1-10【ピスキアの長い夜 3:~Potage~】





 どこか知らないところへ運ばれる間、意識は殆どなかった。

 たまに意識が戻りバタバタと手足を動かしてみるも、これほどまでに衰弱していては何も出来ない。


 その時、突然股ぐらに違和感を感じる。

 どうやら男が歩きながら、モニカの全身を撫で回しているようだ。


「・・・っち、胸も尻もショボいな、まあ、顔はいいからそれなりの値がつくと思うが・・・」


 まったく大きなお世話だ・・・・


「それよりも・・・・」


 男が懐から”自分の大事な物”を取り出す。

 その姿が見えた瞬間、本能的に”それ”に向かって手を伸ばした。

 だが、モニカの手が”それ”を捉える瞬間、

 男の手がさっと前に突き出され、自分の手から遠ざけられる。


「なんで・・・返してくれるって・・・言ったじゃない・・・」


 この嘘つき!


 だが最後の言葉を、言葉にする体力はなかった。


「返したさ、そして今はお前ごとおいらの物だ、つまりこれもおいらの物」


 モニカはその言葉の内容は理解できなかったが、男が”それ”を返してくれる気がないことは理解できた。

 だが力の限り暴れたところで、今の体力では何も変わらない。


「ってうわ!? こら! 暴れるな・・・・・!」


 その瞬間、何かがモニカの心臓を抉るかのような痛みが発せられ、暴れていた手足がピタリと止まる。

 そしてどれだけ暴れようと意識しても、その思考が痛みによって遮られてしまった。


「ふん、契約は効いているみたいだな・・・そうやって大人しくしていれば、痛い目に遭わずに済むんだ」

「うっぐ・・・・」


「それにしても今日は本当にツイてるな、まさかこんな簡単に一人拾える・・・・とは、それに・・・・」


 男が立ち止まり手に持った”それ”を目の前に掲げると、うっとりとその吸い込まれるような透明な輝きに見惚れる。


「こんな上物の無色の魔水晶が手に入るとは、これ一個で20年は遊んで暮らせるぞ!」


 まるでウキウキと言った表情で再び歩みを始める。

 

 男の肩に背負われ、上下が反対向きに見える景色からここが橋の上であることを悟る。

 宿屋や協会のある地区から橋を渡った先・・・・


 そういえば、ロンが注意していたような・・・・

 たしかシリバでテオがくれた”行ってはいけない場所”がこの橋の先だったはずだ。


 このままではまずい、そう思ってはみるも魔力も全く使えず、ロンのアシストもない状況ではやはりバタバタと手足を動かす他にできることはなく。 

 そんなことをいくら続けても、雀の涙ほどの僅かな体力がさらに削れていくだけだ。


 そして遂に男は自分を抱えたまま橋を渡りきってしまった。


 その途端、体温が一気に下がったかのような寒気を感じる。

 それほどまでに周囲の雰囲気が一気に暗いものに変わったのだ。


 建物は薄汚れ、地面には大量のゴミや汚物が落ちていて、鼻につく異臭を放っていた。

 どれほど意識が混濁してようが、そこにいて気持ちのいい場所ではないことくらいは分かる。


 そんな汚らしい街並みを男は自分を抱えたまま、歩いて行く。


 人通りは本当に少なく、たまにすれ違う人や馬車に乗る御者も、その多くは顔を隠し、こちらが視線を向けても決して視線をこちらに向けようとはしない。


 そんな町の中を一体どれほど進んだだろうか?


 不意に男が駆け足になった。



「だんな! 待ってくれ!! 一人追加だ!!」


 男が誰かに呼びかけるが、抱えられた体勢ではうまく前が見えない。


 男は暫く走った後、何やら黒い馬車の前でその足を止める。


 その馬車は黒無地で窓もなく、どちらかといえば屋根の付いた荷馬車といった方が近く、その黒さが闇夜に溶け込んでいた。

 明らかに真っ当な人間の乗るものではない雰囲気が漂っている。


 そしてその馬車の前に、これまた黒尽くめの顔を覆った背の高い男が立っていた。


 自分の身長の倍はあろうか?

 いくら自分の身長が低くとも、さすがにその二倍ともなると大人でもなかなか見かけない。


「その子供か?」


 黒尽くめの男が、自分を抱える男に声をかける。


「へい、最近なかなかに見かけない、上物の女の子供で・・・」

「どこで拾った?」


 そう問いただす黒尽くめの男の声は、マスクで篭っているせいかとても恐ろしげに聞こえた。


「冒険者協会横の宿で、フラフラになってたんで契約を試してみたら、これが上手くいって・・・」

「冒険者協会横の宿だと!?」

「へ、へい・・・」

「あそこは、強い連中も出入りする店だぞ!? 子供だからといっても侮れん」


「だ、大丈夫ですぜ、だんな、こいつ弱ってるんで何も出来ませんでしたし、既に契約も済んでるんで元気になっても襲われる心配はありません」


 自分を抱える男が必死に大丈夫だとアピールする。


「・・・そいつの顔を見せてみろ」


 そう言って黒尽くめの男に首をつかまれ顔を上に向けさせられた。


「ふむ、暗くてよくわからんが悪い顔ではなさそうだ・・・」


 黒尽くめの男が自分の顔を見ながらそう言う。


 ところでどうでもいいが、首だけ掴まれて力任せに変な体勢になったせいで背骨が痛い。

 早く降ろしてくれ。


 そしてその願いを聞いたかどうかは知らないが、黒尽くめの男が手を離し再びだらんとここまで運んできた男の方に垂れ下がる形になった。


「2600・・・」

「2600!? この見た目なら10万は下らねえぞ!!」


 黒尽くめの男が何かの数字を言い、それに対して担いできた男が文句を言う。

 だがその数字が自分に付けられた値段だと理解するのには、少し時間を要した。


「それは末端価格・・・・・だ、それにそれだけ弱っていれば回復させるのにコストも掛かる」

「だからって2600はひどすぎる!」

「嫌か? ならば他を当たれ、どこもこれ以下だろうがな」

「ぐぬぬ・・・・」


 担いできた男が少しの間、そうやって唸る。


「・・・・わかった、2600で売ろう」


 だが最終的にその値段で承服した。


「馬車の中に乗せろ」


 黒尽くめの男が短く指示を出し、ここまで自分を運んできた男がそれに従い、真っ黒な馬車の中にドサリと自分を降ろした。

 馬車の中の硬い床が背中に当たって痛い。


「・・・じゃあな」


 男は馬車の床に転がる自分に軽くそう言うと、黒尽くめの男に向き直る。


「それじゃ、手続きと行きましょうぜ、旦那」


 そう言って懐の中から、またあの紙を取り出した。

 だが黒尽くめの男がそれを片手で止める。


「まて、その魔法陣は今は足がつく、こちらを使え」


 すると黒尽くめの男が懐から新たな紙を取り出し、そこから小男が持っていた紙と似たような魔法陣が浮かび上がる。


「あの小娘の所有権を、”ナグラム市場”へ2600セリスで譲渡する、それでいいか?」

「ああ、良いぜ旦那、さっさと金をよこしな」


 すると魔法陣がまたも複雑に形を変えて2つに別れ、二人の男の胸に消えていく。

 そしてそれが終わると直ぐに、黒尽くめの男が懐から袋を取り出し、そこから硬貨を数えて運んできた小男に渡した。


「では、また良い奴隷が入ったら持ってきてくれ」

「今度はケチらんでくださいよ」


 黒尽くめの男に卑しい笑みを見せて、運んできた男はそのまま立ち去っていく。


 だがそれを黙って見送るわけにはいかなかった。


「・・・・まって!・・・・まだ・・・あれを」


 返してもらっていない。

 

 だがその声を出そうとした瞬間に、急激に体の内部が熱くなりその苦しみに悶え苦しんだ。

 

「・・・・っぐ・・・・」


 暫くの間、そうやって馬車の床で痛みに耐えていると、一瞬グラリと馬車が大きく揺れる。

 どうやら動き出したようだ。


 まとまらない意識でもそれは理解できた。

 このまま自分は一体、何処に連れて行かれるのだろうか?


 なんとかこの状況から脱出しなくてはと立ち上がろうと試みるも、激しく揺れ動く馬車の内部で立ち上がるだけの力が脚に入らない。


「うう・・・」


 すると、不意に周囲から呻き声のようなものが聞こえてきた。

 見れば、この馬車には他に多くの人間が乗っていた。


 それも殆どの者が縛られたり布を被せられたりと、とにかく何らかの方法で動けないようにされていた。

 どうやら自分は何もしなくても逃げられないと思われたようだ。


 その油断を突いてやりたいが、実際に今は動けそうにない。

 適切な判断だろう。


 自分の周りにいる人間は老人から子供まで一貫性はないが、皆一様に暗い顔をして俯いている。

 それを見て、薄っすらと自分の現状を察することができた。


 一体何処に連れて行かれるのだろうか? 黒い馬車の行き先について暗い不安が湧いてきた。

 




「あのドケチ野郎め・・・・2600は少なすぎだろうが!」


 ピスキアの暗黒街を一人の男が悪態をつきながら歩いていた。

 どうやら、彼にとっては不本意な取引だったようだ。


 だが、それでも他に持ち込む宛がない彼にとっては、あの条件を飲む他無い。

 最近はそれを薄々感づかれているのか、妙に足下を見られることが多くなった気もする。


 だが、それでも彼の顔には僅かながらの笑みが見える。

 

「まあ、いい、今日はこっちがあるからな・・・」


 そう言って懐の中を弄り始めた。


「これだけの純度なら・・・20万は・・・くだらねえ・・・・あれ?」


 その顔が急に曇る。

 そして、段々と冷や汗を浮かべながら、懐のポケット野中を必死に探し始めた。


「・・・ない・・・ない・・・・何処へ行った!?」


 夜の闇の中で男がそう叫びながら、服を脱ぎ、逆さにして必死の形相で上下に振る。

 すると服の中から様々のもの・・・・多くはガラクタやナイフ、商売道具の魔法陣を書いた紙などがバラバラと落ち、そして先程得たばかりの2600セリスも同じように道端に散らばり、その音を聞きつけたのか、周囲から何人かの人間が這い出してきた。


「ちきしょう!! 何処へやった!? なんだお前ら!! それは俺の金だ!!! それ以上近づくんじゃねえ!!!」


 彼が近づいてくる浮浪者達に気が付き威嚇するように怒声を上げる。

 だがそんなものはお構いなしとばかりに、浮浪者たちが地面に散らばる金を拾い始めた。


「待て!! ひろうな!! それは俺の金だ!!」

 

 そして男と浮浪者が醜いつかみ合いを始める後ろで・・・・




 闇に消えるように、一つの魔水晶がコトリと音を立てて転がった。






 少しの間馬車に揺られ、段々とモニカの呼吸も辛くなってきた頃・・・

 既に意識と呼べるものはモニカには残っていなかった。

 

 そんな頃になって、ようやくモニカを乗せた馬車が真っ暗な町の中で一つだけ明かりのある建物へ止まる。

 そこは7階建てのこの近辺では少し大きな建物だった。

 高さこそ低いものの、数百mに及ぶ巨大な横幅からくる圧迫感は中心街の建物と比べても勝っていた。

 

 ここは、ピスキアだけでなく北部一帯から奴隷や数々の違法物品が集まり取引され、通称”奴隷の館”と呼ばれ恐れられる闇市場だ。

 そんな建物の前で馬車の足が止まり、黒尽くめの重武装した男たちが館から出てきて馬車の中の商品・・・を運び始める。


 当然、その中のひとりにモニカの姿もある。


 大柄な男に別の老人と一緒に肩に担がれ運ばれるモニカの目には、館の光がひどく恐ろしいものに見えていた。

 

 中に入るとその印象は一層強くなる。


 光を放つ魔力灯、白い壁、その壁にかかる絵や木製の床、どれもなんてことはないはずのものだが、黒尽くめの大男の背からでは何故か禍々しく見えた。


部屋・・・に入れる前に、並べろ」


 建物の中にいた偉そうな女が黒尽くめの男たちに指示を出している。

 そして彼女も多少豪華ではあるものの当然のように全身黒尽くめの衣装を着込んでいた。


 馬車から運び出された者達が窓のない部屋に並べられる。


 そして並べられた端から偉そうな女が、並べられた者たちを見分し、その結果を木札に書き込んでその者の足下へ置いていく。


 2万4千・・・5万・・・・7万8千・・・・1万・・・・11万・・・



 そして女がモニカに前に立ちモニカの様子を見始める。

 だがモニカの意識はほとんど残っておらず、目も空いていないため、特徴的なその瞳の色を見られることはなかった。


 女は軽くモニカの様子を確認し、木札に値段を書き込みほかの奴隷と同じように足下へポトリと落とす。

 

 書かれた数字は15万・・・それがモニカの値段だった。


 女が全員に値段を付け終わると、一人づつ別々に大部屋から出されていく。

 だがぐったりとして動かないモニカは一旦その場に放置される。


「おい、こいつを売れるようになるまで戻せ」


 女が近くにいた男に残しその場を去る。


 指示された男がモニカに近寄り、軽く小突いたり熱の有無を確かめたりしてその様子を窺い、最後に指で目蓋を押し上げ瞳孔の様子を確認しようとした。


 この時、わずかばかりだが意識のあったモニカは、男が自分の目を見ながらギョッとしている姿が目に入ってきたために、わずかながら危機感が薄らいだ。


 だがすぐに目蓋から手を離されモニカに再び暗闇の世界が戻る。


 そして男が慌てたように、部屋を飛び出していき部屋の中にしばしの平穏が訪れる。

 

 それは奇妙な状況だった。

 こんな状況なのにモニカの中に今日初めての休息の安らぎを感じ、そのお陰でほんの少し意識を戻すことができた。


 だがその安らぎは長くは続かなかった。


 すぐに大勢の人間が部屋の中に入ってくる気配を感じ、わずかに目を開けると、そこには沢山の黒尽くめの者たちだけでなく、身なりのいい紳士服を着た連中も混じっていた。


 見るからに堅気ではない。


 その様子を見たモニカは彼らのことを野生動物のように感じた。

 そしてその野生動物たちはモニカの様子を見て固まっている。

 正確には目を見てだ。


 そしてその中の一人がモニカに手を翳すと、モニカの胸の上に魔法陣が浮かび上がった。


「誰の買い付けだ?」


 その中で一番身なりのいい男が脅すように声を出した。

 彼だけは黒ではなく金色装飾の付いたのローブを着ており、目元には高そうなモノクルを嵌め、白い巻き毛が特徴の偉そうな男だった。

 彼がここのボスなのだろうか。


「イシュエルです」


 モニカに手を翳していた男が短くそう答えた。


「イシュエル、なぜ確認しなかった?」


 ボスと思われる男が、モニカを買い取ったと思われる黒尽くめの男に問うた。


「・・・暗がりでよく見えなかったので・・・それと相手の男は、まさかこれほどの魔力のある者を捕まえられるとは思わなかったので・・・」


「これを」


 モニカに手をかざしていた男が、モニカの右手を掴んだ。


「呪い子か・・・」


 ボスが苦々しげな声を出す。

 その途端周囲の者達が一斉に眉をひそめる。


「念の為に聞くが制御用の魔水晶は?」

「いえ・・・」


 ボスの指摘にイシュエルが言葉をつまらせるように答える。


「だろうな、でなければそもそも抑えておける代物じゃない、いくらで買い付けた?」

「2600です・・・」


 ボスがそれを聞いて少し悩んでから口を開いた。


「今回はイシュエルの損失ということで手を打とう、制御用の魔水晶はコストがかかり過ぎるし、合う保証もない、たとえ20万で売れても利益は極わずか、アフターサービス・・・・・・を含めるとおそらく赤字になる」


 ボスはまるで家畜を切り捨てるかのように、冷酷にその判断を下した。

 一方のイシュエルにしても顔は青いものの、それは突発的な己の判断ミスによる損失を嘆いてのものであって、決してモニカを失うことを嘆いているのではない。


 この場には、誰もモニカを必要とする者はいなかった。

 むしろ不良品のような目で見られ、処理しようとしている。


 その事にたまらなく腹が立った。


 物のように扱われるとはこういう事なのか。



「どうします?」

「廃棄しろ、見た感じ、どうせ長くは保たん」


 ボスはそう言い残して、その部屋から出ていった。

 そして他の者もほとんどがそれに従って部屋を去る。

 残ったのは黒尽くめの連中の中でも比較的みすぼらしい格好をした連中だ。


 なんとモニカを買ったはずのイシュエルすら残っていなかった。


 では、彼らは一体何なのだろうか?


 するとそれに答えるように、そいつ等が近づき乱暴にモニカを持ち上げた。

 もはや完全に物扱いで、適当に持たれたせいで全身に激痛が走る。


 それが切っ掛けだったのか、モニカは自分の体の内側に怒りとは別の熱い”なにか”が噴き出し始めたのを感じた。

 それが何かは分からないが、それに対して言い知れぬ恐怖を感じる。


 そしてそれはモニカの精神が弱るほど勢いを増しているようだった。


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