1-11【新しい朝 3:~夜の空~】
それは奇妙な光景だった。
眼下を星たちに照らされて薄っすらと輝く雲が高速で流れていく。
今その他に見えるものといえば、目の前の少女の青く光る髪と、周囲にいくつもある謎の魔法陣、そして見上げれば吸い込まれていしまいそうになるほどの満天の星空だった。
ピスキアを飛び立った俺達は、進路を南に向けてひたすら飛行していた。
アクリラへ向かうにはまだ早いが、とりあえず今のうちに北部連合の土地は出ておきたいとのことだった。
そしてどこか目立たないところでモニカの”受験勉強”を行うらしい。
時間がもったいないので、移動は全てユリウスに乗って行い、余った時間はひたすらルシエラ先生の”鬼の講習”に当てられるそうだ。
生まれてこの方、誰かに勉強を教わったことがないモニカはそう聞いてもピンときていないようだったが、俺の方は受験勉強と聞いてどこか憂鬱な気分になっていた。
ちなみにそう言ったルシエラはモニカともども俺の目の前で寝息を立てている。
もう、すっかり遅い時間だけに仕方ないが、ユリウスは指示もなしに飛んでいるが大丈夫なんだろうか?
まあ、この竜は非常に知性豊かで、ルシエラに対して忠実なので問題はないのだろう。
あまりにも無防備なルシエラの寝姿からは、一抹の不安要素もないといった様子が漂ってくる。
ルシエラいわくあの門番ゴーレムもこの高度までは追ってこないとのことだった。
なんでも、もともと空を飛んでいるのは移動速度を上げるためだけが目的で、想定しているのは地面を移動する存在への検問がメインなんだそうだ。
そのため、基本的に雲の上を飛ぶことは出来ないらしい。
だから、この高空は未だに飛竜たちの支配域なんだとか。
なので敵なしのユリウスに乗っている限り、安全な旅が約束されている。
ちょっと気になって下を覗き込んでみれば、そこにはユリウスの右手の中で気持ちよさそうに眠るロメオの姿が見えた。
本当にこいつの適応能力には舌を巻く。
先程まで空に上げられた恐怖とロケットの急加速で狂ったみたいに暴れていたのに、今はこれだ。
むしろユリウスの強大な魔力に包まれていつもよりも幸せそうなくらいだった。
それを確認した俺は注意を再び周囲に向ける。
歳のせいかモニカがあまり夜に行動したことがないので、こうしてまじまじと夜空を眺めるのは初めてだった。
もちろん今の視界は白黒だが、星空ってのはもともとほとんど白黒っぽいので眺める分には差はわからない。
残念ながら俺の知識セットに星座の知識はほぼないので、この星空が地球のものと比べて違うのか同じなのかの判別はつかなかった。
しかし、それにしても静かだな。
本当ならば一瞬で凍りつくような低温の暴風が吹き荒れているはずだが、全くそれを感じることがない。
なんとなくの感じから”家魔法”の類であることまでは分かるが、俺達が使うそれに比べて遥かに強力で高度だ。
それに息も苦しくない。
この高度は本来ならば放り出されれば一瞬で、気を失ってしまうほどの空気の薄さのはずだ。
これも”家魔法”絡みだろうか?
だとすればすごい技術だ。
魔力の動きを見る限り、やっていることは俺達とそれ程違いはないはずなのに、本格イタリアンと味のついていないパスタ山盛りみたいな差がある。
これに限らず、俺達とルシエラの魔法にはそういう感じの差があった。
これからの学習でその差をどこまで埋められるか。
すぐに”本格イタリアン”レベルは無理でも、試験までにはせめて山盛りパスタに塩くらいは振りたいものだ。
もともと俺が居るのでパスタはアルデンテにはできるし、そこだけはルシエラにも負けないと今でも思う。
などと俺が料理に例えて考えたせいか、静かなこの空間にお腹が鳴る”グー”という音がなる。
ただモニカの体に反応はないので、ルシエラのものだと思われた。
ユリウスのだったらもっと地鳴りみたいな感じになるだろうし。
そして、それを証明するようにルシエラの体が僅かに身動いで、ゆっくりと頭が起き上がり周りを見渡す。
そしてあたりがまだ真っ暗であることを確認すると、おもむろにユリウスの鞍に取り付けられたバッグに手を伸ばした。
この鞍は外から見ればユリウスがあまりに巨大なせいで小さく見えるが、実際はロメオの背中の荷台部分よりも大きい。
そして、沢山の謎の収納バッグが付いている。
今もルシエラがそのフタを開けるとその内側が一瞬見えたが、明らかにバッグの大きさよりも広い空間が広がっていた。
なんとなくだが、これはルシエラが宿屋の一階で荷物を放り込んでいた魔法陣の”向こう”に繋がっているような気がしてならない。
そしてルシエラはそこから小さなパンを取り出すと、それを一口齧った。
「こんな時間に食べると、太るぞ」
なんとなく俺がそう言って話しかけると、ルシエラは一瞬怪訝そうな表情をした後、寝ぼけた顔のまま自分の背中に抱きついて埋もれるようにして寝ているモニカを一瞬見た後、すぐにそのすぐ後ろにある丸い物体に視線を向ける。
「・・・あら・・寝てなかったの?」
「寝れない身なんでな」
その丸い物体は、俺専用の視覚装置を搭載した大型の感覚機だった。
そして当然のように声もそこから出している。
「そういえば、
そう言って堂々と二口目に移るルシエラ。
だが気になることを言った。
「そんなに俺は、人間味があるのか?」
「そこで、”そんなに食べたら排便も多くなるのではないか?”って聞いてこない時点でだいぶ人間味があるわ」
俺の質問に対してぶっきらぼうにそう答えるルシエラ。
寝起きのせいか少し言葉が荒い気がする。
だが、やはり彼女は”俺の同類”を知っているようだった。
「そいつって、ひょっとして・・・噂の”ガブリエラ様”ってやつのスキルか?」
「ん? 王女様やってるガブリエラならそうよ、その他のガブリエラなら・・・ベラビアのインク屋さんの奥さん以外は知らないわ」
「やっぱり知っていたのか」
「ん? 私そんなこと言ったっけ? あれ言ったような・・・言ってなかったような・・・」
そこでルシエラが寝ぼけなりに真面目な表情を作って悩みこむ。
「覚えているかは分からないが、以前宿屋で見かけた時に、ルシエラが寝言で”ガブリエラ”って言ってるのを聞いた」
その時はそれが、あの”ガブリエラ”であるとは思いもしなかったが、今になって考えればやはりそう考えるのが妥当なのだろうと思う。
「・・・あのときかぁ・・・まさかそんな寝言を言っていたとは・・・」
どうやらルシエラも思い出したようだ。
何か気恥ずかしさと、後悔が入り交じったような微妙な表情になっている。
「それで、やっぱり知っているのか?」
「知っているも何も・・・いつもちょっかい掛けてくる迷惑な先輩だよ」
「ということはやはり、アクリラにいるんだな」
おそらく校長が言っていた今養成中の”この国でもっとも重要な人物”というのは、ガブリエラのことなのだろう。
「どんな人なんだ?」
俺は今後俺達が成長するために最も参考にするであろう人物について少し知りたくなっていた。
カミルから少しだけ聞いてるがそれは本当に小さな時の話で今のガブリエラではない。
なので今のガブリエラを知っている人物に話を聞こうと思ってそう聞いたのだが、それに対してルシエラが盛大に不機嫌な顔を作る。
「わがまま、身勝手、いつもちょっかい掛けてくるし、いつも馬鹿にしてくる」
ルシエラから出てきたのはまさかの悪口。
しかもそれを言うときのルシエラの顔の不機嫌ぷりったら・・・
「いっつも大人数でやってきていじめるくせに、他人が私をいじめるのは絶対許さないの、自分はいいのかよ!って、他にいじる相手いないのかよ!」
ルシエラの言動がだんだん熱を帯びてきて、声が大きくなり慌てて俺がそれを止めに入る。
「ルシエラ、もうちょっと声を小さくしてくれ、モニカが起きてしまう」
「あ、ごめんごめん・・・」
ルシエラがそう言って、少しバツが悪そうに自分の背中に抱きついているモニカの頭をそっと撫でる。
幸い今のでモニカが目を覚ますことはなかった。
どういうわけかモニカは空飛ぶ竜の背中で、しかも座った状態にも拘らず俺の知る限り最も深く眠っていた。
よほど疲れていたのか、それともルシエラの力を信用しているのか。
それと抱き心地が良いのかルシエラの腰に回されたモニカの手は、決して逃すまいとしっかりとルシエラの服に食い込んでいた。
やはりモニカは抱きつき魔の素養があるな。
実際モニカから上がってくる感覚は、ルシエラの適度に弾力があって腕を回すのにちょうどいい太さの体の感触を盛大に楽しんでいた。
「しかし、そんな人だとちょっと会うのが怖いな・・・」
「それは大丈夫だと思うわ、あの人、自分より背が小さいうちは襲ってこないから」
お、襲うって・・・
「ってことは、ルシエラはガブリエラより背が高いのか?」
「少しなんだけどね・・・3つ下なのに生意気だってさ」
3つ下、3つ下・・・カミルの話だと”ウルスラ計画”は17年前だって話だったから、ガブリエラの年齢も16か17で間違いないだろう。
「ガブリエラより3つ下ってことは・・・ルシエラは14歳か?」
「そうよ、まったく・・・もっと年下で、もっと背が高いのなんていくらでもいるでしょうに・・・」
ルシエラが苦々し気にそう言う。
それにしても14か・・・正直もっと年齢が上かと思っていた。
確かに普通の17歳よりよっぽど背が高くて、スタイルもいいからな・・・そりゃ嫉妬くらいするか・・・
「しかもコンビ組めと言われると必ずこっち来るし」
「それは好かれてるんじゃないか?」
「いや、あれは私に魔力渡せば何でもしてくれるからでしょうね、それ以上のことは考えてないわ絶対、おかげで何度中等部の制服のまま高等部の授業に参加させられたか・・・しかも呼んだ本人が一番制服を馬鹿にしてくるの! 誕生日の関係で学年は4つ違いだから高等部以外は一緒の制服着れないのに!」
そりゃ・・・なんというか・・・自由な人だな。
ただ確かに俺もモニカが魔力渡せばルシエラがなんとかしてくれるだろう、なんて都合の良いことを考えていただけに、あまり人のことは言えない。
そういえばこの人、校長先生の急な頼みで2ヶ月以上も北部を見て回ってたんだっけ・・・
それに当たり前のように俺達の教育まで押し付けられてるし。
なんとなくだが天然のパシリの素質があるかもしれない・・・
「・・・でもね、時々私が落ち込んでたりすると、お菓子くれたりするんだよ・・・」
不意にルシエラがぽつりとそう呟いた。
「なんだ、意外といい人じゃないか」
「その後いじめてくるけどね」
「いい人じゃないな」
俺が最後にそう結論付けると、それに同調するかのようにモニカがわずかに頭を動かした。
「んん・・・・」
どうやら寝返りみたいな行動のようで、新たに満足できるポジションを見つけるとまた再び深い眠りに落ちていく。
「・・・起きてない?」
ルシエラが少し心配そうに問うてくる。
「いや、グッスリだ」
「ふう・・・よかった・・・そういえばこの子も”アレ”と同類のスキル持ってるんだよね・・・」
ルシエラがモニカの頭を軽く撫でながら、確認するようにしみじみとそう言った。
それにしても”アレ”って・・・
「・・・性格は同類にならなくていいからね」
彼女のその言葉は妙に重みが籠っていた。
それからしばらく夜の空の世界に静かな時間が流れる。
俺もルシエラもモニカの規則正しい寝息に妙に聞き入ってしまい、妙にまったりした空気が充満していた。
思えばここまで静かで落ち着いた時間というのは初めてかもしれない。
ここ竜の背中の上なんだけどね。
そこでふと俺は空を見ていて気になることがあった。
「なあ、ルシエラ、”月”って何かわかるか?」
「え? 12季節だよね?」
「やっぱそう取るよな・・・」
ルシエラが俺の質問に対して怪訝な表情になる。
でも、実際奇妙なことを聞いた自覚はあるのだ。
俺の知識としては月というのは、何月とかいう時期を表す単語のほかに、地球の周りを回る衛星という意味もあるのだ。
というかその衛星の周期から何月という時期を表す言葉が出来ているくらいだ。
ところがこちらでは”月”を表す言葉に”衛星”という意味はない。
1年が12月なのは変わらないが、肝心要の”お月様”を表す単語が見当たらないのである。
しかも、こうして夜空を眺めて結構時間が経っているが、未だにその影も形も見られない。
「なんていうか知らないか? 空に浮かんでる・・・コインくらいおっきな星」
「え? なにそれデカ過ぎじゃない? そんなのあったら絶対怖いよ」
ルシエラの反応は何か奇妙なものを想像したような感じだった。
あれ? この反応・・・
「ん? ほら、日によってまん丸だったり、半円だったり・・・弧を描くような形だったりする・・・」
「変な夢でも見たんじゃないの? あ、寝ないのか・・・でもそんなのが空にあったら怖くて気が気じゃないよ」
俺は真剣な表情でルシエラの顔を睨む(感覚器に表情は実装していないが)。
だがそこには、俺をからかってやろうなどという下卑た意思は見られなかった。
本当に俺の話を変な妄想とでも思っているみたいだ。
ただ、でも確かにそんなものが空中に浮かんでいたら、さぞかし奇妙な絵面になると思われた。
ということはこの”知識”はやっぱり当てにはならないな。
少なくともこの世界とはかなり乖離した世界の話だ。
その大きな星が地軸を安定させているなんてもっともらしい知識もあるが、きっとそれも気のせいだろう。
そもそも、その他の”地球”の知識だってかなり適当で曖昧であやふやなのだ。
俺はそう言い聞かせて、この何かが足りないような夜空に対して問題ないとの結論をつけた。
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