1-12【南へ! 4:~コイロス・アグイス~】



 馬車の中に悲鳴が響き渡り、多くの者が少しでも”そいつ”から距離を取ろうと車両の後ろ側に殺到する。


 だが誰も外には出ようとはしない。

 皆この巨大な馬車の中から逃げたくないのだろう。

 

 そしてその混乱の元凶は、今もその沢山の瞳を全てこちらに向けながら、ゆっくりと近寄って来ていた。


 だが一気に飛びかかろうとはしない。

 今も、200mほど離れた丘の上でゆっくりとこちらを睨んでいた。


 何がそうさせるのかまではハッキリとはしないが、ある程度こちらを警戒しているらしい。


「こりゃぁ・・・・結構大物が出てきたわね」


 俺達の横でルシエラが呟く。


「・・・大物?」

 

 モニカが問いただす。

 その表情は既に”狩人モード”に変わっていた。


「あれはたぶん、この辺で時々発生する亜ヒドラの一種、”コイロス・アグイス”だと思う、アクリラで時々話には聞いていたわ・・・でも、あの大きさだとCランク上位くらいはあるんじゃないの?」


 Cランクってことは・・・・


「魔獣?」

「魔獣化以外に蛇があんなに大きくなることはないわ」


 そりゃそうか・・・

 ところでヒドラって魔獣化する前はどんな姿なんだろうか?


 おっと、今はそれどころじゃないな


 俺はピスキアで作った魔獣手配書マップを引っ張り出して確認する。

 検索対象は”ヒドラ”だ。


 すると幾つかヒットした。


『えっと、手配書が出てるのはBランクが5体、Cランクが42体、該当する可能性があるのは7体で、全部Cランクだ』


「Cランクだって」

「やっぱり」


 俺の情報をモニカがルシエラに伝え、見積もりが当たったルシエラが満足そうな顔になる。


 ただ気になるのは、該当する可能性があるとはいっても、7件とも最低でもここから街を3つほど移動しなければならないことだ。

 となると移動してきたか、未知の個体の可能性もあるわけか。


 ちなみに途中で寄った街で何度かアップデートしてるので情報は最新だ。


 あと、まだ討伐依頼ではないが情報精査中ということで、ピスキア市が推定Aランク相当のヒドラの情報に報奨金をかけてるが、これは俺達のことなのだろうからノーカンだ。


 ちょっとだけ、俺達が名乗り出たらお金が出るのか気になったが。


 しかし、困ったな・・・・どうしよう。


「ねえ、どうする?」

『どうしようか? 一番簡単なのはルシエラに頼む事なんだけどな』


 たぶん一瞬でケリがつく。

 感覚としては超巨大サイカリウスと互角だろうか?


 なんだったら俺達でもいける、Cランクとは戦ったことはないが、見た感じアウトレンジから”ロケットキャノン”でたぶん一方的に倒せる。

 

 ただ、それをしてしまうと結構目立つだろう。


「・・・でも、目立つよね?」


 どうやらモニカも同じ考えのようだ。

 そして、どうしたものかとルシエラを見る。

 

 一方ルシエラも少々困った感じに、面倒くさそうに周囲の様子を見ていた。

 

”誰か、あれを適当に片付けてくれる都合のいい人はいないかなー”


 という台詞が極太のマジックで書かれたかのような表情をしている。

 

 もし今、何もなければ彼女のことだ、きっと軽い気持ちで倒してくるだろう。

 いや、馬車の椅子に座ったまま何とかするだろう。


 俺達も一応、窓から狙撃でなんとかなりそうなのだが、流石に砲撃は無茶苦茶目立つのでもうちょっと待ちたい。


「・・・ねえ、”転送”スキルで槍落とすやつ、あれ使えない?」

『残念、今は射程外だし、槍作るスキルはモニカの体の一部が地面についてないと出来ない、それにどう考えても威力不足だ』


「・・・不便だね」

『俺達、隠密は結構苦手だからな』


 飛行にしろ砲撃にしろ、山2つ先まで響くような轟音が出る。


 ここはやはり大人しく、乗り合わせた誰かが駆除してくれるのを待つしか無いか。


「・・・あ・あ・・あの・・・・お、おきゃ・・あくさまの中に!? た、たかえる方は・・・・」


 客室の前に備え付けられた御者台に繋がる覗き窓から、御者の男が客室の中に顔を突っ込んで助けを求めてきた。


 ほら、御者の人もそう言ってるし、名乗り出るなら今だよ。

 それにしてもこの御者さん、かなり顔が青いな。


 だが残念ながら、今この馬車の中で顔色が悪くないのはモニカとルシエラだけだった。


 どうやら他に勝てると考えているのはいないらしい。 

 だがそれでも周囲の目は俺達ではなく、別の人物へと集まっていた。


「・・・・え? おれ?」


 その人物が、周囲の目線に気づいたのか、ものすごく青い顔でそう言った。

 そして、周囲の人間が無言でそれに同意する。


 それは本当にたまたま剣を持っていた、ただの少年だった。

 身長もルシエラより頭一つ低く、腕も細くはないが太くはない。


 物腰からして実はすごい剣士とか、実はバリバリの冒険者だとか、そういう感じでもない。

 剣も何処にでもある既製品のもの、どう考えたって御者のほうが強そうだ。


 だが人間、追い詰められると、単純に武器を持っている人間に助けを求める傾向にあるようだ。

 これだけ魔法が発達していて、しかもその権化たるアクリラが近くにあり、さらにそこの生徒が乗り合わせているのもかかわらずだ。


 流石に彼に任せるのは可哀想だろう。

 モニカまでそう考えたのか、助けを求めるようにルシエラを見ている。


「・・・しかたないか・・・」


 意を決したようにルシエラが立ち上がりかけたその時・・・・


「お、俺が倒してやる!!!!!」


 遂に周りからの無言の圧力に耐えかねた少年が、大声を上げて立ち上がり、客席の間の通路を走り抜けてそのまま客車から飛び出していった。

 そしてその様子を全員が無言で見送る。


 ”がんばれ” とか ”危ないぞ” とか、そんな言葉もない。

 ただ何人かは、必死に御者の方に視線を送っている。


 どうやら、あの少年を囮にしてその隙きに逃げろということらしい。


 なんてひどい・・・・なんてことは流石に思わないが、あんな少年1人、一口で食べられてしまうから時間稼ぎにもならないだろうに。

 だが御者はもう逃げる気満々で準備を始めている。


 どうしたものか・・・・なんてことを考えていたら、ルシエラにモニカの頭を掴まれて顔を寄せられる。

 

「・・・モニカ、今から言うことをよく聞いて・・・・」


 それからルシエラが幾つか俺達に指示を出し、そのまま立ち上がる。


「すいません、私も降ります!!」


 馬車の中にルシエラの澄んだ声が響き、全員の目が一瞬ルシエラに注がれる。

 その目は、”え!? なんで?” ”やめとけ” とむしろさっきの少年に向けてやれ、といった内容の物だ。

 まあ、今のルシエラは隠蔽用の田舎の少女モードなのでしかたない。


「私はアクリラの生徒で、ある程度は戦えます、私が時間を稼ぐのでその間に逃げてください!」


 その瞬間、馬車の中に安堵と不安の入り混じった感情が拡散した。

 皆、一様にルシエラと窓の外の魔獣を見比べている。


 ”アクリラ”という絶対ブランドと、外の巨大な魔獣を天秤にかけているのが嫌でも伝わってきた。


 だが、そんなものはお構いなしと、ルシエラは悠然と出口まで歩き、そのまま少年に続いて出ていってしまった。

 そしてそれを見送った乗客たちは今度こそ御者に向かって発進の合図を送り、それを受け取った御者達も今までにない速度で馬車の向きを変えようと、怯える馬たちに鞭を放った。


 そして混乱する乗客たちは、客室の中から1人の少女が消えたことなど誰も気にしてはいなかった。

 

 




「きゅるる?」


 荷台に繋がれたロメオが不思議そうな顔でこちらを見てきた。

 どうやら、荷台の壁から降りてきた俺達がおかしいらしい。


 俺達は混乱に乗じて、こっそり窓から外に出ていたのだ。


 それにしても他の馬や牛たちは魔獣の気配に混乱しているのに、こいつときたら涼しい顔だ。

 モニカとルシエラの力に自信があるのか、それともこの前の暴走した俺達で耐性が付いたのか。


 どっちにしろ大した肝っ玉だ。


 即座にモニカが駆け寄ってつながれていた手綱を解く。


『おいロメオ、降りるぞ』

「きゅる?」




「「「シューーーー・・・・・・」」」


 ヒドラの幾つも並んだ蛇の頭それぞれが放つ”シュー”という息の音がそこら中に木霊し、その強烈な存在感で目の前の少年を圧倒する。

 巨大な胴体に対して、一本一本の首の大きさはそれほどではない。

 一番巨大なものは一口で牛をたいらげてしまいそうだが、大半は人の頭と同じくらいの大きさの首がついているだけだ。


 一方それに対峙する少年は、全身がガタガタ震え、この世の終わりのような表情で剣を握りしめている。

 それはまだ成長しきっていない少年が持つにはかなり大きめの剣だったが、全長50mに迫ろうかという巨大な蛇の前では、爪楊枝と比較するのもおこがましい小ささだった。


 首の数は全部で  10・・・11・・・


 少年は15を超えたあたりで数えるのを止める。

 まだ半分も数えていないが、ウネウネと動き回るせいで分からなくなってしまった。


「くそっ・・・・・うおおおおおおお!!!!!」


 それでも、やらなければならないとばかりに少年は剣を振り上げて突撃していく。

 だが悲しいかな、ヒドラはあまりにも弱々しい少年に対して注意すら向けようとはしなかった。

 何かに魅入られたかのように、今も一心に馬車の荷台あたりを見つめている。


 だが流石に目の前に迫ってきた所で、首の一本が少年の方に注意を向けて飛びかかってきた。


「え!? あ!?」


 その突然の攻撃に対処できなかった少年はただそれを見守るしかできなかった。


 だが、次の瞬間完全に少年を捉えていた蛇の顎が空振りし、さらに一瞬で首ごと消し飛ばされた。


 ヒドラの首達に警戒の色が浮かぶ。


「少年、あまり近づかないでよ」


 後ろからルシエラが声を掛け、何かの力で後ろ向きに数十m引きずられた少年が驚いたように振り返る。

 

「え? あれ? あんた・・・なんで?」


 少年は彼女がこの場にいるのか理解できないようだ。

 更に振り向いた時に、逃げるように動き出した馬車に対して大きく驚く。


 どうやら少年は自分が囮にされたことに気付いていなかったらしい。


「それとも、あれを倒せるの?」

「あ、いや・・・」


 ルシエラの問に対して少年がそう答える。

 どうやら、注意に対して下がらなかったことを、なにか方策があるのかと勘ぐらせたようだ。

 

 そしてその間にも馬車は一気にその巨体の向きを変えて走り始める。


 少年が呆気にとられ、ルシエラが呆れた表情でそれを見送るなか、その荷台からドサリと何かが滑り落ちた。


 見ればそれは荷物を満載にしたパンテシアと、それに跨がる小さな少女だった。


「ルシ・・・ベルチャ、降りてきたよ!」


 モニカがルシエラの指示通り動いたことを報告し、ロメオの背中から飛び降りた。


 一方、馬車の方は荷台から大きな物体が落ちたのにもかかわらず止まる気配がない。

 きっと、囮が増えてラッキーくらいに考えているのだろう。


 まあ、下手に戻られたほうが都合は悪いが。


『それにしても、すごいプレッシャーだな』

「なんで、こっちばっかり見るんだろう?」


 件のヒドラは相変わらず200mほど離れた丘の上から、その巨体から見れば一口にも満たないような俺達をずっと睨んでいる。

 思い返せばあいつは現れた時から、ずっとモニカを睨んでいた。


 さらにモニカがルシエラのもとへ駆け寄ると、露骨に反応して少し後ろに下がる。


 どういうことだ?


 図体が大きな馬車や、一番手前にいる少年でもなく、一番の実力者であるルシエラでもなく、ひたすらモニカを警戒するなんて。

 考えられるとするなら、持っている魔力量だが・・・


 だがモニカは俺のおかげで漏れ出ている魔力の量は一般人とそう変わらない。

 確かにそれでもルシエラやヒドラに剣を向けている少年よりは多いだろうが、あの化物が警戒に値するほどではないはずだ。


 モニカが街中を彷徨いてもそれほど問題にならないことからわかるように、いかに魔力によって成り立っている世界といえど、漏れてもいない人の魔力を推察するのはかなり難しいのだ。


「ねえ、・・・・どうしようか?」


 モニカが走り去る馬車と、ヒドラを交互に見比べながらそう聞く。

 今のところ、ヒドラへのダメージはルシエラが弾いた首一本だけ。


 聞かれたルシエラは困ったように目の前で立ち上がって剣を構える少年に目を向ける。


 彼の前でどの程度まで目立って大丈夫か品定めしているようだ、それとまだ馬車の目があるので本格的な攻撃はしたくない。

 

 だが、ヒドラの方はこちらのそんな都合は待ってはくれないようだ。

 それまではモニカに対して警戒感が勝っていたようだが、一向に攻撃してこない俺達の様子を見て、もう一つ持っていた”怒り”の感情が勝ったのか、ヒドラが遂にこちらに向かって前進を始めた。


 流石にそうなっては隠すどころではない。


 すぐにルシエラが大型の魔法陣を展開して殲滅の準備に入る。    


 だが、


「あぶない!!!!」

「っちょ!? 今は!?」

「あ、」

『あの、バカッ!!?』


 突然、それまで青い顔で震えていた少年が、襲ってきたヒドラに何かを触発されたのか、ルシエラにタックルを噛まして強引に押し倒してしまった。


 一体何が功を奏したのか、普段なら絶対に通らないであろうその”攻撃”は、完全に虚を突かれたルシエラにクリーンヒットしてしまい、体勢を崩された彼女は展開した魔法で少年を傷つけないようにせっかくの魔法陣を消さなければならなかった。


 おそらく咄嗟に近くにいたルシエラを守ろうとしたのだろうが、ルシエラとしてはせっかくの魔法を台無しにされていい迷惑だ。


 さらに、少年が上に乗って伏せったところで巨大な魔獣から逃げられるわけではない。

 むしろ動けなくなってしまったことで、逃げ時を失ってしまった。


 これはまずいと、俺が慌ててフロウを伸ばす。


「ルシエラ!!」

『ええい、間に合え!!』


 猛スピードで2人に接近する、ヒドラと俺達のフロウの2つの細長い首。

 だがわずかだが、俺達のほうが早く到達し、2人の足に巻き付くと、勢いそのままにほぼ全力でそれを引っ張る。


 すると倒れ伏していた2人は瞬間的に弾丸のように加速して、猛烈な勢いで突っ込んできたヒドラの顎をすり抜けた。


 だがそこはヒドラ。


 飛んできた首は一本ではなかった。


『ふぎい!?』

 

 俺が変な声を出しながら、必死にフロウを操作してその首たちを避けていく。

 そして、その最後の一撃を掻い潜った直後、勢い余った俺は2人を空中で投げ出してしまった。


「あ!?」

『まずい!?』


 空中に投げ出された2人を受け止めようと慌てて別のフロウの腕を伸ばす。

 2人は既に相当高い位置まで放り投げられておりルシエラはともかく少年はそこから落ちたら只ではすまない。


 だがその心配は杞憂に終わる。


 突如、空中に青い魔法陣が展開され、その上にルシエラが静止してその場所で少年を受け止めたのだ。


「ロン! モニカ! 助かったわ!」


 空中でルシエラが俺達に向かって叫ぶ。

 どうやら、放り投げたのはお咎めなしのようだ。

 良かった。


 そして、俺の名前を呼び、モニカを本名で呼んだということは・・・


「この子、気絶してるわ!」


 ルシエラの肩に担がれた少年はだらりと脱力しており、意識はなさそうだ。

 どうやら俺に投げ飛ばされた勢いで気を失ったようだ。


 そして、モニカがサッと後を振り返る。


 そこには速度の乗った高速馬車が、遠くに小さく見えるだけだった。


 道が悪いのに全力を出しているせいかここから見て分かるほど揺れている。

 きっと中は地獄だろう、降りてきて正解だった。


 それに重要なことにあの距離ならば、大型の魔獣はともかく、それと戦う俺達の姿はほとんど見えないだろう。


 ということは今は人の目がないということか。


「モニカ、やっちゃいなさい」


 ルシエラからもGOサインが出たので、これである程度本気で戦える。


「ロン、いつもどおり・・・・・頼むよ」

『準備はできてる、好きに動け』


 俺達はそれだけ短く確認し合うと、即座に戦闘モードに移行する。

 もともと火力重視の俺達は魔獣相手はむしろ得意だ。


 ここまで、エリートだのルシエラだのといった魔法士苦手な相手との戦いでたまった鬱憤を晴らすにはちょうどいい。


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