1-13【お受験戦争 1:~最後の日~】



 モニカ達がヴェレスの街に入る数日前。


 ”マグヌス”から2つほど国境を超えた先にある”エレシア公国”で・・・


 そこは特に何かに秀でたところもない、平凡な小国だった。


 そしてその何処にでもあるような国の、さらに何処にもあるような何の変哲もない農村の、そのまた何処にでもあるような小さな丘の上にその家はあった。

 中の住人にもおかしなところはない。

 一見するだけでは、何処にでもいる農民の家庭といえた。


 既に日は落ちて、あたりは暗い。

 街と違い平凡な農村であるこの村の住民にとっては、それは後は家に帰って寝るだけということを示していた。


 なのでこの家もその多分に漏れず、家人は帰宅して夕食の支度をしている最中だった。


 家の主人が数人の子供達をあやしている隣の炊事場で、妻が野菜を切っているトントンという小気味いい音が家の中に響く。


 これもいつもの音だったはずだが、だからこそ、その音の中に主人がその音の中に別の”トントン”という音が混じっていることに大きな違和感を感じた。


 何事かと少しの間、頭を動かして周囲を探ると、すぐにそれが誰かが扉を叩く音だとわかる。

 

 いったい、こんな時間に誰だろうか?


 主人はそんなことを考えながら立ち上がり、扉へと向かった。


「誰ですか?」


 主人が外に向かって誰何しながら、扉を開ける。


 すると玄関の前には、見たことのない小柄な男性が立っていた。

 全身に地味な黒いローブを纏い、顔を隠すように布で覆っている。


「アダン・デュポン?」


 男は短くそう聞いてきて、その瞬間、主人の目が鋭いものに変わる。


「・・・そんな、名前だったこともあります・・・」


 主人はその問を否定しなかった。

 そしてそれを見た男は続けて、


「・・・あなたの”妹”の件で話があります・・・」


 と話した。

 するとアダンと呼ばれたこの家の主人の表情がさらに険しいものになる。


「・・・マリオンが? どういうことです?」

「あなたー! 誰か来てるの?」


 主人の言葉と同時に、家の奥から妻が大声で何事かと問われる。

 

 それに対して、この家の主人は何も答えず、鋭い目で男を睨むだけだった。


「・・・あんた、誰だ?」


 主人はあえて目の前の男にしか聞こえない声で聞いた。


 すると謎の男はまるでそれが答えであるかのように、顔を覆っていた布に手を当ててそれを外す。


 そしてその布の下の顔を見た主人が驚愕してその場で固まってしまった。 


「・・・なんだ!? それは・・・」


 それは人の顔ではなかったのだ。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 ヴェレスの宿屋にて。



 いきなりで申し訳ないが、この世界の住人は風呂好きだ。




 魔法や魔道具が充実しているおかげで、水資源もそれを沸かすエネルギーも敷居が低く、悪魔や精霊がその辺をうろついている世界なので、水に悪魔が宿っているとなどと云う迷信もない。


 誰に遠慮することもなく水を沸かして溜め、その中にドボンと浸かる。

 そこになんの躊躇もない。


 むしろモニカの警戒っぷりが少し浮くくらいなのだ。


 流石に一般人の家に装備はされてはいないが、特に温泉が湧いているわけでもない街であっても、巨大な湯船を備えた風呂屋がいくつも軒を連ね、少なくとも一週間に一度は入りに来る、風呂屋文化だった。


 俺達は特に風呂好きなルシエラが一緒なので、街に泊まるときはほぼ必ず入っている。


 そして俺達が泊まるこの宿もそうだが、宿屋も大きな風呂を売り文句にしているところが多い。

 むしろピスキアなどの温泉の街のほうが温泉と宿屋が別れていて、宿屋の風呂の装備率は低いくらいなのだ。


 そして風呂に入る理由も衛生目的はどちらかというと”ついで”で、単純に暖かいお湯に浸かりたいだけという”娯楽目的”が主な物だった。


 実はそのへんの店で普通に体を洗う魔道具が売っていて、さらに風呂屋でも借りられるので基本的にみんな清潔なのだ。


 流石にモニカが持っている”洗浄用”フロウは体に沿って変形するなど、頭一つ抜けて高性能で羨ましがられることも多いが、別段悪目立ちはしていない。


 そんな訳で俺達は現在、泊まっている宿屋の風呂に入っている。


 最初は見知らぬ大勢の前で無防備な格好になるのを嫌がったモニカも、それを面白がったルシエラに半ば無理やりひん剥かれているうちに慣れてしまっていた。


 ところで、人というのは服を着ていると、案外いろんな体の特徴が隠れるもので、ここではそういったものがあらためて見えたりする。


 もちろんそれは隣で気持ちよさそうにしているルシエラのナイスバディっぷりが、温められたおかげで僅かに上気して、艶めかしさがかなり凶悪なレベルになっているとかではない。


 ・・・いや、それもあるか。


 この宿屋は冒険者などを相手にしているので、みんな引き締まった良い体をしている。

 モニカもお腹を触れば薄っすらと腹筋が割れているのが分かるし、ルシエラも柔らかい肌の下には鋼みたいな筋肉が仕込まれている。

 それでいてアクリラが近いこともあってか、魔法士の割合が高く筋肉ダルマ率は低い。

 平均年齢も若いので、早い話が美女天国なのだ。


 おっと、まずい。

 意識を逸らさねば。


 どこを見るかは操作できないので、好奇心旺盛なモニカが、周りの人の際どいところをガン見しても、なんとか資料などで視界を覆うしか対抗手段がないのだ。

 それでもデータ屋の宿命か、隠しても認識できてしまうから完全に遮断することは不可能だった。


 ええい、俺の感情はモニカに届く、モニカを中身おっさんの色魔にしたくなければ、煩悩を棄てよ!


 そう自分に言い聞かせて、俺はこの生き地獄天国の中で戦っていた。


 話を戻そう。


 たしか、人の隠れた特徴だったか。 

 それは例えばルシエラであれば、実は首元やお尻の上あたりに小さなウロコのようなものが付いている、といった様な話だ。


 他にも全身が毛深いとか、妙に足の指が発達してるとか、爬虫類みたいな肌の人もいて肌の質感だけでも凄まじく多種多様だ。

 あと、ウロコ持ちが結構多い。

 ルシエラのようにわずかだけ付いている人もいれば、まるで下着のように広範囲を覆っている者もいる。


 そしてそういった人の割合は南に行くほど多くなり、この街で急激で増えていた。

 ここではむしろモニカの様に完全にプレーン・・・・・な体の人の方が少数派だ。


 おそらく他の国が近いことや、人外魔境と呼ばれる街アクリラと離接することが大きな理由だろう。 

 ここで肌の色の違いごときでどうこう言っている世界の話なんてしたら確実に笑い飛ばされる。


 今も、2人で笑いながら駆け抜けていった姉妹は、耳が完全に所謂ネコミミ状で、お尻からは尻尾が生え脚の形も違っていた。


「ねえ、あれって獣人?」


 初めて見たモニカが興奮気味にルシエラに聞く。


「・・ふぇ? あぁ・・・そうよ、でも、あんまりジロジロ見るのはやめなさい、喧嘩をふっかけられるわよ・・・」


 そう言ってルシエラは肩まで浸かり、気持ちよさそうに目を閉じながら続けた。


「・・・それにここで驚いてたら、アクリラじゃ腰抜かすわ」

「そうなの?」


「ええ、こっち側の国には基本的に人の形・・・してる人しか来ないから・・・」


 え? ってことはアクリラの風呂屋には人の形してないのもいるってことか?

 そういやスリード先生は手配書だと人の部分も付いてるけど、下半身は蜘蛛だって話だっけ・・・


 俺は巨大な湯船に気持ちよさそうに浸かる巨大な蜘蛛の姿を想像する。

 それは恐ろしいくらい奇妙な光景だった。


 そして、そのイメージではなぜだかロメオも一緒に入っていて、シュールさが強調されていた。



 まあ、今はそれよりも、


『ルシエラも言ってるし、あんまり人の体をジロジロ見るのはやめようぜ』


 これ幸いとばかりに俺がモニカにそう言う。

 流石に、そろそろ俺の理性がキツくなってきた。


「・・・うん」


 だがモニカは口ではそう答えるものの、その目は依然として、巨乳なのに髭が生えているおっさんみたいな顔のドワーフの母子に注がれていた。


 それにしても本当にドワーフの女性って髭が生えるんだな・・・

 隣をウロチョロする殺人的に可愛い子供とのギャップが恐ろしい。


 ところでさっきから時々、ルシエラの目が鋭く動くことがある。


 そしてその時にまるで確認するように隠蔽魔法をかけなおすので、ひょっとすると知った顔でも混ざっているのかもしれない。


 一応、隠蔽魔法の効果はあるようだが、どこまで効いているのかちょっと気になるところだ。



※※※※※※※※※



 その頃、ヴェレスの街は少しずつ状況を変えていた。

 

 まだ街を行き交う人にその兆候は見られないものの、一歩町の外に出てみると、門のすぐ側の馬車ターミナル等では既に混乱が起き始め、地元の警備隊の隊員たちが国境警備の為に配備されていた国の軍隊によって街の外に追い出されていた。


 更に、それと入れ替わるように見たこともない風貌の、顔を隠した集団が次々に街の中に入り込んでいく。


 そして追い出された警備隊は、”配置先”とされた街から離れた場所で、街を囲むように置かれた大戦力に驚愕した。


 それは見たことのない大型のゴーレム部隊だったのだ。


 警備隊に配備されている量産型の警備用ゴーレムはもちろん、国の軍隊が持っている戦闘用ゴーレムとも違うその異様に、それを見た全員が言葉を失った。


 昨日までその姿も形も見えなかったのに、いつの間にかヴェレスの街は包囲されていたのだ。



 そしてその行動を指揮する者たちがその喧騒に紛れて街の中へと入っていく。


 それは、国の対策が別のレベルに上がったことを示していた。



「✼❑¥∆⊠」

「包囲は完了したそうよ」


 この部隊の名目上・・・・のリーダーである”黒舌のジーン”が、横を歩く通信装置を装備した騎士型ナイトゴーレムから得た情報を、人間・・・の関係者へと素早く伝える。


「これで、明日の昼には我々の任務は終了か、ちゃんと機能するんだろうな?」


 その報告を聞いた国防局の監査官のボルドが悪態をつくようにそう言った。

 本来ならば軽薄な彼も今は緊張が顔に出ていた。


 ここまで大掛かりな”極秘作戦”は初めてなのだ。


「≸⊿∏∞♢∀⇧≶⋚⋢」

「あなたの働きに感謝してるって」


「全く、街一つ一日止めるのにどれほどの手続きが必要か、本当に理解しているのか?」

「これは私の意見だけれど、まさかあなたの”上司”に、ここまで動く度胸があるとは思わなかったわ」


 ボルドのその言葉に、ジーンが皮肉交じりにそう答える。


「アクリラの周りの街に網を張るのまでは良かったが、もうあとはない・・・」


 この包囲は目標がアクリラの生徒に連れられているという情報から、ゴーレム達がアクリラの周辺の街にて待ち伏せを行うのが最適と判断しての行動だった。


 相手はこちらの索敵方法を的確に推察し、それにノイズをかけるためにあえて人口密集地を行く方法に出たので、それまでの方法では追いかけられなくなっていた。


 だがそのノイズも、ノイズがかかることが分かっていて、その場所がある程度絞り込めれば今いる人口密集地の特定くらいは可能だった。


 だからゴーレム達はあえて追いかけることを捨て、最も候補を絞りこめる、必ず通るであろうアクリラの周辺の街で待ち伏せを行う手段に出たのだった。


 これなら懸案だった川渡りも、最初から追いかけなければ見つからない渡河ポイントを選んで最短で通ることもできる。

 

 そして実際にその作戦は成功し、観測データからこの街のどこかに目標が潜んでいるところまでは確定した。


 あとは包囲を狭め、狩り出すだけだ。


 だがそれにはどうしてもある程度目立つ行動が必要だ。


 極秘作戦である以上それは許されないものだと予想したが、意外にもこの作戦を申請したとき、クライアントは出来る限りの情報隠蔽を行うことを条件に、大々的に動くことを了承した。


 全てを闇の中に葬りたいと思っている連中も、流石に崖っぷちアクリラまであと一歩まで近づかれるしか手段がないとなれば、腹を括らねばならないということか。


「確実に仕留めるように、こいつら・・・・・に言っておけ」


 ボルドがこの集団の先頭を歩くゴーレムへ視線を向けながらジーンにそう言う。


 するとその瞬間その先頭のゴーレムがその場で立ち止まり、首を回してまるでギロリと睨むように表情のない目でボルドを見た。


∀✼❑∏⋚うろたえるな


 まるで命令するように短くそう注意すると、再び正面を向いて歩きだす。

 一方、すっかりこのゴーレムに苦手意識を持ってしまったボルドは、何を言っているかは理解できなくともその言葉にその場を動けなくなってしまう。


 そこに、この部隊の名目上の影・・・・・・・のリーダーの面影はなかった。


「グレイ・・・こいつ・・・絶対、俺達の言葉分かってるんじゃ・・・・」

「俺もそう思うぞウェイド、最近姉さん抜きで言葉を理解しすぎだ・・・」


「あんた達、すこし黙ってなさい」


 隊列の後ろからかかった疑惑の声を、ジーンが一喝する。


 そして事実上・・・・のリーダーに連れられた隊列は、まだ何も知らない街の中へと溶け込んでいった。




※※※※※※※※※※※※※




 翌朝、まだ夜が明けきっていない時間に俺達は目を覚ました。


 

「・・・起きた」


 まるで世界に宣言するかのように短くそう言うと、被っていた薄い毛布を吹き飛ばすようにガバッと上体を起こす。


 いつもならゆっくりと動き出すモニカも、今日だけは特別だ。

 モニカは寝ている間であっても夜明けを待ち切れないように薄っすらと興奮していた。


『おはよう、モニカ、やっぱり気合入ってるな』

「もちろん」


 俺の言葉に対してモニカが当たり前のようにそう答える。


「今日だよね」


 そしてまるで世界に聞くようにそう呟いた。


『順調にいけばな』


 そう、今日だ。


 そう、今日なのだ。


 もし何事もなければ、今日俺達が乗る予定の高速馬車は夕方にはアクリラに到着する。

 

 もちろん今日着こうと思えば早朝に発車する馬車でなければいけないが、モニカの目は既にこれ以上無いくらい開いてるので問題はない。


 隣で寝ているルシエラが完全に熟睡中なのが少し気になるが、モニカが気合を入れて立ち向かったのできっと間に合うはずだ。

 いくら世界の理のように眠りが深い彼女でも、”砲撃”まで使う気満々のモニカが本気でかかれば何とかなるに違いない、


 つまり早朝発の高速馬車にはなんとか乗れる。


 と、いうことはだ。



 今日、俺達の旅が終わる。

 


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