1-10【ピスキアの長い夜 4:~Poisson~】



 モニカを乱暴に抱えたまま男が建物の廊下を進んでいく。

 

 最初こそ豪華で綺麗な内装が続いていたが、それもとあるドアを越えるまでの事で、そこ越えた瞬間に突然雰囲気が豹変した。

 それまであたりを漂っていたのは薄い香料の香りだったが、今はプンと鼻につく臭いに変わり、風情のあった木製の壁はゾッとするほど冷たい真っ白なタイル張りに、キレイな絨毯が敷かれていた床も薄汚れた石のものに変わっていた。


 更に廊下の左右には豪華な部屋の代わりに、わずかな魔力灯に照らされた薄暗い牢屋のような部屋がいくつも連なっていて、その内の幾つかには実際に奴隷と思われる人間が閉じ込めらられていた。


 皆虚ろな瞳でこちらを見つめている。

 だが、その瞳にあるのは不思議なことに憐れみだった。


 そんな光景が一体どれほど続いただろうか?


 いつのまにか周囲の雰囲気はさらに異なるものに変わっていた。

 牢に入っている者の様子が段々と不健康なものになり、表情だけでなく実際に見た目まで暗いものに変わり初め、次第に硬い床に寝かされて動かなくなっている者も増えていった。


 この辺りまで来ると、臭いの大本が汚物から吐瀉物へと変わり始める。


 中には細かく体を痙攣させている者もいた。



 だがそこでもモニカを運ぶ男の足は止まらない。

 流石に彼等よりは健康だと思うのだが・・・・。


 

 結局モニカがたどり着いたのは、廊下の突き当りに設けられた奇妙なまでに明るい部屋だった。


 だがそこはこれまで見てきた牢屋のような、奴隷を置いておくためのスペースには見えない。

 奇妙なまでに小奇麗に掃除されていたその部屋は、真っ白な壁に高級なはずの魔力灯をふんだんに使い、かなりの明るさを確保していた。

 そして壁に設置された棚の隙間からは、美しく磨き上げられた沢山の器具が見えている。

 その多くはペンと同じくらいの大きさの刃物だ。


 そこは、これまで見てきたこの館の中でも最も清潔な場所と言ってもいい。

 だが同時にモニカはかつて見たことないほどおぞましい場所に見えた。


 部屋の中央には金属製の巨大なベッドが4つ置いてあり、そのうちの一つにモニカが乱暴に寝かされた。

 

 その時に頭をぶつける形になり、思わずその痛みで頭を押さえようと手を伸ばしたが、その手が頭に届くよりも早く掴み取られて、ベッドの端に恐ろしく太いベルトで固定される。

 そして反対側の手も同様にベッドの反対側に固定され、両足も同様に肩幅で開いた状態で固定された。


 その時にかつてない危機感がモニカを襲い、最後の抵抗とばかりに暴れようと力を加えるも、その力は一体何処に行ったのやら、もはや自分で体をほんの少し動かすことすら出来なくなっていた。


 そんなモニカを尻目に首がベルトで固定され、完全にベッドの上に貼り付けの状態になってしまった。

 そして最後に両手を目一杯横に、両足も限界まで下に伸ばされた状態になるように調整され、そしてその状態で固定されてしまうともう身じろぎ一つすることができない。

 さながら大の字の状態で固定されていた。


 そしてその無理矢理な固定のせいで全身に新たな痛みが走る。


 そしてモニカをここまで運んできた男が、その様子をひとしきり確認した後、軽くうなずき一歩下がる。


「また面白いものを、それで? 全部使っ・・・ちまってもいいのか?」


 いつの間にこの部屋の中に入ってきたのだろうか?

 モニカから見て右側のベッドの側に灰色の服を着てドス黒い染みをいくつも付けた白いエプロンを付けた人間が立っていた。

 声からして男だとは思うが顔が見えないのではっきりしない。


 そいつは頭にも灰色の帽子をかぶり、顔面の殆どを覆うような大きなマスクをして、大きめのメガネを掛けていた。


「ボスは廃棄・・・すると」

「そりゃそうだ、ここまで暴走が進んだ呪い子なんて不良債権以外の何物でもないからな、さっさとバラして次の糧にしたほうが、この子も浮かばれるというものだ」


 なんだろうか? こいつの私を見る目、どこかで見たことがある。

 ふとモニカはそう思い、記憶の中を探ってみる。

 だが頭が回らないせいか、なかなかそれを思い出せない。


 こんな時”彼”に聞けば答えてくれるだろう・・・・”彼”?


 モニカはふと一番忘れてはいけないものを忘れているような、そんな感覚に囚われた。

 

「ふむ、ねえ君、いつも言ってるだろ・・・服ぐらい・・・取っておけよと」


 灰色の服を着た人間がいつの間に取り出したのか、大きなハサミを使ってモニカの服に切れ込みを入れて乱暴に脱がせていく。

 だがその手つきは乱暴ではあったが、酷く手慣れたもので、まるで肉の解体所で屠殺された獣の皮を剥いでいるかのようにも見えた。


 あっという間にベッドの上で裸にされたモニカは、視界の端に映る切り裂かれた自分の衣服の残骸に悲しみを覚えた。

 目を閉じれば、この服を買った店の窓に映る自分を眺めた時の光景が蘇ってくる。


 この服は、青い服を欲しがった自分を説得して、”彼”が強く勧めてくれたものだ。

 いわば”彼”との繋がりでもある。

 それを破壊されたことに、モニカの中に渦巻き始めていた”怒り”に新たな火が注がれた。


 そんなことも知らず、その意味も知らなかったそいつはただ淡々とモニカの体に手で触れ始めていた。 

 体のあちこちを撫でたり指で押したりしている。

 どうやら、モニカの体の状態を確かめているようだ。


 見れば本来ならば真っ白なはずのモニカの体のそこかしこに、いつの間にか黒いシミのようなものが浮き上がっていた。


「肌の表面に魔力が浮き出してる、この分だと肝臓は使わないほうがいいな、ただ心臓は問題ないだろう」


 そいつが胸の染みを指で抑えながらそう言った。


「心臓はケリィに・・・胃はハンスあたりか・・・魔力がきつすぎて目は使えないか・・・子袋も大丈夫そうだな、マリーも追加だ、地味に値段が変わるからな”再利用”出来るものは使わねば」


 ああ、こいつ男だ。

 マスクの向こうでにやりと笑うそいつの表情を見た時に、モニカはそう思った。

 そして先程、どこかで見覚えがあると思った視線も思い出すことが出来た。


 むかし・・まだ自分が小さかった頃・・・・いや、今でも小さいか・・・

 とにかく今よりも小さかった頃、ようやく一人でサイカリウスを仕留められるようになった頃に、いつものように仕留めたサイカリウスの腹を割いていたとき、ふとそいつ・・・の目に映る自分の姿を見てしまったのだ。

 そこには獲物を解体してどう料理してやろうかと興奮気味に喜ぶ自分が映っていた。

 その何とも言えない不気味な自分の姿。

 

 こいつは、その時の自分と同じ表情をしていたのだ。


 ああ、そうか、自分は今から解体されて喰われるのか。

 モニカは自分の状況をそう理解した。


「肌の染みもシメ・・・てから3日もすれば抜けるだろう、使い物にはならんが剥製には出来るな、こういうのも馬鹿にできんて・・・局部だけでも欲しがるやつはいるからの」


 どうやら彼の中で自分を使ったレシピ・・・が完成したようだった。

 モニカは過去の経験から、そいつの微妙な様子の変化をそのように理解した。


 そして部屋の中に人間が次々に運ばれてくる。

 見た感じ皆かなり状態が悪い。

 

 だが、本能的に彼等に向けられる視線がモニカに向けられるものと大きく異なることに気がついた。

 男たちが彼等に向けている視線には低俗で下卑たものではあるが”期待”が込められている。

 それは”見放された”自分へ向けるものとは根本的に異なるものだった。


 そうか、自分はこれから彼等の糧になるのか。


 モニカは不思議な感覚の中、彼等を見つめる。

 これから自分を食らう存在を。


 彼等には怒りは感じない。

 倒れた者を糧として新たな者が進む。


 それは自然の事だ。

 そうやって進んできた自分が、糧となる日が来ることを憤ったりはしない。


 だからこれは別の”怒り”だ。


 男が満足げに小さな刃物を自分の体にそっとあてがう様子を眺めながら、モニカは自分の全てが自分でなくなる感覚を感じていた。




 

※※※※※※※※※※※※※※※※



 奴隷の館の最上階で、この館の主が数々の証書の枚数を数えていた。

 これは今日の”市”での売上だ。


 ここでは現金はあまり使わない。

 もちろん金庫の中には大量の金貨が入っているが、それがメインではないのだ。


 ここでの取引の殆どを占めるのは、他の都市との奴隷のやり取りだ。

 そこで取引に使うのは様々な”もの”の権利書だ。


 実際に物のやり取りをするわけではない。

 その権利を金の代わりに支払うのだ。

 そしてこれがひどく儲かる。


 今日だけでも数百万セリスに相当する儲けが出ている。

 彼はそれを確認するこの瞬間がたまらなく好きだった。

 

 だが今日は少々機嫌が悪い。


 それはずっと彼を見慣れている者にしか分からないほど微妙なものだが、たしかに彼の機嫌は悪かった。

 彼の脳裏に引っかかっているのは、先程”処理”を命じた少女のことだ。


 あれは健康ならば20・・・いや25万で売れる自信のある代物だった。

 いや、それは空想上の儲けだ。


 仮に健康だったならばこの館の崩壊の危機だったかもしれない。

 そもそも捕まえられることなんてなかっただろう。

 だからこれは考慮するだけ無意味なことだ。


 だがあの目・・・


 あの瞳に滲み出ていた魔力の量は尋常ではない。

 それこそ警備隊の隊長クラスの魔力は有ると見ていい。


 たまたまそれが呪い子で、たまたま制御用の魔水晶を失っていたからこそ大丈夫だっただけの話だ。


 そう、大丈夫だったのだ・・・・

 彼は自分にそう言い聞かせた。



グラリ・・・


「・・・?」


 その時、確かに館の建物が小さく揺れた。


「・・・・・・・」


 暫く動きを止めて周囲の様子を窺う。

 

グラッ・・・・


 間違いない。


「何事だ!!?」


 彼は叫びながら廊下に出る。

 その瞬間、なんともいえない不快感に襲われた。


 廊下は奇妙なまでに静かだ。


 まるで誰も居ないかのようだった。

 いや、目の前の扉がガチャリと開き、奴隷を買いに来ていたどこぞの女性が何事かと心配そうに顔を見せたので誰もいないわけではない。


 だがその女性も廊下に顔を出した瞬間に不快感が顔に滲んだので、この感覚が自分だけでもないことに気づく。


「なんですか?」


 そう問いかける女性の言葉を無視して、彼は廊下をずんずん進んでいく。

 

 階段に出た瞬間、下から何かおぞましい何かが噴き出してくるのを感じた。

 そして、間違いなく何者かの視線・・・を感じたのだ。


 その瞬間、彼の中を本能的な恐怖が支配した。




※※※※※※※※※※※※




 見える・・・


 すべてが見える。


 先程からこの建物の中のことが、まるでそこにいるかのように見ることが出来た。


 そしてその範囲がどんどん広がっている。


 体の中の熱さもどんどんその強さを増している。


 今は自由自在に館の中を移動できる、だがそれは自由ではない。


 体は未だにベッドに縛り付けられたままだし、移動も自分の意志では行えない。


 ただ、何かが気分次第に動き回り、そこにいる者達をこれまた気分次第で”潰して”いくのを眺めているだけだ。


 ひょっとすると”彼”はいつもこんな気分だったのだろうか?


 だが自分がそれを認識していられるのはそう長くはないようだ。



 遂に、目の前に立ったこの男の顔すらまともに認識できなくなった。


 なにか、目の前で喚いている。


 あつい・・・・


 先程から、自分の内側が焼け付くように熱い。


 

 もう目の前の男なんてどうでもいい・・・・


 なんでこんなに苦しいのか・・・


 そうだ、目の前のこいつが悪いんだ・・・・


 よくもこんな目に合わせやがって・・・・


 体が元に戻ったら絶対に殺してやる・・・・


 いや、いま殺してやる。


 どんな方法を使っても殺してやる


 殺してやる・・・・


 殺してやる・・・殺してやる・・・


 殺してやる・・・殺してやる・・・殺してやる!


殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してや


 、ブツッ・・・・・・・・・



”フランチェスカの異常動作を確認”


”緊急状態に移行します”




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※





「・・・・・ここまでが私の覚えていること」


 洞窟の中でモニカがそう呟いた。


「俺も薄っすらと、内容は理解していたが・・・・」


 やはり、モニカが奴隷になってしまった事実は俺の胸にどんと重たくのしかかった。

 いくら全ての手段を失ったとはいえ、俺がついていながら特に何もできなかったのだ。


 もう少し真面目に魔水晶を失ったときの対策を考えておくべきだった。


「いいよ、今は戻ってくれたんだし」


 モニカが右手に嵌められた魔水晶を愛おしそうに左手で撫でる。

 その表情からは、心の底からの安堵が感じられた。



「さて、あなたの記憶がそこまでということは、ここから先は私が話さないといけないようね」


 後ろから澄んだ声が発せられた。

 ルシエラと名乗る青い髪の少女が、話を引き継ぐことを提案してきた。


 そうだ、そういえばまだこの子がいたんだっけ。

 俺としたことがモニカの話に夢中で少々存在を忘れかけていた。


「だが、あんたが知らない部分もあるだろう?」


「そこは、あなたが補填してくれればいいわ、”スキルさん”」

 

 ルシエラがそう言って、モニカの上に陣取るフロウの塊に向かって微笑む。


「ああ、いや、俺はそっちじゃなくて、モニカの中にいるんで」

「あらごめんなさい、でも、声はそっちから出てるんだし、その子と見分けがつかないから、暫くはあなたに声をかける時は、・・の方に話しかけさせてもらうわね」


 ルシエラはそう言って、フロウへ視線を送るのをやめようとはしなかった。


「はあ・・・まあ仕方ないか、好きなようにしてくれ」


 この様子だと、強く求めても変えてはくれないだろう。

 それに今はまだ、俺達はこの少女に監視されている立場だ。



「それじゃあ、私が見た話を始めるわね」

「は、はい・・・」


 モニカがルシエラの言葉に緊張しながら返事する。


「まず最初は・・・・・おそらく、あなたの記憶が途切れた瞬間だと思う所から始めるわ」



 そして、ルシエラと時々俺の補足で、ピスキアの長い夜の第二幕が語られだした。


 



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