1-10【ピスキアの長い夜 5:~Sorbet~】


 いつものようにピスキアの街に闇が降り、一日が終わっていく。

 ピスキアを見下ろすベルス山の向こうに沈む太陽を眺めながら、誰もがそんな感想を抱いていた。

 

 だがその闇の中で、街の西側を中心に地面が大きく揺れた。


 冒険者協会横の宿屋の食堂もその多分にもれず、ガタガタと音を立ててすべての物が揺れ動き、その凄まじい振動に、それまで楽しげに飲んでいた者達は言葉を失い、ただひたすら揺れが治まるのをじっと待っていた。

 彼らの本能がこの揺れがただの地震ではないことを悟らせていたのだ。

 その中にもっと何か恐ろしいものの蠢きを感じたのである。


「・・・・うん?」


 その食堂の中心の席で突っ伏して寝ていた青い髪の少女が目を開ける。

 そして地面が揺れていることに気づくと、何事かと周囲を見回した。


 だがここからでは状況がよく分からない。


「おじさん、なんで揺れてるの?」


 青い髪の少女・・ルシエラが近くにいた男性に事態の詳細を尋ねる。


「・・・ひっ、俺は何も知らねえ!!」


 その男性がルシエラに気づいて恐怖のこもった声を上げる。

 

 またこれだ、どうも自分はこの町の人達に恐れられているらしい。

 まあ、これだけ大量の魔法陣を同時に展開したら無理もないか。

 そう思って、ルシエラは自分の周りを見下ろすと、まるで魔法陣の花畑のような状態になっていた。


 普通の魔法士はこれほどの魔法陣を同時に展開することはできない。


 それこそルシエラクラスに魔力に愛されでもしない限り、あっという間に体内の魔力が枯渇してしまうだろう。


 そのとき、ようやく地面の揺れが治まった。


「・・・ふう・・・・」


 周囲の者達の多くの安堵の声が聞こえてくる。

 きっと同時にこの周囲一帯で多くの者が同じように安堵のため息を付いたのだろう。


 ルシエラはさっと周囲に観測用の魔力を飛ばし情報を収集する。


 すると、わずかにいつもと違う反応があった。


「ねえ、おじさん達」


 ルシエラが周囲にいるものたちに声をかける、その声は音量の割に恐ろしく良く通り、それを聞いた周囲の者達が一斉にルシエラのいる方に振り向く。

 ルシエラは注目が十分に集まったことを確認すると、要点だけ伝えた。


「しばらく、ここから出ちゃ駄目だよ」


 その言葉に反論や疑問を投げかけるものはいない。

 皆、突然怪しく光りだしたルシエラの目と髪を恐れて声が出ないのだ。





 宿屋を飛び出したルシエラは、観測した反応の”濃い”方へ顔を向ける。

 すると、その方向に謎の黒い煙が上がっているのが見えた。

 だが、ここからでは向いの建物が邪魔でその詳細がよく分からない。


 なので、ルシエラは足に魔法陣を展開し、まるでうさぎのように軽やかにジャンプしながら、周囲の建物の出っ張りや壁を何度も蹴って、宿屋の隣りにある冒険者協会の屋根に飛び乗る。

 ここはこの周囲で最も背が高い建物だ、そして予想通りこの場所からなら黒い煙の出処がはっきりと見えた。


「あの方角はたしか・・・暗黒街だっけ?」


 そこはこの街に初めてきたときに冒険者協会から危ないので近づくなと言われた一角だと思われた。

 その中心部にある建物の中腹から大量の煙が立ち上っている。

 だがその色と勢いから察するに、さっきの地震で起きた火事にしては出火が早すぎるように感じた。


 そしてその煙をよく見てみると、まるで煙自体が意思を持っているかのような不思議な違和感があった。


「あれは相当によくないですね」


 突如、ルシエラの後ろから声がかかる。

 だがそのことについてルシエラが驚くことはない、もう既に観測魔法の中に反応があったからだ。


「あれに心当たりは?」


 その声の主、この街の主力戦力にして”官位”スキル持ちのアンジェロという男は、失礼にもルシエラにそんなことを聞いてきた。

 どうやら、自分は相当な問題児と思われているらしい。


 まあ、心当たりはあるんだけれどね・・・・


「以前、同じ魔力の反応を見たことがあります、でもこんなに禍々しくはなかったはず・・・」


 以前、偶然見かけてから、気になって調べるために探してはいたが、まさか本当にこれほどまでに巨大な魔力を持っていたとは・・・

 だが自分の予感が当たって嬉しいという浮ついた気分は、この禍々しい魔力を見て一瞬で霧散していた。


「あの建物に心当たりは?」


 そう言って、煙飛び出している大きな建物を指差す。

 あれほど巨大ならば地元で名が通った建物なのは間違いないと思う。


「”あれ”ですか・・・あれは奴隷の館ですね・・・」

「奴隷の館?」

「そう呼ばれている建物です、あの中で非合法の奴隷売買が行われているというのは、公然の秘密だったのですが・・・」

「あれ? この国って奴隷OKでしたっけ?」


 ルシエラがふとそんな疑問を持つ。

 まあOKでないから非合法なのだろうが。


「北部連合としては違法ですが、国としては特に規制はされていません、その隙間を縫った形で存在しているのですよ」


 アンジェロが苦々しい表情で、煙が立ち上る奴隷の館を見つめる。

 その時、建物の別の箇所が大きく壊れそこからまた黒い煙が勢い良く吹き出した。

 そして少し間を置いて、また地面が揺れる。

 どうやらそれほど悠長に構えているわけにはいかないようだ。


「とにかく、魔力災害の危険があります、急いで人を集めてください」


 ルシエラがアンジェロにそう告げると、屋根の上を走り勢いをつけ屋根の縁から大きくジャンプする。

 

 もしこの光景を普通の人が見たら、ルシエラが投身自殺を図ったようにも見えただろう。

 

 だがルシエラは空中で自身の体よりも大きい魔法陣を展開した。

 すると不思議な事にルシエラの落下がそこで止まり、空中に浮かぶ形になる。


 ルシエラがその状態を満足気に確認すると、そのまま空中を滑るように移動を始める。


「まったく・・・・本当に規格外な女の子だ・・・」


 その様子を眺めていたアンジェロが思わず苦笑いする。

 だが、それも一瞬ですぐに表情を本職のものにすり替えると、彼の”スキル”を展開した。


『ピスキア市内の各員に通達、西地区にて魔力災害発生の可能性あり! 繰り返す! 西地区で魔力災害の発生の可能性あり! 至急応援を求む! 発生源は通称”奴隷の館”! 建物の側面から大量に魔力を含んだ黒い煙が立ち上っている!』


 アンジェロの持つスキルは周囲数百キロの特定の人間に声を伝えるというものだ。

 もちろん上位魔法士ともなれば、魔力で長距離通信を行うことは可能だが、アンジェロのように素早くそれも不特定多数に同時に送信できる者は少ない。


 そのスキルを買われて、彼はこうして見回りのような任務についていたのだ。


「さて、わたしも現場に向かいましょうか」


 そう言ってアンジェロが屋根の縁から飛び降りた。

 だがルシエラと違い空中に浮かぶようなことはない。

 彼にはそれほど大きな魔法を発動する能力はないのだ。


 だが、地面についた時に無傷で済む程度の能力は持っている。


 アンジェロが地面に降り立つと、全身に筋力強化を施して一目散に走り始めた。



※※※※※※※※※※※



 ルシエラが現場の上空に達した時、既に下には多くの人の姿があった。

 所属はバラバラだが、駐留している軍の兵士や北部連合の警備兵などが集まってきて、いったい何事かと興味につられてやってきた野次馬を押し返している。


 だが建物の内部には踏み込めないでいるようだった。


 ルシエラはその中で一番偉そうな兵士の隣に降りるとそれを見たその兵士がぎょっとした視線を向けてきた。


「大丈夫ですか? 何か手伝うことは?」


 ルシエラが迷わずそう告げる。

 普通ならこんな少女にそんなことを言われても相手にしないものだが、ルシエラの髪と瞳と全身に複雑に展開している青色の魔法陣が、有無を言わせぬ迫力を纏っていた。


「あ、えっと・・・とりあえず付近の住民の避難は完了させた、だがまだこの中に大量に逃げ遅れたものがいるらしい」


 そう言ってその兵士が奴隷の館を指差す。


「それは”奴隷”がですか?」

「いや、”その他”も含めてだ」


 どうやら、結構な数の人間がこの中にいるらしい。


「まずいですね・・・」


 建物の側面から吹き出す黒い煙の勢いはとどまることを知らないとばかりに、強烈な圧力で以って吹き出している。

 しかもそこから放たれる魔力が尋常ではない。


 その圧力は魔法に精通していない人間でも肌で感じられるほどの強烈なものだ。


 あれ程の魔力が無制御に暴れまわっているとなると建物の中にいる者はタダでは済まないだろう。


「あれが吹き出してからどれくらい経ちました?」

「そんなに時間は経っていないと思うんですが、自分達も来た時には既にあのように」


「とにかく、魔力の少ない人間は周辺に近づけないでください、あれは普通じゃない」


 ルシエラが建物を睨むと、また壁の別の場所が吹き飛ばされるところだった。


 石造りの壁が一部屋分くらいごっそり吹き飛ばされ、その破片が周囲に降り注ぐ。


「うあああああ!!」


 その破片の一部が野次馬たちの頭上にも降ってきていた。


「まずい!」


 ルシエラが慌てて加速系の魔法を多重起動させる。

 そしてそれで作った余裕を使い、破片を除去するための魔法を準備する。

 周囲からはルシエラの体が青い光に包まれたように見えただろう。

 次の瞬間、野次馬たちの頭上に巨大な魔法陣が展開され、その魔法陣に触れた瓦礫が跡形もなく消え去った。


 なんとか間に合ったか・・・


 ルシエラがそんなことを考えていると、助けた野次馬たちが恐怖の篭った視線でルシエラを見つめていることに気付いた。


「早く、ここから逃げて!!」


 その野次馬たちに向かって大声で叫ぶ。

 あんな視線にいちいち構っているわけにはいかないのだ。


 そしてその声を聞いた野次馬たちが蜘蛛の子を散らすように、一斉に逃げ出した。

 

「ふぅ・・・」


 これでお荷物・・・の数は大きく減った。

 ルシエラは改めて建物の様子を振り返って確認する。

 

 見れば今しがた作られた大穴からも同じように真っ黒な煙が吹き出し始めていた。

 それに気のせいか魔力の密度が上がったような気がする


「はぁっ、はぁっ・・・ありがとうございました・・・」


 野次馬を抑えていた兵士の一人が、ルシエラの近くへ駆け寄ってきて感謝してきた。

 だがルシエラは睨みつけるだけでそれに答える。


 その迫力に兵士が驚いたのか、固まってしまった。


「あれを抑えるにはかなり強力な魔力の専門家が必要です、今この街にいる”エリート”か”将位”以上戦力は?」


「私だが?」


 突如、野太い声がして後ろを振り返ると、そこに全身に大小様々なアクセサリーのようなものを全身に身に着けた金髪の中年の男性が立っていた。


「ウバルト隊長!」


 兵士が驚いたような大声を挙げる。


 そうか、こいつか・・・

 ルシエラがこの街に来たときに名前だけは聞いていた人間だ。

 なるほど確かに頼もしい魔力を感じる。


「なるほど、あなたがウバルト警備隊長ですね?」

「そういう君は、噂の”青”の小娘か・・・で状況は?」


 ウバルトがルシエラを一瞥した後、そばにいた兵士に現在の状況を尋ねる。

 なるほど確かにこれは普通の”エリート”魔法士ではないな。


 ルシエラとガブリエラのコンビが、中央の精鋭部隊を模擬戦で壊滅させた話は伝わっているだろうに、特に気にしている素振りもない。

 これがまだ資格を取ってすぐの若い”エリート”連中なら、舐めた小娘と突っかかってくることもしばしばあるのだ。


「周囲の建物からの避難はなんとか、ただ、”奴隷の館”の中には踏み込めず」

「ふむ・・・」


 ウバルトが顎に手を当てながら、煙が吹き出す館を睨む。


「私としては悪臭漂うこの醜い館が、どうなろうと知ったことではないのだが、あれを放置するわけにはいかぬよな・・・」

「どうしますか?」

「”青”の小娘よ、何かあれの対策に心当たりはあるか?」


 ウバルトが視線だけをルシエラに向けながら、そんなことを聞いてきた。

 どうやら彼もおおよそ”あれ”の正体に勘付いている気がする。


似たようなの・・・・・に心当たりがあります」


 本当は、ほぼそのもの・・・・に心あたりがあるのだが、それは言わないでおこう。


「で、対策は?」

「今はまだ魔力が吹き出しているだけなので、押さえ込めると思います、魔法陣はこちらで展開するので魔力はウバルトさんがお願いします」

「ん? お前だけでは足らぬのか?」

「私、こう見えて魔力は少ないんですよ、みんな信じないんですけど」


 ウバルトがじろりとこちらを睨む。


「なるほど嘘ではないようだ、そのような僅かな魔力でよくそこまで魔法陣を展開できるものだ」

燃費がいい・・・・・もので」


 というか、この人、今何を見たんだ?


 そんな懐疑的な視線を送ってみるも、相手は無視を決め込む。

 

「ではさっさと魔法陣を展開しろ」


 ウバルトがそう言って大量の魔力溜まりを作り出した。

 これはまた気前が良いことで。


 ルシエラはその魔力溜まりの直ぐ側に小さな魔法陣を複数展開する。

 すると、その魔法陣の中に魔力溜まりがまるごと吸い込まれ、反対側から青く光る大量の魔力が噴き出し、大きな魔法陣を形成する。

 そしてそれらの魔法陣が、再び変形し、今度は一つにまとまり巨大な一つの魔法陣に変貌した。


 これがルシエラの十八番おはこにして、多くのジャイアントキリングを生み出してきた原動力。

 極大魔法陣の通常魔法陣による制御、”複合魔法陣”だ。


 通常ルシエラの魔力ではこのような巨大な魔法陣を展開することはできない。

 ガブリエラや目の前の真っ黒な魔力の持ち主くらいに魔力があれば、片手間に極大魔法を展開することも出来るのだろうが、ルシエラにそれは望めない。


 だがルシエラには青系統の魔法に関しては”青”の加護に匹敵する、凄まじいまでの魔力効率がある。

 それはこういった扱えない魔法陣を、簡単な別の魔法陣で操作する場面では絶大だ。

 通常ならば”抵抗”として失われる魔力の変換コストもほぼ要らないし、魔法陣をタダで作りまくれるので、より燃費に特化した形に組み替えることも出来る。


 結果としてルシエラは、一般人とそう変わりない魔力量でありながら、”エリート”や”将位”を凌駕する巨大で複雑な魔法の展開を得意としていた。


 ただ”今回”は押さえ込むのに絶対的な魔力が必要なので、他人から借りざるを得ないが、それでもこれで足りてくれる保証はどこにもなかった。


「さあ、これで止まってよね!」


 薄い期待を掛けながら、巨大魔法陣を館の上に移動させる。

 これほどの魔法陣だ、移動させるだけでも専用の魔法陣を幾つも必要とする。


 周囲の兵士たちが初めて見る、”複雑魔法陣”に驚いていた。


 だがウバルトはルシエラがそれを使えるのを驚いてはいるようだが、この魔方陣には驚いてはいない。

 やはり、他の”加護”持ちか、それに準ずる者を見たことがあるのだろう。



 ノロノロと定位置にたどり着いた魔法陣から、下に向かって青い光が降りていく。

 するとその光に触れた黒い煙が押さえ込まれるように、流れる向きを変えた。


 そして光はそのまま地面までたどり着くと、逃げ場を失った魔力の煙が館の中で渦を巻いているのが確認できた。


 さあ、止まってくれよ・・・・


 ルシエラは心の中でそう呟く。


 この煙の正体があの子・・・ならば、前に見た時はそれほど覚醒はしていなかったのでこれでも押さえられるはずだ。

 ただもし、この前以上にスキルが覚醒していたり、今覚醒されたりしたら・・・・


 そんなことを思ったのがいけなかったのか・・・・



『エネルギー ノ 鬱滞 ヲ 検知 !』


『原因 ヲ 特定』


『対抗策 ヲ 判定する』


『使用可能 ナ ”力” カラ 制限 ツキデ 起動可能 ナ スキル ヲ 判定』


『スキル 【ゴーレム制御 lv1】【ゴーレム素材:フロウ生成】ヲ 機能 ヲ 限定 シテ 強制起動 スル』


 煙の中心部からまるで神の宣告のような重々しい声が響いてきた。




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