1-8【少女と老人 3:~残滓の悪夢~】

 


「結局、終わらなかったね・・・」


 モニカがベッドに腰を掛けながら少し残念そうに言った。


『元々、結構時間がかかるものなんだろう、だからこんな部屋もあるわけだし』


 そこはカミルの家の二階に設けられた客室だった。

 ベッドと机があるだけの質素なものだが、寝泊まりするだけなら十分と言える。

 

 ここはカミル曰く、調整に時間のかかる高位スキル保有者が調整の間寝泊まりするための部屋らしい。


 結局あれから、カミルとはあまり話していない。

 当然、俺達のスキルの謎についても、モニカの父親についても何も聞けていなかった。


 モニカの今までの話を語るだけでいつの間にか日が落ちて、カミルがそこで今日はここまでとスキルの調整を切り上げたのだ。

 まだ、分からないことも多いから一気にはできないそうだ。

 そして、一階で二人でほぼ無言の夕食を済ますと、モニカがまだ小さいから早く寝ろとあっという間にこの部屋に押し込められてしまったのだ。


 しかし、普通の高位スキルでも調整に数日かかるとか、普通ではない俺達はどうなってしまうのか?

 この分だと本当に数日はかかるかもしれない・・

 モニカの休息になるので俺は一向に構わないが、モニカはさっさとアクリラへ向かいたがっているのでいつまで保つか・・


 と思ったが、モニカの方もここにいるのは満更ではなさそうだ。

 まだ、肝心なことを聞けていないということもあってか、それとも自分なりに旅の疲労を自覚しているのかは分からないが、焦りのような感情はなかった。


『まあ、気長に待とうぜ、カミルさんも何か迷っているみたいだったし』

「やっぱりカミルさんて、父さんのこと知っていると思う?」


『さあ、どうだろうか、ただロンて人と過去に会っていたのはまちがいないんだろう、それがモニカの父親かどうかはまだ判別はついていないだけで』


ロン・・はどう思う?」

父さん・・・じゃなくて?』


 俺が軽く意地悪をすると、モニカの頬が風船みたいに膨らんだ。


「もう、言わなかったの悪かったって言ってるでしょ」

『はっは、いや、別に気にしてないんだけど、流石にちょっとびっくりしてね、そんなに俺の声は似てるか?』

「そういうとこは全然似てない!」


 モニカが舌を出して怒る。

 ふと、俺はウルスラや他の軍位スキル達にあるという管理用のインテリジェントスキルもこうして自分の主と冗談を言い合うことがあるのかと気になった。


「わたし達のスキルってちゃんと調整してくれるかな?」

『どうした? カミルさんの腕じゃ不安か?』


「そうじゃないんだけど、でもウルスラってすごく沢山の人が集まってそれでなんとかなったんでしょ? カミルさん一人で大丈夫かな?」

『それは組成の時の話で、ただの調整にそんなに人はいらないと思うぞ、それにフランチェスカはそんな多くの人間が関わったとは思えないし、ひょっとしたらコンパクトにできているのかもしれない』


「・・・・ということはウルスラの安物?」

『整備性を高めた発展型とも言えるぞ、ウルスラの話を聞く限りそこは要改善と俺でも考えるからな、ただ、カミルさんの様子からはっきりしたのは俺は”王位”スキルで・・・たぶんかなり特殊だ』


 モニカは俺のそのまとめにしばし考えを巡らせた後、今ここで答えが出るものではないと悟ったのか大きく寝転んだ。


「カミルさん・・・似てたなぁ・・・」

『誰に?』


「・・・・父さんに」


『・・え!?』


 突然の発言に俺が虚を突かれる。


「なんというか・・・雰囲気というか・・・」

『おいちょっと待て、確かリコにもそんな事思ってなかったか!?』

「え!? わたしそんなこと言った!?」


『言ってないけど思ってただろう!? だいたいあれのどこが俺と似ているんだよ!?』


「だからロンは声以外、全然似てないって!」


 モニカが必死に否定する。

 何故か無性に傷ついた。


『・・・なあ、ひょっとしてそれって、お前の親父さんが無口なだけなんじゃ・・・』

「・・・・それ以上は言わないで」





コトリ・・・・


 寝室のエンドテーブルにコップを4つ並べ、そこに棚の奥から引っ張り出してきた安物の酒を注いでいく。


 だがこの部屋にはカミルの他には誰もいない。

 

 いや、いつの間にか誰かがカミルの横に立ちその酒の入ったコップを手に取った。


「やっぱり来たか・・・」


 カミルがその誰かに声をかける。

 まるで影の中から出てきたかのように突然そこに現れたにも拘らず、カミルは全く驚かない。


「どうでしたか?」

「それが10年ぶりに会った人間に掛ける第一声かね?」


 カミルが毒つく。


「すいません、これから中央ルブルムに向かわなければいけない用事があるので」

「それでいきなり本題か、だが天下のローマンさんは、こんなところに女の子を一人よこして何がしたいんだ?」


「あなたの意見を聞きたい・・・」


 ローマンと呼ばれた男は影から顔を出し、真剣な様子でこちらを見てきた。

 思えばこの男の顔をここまでまじまじと見たのは初めてかもしれない。

 10年前からこいつはどこからが影かよくわからない男だった。


「相変わらず察しが悪いの、普通は俺がコップを並べた時点で何か気づくものだ」

「では・・・あの子は・・・」


「おそらくお前の予想通りのものだろう・・・」

「では、”王球”は? ”アーク”無しで行動しているのですか?」

「北壁の遥か先の氷の大地の何処かにあるらしい、あの子はそこを家だと思ってロンと一緒に住んでいたと言っていた、アークから離れて大丈夫な理由は不明だが、それを言うならそもそもなんで生きていられるのか不明なのだ、きっとロンがその2つに何らかの解決策を見出したのだろう」


「では、やはり”王球”は彼が持ち出したのですね」


 その質問に対してカミルが静かに首を縦に振った。

 そして自分の手元のコップに注がれた酒に目を落とす。


「まさか、こうしてあの日の約束通り皆で酒を飲むことになるとは夢にも思わなかった、生きているのは俺とお前だけになってしまったが・・・・」

「あなたと私だけ?」

「ロンは死んだらしい・・・」


 カミルはそこで目を閉じる、それはかつての友に対する哀悼でもあり、今、目の前にいる友がしているであろう柄にもない悲しみの表情を見ないようにするためだ。


「・・・失礼しました」


 その声はいつもと変わりない物だった。


「もういいのか? たまにはワンワンと声を上げて泣けばいいだろうに」


 カミルが目を開けると、そこにはいつも通りのローマンの涼しい顔がそこにあった。


「それはみっともないので、周りに誰もいないところでやりますよ」


 冗談めかしているが、その言葉に嘘はないのだろう。


「知ってるか? あの子、ロンのことを”父さん”って呼んでるんだぜ」


 カミルがなにか面白い物を見たと言わんばかりに顔を歪ませて笑みを作る。

 そしてそれをローマンはただ無言で聞いていた。

 彼にとってはそれだけで十分だったのだろう。


 手に持っていたコップの中の酒をぐいっと一気に飲み干し、テーブルの上に戻すと、その姿が闇の中に消えていった。


「私はこれで・・・」


 それだけ言い残し気配が消える。


「ローマン! お前はどう思う?」


 カミルがまるで懇願するかのように、消え行く影の中に質問を投げかけた。

 だがそれに対して返事はない。


 後には1つだけ飲み干された4つのコップと、カミル一人だけが残された。


 それは先程までとそう変わりはないのに、それが妙に寂しく感じる。

 そこでふとカミルは、ローマンもカミルと同じような悪夢を見るのか気になった。


 ロンが死んだとはっきりした今、この悪夢を共有している相手が人でないもの・・・・・・・しかいないというこの状況は、猛烈な孤独を感じさせる。


「なあ、ロンよ・・・」


 カミルが自分の右側に置かれたコップの先を見つめながら独り言を呟く。


「お前はどういう顔で、あの子の前で父親面していたんだ? なあ、教えてくれ、お前は悪夢に苦しまなかったのか?」


 その言葉を口にしながら、カミルの目から一筋の涙がこぼれ落ちた。

 

 カミルはその涙を軽く拭うと、手に持っていたコップの中の酒を一気に飲み干し、口の中いっぱいに安酒の不味さが広がり、それにカミルが眉をしかめる。


 そして、悲しみとは別に深い満足感が胸の中に広がるのを感じた。


 何はともあれ、彼の悪夢の5年間は無駄ではなかったのだ。

 その成果がまさか歩いて自分のところに訪ねて来るとは思わなかったが、その顔を見た途端、驚愕とは別に小さな達成感を感じたのは間違いない。


 それと今は悪夢のことよりもあの子がなぜ生きてられるのか、本当に生きていられるのかの方が気になった。

 それと今後も同じように生きていられるのか・・・

 ひょっとするとこれがあるから、ロンは悪夢を見なかったのかもしれない。


 もしかすると、少なくともあの子がいる間は悪夢を見ないで済むかもしれないな。


 そんなことを考えながらカミルは自分の布団の中に体をもぐりこませた。



 だが、彼の中の悪夢はそれほど生易しいものではなかった。


 年と共に掠れぼやけていった悪夢は、モニカという化身の姿を得て、再び・・・いや、かつてないほど鮮明なものに変わっていたのだ。

 そしてその悪夢が、カミルの頭の中にその声を響かせる


「ねえ父さん・・・頭が痛いの」


 それは間違いなくモニカの声だった。





「ふう・・・これくらいがちょうどいいね」


 モニカが床の硬さを背中で確認しながら、安心したようにそう言った。


『これなら明日は痛みに悶えなくて済みそうだ』


 俺がそう言うとモニカから肯定と、眠気の感情が流れてくる。

 

「おやすみ・・・」

『おやすみ、モニカ』


 視界が真っ暗になりモニカが眠りに落ちていく感覚を感じながら、俺は今日知った出来事をどう纏めようか考え始める。

 まだはっきりとは聞いていないので、確定ではないが、今後のスキル運用についても少なからぬ影響が出るだけに慎重に精査しなければ。


 さて、とりあえずカミルさんとのやり取りをもう一度確認してみようかと、映像ログを漁っていたときだった。



「うわあああああああああああ!!!!」


 突如、耳の中に男の悲鳴が大音量で流れ込んできた。

 

 それを合図にまどろんでいたモニカのバイタルが一気に覚醒へと向かう。


「何!?」


 ガバっと布団を吹き飛ばし、ベッドの上で中腰の姿勢で周囲を窺いながらモニカが聞いてきた。

 そしてその間も依然、悲鳴は続いていた。


「ひいいい!! ああああああ!!」


『カミルの声だ!』


 その瞬間モニカが扉を挟んで向かい側にあるカミルの寝室を睨んだ。

 

 それは確かにカミルの声だった。


 モニカは慌てて、部屋の隅に立てかけていた二本のフロウを手に取ると、俺が2つともモニカに纏わせる。

 

 そして自分の部屋の扉を乱暴に開け、カミルの部屋の扉も同じように開いた。

 部屋の中では布団から床に滑り落ちたとみられるカミルが、何かに怯えるようにわめきながら壁に張り付いて震えていた。


 部屋の中にはカミル以外誰の姿もない。





 ・・・・

 ・・・・・・


 父さん・・・・父さん・・・・


「父さん」


「ねえ父さん」「父さん」「頭が痛いの」「足が動かないの」「痛いよ父さん」「父さん」「どこにいるの?」「父さんこの子動かないの助けて・・」


「ねえ」「ねえ」「父さん」「ねえ・・」「父さん!」


 そこら中から聞こえるその声を少しでも掻き消そうと、カミルは耳を塞ぎながら大声を上げる。


「うわああああああああああ!!!!」


 だが、どれだけ耳を塞いでも、どれだけ大声をあげても、その声が消えることはなった。

 それだけではなく、周囲には今まで感じたこともないほどはっきりとした気配を感じる。


 それが何者かと、ゆっくりと目を開けると目の前に広がった光景に背筋が凍った。

 これまでの悪夢ではおぼろげな影しか見えなかったものが、まるで実体を得たようにはっきりと見えた。

 何人もの、女の子・・・それも、赤ん坊から2歳くらいまでの小さな女の子たちが、無数にカミルの周りを取り囲んでいた。


 年や体つきは違うが、皆、ボロのような服を身に纏い、同じ顔、同じ目、同じ髪の色をしている。

 そして発せられる声も同じだった。


「父さん息ができない」


 まだ喋れるわけもない赤ん坊が自分の首を押さえてもがき、そしてその真っ黒な目が、カミルのことをしっかりと見つめていた。


「俺がわるかった・・・・」

「ねえ父さん」


「ゆるしてくれ!!!」


 懇願するようにその幼女たちに叫び、許しを請う。

 だが、幼女たちはその声などまるで聞こえていないかのように、なおもカミルに声をかけ続ける。


「足が痛いの!」「お腹が痛いの」「目が痛い、目が痛いよ、父さん」


 同じ顔をした幼女たちが口々に苦しみや痛みを訴えながら、カミルへ少しづつにじり寄ってきた。

 だが苦悶にうめくその表情もその真黒な眼だけは皆、何の感情もないかのようにはっきりとカミルを見つめている。


 そして一番近くにいた子の手が、カミルの足に触れる。

 その瞬間カミルの全身を大量の冷や汗が流れ落ち、まるで虚空に放り出されたかのように上下の感覚がなくなった。


 実体を感じない子供の手はひたすらに冷たく、まるで全身が凍り付いたかのように金縛りに襲われる。


 気付けばどこを向いても幼女たちの目がすぐ近くにあった。

 まるで何もかもを吸い尽くす様な真っ黒な瞳がどんどん迫ってくる。


 もうカミルの頭の中にまともな思考は残っていなかった。


 ただ、この悪夢の終焉を・・・いや、ただ彼女たちに対する贖罪だけを考え、許しを求めて叫び声を上げ続けた。

 まるでその声が尽きた時が彼の終焉であるかのように。


 だが無情にもカミルの耳にはその声すらも跳ね除け、ただひたすら幼女たちの自分を呼ぶ声が聞こえる。

 

父さん、父さん、父さん「カミルさん!!」父さん、父さん・・・・


「やめてくれえええええ!!!」


 そのとき不意に幼女たちの中で一番体の大きな子が、一気にカミルに迫り、そして抱き着いた。

 カミルは思わず恐怖で引きつりかけたが、すぐにその子の体がちゃんと温もりを持っていることに気がつく。

 そして凍り付いた体の中に温かい感触が戻ってくるのを感じた。


「ああ・・・はあああ・・・・・」


 どうやら息すら忘れていたようで、その子に抱き着かれながら肺が必死に外の空気を求めて脈動した。


「カミルさん・・・私です・・・わかりますか?」


 カミルに抱き着いている体から先ほどまでと同じ声にもかかわらず、全く異なる温かな声が聞こえ、その声を認識した途端に周囲の幼女たちの姿がゆっくりと薄れていく。


 カミルは、まるで地獄で見つけた蜘蛛の糸に縋り付くかのごとくその少女に抱き着き返した。

 なぜだかは分からないが、この少女の存在を認識すればするほど、幼女たちの姿は消えていく。

 だからカミルは必死にその少女の感触や熱、匂いを確かめるように縋り付いた。


 暗闇の中でわずかな光を見つけたカミルは、何とかそれを頼りに戻ってくることができたようで、周りを見回せばそこにはもう黒い眼はなく、ただいつもの自分の寝室が広がっていた。


「・・はぁ・・・・モニカ・・・か・・・っぐはっ・・・」


 何とか息を整えながら抱き着いていたのが、今日自分を訪ねてきた少女であることを理解する。

 そして自分の心臓が恐いくらい早鐘を打っていることに今更気が付いた。


「・・・・大丈夫ですか?」


 カミルがようやく落ち着いたことを察したのか、モニカが顔をこちらに向けてきた。

 その真っ黒な目に、一瞬ドキリとするも、すぐにそれが実体あるものだと悟ると落ち着きを取り戻す。


「・・・すまない・・・・」

「いいですよ・・・私も夜に泣きたくなるくらい恐いことが、何度もありました・・・でも、その時は父さんがこうして一緒にいてくれたんです」


 そう言ってモニカがカミルの方に回した腕に軽く力を込める。

 先ほどまでは悪夢そのものだったその声も、今はただ、その温かさだけが救いのように感じた。


「・・・・ありがとう・・・」


 カミルはようやく見つけた光に、感謝の言葉をこぼした。


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