1-10【ピスキアの長い夜 2:~Hors-d'œuvre~】
「ろーん!」
部屋の中に自分の声が虚しく木霊する。
先程からロンの声が聞こえないのだ。
いくら工程表作りに夢中と言っても限度がある。
しかも妙に体が重い。
今はあまりに体が重いので、宿の自分の部屋のベッドに突っ伏して休んでいるところだった。
「ロン!」
やはり反応がない、一体どうしたというのか?
ああ、頭まで痛くなってきた。
これがロンの言っていた体調不良か?
だとすると疲れというのは、ロンの声まで聞こえなくなってしまうものなのか?
そうだとするなら、きっと今頃、ロンも自分に向かって会話を試みているだろう。
「立ち上がるよー」
そう言ってベッドから起き上がる。
だがいつもより力が入らないせいか、立ち上がった瞬間グラリと姿勢が崩れ思わず目の前の小さな机に手をついてしまった。
立ち上がることを伝えることでロンが筋力強化でもかけてくれるかとも思ったが、どうやらそれもできないらしい。
まるで全身が”ふにゃふにゃ”になったみたいだ。
起き上がるために棒になったフロウを杖代わりに地面につく。
その感触はいつもと違い完全にただの棒になってしまったかのようで、魔力が通る感覚もない。
いや、魔力の感覚自体がなかった。
まったく・・・・・いつもロンに頼りすぎだったせいかもしれない。
自分で魔力を動かすことがこれほどキツイとは。
なけなしの気力を振り絞り足に向かって魔力を流そうと試みる。
だが、一向に反応する気配がない。
これは流石に異常だ。
どうしてこうなってしまったのか。
そして無意識に額から流れ落ちた冷や汗を右手で拭う。
その時ふと、その手が止まった。
そしてモニカは自分の右手の甲を凝視する。
”何かが足りない”
だがそこまでは分かるのに、その先が出てこない。
意識がかなり混濁して、思考がままならなくなってきたためだ。
こんな大事なことすら思い出せないとは。
だが肝心のその大事なことが喉元からなかなか出てくれないのだ。
「あ・・・・、あ・・・・・」
まともに言葉にならない声で、精一杯その内容を吐き出そうと足掻く。
「・・・魔水晶!」
そうだ、魔水晶だ。
思い出してみればなんで思い出せなかったのか理解できないほど大切なもの。
それが本来あるべき場所にないのだ。
モニカの中に寒気のような感覚が駆け抜ける。
それを失えばどうなるって言っていた?
たしか、ただ抑えているだけの”力”に関してはしばらくは問題ないと言っていた。
調整してから数日しか経っていないしそれは間違いないだろう。
だが起動しているスキルは制御が魔水晶に入っているから、段々と”力”が制御できなくなっていって最終的に数ヶ月ほどで死に至るとか・・・・・
だがこの脱力感はその程度の余裕すらあるとは思えないほどのものだ。
しかもどんどん酷くなっていっている。
このままでは身が保たない。
何とかしなければ。
でもどうすればいい?
落ち着け、私。
とにかく今はできるだけ早く魔水晶を見つけなければ。
いったいどこで落とした!?
そうそう落ちるものではない、かなりグラグラとしていたがそれでも専用の道具がなければ外せないほどしっかり付いていたのだ。
「そうだ・・・あの時・・・・食堂で」
たしか、あの”青い少女”の結界に吹き飛ばされたとき、全身に大きな衝撃が走ったはずだ。
その時、体の中を魔力が流れる感覚があった気がする。
考えられるのはそこしかない。
「いかないと・・・・」
なんとか壁に寄りかかる形で、部屋の出口へと向かう。
ほんの数歩の距離なのに、それが今は恐ろしく遠い。
一歩、また一歩と、意識して動かさなければ、自分の足すらまともに動かせる自信がなかった。
そうやってなんとか出口にたどり着き、そのノブを回す。
扉に体重をかけていたために、まるで弾き出されるように廊下に飛び出し倒れ込んでしまった。
廊下の床に体をぶつけた痛みは、いつもならば気にもならないはずのものなのに、今はやけに痛い。
あまりの激痛に意識が一瞬飛びそうになった。
見れば目の前には無限に続くかと思うほど長い廊下・・・・
「こんなに・・・ながかったっけ?・・・・」
なんとか体を起こし、再び壁に寄り掛かる。
そして、ありったけの気力を込めて廊下の先を睨みつけた。
ここで負ける訳にはいかない。
取り戻さなければ・・・・
もう既に何を取り戻せばいいのかも定かではない。
ただひたすらその考えだけで、前へと進む。
そうやって一歩一歩進んでいけば、意外なほどあっけなく廊下の終わりに辿り着けた。
次の関門は下へと続く階段だ。
幸いにもここは2階・・・・1階に降りれば良いので、降りるのは1階分だけで済む。
これがもっと高層階だったならばここで絶望していたかもしれない。
なんとか尻餅をつく形で一段一段、階段を降りていく。
もはや、降りるというよりも、落ちると言ったほうが近い。
滑り落ちる度に体に打ち付ける段差の痛みが、どんどん重なっていく。
1階の床にたどり着いた頃にはお尻が痛みで裂けそうになっていた。
それでもなんとか下には辿り着けた。
左側から喧騒が聞こえてくる。
あそこが食堂だ。
遂には視界がおぼつかなくなってきたがそれはわかる。
食堂に入った時、中の様子は一見すると何も変わっていないような気がした。
同じ人が同じように同じものを飲んでい同じことを喋っている。
そんな錯覚だ。
こんな時ロンに聞けば、きっと違うって教えてくれるだろう。
ああ、ロンと喋りたい。
そのためにこんな苦しみに耐えてここまで来たのだ。
だが、ここに何をしに来たのだ?
「はぁ・・・はぁ・・・・」
段々と呼吸すらも重たくなってきた。
とにかく、”あの場所”へ・・・・
すぐそこだ。
視界の端でいつもの場所に、いつものように青い髪のお姉さんが突っ伏して寝ていた。
相変わらず星のように綺麗な魔法陣がいくつも彼女の周りで光り輝いている。
その隣のテーブル・・・・そこが目的の場所だ。
探さなければ・・・・
落としたとするなら・・・
テーブルの下に倒れ込むように顔を入れる。
そして右へ左へ顔を動かしその”何か”を探し始めた。
それが何かは上手く思い出せないが、それでもそれを見ればすぐに思い出せる自信はある。
どこだ・・・・
どこにある・・・・
その時、
「あ、あった・・・・・」
目の前に”それ”があった。
その瞬間、あまりの安堵に全身の血が一気に動き出したかのような錯覚を覚える。
それはあまりにもあっけなく、まるで自分の不安をあざ笑うかのようにそこに落ちていた。
どこまでも透き通る様な透明な宝石。
探し求めた”魔水晶”がそこにあった。
「ふぅ・・・・」
胸の中に溜まっていた息を吐きだし、魔水晶に手をのばす。
だが、その手が真水晶に届く刹那・・・・
別の手がさっと魔水晶を掠め取ってしまった。
「・・・・・?」
咄嗟のことに思考が追いつかない。
ノロノロとした動きで、上を見上げる。
そこでは、自分より少し高いくらいの背中の曲がった男が自分の魔水晶を手に持ってしげしげと眺めていた。
こいつは誰だ?
その男の体が歪んで見えるのは、本当に歪んでいるからか、それとも意識が朦朧としているからか。
とにかくモニカはその顔を上手く認識することができなかった。
ただ、この男が自分の大事な物を持っていることだけはわかる。
「返して・・・・」
なんとかその言葉を絞り出す。
だが、男はその言葉に視線をこちらに向けるだけで、特に返事をしようとはしなかった。
「返して・・・・それは私の・・・・・」
「いいや、今おいらが拾った」
「・・・・?」
一瞬この男が何を言ったのか理解できなかった。
それは、たしかに自分のものだ。
なのにこの男は、自分が拾ったという。
どういうことだ?
「それは私の・・・・」
「いいや、おいらが拾った、おいらのものだ」
小汚い男は再び魔水晶が自分のものであると主張する。
モニカは自分の意識が朦朧としてまともな判断ができない状況だが、それでもこの男が不当に自分のものを持っている事は理解できた。
「返して!!!」
精一杯の力を込めて、男に掴みかかる。
だがその力は悲しいほど弱々しいものだった。
これが自分の本来の力なのか?
いや、自分の力すらまともに制御できなくなってしまっているのだ。
そんな力では男から魔水晶を取り返すことなどできようはずがない。
あっという間にねじ伏せられ、逆に机に押さえつけられる。
「これは、おいらのだ・・・・」
低く、脅すように発せられる男の声。
その内容に、自分の中の怒りが爆発しそうになる。
全身の血液が沸騰しそうなのは、体調のせいなのか怒りのせいなのか分からなくなってくる。
「ぐっ・・・それは・・・わたしの・・・・」
「何度言っても、おいらが拾ったものは、おいらの物だ!」
「かえしてよ・・・・だいじなものなのに・・・・」
あまりの無力感に涙が湧き出してくる。
「そんなに、ほしいなら・・・その代わりに、お前は何をくれる?」
打ちひしがれた今の自分にその男の言葉は甘く聞こえた。
「・・・・お金なら・・・2万セリスは・・・・ある」
とにかく魔水晶を取り戻そうと無我夢中で、もう何故それを覚えていたのか分からない自分の全財産を提示した。
だが・・・
「この純度の魔水晶が2万だと? 大人を舐めんじゃねえぞ」
「でもそれしか・・・・・払えない・・・・」
「払えるもんがあるだろう?」
「・・・・なに?」
・・・・そんなものあったか?
「
”おまえ” ・・・・なんだそれは?
そんなもの持っているのか?
「それを・・・・あげれば・・・・返してくれる?」
「ああ」
少し考えれば、男が言っていることの内容を理解することは出来ただろう。
だがこのときはもう既に自分の思考すら、自分の制御から漏れ始めていたのだ。
「・・・あげる」
きっと、正常な判断力が残っていればこんな言葉は出なかっただろう。
いや、こんな状況には陥らなかったはずだ。
男が懐から謎の紙を取り出し、その上に手を置く。
すると、黒くて
朦朧とする意識の中で、その魔法陣の光がやたら輝いて見えた。
「”おまえ”の自由は、おいらのものだ、それでいいな」
「いいって・・・言ったら・・・”それ”を・・・・返して・・・くれる?」
「・・・いいだろう」
「・・・・・
その瞬間、魔法陣が激しく輝きだし内側の模様が変形を始め、そしてだんだん2つへ別れていく。
最後に真ん中の部分が分かれ完全に2つに別れると、片方が自分の胸に、もう片方が男の胸の中に消えていく。
その不快感は、既に苦痛にまみれている中であってもはっきりと感じられるほどひどいものだった。
まるで、自分の存在を根底から引き裂くような不快感に顔を顰める。
だがそれも僅かな間のことだ。
直ぐにその不快感はおさまり、朦朧とする意識が僅かに回復する。
「これで・・・かえして・・・くれるよね?」
心の中にどっと安心感が流れ、ほとんど無意識に男の持つ”それ”に向かって手を伸ばす。
だが不思議な事に男は何も答えようとせず、突然モニカの体を抱え上げた。
それがあまりに唐突で何も反応できなかった。
いや反応できたとしても避けるだけの力は残っていなかった。
そのまま、軽く男に担ぎ上げられる。
「なんで・・・かえして・・・」
こんな状態になっても思考が回らず、とにかく”それ”を返してほしいという感情しか湧いてこなかった。
もはや”それ”が何なのかも認識してすらいない。
男はモニカを抱えたまま無言で歩き始めた。
どうやら食堂を出るらしい。
「わるいね」
男が店を出るときに、店主と思われる人間に軽く会釈した。
「二度と来るな」
店主が苦虫を噛み潰したような顔で、そう吐き捨てる。
そんなに苦い顔をするなら助けてくれればいいのに。
助けてくれれば?
その時になってようやく、自分が危険な状態に置かれていることに気がついた。
なんで今まで気が付かなかったのか?
ああ、だめだ、急に頭を回すと痛くてかなわない・・・
そしてその痛みのせいで、またも僅かに芽生えた危機感は洗い流されてしまう。
男はモニカを抱えたまま宿屋の外に出ると、夜の空気が当たり肌寒く感じた。
そしてそのまま、男は無言で夜の街を歩き始める。
この辺は昼間と違って夜になると一気に人気がなくなっていて、今や誰も少女を抱える男の姿を咎める者はいなかった。
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