2-2【学生生活 1:~朝稽古~】


 朝日が西の山を赤く染める直前。

 まだ辺りが静まり、澄んだ透明な空気が覆い尽くしていた頃、

 まだ人の動きのない東山の”知恵の坂”で、それでもわずかに動く者たちはいた。



「ふー・・・」


 ドシリ・・・


 気合を入れながらゆっくりと右足を地面に踏みつける。

 そしてその右足が、薄い土の層の向こうにある”木苺の館”の土台の木の感触を捉えると、今度は反対側の左足を同じように地面に踏みつけた。


『だいぶこなれてきたな』


 俺がその様子を見て感想を述べる。

 そしてモニカは俺に感情だけで返答を述べると、また右足を上げた。

 その様子は外から見ればさながら相撲取りの”四股踏み”の様であろう。

 だがその踏み込まれる一歩一歩が、小柄なモニカの体からは想像できないほど大きな力を持って踏まれていた。

 それもその筈、モニカの体を大量の魔力が満たしていたのだ。


 これがここ最近の日課だった。

 朝の涼しさの中だというのに、もう既に下着姿のモニカの体には薄っすらと汗が覆い、全身の筋肉が熱を持っている。

 実は先程まで数分ほど、”練習用”の棒を振り回していたのだ。

 これはウォームアップと体の調子の確認、

 そしてこれからすること・・・・への対策として、体を早く動かす練習を兼ねている。


 そして俺達の準備が整ったところで、”対戦相手”が姿を表した。


「キュルル・・・」


 どうやら向こうも体は出来上がっているらしい。

 厩の中から現れた3mの体躯の荒牛ロメオは油断なくこちらを睨みながら、ゆっくりと正面に移動してきた。

 そして俺達も同様にゆっくりと相手を睨みながら、その場に腰を落とす。


 定位置に付いた”2人の力士”はお互いを油断なく睨みながら、静かに気を高めていく。

 それに伴ってお互いの体から発生した熱で蒸発した汗が、朝の冷たい空気に触れてキラキラ輝きながらオーラのように立ち上っていった。

 俺達のすぐ横には、いつの間にかベスが飼ってるフクロウのサティが止まり俺達を行司のように見下ろす。

 それを合図に俺達が”構え”を作り、


 そして、


「ホウッ!」


 サティが短く一鳴きすると、その瞬間モニカの脳が何かの信号を発し、それを俺が掴んで適切な箇所に振り分ける。

 まずは腰、次に臀部から大腿部にかけて順番に”作動”し、膝を超えて脛、そして最新の注意を払って足首を稼働させながら、すべての力をつま先に伝える。

 ここまでの動きは、ほぼ俺の担当だ。

 そして弾き出されたモニカの体は恐るべき速度で前に進むと、モニカが力の抜けた上半身を柔らかく動かしながら、柔軟に次の衝撃に備える。

 

 俺達の体をどちらが主体を持って動かすかは、その時の”気分”だ。

 状況に応じるのか、現状に合わせるのか、

 最初に思いついた方が実行しもう片方がそれを助ける。

 一方、目の前の暴れ牛も、もう既に体を起こしてこちらに向かって突っ込んできていた。

 いつの間にかかなり筋肉が目立つようになり、そこから生み出される速度は俺達と遜色がない。


 俺達の上半身とロメオの頭が接触した瞬間に発生した衝撃は、今前までの俺達なら痛みに呻いていただろう。

 だが今では適切に調整された身体強化でしっかりと受けきり、己の体だけで自分の体の何倍もあるロメオの突進を食い止めていた。


 俺達の押し合いは全く動かない。

 そういう”ルール”だからだ。


 ロメオが一気に押し込みにかかるのを封じ込め、暴れるのを上手に往なす。

 体の大きな牛が精一杯暴れているのにも関わらず、ぶつかり合った地点は微動だにしていなかった。

 この相撲は単純な押し合いではない。

 もし筋肉だけでの相撲なら、俺達に勝ち目はないし、筋力強化ありならロメオに勝ち目がないからだ。

 それでは”趣旨”にも反する。

 なので組み合った状態から1分動かなければ俺達の勝ち、動けばロメオに勝ちというルールになっていた。

 判定はサティだ。

 彼はフクロウだが木苺の館の住人の中で一番”聡明”且つ”誠実”で、しかも目がいいので一番信頼がおけるのだ。


 状況を動かすためにロメオが首を大きく傾ける。

 勝負には影響しないので、これには反応しない。

 問題はその次だ。

 態勢を変えたということは力の向きを大きく変える準備をしているということ。

 そして予想通り、突然力の向きが変わり俺達の小さな体に捻じれる様な力がかかる。

 これは以前ならあえて・・・受けなかったタイプの力だ。

 力だけなら筋力強化でどうにでもなるが、モニカの細い足でこんな強力で歪な力を受ければポッキリ折れてもおかしくない。

 なので無意識に受けていなかったのだ。


 だが今ではこの程度の力は余裕をもって対処が可能。

 しっかりと思考加速で状況を判断し、必要分だけ身体強化を施して強度を確保し、筋力強化で無駄なく受けきる。

 ロメオの首を労わる配慮までする余裕があった。

 そして暴れ牛の行動を全て押さえていると、サティがまた「ホウ」と鳴いて時間の終了を知らせてくれた。


「おっし!!」


 モニカが嬉しそうにそう言ってロメオの背中をポンポンと叩くと、対戦相手ロメオは少し悔しそうに力を抜いて俺達の胸から顔を上げた。

 その様子は少し不機嫌そうだ。

 こいつなりに勝敗についてある程度理解しているようで、今の勝負が俺達の勝ちであることを悟って不満なのだ。

 ちなみに勝率は7割方ロメオ優勢である。

 ロメオはどんどん力が強くなっていくし、緩急や捻りなどの小技も使えて有利なのだ。


 ロメオが気合を入れて鼻先を俺達に擦り付けてきた。

 次の一戦に備えて燃料補給ということらしい。

 そういえば、こいつは漂ってる魔力とかを食って生きてる生き物なので、魔法士の体に密着できる相撲って、ある意味で食事でもあるんだよな。

 こいつが相撲にハマってる理由が見えてきた。

 栄養補給と筋トレを同時にできるとか、意外と強キャラかもしれない。 

 ここまでくると相手の魔力を食べる特性が相手の体の中まで届かないのが、玉に瑕に感じる。

 まあドレインできても、それはそれで困るんだけどね。


「んんっ・・!!!」


 モニカが腕を上にあげて思いっきり体を伸ばす。

 ものすごい負荷がかかっていたせいか、なんとなく縮んでしまったような気がしたのだ。


 そして再びロメオに目線を送ると、俺達は完全に夜が明けるまで取っ組み合った。

 なお、その後の勝敗表は俺達の5連敗である。

 最初の一戦で気合の入ったロメオが本気で勝ちに来た。

 どうやら全力で押してる状態から、一気に”引く”と結構簡単に勝てることに気付かれたようだ。


「まけたああ!!」


 モニカが悔しそうに言いながら、庭の地面に倒れこんで悔しそうにジタバタする。

 そして少し先では勝ったロメオが嬉しそうに小躍りしていて、そんな俺達の様子を一番”大人”なサティが冷ややかな目で見守っていた。

 ちなみに俺はどっちが勝ってもそれなりにうれしい。

 全力ではない状態で身体強化を柔軟に使うのが本題なわけで、別に勝敗でどうにかなるもんでもないのだ。

 それに最近荒っぽくなってきたロメオのストレスを発散させるのにも効率が良いし、彼自身も”2.0”での強化プランに一応組み込んであるので強くなってもらう分には全然よかった。


『よし! モニカ、最後に”あれ”やっておこうか』

「あ・・・うん」


 俺の提案に、モニカが少々嫌そうに頷いた。

 どうやら昨日の”失敗”がまだ響いているようだ。

 だが”2.0”への”実験”は俺としては最優先課題なので、一度の失敗で諦めるわけにはいかない。


「ロメオー」

「キュル?」


 モニカが呼びかけると、喜んでいたロメオがこちらを向いた。


「おいでー」

「キュル」


 モニカが少々嫌そうに手を叩いて合図を送ると、それに気が付いたロメオが何事かとこちらによってきた。

 そして十分に近寄ったところで、モニカがロメオの首に腕を回す。

 首は神経や大きな血管まで近いので、この実験には都合がいい。

 将来的にはこの辺は改善したいが、今はまず”掴む”事が重要なので仕方ない。


『それじゃ、いくぞ二人とも』

「うん・・・」

「キュル!」


 俺がモニカの各種感覚にアクセスし、その中からロメオに関するものを引っ張り出す。

 すぐに俺の管理画面に、ロメオのバイタルに関する項目が現れた。

 ここまでは昨日やって試してあるので早い。

 目的は”その先”だ。

 俺がモニカの魔力を操作して、ロメオの中に感覚を染み込ませていく。

 この実験は、他の個体でも身体強化が可能かというもの。

 もし可能であればロメオの力が一気に魔獣クラスに格上げだ、試さない手はない。


 モニカの呼吸が無意識にロメオの物に合わせてペースが変わる。

 彼女なりに少しでもノイズを減らそうとしてくれているのだ。

 その甲斐あってか、俺は昨日よりも正確にロメオの”体”にアクセスできた。

 あとは彼の中の生体魔力網をちょいちょいっと弄って、筋肉につなげていく。


 この作業で思い知らされたが、ロメオのように体が大きくて魔力を食いまくっている者でさえ持っている魔力はかなり少ない。

 普段全く残量を気にしない、というかあまりに多すぎて減るところを殆ど見れないモニカの魔力とは大違いである。

 なので使うときは使用量を気にしないといけない。

 いつもと同じような感覚で垂れ流すと目に見えて減ってしまう。

 そしてそのわずかに見える魔力を、ロメオの筋肉に流していくと・・・・


「ちょっと!!!」

「え!?」


 突然、横からかけられた声に慌てて制御を打ち切る。

 間一髪、なんとかロメオの中の魔力を大人しくさせることに成功した。

 昨日はこれの暴走で酷い目にあったばかりなのだ。

 

 ようやく収まったところで、モニカが声のする方に顔を向けると、そこにはあからさまに不機嫌そうな表情の高等部の先輩が、隣の家の庭に立ってこちらを見ているところだった。

 

「”それ” 迷惑なんだけど!」


 その先輩が、そう言って彼女の家の庭の一角を示す。

 そこには、これまた不満そうに外で眠る”羽の生えた馬ペガサス”と、外で眠る原因となった大穴の開いた厩が・・・


 ちなみにあの穴は昨日俺達が空けた。

 ロメオの筋力強化をミスってあそこまで吹き飛ばされたのだ。 


「あ、ごめんなさい!」

「押し合いするのは別にいいけど、吹き飛ばす奴は別のところでやってよね」

「は、はい!!」


 モニカが恥ずかしそうに必死に謝る。

 昨日の朝に大音量で起こしてしまっただけに、立つ瀬がない。

 これはもうここでは出来ないか。


 隣の先輩はモニカにそれ以上の”実験”を行う意思がないのを確認すると、眠そうに部屋の中に戻っていった。

 あの先輩はうちの姉貴ルシエラと一緒で朝が弱いタイプだ。

 だが、”脅威”に対応するためなのか、今日は結構早くから起きて外で俺たちを見守っていた。

 視覚記録を精査すれば、俺達が相撲を取っている最中から、庭先に佇んでこちらを見つめる姿が映り込んでいるのが確認できる。


 それでも相撲している最中は何も言ってこなかった。

 周りを見れば他にもポツポツと朝から庭先で何かやっている者の姿が見える。

 多くは俺達のように”朝稽古”に励んでいるが、実験の類の者も多い。

 中には全裸で踊っているものまでいる。隣の男子寮だが・・・

 とにかく、全てが自分の家の庭先に収まっている内は、何をやっても自由なのだ。


 それでも他の家に影響が出るような事はご法度である。

 彼女はそれを指摘しているのだろう。

 

「・・・実験スペースがいるね」


 モニカが静かに呟いた。


『そうだな』


 今回だけの事じゃない。

 俺達が、俺達の力を磨くにはどうしても隠れて実験が行える場所が必要になってくる。

 

「キュル?」


 ロメオが実験を始めない俺達の様子を見て、何事かと顔をこちらに向ける。

 モニカがそれを宥めるように首をポンポンと2回叩いた。


 どこかに、こいつが力いっぱい暴れられるところはないものか。


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