶっ飛ばしてやろうって言う話だよ」


 するとそれを見たジェスタ姉さんが、少し呆れたようにそう言った。


「くっふ、姉さん、バカすぎ!あはは」

「なんだミシェル! そういう意味だろうが」


 ジェスタ姉さんの少しピントのズレた言葉にミシェル姉さんが反応し、それに対してジェスタ姉さんがさらに噛み付く。

 それは喧嘩腰のようでもあり、長年の付き合いが生んだ、なんとも微笑ましい空気を感じさせた。


 その時だった。


「なに!? ぶっ飛ばすのか!! どいつにやられた!?」

「「!?」」


 突如身を起こし、クワッと目を見開いたエヴァンジェリン姉様が片手に高密度の魔法陣を握りしめながらそう叫び、それに反応する様に姉様方全員が即座に真剣な顔でそれを見つめた。

 見れば全員が防御系の魔法陣を展開し、ジェスタ姉さんの物と思われる結界が俺達とベスの前に出現している。

 アベリ大姉様ですら、その目は危険を察知した獣の様に鋭い。


 そして渦中のエヴァンジェリン姉様は威圧するように周囲を見回しながら、腰に構えた手の魔法陣から物騒な火花を散らしていた。

 よく見ればその魔法陣はこれまで見たどの魔法陣よりも細かく複雑だ。

 そこから自分で立つことすらままならない老齢の彼女が、未だに驚異的な力を持っていることを悟る。


 そのまま部屋の中の緊張が極地に達した。


「夢か・・・」


 するとエヴァンジェリン姉様がそう呟き全身から殺気が抜け、そのまま車椅子に体を倒すと目をつむって再び寝息を立て始めた。


「ほっ」


 そんな息をついたのは誰だったのか。

 とにかく、部屋の中の突如の緊張は緩和され、全員が防御の魔法を解いた。


「・・・まあ、とにかくいつか誰かに頼られるために、今のうちから誰かを頼りなさい」


 アベリ大姉様が仕切り直すようにそう言う。

 なんだか話の腰を折られて格好がついていないが、それでもモニカには伝わったようだ。


「・・・いつか誰かに頼られるために」


 モニカはそう呟くと、ベスの方をちらりと見つめ、更にその先の虚空へ視線を移した。

 そこに見たのはどんな子だろうか。



 それから昼食を含めたしばらくの間、木苺の館には静かな時間が流れ、お互いにどのような人間であるかを確かめあった。

 もちろんその中では、彼女達が今どの様な仕事をしているかも話題に上る。


 そこで知ったのだが、ジェス姉さんは”エリート”資格持ちではあるものの軍属ではないらしい。

 地方の公共事業の選定などを行う部署にいるとのこと。

 自然が近い職場なので、強い事も求められるんだとか。


 俺達は、彼女が話す複数の都市間を光のサインでやり取りする仕組みについて、熱心に聞き入った。

 魔力通信が最速なのは間違いないが、それが整備できない地方では簡単な魔法の組み合わせでできる、それらの原始的なサインによる通信が主流なんだとか。


 ただ、後学のためにもっと聞いていたいが、それを許さない事情がある。

 俺は自分の中に作った予定表と、セットしておいたタイマーからの知らせでそれを悟った。


『モニカ、そろそろ時間だ』

『あ、そうだった』


 正直言ってこのままお姉さま方との親交を深めていたいが、今日はこれから忙しいのだ。

 まずピカ研にいっていくつか作業を済ませて、その足で”別の所”に行かなければいけない。

 移動時間も考えるなら、もう出なければ間に合わなかった。


「あっと、すいません、わたしこれからちょっと用事があって・・」


 モニカが少し後ろ髪引かれる様な声を発する。

 するとモニカに姉様達の視線が集中し、代表してダフネ姉さんがそれに答えた。


「ああ、祭りで何かするんだよね。 いいよ、いってらしゃい、私達はここで勝手に思い出に浸ってるから」




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 ピカ研・・・正式名ピカティニ研究所は、基本的に何処かの組織に属さないゴーレム機械専門の研究所だ。

 ここでは本来ゴーレム機械を扱わないような亜人種や非人種が、研究所をまわす戦力として活動している。

 だがそのため、所長であるピカティニ氏の全盛期を除いて・・・特に近年はかなり寂れていた。

 人類種以外がゴーレム機械を求める場面など、本当に稀なことだからだ。


 とはいえ何事にも例外はあるように、祭りの時はそれなりに賑わいもする。

 特にこの研究所のマスコットキャラクターである”リンクス君人形”を用いた”行進”や、その販売は種族を問わず子供からの受けが良い。

 そして同時に、ピカ研だからこそ舞い込んでくる仕事というのもあるのだ。


「ということは、大型が3基、小型が6基ですね?」


 商談の席でアリクイの様な顔の商人が確認するようにそう聞き返す。

 彼はピカ研が契約している商会の商人で、とくに非人種に対して大きな販路を持っている。

 そしてその商談の席に座り話を聞いたのも、当然ながら人間ではない。


「場所を整理すれば大型は2基で足りると思うのですが、奥方様が離れにも欲しがると思うので3基ということで進めていただければ」


 それは執事服を来た二足歩行の”羊”。

 別にダジャレではない。

 彼は、遠く離れた地に住むAランク魔獣”煉獄のゲハルス”の館で実際に執事をしており、今回この街には主人であるゲハルスの住む館の”改装工事”の手配をしに来たのだそうだ。

 魔獣とはいえ家を持てば維持は必要で、”家主”が特殊であれば当然それは特殊なものになる。

 ピカ研にはゲハルス含め彼の家族が使う”エレベータ”を求めて来たらしい。

 体が大きいので、個人用でも巨大エレベータが必要なのだ。

 そして、そういった非人種向け”特殊ゴーレム機械”の制作はピカ研が得意とする。

 特に魔獣相手となれば、引き受けてくれるゴーレム工房はほぼないと言ってもいい。


「ですけど、輸送はどうするんです? バラして運ぶにしてもかなりの数ですよ?」


 するとそこにピカ研の代表として亜人のベルが意見を述べる。

 彼は商人とクライアントだけでは出ない意見を出す、”技術担当者”だ。


「ルブルム川を使って船愉で”スポルク”の東まで運んでいただければ、そこで我々の配下の魔獣が輸送を引き受けます」

「設置工事にはうちの研究員が行くことになると思いますが・・・」



「なんだか工事屋さんみたいですね」


 その様子を傍目に見ていたメリダは、近くにいた指導員のルビウスに話しかける。


「実際、工事屋さんみたいな物だからね。 たぶんベルが行くんだろうけど」

「2人とも、手を動かしてよー」


 すると機材を抱えた狼人のライリーが、面倒くさそうな顔でそう言った。

 あわててメリダが手を動かして、”調整”を続ける。


 これから数時間後、街の中心部で行われるパレードにピカ研の制作するゴーレム機械を使って参加することになっており、今はその最終調整中なのだ。

 メリダが担当するのは子供に人気の”リンクス君パート”

 さらにルビウスとライリーがその他のゴーレム機械を指揮して、ピカティニ研究所の宣伝を行う。

 そしてこの様なパレードを今回の祭りでは数回予定しており、それがこの研究所の主な出し物になるのだ。

 これには単なる宣伝だけではなく、新しく入ってくる生徒に対する”アピール”も含まれるため、メリダも気が抜けない。


 だがその中でライリーは重要なことが足りない事に気がついた。


「あれ? モニカは?」


 狼顔の少年が不思議そうな表情で周囲を見回す。

 予定では確か、今日のパレードにはモニカも参加するはずだ。

 というか、まさについさっきまでこの場所で準備をしていた。


 するとメリダがおっかなびっくりといった感じにライリーに声を掛ける。


「あ、あの、ライリー先輩。 そのモニカなんですけど・・・」

「うん?」


 メリダは友人から伝えられた”その情報”をどう伝えたものかと、頭を巡らせた。





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 街の中心部の競技場にて・・・



「おう、結構な人入りじゃないか」


 無精髭の品の悪い男が競技場の客席に入ってくるなり、感嘆するようにそう漏らした。

 すると近くにいた、似たような雰囲気を放つ中年の女性が面白そうに声を掛ける。


「おや、旦那も”こっち”に興味ありかい。 でも残念、もう既に第6試合まで終わって今日の賭けは全部受付終了したよ」

「どうせ今日は”7-0”だろ? 倍率も一方的だし興味はわかないよ」


 無精髭の男はそう言うなり、競技場の客席に数箇所掲げられた掲示板を睨む。

 予想通りアクリラ側は平均して1.1倍程度、7試合全ての結果を予想する賭けも7-0が3.0倍とはっきり言って賭けとして成立していなかった。

 そんな物に金を突っ込むのは”勝負師”である彼の美学に反する。

 だが、とはいえここに来たのも賭けに関することだ。


 女が意味深な視線をこちらに送る。

 彼女も無精髭の男と同様、賭け事に命をかける”勝負師”。

 普段はこの近辺の街を回って様々な賭け事に精を出しているが、この祭りの期間は少し遠くの街からでもやって来る。

 多くの催しや大会が行われるこの祭りは、その結果を巡った大きな賭けの場でもあるのだ。

 そしてその中でも、この街の魔法学校も出場する”学校別対抗戦”は最大の賭け額を誇る。

 とはいえまだ初戦。

 これまでの学校の戦力で組み合わせが決まっているので、戦力差が激しいアクリラ戦に人が集まるのは異例だった。


「6試合目まで終わっているということは、最終戦はまだなんだろう? 見たいのはそれだけだ」

「はん、旦那も”あの発表”に釣られたクチか」


「お前を含め、ここに居るやつは全員同類だろうが。 ま、俺は一歩先へ行っているみたいだが」

「そう言うってことは、トリスバルのメンバーの強さは把握したのかい?」


 女がそう聞くと無精髭の男は自慢げに頷いた。


「”圧倒的”だ、メンバー全員が校内10位以内らしい。 あちらさん、今年は勝ちに来てるぜ。 特に”竜人イルマ”と”メレフの坊や”がやばい」


 これは異常なことだった。

 通常なら最低でも数週間単位で母校を離れることになるために、殆どの学校がこの大会に送り出すメンバーは万全ではない。

 それでも全校トップは出てくるのだから、この街の格の高さが伺えるというものだが、だからといってメンバー全員が校内10位以内というのはかなり異例の事態だった。

 そしてその”原因”となっているのは、間違いなく”勇者”と”竜人”という規格外の生徒が揃ったことだろう。

 つまり”今年は勝てる”と判断したのだ。


「そんなにかい? ルキアーノ坊やは勝てると思うかい?」

「それを教えると思うか?」


 無精髭の男はそう言って軽く笑う。

 彼女は酒を飲み交わす友人ではあるが、賭け事においては”ライバル”だ。

 この大会の賭けは、当たったとしても早く賭けた方が取り分が多く設定されている。

 つまり現段階での情報というのは非常に価値が高いのだ。


 無精髭の男はこれから出てくるアクリラの”7人目”を確認して、券を買いに行くつもりでいた。

 彼自身は強い力を持っているわけではないが、もう10年以上この大会で”勝負”してきている。

 事前に試合を一目見れば、その後のおおよその結果も予想がつく。


「それで、今年の”代理”はどんな具合だ?」


 無精髭の男がそう聞くと、女は手元の小さなメモを投げて渡した。

 男はそれをなんとか受け取ると、その内容を一瞥する。

 それは6試合目までの”出場者リスト”だった。

 これは受付にいけば同じものが配っているので、特に隠すような情報といういうわけではない。

 だが、


「相変わらず豪華なメンバーだな、”代理”でこれか」


 この大会のメンバーは7人、その順番も含めて固定である。

 だがそれではその生徒が他の行事と被った場合、出場することが出来ない。

 特にこの街の生徒は戦闘など二の次であることが多いため、”不出場”という自体になりかねない。

 そこで大会出場メンバーは1名だけ、”代理”を立てることができる。

 この”代理”はその選手のいわば分身として出場し、勝敗は”正規メンバー”のものとしてカウントされるのだ。

 

 そして”トリスバル”が初戦の全戦を正規メンバーで戦う伝統があるのに対して、その逆にアクリラは初戦を全員”代理”で戦うという伝統がある。

 それは単純に初戦でぶつかるような弱小校相手に、”正規メンバー”はもったいないということらしい。

 実際、”代理”ですら過剰戦力なのだから誰も文句は言えないが、そのせいで例年、アクリラの初戦は客が少ない・・・のだが、


「”あの発表”は誤報じゃないのか?」

「私も実行委員に聞いたんだけどね・・・間違いないそうだよ。 他にも確認が行っているみたいだけど・・・」

「となると本当なんだろうな・・・」


 無精髭の男が頭を抱える。


「まさかガブリエラ様が、トリスバル戦を欠場なさるとは・・・」


 アクリラ対トリスバル。

 事実上の”世界立”2校による頂上決戦は、例年通り祭りの8日目・・・対抗戦最終試合に組まれている。

 だが同時に・・・まさにその試合が組まれている時間に、別の会場でガブリエラ様の”研究発表”が行われるというのだ。

 正式名は時空なんちゃら・・・とにかく、彼女がこの街で主要研究課題としてきた分野の発表とあって、間違いなくそちらを優先するとのこと。


 つまり今年の”学校別対抗戦”、その最大の試合にガブリエラ様は出場しない。


「あの人に限って逃げたとは思わないが・・・人騒がせな人だ」


 男は呆れたようにそう漏らす。


「まあまあ、生徒の本分は研究の方なんだからね、対抗戦のメンバー辞退なんて珍しくもないんだから出てくれるだけ花と言うもんよ」

「はあ・・・それで、めぼしい生徒はいたか? 初戦のルーベンというのは中等部一年みたいだが、この子は戦っているところを見たことがない」

「実力は噂通り、あんたはそれで十分だろ?」

「ああ、そうだな。 後は、アドリア・タイグリスは、ルキアーノ・シルベストリの”代理”の方で出たか」


 アドリアは最終学年の戦闘系4位、本来なら”正規メンバー”の方で出てもおかしくはない。


 アクリラの”正規メンバー”は基本的に固定された条件で選出される。

 高等部4学年の1位生徒4人と、最終学年から2、3位の2人。

 最後の1人は選ばれてない全校生徒の中から1人。

 戦順は実力者ほど後になるというのは他と共通だが、アクリラは以上の選定基準を愚直なまでに守ってきた。

 まるでみんな選ばれるのが嫌だから、強者の責務として無理やり選んでると言わんばかりに・・・

 だがそれに対して”代理”に関する基準は原則ない。

 ”正規メンバー”が好きな者を1人立てればいいだけ。

 中には目をかけている後輩や肉親など、私情で決められることも珍しくはない。


 ただ高等部1年の1位の生徒が出場しないという話は事前に聞いていたので、その枠にアドリアが来るのかと思えば、ルキアーノと思われる”6番手”の”代理”。

 代わりにその枠の”代理”が中等部のルーベンでしかも1番手くれば、正規メンバーで不明の2人はおおよそ予想が付く。

 だが・・・


「アドリアをルキアーノの”代理”に立てるなら、ガブリエラ様の”代理”は誰が務めるんだ?」


 無精髭の男は頭を振りながらそう呟く。

 すると周りの者も同調するように続いた。


「それが分かんねえんだよ、ルシエラちゃんも使えないし」


 ガブリエラ様が例年”代理”に立てていたのは、ヘルガという彼女の付き人か、ルシエラという生徒。

 特にルシエラは中等部時代から無理やり選出されていたので、”勝負師”の間ではちょっとしたアイドルのような存在になっていた。

 だがその2人は今や2人とも”正規メンバー”の基準を満たしており、ルシエラに至っては街を出ているので”代理”には選べない。

 それに原則誰でもいいとは言っても、最低限トップクラスの生徒であることは求められる。

 ただガブリエラ様の交友関係で”代理”を頼める生徒となれば、アドリアくらいのものなのだ。

 それも既に使えないとくればどうするのだろうか?


「順当に考えれば、高等部3年の3位とかだろうな」

「っていうとエドモンドか? だが彼は・・・」

「おっと、噂をすれば始まるみたいだぞ」


 客席の最前列に座っていた老人が嬉しそうにそう言って、フィールドの中を覗き込んだ。

 するとそこに1人の青年が現れる。

 今日のアクリラの対戦相手、トルバ南部諸国の魔法学校、”オンタリア”の7番手・・・つまり最強の生徒だ。

 初戦を全員”代理”で戦うアクリラと異なり、他の学校はアクリラ戦となれば当然全員”正規メンバー”。

 それも最強格ともなれば、確かに纏っている空気はアクリラでもそれなりの生徒と互角と思わせるだけのものはある。


「これは判断基準とすればちょうどいいか」


 無精髭の男は顎を撫でながらそう呟いた。

 同時に客席の興味がアクリラ側の出入り口へ向かう。

 誰がガブリエラ様の”代理”に来るのかは不明だが、1つ確かなのはその者がトリスバル戦で勇者レオノア・メレフと戦うということだ。

 ここにいる観客の殆どは、それがどんな生徒なのかを見極めるために集まったと言っていい。

 

『それでは、第7試合を執り行います!』


 場内に魔力で増幅されたアナウンスが鳴り響く。


『”オンタリア”代表・・・”ジョナサン・マウアー”!!』


 先に場内に現れていた青年がそのアナウンスを聞いて、静かに持っていた杖を構える。

 さすが戦闘科目主席、その雰囲気は歴戦の勇士といっても通じる。

 体もよく鍛えられているし、魔力も強くその扱いも慣れているのは間違いない。


 そして、そのジョナサンは強烈な視線で相手方を睨んだ。

 するとその瞬間、アクリラ側の出入り口に何者かの気配が充満する。


「おおきい・・・」

「かなり大柄だな」


 まだ姿は見えていないが、通路の向こうに蠢く影を見ただけで”勝負師達”が口々にそう呟いた。

 これはアクリラ名物”魔獣の生徒”かもしれない。


「・・・いや、そこまで大きくはないか・・・」


 だが放つ空気と威圧感はそれに匹敵すると言っていい。


 競技場全体に緊張が充満し、それに応えるようにアナウンスの音が鳴り響く。




『”アクリラ”代表・・・・モニカ・シリバ!!!』




「・・・・誰?」



 アナウンスの直後巻き起こった”沈黙”。

 その中で客席のあちこちでポツポツと発生したその呟きは、まるで雨音のように耳に付いた。


「誰だそりゃ? 知ってるか?」

「いいや・・・いやちょっと待て」


 客席の後ろの方で大量の資料を抱えた男が、そう言うなり慌てて分厚い資料を捲りだす。


「モニカ・・・モニカ・・・あった! ”モニカ・シリバ”・・・中等部・・・1年?」

「はあ? 何言ってる、中等部の生徒が2人も出るわけ無いだろ!」

「いや、でもここに・・・」


 次に客席に巻き起こったのは、”混乱”。

 ”モニカ・シリバ”という”聞いたことのない生徒”の情報を巡って、様々な憶測が飛び交ったのだ。


 だがそれもアクリラ側から”黒い影”が飛び出したことで収束する。

 その”影”が力強く、フィールドの土を踏みしめた音で喧騒が掻き消えたからだ。


「・・・・なんだあれは?」


 そう聞いたのは客席の誰か・・・それとも”それ”と向き合ったジョナサンの言葉か・・・

 1つ確かなのは、アクリラ側から現れた生徒はとても奇妙な見た目をしていた。


「・・・フシュー・・・キュルル・・・」


 それは体長4ブル(4m)ほどの”牛”のような存在だった。

 だが明らかに唯の牛ではない。

 その証拠に全身は真っ黒な金属の鎧で固められ・・・いやもはや”機械仕掛け”と呼んでしまいたくなるほどガッチリと武装していた。

 観客は次に、その牛の背中に小さな”人形”がくっついている事に気がついた。

 それは体格のいいジョナサンやその牛に比べればあまりにも小さい・・・だがその全身も牛同様に真っ黒な金属で固めらている。

 そしてその右手には禍々しい3ブルに達する長さの”槍”。

 左手には鎧同様、不気味なまでにシンプルな金属の塊で構成された”盾”。


「”牛騎兵”か!?」


 魔法士の聖域であるアクリラには珍しいアンバランスなその出で立ちに、観客の興味は一気に高まる。

 だが対戦相手であるジョナサンは、流石に落ち着いた様子で構えを続けた。


『それでは最終戦・・・・始め!!!』



 最初に動いたのはジョナサンだった。

 右手に構えた杖と左手を器用に使い分け、一瞬にして眼前に直径40ブル程度の魔法陣を展開した。

 しかもよくみれば小さな魔法陣同士がお互いを支え合う、複雑な”3重魔法陣”を芯にした”複合魔法陣”。

 作ったのは”対物防壁アンチマテリアルシールド”。

 モニカの異様な出で立ちから即座に”物理特化”と判断し、それを防ぐために強力な防護を展開したのだ。


「流石だ」


 その様子を見ていた無精髭の男は感嘆の言葉を漏らす。

 ”トップ校でなくともトップは強い”。

 彼の作り上げた防壁はそれくらい見事なものだったのだ。

 あれでは正面からの突破は困難、モニカはどのような”搦め手”を使うのか。

 これはいわば相手の”引き出し”の深さを伺う構え。


 だが対戦相手の”牛”が取った行動は、その予想を裏切るものだった。


 なんと、力強く大地を蹴ったかと思えば、そのまま真っすぐにジョナサンに突っ込んだのだ。

 無精髭の男は心の中で失望の声を漏らし、ちらりと掛けのレート表に目をやる。

 ジョナサンのレートは8倍。

 これなら冗談でも賭けていればよかったかもしれない。

 あの防壁を正面から破ろうとは・・・


 そしてその予想通り、フル装備の牛の体はジョナサンの作り出した防壁に激突するやいなや、大きな音を響かせてそこで止まる。

 ジョナサンの顔に余裕と嘲りの笑みが僅かに滲んだ。


 だがその時・・・奇妙なことが起こった。


 ガシッ! ガシッ! ガシッ! ガシッ!


 その小気味のいい4つの音と同時に、牛の足元から土煙が登る。

 と、同時に牛の頭の両側から生えていた”角”がまるで蛇のようにニュルリと形を変え、そのままジョナサンの貼る防壁に触れたのだ。

 ジョナサン含めその場にいた全員の顔に疑念が浮かぶ。


 ”あれは何をしているのか?”


 防壁に添えられた2本の角と牛の頭の”3点”。

 さらにその首元の装甲が僅かに持ち上がり、そこから聞いたことのない”キーン”という轟音が発生した。

 そこで初めてジョナサンの顔に驚愕が浮かぶ。

 その”轟音”は、これまで彼が聞いてきたどの轟音とも毛色が違った。


「なんだあれ・・・・!?」


 客席で見ていた無精髭の男がそう呟いた・・・まさにその瞬間。

 事態が一斉に動いた。


 牛の首が眩く光ったかと思えば、突然ジョナサンの姿が消えたのだ。


 観客の目が呆気にとられる。

 だが”然るべき実力”のある者には、今の一連の”無茶苦茶”が全て焼き付けられた。


 牛がやったことは単純だ。


 ”首を振っただけ”


 だが凄まじい力と勢いで振り抜かれたその”動き”は、一瞬にしてジョナサンの防壁を粉々に打ち砕いたかと思うと、

 そのままジョナサン本体を数百ブル離れた壁に叩きつけ、体力代わりに設定された彼の”結界”を破壊したのだ。


『勝者! モニカ・シリバ!!』


 あまりにも一瞬の圧勝劇。

 そのアナウンスが鳴ったとき、それが試合終了の合図だと気づいたものは殆どいなかった。


 だがモニカと思われる小柄の騎乗者が手に持っていた槍を嬉しそうに掲げ、競技場の端で結界を砕かれ鼻血を出して横たわるジョナサンの姿を見るに連れ、徐々に観客の中に驚嘆と興奮の声が広がり始める。


『以上をもちまして、今回の対抗戦は全て終了です。 結果はアクリラの7戦全勝。 本日は当競技場にお越し下さり・・・・』


 そのアナウンスをまともに聞いた者も殆いなかった。

 多くは今の一戦を感知できたものを探して客席を見回し、それ以外の者は勝者に熱い称賛を・・・またある者は敗者にねぎらいの言葉を投げる。

 だが全ての者の心に刻まれた事がある。



 ”モニカ・シリバ” は ”ガブリエラ” の代理足りうると・・・・



 そしてその”報”は、祭りの中のアクリラの街に静かに・・・・それでいて確実に広がり始めた。



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