1-10【ピスキアの長い夜 9:~Entremets~】



”降ろせ!!!”


”降ろせ!!”

 

 巨大な竜に掴まれ大空にさらわれた恐怖で、大声で誰にも理解されない叫び声を上げる。

 眼下に広がる真っ黒な街並みは、高所による根源的な恐怖を巻き起こした。


 だがそれをいうならば、今自分を鷲掴みにしているこの巨大な竜のほうが圧倒的に怖い。


 このまま自分はこの竜の餌になってしまうのだろうか?

 だがそうなる訳にはいかない。


 この石をご主人に届けるまでは死ぬわけにはいかないのだ。


 そう考えたロメオは必死に足をばたつかせる。


 だが、青い竜の手はそのようなことではびくともせず。

 更に哀れなことに、そのおかげで地面に叩きつけられずに済んでいるということを理解する頭もロメオにはなかった。


 それでもとばかりに必死に体を揺らそうともがく。


『小さき者よ』


 その時、不意にどこからか声がかかった。


”だれ!?”


 意味を持たない声に精一杯の意味を込めてそう発した。


『上だ』


 ロメオが上を向く、そこには巨大な竜の姿しか見えない。


”もしかしてあなたですか?”

『なにゆえ、その小さき体であの黒き竜達に挑む?』


”ご主人達を助けなければいけないんです、この石を届けなければいけないんです”


 ロメオが懇願するようにその竜に話しかける。 

 どうやらこの竜は人と違って、話が通じそうだ。


『その石を届ければ、お前のご主人様とやらは助かるのか?』


”はい!”


『そのご主人様とやらは、あの黒竜の首たちのことか?』


”いつもはあんな姿じゃないんです、もっとちいさくて優しくて、魔力ももっと美味しくて、でも確かにあの首の根元にご主人達がいるんです!”


 ロメオはなんとか会話が可能であると判明した青い竜に向かって、己の命乞いよりも自分の主人を助けたいと必死に訴えた。


 そしてそのことが功を奏したのかは分からないが、青い竜がその大きな口を開けて下に向かって一声吠えた。


 それからしばらくの間、無言の間が流れたがその青い竜がまるで誰かとやり取りをしているかのようだった。


 少しご主人様たちの会話に似ているな。


 ロメオはそう思った。


『喜べ、小さき者よ、我が主が、お前のご主人とやらを助けてやるそうだ』

”本当ですか!?”


 人を疑うほど頭が良くないロメオはその言葉に天にも登る思いになった。


『だがそのためには、その石が必要になるそうだ』

 

”この石はあげませんよ”


 思わず、そんなことを言ってしまう。


『その必要はない、お前自身で届けろ、我らがそのための道を作る』





 どうやら空中での会話はうまく行ったようだ。


 ユリウスから送られてくる思念から、ルシエラはそう判断した。

 やはり獣の道は獣ということか。


 ユリウスのような純血の竜は、すべての獣の王に当たる存在なのでどんな動物とも会話できる。

 多少慣れるまでガウガウにしか聞こえなかったりするが、彼に任せれば動物も味方につけられるのだ。


 それで判明したのは、あのパンテシアがどうやら黒い竜の本体の女の子に飼われているということ、それとその口に彼女を助けるための石が咥えられているということだ。


 これは間違いなく魔水晶だろう。

 そうじゃなかったら泣く。


 だがこれで、目下の最大の懸案事項だった魔水晶の確保は完了した。

 後は、あの首を押さえてやればいい。


 ルシエラは頭の中でどういう風にそれを実行するか素早く思考する。


 そして目の前に降りてきたユリウスの背に、素早く飛びのった。

 一方のユリウスは、それと反対に手に持っていたパンテシアを地面にそっと下ろす。


 久々に地面に下ろされたパンテシアはこちらとの意思の疎通がうまく行ったのを証明するように期待するような視線を向けてきた。


 いくら動物とはいえその期待に少々居心地が悪くなる。

 実は一番危険な最後の突入を彼に任せるのは、自分がそのリスクを負う可能性を無くすためという打算的なものもあるので、ちょっと気まずいのだ。


 だがそれでも、ルシエラはパンテシアの口に咥えられているのが、自分の注文通りの無色透明の宝石であることを確認すると、そのままそのパンテシアと入れ替わる様にユリウスの背に跨りに大空に舞い上がった。


「アンジェロさん、聞こえてる?」


 そして、少々疲れの見え始めた伝令役に向かって必要な指示を出したのだった。




『ウバルト隊長!』


「おう、アンジェロか! 何か進展は?」

『西側の全域で避難が始まりました! それと北部連合の戦力も西地区に入ってます! さらに最悪の場合を想定して街の外壁に”ゴーレム”が向かっています!』


「ということは、今の指揮は連合代表か? 市長じゃなくて」

『そういうことになります、それとルシエラ嬢から!』


「誰だそれは!?」

『いま、青い竜に乗って空を飛んでいる少女ですよ!』

「それならばそう言え!」


『そのルシエラ嬢から伝言を、”なんでもいいから変換効率の悪い魔法陣をできるだけ多く準備してくれ” だそうです!』


「変換効率の悪い?」


 あの小娘め、何らかの手段を思いついたようだ。

 といってもすでに防御のために相当に変換効率の悪い魔法陣をいくつも使用しているのだが、そのことではないのだろう。


 おそらく防御ではなく、何らかの攻撃に使うはずだ。

 そうなると内容よりも数を重視したほうがいいか。


 ウバルトは自分の用意できる中で、燃費と使いやすさを加味した魔法陣を選択する。


 選んだのは”次元魔力槽”


 魔法陣の中に放り込んだ魔力を一旦別次元の空間に保存して後から取り出すという魔法だが、その効率は病的なまでに悪い。

 最終的に使えるのは貯めていた魔力のうちの1%にも満たず、後は次元を超えるためのコストとして消えてなくなるという代物だ。


 こんな魔法、普段なら使い所がないが今ならもってこいだ。


 用意に時間がかかるので防御には使えなかったが、何らかの方法で攻撃に使えるのならばそれくらい問題ない。

 ただ、これを使ってしまうと、その制御のせいでほとんど魔力が尽きてしまうがそれでも時間が稼げれば問題ないだろう。


 そうすれば、後からやってくる討伐に出ていた警備隊の本体と魔力ゴーレムの総攻撃で一気にこの薄汚い地区ごと浄化してやればいい。


 そんなことを考えながら、ウバルトは空中に時間を掛けて大量の魔法陣の準備を始めていく。






「こりゃまた、大盤振る舞いで・・・」


 ルシエラは少しずつ黒竜の周りに作られていく魔法陣を眺めながらそう口走らずにはいられなかった。


 それにしても次元魔法とはやはりあのウバルトという魔法士は只者ではなかったな。

 資格だけ持っている軟弱エリートとは比較にならない。


 こんな魔法陣を用意しようと思ったら、ルシエラの魔力ではあっという間に枯渇してしまうだろう。

 次元魔法は青系統には少ないので、加護があまり使えないのだ。


 これならば十分にルシエラの思惑に使えるだろう。

 流石に緊急時とあって、小出しにはしなかったか。


「あとは・・・」


 ルシエラは瓦礫の影に隠れるパンテシアの様子を見る。

 ちゃんと指示通り、こちらの合図を待っているようだった。

 それでいい、下手なタイミングで出られて巻き添えを食ったら一溜まりもないからな。


 眼下では突然目の前に出現し始めた大量の魔法陣に向かって黒竜の首たちが、噛み付いたりブレスを放ったりしていた。


 そんなことをしても物理特性を持たない魔法陣には効果がないのに、その判断ができないようだった。

 だがこちらとしては飛んでくるブレスがなくなったので大いに結構だ。


「アンジェロさん、確認しますけど、西地区に残っている人はいませんね?」


『ああ! なんとか避難を完了したらしい、それに警備隊の本隊がいつでも突入できる体制に入った』

「こちらが失敗するまでその人達は近づけないでくださいよ、エリート以下は足手まといですし守れません」

『わかった、最悪の場合に備えて戦略魔法の準備をさせておく』


 戦略魔法っていうと・・・あれか。


 ルシエラの脳裏に、警備隊の訓練の視察の時に見たその威力を思い出す。

 それは数十人で一つの魔法を制御することでかなり強力な火力が得られるという代物だ。

 各地の警備隊にしろ、国の軍隊にしろ、そういうところに配備された魔法士はまずその魔法を覚えさせられる。


 それを用意しているということは、この街のかなり上の方で攻撃による被害を覚悟したということだ。

 ルシエラが失敗すれば、ルシエラもろともその攻撃で消し去りにかかるだろう。


 だがそのかわり大勢の人間が突入することは防げたし、そのおかげで成功した後に動きやすくなった。


 もっとも、これから行うことは生半可な人間ではとても耐えられるものではないのも事実なのだが。


「行くよユリウス!」


 どうするにしろ、まずはあの黒竜の首を一度は吹き飛ばさなければならない。

 先程の攻撃で原型を保ったのだから、それ以上の威力が必要となる。


 ルシエラ達の手持ちの攻撃手段の中でそれほどの威力のあるものとなれば、それはユリウスのブレスしか無い。

 あとはそれをルシエラの魔法陣でどこまでブーストできるかだ。

 

 少し気合を入れてユリウスの背中に立ち上がる。


「それじゃあ、最近ようやくできるようになった4重複合魔法陣でも使いますか!!!」


 その台詞を大声で叫んだ瞬間、ルシエラの背中が凄まじい光に包まれる。

 複合魔法陣の第一段の極小かつ簡素な魔法陣がルシエラの周りに無数に展開されたのだ。


 そして即座に第二段の魔法陣が展開され、それが第三段となる複数の極大魔法陣を作り出した。

 それは先程最終段として使ったのと同規模のものだが、今回はこれですらあくまでも制御用に過ぎない。

 そしてその極大魔法陣たちが、ユリウスの口のすぐ先にユリウスよりも遥かに巨大な超極大魔法陣を展開した。


 そしてその刹那、ユリウスがその魔法陣の中心に向かって最大級のブレスを放つ。

 ずっとコンビを組んできただけあってタイミングはバッチリだった。


 ルシエラの加護はあくまでもまだ”もどき”にすぎないので、4重の複合魔法陣を長時間維持することは出来ない、というかほんの一瞬しか機能しないので完璧にタイミングを合わせてくれなければ意味が無いのだ。

 だが頼もしい相棒はちゃんと自分の仕事をしてくれた。


 ユリウスの膨大なエネルギーを伴ったブレスは魔法陣に衝突すると、その性質を急速に変質させていく。

 音や光と言った”派手”な演出に使われていたエネルギーも含めて、全ての力が、最も効率的な形に置き換えられていく。

 さらにその膨大なエネルギーを呼び水に、周囲に満ちていた魔力が引きずり込まれるように魔法陣の中に落ち込んでいく。


 そして膨大な手順でもって変質させられたエネルギーが反対側から飛び出した時、そのブレスは色も音も持ってはいなかった。


 ただ凄まじい”何か”が空中を伝い、真下に向かって突き進んでいく威圧感というしか無い凄まじい圧が、周囲に巻き散らかされる。


 そしてその無音の圧に黒竜達も気がついたのか、一斉にその首を上空に向ける。


 だがもう遅い。


 凄まじいエネルギーの塊は既に黒竜たちの目の前に迫っていて、それに対処する時間は残っていなかった。


「「「グアアアアアア!!!!(・・・・」」」


 無色無音のエネルギーに触れた瞬間から、黒竜たちの首が耐えきれず吹き飛ばされていく。

 そして実際に標的に命中し破壊が始まったことで、色も音もなかったエネルギーがその内に秘めた膨大な力を一気に開放させ始めた。


「うっわっ、まぶしっ!?」


 その光は上空にいる放った本人の目にすら焼き付くような凄まじい光だった。

 

 続いて何もかもを吹き飛ばすようなとてつもない衝撃波。


 物陰に隠れていたあのパンテシアや、ウバルトはなんとかそれをやり過ごしているが、空中を漂うルシエラとユリウスは隠れる場所がない。

 慌ててユリウスの召喚を解除する。


 ルシエラには彼を守りきるほどの魔力は残っていないし、ユリウスにも戦闘を継続できるだけの力は残っていないだろう。

 なのでここはすっぱりその維持を諦め、召喚を解いて帰ってもらうことにした。


 召喚を解かれたユリウスはあっという間に空中に霧散して消えてしまい、あとには青白い魔力の残滓が僅かに残る。


 そしてその場に残されたルシエラは自分一人を守りきれるほどの大きさの防護壁を即座に作り衝撃波を受け止める。


「うぐっ」


 防護壁に衝撃波が達したときの凄まじい衝撃でルシエラは呻く。


 だがなんとか耐えられそうだ。


 下を見れば、まるで計算されたかのように黒竜の首が根元から破壊され、その中心部である”本体”から膨大な量の魔力が吹き出しているのが見えた。

 良かった、計算通り破壊の光は本体にまでは届かなかったようだ。


 ただ、黒竜の首を全て破壊したとはいえ、この状態ではすぐに復活してしまう。

 なにせ本体もその膨大な魔力もひとかけらも失われてはいないのだ。


 だからこそ次があるのだが。


「ウバルトさん今です!!!」


 ルシエラは力の限り大声で叫んだ。

 こんな状態で地上にいるウバルトに声が届くわけはないのだが、どうせアンジェロあたりが中継してくれているだろう。


 そしてその予想どおり、下でウバルトが魔法陣を起動させるところが見えた。

 

 すると館の残骸の周りで無数の魔法陣たちが同時に轟音を上げて周囲の魔力を吸い上げ始める。

 そして当然ながら周囲に一番多く滞留していた、黒竜の首を形作っていた魔力が一番多く吸われることになる。


 なんとか黒竜の首を再生しようと本体から大量の魔力が流れ続けるが、それらも形を保つよりも早く魔法陣に吸われるので結果として周囲の魔力濃度はどんどん薄くなっていった。



 最初は生き物が近づくことすらできないほど魔力が高密度だった本体の近くも、今では黒い魔力は晴れ、吹き出す魔力の隙間からわずかに本体の小さな腕が見えるまでになった。


 そしてそれを確認したルシエラが、下で待つパンテシアに向かって合図を出す。


 するとそのパンテシアは、まるで祭りの暴れ牛のように脇目も振らず全ての瓦礫を吹き飛ばしながら猛スピードで中心部に向かって突進を開始する。


 その口にはしっかりと魔水晶が咥えられていた。


 だがその勇猛果敢な歩みも、すぐに躓くことになる。


 いくら殆どの魔力がウバルトの魔法陣に吸われているとはいえ、未だその余波だけで押し返すには十分な量の魔力が漏れていた。


 その圧倒的な力の前にパンテシアが前足を折って膝をつく。


 だめだったか・・・


 ルシエラは一瞬そう思った。


 だが、驚いたことにそのパンテシアは、凄まじい暴風の中をそれでも進み続けた。

 吹き飛ばされないようにできるだけ姿勢を低くして、まるで這うように一歩ずつ本体へ近づいていく。


 それでも、限界があった。

 あと10ブルほど・・・そのパンテシアにしてみれば、自分の全長の3倍程度の距離のところでついに動きが止まってしまう。


 たかが10ブル・・・されど10ブル。


 その距離は絶望的に遠いものだった。


 なんとかルシエラも加勢してやりたいが、残念ながら先程の全力攻撃でまともな魔力は残っていなかった。


 せめて”変質の渦”が発動できればいいのだが、ウバルトの魔法陣に魔力が吸われて、変質させる魔力を捉えることができない。

 そのおかげでパンテシアが近づけているだけに文句は言えないのだが、せめて何かもう一押できなかったものだろうか。


 するとその時、あれほど口から離すのを拒んだパンテシアが、その口から魔水晶を離した。


 そしてパンテシアの口から開放された魔水晶は、当然の摂理のように地面に向かって落下を始め・・・・


 バシュッ! っという音と共に、まるで弾かれたかのように空中へ飛び出した。




 巨大な力と力の拮抗した間隙・・・その小さな空間の中を、魔水晶がまるで意思を持っているかのように進んでいく。


 一瞬でもコースをずれれば凄まじい力の奔流に巻き込まれ他の瓦礫と一緒くたになっただろう。

 だが、まるで魔水晶は自ら意思を持っているかのように、正しいコースをひたすらに飛んでいた。


 そしてその魔水晶がしばし宙を舞った後、黒い魔力の噴出が枝分かれするその根本に接触した瞬間、周囲に撒き散らかした真っ黒な魔力が光となって消えてなくなり、それを見ていた多くの者の目には、嵐を光が引き裂いたように見えた。


”おかえり”

”ただいま”


 そしてその場にいた全ての者が、その瞬間たしかに誰かの声を聞いた。

 だがそれが空耳だったか本当だったかを確認する暇もなく、轟音と猛烈な光によって周囲のすべてが灰燼に帰してしまう。


 あとに残ったのは、大量の瓦礫と、舞い散る粉塵、そして今が夜であることを思い出した闇だけだった。




”おかえり”


 頭のなかに温かい声が響き渡る


”ただいま”


 そして誰かがその声に答えた。

 

 その瞬間、自分の中に自分が戻ってくる感覚と、全てが収まるべきところに収まる感覚に支配された。


 体の中で暴れまわっていたものがなくなる。

 それと同時に、全身を支配していた苦しみも消えていた。


 ただ、すこし・・・・痛いかな・・・・


 

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