1-10【ピスキアの長い夜 6:~Entrée~】



 ピスキア中心部の冒険者協会横の宿屋の馬駐うまどめの中で、1頭の牛が暴れていた。

 狂ったように怒りに染まったパンテシアのロメオは、内から湧いてくるどうしようもない焦りと恐怖に支配されていた。


 ”行かなければ”


 彼の中にある感情を言葉にするならばこうなるだろうか?


 それはまるで何者かが頭の中に直接語りかけてきているかのようだった。

 かなり”ご主人達”に似ている魔力だが、遥かに冷たくて味がない・・・・


 だがその”何者か”によってご主人達の危機が伝えられているような気がするのだ。


 しかもその証拠にご主人の魔力が、まるで何かの熱を帯びているかのように荒々しく、しかもどんどんその濃度が増しているのだ。

 ”あの時”の冷たい魔力とは違う、また別種の異常。


 ロメオはそのことを理解する頭脳はなかったが、本能で悟っていた。


 だからこそ、今すぐにでも駆けつけるためこの繋がれている手綱を引きちぎろうと藻掻いているのだ。

 

 その凄まじい様子に周囲に。同じように繋がれていた他の馬や牛達が怯えたように身を遠ざけている。

 いや、それだけではない。


 このうまやに繋がれていた全ての動物たちが、まるで何かから逃げようとしているかのように必死に己の戒めを引っ張っていたのだ。


 だがその程度で外れる手綱ではない。


 それでも重量級のパンテシアの渾身の引きを一手に受け続けた手綱は、徐々に引き伸ばされていっていた。





 ”奴隷の館”の現場では、事態が急変していた。


 突然噴き出していた煙が猛烈な勢いで、押さえ込むために作られた魔法陣の光を突き破ったのだ。

 押さえ込む対象の急速な変異に、その魔法陣が狙いを失い音もなく崩れ去る。


「あ、やば・・」

「お前ら、下がってろ」


 ウバルトが周囲に防御魔法陣を展開し、間一髪のところで飛んできた瓦礫から、兵士たちを守る。


「おい小娘! これはいったいどういうことだ!?」


「あれは、まずいな・・・・」


 ルシエラが光の中で渦巻く煙を眺めながら、状況が悪い方に転がりだしているのを感じた。


 すでにもうあの煙は、煙というにはあまりにも強力に意思を持って動いているようにみえる。


「アンジェロさん! 聞こえますか!?」

『聞こえている!』


 頭の中にアンジェロの声が響く、さすが連絡特化のスキル持ち。

 こちらのプライバシーなど、お構いなしに頭の中に話しかけてくる。


「西地区全域に避難指示を出してください! ”あれ”が暴れる!」

『なに!? 西地区全体だと!? 正気か!?』


「”あれ”を知れば、街全体に出したくなりますよ! はやく!!」


 ルシエラはそれだけ言い残し、新たな魔法陣の準備を始める。

 おそらく”あれ”が物理的手段を取り始めるまで、そう長くはないだろう。



ドシャアアアアン!!!!!


 突然館の一階部分の壁が勢い良く吹き飛ばされ、更にその瓦礫の中から一人の男性が飛ばされて地面に転がった。。


 金ピカのローブに身を包んだ、白い巻き毛の男だ。

 だが、その高そうなローブはすでにボロボロで、顔につけているモノクルは枠だけになっている。


「早く逃げて!!」


 ルシエラが大声でその男に避難を指示する。

 そしてその男も”お前に言われるまでもない”とばかりに、必死で這い出してくるが、脚を怪我しているのか立ち上がることができないようだ。


「ヒイッ・・・ヒイッ・・・・」


 もはや悲鳴なのか呼吸なのかわからないような音を発しながら、その男が死に物狂いでできるだけ館から距離を取ろうとする。

 その顔にはこれ以上無いほどの恐怖が刻み込まれていた。


「くそっ・・・」


 これでは間に合わないと判断したルシエラがその男に向かって駆け出そうとしたその瞬間。


「ぎゃあああああああ!!!!(ブチッ!!!!


 突如新たに噴き出した黒い煙が、そのままその男の上にのしかかり踏み潰してしまった。


 それはもはや煙でなく、何か巨大な生き物の脚のようですらある。

 そしてその足が叩きつけられた瞬間、まるで超巨大魔獣の足踏みのように地面が音を立てて揺れた。


「まずい・・・まずい!まずい!」


 慌てて館から距離を取る。


 すると、たった今まで自分がいたその場所に、真っ黒で巨大な物体が叩きつけられた。

 よく見ればそれは別の場所から噴出した煙が変化して実体化したものだった。


 咄嗟に逃げなければルシエラも、あの身なりのいい男と同じように踏み潰されていただろう。


「何だあれは!?」


 ここに来て初めてウバルトの顔が驚愕に染まった。

 ヘヘ、ようやく驚いたか。


 思わずそんなことを一瞬思ってしまったが、どう考えても危険なのはルシエラの方だ。


 館から距離を取っている最中にも、明らかにこちらを狙う様な軌道の瓦礫が飛んできた。


「くっ・・・せいや!!!」


 それをなんとか防御魔法陣で防ぐ。

 本当ならば即応性が求められ、一段・・・しか魔法陣制御が使えないこの魔方陣はルシエラとしては痛いほど燃費が悪いのだが、仕方がない。


 振り返ると、側面から噴き出していた黒い煙のようだったものが、今では完全な形を取り始め、生き物のようにのたうちまくっていた。


 そして、そうやって周囲の瓦礫を砕きつつ、その破片を取り込んでいるようにも見える。

 どうやら、あれが物理的実体の正体か。

 純粋な魔力の煙だったものが、瓦礫で作られた新たな実体を動かしているようだ。


 あれは確か・・・・


「くそ! フロウか!? だがあの量は!?」


 ウバルトがそんなことを叫ぶ。


 フロウ・・・確か原始的なゴーレムの一種だったはずだ。

 魔力の流れに応じてどんな形にも変形するので、非常に応用製が高いが魔力の扱いがとんでもなく難しく、聞いた所によると10cmほどの塊を制御するので手一杯だったという。


 そんなフロウを武器にしていたのは、後にも先にも”ゴーレムマスター”とまでいわれた、”カシウス・ロン・アイギス”くらいのものだ。


 だがその彼でさえ1m四方ほどの小さな塊を変形させているのが手一杯で、今あそこに見える膨大な量など前例がない筈だ。

 一体どれほどの魔力制御能力があればあんなことが出来るのか?


 幸いにも文献に登場するような高純度のフロウというわけではないようで、所々まだ瓦礫の形を残したままの物体が飛び出して見えている。

 

 だがそれも徐々に砕かれて純度を増しているな。


「ウバルトさん! ああなっては押さえるだけじゃ駄目です!」


 幸いにもまだ、押さえ込みの魔法陣は健在だ。

 もともと魔法陣は作った者以外が干渉できるものでは無いので、どうしようもできないのだろう。

 これでも高位の魔法士などは抜けてくるのだが、そこまでの知識がないか、判断ができない状態なのだろう。


 だが、魔力が物理的な力を得た現在、あの魔法陣では被害を押さえ込みきれない。


「あの館から飛び出しているやつを吹き飛ばさないと!」


 ルシエラが大声で指示を飛ばす。

 そして館の方角に向かって自らが用意していた攻撃魔法を放った。


 ルシエラの目の前に自身より大きな魔法陣が飛び出し、その中心から青白い光が飛び出す。

 その光は一直線に館の側面に突き刺さると、建物ごと黒い魔力の流れを粉砕する。


 あっという間に半分の噴出口が消え去った。


 だが・・・


「グギャアアアアアアア!!!!!!!」


「な!?」


 魔力の噴出がまたも形を変え、今度はまるで竜のような頭が飛び出してくる。

 そして、見た目通り竜の耐久力で持って、ルシエラの攻撃を凌ぎきってしまった。


 さらに他の噴出口からも同様の魔力でできた竜の首が飛び出してきた。

 

 その姿はまるで建物の中で生まれたヒドラのようだ。

 その大きさも本物のヒドラ並みだし、持ってる魔力の量はおそらく上回るだろう。


 完全なる怪獣だ。


 そしてその怪獣のうちの一匹がこちらを向く、ルシエラの攻撃を耐えきったやつだ。

 どうやら攻撃したこちらを敵と認識したらしい。


 その口が大きく開かれた。


 一体何をするのか?


 そのとき怪獣の口の中で大量の魔力が集中するのを検知した。


「!?」


 あわてて”それ”を避ける。

 ”それ”が、なに・・・かなんて確認している余裕はない。


 ただ何かとんでもない量のエネルギーが、横を通過したことだけは分かる。

 ルシエラの後ろで目標を外した”それ”が轟音を上げて地面に着弾するのを感じた。


「くっ・・・」


 そのあまりの衝撃に、余波だけで一瞬足元がふらついた。


 なんという威力か、直撃を受けた建物の一階部分が消滅し、その上の構造物が一気に下に崩れ落ちる。

 避難が完了していてよかった。

 こんなもの普通の人が喰らえば一溜まりもないだろう。

 だがそれに構っている暇はない。


 どうやら相手はその攻撃を連発できるようで、次々にこちらに向かって放ってきた。


「くそっ、ばけものめ!!」


 ウバルトが叫びながら、その攻撃を大魔法による一撃で霧散させた。

 なるほど、さすがは本職の”エリート”。


 ルシエラにはできない魔力の大盤振る舞いだ。


「よくみろ、今のはただの魔力をぶつけているだけだ」


 なんだって!?


 あわてて、新たに飛んできた”それ”をよく見てみる。

 驚いたことにたしかに”それ”はただ単に魔力をとんでもないほど圧縮しているだけの代物だった。


 まったく、”こいつら”ときたら・・・


 こんなとんでもない方法で威力を確保するやつが、ガブリエラの他にもいるとは思わなかった。


 だが残念だったね。


「その魔力、使わせてもらうよ!!」


 ルシエラが手に大量の魔法陣を展開しながら、突っ込んでいく。


 当然怪獣はそれを見て、ルシエラに向かってまたも魔力砲撃を放つ。

 だが今度はそれを避けたりはしない。


 むしろ自分から当たりに行くように、動きを調整した。

 そしてルシエラに着弾する直前、伸ばした右手の先に展開されている魔法陣に魔力の塊が触れると、まるでそこに吸い込まれるようにその魔力の塊がルシエラの手に収まる。


 だが次の瞬間、その膨大な魔力がルシエラの手に張った魔力の層を僅かに突き破り、青白い火花が噴き出す。


「ちょっと!? これ一発で私の総魔力量の3倍はあるんだけど!?」


 未だかつて、これほどの魔力の無駄遣いを見たことがあるだろうか?


 正直処理し切るために燃費改善用の魔法陣を幾つか慌てて消す程だ。

 それでも、ルシエラの最大級の極大魔法陣にはいつもよりも遥かに多めの魔力が流れた。


「今日はいつもよりも魔力多めよ! 起きなさい! ”ユリウス”!!!」


 魔法陣がルシエラの頭上に向かって立体的な形を取り、さらに変形しながらその姿を現す。


 尻尾まで含めた体長は70mを優に超え、その巨大な羽で大空を覆い尽くす青の鱗を持つ竜。

 その鱗の下に内包された圧倒的魔力が放つ青い輝きが、その竜の神秘性を増しているようだった。


 これがルシエラが持つ最大戦力にして、最大の相棒”ユリウス”だ。


 そしてルシエラがその背に魔法を使って大きくジャンプし乗り移る。


「今回はきつい相手だけど、頼むわよ!」

「グウォゥ!!」


 ルシエラの期待に任せておけとばかりに、ユリウスが一吠えして応える。

 そして凄まじい力で青く輝く翼を羽ばたき、大空へと飛び立った。



 ユリウスの羽ばたきで発生した暴風が地上を駆け抜け、巻き上げられた瓦礫とホコリに地上に居る者たちが思わず目を閉じる。


「・・・っく、まったく人のことを考えぬ小娘だ! だが」


 ウバルトが悪態をつきながら建物の様子を確認する。

 もはや煙とはいえなくなった黒い竜たちが、突如発生した青き竜に対して警戒感を持ったようだが、この風圧にうろたえた様子はどこにもない。






 上空から見ると状況がよく見える。

 まるで星空のように真っ黒な大地に魔力灯の明かりが浮かぶピスキアの中心部に突如発生した闇・・・・だがそれは暗いものではない。


 真っ黒でありながら、光って見える。

 この矛盾は完全に魔力の特徴だ。


 そしてルエエラとユリウスは、その光の中心に狙いを定める。


「いくよ! ブレス!!」

「グアアアアアアア!!!!!」


 ルシエラの指示を受けたユリウスが大きく息を吸い込みながら急降下を始めた。

 大きな魔力を帯びたユリウスの鱗が急激に青く輝く。

 きっと地上から見れば、夜空に突如新たな星が誕生したようにみえるだろう。


 そこにさらにルシエラが大きな魔法陣を展開する。

 今はユリウスの魔力を使えるので、燃費対策用の多重展開は無しだ。


 2つの巨大な魔力が複雑に混じり合い、単独で使用した場合よりも遥かに強力なエネルギーへ変換されていく。


 そして一気に竜の頭上に突入し、


 ユリウスが渾身のブレスを口から吐き出した。

 

「グアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!」


 まるで地獄の底から聞こえてきたかのような轟音が、ピスキア中に響き渡る。

 凄まじいエネルギーがルシエラの作った魔法陣に突入し、さらにその特性を変貌させる。


 もはや全てのものを消し飛ばして余りあるほどの威力の光となったブレスが、黒き竜達の頭上に降り注いだ。


 


 

 何て威力だ!?


 ウバルトの瞳は驚愕に染まる。


 まるで昼間のように周囲が青色の太陽に照らされ、その熱が少し離れたところにいるウバルトにすらダメージをあたえてくる。

 他の者を避難させておいてよかった。


 幸いにもウバルトは防ぎ切るだけの防護壁を魔法で作ることが出来るが、もしここにウバルトよりも少しでも弱い者がいれば、この熱で致命的な火傷を負ったことだろう。


 だがそれよりも。


「くそっ・・・、あの小娘め! 館の中の人間は見殺しか」


 てっきり、ゴミのような命にも肩入れするような小娘かと思ったが、状況次第ですっぱり切り捨てられる一面も持っているようだ。

 

 これほどのエネルギーの直撃をくらえば、あの黒い竜どころか、”奴隷の館”もろとも跡形もなくなってしまうだろう。

 実際に、館の周囲の建物は既に全て崩れ落ちている。


 ここだけでもその被害は大変なものになるだろう。


「事務処理が大変だな・・・・」


 その直後、ウバルトの顔が驚愕に染まる。



 青い光の嵐が治まると、その中になんと先程までとほとんど変わらない館とそこから顔を出す竜の姿が見えたのだ。


「なんという耐久力だ!?」


 まるでクレーターのように広がる被害範囲の中に佇む館の姿は、まるでそれ自体が魔王の様な迫力を持って見える。

 そしてその偉業を成し遂げた黒い竜には、もはや畏怖というべき感情が湧いてきた。


 だがそれでも、無傷ではなかったようだ。


 幾つかの首が途中で千切れ、その断面から魔力が力なく噴き出し、気のせいか全体的に覇気が薄い。

 それでも黒竜の首が、今しがた自分を攻撃した青竜目掛けて、大きく口を開ける。


 だが、それを許してなるものかと小娘を乗せた青い竜が館へと突入した。


 再び発生する凄まじい衝撃波。

 

 その向こうで、青竜が黒竜の首筋に噛みついている姿が見えた。


 恐ろしいほどの振動が周囲を襲う。


「・・・くっ、あの小娘、こんなところで無茶しやがる!」


 吹き上がった煙の向こうで、竜と竜がお互いの首に噛み付き合っていた。

 ただし、黒竜の方が首の数が多い。


 黒い首が、青い竜の首だけでなく、翼や胴体にも噛み付いた。

 だがそれが小娘の狙いだったようだ。


 黒竜の牙は青竜の無駄に光り輝いている鱗に阻まれて通らず、逆にその鱗に引っかかって抜けなくなってしまった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る