2-2【学生生活 4:~天文学会~】
その日、朝からアクリラは嫌に明るく澄んだ空気に満ちていた。
それがたまたま休日と重なったため、多くの者たちが皆楽しそうに通りを行き交い、その声色は軽い。
ただし、何事にも”例外”は存在する。
「不吉だ」
凄まじく暗い空気を纏った俺達のスコット先生は、まるで処刑台に向かう囚人のような表情をしながらそう言った。
「もう5回目だよ?」
それに対し、スコット先生の横を歩くモニカが指摘する。
ここまでもう5回もこの先生は”不吉だ”と呟いていたのだ。
だがそれに対しスコット先生は、
「いや、朝起きたときと、朝食を食べたときと、君が戸を叩いたときにも言ったから、9回目だ」
とツッコミを返す。
あれ、1回どこいった?
「こんないい日和の休日に、わざわざ付いてこなくても良かったのに」
スコット先生が苦々しげにそう言った。
ちなみにこれも3回目である。
「わたしも”説明会”を見てみたい」
この返答も3回目。
「いいものじゃないぞ、千人の前に立ってタコ殴りにされるんだ」
「でも先生はそれくらい大丈夫でしょ?」
モニカが不思議そうに聞き返す。
「もちろん本当に殴られるなら、天文学者千人くらい簡単に返り討ちにもできるさ。
だが違う、そういう話じゃない」
どうやらモニカは説明会で行われる”攻撃”を正しく理解していないようだった。
見たことがないので実感がわかなかったのだろう。
だから単純にかなり強いと感じているスコット先生がこんなに恐れるのを、ちゃんと理解できないでいたのだ。
「分かりづらいのなら、1,000人の”不死身”の相手を想像してみるといい」
「不死身?」
「傷つけることは出来ない、殺すこともできない、しかも相手の方が遥かに手練れだ」
モニカの体が軽く震える。
きっとそんな”どうしようもない状況”を想像したのだろう。
「だが一つだけ良いこととして、この戦いにおいては私も不死身なのだ」
「それでどうやって、決着をつけるの?」
不死身と不死身の戦いなんて、不毛極まりない。
モニカは言外にそんな意味を込めてスコット先生に聞き返した。
「納得させればいい」
「納得?」
「ああそうだ、だが難しいぞ」
「殴り倒すより?」
「相手を殴り倒すのは簡単だ、相手より強ければそれでいいからな。 だが相手を納得させるにはそれじゃ駄目だ」
「納得させたら勝ち?」
「そうだ。 だが間違えるなよ、”屈服”じゃない。
力で認めさせるのは駄目、そして大事な事だが口で言い負かすのも駄目なんだ」
「言い負かすのも?」
え? こういうのって言い負かすもんじゃないの?
「悲しいことに、昔から”論破”と”説明”の区別がつかない愚か者が、どの分野にも一定数いる。 そして世間は分かりやすい”論破”を好む傾向にある。
だが弁論による屈服はただの”暴力”だ、”学問”ではない。 ”論破”によって成された”論”は真にあらず、言葉によってのみ存在する”空想”なのだ。
我々が戦う”戦場”はそんなことをする場所ではない」
モニカの中によく分からない世界に対する、”謎”が渦巻き始める。
「”定規は語らず、結果を示すのみ”」
「定規はかたらず?」
「私の”天文学の師匠”の言葉だ。 理想論ではあるが、そうでなければ”科学”ではないと私も思う」
モニカがその言葉を聞いて悩むように眉をよせる。
モニカなりに今の言葉の意味を考えているようだ。
そして、何かがまとまった感覚が流れ込んできた。
「じゃあ、みんな”定規”を持ってきて、見せあいっこするの?」
その瞬間、俺の中に満員の議場の観客席に座る大量の学者達が、無言で定規を掲げるシュールな光景が思い浮かび、危うくモニカに聞こえる声で爆笑するところだった。
スコット先生も同じだったようで、剣呑とした雰囲気がどこか薄らいでいる。
「・・・まあ、ある意味ではそうだ」
「定規を持ってきてるの?」
「もちろんそうではない、だが私に突きつけるために持ち寄るであろう資料は、ある意味では”定規”とも言えなくもない」
「はぁ・・・」
モニカは何か納得がいかないが、何が理解できていないのかわからない感じだ。
「ただし私の定規は・・・いやこの世界の者の定規は全て正確ではない」
「定規なのに?」
「定規なのに・・・だ、だから当然それで測ったものはどこまでいっても不正確になる。
今日これから行く会場にいる千人全員が、不正確な定規で測った不正確な結果を持ってやってきている」
モニカの眉間に皺が寄る。
「じゃあ、どうやって納得してもらうの?」
するとスコット先生の顔が自虐気味にニコリと歪んだ。
「簡単なことさ・・・納得してもらえないなら、せめて”論破”すればいい」
スコット先生はそう言って進行方向に顔を戻す。
だが”論破しちゃいけない”と言われたのに、”論破すればいい”と言われたモニカの頭の中は”?”でいっぱいだ。
「・・・わたし何か聞き逃した?」
『いや・・・そうじゃないと思うぞ』
「・・・?」
◇
スコット先生の説明会の会場は聞いていた通りかなり広いところだった。
風格のある重厚な内装に覆われた会場は、半円形に大量の客席が並び、その向かいに大きな舞台が設けられている。
それだけなら歴史ある劇場のようにも見えるが、劇場ではない証拠として舞台には幕ではなく巨大な黒板が壁のように鎮座していた。
・・・上の方は絶対手が届かないが、どうやって書くのだろうか?
ここはアクリラを流れる川沿いに並ぶ出版社にくっつく形で設けられていて、窓の向こうには川の水面と、そこを行きかう小舟の姿が見えた。
そして会場には、もう既に客席に入りきらないほどの量の学者たちが座っており、体のサイズや形的に席に座れない者たちや客席からはじき出された者が、後ろの立見席にも溢れていた。
1000人どころか、1500人はいるのではないだろうか。
そして俺達は別に天文学者じゃないので、会場の端で少々居心地悪く収まっていた。
何人か、サイン会よろしく群がられてる人気の学者さんがいるが、こっちはあれが誰かも分からない状態である。
『これはルシエラとベスが来なくて正解だな』
俺がそう言うとモニカが同意した。
彼女たちも興味はあったのだが、ルシエラは治癒状況の確認のために病院でがっつり検査しているし、ベスは友達と勉強会があるらしい。
友達と勉強会だって、かわいい。
早く俺達もやりたいもんだ。
・・・まずは友達からだけど。
よくしゃべる中だとシルフィーは誰にでも愛想がいいのでノーカンだし、隣に良く座るルーベンは男子だし、声かけづらいし。
それにあいつら成績めっちゃ良いので勉強会とかキャラじゃないだろう。
そして俺がそんなことを考えていると、定刻がきたのか舞台の上に白い髪の優しそうな老人が登り出た。
あれはたしか先週の打ち合わせのときにスコット先生と一緒にいたへミット学部長だったはずだ。
そして舞台上で2回ほど手を叩いて大きな音をたてると、会場の注目がそこに集まる。
へミット学部長は視線が自分に向いた事を確認してから、驚くほど大きな声で話し始めた。
「皆様、ようこそお越しくださいました。
私は今回の説明会で”立会人”を務めさせていただきます、”アクリラ物理学部”のへミットという者です」
そう言ってへミット学部長はペコリと頭を下げる。
「皆様が長話を求めておられないのは理解しておりますので、さっそく・・・スコット君! 壇上へ!」
へミット学部長がそう言うと、横の舞台袖からスコット先生が現れた。
これが演劇や何かのセレモニーならば、きっと客席から割れんばかりの拍手が巻き起こっただろう。
だが会場は異様なほど静かで、出席者達の目は驚くほど冷めたものだった。
それでもスコット先生は物怖じすることなく、舞台の中央に置かれた机の上に資料をドサリと置いて広げると、ヘミット学部長と同様の不思議と響く声で話し始めた。
「ご紹介に預かりました、スコットです。
今日は私が発表した”魔力による星の動きの変化と、その割合”の説明会にお越しくださり、誠に感謝します」
そう言うとスコット先生は客席に向かって深く一礼した。
だがそれに対して戻ってきたのは、まばらな乾いた拍手が少しだけ。
これなら無い方がマシなくらいだ。
それでもモニカはスコット先生にエールを贈るために手を叩き、俺も心の中で頑張れと声援を送った。
俺達がひと目でわかるほど強いスコット先生ならば、これできっと伝わるだろう。
説明会はまず、論文の内容についての説明と、スコット先生が論文で使ったデータの説明から始まった。
だが予想通りというか、ある意味で予想以上というか・・・
「・・・フリアヤルグの値が、エイハブ天文台では0.245、リバリス天文台では0.248、となっているので、この式では0.2465として・・・・メルカバルシの公式にヘリトすれば、フリアムルスの値が、エルシの2.05倍になるので・・・・ペイヤングキットが・・・」
全然意味が分からん。
というか専門用語多すぎて、翻訳機能が半分機能していなかった。
なんとなーく、うっすらと”計算みたいなことやってるなー”的なことは分かるのだが、それが何なのか、どういう意味があるのかは全く分からないのだ。
当然モニカも理解しているはずもなく、今は久々に狩人モード用の”待ち伏せモード”に頭を切り替えてこの”苦行”を乗り切ろうと、ただ心を無にしている。
ただ俺達の心配に反して客席からのアクションはなかった。
どうやら”説明”の内は黙って聞いているようだ。
だが彼らは俺達と違って目が死んではいない。
いやむしろ獲物を睨む肉食獣のごとく鋭い眼光を舞台の上に送っていた。
まるでスコット先生に襲い掛かる瞬間を待っているかのように。
そして、それは突然始まった。
「それでフリア定数を”2”とするのは、論理の飛躍じゃないですか?」
若い研究者が放ったその言葉を口火に、スコット先生に対する”猛攻”が始まったのだ。
「データの数が少なすぎる!!」
「ストラス天文台の値では!!」
口々に論理の破綻を指摘し、スコット先生がそれに対して説明を加えていく。
だがこの巨大な会場は先ほどまでの静かな雰囲気は完全に消えてなくなり、大音響の怒号が集中砲火のように舞台上のスコット先生に殺到した。
「それは根拠にはならない!!!」
彼等が指摘したのは、魔力が星の動きに与える影響を計算するための値の一つ。
それでも大筋では”あっている”という認識なのだ。
だがそれをスコット先生は、自分の論文で”断定”してしまった。
大きな”正解”の中の小さな”綻び”。
恐らく彼らも素人に説明するときは、その定数で出した答えと同じものを説明するのだろう。
だが、この場でそれは許されない。
「その説明では、その星は今頃別のところを飛んでいる」
客席の最前列に座っていた貫禄のある学者がそう言うと、流れは完全に終息に向かう。
それにスコット先生自身もこの論文の穴に感づいていたようで、応じる声の勢いも段々と弱いものに変わっていった。
◇
2時間後、全ての指摘が終わったところで満を持してヘミット学部長が壇上に登る。
「・・・ということで、スコット君の”魔力による星の動きの変化と、その割合”は、その内容を認められはしないものの、論文自体は有効とし、補足する場合、否定する場合、さらに追加する場合は、その都度論文の形式で発表を行い、”ノア”にその旨を伝えることとする」
そう言い終わると、客席から一斉に割れんばかりの拍手が巻き起こり、1分ほどの間それが続いたかと思うと、参加者たちが少しずつ席を立ち始めた。
「・・・終わった?」
『たぶん・・・終わった』
その内容や流れを理解していない俺達は、ただ会場を漠然と眺めているしかない。
だが、先ほどまですさまじい熱さでもってスコット先生に大声をあげていた者たちが、揃って拍手を送っているのは不思議な光景だった。
「・・・純粋なんだ」
『モニカ?』
「ここの人達・・・みんな純粋、”敵”も”味方”も持ってない」
モニカの感情はとても奇妙な物を見たといったものだった。
◇
学者たちの去った会場は驚くほどガランとしたものだ。
先ほどまでの熱気はどこへやら、今残っているのは、久々に会った旧友と現在行っている研究の話に花を咲かせるのに夢中な者と、手元の資料に激しく何かを書き込む者がまばらにいるだけだ。
そして舞台のすぐ目の前の席には、いつも纏ってる謎の覇気を失ったスコット先生が、疲れたように座っていた。
その隣の席にモニカが、ゆっくりと腰を下ろす。
「ありがとう・・・」
スコット先生がそう呟いた。
「見たくて来ただけ」
「今日、来てくれたことじゃないさ・・・」
「・・・?」
「この論文だが、本来ならこんな大きなところで取り上げられる事はなかったんだ」
なんのことだろうか?
「ただの数ある、出来損ないの論文として日陰でひっそりと忘れ去られればいいと思ってた。 こんな”ノア”なんかで発表して大事になるなんて夢にも思ってなかった」
「でも発表したんでしょ?」
「君のためにな」
「?」
俺達のため?
論文の発表と俺達になんの関係があるのだろうか。
「君を受け入れるために、私に”功績”が必要だった。 だから校長とスリード女史は私の論文を分不相応なところに掲載して条件を満たしたんだ」
「!?」
俺達の中に深い衝撃が走る。
まさか自分達の居場所にそんな”犠牲”が払われていたなんて、夢にも思わなかったのだ。
「ここに来るまでは、この事は死ぬまで黙ってるつもりだった。 君達に、自分のせいで私が苦労した、なんて負担をかけたくなかったからね」
「でも・・・」
「準備してるときは辛かったさ、だがいざ”ここ”に立ってみれば、感謝しかなかった」
「感謝?」
「ああそうさ。 ここに立つ快感、ここで発表できた達成感、・・・そしてここに来なければ、自分の論文の真の評価も分からず仕舞いだっただろう。 それに・・・」
スコット先生がそこで俺達の頭の上に手を置き、くしゃくしゃと力強く撫でる。
「生徒を1人、死の淵から救えた。 感謝しかない」
そう言ったスコット先生の表情は、いつもの疲れた老人のようなものでは無く、優しいものになっていた。
そして俺達の中にも安心感とスコット先生に対する感謝の気持ちが、ゆっくりと大きくなるのを感じた。
だがそれと同時にモニカから、大きな”謎”が膨らんできた。
何かを考えているようだ。
「勝ったの?」
モニカがスコット先生にそう聞いた。
そういえば”論文の真の評価が分かった”と言っていたな、その言い方からして予想外の結果が出たことになる。
「勝負ではない・・・が、まあ勝ったようなものだ」
『あれ? 勝ったの?』
てっきり負けたものだとばかり・・・説明会自体は最後までボコボコにされていたようにしか見えなかったのに。
「勝ったんですか?」
俺達が意外そうな顔をすると、スコット先生が力なく笑った。
「気分的には惨敗もいいところだけどな、1万の鍛えた戦士を相手にした方がまだマシなくらいだ。
だがまあ・・・私の論は通せた。 驚いたことにな」
「驚いた・・・?」
モニカの眉間に皺が寄る。
「私は自分の論が不完全だと思ってた、だが不完全だと思ってた理由のデータが間違いだったのだ」
「つまり・・・合ってたの?」
モニカがそう聞くとスコット先生がこちらの目を見て頭を横に振った。
「いや、合ってるかどうか”わからない”ということになった」
「”わからない”って・・・そんなんでいいの?」
「ああそうさ、”わからない”ってことが”わかった”訳だからな、これでも大進歩だ」
モニカの頭が今日何度目かの”?”で埋まるのを俺は感じた。
こういうのも”無知の知”というのか・・・いや違うな、そんな次元の話ではない。
ただ単に、この場の誰も納得することもなかったし、納得させるだけの物も持っていなかっただけの話だ。
「どうやったら分かるの?」
だがモニカはスコット先生にそう聞き、それを聞いたスコット先生は軽く驚いたような表情をした。
「・・・君は研究者向きかもしれないな」
「そう?」
「ああ、研究者に一番大切なのは、”どうやれば分かるか” を知ろうとすることだからね、それさえ分かれば後は実行するだけだ」
スコット先生がそう言って自嘲気味に笑う。
だが、モニカは目の前の”謎”が気になって仕方ないようだ。
「それで、どうやったら分かるの?」
「そうだな・・・今回問題になったのは、データにノイズが多いということだ」
「ノイズ?」
「”ブレ”だ。 測るたびに結果が変わり、それのせいで何が何だかよく分からん」
「どうやったら、ノイズは減らせるの?」
するとスコット先生が上を向き、モニカがそれにつられて上を向いた。
視界には会場の恐ろしく高い天井が見えている。
「ノイズの殆どは空気だ、つまりそれの少ないところに行けばいい」
「高いところとか?」
モニカがそう聞き返すと、スコット先生の顔が感心したものになる。
「よく知ってるな」
「飛んでるときに・・・ロンが教えてくれました」
モニカが周囲を気にしながら俺の名前を出した。
まだ会場内には何人か残っている。
だが他の学者と熱心に何かを議論しているのでこちらには関心がない。
「そう・・・高いところに行けば空気が薄くなり精度は上がる・・・つまり高ければ高いほどいい」
「山の上とか?」
「そうだな、高い山の天文台のデータは良い、だがそれでも足りない」
「足りないの?」
「ああそうだ・・・もっと高く・・・もっと空気の薄いところ・・・人の身ではいけないような所で・・・」
それは夢だった。
決して叶うことがないことも、挑戦すらできないことも悟った夢、だけど諦めることは出来ない夢。
「そんな場所で私は星を眺めていたい」
スコット先生のその声は、まるで恋焦がれた人を求めるかのように、切実で純粋だった。
そしてモニカもその目線を追うように、会場の天井を見つめる。
そこにはまるでスコット先生の夢を阻む壁であるかのように、分厚い天井があるだけだった。
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